遊戯王GXへ、現実より   作:葦束良日

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第72話 前兆

 

  * * * *

 

 

 

 やはりデュエルディスクの存在とは偉大なものなのだと俺は実感していた。

 最初こそディスクを使ったデュエルにこれじゃない感を覚えたものだが、慣れてくればそんな感覚はなくなり、代わりに大きな爽快感と確かな楽しみが心に根付く。

 ものの二か月ほどで、すっかりこのデュエルディスクの魅力に俺は取りつかれていた。

 もともとデュエル――遊戯王をするのが大好きで、唯一の趣味と言っても過言ではないほどにドはまりしていた俺なのだ。自分が操るモンスターたちがリアルな映像となって目の前で戦うというシチュエーションに燃えないはずがなかった。

 だから、俺は来る日も来る日もデュエルを繰り返していた。ただしその相手はもっぱらマナだった。武藤家にはよく遊戯さんの友達である城之内さんや本田さん、杏子さんや御伽さんに獏良さんが来るのだが、俺は結局あまり彼らの前に出ていない。

 それは怖い、とか不安、という感情なのかもしれなかったが……いや、今それを考えるのはよそう。

 それよりも俺が使うデッキは元の世界から持ち込んだ二つ――シンクロデッキと、魔法使い族デッキである。

 シンクロのほうは本来この時代にはまだ存在していないものなため皆さんには内緒にしてくれるようお願いしなければならなかったが……その甲斐あって、デュエルはとても楽しいものだった。

 

 ある程度この世界での生活にも慣れ始めて一か月経った、今日。いつものように俺は、デュエルをする。

 

「遠也……たまには外に出ない?」

「外?」

 

 この世界に来て、間違いなく最も対戦している相手であるマナが、今日三度目となるデュエルが終わった後にそんな提案をしてきた。

 繰り返して問うた俺に、マナは首肯を返す。

 確かにデュエル三昧なので外に出ようという話が出てくることは、なるほど納得だった。何故なら、身近でデュエルばかりして出かけることなど早々なかったからだ。

 そういえば、俺が積極的に出かけたのはいつだったか。ふと疑問に思って記憶を掘り返すが、近々の記憶に該当するものはない。散歩程度ならまだしも、明確に目的を持って出かけたことは、そういえばなかったかもしれなかった。

 そこまで考えて、俺は提案に対する答えを返した。

 

「やめとくよ。それよりもデュエルしたり、デッキを弄ってる方が楽しいしな」

 

 デュエルディスクからデッキを外し、デッキケースにしまう。

 別に必要なものがあるわけでもないし、外に出たい気分でもない。だから別にいい。

 そうマナに答えれば、マナは一つ大きな溜め息をつくと、ぐいっと強引に俺の腕を取った。

 

「お、おいっ!?」

「残念だけど、遠也に選択肢はありませーん」

 

 抗議の声を上げるが、マナはまったく取り合わない。

 確かに「はい」か「YES」しか答えが用意されていないことには文句を言いたいが、今の抗議はそれだけの事ではない。

 いま、マナは俺の腕を巻き込むように自分の腕をからめている。だから、その、つまり……肘のあたりに柔らかい感触がして仕方がない。

 さすがにそんな状態で黙っているなんて出来るはずもなく声を出したというのに……!

 

「さぁ、お外にレッツゴー!」

「だ、だから当たってるって――!?」

 

 マナはそんなこと気にしていないかのように俺を無理やり外に連れ出す。

 慣れない感触に顔が紅潮するのを避けられない。これまで、こんなふうに女子と接触することなど無い生活を送っていただけに、やはり動揺してしまう。

 そしてその動揺を俺は抑えきることが出来ず、結局そうこうしている間に俺は街へと繰り出すことになっていたのだった。

 

 

 

 ――やはり、居心地が悪い。

 

 それが、街を歩く俺の正直な気持ちだった。

 居心地が悪いとはいっても、それはいまだに俺がこの世界に慣れていないというわけではない。既にこの世界に来て二か月近く。元の世界とは異なる常識や習慣も学んだ俺は、以前は基礎知識が足りないために理解が出来なかった道端で交わされる会話も、しっかり内容を理解して聞き取ることが出来ている。

 カフェのオープンテラスから「私のターン、ドロー!」と聞こえてきたって驚くことはない。この世界はそういうものなのだと俺はよく理解していた。

 そのため今更そんなことで動揺することもない。だいぶ俺はこの世界にも慣れてきたと言っていいだろう。

 しかし、それでも。心の表面を無造作に撫でられたような不気味な違和感は、絶えず俺に付き纏っている。

 この違和感の正体を、俺は知っていた。そして知っているからこそ、否応なしにその正体を感じざるを得ない街への外出を嫌っているのだ。

 だから、俺は毎日デュエルに没頭する。何故なら、デュエルをしている時間はデュエルに集中して楽しんでいればいいだけなのだから。

 そんな風に考える俺だったから、いざデュエルもせずに出歩くという現状はいささか以上に気持ちのいいことではない。マナが色々と話を振って来てくれているのにも、つい生返事を返してしまう。

 俺を気遣ってのことだと頭では理解しているのに、どうしてもそれを表に出せない。それはやはり今の俺に余裕がないからなのだろう。

 

 ――あまり街には出たくない。どうしても、実感してしまうから。

 誘ってくれたマナに申し訳なさを感じつつも鬱々とする感情を抑えられない。思わず漏れる重い吐息に我ながら狭量なことだと自嘲する。

 それでも、せっかくの気遣いなのだ。それを無碍にもしたくない俺は、自分に出来る精いっぱいとして表面上だけでも楽しげに装おうと苦心することになるのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「どうだった、マナ?」

 

 遠也と出かけた後、帰宅したマナを出迎えたのは遊戯のそんな言葉だった。

 主語も何もない一見内容が理解できない問いかけであったが、マナはそれに戸惑うことなくただ首を横に振った。

 

『ダメ、ですね。やっぱり、街には出たくないみたい。帰って来てからも、デッキを触ってばかりだし……』

『最初の頃よりは幾分マシになりましたが、やはりまだこの世界に対して隔意があるようですね』

 

 マナからの報告にマハードがそう自身の考えを口にする。

 そして、それは遊戯も思っていることであった。

 

 遠也を家で預かり、一緒に暮らすようになって二か月。その間、遊戯たちは遠也のことをずっと見てきた。

 最初はいきなりの環境の変化や、恐らくは帰ることが叶わないだろう元の世界のこともあって、だいぶ参っているようだった。だから遊戯とマハードは相談の末、マナを遠也の傍に置くことに決めた。

 マナは遠也と見た目の年齢が近く、また明るい性格をしている。それが少しでも遠也の心をケアすることに繋がればと思ったのである。

 もちろん、かつてパラドックスが遠也とマナに何らかの関係があることを匂わせる発言をしていたことも一因である。マナ自身もそれは気になることであったようで、最終的にマナは遠也の傍にいることが多くなり、ついには鬱に近い状態から脱出させることに成功していた。

 

 しかし、今度は新たな問題が発生する。マナがこの世界への慣れや気分転換を目的に勧めたデュエルに、遠也が没頭するようになってしまったことだ。

 もともとカードが好きだったこともあるのだろう。この世界のデュエルに最初こそ戸惑っていたようだが、今ではすっかりその魅力に取りつかれているようだった。

 それこそ、他のことなどどうでもいいとばかりに。それほどまでに、今の遠也はデュエルにのめり込んでいた。

 

 だが、そのことをマナを始め遊戯たちはあまり良いことだとは思っていなかった。ある程度この世界の常識などを知るや否や周囲や外のことに一切の関心を払わなくなり、一つのことに熱中する。

 それは、控えめに言っても現実からの逃避であるとしか思えなかったからだ。

 この世界に生きる者として、遠也がこの世界を受け入れてくれないことは悲しいことだった。だが、だからといって無理強いはしたくなかった。あくまで自発的に遠也がこの世界も現実なのだと理解してほしかった。

 そのために一か月様子を見て、今日マナに頼んで外にも連れ出してもらった。が、結果は成果なし。やはりそれほどまでに環境の変化は遠也の心に大きな影を落としているのだろう。そのことを、遊戯たちは実感する。

 しかし、このままではいけない。そう思う気持ちは、今日の結果を経て遊戯の中で大きくなっていた。

 

「……僕には、何となくわかるよ。彼の気持ち」

 

 世界を飛び越えてしまった遠也の問題とは規模は比べ物にならないかもしれないが、遊戯も昔は嫌な現実から逃げてひたすらゲームに没頭する時期があった。

 幼馴染の杏子の声にも明瞭な答えは返さず、ただただ自分だけの世界に閉じこもっていた、今にして思えば逃げ続けていた経験。

 だが、それだけではいけないことを遊戯は知っている。そのことを、多くの友達と……今はもういない自分の半身に教わったのだ。

 ほんの僅か踏み出す一歩。それだけで掴むことができるモノがあることを、遊戯はよく知っている。

 

 “見えるんだけど、見えないもの”――。今の遠也に必要なのは、それを掴んだ時の遊戯と同じ。今を変えるきっかけと、一握りの勇気。

 

「逃げることも、時には必要かもしれない。でもね、遠也君。――踏み出さなきゃいけないんだ、きっと」

 

 拳を握り、遊戯はこの時に己の中である決断を下したのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「一体どうしたんですか、遊戯さん」

 

 マナと街に出かけた次の日の朝。俺は遊戯さんに呼ばれて(何故かデッキとディスクも持ってと言われた)リビングでソファに腰を下ろしていた。

 その横には遊戯さんが座り、「うん、ちょっとね」と言葉を濁して俺に答える。遊戯さんにしては珍しいはっきりしない物言いに、少々疑問を覚える。

 しかし、まぁ何でもいいかと俺は結局それ以上突っ込んで聞くことはしなかった。そして無言でテレビに映るバラエティ番組をぼうっと見つめる。

 内容はぼんやりとしか頭に入ってこない。それもそのはず、俺はその時絶えず頭を働かせていたからだ。それは、ここ最近の悩みとしてずっと頭の中にこびりついて離れない思考。

 

 すなわち、俺はこれからどうすればいいのか、ということ。

 

 俺だっていつまでも武藤家に居候できるとは思っていない。タダ飯食らいでいられるのも今だけだろう。むしろ二か月もよく何も言わないでいてくれたと思うほどだ。さすがにこれ以上甘えるわけにはいかないという思いぐらいは俺にもある。

 となれば、俺はこの家を出て独立しなければならない。幸いこの世界の社会構造自体は元の世界とさして変わらないから、中学卒でも仕事が全くないということはないはずだった。

 だが、そこまで考えて俺の思考はいつもピタリと静止する。それはまるで見えない壁がそこにあるかのように、思考はその先に進まないのだ。

 何故ならその壁にはこんな問いが書かれているのだ――“この世界で、一人になるのか?”

