遊戯王GXへ、現実より   作:葦束良日

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第69話 仲間

 

 * * * *

 

 

 

 

 ――童実野町。

 

 現実には恐らく存在しないであろうこの町の中を、俺はきょろきょろと周囲を見渡しながら歩く。

 俺が暮らしている街とは明らかに違う。見れば見るほど、その確信が深まっていく。

 たとえば視線を上げて信号機を見れば、そのポールに着けられた小さな看板には「童実野町」の文字。加えて俺の腕にはデュエルディスク――形状から、恐らくは遊星がつけていたものとほぼ同じものが着いている。

 更に目が覚めた時に足元に置かれていたジュラルミンケースの中には、俺が持っていた沢山のカード。まぁ、沢山のとはいっても、基本的に自分が作っていた幾つかのデッキに入るカードしか持っていなかったから、その種類もたかが知れているが。

 腕にデュエルディスクを着け、ジュラルミンケースを足元に置き、ぼーっと突っ立っている男。きっと誰が見ても怪しいと判断するだろう。何故なら俺自身そう思ったから。特にデュエルディスクなんてただのオモチャだ。そんなの腕に着けている十五歳とか、痛々しいにも程がある。

 だというのに、通行人の方々はそんな俺を見ても全く関心を示さない。普通、デュエルディスクなんて腕に着けていたら、怪訝な顔の一つでも向けられそうなものだが、それもない。

 この事実と、ついさっきまで見ていた夢の内容から、ここは本当に童実野町なのかもしれないと俺は思っていた。俺の遊戯王熱もここまできたか、と少しだけ誇らしく思う。

 

 しかし、触ったコンクリートも冷たかったし、よくできた夢だこと。いや、感覚があるということは現実なのか。だとすれば、実に面白い。得難い体験である。

 まぁ現実だとすれば、数少ない遊戯王仲間とはもう会えないわけで、それは残念だが……原作世界の観光という魅力に比べれば、ひとまず脇に置ける程度の問題である。

 ま、正直親戚の家での暮らしも居心地が悪かったし、たまにはこういう刺激があってもいいだろう。カード仲間にも面白い話を提供できそうだし、自分にしては気の利いた体験をしているものだ。

 

 そんなわけで、俺は意気揚々と童実野町らしいこの町を観光しつつ目的地に向かう。

 童実野町とくれば、当然一番に思い浮かぶのは初代遊戯王の主人公である武藤遊戯だ。ここは遊戯が生まれ育った家がある町なのである。

 他には町の中心にあり、天高くそびえるビル――KC社本社にも興味があるが、まずはやはり主人公だろう。それに、俺はアニメの中に入り込んだ異邦人なのだ。そういう設定である以上、きっと身元がはっきりしている主人公の元に行けば、イベントとでもいうべき何がしかの進展があることだろう。

 まぁ、ここが単に俺が知らないだけで日本に「童実野町」と同名の町があり、そこに移動しているだけという可能性もあるわけだが……どうなんだろうか。

 

 ……深く考えることは止めよう。どうせここはアニメの世界なのだ。楽しまなければ損だ。きっと、そうだ。

 

 一瞬心にひやりと流し込まれた冷気を首を振って払い、俺はうろうろと歩いた末に辿り着いた一軒のお店の前に立つ。

 

 おもちゃ屋「亀のゲーム屋」。

 

 マンガとアニメの中で見た出で立ちに瓜二つな姿で、その店は存在していた。

 

「へー、リアルだな。現実ではこうなってるのか」

 

 ディティールから壁の汚れまでしっかり見てとることが出来るほど、目の前の建物には現実感があった。

 この店を前に、俺は胸の鼓動が高鳴るをの感じていた。きっと、主人公との対面に心が期待しているのだろう。なにせ大好きな遊戯王の初代主人公なのだ。リアルでは一体どんな姿かたちなのか、興味がないわけがない。

 緊張のためか、額に汗がにじむ。心なしか、鼓動も早くなった。自分がこんなにミーハーだったなんて、と新たな自分発見に苦笑が浮かんだ。

 その時、ふと視線を感じて亀のゲーム屋の二階を見上げる。

 見ればそこには小窓が備え付けられており、その中から視線を感じたのならまぁ常識の範囲内だっただろう。しかし今はその常識に当てはまらない状況だった。

 視線の主は、その小窓の外側に浮いていたのである。

 

「《ブラック・マジシャン・ガール》……?」

 

 見上げた先、ふわふわと浮く半透明の少女は、青を主体にした露出の激しい奇抜な服を身に纏っていた。金色に煌めく髪を揺らし、杖にまたがって頭にかぶったこちらも青いトンガリ帽を手で抑えている。

 真下から見上げているため、ポーズは大まかにしか見えないが、たぶん間違いはない。

 幾度となくカードの絵柄で見た、ブラマジガールそのままの姿。半透明というあたりがなんともそれらしい。杖に隠れて男の子の興味をそそる部分が見えないのがちょっと残念だった。

 そんなまったくもってどうしようもないことを考えていると、こちらに視線を落とした彼女と目が合う。しかしそれは一瞬のことで、すぐにブラマジガールは家の中へと入っていってしまった。

 

「ああ、残念」

 

 せっかくアイドルカードとして有名なその姿を見ることが出来たのに、と表面上で悔しがる。内心では、まぁカードに懸想してもなぁと冷静な第三者然とした自分がささやいていた。

 その時、ガチャリと扉のラッチが動く音が耳に届く。誰かがゲーム屋から出て来ようとしているのだと考えるより先に、視線は扉へと固定されていた。

 そうしてゆっくりと開かれた扉の奥から顔を覗かせたのは、いつも画面の向こうでその活躍に胸を躍らせて見続けていた主人公の姿。

 

「――やぁ、いらっしゃい。中にどうぞ」

 

 柔和な微笑みを顔に乗せて、屈託のない声で俺に呼びかける。

 

 “武藤遊戯”がそこにいた。

 

 

「あ、その……」

 

 俺は突然の邂逅に言葉を詰まらせる。

 おかしいな。さっきまでずっと武藤遊戯を見たいと思っていたのに。なんで、こんなに喉が渇いているのだろうか。

 まるで本物のような、武藤遊戯。服の質感、髪の揺れ、唇の皺……本当に、どこまでもリアルすぎて、本人よりも本人らしい。まるで現実に存在しているかのような生身の人間。

 鼓動が一層うるさく胸を打つ。額に滲んだ汗が、頬を伝う。その冷たさに、俺は心底ぞっとした。

 

 ――なんだ、そういうことか。

 

 俺は今この瞬間、悟った。

 

 ――俺は主人公に会うことが嬉しくて興奮していたんじゃない。

 

 この場所に立ってから、心の中でずっと思っていたことを。けれど決して認めたくない事実を。俺は、目の当たりにするのが怖かったのだ。

 

 ――単に、主人公に会って実感したくなかったんだ。

 

 ここが、本当に現実の世界なのだと。それに向き合う恐怖が、俺の鼓動を早くしていたのだと俺は知る。

 

 ――どこなんだ、ここ……。

 

 ぐらりと地面が揺らぐのを感じて、俺は片膝をついた。実際には俺が眩暈を起こしただけだというのに、この瞬間、確かに俺の中では世界が揺れたのだ。

 大丈夫かい、と心配そうに声をかけてくる目の前の男。きっと武藤遊戯というのだろうその男の気遣いに、俺は何も答えることが出来なかった。

 

 

 

 

 

  * * * *

 

 

 

 

 

 十代とユベルによるデュエルは、結局遠也の時と同じく無効試合となって幕を閉じた。

 デュエル開始直後、ユベルは宇宙から地球へと帰還を果たした際に受けたダメージを回復させるには十分なデュエルエナジーが溜まったと口にし、マルタンの身体を解放。そこから溢れ出した橙色のエネルギーはやがて人型となって固定される。

 右半身を女性、左半身を男性とした左右非対称の肉体。両眼は右が緑、左が金色のオッドアイ。更に額にも第三の眼を持ち、全ての眼が十代の姿を捉えて離さない。

 蝙蝠のものにも似た悪魔の翼を背中で広げ、ユベルはただひたすらに十代がいま自分を見てくれている喜びに打ち震えていた。

 それと相対する十代の顔に、余裕はどこにもなかった。一年生の頃から隣で笑い合い、脅威に対して共に戦ってきた親友が、自身のかつてのフェイバリットカードであるユベルによって消えてしまった。そのことは、大きなショックを十代に与えていたのだ。

 

 ユベルを倒せば、きっと元に戻る。その希望だけが今の十代を支えていた。

 

 二人のデュエルはそんな対照的な心境の中スタートし、三幻魔の力の前に十代もまた苦戦を強いられる。かつては遠也と二人がかりで相対した存在。やはり自分一人では、と弱気が顔を覗かせることもあったほどだ。

