遊戯王GXへ、現実より   作:葦束良日

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第74話 殺意

 

 荒れ果てた異世界の大地。その遠大な荒野を駆け抜けていくと、その先には切り立った崖に囲われた細い道が現れる。

 さながら敵の侵入を防ぐかのごとく存在する天然の狭路。それに沿って進んでいった先に、その場所は存在していた。

 古代の闘技場を思わせる堅牢な城塞。その入り口は跳ね橋となっていて侵入者を拒み、石壁で覆われた外郭は示威的な圧力を伴って見る者を竦ませる。

 ここは、暗黒界の住人達の本拠地。この世界、この階層の実質的な支配者が暮らす居城。それがこの場所であった。

 そして現在、暗黒界の斥候スカーによって連れ去られた明日香はその本拠地の中にいた。

 その手には鉄製の手錠がはめられ、足こそ自由になっているものの、両手でバランスが取れず上手く立ち上がることは出来ない。

 もっとも、例え立ち上がったとしてもここは周囲に敵しかいないまさに四面楚歌な場所。すぐさま取り押さえられて終わりだろう。

 最悪殺されるのではと明日香は危惧していたのだが……手錠をかけられていることから、殺すつもりはなさそうだと当たりをつけていた。

 そのため、明日香は冷たい地面に座り込みながらも毅然と目の前に立つ存在を睨みつけていた。豪奢なマントを羽織り、両腕を鎖で縛った髑髏のような顔をした悪魔。

 

 ――狂王ブロン。そう呼ばれていた悪魔を。

 

 

「ククク、なんだ女……随分反抗的な目をするな」

 

 しゃれこうべが笑う。その様を明日香は苦々しい思いで見上げていた。

 今明日香がいるのは、この砦の入口を入ってすぐに広がっている闘技場。その比較的奥の地面の上である。スカーによって連れてこられ、そのまま手錠をかけられた明日香は、いきなりその場に放り出されたのだ。

 そしてその闘技場の奥、地面ではなく石造りの階段から続く頭上にて玉座に座す存在こそが暗黒界を率いる王――狂王ブロンなのである。

 そのため、位置の関係から明日香は自然ブロンを見上げる形になる。きつく明日香はブロンを睨むが、しかしそれをブロンは心地よさ気に受け止めるだけだった。

 

「感じるぞ、お前の怒りを……。しかし同時に、悲しみを抱いてもいるなぁ」

「なにを……」

「我の前で隠し事は無駄だ……クク。まぁいい、貴様には十分に溶け込んでいるようだ」

 

 ブロンは笑みをこぼしながらそう言うが、明日香はブロンが何を言っているのかわからなかった。

 溶け込んでいるとは一体何のことだろう。そのことについて考えを巡らせるが、しかしその思考は明日香の背後に二体の悪魔が現れたことで途切れることになる。

 

「ゴルドにシルバか。どうだった、奴らは」

 

 ブロンは現れた屈強な悪魔二体――《暗黒界の武神 ゴルド》と《暗黒界の軍神 シルバ》に言葉を投げる。

 その中に含まれた「奴ら」とは誰の事なのか。明日香は瞬時にそれが十代たちの事であると察し、表情をより険しくした。

 

「ダメだぜ、ブロン。奴らずっと固まってやがるからよ、隙がねぇ」

「そんなわけでよ、気づかれずにさらうのは無理だったわ。気づかれてもいいならいけるけどよ」

 

 その答えを聞いたブロンは、ふんと鼻を鳴らして二体を見下ろした。

 神である二人はブロンにとって格上であるが、しかし立場で上なのは自分である。その矜持がブロンに大きな態度をとらせていた。

 

「まぁいい。強硬策に出ずとも、一人こうして捕まえてあるからな。必ずここに来るだろうよ」

 

 そうしてブロンの視線が自身を睨む明日香のそれと交わる。

 身の毛もよだつような恐ろしい外見を持つブロン。しかし、明日香は気後れすることなく大きく声を張り上げた。

 

「あなたたち……一体何が目的なの!?」

 

 この世界の人を苦しめ、傷つけ、一体何をしようというのか。決して許せない非道を行っていることへの怒りと、十代たちにまで危害を加えようとしていることへの怒り。その激情を込めて問い質せば、ブロンは耳のあたりまで裂けた口を禍々しい笑みの形へと変えていく。

 

「目的?」

 

 ぞっとするような声だった。

 反射的に怯んだ明日香、その心を見透かしているかのようにブロンはさも愉快気に笑い声を上げる。

 

「ククク、お前がそれを知ってどうなる。それに、お前がそんな疑問を持っても虚しいだけだぞ」

 

 そしてブロンは、骨のように角ばった指を明日香に突き付けた。

 

「何故なら、その答えを知る時。お前は死んでいるからだ。……ククク、クハハハ!」

 

 狂王の名に恥じず、狂ったように哄笑するブロン。

 それを下から見上げながら、明日香は何も出来な自分の無力さに唇を噛むしかなかった。

 いま、仲間たちに危険が迫っている。だというのに、自分はこうして足手まといになっていることしかできない。それがどうしようもなく悔しく、そんな自分が泣きたくなるほどに悲しかった。

 そんな屈辱に身を震わせながら、しかし明日香は心から願う。

 

 ――十代、みんな……!

 

 友を見捨てることなど、明日香の仲間たちは絶対にしないだろう。こちらが見捨ててくれと言っても、嫌だと突っ返されるに違いない。

 その確信があるからこそ、明日香はせめて願う。

 どうかみんなが無事でありますように。

 そう、心から。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 フリードから借りた音速(ソニック)ダックにまたがり見渡す限りの荒野を進んでいた十代たちは、やがて切り立った岩壁が続く渓谷へと入っていった。

 崖のごとき岩壁に挟まれた道を進んでいくと、徐々にその幅は狭まっていく。しかし音速ダックたちはスピードを落とすことなく器用に体を揺らしながらその道を走り続けた。

 その動きに晒された背中に乗る十代たちは手綱を離さないことで精いっぱいだったが、しかし誰も弱音を吐くことはない。元来弱気な翔でさえ、こぼれそうになる悲鳴をぐっと呑みこんで手綱を握りしめていた。

 今この時も、さらわれた明日香がどんな目に遭わされているのかわからない。そのことを思えば弱音を吐いている暇などない。それが全員の共通した思いだった。

 ゆえに、彼らは悪路に伴う不快感などに耐え、ただひたすらに手綱を握って先へと進み続けるのだった。

 

「みんな! もうすぐこの場所を抜けるよ!」

 

 そんな彼らに吉報を届けたのは僅かに先行して様子を見てきたマナだった。

 空を飛べるために地面を走る必要がないマナは一足先に渓谷を抜けて様子を見てきたのだ。

 そんなマナからの情報に、彼らは一様に頷いて応える。すぐに悪路が終わると聞き、全員が気を持ち直して手綱で音速ダックの体を軽く叩いて速度を上げた。

 やがて一分もしないうちに、マナが言うように十代たちは渓谷を抜けた先に出た。

 

 そして開けた視界の先に聳える巨大な砦。その迫力ある威容を見上げ、彼らは自然無言になる。

 しかしそれは怯えからではない。彼らの心に恐怖などという感情はなく、まして不安もない。

 ただあるのは、ここに連れ去られてきただろう明日香を必ず救い出してみせるという決意だった。

 誰も何も言わないのは、何か言わずとも全員がその思いを共有しているという確信があったからである。

 明日香を助ける。その一点を固く決心した一同は音速ダックより降りて、閉じるべき門を閉じずに降りたままになっている跳ね橋の前に立った。下を見れば、砦を囲うようにある細い堀。その暗い水面に映る闇に何故か一瞬目を奪われ、十代ははっとして首を軽く振った。