 その一文が、俺の心を冷たく握るのだ。それだけで俺の歩み出そうという意思は封じられてしまう。

 真実この世界に縁も所縁も持たず、それどころか存在すら本来していない俺にとって、この世界はどこまでいっても俺とは無関係なのだ。

 家族も、親戚も、俺が俺であることを証明するものは一切ない。先祖すらいないこの世界にとって、俺はたった一人の異物である。その事実は俺に強烈な違和感を覚えさせている。そんな中で絆を――繋がりを感じることなど出来るわけもない。

 それは俺に大いなる孤独としてのしかかった。この世界のことを知れば知るほど、ここは元の世界に似ているということに安心し、同時に似ているのに決定的に違う事実に寂しくなる。

 

 デュエルはそんな気持ちを忘れさせてくれるものだった。だからこそ俺はデュエルに没頭した。マナとデュエルをするその時間だけは、俺にとって楽しい時間だったからだ。

 だが、それが何の解決にもなっていないことは俺にもわかっていた。結局のところ、俺はどうにかしてこの世界で生きていかなければならないのだから。

 この世界に来て既に二か月。そろそろ何とかしなければと思いつつも、全く前に進めていない自分に焦る気持ちが抑えられない。

 テレビから流れる呑気な笑い声に、見当違いと知りつつも苛立ちを覚える。そんな自分が俺は本当に嫌だった。

 

 と、その時。

 

 ――ピンポーン。

 

「あ、来たみたいだ」

 

 軽やかに鳴った呼び鈴の音に、遊戯さんが待っていましたとばかりに腰を浮かせる。

 それを目で追っていると、遊戯さんは俺にも立ち上がるように促してくる。

 言われるがままに立ち上がった俺は、遊戯さんと共に玄関に向かった。恐らくは訪問者を迎えようということなんだろうが、どうして俺までついていかなければならないのだろうか。

 そんなことを思いつつ玄関に着くと、遊戯さんはすぐに扉を開けた。当然その向こうに広がるのはいつもの童実野町の風景……ではなく、一台の黒塗りの車が玄関前に停車している光景があった。

 見慣れない車があることに首を傾げていると、遊戯さんはさっさと車に向かっていってしまう。俺も一応後に続けば、横にガタイのいいサングラスをかけた黒スーツが立つ。

 思わず身が強張るが、グラサンスーツは恭しく車のドアを開けるだけだった。見た目に反して、いい人なのかもしれない。

 そんな中、遊戯さんはさっさと車に乗り込んでしまう。俺もあれよあれよという間に車の中に乗せられてそのまま出発。事態を掴めないまま車に揺られる中、俺は隣に座る遊戯さんに顔を寄せた。

 

「遊戯さん……これ、どこに向かってるんですか?」

 

 小声での問いに、遊戯さんが答える。

 

「KC社――海馬コーポレーションだよ」

「……へ?」

 

 ひどく間の抜けた音が、俺の口から漏れた。

 

 

 

 やがて俺たちを乗せた車は、遊戯さんの言葉通りに海馬コーポレーションに到着する。そして着くや否や遊戯さんは車を降り、俺もまた同じく車を降りると、そのまま社内に入っていく。

 いまだ状況が正確に掴みきれないまま、あれよあれよと遊戯さんについてKC社の中を進んでいった俺は、気が付けばエレベーターで地下に降り、社屋の下に広がる広大なアリーナの中央で遊戯さんと向かい合うことになっていた。何故。

 

「さて……遠也くん、やろうか」

「え、ち、ちょっと待ってください!」

 

 左腕にデュエルディスクを着けてデッキを差し込み、既に臨戦態勢を取っている遊戯さんに、俺は多分に戸惑いを含む声で待ったをかけた。

 デュエルディスクとデッキは俺も持ってきているので、デュエルすること自体は今すぐにでも可能だ。けれど、どうしてわざわざこんな場所で、しかも遊戯さんとデュエルしなければならないのか。

 その大きすぎる疑問はいくらなんでもスルーできず、俺は動揺が収まらぬまま意味もなく視線をさまよわせた。

 数メートルも上にある天井は半円状のドームにすっぽりと覆われ、白色蛍光灯が部屋の中を万遍なく照らす。まるで巨大な卵の殻の中に閉じ込められたかのようだった。

 

「いきなりここに連れてきて、それでデュエルなんて……どういうつもりなんですか!?」

「遠也くん……君がこの世界に来て、君はずっとデュエルモンスターズに付きっ切りだったよね。特に、ここ最近は」

 

 俺は一瞬、感情が逆立ったのを感じていた。

 それは、遊戯さんが俺の問いかけに対する答えを返さなかったからではない。説明もなしにこの場に連れてこられたこととも少し違う。

 ――まるでそうすることがいけないことだと非難するような響きを含んだ言葉。それに、俺は嫌な感情を覚えたのだ。

 なまじ自分でも、今の自身が情けない状態であると自覚しているだけに。それだけに、図星を刺されたことが思わず頭にきたのである。

 

「デュエルにハマっちゃ、いけないんですか……ここは、“そういう世界”でしょう」

 

 自然、語気も荒くなる。しかしそれが子供らしい自分勝手な感情であると理解していたから、俺は努めてそれを制御しようと試みていた。

 これ以上は単なる八つ当たりだ。お世話になった遊戯さんに、そんなものを見せるわけにはいかない。

 その思いが、俺に一線を越える最後の一歩を踏ませなかった。

 しかしそんな努力も、次に遊戯さんの口から放たれた一言で水泡に帰す。

 

「ああ、いけない。デュエルはそんなふうにしてやるものじゃないよ。……遠也くん、あえて僕は言うよ。――君はただ、デュエルに逃げているだけだ」

「―――――ッ!」

 

 カッと瞼の裏が赤く染まったような錯覚。

 激情が一瞬俺の思考を灼き、脊髄反射で言葉が口から飛び出した。

 

「あなたに……何がわかるっていうんだ……!」

 

 一言、こらえていたものが噴き出る。こうなったら、もう止められなかった。

 

「俺にだって、逃げている自覚はある! けど、仕方ないじゃないか! こんな世界にいきなり来て、知り合いなんて一人もいなくて! たった独り自分だけ違うことが、不安で、嫌で! ――わけもわからず世界から弾き出された俺の気持ちがッ……あんたにわかるもんか!」

 

 何もかもが違う世界。人も文明も大きな差異はなかったが、しかしそれは救いにはならなかった。どこを探しても、この世界には自分を証明するものが一つもない。決定的に自分はこの世界の存在じゃないということが、どれだけのストレスであったかなど、遊戯さんにわかるはずもない。

 そんな中、デュエルモンスターズだけは一緒だった。もちろん微妙なルールの違いはあったが、それでもフィールドに目を向ければ、そこには慣れ親しんだカードたちの世界が広がっていた。

 それに没頭することが、いけないことだったというのか。もちろん居候の身で大きなことは言えないが、それでも向こうでもずっと続けていたカードゲームをすることは、俺にとって安らげる時間だったのだ。

 突然自分に降りかかった現実が嫌だった。認めたくなかった。だから、少しでも向こうのことを感じられて、なおかつ楽しいデュエルに傾倒した。

 

 遊戯さんの言う通り、これは逃げだ。けど……仕方がないこともあるだろう!

 この俺の気持ちは、多くの経験をしようと世界から放り出されたことがない遊戯さんにはわからない。わからないのに、わかったように言うその姿に、俺は憤りを抑えきれなかった。

 

「……そうだよ、遠也くん。僕に君の気持ちはわからない。でも、だからデュエルをするんだ! 僕は君とあまりコミュニケーションを取れていなかった。だから、今こそデュエルで君のことをきちんと知りたい!」

 

 その言葉に、俺は確かにと思った。マナとはよく話していたが、遊戯さんと腰を据えてじっくり話し合ったことはなかった。それが俺への無理解に繋がっていると考えたから、遊戯さんはデュエルによって俺に相対しようと思ったのだろう。

 

「それに、遠也くん。君はまだこの世界で全力を出していないように僕は思う。ここなら、君がどんなカードを使おうと広まることはない。遠慮はいらない、君の全てで僕にぶつかって来てくれ!」

「――ッ」

 

 俺はその言葉に、思わずベルトに着けられたデッキケースの表面を撫でた。

 この中に収められたエクストラデッキ……その15枚のカードの中でもひときわ強力な一枚のカード。その存在を、真っ先に思い浮かべたからだ。

 そのカードを、俺は今までこの世界で一度たりとも使ったことがない。何故ならこの世界であのカードの効果は強すぎるし、まして今は登場する時期があまりにも早すぎるためだ。

 だから、エクストラデッキに眠らせたままにしていたが……。

 

「――それでも、あんたに俺の気持ちはわからない……! だから、これはただの八つ当たりだ、遊戯さん!」

 

 持ちこんでいたデュエルディスクにデッキを差し込み、左腕に着ける。オートシャッフル機能がデッキを公平にシャッフルし、俺は手札となる五枚のカードをそこから引いた。

 遊戯さんも既に手札を引いて準備は完了している。隠しきれない苛立ちを込めて睨みつければ、遊戯さんは正面から俺を見つめ返してきた。

 

「いくよ、遠也くん!」

「いくぞ、遊戯さん!」

 

 意図せず声を合わせ、俺たちは戦いの始まりとなる言葉を叫ぶ。

 

 ――デュエルッ!!