 しかし、十代には多くの友が、仲間がいる。それを証明するように、やがて十代の背には応援の声が届けられた。ハッとして振り向けば、そこには階段を登りきってこちらを見る、オブライエン、万丈目、レイの姿。そして、三人の間を潜り抜けて飛び出してくる、ヨハン。

 待たせたな、と笑顔で十代に掛けられた声に、十代はずっと感じていたプレッシャーがすっと軽くなるのを感じたのだった。

 友の、仲間の姿に勇気づけられた十代は、ヨハンと並んでユベルに対峙する。二人対一人という変則的なタッグデュエルを行うこととなるが、ユベルはそれを承諾した。煩わしげにヨハンに視線を投げかけながら。

 そして始まったユベル対十代とヨハンというデュエルは、二人の健闘もあって一進一退の攻防が続いた。攻撃し、守り、緩やかに削られる互いのライフはまさに均衡を保っているかのようであったが、しかしやがてその均衡を崩す事態が訪れる。

 

 ヨハンがついに宝玉獣デッキの切り札たる最強のカード――《究極宝玉神 レインボー・ドラゴン》を召喚したのだ。

 

 永続魔法《宝玉の樹》や《レア・ヴァリュー》などを駆使し、フィールドと墓地に7種の宝玉獣を揃えたヨハンは、待ち望んできた瞬間が訪れたことに心を躍らせた。

 純白と金色の鱗を持ち、七つの宝玉を身に埋め込んだ巨大な竜。美しいそのドラゴンは攻撃力4000という切り札に相応しい攻撃力でもってユベルのモンスターを攻撃するも、それは相手によってかわされる。

 結果として明確に事態は動かなかったが、確かにこの時、均衡は崩れたのだった。

 

 その後、ユベルもまた切り札――《混沌幻魔アーミタイル》を召喚する。

 

 三幻魔を融合させるという恐ろしい条件によって生み出された怪物は、相手モンスターに10000ポイントもの戦闘ダメージを与える脅威の効果を持っていた。

 攻撃力4000を誇るレインボー・ドラゴンでさえ、6000ポイントものダメージを負うことになる破滅の一撃。あわやこれまでかと思われたが、しかしヨハンはレインボー・ドラゴン最後の能力を発動させたのだ。

 フィールドの宝玉獣を墓地に送り、その数につき1000ポイント攻撃力を上昇させるという特殊効果。このときヨハンのフィールドには6種の宝玉獣が存在しており、ヨハンはそれを全て墓地に送った。

 よって、レインボー・ドラゴンの攻撃力はアーミタイルと同じ10000ポイントにまで跳ね上がる。結果、等しい巨大な力同士がぶつかり合ったこととなり、それはやがて世界と世界を繋ぐ壁すら破壊するという大事へと繋がったのである。

 

 吹き荒れる風、振動を続ける大地。混沌とする世界の中、ヨハンは十代に告げる。

 

「ここは俺に任せておけ! お前は元の世界に戻って、皆を支えてやるんだ!」

 

 たまらず、十代は言葉を返す。お前はどうするんだ、と。置いていくことは出来ない、と。

 しかし、ヨハンは笑った。

 

「俺はアイツが皆の帰還を邪魔できないようにここにいる。十代、お前は皆の心を繋ぐ架け橋のような存在だ。この虹のように。お前がいれば、きっと――」

 

 そこで言葉を切り、ヨハンはエネルギーのぶつかり合いによって身動きが取れないでいるユベルに目を向けた。

 

「アイツが消しちまったっていう遠也も、探してみるぜ。別に俺は死ぬつもりってわけじゃないからな!」

 

 快活に笑うその姿に、十代は言葉が詰まって上手く喋れない。その間にも、世界が上げる悲鳴は大きさを増していく。

 

「俺は俺のデュエルで皆を救うという夢を叶えた! 次はお前の番だ、十代! 後は頼んだぜ!」

 

 瞬間。極光が世界に満ち、アカデミア全てを飲み込んで一面が白く染まる。

 焼けるほどの光の中、十代をはじめ意識がある者たちは固く目を瞑ってひたすら光の暴力に耐え続けた。

 

 

 ――数秒とも、数分とも感じられる時間の後。

 

 

 次に目を開いた彼らの視界に飛び込んできたのは、青い空と白い雲、緑の木々に、潮かおる海。上空にはヘリが飛び、正面玄関の先には「I2」と書かれたいくつもの装甲車が停まっていた。

 

「帰って……きた……?」

 

 誰とも知れず口から漏れたその声に、やがて元の世界への帰還を確信した生徒たちがワッと一斉に歓声を上げる。デュエルゾンビとなっていた生徒も、そうでなかった生徒も、今や全員が正気を取り戻して手を取り合っている。

 デス・ベルトも砂となって腕から零れ落ち、今この当たり前にある風景に出会えた喜びに、誰もが喜びを感じていた。

 

 ――しかしそこに、遠也とヨハンの姿はなく。

 

 十代は喜びとは無縁の感情をその心に抱くこととなるのであった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「――行方不明者は三名。イースト校所属アモン・ガラム。アークティック校所属ヨハン・アンデルセン。そして本校オベリスクブルー寮所属、皆本遠也」

「三人もの生徒が……。まさかこのような事態が起こるとは、まったく想定外だったのデース」

 

 助かった生徒たちがアカデミアの各所で喜びに沸き、騒ぐ姿を校長室から見下ろしながら、鮫島とペガサスは厳しい表情を崩さずに言葉を交わす。

 無論生徒の多くが無事に戻ってきたことは本当に嬉しい。しかし、三人の生徒の消息は全く知れず、全員無事とはいかなかったことが、二人の心に大きな影を落としているのだ。

 素直に喜びを表すわけにはいかない。立場上、そして心情的な理由からもそんな思いに駆られた二人は、こうして邪魔の入らぬ部屋で今回の件について話し合う。

 そして今の話題は、件の行方不明者のこと。鮫島は気遣わしげにペガサスを見た。

 

「ペガサス会長におかれましては、遠也君のことが……」

「確かに、遠也は私にとって大切な家族デース。しかし、私は公人でもありマース。今この時、彼だけを特別扱いするわけにはいかないのデース」

「そうですか……」

 

 あくまで平等な立ち位置から今回の件に当たると言うペガサスに、鮫島はそれ以上の言及を控えた。心の内では本当に遠也のことを心配しているのであろうことが、その苦渋がにじむ口調から察せられたからである。

 鮫島はただ視線を外で笑顔をこぼす生徒たちに移した。

 

「しかし一言、私情を見せることを許してくれるのなら……早く無事に帰ってきてほしいのデース」

「ええ、本当に。私もそれを願います」

 

 隣で吐露された胸中に、鮫島もまた心からの同意を返した。

 多くの生徒たちを預かる身として、断じて彼らのことを諦めるつもりなどない。そのために何が出来るかは皆目見当がつかないが、しかし自分が出来ることならば何を代償としたとしても惜しくはないと感じていた。

 その決意を胸に、鮫島はくるりと踵を返す。それを、ペガサスが視線で追った。

 

「ミスター鮫島、どちらに?」

「……今回の件、原因となった存在に私は心当たりがあります。この騒動の中心となった彼らには、話しておくべきでしょう」

 

 異世界からの脱出を懸けた最後のデュエルにおいて、敵と相対したのは十代とヨハンの二人だったという。その二人のデュエルを見ていた者がいたのだ。

 その人数は四人。途中で意識を回復させていたマナ、レインボー・ドラゴンを手に入れたヨハンと共に駆けつけたオブライエン。そして、デュエルゾンビの妨害を潜り抜けて辿り着いたレイと万丈目だ。レイはマルタンのことを心配して、万丈目は言葉にこそしないが十代のことを思っての行動だったのだろう。

 彼らはデュエル中であったために見守る選択をしたようだが、その中で何度も十代が「もうやめてくれ!」「どうしてこんなことを!」と悲痛な声で相手に呼びかける声を聴いていたのだという。

 あちらからの返答は要領を得ないものばかりだったようだが、それでも十代との間に浅からぬ関係があったことは容易に想像できたと、彼らは鮫島にそう言ったのだ。

 その時、十代の口から聞こえた敵の名は――ユベル。ならば、自分は彼らに自分が知ることを話さなければと鮫島は思う。

 ユベルと十代の過去、そして十代の性格を考えれば、二人の友を失ったことで十代は大いに自分を責めているだろうと予想できる。自分ではそれを癒すなど到底できないが、しかし彼の仲間たちであればあるいは、と鮫島は考えたのだ。

 過去のユベルが起こした事件、そして十代の精霊との親和性。それに期待をし続けていつの間にか任せきりにしてしまったのは、疑いようもなく自分の責任だ。これがその罪滅ぼしになるとは思っていないが……。

 

(どうか、彼らが十代君を支えてくれることを願うしかない)

 

 それでも、動かずにはいられない。鮫島はペガサスに一礼すると、彼らが集まっているだろうレッド寮の食堂へと足を向けた。

 