 

「十代君」

「ああ……行こう、みんな!」

 

 吹雪が十代に声をかければ、十代は強い声で仲間に呼びかけるとともに一歩を踏み出した。

 同時に吹雪、万丈目、剣山、翔、ジム、オブライエンも歩き出して跳ね橋の上を渡る。マナだけは空を飛びながら跳ね橋の上を通った。

 そうして大きな石門を潜り抜けた先で彼らが見たのは、砂地を四角く囲った広いグランドだった。

周囲を観察しながら、十代たちは少しずつ前に進む。門から見て両側を見上げれば観客席にも見える段々となったスタンド。前方には祭壇のような場所とそこに昇るための階段がある。

 そんな周囲を見回した後、ジムが指で帽子を軽く押し上げながら呟く。

 

「これは、ひょっとしてColiseum……闘技場なのか?」

 

 

 ――その通りだ。

 

 呟きに返ってくる低い声。

 この場にいる誰のものでもないその声に全員が疑問を持った瞬間、強烈な光が生まれて夜の闇に慣れていた彼らの視界を白く染めた。

 しかしここは敵地。すぐさま強引に目を開いて状況を確認した彼らは、一瞬言葉を失った。何故なら、闘技場を囲むスタンドから数多くのモンスターたちが粗野な歓声を上げて自分たちを見下ろしていたからである。

 暗黒界の下級モンスターたちや悪魔族、アンデット族のモンスター。完全に囲まれているのを見て、十代たちの背に冷たい汗が流れる。

 この状況で一斉に向かってこられれば、ただでは済まないかもしれない。そう心配する十代たちだったが、しかしその不安は再び響いてきた何者かの声によって否定された。

 

 ――安心するがいい。奴らはただの見物客だ……ククク……。

 

 

「誰だ!」

 

 その声は正面から聞こえてきている。そのことを確信した十代が周囲に向けていた視線を前方にある祭壇に向ける。

 そこには二つの大きな篝火が煌々と燃え盛っており、さっきの光はこの篝火が原因なのだろうと悟る。そしてその二つの篝火の真ん中。そこに据えられている玉座に腰を下ろしている何者かが、ゆっくりと立ち上がったことを確認する。

 火によって照らされるその姿は、悪魔そのものと言っても過言ではないおぞましい姿。骸骨に申し訳程度の肉をつけて歪ませればこんな顔になるのだろうかと思わせる顔が、頬まで裂けた口を目いっぱいに使って笑い声を上げる。

 

「――我が名はブロン。この砦を治める者だ」

 

 両腕を鎖で縛り、王を思わせるマントを羽織った特徴的な出で立ち。その姿を階下から見上げた十代は、この砦の主だという言葉を聞いていきり立った。

 

「俺の名は十代! 明日香が――俺の仲間が連れ去られて此処にいるはずだ! それに、ここには他にも人間が捕らえられているはずだ! 明日香やその人たちはどこにいる!」

 

 声を張り上げそう言えば、ブロンは一層愉快そうに表情を歪めた。

 

「さぁて、どうだったかなぁ……クク」

 

 人の神経を逆撫でするような態度で言うブロンに、ふざけた奴だと万丈目が小さくこぼす。その声には隠し切れない怒気があり、仲間の命がかかわっている状況でそんな態度を取ることに憤りを感じているようだった。

 だが、それは何も万丈目だけではない。他の皆もその表情は怒りにより眉が寄っており、ブロンの態度には不快感を覚えているのは明白だった。

 とりわけ明日香の実の兄である吹雪は今にも飛び出しそうなほどにブロンを睨みつけている。十代が前に出ているからなんとか耐えているといった様子だった。

 そんな仲間たちを一瞥して確認しつつ、十代は再びブロンに視線を戻す。ブロンはちょうど手に持ったデュエルディスクを僅かに掲げてみせるところだった。

 

「知りたければ、我を倒すことだ!」

 

 言って、ブロンは自身の両腕を縛っていた鎖を力任せに引きちぎる。そして手に持ったデュエルディスクを腕に着けながら、玉座からゆっくりと十代たちの元へと降りてくる。その姿を十代は複雑そうな表情で見ていた。

 

「くそ……簡単に命を懸けやがって……!」

 

 十代はできればそんなデュエルをしたくなかった。十代にとってデュエルとは楽しいもの。たとえ背負っているものがない、軽いと言われようと、それこそが十代のデュエルの根幹だった。

 しかし今、このデュエルは十代にとって非常に重いものだった。負けることは、遠也にヨハン、そして明日香を助けられないということだ。そんなことを認めるわけにはいかなかった。

 だから、十代は彼にしては珍しく楽しもうという気持ちを意図的に封じていた。このデュエルはそんなデュエルではない。確実に仲間を助けるためにも、自分は必ずこの敵に勝つ。

 その決意を心に刻み込んで、十代はデュエルディスクを起動させた。

 

「戦いこそが我が人生よ。さぁ、貴様も戦士ならば我と戦え!」

「……ああ!」

 

 挑発的に投げられた言葉に頷いて、十代はデッキから手札となる五枚のカードを引き、闘技場の地面に降り立ったブロンと対峙する。

 

「十代君!」

 

 と、そんな十代に声がかけられる。さらわれた明日香の兄である吹雪だ。

 十代はブロンに固定していた視線を外すと、背中に感じる仲間たちの中から複雑な表情で見つめてくる吹雪に視線を合わせた。

 

「君に頼りきりになって、申し訳ないと思う。……だが! すまない、十代君……明日香を、明日香を助けてやってくれ……!」

 

 吹雪の顔には悔しさと苦悩で満ちていた。それは兄である自身の手で明日香を助けることが出来ない事実と、十代に全ての重荷を背負わせてしまう友を想う心ゆえだった。

 吹雪のデュエルの腕は決して悪くない。むしろ上級レベルと言えるだろう。だが、十代の腕はそれに勝るとも劣らない。それどころか自分よりも十代は強いと吹雪は認めていた。デュエリストの意地でそれを表に出すことこそしないが。

それにブロンの対峙したのは吹雪ではなく十代だ。ならばデュエルはもう十代に任せるしかない。

 そのほうがデュエルに勝って明日香が助かる確率は上だと冷静に判断できる。しかしだからこそ、吹雪はそんな考えで十代に丸投げしようとしている自分の身勝手さに呆れるしかなかった。

 そんな内心が苦悩の表情となって吹雪の顔に現れている。十代は吹雪のそんな心の内を読み取ったわけではないが、しかし何かしら負い目に感じていることは察することが出来た。

 だから、十代は力強く答えてみせる。

 

「吹雪さん! 大丈夫だ、明日香は必ず助けてみせる!」

「十代君……」

 

 吹雪は、十代のその言葉が落ち込む自分を元気づけるためのものであるとすぐに悟った。そしてこの状況でも仲間を思いやるその心遣いに、重く沈み込みそうだった心が救われる。

 吹雪の表情に力が戻る。ならば、この友達思いの友人を自分も心から信じよう。彼ならきっと明日香を助けてくれる。そして遠也君やヨハン君もきっと助けることが出来るはずだ。

 そう胸の内で気持ちを固めた吹雪は、ありがとう、と万感を込めたその一言を十代に返すのだった。

 それに頷いて、十代は再びブロンと向き合う。その横にはうっすらと浮かぶハネクリボーと心配そうに十代を見るマナの姿がある。

 