 

 

 

 

  * * * *

 

 

 

 

 廃墟となった街やそれを為した暗黒界の存在。異世界の新たな階層に来た十代たちはそこで出会ったフリードたちからこの階層を行くうえで貴重な話を聞くことが出来たが、そのまますぐに出発することはなかった。

 それというのも、この階層の空に常に浮かぶ彗星の輝きがまだ陰りを見せていなかったからだ。

フリードの話では、暗黒界の存在の活動は、彗星の陰りと共に収まる傾向にあるという。陰りが見えない今出て行けば、暗黒界に見つかり、ひいては街の生き残りが住む洞窟の発見につながる危険がある。

 フリードからそう説明された十代たちは、一度この洞窟内で休息を取ることにしていた。なにせまだ異世界に来て一日も経っていないのだ。そのうえ慣れない場所での活動である。見た目以上に全員に疲労が溜まっていた。

 その疲れゆえだろう、十代たちは街の生き残りとの人たちと簡易的な囲炉裏で食事をし、暖を取っている間に、いつしか瞼を閉じていた。

 そのままであったなら、きっと全員が翌朝にはすっかり体力を万端にして今後に臨むことが出来ただろう。

 

 だが、現実がそうなることはなかった。

 何故なら、洞窟の中にまで響いてくる不気味な地響きが、寝続けることを許さなかったからである。

 

「な、なんだ!?」

「なにがあったドン!?」

 

 万丈目と剣山が異常事態を察して飛び起きる。

 他の面々もほぼ同時に横たえていた体を起き上がらせ、すぐに周囲に目を配った。

 街の生き残りも同じく飛び起き、震動によって洞窟の天井から降ってくる砂の雨に身を晒していた。震える体は、この揺れのせいではない。この地響きが一体誰によってもたらされているのかを、彼らは察していたのだ。

 十代たちも、彼らがここまで怯えていることからこの揺れの原因に思い当たる。そしてその時、別室にいたフリードが厳しい面持ちで部屋に入ってきた。

 

「……暗黒界の連中が来た」

 

 それは、洞窟に潜む彼らに絶望を届ける言葉だった。

 フリードはほんの小さな震動でしかなかった頃に既に異状を察しており、一度外に出て確認に向かっていた。その結果得られたのは、暗黒界の騎士ズールが多くの部下を連れて攻めてきたということ。

 恐らくはこの近辺に生き残りがいることが確実視されたため、大軍を率いてやってきたのだろうとフリードは語った。

 それを聴いて身を固くしたのは、十代たちだった。ここに生き残りがいることを知られたのは、スカーを倒し、かつ逃がしてしまった自分たちのせいだと思ったからだ。

 

「ごめん、フリード……! それに、皆さんも! 俺たちのせいで……」

「いや、十代。カイルがスカーに見つかっていた時点で、我々の存在が発覚するのは確定だった。気に病むな」

 

 もし十代たちがいなければ、カイルは早々にスカーに殺され、フリードの到着よりも早くスカーは引き上げることが出来ていたはずだった。そうなれば、カイルの存在から結局暗黒界に生き残りの存在は知られていた。結果は変わらなかったのだ。

 それがわかるからか、フリードの言葉に洞窟内の誰もが頷いて十代たちを非難する言葉はついぞ出てこない。極限状態にありながら人としての優しさを忘れない姿に、十代は胸を打たれた。

 一宿一飯の恩もある。ならば……。

 そう考えて仲間たちの顔を見渡せば、誰もが同じ意見のようだった。力強く首肯を返す一同に微笑んで、十代はフリードと向き直った。

 

「フリード! 俺が、俺たちが暗黒界の足止めをする。その間に、あんたらはここから逃げてくれ!」

「なに……」

 

 フリードは思わず十代の顔を見て、その瞳に迷いがない事実に驚く。彼の後ろを見れば、そこには同じように覚悟を決めた少年少女の姿があった。

 

「わかっているのか。奴らの足止め……デュエルをするということは、相手の命を奪うということなのだぞ」

「……わかってる」

 

 十代が重々しく頷く。

 そしてその後ろに立つ明日香、万丈目、翔、剣山、吹雪、ジム、オブライエンもその表情を強張らせつつも確かに頷いた。

 マナはそんな彼らを、憂いを込めた目で見つめる。本来であればそんな覚悟など決めずともよい世界で暮らしていた彼らがこの決断を下したのは、ひとえに十代、遠也、ヨハンのことがあったからだろう。

 すなわち、仲間のため。

 友のためならばどこまでも邁進していく彼らに、遠也のことを思うマナは頭が下がる思いだ。だが同時に、これでいいのかとも思ってしまう。

 仲間が手を汚すことを認めていいのだろうか。純粋で真っ直ぐに前を向いて進む彼らに、そんな役を押し付けるような真似をしていいのか。

 少なくとも、マナは嫌だった。だから、もし実際に相対することがあれば自分が矢面に立とうとマナは心に決めた。彼らよりはまだ、自分は命のやり取りに耐性がある。

 マナにとっても、皆は既にかけがえのない仲間である。彼らを守ることに、労を惜しむつもりはなかった。

 静かに決意を固めるマナ。その視線の先で、十代に向き合うフリードが更に口を開いた。

 

「しかし、言っただろう。遅かれ早かれ、見つかるのは判っていた。お前たちが気にすることは――」

「もちろん、それもあるけどさ……」

 

 フリードの言葉に同意しつつも、十代は小さく首を横に振る。

 

「こうして、俺達をこの洞窟に受け入れてくれたこと。その恩を返すために行くのさ。だから、そっちこそ気にする必要はないぜ!」

「もともと我々はこの世界に来たばかりで寝床にも困っていた。そんな中で寝る場所に食事、暖をとらせてくれた恩を忘れるわけにはいかない」

 

 十代の言にオブライエンが続き、他の面々も笑みを浮かべ、その言葉を否定することはない。

 それが彼らの総意であると知り、フリードは一度目を伏せた。彼らが足止めをしてくれるならば、確かに民を逃がす時間を捻出することが出来る。ならば、民の安全のためにも十代たちの案を呑まない理由がなかった。

 フリードがただの騎士であったならば、彼らと共に戦うという選択も出来ただろう。だが、かつてはともかく今のフリードはそうではない。彼は、多くの民を守らなければならない、この集団の長なのだ。

 

「……感謝する。お前たちの武運を祈る」

「ああ! 任せとけ!」

 

 フリードが手を差しだし、十代がそれをがしりと掴む。

 そして十代たちは踵を返した。この洞窟の向こう、廃墟と化した街に押し寄せているだろう暗黒界の者たち。彼らと相対するために。

 

「十代!」

 

 部屋から通路に出てすぐ、先を歩く十代の名前を呼んで、その隣に明日香が並んだ。

 それを横目で確認しつつ、十代はいつもの調子で口を開く。

 

「ん、どうしたんだよ明日香」

「……私たちも、戦うわ。スカーの時みたいに、あなただけに重荷を背負わせたりはしない」

 

 明日香は腕に着けたデュエルディスクを掲げる。それを、十代は無言で見つめていた。

 

「ふん、貴様ばかりにいい恰好はさせられんからな」

「僕たちだって、戦うことは出来るんすから!」

 

 万丈目、翔。二人の言葉に、吹雪が続く。

 

「僕たちは仲間だ、十代君。だから、たまには君も僕たちに頼ってくれたまえ」

 

 どこか冗談めかして言う吹雪に、十代はふっと相好を崩した。

 

「ああ。その時は頼りにしてるぜ、みんな」

 

 迷いのない笑み。それを前に、誰もが満足そうに頷いた。

 決して十代だけに全てを背負わせるようなことはしない。ともに遠也たちを助けると誓い、そして長く一緒に過ごしてきた仲間だからこそ、その思いは顕著に彼らの中にあった。

 そんな付き合いの長さが感じられるやり取りに、ジムとオブライエンは少し羨ましそうに肩をすくめる。その光景を一歩引いて見るマナの前で、いよいよ洞窟の出入り口が見えてきた。

 彗星の輝きが世界を照らす夜の中へ、十代たちは勢いよく駆け出した。

 

 

 

 

 暗黒界の悪魔とそれに従うモンスターたちは、この世界の侵攻における橋頭堡として築かれた砦を出発し、廃墟となった街へと辿り着いていた。

 これを率いる暗黒界の騎士ズールとしては、そろそろこの街近辺のことは終わらせて次の任務に移りたいと思っていた。だからこそ、今回率いる軍勢は大人数のものとなっていた。今回で確実に終わらせるためである。

 そう考えれば、生き残りがいることが間違いないとわかったことは儲けものだった。多くの兵を動かす理由を補強してくれたからだ。

 ズールは己に付き従う多数のモンスターたちを見る。大軍と呼んで差支えない部下たちを見て、ズールは勝利の確信を深めて口元を緩めた。

 これでこんな僻地からはおさらば出来る。その事実が、ズールの表情に笑みを作らせる。しかも、スカーを倒すほどの戦士まで残っているという。戦いに享楽を感じるズールとしては、楽しくないわけがなかった。

 単に侵略して終わりというのも味気がない。ここはその戦士を正面から打ち砕き、士気の向上と共に我らへの恐怖に利用させてもらおう。

 

「どうした! まだ生き残りは見つからんのか!?」

 

 内心ではそのような喜悦に浸りつつも、そんな様子は微塵も見せずにズールは厳しく部下に問う。

 叱責を受けた手近にいた部下が、慌ててズールの前で膝をついた。

 

「へ、へい。どうも、連中何処かに隠れているようでして……」

「そんなことは百も承知よ! その隠れた奴を探せと言っておるのに、そんなこともわからんのか!」

 

 腰に佩いた剣を抜き、勢いよく地面に突き刺す。それは平伏す部下の顔をかすめ、たまらずひぃと悲鳴が漏れた。

 無能な部下に苛立つ。ズールはせっかくのいい気分が台無しだとばかりに部下を睨み、見下していた視線を真っ直ぐに直した。

 直後、その表情が驚きに変わり、やがてそれは隠しきれない笑みへと移ろいだ。

 

「見ろ。貴様などより、よほど奴らは優秀なようだ」

「へ、へぇ?」

 

 言われ、部下は顔を上げてズールの視線の先を追う。

 

「わざわざ探す手間を省いてくれるとは……。なかなか気が利くではないか、フフフ」

 