 

 

 

 一方レッド寮の食堂では、今回の事件に深く関わった数人が集まっていた。

 万丈目、翔、剣山、ジム、オブライエン。そして現場にこそいなかったものの、彼らと親交が深い吹雪。そして彼らがこの世界に帰ってくるために一役買ったカイザー丸藤亮と、アカデミア在校生でありプロでもあるということで同行していたエド・フェニックス。ちなみにレイはユベルから解放されたマルタンの様子を見に行っているため、ここにはいない。

 更に食堂の端にはパラドックスとマナが立っていた。その表情は静かで、感情を感じさせない。パラドックスも遠也の知り合いであるようだが、マナが遠也の恋人であるのは周知の事実だ。

 しかしそのマナが怒りも悲しみも感じさせない無表情でいることに、彼らは何とも言えない虚無感を感じる。ゆえに、誰もが二人から目をそらさずにはいられなかった。

 こうして食堂に集まった一同。特に本校の生徒である万丈目らにとって卒業生であるカイザーに会うのは久しぶりとなる。しかし、当然ながらその顔に喜色の色は見られない。

 皆本遠也とヨハン・アンデルセン。遠也については一年生からの付き合いの者も多く、またヨハンと共に仲間として一緒に行動していた仲なのだ。この場の誰もが二人の安否を心配しているからだ。

 

 更に十代のことも気がかりであった。この世界に戻ってから、気付けばどこかに行ってしまったようで今はこの場にいないが、一度見かけた万丈目によるとその表情は驚くほど暗いものであったという。

 声をかけようとして喜びに騒ぐ生徒の波に押されて見失ってしまったらしいが、しかしあの十代が落ち込んでいるという事実は彼らの心にも影を落とした。

 まるで去年、カードが見えなくなってしまったという一時期のような状態。いや、友を目の前で二人も失ったとなれば、その心に負った傷はあの時の比ではないだろう。

 まして、十代はその原因を自分のせいであると考えているようなのだから。これは、今はこの場にいない明日香からの情報である。

 その話を聞いた時のことを思い出しつつ、吹雪が低い声で言う。

 

「……“全部俺のせいだ”、か。遠也君とヨハン君がいないとわかった直後に十代君が呟いた言葉だそうだけど、どうにも信じにくいね……」

 

 その時、明日香は十代のすぐ隣にいた。そのためその呟きを聞き取り、その後明日香は吹雪に話を伝えたのだ。

 その話を聞いた吹雪だったが、頭から信じることは出来なかった。なにせ学園ごと異世界に飛ばされたのである。その原因が十代一人にあるとは、どうしても思えなかった。

 しかし、それにしては十代の塞ぎこみ様は凄まじかったという。だからこそ、吹雪は言葉を濁した。

 

「オブライエン、お前は途中から十代のデュエルを見ていたんだろう? 何か言っていなかったのか?」

 

 ジムが隣に座る男にそう問いかければ、オブライエンはゆっくりと顔を上げた。

 

「……俺が聴いたのは、十代の相手がユベルという存在であること。十代はそのユベルを知っている様子だったことぐらいだ。その後はヨハンがレインボー・ドラゴンを召喚し、敵の三幻魔を融合させたモンスターとの衝突によって発生した激しい光から俺と万丈目は十代たちを連れて脱出するのが精一杯だった」

 

 それが自分の知る情報の全てだ、とオブライエンは口を閉ざす。

 その話を聞き、全員が重々しく思考を働かせる。

 

「つまり、あいつがさんざん呼びかけていたユベルという精霊。……それが十代の気がかりというわけだ」

「兄貴とそのユベルとかいう奴に、一体何があったんだドン」

 

 万丈目は己のライバルと定める男が下を向いている事実に、忌々しげな表情を見せる。その原因を作っているのが、そのユベル。剣山ではないが、やはりその関係性が気になるところだった。

 そしてそれは万丈目だけでなくこの場にいる全員が思っていることだろう。果たしてユベルが何者なのか。誰もがそれについて思索する中、不意に翔の溜め息が室内に響いた。

 

「どうした、翔」

「お兄さん……」

 

 それに気づいたカイザーが、いくらか気遣わしげに尋ねる。それというのも、明らかに今の翔が落ち込んでいる様子だったからだ。

 カイザーに見つめられ、翔は一度顔を伏せる。そして、まるで俯いたまま話を始める。それはまるで、懺悔しているかのようだった。

 

「……僕、遠也くんがマルタンと一緒に行く時、うっすらと意識があったんだ。マルタンは……ううん、ユベルは僕に攻撃しようとしていた。それを、遠也くんがかばってくれたから、遠也くんは連れて行かれて……」

 

 マナが不意に顔を上げて翔を見た。少しだけ驚いたような視線を、自身を責めるものに感じて、翔は目尻に涙を溜めて受け止める。

 

「行っちゃ駄目だ、って言おうとしたのに……口が動いてくれなかった……! 指一本、動かせなかったんだ……! 全然、身体に力が入らなかった……! ごめん、ごめんなさい、マナさん……僕のせいで、遠也くんがっ……!」

「翔……」

 

 こらえていたものが噴き出すかのように告白した翔。その目からは滂沱の涙が零れ落ちる。

 痛ましげにそれを見るカイザーの顔には、こうまで苦しむ弟に何もしてやれない悔しさが見て取れた。

 翔は度重なるデス・デュエルによって限界までエナジーを抜き取られていたのだ。身体が動かなかったことは、ある意味で当然といえる。しかし、そんなことは本人にとって何の慰めにもならないだろう。翔にとって大事なのは、自分さえいなければ遠也は助かっていたかもしれないという思いだけだった。

 それとてユベルの目的が遠也の排除にあった以上可能性は低いのだが、それを知らぬ翔にそんなことは判らない。ゆえに、ただただ翔は自分を責めるしかなかった。

 周囲も、そんな翔に掛ける言葉が見つからずただ翔の告白を聴くしかできなかった。これに答え、翔の気持ちを救ってやれるのは当人である遠也しかいない。彼らの慰めなど、心の表面を滑るように意味を為さないだろう。

 しかし、ここに遠也はいない。ならば、誰が自分を責め続ける翔を救ってやれるのか。

 

 そんなことが出来る存在は、一人しかいなかった。

 

「――ありがとう、翔くん」

「え?」

 

 俯いていた顔を上げると、翔の目の前には苦笑を浮かべるマナがいた。

 驚く翔に手を伸ばし、マナはゆっくりと翔の涙をぬぐった。

 

「やっぱり、遠也は遠也だったんだね。友達のために、無茶ばっかりして」

 

 あれほど無茶はしないでって言ったのに、とマナは笑う。影こそあるものの、それは確かに笑みだった。

 

「でも、だからこそ遠也だよ。確かに遠也は翔くんを助けたけど、遠也にとっては友達を助けるなんて当たり前のことなんだよ。だから、きっと遠也がいたらこう言うと思う」

 

 涙をぬぐう手を止め、マナは翔と視線を合わせて、言った。

 

「――“気にするな、友達だろ”ってね」

 

 マナは確信を持って言葉を続けた。

 ずっと、この世界に遠也が来た時からずっと一緒にいたマナだからこそ、間違いなく遠也はそう言うと断言できる。

 こっちは遠也がいなくなってしまったことで落ち込んでいたというのに、そんな“らしい”話を聞いてしまっては、苦笑も出て来ようというものだとマナは思う。きっと遠也のことだから、最後まで翔のせいになどせずに戦ったのだろう。

 無事の帰還こそできなかったものの、きっと翔のことを恨んではいない。それが遠也だから。なら、本人である遠也が気にしていない事で自分が翔を責めることなど出来るわけがない。

 だから、自分は恐らく遠也がするだろう態度を取るだけだ。それはきっと、泣いている翔を慰めること。気にしなくてもいい、と安心させることだ。

 

「ま、マナさん……う、ぅうう……!」

 

 翔はマナのそんな言葉に、涙を更に流した。

 確かに、遠也ならそう言うだろう。そう自分にも思えた。だからこそ、翔は泣いた。自分を友達だと言って、自分のために戦ってくれた遠也のことが心から嬉しく、誇らしかったのだ。

 同時に、助けられてしまう自分が情けなくもあった。そんな正負の感情が混濁した涙を翔は流す。

 カイザーがそんな弟の肩を抱き寄せ、慰める。力のない自身への怒りは、カイザーにも経験がある。破滅の光に乗っ取られ、自我を失くしてしまった時だ。

 しかし自分はその後、そんな己を克服するべく力を磨いた。ならばきっと、翔も同じ道を歩むことだろう。カイザーはそう確信する。

 兄に出来て、弟に出来ぬはずがない。きっと遠也の思いに応えるべく、翔もまた前に進むのだろう。泣く弟の震える肩を見ながら、カイザーはそのことを感慨深く思った。

 

 そんな二人を見つめ、マナは安心したように笑う。これで翔は大丈夫だろう。翔にもある強さを、マナは信頼していた。

 そして、ゆっくりとマナはその表情を変えていく。その表情にある感情は笑顔とは程遠く、不安、あるいは寂しげなもので、脆く儚く感じられるものであった。

 

(遠也……きっと、無事でいてくれるよね……)

 

 あの黒い穴に吸い込まれていった最後の姿。あの穴は、一体どういったものだったのか。それを知る術はないが、しかし遠也を殺すならあんな穴を作る必要はなかったはずだ。

 なら、きっとあれは遠也の命を絶つようなことはしていない。きっとそうであると信じて、遠也もまたどこかで生きているとマナは信じることにした。

 自分が信じなくて、どうするのか。しっかりしろ、と落ち込んでいた自分に喝を飛ばす。

 

(遠也――絶対、見つけ出してあげるからね!)