「そうだ、明日香だけじゃない。遠也もヨハンも絶対無事さ! 俺たちは遠也たちと一緒に元の世界に帰るんだ! そのために、俺は勝つんだ……絶対に!」

「十代くん……」

 

 自分に言い聞かせるかのようにそう繰り返す十代を、マナが気負い過ぎではないかと不安げな目で見つめる。

 しかし十代はその視線には気付かず、ブロンを真っ直ぐ視界の中心に見据えるだけである。

 マナだけではない。吹雪も同じくそうであったように、仲間の誰もが十代に心配げな視線を送っている。彼らには十代に全てを任せてしまうことへの罪悪感があった。そしてそれ以上に、十代に傷ついてほしくはないという思いがあった。

 勝っても負けても、そこに死は存在する。対象が自分か相手かという違いはあれど、十代は結局傷つくことになるだろう。

 勝ったとして、十代は自分が相手を殺したときっと責める。そのことが容易に想像できるだけに、仲間たちは何と声をかければいいのかわからず、十代の背中をただ見つめることしかできなかった。

 どちらかがこのデュエルで死ぬ。だが、それでも。それでも彼らにとって十代はかけがえのない友だった。

 

「十代……負けるなよ……」

 

 万丈目が絞り出すようにそうこぼす。

 どちらの結果であっても十代にとっては辛い結果になるだろう。しかし、それでも負けて十代が死んでしまうよりは相手に勝ってくれた方がずっといい。相手の犠牲を容認する思考をしてしまう自分に吐き気すら覚えながら、しかし万丈目はそう思わざるを得なかった。

 とはいえ、その考えを持ったのは万丈目だけではない。十代の背中を見つめる全員が、そんな複雑な胸の内を抱えていた。

 その上で、天に祈る。どうか、最善の結果に繋がりますように。せめてそれだけを願う彼らの前で、ついに戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

「「デュエルッ!」」

 

 

遊城十代 LP:4000

暗黒界の狂王 ブロン LP:4000

 

 

 デュエルが始まり、闘技場のスタンド席で見物しているモンスターたちが興奮したように雄叫びを上げる。その声に応えるように、ブロンはデッキからカードを引く。

 

「先攻は我だぁ、ドロー! 我は手札より《暗黒界の狩人 ブラウ》を召喚!」

 

 

《暗黒界の狩人 ブラウ》 ATK/1400 DEF/800

 

 

 弓矢を構えて背に矢筒を背負った、まさに狩人と聞いてイメージされる出で立ちをした悪魔の若者。纏った皮鎧の下で鍛え上げられたシャープな筋肉が腕を動かし、ブラウは矢を十代に向けて引き絞った。

 そんなブラウの奥で、ブロンは手札の一枚をディスクに差し込む。

 

「更に我は永続魔法《邪心経典》を発動!」

 

 その言葉と同時にブロンの頭上に古びた一冊の本が現れる。禍々しい闇色の瘴気に覆われたそれは不気味な威圧感を放っているが、しかしそれ以外に何も動きはなく、ただブロンの上で静止しているだけだった。

 

「なんだ、このカードは……?」

 

 十代が訝しげに黒い靄に包まれたソレを見る。ブロンはただ笑みを深めるばかりだった。

 

「フハハハ! すぐにわかる……ターンエンド!」

 

 デッキトップに指をかけながら、十代はどこまでも余裕を湛えたブロンの態度に警戒を強める。

 そんな態度をとらせているのは、恐らくあの邪心経典……。果たしてどのような効果があるのか、十代は頭を働かせる。

 

「俺のターン、ドロー!」

 

 永続魔法ということは、攻撃反応系の可能性は低いだろう。なら、召喚に関する効果だろうか。それとも効果の発動? いや、魔法・罠に関するものかもしれない。

 思考が枝分かれしていく。しかし、結局十代に結論を出すことは出来なかった。慣れないことはするものじゃないと、舌打ちをする。

 

「考えても仕方がない、ここは攻めるぜ! 俺は《E・HEROエアーマン》を召喚! その効果でデッキから《E・HERO ネオス》を手札に加える!」

 

 

《E・HERO エアーマン》 ATK/1800 DEF/300

 

 

 召喚・特殊召喚成功時にデッキから「HERO」を手札に加えることが出来る効果を持つ、今や十代のデッキには欠かせないモンスター。自分フィールド上の他のHEROの数だけ魔法・罠を破壊する効果も持つが、エアーマンしかいない今そちらの効果は意味がなかった。

 邪心経典は気になるが、ネオスというエースを手札に加えて相手にダメージを与えることも出来る今の状況は決して悪くはないはず。

 早く相手を倒して明日香を何としても無事に助けてみせる。その意志を込めて十代はブロンに指を向けた。

 

「バトルだ! エアーマンでブラウに攻撃! 《エア・スラッシュ》!」

「ぐぅ……!」

 

 

ブロン LP:4000→3600

 

 

 飛び立ったエアーマンがその翼で風の刃を作り出してブラウに叩きこむ。攻撃力の差から当然ブロウは破壊され、その超過分のダメージをブロンは受けた。

 痛みに耐える苦悶の声。しかし、その声は徐々に異なる色を宿すものへと変化していく。

 

「く、クク……ハァハハハハ!」

 

 哄笑。モンスターを倒され、ライフを削られたばかりだというのに、ブロンは声高く笑い声を上げる。

 わけがわからない十代は、その狂態に微かな気後れを感じた。しかしそれを意図的に抑え込むと、ブロンを睨みつつ対抗するように声を張り上げた。

 

「なにが可笑しい!」

 

 ブロンは笑みを含ませながら、何でもない事のように答えた。

 

「なぁに、大したことじゃない……貴様がお友達の命をその手で奪ったことが可笑しいだけよ」

「な、何のことだ!」

 

 思いもよらない言葉を返されて動揺する十代。問われたブロンはしかしその問いに答えず、生理的嫌悪感を催すほどに邪悪な笑みを浮かべてその手を闇の瘴気に向けてかざした。

 

「我が戦闘ダメージを受けたこの瞬間! 邪心経典の効果発動! デッキまたは手札から「邪心教義」と名のつくカード1枚を墓地に送る!」

 

 揺らめく瘴気がデッキを包み、その中から一枚のカードが飛び出してくる。それを指で挟むように捉えると、ブロンはそのカードを十代に見せた。

 

「我はデッキから《邪心教義-憎》を墓地に送る!」

 

 ブロンが手に持ったそのカードをデュエルディスクの墓地スペースへと送る。至極当たり前の効果処理。そこには何ら不自然な点は見当たらない。

 

「そのカードを墓地に送ったから、一体どうだって――」

 

 不審と怪訝を隠すことなく十代が疑問を口にした。その瞬間。

 十代の横にいたマナからひどく切迫した声が上がる。

 

「ッ、十代くん! 剣山くんが!」

「え?」

 

 マナの言葉に十代が仲間たちを振り返る。

 すると、そこには自分の体を抱え込むようにして蹲る剣山の姿があった。

 

「ぐぅ、う……憎い……憎いドン……!」

「剣山!?」

 

 顔色も悪く、体は震え、脂汗が噴き出している。そして剥き出しの肩には「憎」の文字。あまりにも異常なその様子に、十代は居ても立ってもいられずデュエルに背を向けて剣山に駆け寄った。

 

「剣山! 大丈夫か、しっかりしろ!」

 

 十代は己の胸に潜む不安を打ち消すように強く声を出す。嫌な予感が十代の中に渦巻き、その不快な感覚が十代の焦燥感を煽る。確証があるわけではない。しかし、何か嫌なことが起ころうとしている。そんな予感だけが際限なく膨れ上がっていく。

