――時間は遡り。
遠也がいまだ行方知れずになって幾許かといった頃、デュエルアカデミアを去ったパラドックスは己の根城としているラボにて、静かに目を閉じて自身のD・ホイールの前に佇んでいた。
そこは、ゾーンと離れて独自に研究を行うために彼が秘密裏に用意した場所だった。デュエルモンスターズと歴史との関連や、「Sin」の研究を行っていた場所である。
彼本来の居場所は同志たちと共に最期を過ごした場所であるアーク・クレイドルだが、今の彼にそこへと戻ることはできなかった。
何故ならば、彼は遠也を歴史から抹消するという役割を放棄してしまったからである。どこからどう見ても自分は裏切り者だ。そんな自分があそこに帰る資格はないとパラドックスは考えていた。
そこまで考えて、いや、とパラドックスは小さく否定をした。アンチノミーならばこんな自分にも理解を示すかもしれない。最期まで未来に希望を見出そうとしていた、奴ならば。そう思ったからだ。
しかし、それを自身の未練と甘えであると判断したパラドックスは眉を寄せてその思考を振り払った。
そして再び先ほどまで続けていた思考を始める。それは彼にとっての転機となった存在――皆本遠也のことだった。
D・ホイールも用いず、ただ想いの力だけで"
そしてアンチノミーには不動遊星という先駆者が存在していたが、遠也にはそれがいない。まして、ライディングデュエルすら存在しない中そこに辿り着いたことは驚嘆に値するといえた。
実際には遠也には未来の知識があり、そしてレインからクリアマインドのことなどを聞いていたのだが、それをパラドックスは知らない。ゆえに、彼はそのように考えるのだった。
そして、とパラドックスは更に考えを深める。未来においても存在していなかった力――エクシーズ召喚。それはパラドックスにとってまったくの未知の現象だった。
未来を知る彼が知らないということはつまり、既に未来が変わり始めているということ。それをパラドックスは悟らざるを得なかった。
しかし、それを認めることはパラドックスにとって恐怖であった。未来を知るがゆえに全ての犠牲を仕方がないと容認してきた。そして、未来へと続く定めたレールの上を進んでいけばよかった。
しかし、未来が不確定となった今、それは通じない。それはパラドックスにとってこれまでを否定されるに等しいことだったからである。
だが、やがてパラドックスは知る。それは当たり前のことなのだと。未来を知ることなど誰にもできない。だからこそ、人間はよりよい未来となることを願って今を生きているのだと。
遠也という存在に出会ったことで、パラドックスはそんな当たり前のことを思い出した。そして、「もしかしたら」という誰もが心の中に秘めている希望をも抱くようになったのである。
確定した未来ではない。しかし、もしかしたら。もしかしたら、未来は良くなるのかもしれないと。
「……チッ」
そこまで考えて、舌打ちを一つ。
それは、自分が今までの自分とは正反対のことを考えているからであり、そんな風に自分を変えられてしまったことが何だか癪だったからである。
だが、悪くはない。その感覚はとうに人間性を犠牲にした自分らしくもない人間らしい感情であると理解しつつ、実際に感じるそれは悪くない感覚だった。
パラドックスはゆっくりと閉じていた瞼を持ち上げ、純白の輝きを放つ愛機を眺めた。
遠也と、そして異世界に飛ばされた中で交流した少年たちの姿を思い起こす。この世界を、歴史を、無きものにしようとしていた己のことを知らず、疑うことなく自分を仲間だと考えていた彼ら。
それは無知からくるだけのものだっただろう。本当のことを知れば、彼らは己を受け入れることなどなかったかもしれない。
しかしそれでも。小さな希望の火を胸に灯した今のパラドックスは、そんな彼らの信用を無碍に振り払うことなど出来そうもなかった。
「忌々しい男だ……!」
それら全ての根源は遠也である。ゆえに、パラドックスは本当に苦々しい顔でそう吐き捨てると、D・ホイールに跨った。
そしてエンジンを起動させれば、モーメントの放つ七色の光が室内を照らす。そしてゆっくりと開かれていく扉の向こうに広がる外界に目を向けながら、パラドックスは地に着けていた足を離した。
異世界にその姿を消した遠也を見つけるために、このD・ホイールの機能では足りない。あくまでこれは同一世界上の時間軸を移動するためのものでしかないからだ。
ならば、新たな機能を組み込まねばならない。そのためには――。
「……ゾーン、アンチノミー。私やアポリアとは違い、君たちは心のどこかで希望を抱いていたな。――今ならば、私にもその気持ちがわかるような気がする」
だから許せとは言わない。しかしどうか、今だけは私の思うままにさせて欲しい。
モーメントが回転し、必要なエネルギーを作り出す。そしてそれがホイールの全てに行き渡った時。轟音を響かせて、彼の姿は外へと飛び出していき、やがて光に包まれてその姿は消えていった。
――数時間後、I2社が所有するある病院。
そこに今日たまたま視察に訪れていたペガサスの耳に、驚くべき情報が飛び込んできた。
「なんデスって!? レインガールの病室に侵入者!?」
「は、はい。どのような手を使ったのか、気付けばその男は病室の中に……」
病院のセキュリティから話を聞いたペガサスは、その表情を苦渋のものに変えると「こうしてはいられまセーン!」と一言残して一目散に駆け出した。
併せて病院内を案内していた担当者、そしてペガサスのボディガードたちも走り出す。
「か、会長! どこへ行くのですか!?」
「決まっていマース! レインガールの病室デース!」