 

 そうと決まれば、落ち込んでなどいられない。

 先ほどまでの無表情が嘘のように強い意志を瞳に宿すと、マナはぐるりと食堂を見渡した。すると、食堂の端にいたパラドックスがちょうど食堂を出て行く姿が見えた。

 マナの中では一応危険人物であり、遠也ともなぜか関係が深いだろう人物である。その彼が出て行くのを、慌ててマナは追いかけようとする。しかし、ちょうどパラドックスが出て行ったのと入れ違いに、鮫島校長が現れたことでマナは足を止めた。

 何故なら校長が「十代君とユベルという存在の関係について話がある」と切り出したからである。

 遠也をあんな目に遭わせた張本人であるユベル。その正体に迫る話ということで、マナは数秒悩んだ後に追いかけるのを諦めて皆と一緒に話を聞く方を選んだ。

 敵を知り、己を知れば百戦危うからずという。その大前提である敵を知る機会を自ら棒に振ることはないと判断したためだ。

 校長は食堂から出て行った見慣れない男に首を傾げていたが、マナが中に戻り近くの椅子を引いて座ると、今はそれよりも大事なことがあると意識を改めた。

 

 そして校長は語り始める。幼い頃に十代の身に起こった奇怪な事件。その原因であるカードと、そのカードをかつての十代がどうしたのかということを。

 元々ネオスが幼い頃に十代が案を出して、その後宇宙に送られたカードだと知っていた面々は、宇宙にカードを送ること自体には驚かなかった。

 しかし、同時期に送ったはずの一方は正義のHEROとなり、もう一方は十代の願い虚しくより歪んで帰ってくる。その運命のいたずらには、唸らざるを得ないようだった。

 

 《ユベル》――十年も前からすでに現実世界に多大な影響を与えることを可能としていた、驚異の精霊。宇宙に送られたこと、そして多くのデュエルエナジーを吸収したことで、その力は更に強化されていることは間違いない。

 その強大な力が、アカデミアごと異世界へ転移するという大事を可能にしたのだ。そしてそれは、十代がユベルを宇宙に送らなければ……あるいは十代がいなければ起こらなかったことだ。

 そう考えれば、なるほど十代が言う“俺のせい”という言葉もあながち間違いではない。原因がユベルであれ、そのユベルが力を振るう理由は十代だったのだから、確かにそう言うことも出来るだろう。

 それを考えれば、異世界での苦しみは十代がもたらしたものであるとも考えられる。あの異世界で苦渋を飲んだ者は数多い。その責任を十代が感じるのも仕方がないのかもしれない。

 

 だが――、

 

「ふん、くだらん。あいつはそんなことを気にしていたのか。あいつが過去にしたことに、なぜこの万丈目サンダーが一喜一憂せねばならんのだ」

 

 鼻息荒く万丈目が言い、やがて呆れたように肩をすくめる。

 

「確かに遠也とヨハンのことは、気にせずにはいられんだろう。だが、やはり考えが足りていないなあいつは。馬鹿が一人で抱え込んだところで、どうにもならんだろうが」

「優しいわね、兄貴ぃ~。十代の旦那のことを心配してあげてるのねぇん」

「死ね!」

「やだちょっと、兄貴ったらどこ掴んで……って、投げるのはやめてぇええ~ん……!」

 

 まだ異世界の力が微弱なりとも漂っているのか、実体化して健気に万丈目を褒めたおジャマ・イエローを、万丈目はむんずと掴んで思いっきり食堂の窓から放り投げた。

 涙と悲鳴が尾を引いて遠ざかっていくのを、一同が苦笑いで見送る。

 その後、ゴホンと誰かの咳払いがあって全員の言葉が続いた。

 

「ま、言い方はあれだがThunderの言う通りだ。十代は、俺たちという仲間がいることを忘れている」

「苦楽を共にした戦友を、心配しないはずもない」

「だドン。兄貴には俺たちがいるザウルス!」

「そうだ……遠也くんやヨハンくんだって、兄貴と僕たち皆で力を合わせれば、きっと助けられる!」

「三人寄れば文殊の知恵、か。ふっ、一理あるな」

「相変わらず、おめでたい連中だ。ま、嫌いじゃないけどね」

 

 万丈目に続き、ジム、オブライエン、剣山、翔、カイザー、エドが、十代の力となることを当たり前のように口にする。

 その姿に、校長は「君達……」と感動で言葉も出ない様子だった。マナもまた十代や遠也たちが築いてきた絆の姿を前に、微笑みを浮かべる。

 仲間が、友が苦しんでいるならば、どんな時だろうと助けになる。ただそれだけの、しかし実行に移すには損得を計算する理性が邪魔をして難しいこと。

 それを、躊躇いなく実行してくれる仲間たち。何よりも得難いその姿は、黄金よりも輝きに満ちた価値あるものであるように感じられるのだった。

 

 そうして団結する皆の後に、吹雪が「僕も同意見だよ。けど、今頃は十代君も考えを変えているかもねぇ」と笑みを含んだ顔で言う。

 それに校長が「どういうことかね?」と疑問を返せば、吹雪は自信に満ちた、どこか誇らしげな顔でこう言った。

 

「今ここには明日香がいないでしょう? つまり、そういうことですよ。うちの妹の優しさは、落ち込んでいられないぐらいに強烈ですからね」

 

 そして笑ったまま、吹雪は肩をすくめるのだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 元の世界への帰還を果たし、アカデミアの至る所で喜びの興奮に包まれる生徒たち。食糧難、外界への恐怖、本当に帰ることが出来るのかという不安。常に心を圧迫していたそれらの要素から一気に解放された彼らの心情は、察するに余りある。

 誰もが自身の帰還を喜び、そして彼らの帰還をこの場にいる誰もが喜んだ。常なら騒ぎを収集するであろう教師たちも、今この時ばかりは心から生徒たちの無事を祝ってただ彼らを優しく見守るのだった。

 

 そんな中、十代は足早にその場を離れていた。耳を塞ぎ、目を伏せ、まるで逃げ出すかのように生徒の輪から抜けると、一気に走り出す。

 何か目的地があるというわけではない。十代はただ一刻も早く一人になりたかったのだ。喜びに沸く空気は、今の十代にとって耐えがたい苦痛であったから。

 異世界からの帰還を喜ぶ彼らは知らないのだ。異世界に行ってしまった原因が、恐らくは自分にあることを。あの世界での苦しみ、不安、悲しみ、絶望……それら全てが恐らくは幼い頃に自分がしたことが遠因となっていることを。

 そのことに、十代は罪悪感を覚えていた。自分がいなければ、きっと誰もが普通にアカデミアでの学生生活を楽しめていたはずだ。あんな危険な世界に飛ばされることもなく、退屈だが平和な日常を謳歌していたはずなのだ。それを壊したのは、間違いなく自分のせい。その意識が、十代の足を動かしていた。

 何より、自分がいなければ、遠也とヨハンはあんなことにはならなかったはずだった。遠也は黒い穴に呑みこまれて消え去り、ヨハンはアカデミアを元の世界に戻すために異世界に取り残された。

 それもこれも、自分さえいなければ起こらなかっただろう事だ。自分がかつてユベルを宇宙に送らなければ、こんなことにはならなかった。

 かつての自分がした事が、いま親友を失わせた。それは、十代にとって受け止めがたい現実であり、そして重すぎる事実であった。

 

(俺が……俺が、いなければ……!)