 それは他の皆にとっても同じだった。十代だけではなく、全員が口々に剣山に声をかける。尋常ではない様子に、誰もが不安を抱いていた。

 剣山が顔を上げる。こんな状態でありながら、その目だけはドス黒い感情の色に染まっていた。

 

「兄貴……お、俺の心は今……憎しみで一杯ザウルス……!」

「け、剣山……」

「明日香先輩をさらった暗黒界の連中、何もできなかった自分が……憎くて仕方がないザウルス……!」

 

 握りこんだ拳を、地面に振り下ろす。その動きにつられてその拳を目で追った十代は、剣山の体に起きている変化にいち早く気づき頭が真っ白になった。

 

「け、剣山……! お前、体が……!?」

 

 足元から順に、剣山の体は消えていっていた。地面が透けて見えるようになり、まるで空気の中に溶け込んでいくかのようだ。

 人が、消えていく。その光景に誰もが言葉を失くす中で、十代はこの光景に見覚えがあった。そう、あれはバードマンと戦った時。デュエルで敗れたバードマンは、跡形もなく消滅した。

 

 これはまるで、あの時のような――。

 

 思い至った瞬間、十代は体の中に大きな氷柱を差し込まれたかのように息を止めた。

 体が震える。まさか、そんなと信じたくない思いが溢れ出してくる。

 しかしその間にも剣山の体は消えていっている。立ち尽くす十代に、剣山は縋るような目を向けた。

 

「怖いドン、兄貴……! けど、けど……それ以上に憎しみしか感じられなくなっていく自分が怖いザウルス!」

 

 どうして自分が消えなければならないのか。この現実が憎い……。

 どこまでいっても憎しみに染まる自身の心に、剣山は怯えていた。しかしそれすらも憎悪の波に呑まれていく。剣山はただその終わらない連鎖に震えることしかできなかった。

 だがその連鎖にも終わりが訪れる。既に剣山の体は首から上を残すだけになっていた。

 

「兄貴……! 俺、いった――」

「っ、剣山ッ!!」

 

 言葉の途中、剣山はついに全身を消滅させる。そして邪心経典の白紙のページに剣山の姿が染み出すように現れる。まるで命を吸い取ったと言わんばかりに。

 もはや剣山が言おうとした言葉の続きはわからない。その声を聴くことは叶わず、そしてその姿を見ることも出来ない。

 虚脱感が十代を襲う。何を言えばいいのかもわからず、ただ十代は立ち尽くした。

 

「ば、馬鹿な……」

「消えた……」

 

 万丈目やジムも、これまで共に過ごしてきた仲間が消滅する事態に言葉もないという様子だった。それでも無意識に出てきたのであろう声に応えたのは、他でもないこの事態を引き起こした元凶であるブロンだった。

 

「フハハハハ! いいや違う、消えたでは語弊があるなぁ」

 

 嬲るような言い方。

 そしてついに、決定的な言葉を口にする。

 

「”死んだ”のさ……そいつはな。ハハハハハ!」

 

 死んだ。

 そう聞かされて、誰もがすぐには否定できなかった。

 それはこの世界が元の世界に比べて遥かに命が軽い世界であると既に知っていたからだ。それに、剣山は「憎い」と言っていた。そしてブロンが墓地に送ったのは《邪心教義-憎》。まさか本当に、という思いが全員の心に芽生える。

 

「う、嘘だ……!」

 

 しかし、十代はその現実を認めることを拒む。ブロンが言うことは嘘で、剣山は死んでなどいない。そうであってくれ、嘘だったと言ってくれ。そんな願いを込めた言葉だった。

 そして、ブロンは言葉に隠されたそんな思いを正確に見抜いていた。その苦悩を知り、ブロンの心に昏い愉悦が満ちる。その喜びをもっと味わうため、ブロンは苦しむ十代に追い打ちとなる言葉を返した。

 

「嘘じゃない。貴様が殺したのだ、十代。貴様が攻撃してこなければ、お友達が死ぬこともなかったのになぁ……クハハハ!」

「くっ、ち、違う!」

「違わないさ! 殺したのはお前だよ、ククク!」

 

 反論にもなっていない虚しい否定。そんなささやかな抵抗すらブロンは認めず、十代にひたすら苦痛を強いる。

 十代も自分が攻撃しなければ剣山は今も無事だったはずだという思いがあった。剣山に謝りながら、十代は自分を責める。俺が攻撃していなければ、と。

 

「さぁ、それでお前はどうする。お前のターンは終わりなのか、ん?」

「ぁ……た、ターンエンドだ……」

 

 しかし打ちひしがれる十代に、ブロンは容赦なくデュエルの進行を求める。

 茫洋としたままターンの終了を宣言した十代に、万丈目らから気付けの声が飛ぶが、しかしそれに被せるようにしてブロンがデッキからカードを引いた。

 

「我のターン、ドロー!」

 

 声が重なり、気もそぞろな十代は仲間からの声に明瞭な反応を返すことが出来ない。それを満足げに眺めてから、ブロンは手札のカードに指を伸ばした。

 

「我は魔法カード《陽気な葬儀屋》を発動! 自分の手札からカードを3枚まで選択して捨てる! 我は2枚のカードを捨てる! 更に今捨てた《暗黒界の刺客 カーキ》の効果発動! モンスター1体を破壊する! エアーマンには消えてもらおう!」

 

 エアーマンの目前に、唐突に姿を現す暗黒界の刺客 カーキ。完璧な奇襲となったその攻撃に防御も反撃も間に合わず、エアーマンはカーキの手に握られた短剣によって倒されてしまう。

 

「ぐ、エアーマン……!」

「更にもう1枚捨てた《暗黒界の闘神 ラチナ》の効果発動! このカードを墓地から特殊召喚する!」

 

 淡い光がブロンのフィールドを照らし、地の底から地響きとともにブロンよりも遥かに長身な漆黒の悪魔が蘇る。

 闘神の名に恥じない屈強な肉体と威圧感。大きな角に翼、鈍く銀色に輝く鎧のごとき装甲を纏い、ラチナは咆哮を上げて十代に向けて射抜くように鋭い眼を向けた。

 

 

《暗黒界の闘神 ラチナ》 ATK/1500 DEF/2400

 

 

「バトルだ。暗黒界の闘神 ラチナでダイレクトアタック! 《闘神烈衝波》!」

 

 ブロンの言葉によりラチナがその両手を突き出すと、その手を覆うように暗い紫色のエネルギーが染み出すように産み落とされる。

 次第にそのエネルギーはラチナの手の中へと凝縮されていき、球体のようになったところで、咆哮と共に紫色の砲弾が十代の身へと襲い掛かった。

 

「ぐ、ぁあああッ!」

 

 

十代 LP:4000→2500

 

 

 その直撃を受け、十代の口から苦悶の声が上がる。

 衝撃のあまりによろめく体をどうにか支え、十代は苦しげな表情を隠すことなくブロンを見つめた。

 

「カードを2枚伏せ、我のターンは終了だ!」

 

 人を小馬鹿にするような笑みを貼り付けたブロン。その姿を前にしても、十代はデュエルに対する気持ちを盛り上げることが出来なかった。

 

「お……俺のターン、ドロー!」

 

 デッキからカードを引く。

 剣山を失ったのはブロンのせいだ。そのことはよくわかっているが、しかし今は剣山を失った悲しみのほうが十代の中では大きかった。更に、もしここで剣山の仇だと言ってブロンを打とうと攻撃すれば、今度は他の皆も……。