 彼らの視線の先、そこにはこちらへと駆けてくる数人の人間――十代たちの姿があった。

 近づいてくる彼らに、やがてズール以外のモンスターも気づき始める。彼らは一斉に十代たちに襲い掛かろうと走り出したが――、

 

「やめよ! 奴らの相手はこの私がする!」

 

 ズールの一言によりその動きは止まる。

 彼らにとって、ズールは逆らうことなど考えも出来ない絶対者であった。無論ズールより格が上の暗黒界の悪魔は存在している。しかし、彼らにとってはズールであっても決して勝つことが出来ない強者だった。

 強さこそが基準であり、それは恐れとなって他者を従える。彼らにとって当たり前の法則であるそれに従い、モンスターたちは十代たちの進路上から退き始めた。

 その異状は十代たちからも確認できていた。自分たちの進む先にはびこっていたモンスターが、自ら道を作り出している。

 そのことに罠を疑ったのは当然だったが、しかし目を凝らせばその先には指揮官と思しき風格を持つモンスターがいる。ならば、罠であろうと避けて通るわけにはいかない。そう心を決めた一行はある程度の距離を開けたところで走るのを止めると、歩いてズールの元へと近づいていった。

 それは街の住人が逃げるための時間稼ぎであったし、同時に走ってきて消費した体力を回復させるためでもあった。そして、これから戦うことに対する覚悟を改めて決める時間でも。

 さすがにデュエルをした相手が死ぬとあっては、勇ましい言葉を口にしようともそのことを意識せずにはいられない。十代の場合は既にデュエルが開始していたこともあったし、相手が正々堂々とした男だったので気持ちもだいぶ救われた。

 しかし今回のデュエルにそれはない。恐らくは大きな負担となって仲間の心に影を落とすだろうことは、十代にだって予想できていた。

 十代にとって皆は信頼できる大切な仲間だった。その力を疑うことなどありはしない。しかし、大切だからこそ十代は彼らに命のやり取りを知ってほしくはなかった。

 それを知るのは、自分だけでいい。悲痛なまでに真剣な表情を浮かべる仲間たちを背に、十代は一人その覚悟を決めていた。

 やがて、十代たちはズールの目の前にまでやって来る。己の前に立つまでを愉快そうに見つめ続けていたズールが、おもむろに口を開いた。

 

「若いな。ガキばかりではないか」

「お前がズールってやつか?」

 

 十代の率直な問いに、ズールは「いかにも」と答える。

 

「私こそは暗黒界の騎士ズール! 戦士の収集を任された実働部隊の長よ!」

「……だったら話は早いぜ。俺とデュエルしろ、ズール!」

 

 左腕のデュエルディスクを起動させながら言う十代に、ズールは面白そうに片目を見開いた。

 

「ほう……? ガキの戦士にしては、見上げた根性だ」

「その代わり、一騎打ちだ! 俺が勝ったら、お前たちはこの街から出て行ってもらうぜ!」

 

 指を突きつけて十代は宣言するが、ズールはやはり面白そうに口の端を歪めるだけだ。

 対して、十代の背中では大きな反応が起こっていた。

 

「十代!?」

「お前、何を勝手に……!」

 

 いきり立つのは明日香と万丈目だ。しかし、その表情に驚きと困惑を浮かべているのは誰もが同じだった。

 彼らは一様に十代と共に戦い、デュエルで命を奪う覚悟すら決めていた。その決意を十代は一騎打ちで全ての決着をつけようとすることで、一方的に無視したのだ。十代もまた賛同してくれていると思っていただけに、皆の驚きは当然のものだった。

 だが、唯一。マナだけは小さく溜め息をこぼして、胸の内でやっぱりと呟いていた。十代は彼らの決意を聞いて、「その時は頼りにする」と言ったのだ。なら、その時が来なければ皆が相手の命を奪うデュエルをする時も来ない。きっと、そう考えたのだろう。

 仲間を大切に思うが故の行動。それだけに、マナは十代を責められないし、それは他の面々にとっても同じことのようだった。

 何を言うべきかと迷う彼らに、十代が振り返る。

 

「悪い、明日香、万丈目、皆。皆の力は信頼しているけど……でも、やっぱり皆にそんな重荷は背負わせたくない。俺一人で済むなら、それが一番なんだ」

 

 だから俺に任せてくれ。言葉だけ見れば自信に溢れる台詞であったが、しかしそこには懇願するような響きが多分に含まれていた。その意味するところを悟り、万丈目たちは言葉を詰まらせる。

 

「ふふ、いいだろう。私が負けた時は、全軍撤退を約束する。だが、そちらは何を提供してくれる?」

「……どういうことだよ」

 

 ズールの言葉に、十代は怪訝な顔になる。それを癇に障る笑みと共に見つめて、ズールは言葉を補足する。

 

「わからんか? 賭けとは、互いに賞品を賭けるからこそ成立するのだ。私はちゃんと対価を用意したぞ。さて、お前は一体なにを賭ける? クク」

 

 挑発としか思えない態度であったが、十代がそれに激情することはなかった。

 それはズールの挑発を受け流したというわけではない。単純に、それ以外のことに思考を割かれていたからである。

 そう、十代は自分が要求を突き付けることを考えていても、こちらがあちらに向けて用意する対価を考えていなかったのだ。

 自分が矢面に立たなければという思いが強すぎたといえるだろう。そのことばかりに意識が向かい、相手にとっての得が何であるかまで考えが及ばなかったのである。

 だが、そんな言い訳が今更通じるわけもない。十代は今すぐに相手にとってメリットがある何かを用意しなければならなかった。

 

「そ、それは……」

 

 しかし、すぐに思いつくならばとっくにそれを口にしている。

 何かないか、と焦燥感にせっつかれながら考え続ける十代。その背中から、ふと勢いのある声が上がった。

 

「いいだろう! 賭けるのは、俺の命だ!」

「万丈目!?」

 

 小揺るぎもしない自信あふれる声。常から聞き慣れた声が信じられない音を紡ぎ、十代は驚愕を露わに振り返った。

 それと同時に、再び声が上がる。

 

「私も、命を懸けるわ!」

「明日香まで! 馬鹿なことはやめろ、お前ら!」

 

 万丈目に続き明日香までもが己の命をチップにすると言い出し、これには十代も泡を食って止めに入る。

 そもそも十代は彼らに命のやり取りを行うという負担をかけたくないから、こうしてズールと一騎打ちをしようとしているのだ。その守るべき仲間が命を懸けては本末転倒である。

 だからこそやめてくれと十代は言う。しかし、それを受けた万丈目はキツく十代を睨みつけた。

 

「馬鹿は貴様のほうだ、十代! 貴様、この俺のライバルでありながら、まさかこんな奴に負けるつもりなんじゃないだろうな!」

「なにを……」

 

 激しい口調に、戸惑う。

 そんな十代に、明日香は仕方がないとばかりに微笑んだ。

 

「万丈目君は、あなたの勝利を信じているのよ十代。もちろん、私もね」

「明日香……」

 

 ふん、と鼻を鳴らす万丈目を明日香が苦笑を浮かべて見る。

 否定しないということは明日香の言が正しいということなのだろう。十代が万丈目を認めているように、万丈目もまた十代のことを認めている。だからこそ、万丈目は十代に命を預けることも出来るのだ。それはつまり、負けないと信じられるからである。

 そしてそれは、明日香にしても同じこと。明日香にとっても、十代は仲間であり親友であり、そしてとても頼りになる男だった。だからこそ、信じられる。必ず勝ってくれると。

 

「兄貴、僕も同じ気持ちっすよ。兄貴なら、大丈夫っす!」

「Friendのことは信じるものだ。当たり前だぜ」

「同感だ」

「兄貴はいつも通りでいいザウルス!」

「また君に頼ってしまうのは心苦しいけど、これぐらいは格好つけさせてくれよ十代君」

「みんな……」

 

 更に翔、ジム、オブライエンも二人の意思に賛同を示す。剣山、吹雪もそれに続けば、十代は感極まったように言葉を詰まらせた。

 これだけの仲間の命を背負う。普通であれば、大きなプレッシャーとなって十代の身体から自由を奪うに違いない。しかし、今の十代は違った。これほどまでに自分が思い、そして自分を思ってくれる仲間がいる。そう感じられるだけで、何でもできるような気がしてきていた。

 そして最後に、何も言わずに成り行きを見守っていたマナを見てみる。マナは微笑むと親指を立てた。それが最後の合図であったかのように、十代は全員にしかと頷き、くるりと背を向けていたズールと相対する。

 その瞳には、信頼に応えようとする強い意志がある。その光に、ズールはより喜悦の笑みを深くする。ズールにしてみれば、ただの獲物が活きのいい獲物になった程度の差である。わざわざ気にすることでもなかった。

 自分を見下す目。その視線に、十代は真っ向から向かい合った。

 

「――ズール! 俺は俺の命と……皆の思い、皆との友情を賭けるぜ!」

「フハハハ! いいだろう! 私が勝った暁には、お前の前でそのお友達を惨たらしく殺してくれるわ!」

 

 青臭いがしかし、真実の言葉。

 それを、ズールは取るに足りぬと笑い飛ばした。そして、その左腕が徐々に変形しデュエルディスクを形どっていく。そこにデッキを差し込むと、ズールは自分を強い眼光で見据える十代にニィと傲慢な笑みを見せる。

 

「ククク、せいぜい足掻くがよい……デュエルッ!」

「――デュエル!」

 

 

遊城十代 LP:4000

暗黒界の騎士ズール LP:4000

 

 

「まずは私の先攻、ドロー! 私は《ジェネティック・ワーウルフ》を召喚! ターンエンドだ!」

 

 

《ジェネティック・ワーウルフ》 ATK/2000 DEF/100

 

 

 攻撃力2000という、レベル4の通常モンスターとしては最高の攻撃力を持つモンスター。元は心優しかった人狼だが、今は遺伝子改造によって正気を失い、その目は殺意に歪んでいる。

 その狂暴な目を正面から受けつつ、十代はデッキに指をかけた。

 

「俺のターン、ドロー!」

 

 手札を見れば、残念ながら融合はない。だが、充分にジェネティック・ワーウルフに対抗できる手段はあった。

 

「《E・HERO バブルマン》を召喚! 俺の場にバブルマン以外のカードがないため、デッキから2枚ドロー!」

 

 