 

 ただひたすら走り続けた十代は、やがて見通しのいい平原に出た。ブルー寮から程よく離れた位置にある、あまり人目にはつかないが海を望め、開放感があるその場所。

 かつてはカイザー、遠也とともにデュエルをした場所であり、去年には悩んだ十代が遠也に相談を持ちかけたこともあった場所である。

 しかし、今の十代にはここがどこだかなどどうでもいいことであった。走り続けていた十代は、荒い息のまま芝生に膝をつく。

 そして、おもむろに右拳を振り上げると、思いっきりそれを地面に叩きつけた。

 

「俺のせいだッ! 俺のッ……、遠也……ヨハン……ッ!」

 

 悪い、そう言って小さな苦笑と共に消えていった親友。後は頼むと言って、笑っていた友。その姿が、十代の心を苛む。彼らをそんな状況に追い込んだのは、他でもない自分のせいなのだ。

 もちろん、直接的な原因はユベルだ。しかし、十代は不思議とユベルを責めきれない自分を自覚していた。こんな状況になっても、しかしユベルに対して感じるのは「怒り」ではなく、「どうして」という疑問だった。十代は何故か、ユベルが自分を苦しめるはずがないと無意識に信頼していたのである。

 しかし、実際にはユベルは十代に害を与えている。ユベルがそうなったのはやはり、幼い頃にユベルを宇宙に打ち上げたことが原因なのだろう。

 そしてそれは、十代自身の意思だった。だからこそ、十代は自分のせいであると己を責める。

 しかしこの場に遠也とヨハンはいない。ゆえに結局十代を許す、あるいは罰を与えることができる者はおらず、十代は延々と自分を責めることしかできなかった。

 

 そうしてただ自分を責め続ける十代を、ハネクリボーが心配そうに見つめる。その視線にすら、今の十代は気づかない。ネオスたちも十代の今までにない苦しみように胸を痛めたが、しかし声をかけることを躊躇っていた。

 下手な慰めは何の意味も持たないことを彼らは知っていたのだ。それはただいたずらに十代の自責を強める結果となりかねない。今の十代は、彼らが言ったところで自分のせいであるという意思を曲げないだろうからである。

 それに、ハネクリボーやネオスは仲間とはいっても結局は十代寄りなのだ。十代に惹かれ、十代の力となって存在している彼らは、たとえ苦言を呈そうとも真の意味での第三者とはなり得ないのである。

 そんな自分たちの言葉が、果たして十代の心の奥にまで響くだろうか。ネオス達は、そんな不安に駆られていた。

 常ならきっとそんなこと気にも留めなかったであろう。しかし、普段とはあまりにも違う十代の様子が、彼らにも動揺を与えていたのだ。今の十代には、一歩間違うだけで崩れてしまいそうな脆さがある。彼らは一歩踏み込んで十代を壊してしまうことを恐れたのである。

 しかしその躊躇は、それだけ彼らが十代を思っている証でもあった。そんな彼らだから、このまま十代が変わらなければ、意を決して一歩を踏み込むこともあったに違いない。

 

 しかし、今回は彼らがその決断を下すことはなかった。何故なら、今まさにこの瞬間、十代に声をかける者が現れたからである。

 アカデミアからこの平原へと繋がる道。たったいま十代が通ってきたそこを、小走りで通り抜けて現れた一人の少女。少しだけ乱れた息を深呼吸で整え、その少女――天上院明日香は膝をついて顔を伏せる十代にゆっくり近づいた。

 

「――十代……」

「………………」

 

 呼びかけるも、十代からの反応はない。

 明日香はこれまで見たことがないほどに打ちひしがれている十代に、悲痛な表情を見せる。

 十代の様子があまりにおかしかったから後を追ったものの、今の十代の姿を見ると、本当に今この場に来てよかったのかとさえ思えた。もし十代が何か問題を抱えているのだとしたら、力になってあげたい。その思いで動いてしまったが、そんな衝動に任せて大丈夫だったのかと不安になる。

 そんな弱気が顔を覗かせたが、それに気づいた明日香は軽く頭を振ってその思考を追い払う。

 力になれるかどうか、そんなことを考える必要はない。もっとシンプルでいい、と明日香は意識して気持ちを新たにする。

 

 今の十代は放っておけない。自分が動く理由なんて、それだけで十分ではないか。

 

 自分にとって、十代は仲間であり、友人であり、そして……気になる男の子だ。なら、それだけでいい。そんな彼の力になってあげたい。結果が伴うかどうかではなく、その思いこそが重要なのだと明日香は自分に言い聞かせた。

 そして、意を決した明日香は十代の横に腰を下ろす。その姿をハネクリボーやネオス達は少し期待を込めた目で見つめていた。精霊が見えない明日香はそれに気づくことはなく、隣で顔を伏せる十代に一言問いかけた。

 

「ねぇ、十代。“全部俺のせいだ”ってどういう意味?」

 

 一言目にはなんて言おうか。気を使った一言を考えては見たものの、いい言葉が見つからなかった明日香は直球で気になることを聞いてみた。

 元の世界に戻ってすぐ、十代は明日香の前で「全部、俺のせいだ」と呟いていた。あの時、明日香は「十代のおかげでみんな帰ってこれた」と言ったが、それでも十代は首を振って「そんなんじゃない、全部俺のせいなんだ」とかたくなに己を責めた。

 その後十代は離れていき、後を追おうとした明日香は駆け寄ってくる吹雪に掴まった。もちろん兄との再会を明日香は喜んだが、十代の様子がおかしいことが気になっていた明日香は吹雪に十代の様子を簡単に話して別れたのだ。

 このまま十代を放っておいてはいけない。何故か、そんな気がしていたから。

 そうして後を追ってきた明日香の問いに、十代はゆっくりと顔を上げて明日香を見た。その目は驚くほどに疲れ切っており、十代の苦悩を現しているかのようであった。

 

「……そう、だな。巻き込まれたお前には、話さないといけないのかもな……」

 

 暗い口調でそう言う十代に、明日香は慰めの言葉をかけてあげたい気持ちを必死に抑え込んだ。

 いま出てくる慰めなど、ただの同情からくる言葉でしかない。十代の抱える事情も知らずにそんな真似をするほど、明日香は無神経ではないつもりだった。

 そして、十代は話し始める。今回の一件が全てユベルという精霊によるものであるということ。異世界に飛ばされたこと、遠也とヨハンが犠牲になったこと、その全てが幼い頃の自分に起因すると十代は話した。

 遠也とヨハンの姿が見えない事は、単に自分が見逃していたというわけではなかったらしい。そもそもその二人はこの世界に戻ってきていないと聞かされ、親しくしていた明日香もさすがに言葉を失った。

 そんな明日香を見て、やはりと十代は思う。仲間を失ったことに明日香がショックを受けないはずがない。そして、そんな顔をさせたのが自分だということが、十代はたまらなく苦しかった。

 すべてはかつての自分が行った行動の結果。それが今、こうして友を苦しめている事実に、唇を噛むしかない。

 

「……俺があの時、ユベルを宇宙に送っていなければ。遠也もヨハンも犠牲にならなかった。アカデミアだって、異世界に行っちまうこともなかった! クソッ!」

 

 どん、と十代の拳が地面を打つ。

 後悔と自責、そして怒りが十代の表情に刻まれている。もともと仲間思いであった十代にとって、自分が原因となって二人を失ったことは大きな傷となっていると明日香は悟らざるを得なかった。

 もちろん自分だって二人がいないことは、大きなショックだった。明日香にとっても二人は大切な仲間であり、友だったのだ。そのショックは、決して小さいものではない。

 しかし、明日香は努めてその衝撃を押し殺した。自分がこれ以上そんな姿を見せては、一層十代が気にするだけであると思ったからだ。

 二人は大丈夫なのか。不安と心配は尽きないが、だからといって目の前で苦しむ十代を放っておくわけにはいかない。その一心から、明日香はぐっと力を入れて遠也とヨハンがいないという事実を飲み込み、その現実を無理やりにでも受け入れた。

 

 ――息を吸い、吐く。それでどうにか毅然とした表情を作り出すことに成功した明日香は、くずおれる十代に向かって、口を開いた。

 

「ねぇ十代。私は、遠也とヨハンのことを大事な友達だと思っているわ」

 

 十代は顔を上げない。けれど、明日香は気にしなかった。今はただ自分が言いたいことを言うだけでいい。十代の気持ちを知ろうとするのなら、まずは私が自分の考えを十代に示すべきだ。そう考えたからだった。

 

「翔君も、三沢君も、剣山君も、万丈目君もそう。もちろん亮だってそうだし、レイちゃん、レインちゃん、エド、ジム、オブライエンだってそうよ。ジュンコにももえも、私にとっては大事な友達。マナだってそう。誰かが困っていたらきっと……いいえ、絶対私は力を貸すと思う」

 

 そして、と明日香は続けた。

 

「もちろん十代、あなたも私にとって大切な……仲間だわ」

 

 少しだけ言葉を詰まらせて、しかし明日香はそう断言した。

 もちろん今挙げたメンバーだけではなく、クロノス先生をはじめ多くの仲間と呼べる人間が明日香の側にはいる。アカデミアに入学して六年目。特に高等部に入ってからの毎日は、明日香にとって多くの出会いの日々であった。

 そしてまた、そんな彼らと歩んできた月日はかけがえのないものとなっている。楽しく、嬉しく、悲しく、苦しい。けれど、やっぱり楽しかった日々。そんな毎日を一緒に過ごしてきた皆は、もはや替えのきかない唯一無二の財産となっていた。