そうして受け答えをする時間すらもどかしいとばかりに、ペガサスはひたすら足を動かして廊下を進む。病院内を走るなど本来もっての他であるが、幸い彼らが今いる場所はI2社でも一部の人間しか入ることのできない研究区画だ。
患者と呼ばれる存在は件のレイン以外におらず、病人もいない。そのため、非常時ということもあり彼らは一気に廊下を駆け抜ける。
そうして辿り着いたレイン恵の病室。そこでペガサスの目に飛び込んできたのは、意識のないレインを抱えた長身の男が出てくる姿だった。
「待つのデース! 彼女を一体どうするつもりなのデスか!?」
どうにかかどわかされる寸前で間に合ったようだとペガサスは安堵し、そして瞬時に気を引き締めると侵入者の前に立ち塞がった。
ボディガードたちもペガサスを守るようにその前に立ち、そんな彼らを、男は長い金髪を揺らしながら睥睨する。
「ペガサス・J・クロフォード……デュエルモンスターズの生みの親である貴様にここで会うとは、これもまた奇縁か」
「なんのことデース!」
「貴様がそれを知る必要はない。そしてこの女を私がどうしようと、貴様には関係がないことだ」
男は何も問いに対する返答はせず、ただ突き放すように口にして眼光鋭く睨みつける。
一様に気圧される面々。それほどまでに男には形容しがたい威圧があった。しかし、ペガサスとてそれで引き下がるわけにはいかなかった。プレッシャーに晒されながらも一歩踏み出して男に近づき、声を張る。
「私は、遠也からその少女のことを頼まれたのデース! 私は遠也の……家族からの信頼を、裏切るわけにはいかないのデース!」
真っ向から男と向かい合ってそう強く言い切る。髪に隠されていない片目には、力強い意志が宿っていた。
「会長……」
周囲の人間は、尊敬の込められた視線でそんなペガサスを見ていた。自分たちのトップがこの人で良かった。そう心から思える幸せを、彼らは噛み締めていた。
カリスマ性とも呼べるそれが、怯んでいた彼らの心に勇気をもたらす。そして改めてペガサスの前で男と対峙した彼らの目には、先ほどとは比べ物にならないほど強い光が見て取れた。
それを見て、男は心のうちで「ほう」と声を漏らす。それには紛れもない感嘆の響きがあったが、しかしそれを表に出すことはせず、男は静かに片手をズボンのポケットに入れると、そこに入っていた機械のボタンを押した。
直後、男とペガサスらの間に巨大な物体が出現する。白を基調とし、竜の頭を思わせる意匠が施されたカウルが特徴的な大型のバイク。
唐突に現れたそれに、一同は困惑する。そして男はその隙を突いて、レインを抱えたままそのバイクに飛び乗った。
自失から立ち直り、彼らがパラドックスに視線を戻した時には、既にパラドックスは車上でグリップを握りこんでいた。
「……私の名は、パラドックス」
モーメントの回転が始まる。そして響く駆動音の空隙から、男の――パラドックスの声がペガサスの耳に届いた。
「私のことは、遠也にでも聞け」
「待っ――!」
思わず制止の声を上げるペガサスだったが、しかしそれよりも早くパラドックスを乗せてその巨大バイクは発進し、その進路上にいる彼らはペガサスを庇いながら脇へと飛び退いた。
パラドックスは彼らがペガサスの身を守るために道を開けるとわかっていたのだろう。一度だけ振り返ってその様子を一瞥すると、パラドックスを乗せたそれは廊下をいくらか進んだところで光に包まれて消え去ってしまった。
後には、それを呆然と見送るしかなかったペガサスたちが残される。
今のは一体誰だったのか、そしてレインをどうしようというのか。それら様々な思考が入り乱れる中、ペガサスはただ一つパラドックスが最後に残した言葉を反芻していた。
「遠也……」
パラドックスは確かにその名前を口にした。それも、敵意など感じさせない穏やかな口調でだ。
ならば、遠也とあの男は面識があるのだろう。そして、ある程度の交流があると想像できる。ならば、確証こそないもののレインにすぐ危害が加えられるということもない、はずだ。
もちろん、確証がない以上全力であの男の行方は捜させてもらう。部下たちに指示を出しながら、ペガサスは去っていった男の名前を呟いた。
「パラドックス……一体何者なのデース」
*
覇王十代とのデュエルを制し、十代を取り戻した俺たちは、そのまますぐに覇王城を飛び立った。
十代を含め五人もの人間がいるため、これら大人数を一気に乗せることのできるシューティング・スター・ドラゴンに再びご登場いただき、その背に乗って空から脱出したのである。
そして覇王城を離れる時。あらかじめ拾っておいた覇王の兜を、俺は覇王軍がひしめく地上へと放り投げた。
幹部と思われるモンスターが指示を出し、彼らは行軍の準備を整えていたようだったが、突然空から降ってきた物体とそれが地面にぶつかって発生した金属音に一時その指示が止み、音の先へと視線が集まる。
そこには、土に汚れ、無造作に転がる覇王が身に着けていた兜。それが覇王の物である事を知らない者はこの場にいない。それが何故ここに放り捨てられているのか。
ざわめくモンスターたち。しかしその中で指示を出していた一部のモンスターは即座に空へと視線を移した。そして上空に浮遊するドラゴンを見て、一様にその表情に動揺を浮かべる。
そして彼らが何かを口にする前に、俺は先んじて声を張り上げた。
「――覇王は倒れた! もうお前たちの主はいない! すぐにどこへなりとでも消えろ! さもないと……!」
言いつつシューティング・スターの背を軽く叩くと、心得たとばかりにシューティング・スターはその口からエネルギー弾を放ち、地面を抉る。
そうして生まれた爆音と衝撃に、ただ長いものに巻かれてこの場にいるモンスターたちが怯まないはずがなかった。