《E・HERO バブルマン》 ATK/800 DEF/1200

 

 

 後攻最初のターンということもあり、当然十代の場にカードはない。バブルマンの効果がいかんなく発揮されて手札を補充する中、十代は一枚のカードを手に取った。

 

「魔法カード《古のルール》を発動! 手札のレベル5以上の通常モンスター1体を特殊召喚する! 来い、《E・HERO ネオス》!」

 

 

《E・HERO ネオス》 ATK/2500 DEF/2000

 

 

 十代のデッキのエースモンスター。ネオスはフィールドに現れると、その逞しい腕を振り上げ、威嚇するように相手フィールドに向けて突き出した。

 

「ほう、レベル7のモンスターを呼んだか」

 

 最初のターンでいきなり最上級モンスターを召喚とは、なかなかどうして。子供ながらに歯ごたえのありそうな相手だと、ズールは十代を楽しげに見る。

 そんなズールに向けて、十代は手をかざした。

 

「いくぜ! ネオスでジェネティック・ワーウルフを攻撃! 《ラス・オブ・ネオス》!」

「ぐ……!」

 

 

ズール LP:4000→3500

 

 

 ネオスの手刀が勢いよくジェネティック・ワーウルフの頭上から振り下ろされ、破壊する。まずは先手の500ダメージ。しかしこれだけではない。何故なら、十代の場にはまだモンスターが残っているからである。

 

「更にバブルマンで追撃! 《バブル・シュート》!」

 

 

ズール LP3500→2700

 

 

 バブルマンの攻撃力の値である800がそのまま叩きこまれ、結果を見れば相手の場を空にしたうえで合計1300のダメージとなった。

 悪くない出だしに、しかし油断をすることはせず、十代は一つ息を吐く。

 

「俺はこれでターンエンドだ」

「私のターン、ドロー! ……ほう」

 

 デッキから引いたカードを確認し、ズールの顔が笑みを形作る。

 よほどいいカードを引いたらしいとその表情から察し、笑うズールとは対照的に十代の顔つきは厳しくなっていった。

 

「クク、いま私の手札にキーカードは全て揃った。お前に絶望を味わわせてやろう」

「なに……!」

 

 余裕と自信にあふれた言葉を受け、十代は一体どんなカードが繰り出されてくるのかと警戒を強める。

 自然力が入り体をこわばらせる十代を愉快気に見ながら、ズールはその手に持ったカードをディスクに置いた。

 

「私はフィールド魔法《パワー・ゾーン》を発動!」

 

 瞬間、十代とズールのちょうど中間地点に出現した小さな黒球。一拍後、急速に膨らんでいったそれはフィールドを丸ごと包み込む半透明の黒いドームとなって十代とズールを飲み込んだ。

 

「ぐ、これは……」

 

 十代は、突然体にのしかかってきた重さに思わず呻く。

 見れば、パワーゾーンが生み出したドーム内の地面だけわずかに陥没している。パワー……恐らくは重力がこのドームの中では強化されているのだろう。立っているだけで力を使う現状に、十代はしかめっ面になってズールを見据えた。

 

「パワー・ゾーンが発動している限り、戦闘でモンスターを破壊されたプレイヤーはそのモンスターの元々の攻撃力分のダメージを受ける! 更に《パワー・マーダー》を召喚!」

 

 

《パワー・マーダー》 ATK/1800 DEF/1300

 

 

 どこか昆虫めいた風貌の悪魔族モンスター。鋭い鉤爪や角を持ち、その体は黒い甲殻で覆われている。長い尻尾の先についた鋭利な刃を不気味に揺らしながら佇むパワー・マーダーに、ズールは指示を下した。

 

「パワー・マーダーでネオスに攻撃!」

「馬鹿な!? 攻撃力はネオスのほうが上だぜ!」

 

 ネオスとの間には実に700ポイントもの攻撃力の開きがある。だというのに攻撃に移るべく空中に飛び上がったパワー・マーダーに、十代は驚きの声を上げた。

 このままではダメージを受けるのはズールのほうだ。しかし、ズールはにやりと口の端を持ち上げた。

 

「フフフ、パワー・マーダーの効果発動! このカードの元々の攻撃力よりも攻撃力が高い相手と戦闘する場合、ダメージステップの間攻撃力を1000ポイントアップする! もっとも、低い相手だと逆に1000ポイントダウンするがな……」

「なに!?」

 

 

《パワー・マーダー》 ATK/1800→2800

 

 

 瞬時にネオスを上回る攻撃力を身につけるパワー・マーダー。そういうことかと得心するものの、この段に来ては既に十代が取るべき手はなかった。

 

「ネオスを消し飛ばせ! パワー・マーダー!」

「くぅ……!」

 

 

十代 LP:4000→3700

 

 

 空中で反動をつけ、勢いよく射出される刃の尻尾。さながら矢のように飛来したそれの直撃を受け、ネオスはその身を散らせることとなった。

 攻撃の余波が十代を襲う。しかし、それで終わりではなかった。

 

「更にフィールド魔法《パワー・ゾーン》の効果! 破壊されたモンスターの攻撃力分のダメージを受けろ!」

「うぁあああッ!」

 

 

十代 LP:3700→1200

 

 

 フィールドを覆う闇色のドームから放たれ重力が十代の身を上から押し潰さんばかりに圧力をかける。よろめく身体に、しかし十代は鞭を打って、どうにか倒れることなく踏ん張りを見せた。

 

「そして永続魔法《パワー・スピリッツ》を発動! ライフポイントを1000払い、自分フィールド上のモンスターは攻撃力が1000ポイント以上高いモンスターとの戦闘でしか、戦闘によっては破壊されない!」

 

 そんな十代を前に、ズールは敵を叩き潰すべく一切の容赦を加えない。

 永続魔法、パワー・スピリッツ。その効果は、1000ポイントを上回る攻撃によってでしか戦闘破壊されないというもの。そしてズールの場にいるパワー・マーダーは、攻撃力が上のモンスターとの戦闘では2800もの攻撃力になるモンスターだ。

 つまり。

 

「お前がパワー・マーダーを倒すには、攻撃力3800以上のモンスターでなければ倒せないということだ! フフフ、私はカードを1枚伏せ、ターンエンド!」

 

 ズールは余裕を感じさせる態度でターンを終了する。

 しかし、それも仕方がないだろう。誰がどう見ても今の十代は劣勢だった。その十代を仲間たちがじっと見つめるが、裏腹にズールの部下たちはにやにやと苦境に立つ十代を嘲笑っていた。

 

「出たぜ! ズール様のパワーコンボだ!」

「多くの戦士を仕留めてきた必殺のコンボだからなぁ。所詮ガキじゃここまでか。ケケ」

 

 十代を侮り、勝てるはずがないと決めつけて笑う周囲に、翔たちは憤りを感じつつもその感情を表に出すことはしなかった。

 ここで自分たちが目立つ行動をとれば、デュエルに向かっている彼らの意識が改めて自分たちに集まり、予期せぬ事態を招くかもしれないからだ。

 それは十代の邪魔になる。それだけはしてはいけないと自分に言い聞かせ、彼らは気に食わない嘲りの言葉にもただ無言を貫くのだった。

 

「俺のターン、ドロー!」

 

 そんな周囲の声は、十代にも届いていた。

 しかし、十代がそれを気にすることはない。自分に今できることは、全力でこのデュエルに勝つこと。デュエリストとして、このデュエルに集中すること。

 それこそが今の自分の役割であると十代は確信していた。だから、迷うことなくその手はカードを掴み取った。

 

「俺はバブルマンを守備表示に変更! 更に《N(ネオスペーシアン)・グロー・モス》を守備表示で召喚! カードを1枚伏せて、ターンエンドだ!」

 

N(ネオスペーシアン)・グロー・モス》 ATK/300 DEF/900

 

 薄青色の体が淡く発光する姿が特徴的な、人型のネオスペーシアン。丸く空洞になった穴がぽっかりと人間でいう目がある位置に空いただけの無個性な容貌ながら、その姿からはどこか十代を思う優しさが感じられるようでもあった。

 これで十代の場には守備表示のモンスターが2体となった。本来なら十分な防御となるが、発動中のフィールド魔法パワー・ゾーンの効果が厄介だった。守備表示であろうと破壊されればダメージを受けてしまうからである。

 

「私のターン、ドロー!」

 

 一抹の不安を抱きつつ、しかしやれることはやったとばかりに、十代はカードを引くズールの姿を見つめた。

 

「永続魔法《リング・オブ・デビルパワー》を発動! お前は私の場で最も攻撃力が高い悪魔族モンスターしか攻撃できず、私の悪魔族モンスターがお前のモンスターを倒した時、そのモンスターの守備力分のダメージを与える」

「だが、パワー・マーダーよりバブルマンとグロー・モスの攻撃力は低い! パワー・マーダーは自身の効果で攻撃力が1000下がって、守備表示の2体を倒すことは出来ないぜ!」

 

 ズール自身が言っていたことだ。パワー・マーダーは自分よりも攻撃力が低い相手と戦闘する時、攻撃力が1000下がると。

 バブルマンの攻撃力は800、グロー・モスは300。ともにパワー・マーダーの1800より低いために攻撃力は800となる。そして2体の守備力は800を上回っている。戦闘破壊はできないはずだった。

 

「その通りだ。しかし、こうすればどうかな。クク、手札から《ガーゴイル・パワード》を召喚!」

 

 

《ガーゴイル・パワード》 ATK/1600 DEF/1200

 

 

「攻撃力、1600……!」

 

 十代の場に存在するモンスターの中で現在最も高い守備力を持つのはバブルマン。その値である1200を超えるモンスターが現れたことで、一転十代は更なる危機に直面することとなった。

 

「これで、お前は終わりだ。パワー・ゾーンで攻撃力分のダメージを。リング・オブ・デビルパワーで守備力分のダメージをお前に与える。バブルマンを倒した時にお前が受けるダメージは、2000ポイントだ!」

「ぐ……」

 

 十代の残りライフは1200。十分すぎるほどにそのライフを削り切る値であった。

 それがわかるため、ズールは既に勝利を確信していた。なかなかに楽しめたデュエルだったが、しかし若さゆえかまだまだ自分が相手をするには早すぎたようだと、静かに嘆息する。