 想像するだけで目を背けたくなるような、決して受け入れるわけにはいかない未来。仲間を失う恐怖が先に立ち、今の十代はこのデュエルを積極的に行う意欲を完全に失っていた。

 

「さぁ、攻撃してくるがいい! お友達を犠牲にしてな! ハハハハハ!」

「くっ……。俺は、《E・HERO スパークマン》を……守備表示で召喚する」

 

 

《E・HERO スパークマン》 ATK/1600 DEF/1400

 

 

 スパークマンが十代のフィールドで膝をつき、守備の態勢を取る。

 攻撃をしてブロンにダメージを与えれば、邪心経典の効果によってまた誰かが死んでしまう。そんな行為を十代が出来るはずもなく、今は守備に徹するしか道がなかった。

 しかし、そんな消極的な行動は二人の戦いを観戦しているモンスターたちにはいたく不評だったようだ。「臆病者」「それでも戦士か」「戦う気がないなら帰れ」「戦士の風上にも置けない」「恥を知れ」と口々に罵声が十代の身に降りかかる。

 デュエリストを自認する人間にとって、これほどの屈辱はない。心無い言葉に矜持と自信を傷つけられながらも、しかし十代は黙って耐えた。これぐらいで皆を守れるなら、プライドなんてものはドブに捨てる。そう心の中で言い聞かせ、屈辱は全て拳を強く握ることで受け流す。

 

「十代くん……」

 

 震える拳を横から見ていたマナが、俯く十代を痛ましげに見る。

そして、後ろからその背中を見ていた仲間たちも、自分たちがブロンを倒す枷になっている事実に、悔しそうに歯噛みするしかなかった。

 だが、そんな彼らの苦悩はブロンにとっては喜びを抱かせるものでしかない。どこまでも思い通りに苦しみ続ける十代たちに、堪えきれないとばかりにブロンは笑う。

 

「フハハハ! お優しいことだ! だが――」

 

 一転、嗜虐的な響きを持つ低い声で、ブロンはデュエルディスクに手を伸ばした。

 

「残念だったな……その優しさも無駄になる。貴様は我に攻撃をするのだ」

「馬鹿な! 俺は……俺はもう……攻撃はしない……」

 

 背後の仲間たちを一瞥してから、十代は改めてはっきりとそう宣言する。

 しかし、ブロンはその答えにやはり不気味に笑って応えた。

 

「貴様の意思など関係ない……ククク。リバースカードオープン! 永続罠カード《ダークネス・ハーフ》!」

 

 伏せられていたカードが起き上がり、その正体が明らかになる。

 そしてその発動を示すようにカードが闇に包まれた。

 

「我のフィールドで最も攻撃力が高いモンスター1体を選択して発動する。発動後装備カードとなり、そのモンスターの攻撃力を半分にし、貴様のフィールド上に攻守1000の「ダーク・トークン」2体を特殊召喚する!」

 

 

《暗黒界の闘神 ラチナ》 ATK/1500→750

《ダーク・トークン》 ATK/1000 DEF/1000

《ダーク・トークン》 ATK/1000 DEF/1000

 

 

 ラチナの攻撃力が見る見る下がり、代わりに黒色のスライムを無理やり人型にしたような奇形のトークンが二体、十代の場に現れる。

 表示形式は共に攻撃表示。とはいえ、十代はいくらモンスターを手に入れようと攻撃を行う気など全くなかった。するわけにはいかないのだから。

 しかし。

 

「更に罠カード《暗黒武闘会》を発動! このターン全てのモンスターは攻撃表示となり、強制的にバトルを行う! ただしこの戦闘でモンスターは破壊されない。が、ダメージは通る……クク」

「な――!?」

 

 暗黒武闘会の効果を聴いた十代が、驚きのあまりに言葉を失う。

 そしてその間に、守備表示となっていたスパークマンは瘴気に包まれてゆっくりと立ち上がると、戦闘態勢を取った。

 信じられないとばかりに目を見開く十代。そこにブロンの喜色交じりの声が響く。

 

「さぁ、バトルだ!」

 

 その言葉に応えるかのようにスパークマンがその手を水平に伸ばし、やがて紫電を纏い始める。

 

「やめろッ! やめてくれ……! ――スパークマンッ!」

 

 恥も外聞もなく声を荒げ、十代は必死にスパークマンを止めようとする。しかし相手のカード効果に操られたスパークマンはその指示に従うことが出来ない。スパークマンの手からついに電撃が放たれ、それは過たずにラチナへと直撃した。

 

「ぐぅうッ!」

 

 

ブロン LP:3600→2750

 

 

 暗黒武闘会の効果によりラチナは破壊されないが、戦闘ダメージは受ける。それによりブロンのライフは再び戦闘ダメージにより減少する。

 更に。

 

「ク……クク! 次はダーク・トークン2体だ。ラチナを攻撃しろ! ハハハハ!」

「や、やめろッ! 頼むからッ……!」

 

 それはブロンに対してか、それとも自分の場にいるダーク・トークンに対してか。それすらも定かではなく、ただ必死に十代は懇願する。

 しかし暗黒武闘会による攻撃は強制であり絶対であった。十代の場に存在する二体のダーク・トークンは同時に飛び上がり、そして同時にブロンの場のラチナへとその体をぶつけていった。

 

「ぐァアッ!」

 

 

ブロン LP:2750→2500→2250

 

 

 その攻撃がラチナに通る瞬間を、十代は絶望的な表情で見届けるしかなかった。

 ダーク・トークンとラチナとの攻撃力の差だけブロンのライフが減少する。その数値分のダメージが襲い掛かりブロンの表情が痛みに歪む。しかし、その苦悶はやがて愉しげな笑みへと移ろいでいった。

 

「く、は、ハハハァ! この瞬間ッ、邪心経典の効果発動! デッキから《邪心教義-怒》《邪心教義-苦》《邪心教義-疑》を墓地に送る!」

 

 デッキから三枚のカードが飛び出し、それぞれが墓地へと消えていく。

 そしてブロンは十代とその後ろの仲間たちを睥睨し、くぐもった笑い声を漏らす。

 その視線に十代もすぐに後ろを振り返る。そして仲間たちを見渡すと、その中で一人、頬に光る文字が浮かび上がっている男がいた。

 「怒」の文字。万丈目だった。

 

「万丈目……!」

 

 思わず名を呼ぶが、しかし返ってきたのは怒りを込めた鋭い眼光。

 普段ならば「どうしたんだ」と気軽に返せたであろう。しかし剣山が消え、それが己のせいであると心のどこかで認めている十代は、怒りの視線を受けてそんな態度を取ることは出来なかった。

ただ気まずそうに目を伏せる。

 

「そう、だよな。お前が怒るのも、仕方がないよな……」

 

 俯き紡がれた弱々しい声。

 それに応えたのは、万丈目の怒声だった。

 

「ふざけるなよ……十代! 俺は貴様なんぞに怒ってはいない!」

 

 自分に対して怒りを抱いているわけではない。そうはっきりと聞こえ、思わず十代は顔を上げる。

 そして万丈目の顔を見る。そこには、怒りに歪む瞳があった。しかし、その瞳に映っているのは十代ではない。

 万丈目は、内に抱える怒りを吐き出すように声を荒げる。

 

「俺が腹立たしいのは、ただ一つ! 結局は十代、お前に全部任せてしまっている自分だ!そのことが俺は――我慢できんのだ!」

「万丈目……」

 