 付き合いの長い人も、まだ日の浅い人もいる。けれど、そんなことは関係なく充実した時間を形作った仲間であることは確かなのだ。だからこそ、明日香は今の仲間たちのことを大切に思っていた。

 彼らに何かあれば、きっと自分は力を貸す。逆に自分に何かあれば、皆は自分を助けてくれるだろう。そう心から信じることが出来る、そんな仲間だった。

 それを明日香は誇らしく思うし、そんな仲間が出来たことを嬉しく思っている。しかし、明日香には少しだけ負い目があるのだった。

 

「けどね、皆と違って私に出来ることは本当に少ない。私は遠也や万丈目君ほどデュエルが強くないし、マナみたいに魔術が出来るわけじゃないし、レイちゃんのように可愛くもない」

 

 三沢ほど頭がいいわけでもなければ、亮やエドたちのようにプロとしての力があるわけでもない。

 翔ほど成長もしていなければ、剣山ほど大胆にもなれない。他のメンバーは各校のチャンピオンだったりと、やはり実力者ぞろいだ。

 自分には、これといったものが何もない。皆を助けたいと思いながらも、結局自分に出来ることなどたかが知れている。実際去年などは、斎王に操られて十代に助けられる始末だ。

 仲間内で自分だけが足を引っ張っている。明日香はどうしてもその考えを拭い去ることが出来ないのだった。

 誰かに聞けば、そんなことはないと言ってくれるだろう。しかし、自分でそう思えなければ意味がない。その事実は、明日香にとって小さくないコンプレックスでもあるのだった。

 けれど、一つだけ。一つだけ、明日香には他の皆とも引けを取らないと自負できることがあった。

 

「――でもね。仲間を思う気持ちなら、私だって皆にも負けていないわ。十代、あなたは私の……私たちの仲間でしょう? 苦しいなら、もっと頼って。辛いなら、助けを求めて。私たちは絶対に、あなたの力になる」

 

 打ち付けられた拳を、そっと自身の手で包み込む。固く握られた拳に熱を送り解きほぐそうとするかのように、明日香は壊れ物を扱うかのように十代の手と触れ合った。

 

「十代。あなただって、私たちが苦しんでいたら、きっと同じことを言うでしょう?」

 

 そう確信できるほどには、明日香だって十代のことをわかっていた。

 だから、十代にも私たちのことをもっと信じて欲しいと訴えかける。確かに自分たちは十代や遠也に最後は任せきりだったかもしれない。しかし、だからといってなんの力もないわけではないと。

 辛さも苦しさも、分け合って受け止めることぐらいなら自分にもできる。デュエルが強くなくても、頭がよくなくても、可愛くなくても、それならば自分も力になれる。

 仲間を思う気持ちなら、皆と変わらない。だから、十代が苦しいならば助けたいと思う。それはきっと十代だって逆の立場なら同じことを言う。だから、わかってほしい。

 そう訴えかけるが、十代は首を振った。そして、顔を上げて明日香を見る。その顔には、縋りたいけれど縋れない。そんな苦悩が見て取れた。

 仲間に頼ることに、いけないことなんてない。明日香はそう言葉にしようと思うが、その前に十代がその苦悩を打ち明けた。

 

「……わかってる。わかってるさ。きっと皆は俺を助けてくれる。けど、それは居心地がいい逃げだ。だって、皆は絶対に俺を許してくれるから(・・・・・・・・・・・・・)

 

 そこで、十代は目を伏せた。

 だから気づかない。今の言葉で、明日香の表情がにわかに変わったことを。

 気づかないまま、言葉を続ける。

 

「けど、俺はそんな簡単に許されちゃいけないことを――」

「――十代、あなたは勘違いをしているわ」

 

 微かに怒気を滲ませた声が耳に届き、はっとして十代は明日香を見る。

 そこには真剣に怒りを湛えた瞳があり、真っ直ぐに十代を見据えていた。

 思わず気圧されて固まる十代。その襟をつかんで、明日香は無理やり顔を近づけた。まったく見当違いな心配をしていたこの男に、言ってやらなければ気が済まない。そんな表情で、明日香は一気にまくし立てる。

 

「私たちが、苦しむあなたを慰めるだけの都合のいい人間だと思うの? だとしたら、それはあなたの思い違いよ十代! あなたが間違っていたら、私は張り倒してでもあなたを止めるわ! 本当に許されないことをした時は、あなたが許しを願っても私はその罪をなくすようなことはしない! たとえあなたに嫌われてもよ!」

 

 ただ十代だからと全てを受け入れるなんてことはない。それは結果的に本人のためにはならないからだ。だから、間違っていることにはきちんと否を突きつける。

 

 それが、

 

「――仲間でしょう! 今のあなたの言葉は、私たち全員への侮辱よ!」

 

 ただ盲目的に十代を肯定するのなら、それはもはや信徒と呼んだ方が的確だ。自分たちをそんな人間だと思っていたのなら、それはこれ以上ない自分たちへの侮辱だった。

 明日香の目は、もしそれが本心なのだとしたら許さないと語っていた。その本気の怒りを前に、十代も自分が何を言ったのかを悟る。

 当然、十代だって心からそんなことを思っているわけではなかった。自分だって皆のことをかけがえのない仲間たちだと思っているのだから。

 だが、やはり思考が自責に囚われていたのだろう。今回の事態の原因を作った自分が、楽になってはいけないと十代は強く思いこんでいたのだ。

 だから、自分にとって居心地がいい場所――仲間たちのところに自分は居てはいけないと思ってしまった。その理由付けが、さっきの言葉だったのだ。

 しかし結局本心ではない言葉など薄っぺらなものに過ぎない。明日香の怒りを買うだけで、結局自分自身すら騙しきれなかったのだから。

 次に口にする言葉次第では許さない。そう書いてある明日香の目を見て、十代は心からの謝罪をした。

 

「……ごめん、本当に」

 

 その言葉は紛れもない本心だった。弱気になって、仲間ですら自分の気持ちに嘘を吐く言い訳に使って。何をやっているのだろうか、と十代は自分が情けなくなった。

 そしてその言葉に嘘はないと判断したのだろう。明日香は掴んでいた襟を離し、少しよれてしまったそれを軽く直すと十代に頭を下げた。

 

「……いいえ、私こそ怒鳴ってごめんなさい」

「明日香が謝る必要はないって! ……やっぱ、駄目だな俺。去年といい今といい、遠也や明日香に言われないと、こんなになっちまうんだから」

 

 自嘲気味に笑い、十代は顔を上げて空を見上げる。うっすらと空の端が橙色に染まり始めた天の中、数個の雲が悩みなどないかのように穏やかに流れている。

 何となくそれを目で追う十代に、明日香は小さく笑って肩を寄せた。

 

「十代、そんなことないわ。いつだってあなたの姿に、私たちは勇気づけられてきたもの。けれど、受け取ってばかりで満足するほど私たちは殊勝じゃないのよ。私たちだって、あなたを助けたい。そういうものでしょう?」

「ああ、そうだな。……仲間、か」

「ええ。今はあなたも一杯一杯でしょうけど……でも、忘れないで。私たちは仲間なのよ十代。私が言いたいのは、それだけだわ」

 

 これで自分が言いたかったことは言い切った。十代がどんな結論を出すのかはわからないが、きっと私たちが十代の側にはいるのだということは伝わったはず。

 なら、あとはもう十代に任せるしかない。簡単に解決するような悩みではないだろう。それほどまでに、遠也たちを失った事実は十代にとっても大きいはずだ。これからきっと、十代はまた悩むはずだった。

 なら、その場に自分がいては邪魔になるだけだろう。既に言って聞かせたいことは全て言ったと判断した明日香は、悩む十代の邪魔になってはいけないと立ち上がろうとする。

 しかし、その動きは十代が明日香の腕を掴んだことで止められた。不意打ちで触れた肌に心臓が一度鳴ったことを自覚しつつ、明日香は一体どうしたのかと十代に問いかけた。

 すると、十代は呟くような声音で言葉を選びつつ話し始める。それは、どう言葉にしたらいいのかわからない気持ちを整理して形にする作業のようでもあった。

 

「……やっぱり、俺は自分のせいだって思いは捨てられない。けど、だからってこのまま落ち込んでいたって、どうしようもないんだよな……」

 

 言い聞かせるような言葉に、明日香はただ静かに付き合う。

 いま十代は、心の中にある自分の決意を表に出そうとしているのだとわかったからだ。徐々に形を為し始めた言葉は、次第に強い語調へと変化していく。

 

「自分を責めていたって過去は変わらないし、遠也たちは戻ってこない。なら、俺は動くしかないんだ」

 

 言い切り、十代は明日香と正面から向き合う。

 既に自分の中で結論は出ている。ならば、後はそれを言葉という形でしっかりと示すべきだと十代は思った。こうして自分のために話をしに来てくれた明日香への、それが礼儀だと思った。