 先が見えた勝負ほどつまらないものは無い。さっさと終わらせようと、ズールはフィールドに手をかざした。

 

「さらばだ、未熟な戦士よ! ガーゴイル・パワードでバブルマンに攻撃! 《パワード・ビーム》!」

 

 鳥の頭部を持つ悪魔のくちばしが開かれ、喉の奥から絞り出された光線がバブルマンに襲い掛かる。

 守備表示であっても、肝心の守備力が負けている以上バブルマンにこの攻撃を耐えられる道理はない。

 光線はバブルマンを間違いなく貫き、十代のフィールドを大きな爆発が包み込んだ。

 

「十代っ!」

 

 思わずといった様子で明日香が呼ぶ。その叫びが持つ響きとは対照的に上がるのは、ズールの部下たちによる歓声だ。

 その自らを讃える声を当然のものだとばかりに受け止めつつ、今は爆発とともに上がった煙によって見えない十代が立っていた場所に、ズールは目を向けた。

 

「終わったか……ッ、なに!?」

 

 徐々に晴れていく、砂煙。その向こうには、人影のようなものが間違いなく見えている。

 まさか、と目を見張るズールの視線の先で煙の向こうから現れたのは、しっかりと地に足をつけて立つ十代の姿だった。

 

 

十代 LP:200

 

 

「馬鹿な! なぜライフが残っている!」

 

 バブルマンの攻撃力と守備力の合計。2000ポイントのダメージを受けて、ライフは0になっているはず。

 そう主張するズールに、十代はタネ明かしをするように一枚のカードを手に取った。

 

「お前の攻撃が届く前に、俺はこいつを発動していたのさ! 罠カード《エレメンタル・チャージ》! このカードは俺の場に存在するHERO1体につきライフを1000回復する罠カード! あの時、俺の場にはバブルマンがいた。よってライフを1000回復し、俺のライフは2200になっていたんだ!」

 

 そのためライフは0にならず、ギリギリで200ポイント残ったというわけだった。

 ズールの勝ちを疑っていなかった部下のモンスターたちが、生き残った十代の姿を見て歓声が一転戸惑いの声に変わる。

 そんな中で、万丈目は詰まっていた息を吐き出し、一度大きく肩を上下させた。

 

「……ふん、相変わらず悪運が強い奴だ」

 

 隠しきれない安堵の響きに誰もが気付いていたが、しかし指摘することはせずに一同はただ首肯でその言葉に同意を示すのみだった。

 彼らにとっては嬉しい事態。しかし、勝利を確信していたズールにとって今の事態は実に面白くないものだった。余裕を湛えていた表情が、悪魔然とした厳しいものに変わる。

 

「おのれ……! だが、ここで罠カードを発動させてもらう! 《導火線》! 相手モンスターを戦闘破壊した時発動し、デッキまたは手札から《パワー・ボム》1体を特殊召喚し、このカードを装備する! 次の私のスタンバイフェイズ、装備モンスターを破壊して相手に1000ポイントのダメージを与える! デッキから特殊召喚!」

 

 

《パワー・ボム》 ATK/1000 DEF/1000

 

 

 そうしてズールの場に現れたのは、パワー・マーダーよりも更に昆虫に似た悪魔族モンスターだ。

 蝉を連想する姿だが、その腹部は異様なまでに膨れている。ボムという名、そして導火線の効果からして、恐らくはその腹部が爆弾のような効果を持っているということなのだろう。

 

「これでお前は確実に次のターンで終わりというわけだ。もっとも……」

 

 言葉を切り、十代のフィールドを指さす。

 

「このパワー・マーダーの攻撃で終わりだがなァ! パワー・マーダーでグロー・モスに攻撃!」

「まだだ! この時、グロー・モスの効果発動! このカードが戦闘を行う時、相手はカードを1枚ドローする! そのカードの種類によってこのカードは別々の効果を得る!」

 

 パワー・マーダーが凶器でもある尻尾を揺らす中、グロー・モスはその手に三つの光球を生み出した。

 

「モンスターなら、バトルフェイズは終了! 魔法なら、このカードは直接攻撃が可能に! 罠なら、このカードは守備表示になる!」

「愚かな! 実質、私がモンスターを引かなければ意味がないではないか! そんな博打が私に通用するとでも思ったか!」

 

 完全に運任せのギャンブル効果。そんなものが当たるわけがない。そう断言してみせるが、しかし十代の顔には笑みが浮かんでいる。

 

「さぁな。けど、やってみなければわからないぜ! 《シグナル・チェック》!」

 

 十代の言葉を受け、グロー・モスの手の中にある三つの玉が、黄、赤、青の色に点滅を始める。

 十代とて当たるかどうかなど分からない。しかし、どうせわからないなら当たると信じた方がきっと当たる。何の根拠もなくそう信じて、十代は笑うのだった。

 そんな十代の様子は、ズールには不気味に映った。追い詰められているというのに、あの余裕は何なのか。正体のわからない何かに少なからず動揺しつつ、ズールはデッキからカードを引く。

 

「……ドロー! ッ、私が引いたのは《パワー・マーダー》! モンスターカードだ……!」

「よっしゃあ! グロー・モスの効果により、バトルフェイズを終了するぜ! 《イエロー・ライトニング》!」

 

 信じられないと言いたげな口調のズールに対して、見事賭けに勝った十代はガッツポーズをとる。

 グロー・モスの手の中にあった玉は黄色の者が点灯。そこから放たれた光がパワー・マーダーに当たり、その体をズールのフィールドに押し戻していく。

 それを見届け、ズールは舌打ちをした。

 

「ちっ、ターンエンドだ! ……だが、所詮は無駄な足掻きよ。仮にお前が攻撃力3800以上のモンスターを召喚できたとしても、バトルでパワー・マーダーの攻撃力が変化した時、パワー・ボムの効果により、パワー・マーダーの元々の攻撃力分のダメージがお前に与えられる」

「………………」

「更にこのターンで何もできなかった場合、次の私のスタンバイフェイズ、お前は導火線の効果により倒れる。パワー・ボムを倒そうにも、お前はリング・オブ・デビルパワーの効果によってパワー・マーダーにしか攻撃できない。お前の死は、もはや回避不可能だ!」

「――それはどうかな」

 

 デッキトップに指を置きつつ、十代は言う。

 なるほど、確かに可能性としてはそうなる確率の方が高いかもしれない。しかし、だからといってそれは十代がカードを引くことを止める理由にはならなかった。

 何を言われようと、どんな逆境だろうと、十代はデッキからカードを引く。それは何故かと問われることすら心外だ。何故なら、デュエリストならば誰もが知っているからだ。

 

「最後の最後まで何があるかわからない、それがデュエルだ! 俺のターンッ!」

 

 デッキからカードを引き、それが何であるかを十代は確認する。

 瞬間、湧き上がる喜びが興奮となって十代の声を弾ませた。

 

「きた……! 俺は《死者転生》を発動! 手札を1枚捨て、墓地からネオスを手札に戻す! そして今墓地に送った《E・HERO ネクロダークマン》の効果発動! このカードが墓地にある時、俺は1度だけ上級E・HEROをリリースなしで召喚できる! 来い、《E・HERO ネオス》!」

 

 

《E・HERO ネオス》 ATK/2500 DEF/2000

 

 

 再度フィールドにその姿を見せるネオス。それを見て、ズールは鼻で笑う。

 

「ふん、またそいつか。ただの通常モンスターに何が出来る」

「ネオスはネオスペーシアンと力を合わせることで真価を発揮する! 侮ると痛い目を見るぜ! ネオスとグロー・モスでコンタクト融合!」

 

 二体が飛び上がり、やがて重なり合うようにして一つになっていく。

 二体が力を合わせることで生まれるのは、体全体が淡く発光する光の戦士。

 

「現れろ、《E・HERO グロー・ネオス》!」

 

 

《E・HERO グロー・ネオス》 ATK/2500 DEF/2000

 

 

 右手に光の槍を携え、グロー・ネオスが十代の前に降り立つ。頼りになるエースの後ろ姿を見つめながら、十代は高らかにその効果の発動を宣言する。

 

「グロー・ネオスの効果発動! 1ターンに1度、相手フィールド上に表側表示で存在するカード1枚を選択し、破壊できる! そしてこの効果で破壊したカードの種類によって、異なる効果を得る!」

 

 グロー・モスが融合素材であることから、グロー・ネオスもその効果の特性を強く受け継いでいる。

 モンスターなら、このカードは戦闘を行えない。魔法なら、直接攻撃。罠なら、このカードは守備表示になる。

 グロー・モスとの大きな違いは、メインフェイズに効果を使えること。そしてこの状況ならば、十代が破壊するカードなど決まりきっていた。

 

「俺は魔法カード《リング・オブ・デビルパワー》を選択する! 《シグナルバスター ブルー・ライトニング》!」

 

 グロー・ネオスが十代の指示を受けて青い光を勢いよく放つ。それは狙い違わずリング・オブ・デビルパワーのカードを破壊した。

 これで、ズールのフィールド上で最も攻撃力が高い悪魔族モンスターしか攻撃できないという制約は取り払われた。

 更に。

 

「魔法カードを破壊したことで、グロー・ネオスは直接攻撃できる効果を得た!」

 

 攻撃力2500の直接攻撃。それはまさしく脅威だ。しかし。

 

「だが、それでも私のライフ2700を削り切るほどではない! 召喚権も使用した今、貴様には何もできまい!」

 

 ズールのライフは2700。グロー・ネオスの攻撃だけでは削り切れない。そして十代の手札は三枚。たとえその中にモンスターがいようと、召喚権を使用した今フィールドに出すことは出来ない。

 ならばこのターンで十代が自分を倒すのは不可能であり、そうであるならば自分のターンのスタンバイフェイズが来た時点で勝利できる。

 ズールがそう考えて嫌らしく笑うが、それに構わずに十代は指示を下した。

 

「……グロー・ネオスでズールにダイレクトアタック! 《ライトニング・ストライク》!」

 

 投槍のごとく、手に持った光の槍をグロー・ネオスが投擲する。発達した筋力によって補強されたそれは高速でズールに迫り、その体を貫いた。

 

 

ズール LP:2700→200

 

 