一瞬の静寂の後、上がる悲鳴と絶叫。それはすぐにこの騒動を理解していない者へも伝播していき、覇王軍は騒然となり浮き足立つ。
そして怯えた彼らのとるべき行動は、逃亡しかない。何故ならすぐに逃げれば何もしないと既に示唆してあるからだ。
逃げ出す彼らを幹部のモンスターたちは止めようとするが、しかし彼ら数人で百を優に超える人数を止めることはできなかった。まして彼らは今恐慌状態にあるのだ。正常な判断ができない者たちを制御するには、覇王というカリスマがなくなった今難しかった。
そうして散り散りにこの場を離れていく覇王軍のモンスターたち。そして、それをもたらした俺たちを憎々しげに見上げる覇王軍の幹部モンスター。しかし俺たちはそれを確認すると、すぐにシューティング・スターでこの場を離れた。
これでもう覇王軍にこの世界の人が怯えることはないだろう。逃げる覇王軍のモンスターたちを見てそう確信したからである。
今は早く十代やマナたちを休ませたい。俺はシューティング・スターの背中を軽く撫で、一声鳴いたシューティング・スターは白み始めた空の彼方へと進路をとるのだった。
どこまでも続く固く冷たい岩盤が続く荒野の中、わずかとはいえ緑が生えた小高い丘に俺たちは辿り着く。
ここならば休むには適しているだろうと考え、いま俺たちはそこで休息を取っていた。
十代はまだ目を覚ましていない。そんな十代をマナ、ジム、オブライエンは心配そうに見つめていた。無論、俺も心配で仕方がなかった。
覇王となっていたことが、十代の心に大きな負担となっていたのだろう。その寝顔は苦しげであり、俺たちはそれを歯がゆくも見ているだけだった。
『遠也。私はそろそろ元の場所に戻ります。皆を放っておくわけにもいきません』
「あ、ああ。エンシェント・フェアリー、色々助かったよ」
そんな時、俺の背後に現れた青いドラゴンがそう告げると、俺はそういえばエンシェント・フェアリーには戻るべき場所があることを思い出した。
そのため、そう言ったエンシェント・フェアリーに俺はすぐに頷いて、同時に力を貸してくれたことへの感謝を述べる。
それに、エンシェント・フェアリーは小さく笑みをこぼした。
『いえ、私も精霊と心を通わせるあなたと共に戦えたのは嬉しかった。私自身はあの世界に括られたままですが、カードは残しておきます。必要とあらば、いつでも力を貸しましょう』
「ああ。大切に使わせてもらう」
俺は腰のデッキケースから《エンシェント・フェアリー・ドラゴン》のカードを手に持ち、エンシェント・フェアリーに向ける。
それを見て満足そうに頷いたエンシェント・フェアリーは、徐々にその姿を薄れさせていく。
その最中、十代の体が突然淡く輝いた。
『無理に心に干渉したからでしょう。高熱が出ていましたが……これで少なくとも体は楽になるはずです』
はっとして十代を見れば、うなされるように歪められていた表情がだいぶ柔らかくなっていた。
「ありがとう、エンシェント・フェアリー」
純粋に礼を言えば、エンシェント・フェアリーは頷いて小さく鳴いた。
そしてその身を包み始める白い光。彼女が本来いるべき場所へと戻るのだろう。そう思って静かに見守っていると、不意にエンシェント・フェアリーが首を振ってマナのほうへと顔を向けた。
マナが不思議そうに首を傾げる。
『精霊であるなら、あなたも私の娘同然。困ったことがあれば、遠也を通じて頼ってきなさい』
「え?」
『私は精霊界の王……。あなたたちの幸福を、祈っています――』
そう言い残して、穏やかな笑みと共にエンシェント・フェアリーの姿は消えた。
微かに中空を舞う光の粒がエンシェント・フェアリーの存在が幻ではなかったことを示している。そして、俺の手の中にあるこのカードも。
エンシェント・フェアリー・ドラゴン。封印された身でありながらも力を貸してくれたことに感謝の念を禁じ得ない。俺は改めて心の中でありがとうと呟き、太陽の光を取り戻した朝の空を見上げるのだった。
と、一人気分に浸る俺だったが。
「ねぇ、遠也。精霊界の王ってなんのこと?」
「そういえば、遠也がどうやってこの世界に来たのか聞いていなかったな」
「ユベルによって飛ばされた後のこともな」
マナ、ジム、オブライエンに矢継ぎ早に問いかけられ、俺は見上げていた視線を目の高さまで戻した。
そこにはこちらをじっと見つめてくる五つの瞳。ちなみにジムの右目になっているオリハルコンの眼は、光を失ってこそいたがジムの目に埋め込まれたままとなっている。
光が失われているのは、恐らくは十代を覇王から戻すべく力を解放したからだろう。尤も、どういうワケか十代の心の闇は原作より強くなっていたようで、完全に元に戻すことは出来ていなかったようだが……。
それでも、その心に隔たっていた壁を随分と和らげてくれていたのは確かだった。だからこそ、俺とのデュエルで十代も元に戻ったのだろうし。
役割を果たしたオリハルコンの眼だったが、元々ジムの体に埋め込まれているものだ。今更外すことも出来ず、ジムは再び包帯でその右目を隠している。そのため、三人いるにもかかわらず五つの瞳という表現になるわけだった。
「なんか遠也、関係ないこと考えてる?」
「そんなことはないぞ」
マナからじっとりとした目を向けられて、俺は反射的にそう答える。
そして未だ目を覚まさず、草の上に敷いた布の上で眠り続ける十代を見た。
エンシェント・フェアリーのおかげでその表情に苦しさは感じられない。それなら十代が目を覚ますまでの時間に話をするのもいいか、と俺は口を開きかけるが……。
「……ぅ……」
「っ、十代!」
その時、寝ていた十代が身をよじり呻き声を漏らす。
それを聴きつけて、俺たちは一斉に寝ている十代の顔を覗き込んだ。