 

「――遠也とヨハンを助ける。あの二人はきっと無事に生きているはずだ。だから、俺はまず二人を助ける」

「それは、自分が原因だから?」

 

 そこからくる責任感がそうさせるのではないか。

 鋭く指摘してきた明日香に、手厳しいなと内心で十代は苦笑した。

 

「それもあるかもしれない。けど、それだけじゃないぜ。――忘れてたんだ、自分を責めることより大事なことがあったんだってさ。親友を助ける。理由なんて、友達だからで充分だ。だろ?」

 

 自分を責めていたって、結局満足するのは自分だけだ。それよりもずっと大事なことをすっかり失念していた自分に十代は呆れるより仕方がない。

 自分が原因だろうと、そうでなかろうと、まず真っ先にするべきことは最初から決まっていたのだ。

 友を助ける。

 ユベル、過去の自分のこと、それはすべて自分のことに他ならない。それよりも仲間のほうがずっと大切であるというのに、なぜそれに気づかなかったのか。

 もちろん、それらを蔑ろにするわけではない。単に、優先するべきことが何であるかを自覚しただけだ。そして自覚したなら、あとは行動するだけだ。

 十代は座り込んでいた状態から立ち上がった。

 

「何をどうすればいいのかはわからないけどさ。俺は絶対にあの二人を助けてみせる。全部、それからだ」

 

 そう言う十代の瞳には、先程までにはなかった強さがあった。これまでずっと明日香が見てきた目である。そのことに嬉しさを感じつつ、明日香もまた立ち上がった。

 立ち上がった明日香は、十代が自分をじっと見ていることに気が付いた。気になる男子に見つめられて照れないほど、明日香は異性に耐性があるわけではない。気恥ずかしさから、「な、なに?」と素っ気ない言葉を返せば、十代は自然な微笑みでそれに応えた。

 

「ありがとな、明日香。お前がいてよかった」

「私は……去年、あなたに斎王の洗脳から助けてもらったし、その、借りを返しただけよ。それに、ほら、仲間同士なんだから助けるのは当たり前だわ」

 

 純粋な感謝がむずがゆく感じて、明日香はぷいっと顔をそむけて答えを返す。

 そしてそんな明日香の様子に、十代は珍しく鋭さを発揮した。

 

「なんだ、照れてるのか?」

「照れてない!」

 

 さらっと言われた図星にすぎる指摘を、明日香は即座に否定する。

 しかしあまりにもあからさますぎたのだろう、十代は一層確信を深めて頬を赤くする明日香を見る。

 その視線から逃れるように背を向けた明日香は、「もう行くわ! それじゃ!」と言い残して歩き出してしまう。

 それに十代は慌てたように追いすがった。別々に戻ろうと特に不都合はなかったが、一緒に戻ることにも不都合はない。なら、せっかく一緒にいるのだし二人で行けばいいじゃないか。

 そう考えて十代は明日香の隣に並び、自分とほぼ背丈の変わらない明日香の横顔を一瞥した。

 まだ少し白い頬に赤みを残した明日香は、十代に視線を向けることなく前を見て歩いている。十代とて一般的な美醜の感覚は持っており、明日香の顔が一般的には美人に分類されるのは何となく知っていた。しかし、こうしてじっくり見るのは初めてのことかもしれなかった。

 正直、一年生の頃からずっと一緒にいるため、既に見慣れたと言ってもいい顔だ。しかし、張り倒してでも自分を止めると言い切った時の顔は、なんだか少し違うような感じがした。

 明日香の怒り顔だって見慣れているはずなのになぁ、とよく怒られている自覚がある十代はその微妙な差異に首を傾げる。

 しかし結局まぁいいかと気にしないことにし、十代は「なぁ」と隣の明日香に声をかけた。

 それに「……なにかしら」と若干の間を置いて拗ねたように返してきた明日香に、十代はもう一度心からの言葉を贈った。

 

「ホント、ありがとな」

 

 真摯な響きを持った言葉。

 明日香もそれを察してか、ふっと笑みを顔に乗せて応えた。

 

「ええ、どういたしまして」

 

 柔らかな表情で言われたその言葉がなんだか照れくさく感じて、十代は指で軽く頬をかいた。明日香はそんな十代に小首をかしげたが、十代が「なんでもない」と言えば、そのまま視線を前に戻した。

 自責の念が消えたわけではない。しかしさっきよりも格段に心に余裕を持つことが出来た十代は、横を歩く明日香の存在に感謝しつつ決意を新たにする。

 

(……遠也、ヨハン。絶対にお前たちを見つけ出す!)

 

 何よりも優先すべきは二人のこと。そう決めた十代の心に、迷いはない。

 拳を握りこみ、力強い顔つきになった十代。隣の明日香はその姿をちらりと盗み見ると、嬉しそうに口元を綻ばせるのであった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 十代の調子が戻ったということは、レッドの食堂に当人が明るく入ってきたことですぐに皆の知るところとなった。

 かなり落ち込んでいるようだというのは聞いていたから、一緒に入ってきた明日香には全員が「さすが」と言いたげな目を向ける。それを受けた明日香はいきなり全員に見つめられて訳も分からず怯んでいたが。

 そして吹雪はそんな皆の様子に自慢げになり、「ほら、言った通りでしょ? さすがはマイシスター、やっぱり愛の――」と何か言おうとしたところで急接近した明日香に張り飛ばされた。

 そんな一幕はあったものの、十代の復調は皆にとっても歓迎すべきことだった。やはり十代は皆の中心というイメージがあったし、遠也とヨハンを見つけ出すためにも十代の力が必要になる時はあるだろうと誰もが思っていたからだ。

 そう、遠也とヨハンを助けるという思いはこの場にいる全員に共通していた。ただ一つ、十代のことがネックだったが、それもいま解決している。

 

 ならばあとは動き出すだけ。

 

 そう全員が考えたところで、食堂の扉が開かれる。突然の来訪者に一斉に視線が向けられ、その視線を受けたその人物は「みんな、ここにいたか」と僅かに笑む。

 

「三沢くん。確か、博士のところに行ってるんじゃなかったの?」

 

 翔がそう問いかければ三沢は頷いて、その後真剣な面持ちになって声を発した。

 

「実は博士と今回の件について検証している中で、あることがわかったんだ。それを皆に知らせるため、俺はここに来た」

「あること、ってなんだドン?」

 

 剣山が先を促すと、三沢は重々しく頷いて口を開いた。

 

「――今日の夜、この島で再び次元の歪みが起こることがわかった。今は次元が不安定になっているからな。今回はアカデミアごと飛ばされるほどのものではないが、しかし注意喚起をする必要はあるというわけだ」

 

 その言葉に、真っ先に反応したのは十代だった。テーブルから身を乗り出し、三沢に詰め寄る。

 

「それって……まさか!」

「そう、異世界への扉がまた開くかもしれないということだ。尤もたとえ開いたとしても前回と同じ異世界に繋がっているわけではないはずだ。だが、これを逃せばもう異世界に行く機会はなくなるだろうな」

 

 異世界でユベルによって姿を消した遠也とヨハン。二人を助けるには、再び異世界に行くしかない。しかし、異世界などそうやすやすと行けるところではないため、十代は助けるとは決めても具体的な方法については白紙のままであった。

 そんな状況の中で飛び込んできたこの情報。十代は遠也たちへの道が明確に繋がり始めたように思えて、今にも向かいたい衝動を抑えることに苦労するほどだった。

 そんな十代を一瞥し、万丈目が三沢に向き合う。そして、やれやれとばかりに肩をすくめた。

 

「三沢。そんな言い方をするということは、俺たちがどういう行動に出るのか、もうわかっているみたいだな」

 

 その言葉に、三沢は苦笑する。

 

「ああ。皆なら、遠也たちのために動くだろうと思っていた。だが、改めて言うぞ。扉が開くかもわからんし、開いたとしてもどんな世界に繋がっているのかはわからないんだ。帰ってこれる保証もない。それでも、行くのか?」

 

 全員の真意を確かめるかのように、三沢は一人一人の顔を見渡していく。しかし、やがて三沢は溜め息をついて目を閉じた。誰も否定の言葉を口にしなかったのである。

 全員が全員やる気であると理解し、三沢は呆れたように天を仰いだ。

 

「まったく……俺も含めて皆、もう少し慎重になるべきだぞ。今度こそ帰ってこれないかもしれないのに」

「Hey。そう言う三沢だって、行く気満々じゃないか」

 

 ジムが指をさす先には、三沢が背負ったリュックがあった。明らかにどこかに出かける装備であり、この状況であればどこに行くつもりなのかなど考えるまでもない。

 三沢はその指摘に、気まずそうな笑みを返した。

 

「言っただろう、俺も含めてだと。それに俺はほら、異次元の調査も行わないといけないからな、うん」

「よく言うよ、まったく」

 