「ぐ、ぅッ……! よもや、ここまでライフを減らされるとはな……褒めてやろう! だが、所詮はこの程度よ! さぁ、エンド宣言を――」

 

 ズールが自身の勝利を確信してそう十代に促したその時。十代は手札のカードに指をかけた。

 

「まだ俺のバトルフェイズは終わっていないぜ! 速攻魔法《死者への供物》! 次のターンのドローを封じる代わりに、フィールド上のモンスター1体を破壊する!」

「今更私のモンスターを破壊して何になる! 無駄な抵抗は……」

「いいや、俺が破壊するのは――グロー・ネオスだ!」

 

 十代がグロー・ネオスに視線を向ければ、グロー・ネオスは気にするなとばかりに一つ頷いてその身を墓地へと置く。

 

「馬鹿な! どのみち負けると悟り、自棄になったか!?」

 

 自分の切り札級モンスターを破壊する。その暴挙に声を荒げたズールを見て、十代はもう一度手札のカードに指を伸ばした。

 

「全部計算通りさ! 更に速攻魔法を発動! 《リバース・オブ・ネオス》! 俺の場に存在する「ネオス」の融合モンスターが破壊された時、デッキから《E・HERO ネオス》を特殊召喚する!」

 

 

《E・HERO ネオス》 ATK/2500 DEF/2000

 

 

 三度現れるHERO。逞しい掛け声とともにネオスは十代の横に並んで立つ。

 

「な、なんだとォ!?」

「更にこの効果で特殊召喚されたネオスは、攻撃力が1000ポイントアップする!」

 

 

《E・HERO ネオス》 ATK/2500→3500

 

 

 これで攻撃力は3500ポイント。やはり攻撃力が変動するパワー・マーダーはパワー・ボムがいる限り倒すことは出来ないが、しかし。

 既にパワー・マーダーへの攻撃を抑制するカードであったリング・オブ・デビルパワーはない。ならばわざわざパワー・マーダーを攻撃してやる義理はない。

 ネオスが体の向きを変える。その正面にいるのは、攻撃力1000ポイントのパワー・ボムだ。そしてパワー・ボムはこの状況では正真正銘単なる攻撃力1000のモンスターである。

 ズールの場に伏せカードはない。なら、この攻撃を凌げる道理は存在しなかった。

 

「ぐ……おのれェッ!」

「いくぜ! ネオスでパワー・ボムに攻撃! 《ラス・オブ・ネオス》!」

 

 ネオスが地面を這うようにパワー・ボムの懐へともぐりこむ。そして右手の手刀をいったん上げ、更に頂点から一気に振り下ろした。

 

「ぐ、ぁぁあああぁッ!」

 

 

ズール LP:200→0

 

 

 勝った。そう十代が思った直後、大爆発が起きる。

 恐らくはパワー・ボムの内部に存在していた爆発する類の成分も影響したのだろう。今やズールのフィールドは爆発に包まれて見えなくなってしまった。

 砂煙、熱風、爆音。それらが合わさった相手フィールドを、十代は目を逸らすことなく見つめ続ける。だが、その煙に隠れて地面を転がってきた五つの玉を、十代は見逃していた。それは後ろにいる仲間たちの足元で止まると、デュエルが終わって周囲への警戒を強める彼らへと吸い込まれるように消えていく。

 

 『悲』『怒』『苦』『憎』『疑』……五つの文字がそれぞれの肌に一瞬浮かんで消えていく。しかし、周囲に注意を向ける彼らがそれに気づくことはついになかった。

 

 そんな中、立ち込めていた砂煙も徐々に晴れていく。そしてそこにズールの姿は既になく、ただ名残惜しく天に昇る光の粒子だけが漂うだけだった。それが示す答えは一つ。十代の勝利である。

 自分が、ズールを殺した。その重い事実に十代は一瞬くじけそうになる。だが、今はそれを気にする時ではないと無理やり感情に蓋をして顔を上げる。

 最優先事項は、遠也とヨハンの救出だ。ならば、考えるのは後でいい。今はただその事だけを考えて動こう。そう、改めて自分に言い聞かせた。

 

「そ、そんな……ズール様が……」

「ズール様が、ま、負け……」

 

 デュエルの結末を見届け、ズールに言われて手を出さないまでも十代たちを囲んで威圧していたモンスターたちが、途端に狼狽えはじめる。

 彼らにとって、暗黒界の一員であり、その中でも実力の高いズールは絶対的な存在だった。そんなズールに、正面から戦いを挑んで勝った戦士。その存在は、彼らにとって恐怖だった。

 何故なら、ここは力がものを言う異世界。ズールのやり方に反発してズールを打倒した者が、これまでズールに従ってきた自分たちを許すはずがない。そう考えるのが、彼らにとっての当たり前だった。

 故に、恐怖する。そしてその恐怖は十代が仲間たちの元に戻ろうと踵を返したことで、一気に弾ける。このままでは、自分たちも殺される。そう思いこんだ彼らの行動は、迅速だった。

 

「に、逃げろぉおーっ!」

「うわぁああああ!」

「許してくれぇええ!」

 

 彼らは一目散に逃げ出した。

 彼らはこれまで強力なリーダーがいるから強気でいられたのだ。たとえ群れていようと、数の利を唱えて向かってくる者はいない。彼らでは、結局勝ったとしてもその後にどうすればいいかわからないからだ。

 ゆえに、わかりやすい方法で延命を図る。それがすなわち、逃亡であった。

 しかし、突然大勢が走り去っていく姿に、十代たちは呆気にとられるしかない。何人かはこのまま連戦も覚悟していただけに、拍子抜けしたように肩をすくめる。

 

「どうも、彼らにはズールに対する義理とか忠誠みたいなものは無かったみたいだねぇ」

「呆れて物も言えないザウルス」

 

 走り去る大軍を見送り、吹雪と剣山がそれぞれ何とも言えない顔で呟く。

 ズールのしてきたことは許されることではないが、こうも簡単に仲間から見放されるところを目撃してしまうと第三者ながら何ともやりきれない。

 

「因果応報……力では、決して人はついてこないという事だ」

「だな。Be careful……俺たちもそのことを忘れちゃいけない」

 

 オブライエンとジムが二人の肩を叩いて神妙に言えば、吹雪と剣山もそれに首肯を返す。

 そしてズールに勝った十代は、自分を信じて自ら命というチップを差しだした万丈目と明日香の元へと向かっていった。

 

「万丈目、明日香……」

「ふっ、何も言うな十代。たとえ貴様がこの俺の広すぎる心に感極まっていたとしてもな」

「さっすが兄貴だわぁん」

「よっ、大統領!」

 

 十代が何か言うよりも前に万丈目はニヒルに笑うと、顔を傾けて影を作る。カッコつけたそんな仕草をおジャマたちがはやし立てるのを見て、十代は苦笑いを浮かべた。

 

「なんだかなぁ。……でも、ありがとうな万丈目」

「ふん」

 

 素直には受け取らない万丈目の態度だったが、十代は気にしない。こういう万丈目の態度は俗にツンデレというのだと遠也に聞いたことがある。だから、感謝の気持ちは伝わっているはずだと十代は思った。

 そして今度は明日香に向き直る。

 

「明日香も、ありがとう」

 

 ストレートな感謝の言葉に、明日香は気恥ずかしさから僅かに視線を逸らした。

 

「……言ったでしょう、大切な仲間だって。あなたのためなら、少しぐらいの無茶だって――」

「わかってる。けど……悪い、もうあんなことを言うのはやめてくれ」

 

 一瞬、明日香は十代が何を言ったのかわからなかった。

 思わず逸らしていた視線を十代に戻すが、その表情は真剣そのもので今の言葉が冗談でもなんでもないことを物語っている。

 明日香は、心に走る痛みを自覚していた。万丈目には、そんなことは言わなかった。しかし、自分だけには「もう命を懸けるな」と言う。そこには、明確な差がある。

 万丈目は、十代にとってライバルでもある。その実力には信を置いているし、頼れる存在であると十代が思っていることは想像に難くない。だからこそ、命を懸けたとしても自力で切り抜けられると信じて、十代は何も言わなかったのだろう。

 しかし、自分はどうだ。実力は万丈目とは比べるまでもない。このメンバーではきっと一番弱いし、今はここにいない下級生であるレイにだって勝てる自信はない。

 十代はきっと、そんな自分の実力不足を鑑みて「無茶はするな」と釘を刺したのだろう。

 それは決して明日香を蔑ろにしているわけではない。むしろ、明日香の安全を願ってのものだ。

 しかし、明日香は十代に守られるだけの存在になりたいわけではなかった。彼の隣に立てる存在になりたいのだ。そんな明日香にとって今の言葉は、ただ残酷なものでしかなかった。

 

 やはり自分では十代を支えることは出来ないのかもしれない。そんな思いにとらわれて顔を伏せた明日香だったが、続く十代の言葉に耳を疑うこととなる。

 

「明日香には命を懸けさせたくなくてさ。上手く言えねぇけど……明日香に守られるよりも、俺が明日香を守りたいんだよ、何となく」

 

「――……ぇ?」

「な、なんだよその顔。俺だって、よくわかんないんだから突っ込むなよ? 何となくとしか言えねぇんだから、しょうがないだろ」

 

 思わず問い返すような声を出せば、それを要領を得ない発言に対する非難と受け取ったのか、十代はむすっとした顔になって開き直った。

 そうして「お前にはずっと世話になってるしさ……」とか「親友……それともちょっと違うか……」と勝手に悩み始める。本当に、自分が抱える気持ちが何であるかわかっていないようだった。

 もちろん、明日香にだって十代の真意はわからない。けれど、期待してしまう。もしかしたら、自分が思っている通りなのではないかと。もしかしたら、自分が抱いている気持ちと同じなのではないかと。

 確証はない。むしろこれは自分の妄想でしかないのかもしれない。けれど、もしそうなのだとすれば……。

 

「ん? 明日香、顔赤くないか?」

「な、なんでもないわ」

「そうか? まあいいけど、無理はするなよ」

「……ええ」

 