きつく閉じられていた瞼が緩慢に動く。徐々に持ち上がっていく瞼の裏から見慣れた茶色の瞳が姿を現し、俺たちの顔がその目に映った。
ジムとオブライエンの表情に喜びが混じるのが見て取れた。
「十代、起きたのか!」
「十代!」
呼びかける二人だったが、しかし目を開いた十代はまだ意識が朦朧としているのか目の焦点が合っていない。だがそれもすぐに回復し、覗き込む俺たちの顔を一人ひとり確認していく。
そしてその目が俺の視線と合った時。数秒固まった十代は、やがて勢いよく体を起こした。
「十代、まだ無理を……」
「――遠也! お前、生きて……! 俺……!」
上半身を起こした十代は、オブライエンの制止の声が届いていないようだった。その表情は驚愕と喜びがごちゃ混ぜになったような複雑なものになっており、震える声がその口から溢れて俺に向けて手を伸ばしている。
目を覚まして一番に俺の名前を呼んでくれるとは……それだけ十代にとっては心のしこりとなっていたのだろう。負担をかけていたことを申し訳なく思いながら、そんな気持ちを隠して俺はその手を笑いながら掴んだ。
「落ち着け十代。この通り俺は生きてる。心配かけたな」
十代の手を握る手に力を込めて、幽霊なんかじゃないぞ、と冗談交じりに口にする。こうまで心配をかけてしまった友人の心を軽くしてやりたい。今の俺にあるのはその一心だった。
しかし俺がそう言った瞬間、十代はほっと一息ついたものの、すぐにさっと表情を青ざめさせて繋がった手を強引に振りほどいた。
「十代?」
突然の行動に、俺の口から疑問が漏れる。それは俺だけではない。マナやジム、オブライエン達も十代がとった突然の行動に目を見張っていた。
なぜなら、それはまるで俺を拒絶するかのような行動だったからだ。
十代が俺の声にはっとして顔を上げる。しかしすぐに視線を落とすと、その両手で強く目を覆った。
「俺は……もう皆と友達でいられない……」
「十代、何を言って――」
「俺はッ! 沢山の人たちを……殺したんだ! 俺のせいで!」
それはまるで血を吐くような声だった。
叩きつけるような声でありながら、それをぶつけているのは俺たちではない。ただ自分自身を十代は責めていた。
誰もが口を噤んだ。特にジム、オブライエン、マナは言うべき言葉を失くしてしまったように立ち尽くしている。この世界に長くいた三人は、覇王軍が引き起こした悲劇を俺以上に実感として知っているからだろう。
「俺のせいなんだ! 俺がいるから、皆も……関係ない人たちまで巻き込んで! ――俺がッ!」
目を覆っていた手が強く握られて地面に叩きつけられる。どん、という鈍い音がことのほか大きく俺たちの耳に届いた。
「死んだんだ……皆……。遠也……死んだんだよ、皆は……」
俯いたまま、十代は懺悔するように続ける。その握りこまれた拳とは裏腹に絞り出す声に力はなく、透明な雫が次々と地面に染みを作った。
体ごと震わせて自身を責める十代に、かけられる声はない。ジムやオブライエンは何を言っていいのかわからないといった顔で十代に悲痛な目を向けていたし、マナもまた言うべき言葉が見つからないようだった。
そして俺は三人とは違って、知らない。皆が消えていく瞬間も、この世界の現実も。俺はその時別の場所にいたから、たとえ知識として知っていても実感なんてない。
まして、皆が現状どうなっているのかこそ知らないが、俺はこの先にある未来を限定的にとはいえ知っているのだ。この世界がフィクションではなく現実である以上、同じようになっているのかなど確認しようがないが、しかしそれでも俺は皆が死んでいない可能性を信じることが出来る。
それがこの場にいる皆にはない。それは当然のことだし、それが正しいこの世界の人間の姿なのだろう。
それが、俺は少しだけ悲しかった。俺だってこの世界に生きる一人の人間だが、しかし根底にある感覚はやはり異邦人なのだなと思えてしまうから。
だが、そんな感傷は今必要なことではない。今俺に出来ることは、きっと違う。
「――十代」
俺は異邦人かもしれない。けれど、皆と過ごした時間は本物で、この心に感じる友情だって真実だ。十代に対する親愛だって嘘じゃない。
「落ち着け。まだ体調は万全じゃないんだ。興奮するな」
まずは十代の体が心配だ。その気持ちから出た言葉だったが、しかし十代はそれに対して信じられないとばかりに表情を歪ませた。
「……なんで、そんな冷静なんだよ。死んだんだぞ、皆は……!」
「十代、それは――」
「俺のせいで死んだんだ! もう皆はいない! お前は、何も感じないのかよ!?」
「言い過ぎだ、十代っ!」
ジムが咄嗟に言葉を挟んで十代を制止する。
それに、十代も自分が何を言ったのか気付いたのだろう。はっとすると「わ、悪い」とバツが悪そうに下を向いた。
俺はしかし気にしていなかった。極限状態にある十代にとって、俺の言葉は神経を逆撫でするものだったかもしれないと今更ながらに自覚していたからだ。
しかし、十代はのほうはそうもいかないようだった。先程も暗い顔をしていたが、今は輪をかけて酷い顔色になっている。自責の念が際限なく十代の中に積み上がっていっているようだ。
このままでは、十代の心が死んでしまう。そのことを俺は半ば直感的に感じ取っていた。
仲間たちを失い、覇王として生きた日々。それが十代にもたらした影響はどこまでも深く重い。いま十代は、それに押し潰されようとしているのだと痛いほどわかった。
だが、どうすればいいのか。生半可な言葉ではきっと十代の心を軽くしてやることなど出来ない。そして俺にそんな話術はなかった。しかしこのままでは十代の心は自責によってきっと壊れてしまうだろう。