 怒りに満ちた万丈目の心。しかしそれは十代に対してのものではない。

 自分に自信を持ち、そして自分は強いと信じている万丈目だからこそ、その感じる怒りは殊更に強くなるのだろう。その隠し切れない自身への苛立ちを邪心教義は正確に察知して、万丈目の怒りを増幅させたのかもしれなかった。

 そして今、その溢れ出す怒りを宿した瞳が十代に向けられる。

 

「答えろ、十代! 俺はお前のなんだ!」

「お前は……俺の仲間で、友達で……」

 

 一年生の――いや、入学した頃から不思議と縁があった。それは向こうが一方的に絡んでくるだけであったが、しかし事情はどうあれ自分に真っ直ぐデュエルを挑んできてくれるのは嬉しかった。

 次はどうなるのか。ワクワクしながらデュエルしていたことを思い出す。だからこそ、違う学校に行ってしまった時は残念に思った。そして帰って来た時は嬉しく思った。

 それは十代にとって万丈目はすでに友達であったからだ。そして、使用するカードを変え、デッキを組みかえ、そしてどこまでも強さを求め続けていくその姿を見て「俺も負けてられない」と思うこともしばしばだった。

 そうして、負けてなるものかと思わせてくれる相手。そんな存在を何と言うのか。答えは一つしかなかった。

 

「そして……ライバルだ!」

 

 十代にとってかけがえのない存在。遠也とは違う意味で、自分に刺激を与えてくれる男。

 ライバル。そう呼ぶべき男は、十代の答えに「そうだ」と首肯を返す。しかし。

 

「だが、今の俺は貴様の足手まといに過ぎない! ……そのことに、腹が立って仕方がない!」

 

 その言葉はどこまでも怒りに曇っている。その常とは違う万丈目の姿と言葉に、十代は首を横に振って否定を示す。

 

「そんなことを思ったこと、俺はない! そんなこと、あるはずがないだろ!」

「お前がそう言おうと俺はそう思わないんだよ! ……くそ、なんでこんなにイラつくんだ! こんなことを俺は言いたいわけじゃない!」

 

 口惜しげに言う万丈目だったが、しかし言いたいことを言う時間は既に残されていないのだと悟る。

何故ならその体は既に先程の剣山と同じく消え始めていたからだ。

 焦ったように仲間たちが口々に万丈目の名前を呼ぶ。しかしそれで体の消滅が止まることはなく、じわりじわりと万丈目は消え去ろうとしていた。

 悲しみ、驚愕、不安、恐怖……。先程の剣山のことを思い出して浮かべるそれらの感情が、この場にいる全員の瞳を揺らす。

 万丈目を助けたい。しかし、どうすればいいのかわからない。そして、消えゆく万丈目に何をすればいいのかさえわからない。

 そんな混乱に包まれつつ、ただ流れる時を受け入れるのみ。そんな彼らをぐるりと見渡し、万丈目はとりわけそういった感情を強く瞳に乗せた男を見つける。

 

「――十代!」

 

 その名を呼び、上半身しか残っていない体で激しく言葉をかける。

 

「この俺様のライバルともあろう者が弱々しい眼を見せるな! 遠也もヨハンも天上院君も、必ず救って見せろ! お前なら、出来るはずだろうが! 腹立たしいが、お前は俺が認めた友なん――」

「――ッ、万丈目ぇッ!」

 

 言葉が途切れる。同時に、万丈目は細かな光の粒子と共に姿を消し、邪心経典にその姿が綴られる。

 声も出ず、ただ万丈目が消えた場所を見つめることしか出来ない。まるでこの現実を受け入れたくないとばかりに。

 しかしこれだけでは終わらない。ブロンが墓地に送ったのは三枚の邪心教義。今度は「苦」の文字が――吹雪の手に浮き出た。

 それを見て吹雪は一瞬呼吸をひきつらせて小さな悲鳴をこぼすが、意地か矜持かぐっとそれを呑みこんだ。

 しかし漏れた声は周囲に届く。結果吹雪の手に浮かんだ文字に気付き、一同は再びその顔を悲しみと恐怖に彩った。

 

「そんな、吹雪さん……!」

 

 剣山、万丈目に続いて吹雪さんまで。そんな悲痛な心の声が聞こえてきそうな面持ちで十代は吹雪の名を呼ぶ。

 その声を聴いて、吹雪は精一杯の虚勢で小さく笑う。死への恐怖、妹の安否、仲間との別れ……数え上げればきりがないほどに未練がある。それを残して逝くのは胸が押し潰されるほどに苦しい。

 けれど、と吹雪は思う。

 

 ――残念だけど、僕は皆の先輩なんだよねぇ。

 

 なら後輩には格好いいところを見せたいじゃないか。その一心で吹雪は強がって笑う。

 明日香はこんな僕を見て呆れるかなと、溜め息をつく妹の姿を想像しながら。

 

「十代君。妹を失い、仲間を失い……僕の心は今、苦しみで押し潰されそうだ。けど、この苦しみを更に今から君は感じるのかと思うと、心が一層締め付けられる。君は優しいから、きっと僕が死ぬことも背負ってしまうのだろうね」

 

 ごめん、と吹雪は笑いながら謝る。それにもはや何と言えばいいのかわからない十代が「そんなこと……」と言った後に言葉に詰まる。

 言葉にするのには慣れていないんだろうな。ずっとデュエルで誰かと向き合ってきた十代を知る吹雪はそう思い、それがなんだか可笑しくて笑みをこぼした。

 そして身体の大半が消えていく中、十代の肩に手を置く。はっとして、十代は消えゆく吹雪の顔を見た。

 

「僕はきっと消えるけど……明日香の事を、頼んだよ……」

「吹雪さ――!」

 

 言い切ることも出来ず、吹雪の姿が光と共に空気に溶ける。そして再び邪心経典の白紙のページが埋まり、徐々にその完成に近づいていく。

 そして更に。

 近くで再び淡い光。まさかと十代が振り向けば、そこには頬に「疑」の文字を浮かばせる弟分の姿があった。

 

「翔っ!? お前まで……!」

 

 信じたくないという思いを一杯に込めた声を上げ、十代は翔を見る。

 その視線を受けて、翔は十代と向き合った。どこか胡乱な瞳で、曖昧に笑う。自嘲するような表情で、訥々と翔は心の内を言葉にしていく。

 

「ずっと疑ってたんだ……。僕は兄貴と一緒にいていいのかって」

 

 その言葉に、誰もが驚く。翔はいつも十代の傍にいて、十代には欠かせない存在だと皆が思っていた。だというのに、その翔自身はそのポジションに疑問を抱いていたという。

 端から見ても仲の良い二人だったのに、一体どうして。その疑問は続く言葉によって明らかにされる。

 

「僕に兄貴は必要だけど、兄貴に僕は必要じゃないんじゃないかって。僕は臆病で、弱くて、いつも皆に助けられてきたから……」

 

 それが、翔が誰にも言わずに抱えてきていた不安であり疑問だった。

 いつも誰かについていき、結局は皆に助けられている自分。そんな自分に存在価値はあるのだろうか。一緒にいていいのだろうか。翔はずっとそのことを疑っていたのだろう。

 普段ならばそんな考えを表に出すなどしなかっただろう。しかし邪心教義の力によってその疑いの気持ちは増幅され、こうして表に吐き出すことになった。

 情けない自分。強い十代にとって弱い自分は必要じゃないのではという疑問。兄に勝つと言いつつも、そんな自分にそんなことが出来るのかという疑問。

 翔の心の中にはいつだって弱い自分への疑いがあった。けれど実際に話して、誰かから明確な答えをもらうのは怖かった。

 もしその通りだと肯定されてしまえば、きっと立ち直れないだろうとわかっていたからだ。

 だから、そう疑いつつもひた隠しにしてきたその思い。しかし今やその内心は白日の下に晒されている。

 翔は不安と恐怖を宿した瞳で皆を、十代を見る。一体皆はどんな目で自分を見ているのだろう。もし無価値なものに向ける目をしていたら……。

 恐る恐る、葛藤を抱きつつも視線を向けた先。返ってきたのは、どれも自分を心配する目。そして、ゆっくりと消えゆく自分の体に触れる仲間たちの温かい感触だった。

 