 目敏く明日香の変化に気付いた十代が思考を切り上げて明日香を見た。

 こういう時は鋭いんだから、と半ば八つ当たりに近い不満を心の中で述べつつ、明日香は何でもないと首を振る。

 その態度を訝しく思いつつも納得した十代は、一言だけ言い添えて他の面々と合流するべく明日香に背を向けた。

 歩き出した十代の背中を見る。もしかしたらそうなのかもしれない。けれど、あまり期待が大きいとそうでなかった時が辛くなる。だから明日香はつい意識してしまう今の発言を極力気にしないよう努めることにした。

 自分たちには今、遠也とヨハンを助けるという目的がある。その中にあって、他の事に意識を割いて上手く結果がついてくると考えるほど明日香は能天気ではなかった。

 だから、今は考えない。ゆっくりと息を吸っては吐き出し、呼吸を整えていく。

 頭を冷やしながら、しかしすぐには消えない期待と喜び。その心地よさに、もう少しだけ浸かることを許してほしい。

 

 そう一度目を伏せた、その時。

 

 

「ッ明日香さん後ろッ!!」

 

 

「え?」

 

 突如響くマナの痛切な叫び。

 しかし、それに反応で来た者は誰もいなかった。

 そして明日香が声にならない音を口からこぼしたその時には、既にその体は赤い甲殻に覆われた太い腕によって拘束されていた。

 

「グフフ……ズール様、いやズールに勝って油断したなぁ、グフフ」

 

 ――暗黒界の斥候スカー。

 

 先日十代がデュエルによって下し、そして見逃した悪魔がそこにいた。

 敵の登場を受け、すかさず全員が警戒態勢を取ってスカーに向き合う。

 

「明日香!」

「お前、明日香を離せ!」

 

 吹雪が叫び、十代が怒りを露わにして声を上げる。

 明日香も締め付けられる体に息苦しさを感じながらも、どうにか拘束から脱しようと必死にもがく。しかし腐ってもモンスターであるスカーの力には敵わず、その努力が成果に結びつくことはない。

 そんな彼らの反応を前に、スカーは余裕を湛えた笑みを崩さなかった。

 

「離すわけがないだろう。貴様は強い。だから、貴様をおびき寄せるエサになってもらうんだからなぁ」

 

 そのスカーの言葉に、十代は眉を寄せた。

 

「何を言ってるんだ! おびき寄せるも何も、俺はここにいるじゃないか!」

「グフフ。そうではない。強い戦士である貴様には、我が王……ブロン様の元に来てもらわなければならんのだ」

「ブロン……?」

「グフフ、そうだ」

 

 会話を続ける十代とスカー。今すぐにも明日香を助け出したい衝動に駆られながらも、十代はぐっとこらえてスカーとの会話に集中する。

 それはひとえに、スカーの背後から近づく仲間がいたからだ。自分との会話に少しでも意識を割かせ、その奇襲の成功率を上げる。仲間の命が懸かっている時に、汚いも何もない。

 そうして会話のさなかに無言でスカーに向けて背後から攻撃を仕掛けたマナだったが、その攻撃をスカーは僅かに体をずらすことで完全にかわしてみせた。

 

「なっ!?」

「グフフ、一度不意打ちでやられたからなぁ。同じ手は食わんわ」

 

 振り返ってマナにそう言えば、マナは悔しげに唇を噛む。

 マナには他にも大規模な攻撃という手段があるが、それをすればスカーと共に明日香にまで危害が及びかねない。そのため今この瞬間に使うわけにはいかず、どうにか他に手はないかと考えるが、その間もスカーは待ってはくれない。

 マナにも注意を向けつつ十代に向き直ると、大きな口を禍々しい笑みの形に開いた。

 その腕の中にいる明日香は、きつく口元を結んで何もしゃべらない。

 

「ではな、戦士よ。この女の命が惜しければ、ブロン様の元に来い。一日だけ待ってやろう……グハハハ!」

「――待て! っ待てぇッ!!」

 

 十代のもはや絶叫に近い必死の制止も、スカーは意に介すことなくこの場を離れていく。

 斥候の名を冠するだけあって、大の大人を優に超える巨体でありながらその動きは俊敏だ。瓦礫や岩を器用に利用しながら去って行くその後ろ姿を追うも、彼我の距離は離れていく一方である。

 それでも決して十代たちが足を止めることはなかったが、廃墟の街を抜ける頃には、既にスカーの姿は影も形も見えなくなってしまっていた。

 

「…………クソォッ!!」

 

 十代の拳が地面を打つ。

 仲間を、明日香をみすみすさらわれてしまったという事実に、十代は怒りを抑えることが出来なかった。それはスカーに対してであり、明日香を守りきれなかった自分自身に対してでもあった。

 明日香を守りたいと言った直後にこれだ。むしろスカーよりも自分への怒りのほうが大きいかもしれないほどだった。

 だが、悔しがってばかりいるわけにもいかない。それに、悔しいのは自分だけじゃないはずだった。皆だってそうだし、吹雪だって血のつながった妹を目の前でさらわれたのだ。悔しいし、心配だろう。

 だから、今するべきことはスカーを追うことだ。奴は一日待つと言った。その間に、どうにか奴の言うブロンの元に行かなければならない。

 幸い、ブロンがいると思われる方向は奴が去って行った方向だと考えることが出来る。自分に来て欲しがっていたようだし、間違っているという事はないはずだった。

 明日香は、助けてとは一言も言わなかった。それどころか、口を噤んで弱音すら吐くことはなかった。

 それも全て、自分たちを思っての事だろう。自分を助けなければならないという重圧を感じさせたくなかったのだ。遠也とヨハンの事で一杯一杯な今だからこそ。

 そんな心優しい仲間を。それに、少し何か違うものを感じる相手を。十代は見捨てることなど出来ない。

 それはもう考えるという事すら必要ない。反射的に答えることが出来る唯一の答えである。

 

「皆! すぐに――」

 

 行こう、と呼びかけようとし、全員がそれに頷こうとしたところで、ふと地面を伝わってくる小さな震動。

 それを感じて思わず言葉を途切れさせた十代は、廃墟の街を振り返った。すると、そこにはこちらに近づいてくる見慣れないダチョウのような生物が数体。

 よくよく見れば、その先頭にいるダチョウもどきに乗っているのは、フリードである。一同はフリードがダチョウもどきに乗って現れるというよくわからない事態に、動きを止める。

 そしてその間に、驚くべきスピードで近づいてきたダチョウもどきは十代たちの目の前で停止し、乗っていたフリードは鎧の重さを感じさせない軽やかさで地面に降り立った。

 

「まだ居てくれたか……礼を言う機会を逃さずに済んだようだ」

「フリード……何の話だ?」

 

 連れ去られた明日香のこともあり、十代にしては珍しく急かすようにフリードに尋ねる。

 その意を汲んでくれたのだろう。フリードも簡潔に自分がここにいる理由を話し始めた。

 十代たちと別れた後、フリードは洞窟からの避難を開始。十代たちが街に向かって敵全体の注意を集めてくれたことで、街の住人は比較的スムーズに避難できたらしい。

 そして大軍を動かしたということは、彼らの本拠が手薄になっているということでもある。

 そのことに気が付いたフリードは、単身奴らのアジトに向かい、囚われていた捕虜たちと協力して残っていた敵を殲滅。無事捕虜を助け出し、街の住人達に合流させたのだ。

 その後、フリードは十代達にそれらの礼を言うべくここに来た、ということのようだった。

 

「捕虜の中に、お前たちが言っていた者たちはいなかった。すまんな」

「いや……。だが、それだけのことをやって、よく俺たちが出るまでに間に合ったな」

 

 オブライエンがフリードに疑問を投げかけると、フリードはそれは簡単なことだと頷いて自身が乗ってきた生き物に触れた。

 

「この動物は《音速(ソニック)ダック》という。こいつらは恐ろしく速くてな。しかも人間が乗っても力負けしない。こいつらが奴らのアジトにいたおかげで随分と時間の短縮になったのだ」

 

 急いでこちらに来たせいか、数匹ついて来てしまったようだがな、とフリードは笑う。

 本当なら民たちがいるところに音速ダックを残し、一匹だけに乗って来るつもりだったのだろう。しかし時間を惜しんだため、フリードは捕虜を届けるとすぐに出発。音速ダックたちは出発する音速ダックとの仲間意識がそうさせるのか、そのままついて来てしまったのだ。

 それに気づいたフリードは追い返そうかと思ったが、時間がないことを考えてそれを断念。帰る時に全頭きちんと連れていけば問題ないと判断してそのまま来たようだ。

 それは、今の十代たちにとってこの上ない偶然だった。

 

「フリード! 頼む、この音速ダックを譲ってくれ!」

 

 十代が頭を下げ、全員がそれに続く。

 一斉に頭を下げられるという事態に、フリードもさすがに目を丸くする。

 

「……何があった?」

 

 その様子があまりにも切迫していたからだろう。フリードは彼らがそうまでして音速ダックを求める理由を問うた。

 それに今しがた起こった事態を素早く説明すると、フリードは二つ返事で音速ダックを渡すことを了承する。その返答に、十代たちは喜びと感謝の念を溢れさせた。

 

「フリード、ありがとう!」

「お互い様だ。こちらこそ助かった。――頑張れ、戦士たちよ」

「ああ!」

 

 力強く答えを返し、十代は音速ダックにまたがる。

 既に乗り込んでいた他の面々に出発の確認を無言で取れば、誰からも首肯が返ってくる。

 出発に問題はない。そう判断した十代は、音速ダックの手綱をぐっと握りこんだ。

 

「出発だ!」

 

 手綱が音速ダックの体を叩き、一頭、また一頭と走り出す。

 音速の名は伊達ではないようで、ふと振り返れば既に廃墟の街は遠く、フリードの姿を見ることは最早できない。

 それを確認した十代は、視線を前に戻して脇目も振らずに駆け抜ける。遠也とヨハンのこともあるが、今はまず明日香のことだ。

 必ず助け出してみせる。

 自分だけではない。誰からも無言でも感じられるその悲痛なまでの決意を背中に感じながら、十代はただ明日香の無事を願いつつ岩だらけの荒野を走り抜けていく。

 

(待ってろよ、明日香!)

 

 焦りと不安からくる手汗が手綱を湿らせる。しかし決して手綱を離すことがないようきつく握る。

 そして彼らは一秒でも早く明日香を助けるべく、音速ダックを急かすように手綱を操作するのだった。

 

 

 

 

 


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