なら、いま俺に出来ることはただ一つしかない。過去も未来も、俺が持つ知識だって関係ない。そんな何もかもを無視して今この瞬間に心の中にある気持ちを、ありのままに目の前の友達に伝えることだ。
言葉ではなく。そしてその為の方法は、既に用意されていた。
「十代」
呼びかけ、十代が顔を上げる。
「デュエルディスクを着けろ。……そういや、お前とデュエルするのも久しぶりだな」
アカデミアで支給されている見慣れたデュエルディスク。十代の横に置かれていたそれを掴むと、それを十代に向かって放り投げる。
「な、なんだよ……」
それを胸の前で十代が掴む。反射的に受け取ったそれに一度視線を落とし、顔を上げた十代の目には苛立ちのようなものが浮かんでいた。
「何言ってんだよ! こんな時にデュエルなんて……デュエルなんて、出来るかよ!」
「心配するな。命のやり取りをしようってわけじゃない。これは本当に、単なるデュエルだよ」
「そんなことは聞いてない! 遠也、お前一体何を……!」
「十代ッ!」
「……ッ!」
大きく声を上げれば、十代は一瞬ひるんだように口を噤んだ。
「皆が死んだって聞いても、俺には実感がない……俺はその場にいなかったからな。けどな、死んだとしてもそうじゃないとしてもあいつらは俺にとっても大事な友達だった。仲間だった」
「っ、そうだ……それで、俺が、その皆を……殺しちまったんだ……。責めるなら、責めてくれよ……!」
十代の顔に浮かぶのは、悔恨と悲しみ。そして……僅かばかりの安堵だった。
それは、俺という存在がいるからだろう。ここにいる人間の中で、俺だけがその時のことを知らない。他の三人はその時の状況を知っているから、十代を庇うかもしれないが……。
――遠也は、俺を責めてくれる。
そんなふうに自分を罰してくれる存在がいることに安堵し、それが微かに表情に表れているのだ。
きっと十代は責められたいのだ。自分自身で作り出した己への責め苦――後悔の念が辛すぎるから。
自分の心が生み出した苦しみは、自分が最も悪いと考える十代にとって上限がない。どこまでもどこまでも自分を責め続けるがゆえに、苦しさは際限なく増していくだろう。
それが辛すぎるから、十代はきっと誰かに責めて欲しいのだ。今感じている苦しみは十代の心を壊しかねないほどであるから。だから、誰かから責められることで、自分の罪はその程度の責めを受けるのが妥当なのだと教えてほしいのだ。
本人にそんな考えはないだろうが、自分の心を守るために無意識がそれを求めているのだろう。
確かに、十代の心は少しでも間違えれば壊れてしまうほどに極限にあるのかもしれない。
けれど……!
「……そうじゃないだろ、十代! お前……なんでそんなことを言うんだよ!」
けれど、それは違う。それは十代の心をどうにか延命させるだけで、問題の解決になっていない。
だったらどうすればいいのか。それは、上手く言葉にする事こそできないが……。
そうして言い淀む俺に、十代が怒りの表情と共に立ち上がって詰め寄ってくる。そして、俺に縋るようにして胸倉をつかんだ。
「それはこっちの台詞だ遠也……お前に、お前に何がわかるんだよ! あの時、あの場にいなかったお前に! 原因になっちまった俺の、何が……!」
「……っ、わからねぇよ! お前の気持ちなんて、わかるわけないだろ! けどな、だから――!」
俺もまた十代の服を掴み、声を上げる。
売り言葉に買い言葉。怒声を浴びせ合い、そして俺は強く握った右手で自身の胸をドンと叩いた。
「ぶつけてこいってんだよ! お前の気持ちを! 俺に!」
「おい、よせ!」
「
オブライエンとジムが制止に入る。殴り合いでもはじめそうな空気になったと危ぶんだのかもしれない。
十代を二人が俺から引き剥がし、俺はマナに体を押される。小さく俺の名前を呼ぶマナの声にはどこか諌めるような響きがあったが、俺はそれに頷くことが出来なかった。
離された位置で、十代と目が合う。その瞳には変わらない激情が燻っていた。
「く……! お前に、わかるわけない……俺の気持ちが……!」
同時に、その声には悲嘆が籠っていた。まるでこの世を儚むような悲しみの響きが。
そして、その言葉に俺もまた怒りにも似た感情がこみあげてきていた。
「そうだ、俺にお前の気持ちはわからない! けどな……!」
確かに、俺には皆が生きている未来の知識がある。
けど、しかし。それは元の世界で見たから知っているだけだ。この世界は作り物なんかじゃない……現実だ。なら、皆がこの世界でも生きている保証なんてどこにもない。
もし、皆がこのまま消えたままだったら、どうする。……そうなったら、皆がどうなるか知っていたのに俺はその時その場にいることが出来なかった大馬鹿だ。皆を知っていて見殺しにした、愚か者という言葉ですら生温いクソ野郎だ。
ユベルによって瀕死になり、異次元に飛ばされたからどうしようもなかった? それは言い訳にもならないだろう。俺が何とかできなかったのが悪いのだ。
その恐怖と怒りと後悔を、誰も知る由もないだろう。
俺の事情を知らない以上、それがわからないのは仕方がない。俺だって理解してほしいわけじゃない。けど……けどな……!
「お前だって、俺の気持ちはわからないだろう……!」
勝手な怒りかもしれない。けど、それでも言われたくないことだってある……!
それだけじゃない。十代の気持ちは確かにわからないが、しかし感じ取れるものはある。それが俺に大きな怒りを覚えさせていた。
しかし、だからといって、ただ怒りを叩きつけ合ってはダメだ。が、同時に言葉でどうにもならない感情があることも理解できる。
だからデュエルなんだ。俺たちには幸い、言葉によらない理解の仕方がある。だから今回も、俺たちはデュエルで気持ちを伝えあうべきなんだ!