 エドが呆れたように突っ込み、皆が小さく噴き出す。

 この場にいる誰もが、遠也とヨハンの無事を願っている。思いを同じくする仲間がいるという心強さを改めて感じつつ、十代は叫んだ。

 

「よし、行こうぜ皆! 異世界へ!」

 

 絶対に助け出してみせる。そんな決意を乗せた言葉に、誰もが強く頷いて応えた。この仲間たちがいるなら、きっと何でもできる。そんな確信にも似た気持ちを抱きつつ、十代は全員の顔を見渡した。

 そして、あれ、と少々間の抜けた声を漏らした。

 

「……マナは?」

「そういえば。どこに行ったんだろうねぇ?」

 

 吹雪が疑問を受けて首を傾げる。いつの間にか食堂の中からマナの姿が消えていたのだ。皆もいついなくなったのかと首を捻る。

 しかし今は夜の予定を決める方が先決だと、マナには後で連絡することを決めてひとまず全員でテーブルを囲む。三沢の情報を元に、何時に集合するのか、必要になるだろうものなど、彼らは念入りに話していくのであった。

 

 

 

 

 

 ――そして来る約束の時。

 

 それぞれ荷物を詰めたリュックを背負い、彼らは次元の歪みが最も強いとされる場所へと集まっていた。

 十代、万丈目、翔、剣山、三沢、明日香、吹雪、カイザー、エド、ジム、オブライエン。この場に集まったのは、この十一人であった。

 レイに声をかけるかという話も出たのだが、高等部一年とはいってもまだ十三歳である彼女にこれほどの無理は強いられないということでレイに今回のことは知らされていない。この点に関しては、全員一致であった。

 そのため、ここに集まったのは十一人。そんな中から、プロであるカイザーとエドを除く九人が前に出る。

 先にこの場に来て調査していた三沢の話から、どうもこのままでは異世界への扉は開かないと知らされていたからだ。ゆえに、どうにかして歪みに強い力を当てて異世界への道を繋ぎ、安定させなければならない。

 ならばどうするのか。幸い次元の歪みのせいかデュエルエナジーがこの場には多く、モンスターの実体化すら出来る可能性があるという。各々のモンスターを実体化させ、エネルギーの照射を行う。それが三沢の出した案であった。

 カイザーとエドを残しているのは、何が起こるかわからないためいざという時のサポートとして控えていてもらうためだった。そして、もし九人の照射で足りない時は二人にも参加してもらう。

 三沢が提案したこの作戦に異を唱える者はいなかった。

 

 そしてついに、作戦が実行に移される時が来た。

 九人がエースカードをその手に持つ。そして、揺らぐ空間に向けてそれぞれのカード名を高らかに宣言した。

 

「来い、《E・HERO ネオス》!」

「《XYZ-ドラゴン・キャノン》!」

「《スーパービークロイド-ステルス・ユニオン》!」

「《超伝導恐獣スーパーコンダクターティラノ》!」

「《ウォーター・ドラゴン》!」

「《サイバー・エンジェル-弁天-》!」

「《真紅眼の黒竜レッドアイズ・ブラックドラゴン》!」

「《古生代化石騎士 スカルキング》!」

「《ヴォルカニック・デビル》!」

 

 九人が宣言すると、それに従ってそれぞれのエースが実体となって現れる。

 それを確認すると、全員が全員歪みの中心を指さして、攻撃の指示を下した。

 瞬間、九つのエネルギー波が歪みへと襲い掛かり、その衝撃は強風となって周囲に吹き荒れた。歪みにてぶつかり合うエネルギーはその強さ故にスパークを起こして互いに互いの力を強めあう。

 しかし、歪みの揺れこそ一層強まったものの、扉が開くまでには至らない。それを見てとった三沢はもうひと押しをカイザーに頼むべく振り返ろうとし、突然上空から降ってきた声にその動きを止めた。

 

「――いっくよぉ! 《黒魔導爆裂破(ブラック・バーニング)》!」

 

 黒色の魔導波が上空から降り注ぎ、歪みに対して更なる圧力が加えられる。ハッとして全員が空を見れば、そこには地上に向かって杖を振り下ろしている見慣れた魔術師の少女の姿がある。

 

「マナ!」

「ちょっとある人の見送りをしてて遅れちゃったけど、私も協力させてもらうよ!」

「ああ、頼もしいぜ!」

 

 小さくウィンクをしたマナが十代の隣に降り立つと、十代はそんなマナに信頼の言葉を返す。そして再び十代たちは強く強く「開け」と念じ始めた。

 

 そして、その祈りは時を待たずに叶えられる。

 

 歪みの中心の揺れが唐突に収まった直後、眩い閃光が放たれたのだ。

 目に見えた変化に三沢が「開いたぞ!」と声を上げれば、誰もが喜びの声をそれに返した。

 放たれた閃光は輝きを増し、巨大な光の柱となって姿を現す。その美しさに誰もが目を奪われる中、その光の柱は急速に拡大を始め、その場にいる全員を飲み込み始めた。

 悲鳴を上げる間もなく光の中に誘われた彼らは、やがて落ちるとも吸い込まれるとも表現できる不思議な引力の中にいることを自覚する。

 周囲を光に包まれたその空間こそが、異世界へと繋がる道であった。しかしそれを理解する前に、ただひたすらに一方向へと引っ張られ続ける乱暴な感覚に、彼らは意識を失うのであった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 同時刻。

 

 森の片隅で通常よりも一回り以上大きい純白のD・ホイールに、パラドックスはまたがっていた。

 既に壊れていた箇所は修理を行っており、問題なく稼働する。わずか数時間でここまで仕上げることが出来たのは、やはり科学者であり技術者であるというその保有するスキルゆえか。

 そんなパラドックスだが出発する直前で森の奥にて突如立ち上った光の柱に振り返っていた。恐らくは再び異世界へと向かうべく十代らが何かしたのだろうと当たりをつける。だが、だからどうしたのかとパラドックスは再び前を向いた。

 懐から取り出した仮面をつけ、モーメントの様子を軽く確かめる。返ってくる反応に問題はないと判断したパラドックスは、地面から足を離した。

 ついさっきまでこの場にいた精霊――マナのことをパラドックスは思い返す。どうやらパラドックスがどこに行ったのかを探していたらしいマナは、ほぼD・ホイールの修理を終えたパラドックスのところにやって来たのだ。

 話を聞く義理はなかったが、しかしD・ホイールの調子を確かめる片手間になら聞いてもいいと判断し、パラドックスはマナの言葉に耳を傾けた。

 

 曰く、遠也を今でも殺す気なのか。また、遠也のことをどう思っているのか。

 そして、レインという少女を助ける方法を何か知らないか、と。そういったことをマナは言っていた。

 

 それらの問いにパラドックスが答えたのは、単なる気まぐれに過ぎなかった。あの男と関係が深い精霊だからこそ、とも言えるかもしれなかったが。

 二番目の問いには、イエスと答えた。パラドックスにとって、あの程度の生体機械人形などすぐにでも直せるような存在だ。尤もレインというその個体の管轄はゾーン直轄であるので、パラドックスが勝手に手を出すわけにはいかないが。

 その話を聞いたマナは、ただひたすらに頭を下げてパラドックスに頼み込んだ。どうかレインを助けてほしい、と何度も何度も繰り返して。

 

 そして一番目の問い。それに対するパラドックスの答えは――。

 

(遠也、このまま消えることは許さん……!)

 

 パラドックスは怒りにも似た強い気持ちで、皆本遠也という男の姿を思い浮かべる。

 自分に打ち勝ち、唯一の可能性を否定し、新たな可能性の道を示した男。その男が、何の結果も残さずに消えるなどパラドックスとしては我慢ならないことだった。

 

 それでは――……それでは、業腹ながらも希望のようなものを感じてしまった自分が馬鹿みたいではないか。

 

 認めがたい事実をパラドックスは最早認めざるを得なかった。自分にはない何かをこの男は為すのではないか。もっと違う未来へと運命を変えてくれるのではないか。

 

 ――この男がいるなら、未来を新たな形に変えてゆけるかもしれない。

 

 そんなことを思ってしまったという事実。ならば、認めなければなるまい。自分はきっとあの男に希望を感じていたのだと。

 なればこそ、このままでいいはずがない。自分にそんなモノを残すだけ残して、無責任にも姿を消すなど認められるわけがない。

 

 モーメントの回転する音が大きくなる。森の中から高速で飛び出したパラドックスのD・ホイールはそのまま平原を突き抜けて崖の先から海へと飛び出した。

 しかし海面へと着水することはなく、機体ごと細かな光の粒子に包まれたパラドックスは、やがて光に包まれるようにその姿を消したのであった。

 

 

 

 

 




少々特殊な作りになっている今話ですが、要するに冒頭が遠也の過去となっております。
そしてその後に本編の時間軸。あと数話はこのような形での進行になると思います。

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