「お前は、俺の戦友だ。友を俺は決して見捨てない」

 

 オブライエン。

 

「心外だぜ、翔。お前も俺のFriendだろう。それだけは疑いようのないTruthだ」

 

 ジム。

 

「翔くん。私にとっても、きっと遠也にとっても。君はすごく大切な友達だよ!」

 

 マナ。

 

 誰もが泣きそうな目で自分を見つめている。消えていく自分をそこまで思ってくれている事実に、翔は少しずつ胸の内の疑いを晴らしていった。

 そして、最後に。翔の肩に力強く手を置いたのは、兄貴分である十代だった。

 

「お前は俺の大事な弟分だ! お前がいつも俺の馬鹿に付き合ってくれて、一緒にいてくれたから俺は笑っていられたんだ! 一年生の時から、ずっと……!」

 

 ずっと、そうだった。

 そう声を詰まらせながら言った十代に、翔はこんな時だというのに満たされていく心を感じていた。

 邪心教義のせいか疑いはいまだ心の奥に渦巻いているが、しかし少なくとも仲間たちと十代の気持ちは本物であると信じることが出来た。

 こんな自分を大切だと言い、そして自分の死に悲しんでくれる仲間たち。その存在を本当に嬉しく思いながら、翔は再び溢れ出ようとしている疑心を必死に押さえつけて笑みを作り出す。

 

「よかった……。疑ってごめん、兄貴――」

 

 そして、それが最期の言葉になった。

 翔の体が小さな光の粒となって消えていく。剣山、万丈目、吹雪と同じその現象。誰もが翔の名を叫び、しかしその甲斐はなく。翔の体は一片も残らず消え去った。

 

「翔……! ――翔ぉおッ!」

 

 邪心経典に綴られる新たなページ。

 それが示す事実を認めたくないかのように、十代は翔の名を叫んだ。

 ジムとオブライエンも次々と消えていった仲間たちにショックを隠せず、顔を俯かせて肩を震わせている。そしてマナもまたアカデミアで共に過ごしてきた皆の命が散っていくという受け入れがたい現実に、魔術で飛ぶ気力も失ったのか地面に力なくへたり込んだ。

 それぞれの目から、思い出したかのように涙が頬を伝う。その雫が砂地に吸い込まれて染みを作っていく中、くつくつとくぐもった笑い声が耳に届く。

 十代は、ブロンに目を向けた。

 

「クク、ハハハハハッ! いいぞ、なかなかの見世物だった! 美しい友情! 実に泣かせる!」

 

 心底可笑しいとばかりにブロンは言う。

 十代は、自分の心から沁み出してくるドス黒い感情を自覚した。そしてその衝動が命じるままに、憎しみと怒りに支配された目でブロンを睨みつける。

 

「――黙れ……!」

 

 ぞっとするような声音。普段の十代からは想像もできないようなその声に、一番近くにいたマナがハッとして十代の顔を見上げる。

 その視線に気づかず、十代はただ仲間たちを消した元凶を睨みつけていた。

 そしてその視線を心地よさ気に受けるブロンは、一つ頷く。

 

「せっかくだ! ひとつ我からサービスをくれてやろう!」

 

 パチンと指を鳴らす。それによって祭壇側部、スタンド席寄りの区画で石同士が擦れる嫌な音が響き渡る。

 上から見ればわかっただろうが、それは下からリフトのように石の地面が浮かび上がってくる際の音だった。そしてついに地上に辿り着いたそのリフトに乗っていたのは、彼らにとって大切な仲間の一人。

 

「――明日香ッ!?」

 

 驚きの声を十代が上げる。しかし、そこには隠し切れない喜びも含まれていた。

 手錠をつけられ、意識を失っているらしくぐったりしているものの、僅かに上下する肩から生きていることはわかる。仲間たちが消えていった中、明日香が無事であるということは願ってもない朗報であった。

 

「そう、お前たちからさらった女だ! よかったなぁ、まだ生きていて。嬉しいだろう、うん?」

「待っていろ、明日香! 絶対に俺が助けてやる!」

 

 わざとらしくそう言ってくるブロンを十代は取り合わない。ただ明日香に一直線に目を向け、必ず助けるという誓いを強くする。

 それを終えてようやく十代はブロンと向かい合い、その瞳に籠もる怒りをぶつける対象を憎々しげに見つめる。

 

「お前は、絶対に許さねぇ……!」

「おっと、だがいいのか? あの女の命はまだこっちが握っているんだぞ、ククク」

「ッ、てめぇ……!」

 

 言外に、自分を倒せば明日香の命はないと脅され、十代は一層憎しみを込めた目をブロンに向ける。しかし、それだけだ。明日香が人質にとられている以上、十代にブロンを倒すことは出来ない。

 それがわかっているからだろう。ブロンは己の優位を確信して高らかに笑う。

 

「ハハハ! それでもやりたければ、やってみるがいい! 我のターン、ドロー!」

 

 カードを引いたブロンがそのカードを手札に加える。勿体ぶるような、ゆっくりとした動作。

 それに苛立ちを募らせる十代に、ブロンは挑発するように視線を寄越す。

 

「そうそう、ついでだ。いいことを教えてやろう」

「黙れと言ったはずだ……!」

「くく、イライラするな。思い出したのさ、お前が言う人間たちの事をな。捕らえた者たちは確かにここにいる。いや、“いた”と言うべきか」

「なに……! それは、どういう……」

 

 顎を撫でながら焦らすように言うブロンに、十代は勢い込んで話を促す。

 その食いつきを確認したブロンは、十代を更なる絶望へと突き落す言葉を口にした。

 

「足元を見るがいい。この闘技場の砂は、多くの人間の血を吸いこんでいる。我らに抗った者や、逃げようとした者たち、おっと我らが暇だったから殺した連中もいたかな、クク」

 

 十代は地面を見るブロンにつられて下を見る。そこには、夜闇に溶けて黒ずんで見える砂地がある。いや、本当にそうだろうか。この黒はもしかしたら誰かの……そう考えそうになり、小さくかぶりを振る。

 

「くっ、信じられるもんか! 遠也やヨハンは強い! お前なんかに負けるはずがない!」

「その二人はお前たちと同い年ぐらいの男か?」

「それがどうしたっ!」

 

 にやりとブロンが笑う。それに、とっくに平常心を失っている十代は気が付かなかった。

 

「そういえば、それぐらいの男が二人いたなぁ。……そう、ちょうどお前の着ているような服を着ていた。――まぁ、もう死んだがな。クク、ハハハハ!」

 

 瞬間、十代は呼吸を忘れた。

 

 マナもまた、死んだと明確に聞かされて一瞬とはいえそれを信じそうになる。だが、相手は何もその証拠を見せていない。なら、まだ信じてやるわけにはいかなかった。

 ……そうと思わなければ、もう立っていられなくなる。そのことを直感的に悟っていたマナは、必死にその遠也が死んだという話は嘘だと自分に言い聞かせる。

 だから、マナには十代を気遣う余裕がなかった。ジムもオブライエンも、度重なる友の死による衝撃は抜け切れていない。そんな中でのこの情報だ。誰もフォローに回れぬ中、十代は掠れたような声で否定を繰り返す。