「――デュエルッ!!」
「くそ……! 好き勝手言いやがって――デュエルッ!!」
体を抑えていた二人を払い、十代もまた俺の宣言に遅れてデュエル開始の合図を放つ。
デュエルディスクが起動し、互いのライフポイントが表示される。
何度もこうしてデュエルした、変わらない流れ。しかしその中で、互いに浮かべる憤怒の表情だけが異なっていた。
たくさんデュエルをしてきた俺たちだが、こんなふうに怒りによって戦ったことは一度もない。一年生の頃から一緒にいたマナはそれをよく知っている。
そのため、マナがこちらを見る顔には隠し切れない動揺があった。俺と十代の二人がこんな形でデュエルする日が来るなど、思いもしなかったからだろう。
そしてそう思っているのはきっと、俺と十代もだ。
皆本遠也 LP:4000
遊城十代 LP:4000
「俺のターン! 手札の《レベル・スティーラー》を墓地へ送り、《クイック・シンクロン》を特殊召喚! 更に墓地のレベル・スティーラーの効果発動! クイック・シンクロンのレベルを1つ下げて墓地から特殊召喚する!」
《クイック・シンクロン》 ATK/700 DEF/1400
《レベル・スティーラー》 ATK/600 DEF/0
「いきなりか……!」
フィールド上に現れた二体のモンスター――ガンマンのごとき風体をした機械族のチューナーと星が背に描かれたてんとう虫を見て、十代が苦い顔で呟いた。
それもそのはず。この布陣はカード同士の相性故にやりやすく、それゆえに多用するコンボだからである。
「レベル1レベル・スティーラーに、レベル4となったクイック・シンクロンをチューニング! 集いし星が、新たな力を呼び起こす。光差す道となれ! シンクロ召喚! 出でよ、《ジャンク・ウォリアー》!」
《ジャンク・ウォリアー》 ATK/2300 DEF/1300
丸いデュアルアイを赤く光らせ、青い鋼鉄の身体をしならせて力強く拳を突き出す。
このデッキの切り込み隊長でもあるジャンク・ウォリアーの登場に、十代が眉根を寄せた。
「カードを1枚伏せて、ターンエンドだ!」
――いくぞ、十代。
視線にそんな思いを込めて強く十代を見据える。まるで睨みつけるかのように目を向けた先で、十代は視線を逸らすことなく俺を睨み返してきた。
「俺のターン、ドロー! ――なっ……!」
噛みつくような声と共にカードを引いた十代の顔が驚愕に染まる。
引いたカードをゆっくり顔の前に持ってくると、十代はどこか慄くような目でそれを見つめた。
一体、何のカードを引いたのか。考える前に、十代はぐっと唇を噛んでそのカードを手札に加えると、それとは別のカードをデュエルディスクへと移動させた。
「……俺は《E・HERO クレイマン》を守備表示で召喚! ターンエンドだ……」
《E・HERO クレイマン》 ATK/800 DEF/2000
俺は自分の眉が反射的にぴくりと動いたことを自覚する。
クレイマン1体を壁として召喚。伏せカードもなくターンエンド。無難と言えば無難で、なるほどありえなくはないだろう。
しかし。
「……十代」
俺が相対しているのはただのデュエリストではない。遊城十代である。
そんなその場しのぎの手を打ってくるような相手ではない。もし同じ手を使うにしても、それは考えがあってのことだろう。しかし、今の十代の表情は苦渋に満ちており、とても何がしかの作戦に基づく行動だったとは考えづらかった。
「………………」
十代は何も答えない。先程まであった怒りの表情さえ曇っている。
ただじっと自分の手札に視線を落として立ちすくむその姿に、俺は何故だか憤りを禁じ得なかった。
「俺のターンッ!」
その感情を表すかのように荒々しく引いたカードに目を向け、次いで少し離れて見ているマナを一瞥する。
それで察したのだろう。はっと表情を変えたマナを確認し、俺は再び前を向いた。
「ジャンク・ウォリアーのレベルを1つ下げ、墓地からレベル・スティーラーを特殊召喚! そして……レベル・スティーラーをリリース! 来い、《ブラック・マジシャン・ガール》!」
《ブラック・マジシャン・ガール》 ATK/2000 DEF/1700
ソリッドビジョンが形を為す光と共に現れるのは、まさに今しがた俺が視線を向けたマナだった。
いつもと同じ、明るいポップな衣装に身を包んだマナは地面に降り立つと同時に、どこか困惑した顔で俺に振り返った。
『遠也、落ち着いて……!』
「ああ、わかってる……わかってるさ」
そうだ、今の俺が幾らか冷静さを欠いていることは百も承知だ。十代が体験した苦痛と悲しみはとても深い。だから、本当なら俺は十代の心を慮り労わるのが正しいのだろう。
マナもきっと、そう言いたいはずだ。そしてこの状況に立ち会えば、きっと誰だってそうするのだろう。
けれど……。
「けど……違う」
しかし俺はそうすることが出来なかった。
だってそうだろう。十代のことを労わる気持ちは確かにあるが、それと同時に俺は今の自分を責め続ける十代の姿に微かな違和感も覚えているのだから。
その違和感の正体は、わかりきっている。そう、俺の考えが間違っていないなら、きっと十代は……。
「十代。お前……死んでもいいと思っているだろ」
「――ッ!」
『えっ!?』
俺の問いかけに十代は目を見開いて硬直し、マナはそんな十代を驚いて見やった。声を失い立ち尽くすその姿は、雄弁に俺の考えが正しかったことを物語っていた。
やはり、という嫌な確信が俺の心に重く落ちてくる。
「馬鹿な! 十代、どうして……!」
「お前が死ぬ必要など、どこにもないだろう!」
ジムとオブライエンもまた十代の反応から俺の言葉の正しさを察したのだろう。驚きの声とともに問いかけると、十代は気まずそうに目を逸らした。
「……けど、俺のせいで皆死んだんだぞ! 俺のせいで……明日香も! みんな、死んだんだ! だったら、俺は……!」
十代が視線を元に戻す。泣きそうでいて、それでいて真剣な表情だった。
「俺なんか、いなかったほうがさ――」
そうすべきだという響きが含まれるその言葉を聴いた瞬間。
かっ、と頭の中が真っ白になった。
「それ以上言ってみろ……ぶっ飛ばすぞ十代ッ!」
怒声を張り上げる。はっとして、十代が俺を見た。
「お前は言ったな、俺の気持ちはわからないと! じゃあ、お前にだって今の俺の気持ちはわからないだろう!」
俺自身しか感じることのないだろう、未来の知識があるゆえの後悔。それもある。
だが、それだけではない。
「友達に、目の前でいなくなった方がいいなんて言われる気持ちがわかるのか!」
『遠也……』
「そんなこと、何があっても言うんじゃねぇよ!」
俺はマナに視線を合わせた。マナは強く首を縦に振る。その表情に、さっきまでの困惑は既になかった。
俺が抱いている気持ちがマナにも理解できたからだろう。俺が感情的に十代に向かっていったのは、単に自分のことが理由じゃない。十代の生きる意志があまりに希薄に感じられたからだった。
力のない言葉、気のない瞳……。そのくせ自分を責めてくれという言葉には意志があった。
それが、ただひたすら悲しかった。そこまで十代が自分自身を蔑ろにしていることが。そして同時に、憤った。十代のそれは、あまりにも自分勝手な願いだったから。
俺や皆が十代に抱いている感情を、それはあまりに軽視していたから。だから、俺は怒った。そして、十代のその考えを否定してやりたかった。
お前は皆から必要とされているのだと。皆がお前に友情を感じているのだと。だから、簡単にいなくなってもいいだなんて言ってほしくなかった。
これまでの十代なら絶対に言わなかっただろう言葉。そこまで十代は追い詰められている。そんな状況から十代を引っ張り出すにはやはり、デュエルでこの気持ちを叩きつけるしかない!