 

「う、嘘だ……――嘘だッ!!」

 

 噛みつかんばかりの形相でブロンに嘘であることの肯定を求める。が、ブロンは当然取り合わなかった。

 

「信じるも信じないも貴様の勝手だ。ハハハ! ゆくぞ、バトルだ!」

「くっ、バトルだと!? ――まさか!?」

 

 ブロンの場には攻撃力750の闘神ラチナのみ。対して十代の場には攻撃力1000のダーク・トークン2体に、攻撃力1600のスパークマン。攻撃をしても、ダメージを受けるのはブロンである。

 しかし、ブロンがダメージを受けることで効果を発揮するカードが既に発動している。

 十代の仲間たちの命を奪っていった永続魔法――邪心経典である。

 

「や、やめろ……」

 

 剣山、万丈目、吹雪さん、翔、遠也、ヨハン……。それに加えて、明日香までも奪おうというのか。

 それだけはやめてくれ。仲間を、友達を、俺からもう奪わないでくれ。

 

 ――明日香を……俺から奪わないでくれ!

 

 心の叫びが虚しく自身の内に木霊する。

 そしてついに、その決定的な攻撃が十代の場に襲い掛かった。

 

「我は暗黒界の闘神 ラチナでダーク・トークンに攻撃! 《闘神烈衝波》!」

「――ッ! やめろぉおおおぉおッ!!」

 

 絶叫。

 しかし十代の叫びがラチナの攻撃を止めることはなく、ラチナの攻撃がダーク・トークンに炸裂。反射ダメージによってブロンのライフが更に削られた。

 

 

ブロン LP:2250→2000

 

 

 同時に、ブロンがにやりと笑う。

 

「我が戦闘ダメージを受けたこの瞬間、再び邪心経典の効果が発動! デッキから最後の邪心教義、《邪心教義-悲》を墓地に送る!」

 

 デッキから飛び出した一枚のカード。それが墓地へと姿を消していく中、十代は明日香が倒れているところに目を向ける。

 そこには、意識がないまま徐々に光に包まれていく明日香がいる。それをただ見ていることしか出来ない十代。瞬間、マナが気力を振り絞って明日香の下へと飛び立つ。

 しかし、一歩届かず。マナと十代、ジムにオブライエン。全員の目の前で、明日香もまた光塵となってその姿をこの世界から消滅させていった。

 

「あ、すか……――明日香ぁあッ!」

 

 これまで以上の悲しみが十代を襲う。

 涙があふれ、止まることはない。ジムもオブライエンもあまりのことに自失しており、マナもまた今やもう気力も残っていないようで地面に座り込んでしまっている。

 どうしてこんなに悲しいのか。明日香がいない。助けられなかった。そのことだけでこんなにも胸が締め付けられる。

 

 そのことを自覚した時、十代は己の中にある気持ちに気付く。こんなに苦しいほどに、明日香はいつの間にか自分にとって特別になっていたのだと。

 遠也とも万丈目とも、翔とも違う。誰とも比べられない特別な存在になっていたことに、ようやく思い至ったのだ。

 十代にとって近しい二人である遠也とマナ。あの二人がお互いに抱く気持ちがこれと同じであるなら、きっとこの気持ちがそうなのだろう。そう自覚した十代は――勢いよく拳を地面に叩きつけた。

 

 ――だからなんだ! 今更気づいて、どうするんだ。もう、明日香はいないっていうのに……!

 

 言葉に出来ない思いに身を震わせる十代。

 その耳に、興奮したブロンの声が届く。

 

「フハハハハ! ついに、ついに完成したぞ! 《超融合》が! 苦労して生け贄を揃えた甲斐があったというものだ!」

 

 その言葉に、十代は気もそぞろとなりつつあった意識を覚醒させた。

 生贄を揃えた。そうブロンは確かに言った。見れば、邪心経典から立ち昇るエネルギーがその更に上にて滞空する一枚のカードに集約していくところだった。

 白地のカードに色が付き、一枚の魔法カードになっていく。それを見ながら、邪心経典に目を移せば、そこに描かれているのは明日香の絵。ならば、他の皆も恐らくはあそこに描かれているはずだ。

 つまり。

 

「ま、さか……。まさか、明日香たちはそのカードのために!?」

「んん? ああ、そうだとも。我ら一部の力ある暗黒界の者には、倒れると相手の負の感情を増幅させる能力がある。だが、その能力は暗黒界の者同士では発動しないのだ」

 

 完全にカードと化して下降してくるその魔法カード――《超融合》。それを手に取って、ブロンは手札にそれを加えた。

 

「ゆえに、他の戦士によって倒される必要があった! 無論、我らもただではやられん。我らを凌駕した者でなければな。……が、集めた戦士はどいつもこいつも腑抜けばかり。だからこそ、ズールを貴様が倒してくれて感謝しているぞ、ククク」

「そんな……そんなことの、ために……ッ」

「五つの負の感情を込めた命を捧げることで、邪心経典はあるカードを作り出す! 我ら暗黒界を総べる絶対的な王――《暗黒界の混沌王 カラレス》を顕現させるために必要な、《超融合》をな!」

 

 ブロンの行動は、徹頭徹尾カラレスの顕現を目的にしていた。

 ゆえに一定以上の力を持つ者には最前線に行かせ、戦士の確保を命じた。倒されればその戦士を生け贄にすればいい。倒せないならば、戦士を集めて労働力として確保。より強力な戦士を見つけるまでの生活を盤石のものにする。

 そうしていずれ力ある暗黒界の者が倒された時、カラレスの顕現は秒読みに入る。そう、今の状況はまさにブロンの想定通りなのだった。

 だからこそブロンの機嫌はいい。ようやく待ちに待った時が訪れようとしているのだから。

 だが、それは十代にとっては何の意味もない事実だ。むしろ、立ち上る憤怒の炎に更なる火を投入するかのごとき行為に近かった。

 

「そんなことのために、お前は……俺の仲間をッ……!」

 

 怒りのあまりに声が震える。握った拳はもはや肌が白く変色するほどに力が込められている。

 そんな十代を前に、ブロンは賞賛の響きを持たせて言葉を紡いだ。

 

「ああ、役に立ったよ。お前の仲間とやらは」

 

 言葉を切り、直後にブロンは可笑しくてたまらないとばかりに噴き出した。

 

「――カスの割にはなぁ! フハハハハ!」

 

 瞬間、十代の中に僅かに残っていた躊躇いが消えた。

 仲間を、その死を、こんな形で汚され、嘲られる。……耐えられるわけがない。許せるわけがない。それら激情が勢いよく自身の内で撹拌され、最終的に十代に残ったのはたった一つの感情。

 

 それは言うなれば、ただ純粋な――殺意。

 

「お前は……! お前だけはッ――!」

 

 強い感情を宿した瞳が、濃い茶色から金色へと変化する。

 そしてついに、殺意は言葉となって生まれ落ちる。

 

 

「――殺してやるッ!!」

 

 

 眼光で人を殺せるならば、きっと今の十代はブロンを殺していた。それほどまでにその視線は鋭く、瞳は爛々と輝いている。

 これまで十代の中にはなかった、純粋な悪意。仲間たちの度重なる死とブロンの挑発が、ついにそれを発現させる。

 

 ――その瞬間。十代の中の誰かが小さく笑ったことを、この時はまだ十代自身でさえ気が付いていなかった。

 

 

 

 

 


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