「バトル! ジャンク・ウォリアーでクレイマンに攻撃! 《スクラップ・フィスト》!」
ジャンク・ウォリアーが拳を構え、腰を落とした姿勢のまま背負ったバーニアを吹かしてクレイマンめがけて突撃する。
瞬時にクレイマンへと肉薄したジャンク・ウォリアーはその拳を思い切り振りかぶってクレイマンへと叩きつけ、クレイマンを破壊した。
「ぐ……!」
「更にブラック・マジシャン・ガールの追撃! 《
「……ッ!」
十代 LP:4000→2000
マナが手に持った杖の先に黒色の魔力が凝縮されていく。やがて人の頭ほどの大きさへと集束したそれをマナは振りかぶって十代へと向け、杖先から飛んでいったその攻撃が地面に炸裂すると、発生した爆風が十代のみに襲いかかった。
衝撃に身を竦めた十代。それと同時にそのライフからブラック・マジシャン・ガールの攻撃力の値がそのまま引かれ、一気に俺の優勢へと状況は傾いた。
「俺はこれでターンエンドだ」
「俺のターン……っドロー!」
一瞬、十代は声を詰まらせた。少し気になるが、今はそれよりも十代の出方を窺う方が先決だ。
どうも初手から十代らしさを感じることが出来ないが、クレイマンは墓地に置かれたのだ。恐らくはここから何かしてくるはず。
たとえ最初にクレイマンしか出す手がなくとも、次のターンで必ずそのリカバリーを行う手を用意している。それが十代というデュエリストだ。
「《E・HERO スパークマン》を守備表示で召喚。カードを1枚伏せて、ターンエンドだ……!」
「……なっ……」
《E・HERO スパークマン》 ATK/1600 DEF/1400
しかし、そんな俺の予想に反し、十代が取った手は再び堅実な守備のみだった。普段の十代であればそんな時でもすぐに攻めてやるぞという気概が表情に見えているが、今はそんな迫力などどこにもなく、その目は伏せられ俯くのみだった。
いや、それよりもだ。クレイマンとスパークマン……この二体が手札にいたのに、別々に召喚して壁にするだけ?
それはおかしい。融合すればジャンク・ウォリアーと同じ打点かつ、モンスターを破壊できる《E・HERO サンダー・ジャイアント》を召喚できたはずだ。
都合よく融合がなかった。そう考えることも出来るが、初手融合は十代の十八番だ。今に限って融合を引いていなかっただけと考えるほど俺は考えなしじゃない。
だが、本当にそうだという可能性もある。
ならば……。俺は自らが伏せたカードを一瞥した。
「そのエンドフェイズに、リバースカードオープン! 《マインドクラッシュ》!」
心を砕かれた男が描かれた罠カード。このカードで確かめる。
「俺はカード名を1つ宣言する! そしてそのカードがお前の手札にあった時、それを捨ててもらう! だがもし無かった時、俺が手札1枚をランダムに捨てる……!」
相手の手札にあるカード1枚を捨てさせるいわゆるハンデス系の罠カード。元の世界では《ダスト・シュート》とのコンボにより嫌うデュエリストが多かったカードとしても有名だが、その効果はやはり優秀だ。
失敗したら自分がランダムに1枚捨てなければならないが、その代わりにこのカードには「本当に相手が宣言したカードを持っていないか確認する」、すなわちピーピングを行うことが出来るという隠された効果がある。
「俺が宣言するカード名は――《融合》! さぁ十代! お前の手札に融合のカードはあるのか!?」
十代の表情が僅かに曇る。そして、掠れたような声がその口から漏れた。
「……俺の手札に融合のカードは……ない」
十代の答えは、持っていない。ここで十代が嘘を言う必要はない。ならば本当に融合は手札に無いのだろう。しかし……俺は疑念を払拭することが出来なかった。
「確認させてもらうぞ……手札を見せてくれ」
マインドクラッシュに付随するその処理を俺が静かに迫れば、十代は先程までの怒りが嘘のようにその眉を八の字に下げる。そして左手に握られた4枚のカードに視線を下ろした。
やがて諦めたように目を伏せると、ゆっくりとそのカードをこちらに向けて公開する。
《融合解除》《O-オーバーソウル》そして、あとの二枚。
その二枚を見た途端、俺以外の人間の口から驚きの声が漏れた。
『――《ミラクル・フュージョン》と《超融合》!?』
最初にマナが驚きの声を上げる。
しかし、それも当然だろう。十代の手札に存在したうちの二枚はともに融合系カードだ。それも、その発動のために必要な条件は既にクリアしている。
つまり、サンダー・ジャイアントなどのこちらの布陣を突破するモンスターを十代は出せていたはずなのだ。
だが、十代はそうしなかった。それは、これまでの十代には考えられない事だった。
「What!? 既にキーカードを手札に持っていたのか!?」
「だが、なぜ融合しなかったんだ……!?」
マナに続き、ジムとオブライエンも困惑を露わにする。そう、二人が言う通り、俺のライフを削るためのキーは既に十代の手の中にあった。
しかし、十代はそうしなかった。
何かに堪えるように口元を引き結び苦悶の表情を浮かべる十代を、正面から見つめる。
「十代……お前、どうしてそのカードを使わなかった」
ミラクル・フュージョンなら、スパークマンを場に出した時点で使うことが出来た。超融合なら、オーバーソウルでクレイマンを復活させてから使うことが出来た。
そして、そうしなければ十代は更に追い詰められていた。いや、下手をしたらこの次のターンで負けることも考えられる。それがわかっていないはずはないのに、十代はそうしなかった。その理由を、俺は問い詰めた。
「――使わなかった、わけじゃない」
ぽつりと漏れる十代の本心。
俯いていた十代は顔を上げると、悲壮な顔で俺に訴えかけた。
「使えなかったんだ! ……怖いんだ……! 皆の命を奪ったカード――《超融合》が! このカードを見ると、あの時のことを思い出すから! それだけじゃない……覇王だった時のことも!」
「十代……」
「覚えてるんだ! 俺の……覇王の指示で、覇王軍が起こした事態を! 俺が融合の力を使い、超融合の力に溺れて、覇王となったばかりに起こった悲劇を!」
それは最早叫び声に近かった。自分が犯した罪を、その事実を、十代は声高に叫ぶ。
許しを請う懺悔の声ではない。それはむしろただひたすらに自分に罰が与えられることを願う咎人のようであった。
その痛切な叫びに、誰も何も言えなかった。もちろん「そんなことはない」と慰めることは簡単だったが、それだけで十代が救われることはないとわかっていたからだ。
ただじっと見つめる先で、十代は超融合のカードを手に取った。
「《超融合》……! こいつのために、皆は死んだ! このカードがなければ、きっと俺が覇王になることもなかった! だから……俺は……」
十代はぎゅっと瞼を閉じて、身を震わせた。
そんな十代を前に、俺は何を言うべきか。答えは一つだった。
「――マインドクラッシュの効果処理を行う。融合が十代の手札に無かったことにより、俺は手札からランダムに1枚墓地へ捨てる」
「っ遠也……」
俺の名をこぼす十代の顔には、何故という疑問があった。
融合を使えないとわかれば、俺がデュエルを中止するとでも思ったのだろうか。まともに戦えないデュエリストを俺が相手にすることはないとでも考えたのかもしれない。
だとすればそれは――心外だった。
「十代。お前は何だ」
「何って……」
十代の目が泳ぐ。構わず、俺は声を張り上げた。
「デュエリストだろうが! なら、一度受けたデュエルは最後まで戦え!」
「遠也……」
「ネオス、ハネクリボー。お前たちも十代に言ってやってくれ」
俺が呼び掛けると、十代はハッとして自身のデッキに目を落とした。
そしてその傍に姿を現すネオスと、心配そうに十代の顔を見つめるハネクリボー。十代の相棒にして最も信頼するカードたち。十代は二体に視線を交互に向けた。
『十代。遠也の言う通りだ。君の心が今大きな絶望に覆われているのは痛いほどわかっている。だが……』
「ネオス……」
『君は一人じゃない。私やハネクリボーも君を支える。だから、今だけでいい。共に戦おう、このデュエルだけでも』
『クリー……』
二体はじっと十代を見つめる。あとは十代の決定に任せるということだろう。
そして十代は、精彩を欠いた表情ながらもゆっくりと顔を上げた。ネオスに掛けられた言葉が心に届いたのだろう。
「……わかった。戦うよ……」
とはいえやはり乗り気ではないようで、デュエルそのものに対する姿勢が戻ったとは言い難い反応だった。しかし、何とかこのデュエルだけでも最後までやる決心をしてくれたようだった。
その十代の決定にネオスは頷き、ハネクリボーも嬉しそうに翼をはためかせる。そしてネオスはおもむろに顔をこちらに向けると、一つ頷いて消えていった。
言葉はなかった。しかし、俺には伝わっていた。ネオスは俺の思惑を感じ取ってこのデュエルをどうにか成立させてくれたのだろう。だから、『後は頼む』と目で伝えてきたのだ。
俺の思惑――すなわち、十代の心を救うこと。絶望と後悔に沈んだその心を、どうにかして助け出すことが俺の考えだった。
責任重大である。しかし同時に言われるまでもない事でもあった。十代を助ける事は俺にとっても心からの願いであったからだ。
覇王によって支配されていた十代を助けることは出来た。しかし、それだけでは終わらない。十代を本当の意味で助けるためには、その心までも救わなければダメなのだ。
ネオスは、そのチャンスを作り出してくれた。なら、あとは俺がやるべきことをやるだけだった。
「……マナ」
『うん』
ネオスの頷きを見ていたマナには、きっと全てが分かっている。俺の思いも、ネオスの意志も。
だからこそ躊躇いなく頷いたマナは、やはり俺にとって最も頼りになるパートナーだった。
「いくぞ、正念場だ……!」
『うん!』
言葉は少なく、しかし互いに十代を思う気持ちは伝わりあっていた。
俺たちの視線の先には、ハネクリボーに心配そうに見つめられている覇気のない顔をした親友がいる。どこまでも打ちのめされ、膝を折ってしまった友の心。
救ってやる、だなんて言うつもりはない。そこまで傲慢になったつもりはなかった。
俺はただ、思い出してほしかった。デュエルに対する思いを。仲間たちに抱いていた信頼を。
そのために、俺はこのデュエルに全力を傾ける。
「――俺のターンッ!」
デュエルならば、きっとお前と心を通じ合わせることが出来るはずだ。
そして、深い闇の底に沈んだその心に光を差し込ませてみせる。
――お前の友として!
決意と共にデッキトップに指をかけ、俺は勢いよくカードを引き抜いた。