遊戯王GXへ、現実より   作:葦束良日

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第66話 進行

 

 遠也が戻ってこないまま迎えた朝。十代たちはやはり姿が見えない友の姿に気を落としていたが、それを感じさせないように皆の前では振る舞っていた。

 

 今はただでさえ非常事態。生徒たちの精神も、不慣れかつ危険と隣り合わせなこの環境の中でだいぶ参ってきている。そんななかで不安な顔をしていれば、一気に彼らの気持ちも負の方向へと傾いてしまうことだろう。

 だからこそ、何か思うことがあっても十代たちは何でもないように見せるしかなかった。良くも悪くも彼らは目立つのだ。その彼らが率先して不安の色を出すわけにはいかない。

 

 十代は内心そのことを少し煩わしく思うが、必要なことだとわかっているので否はない。ただ、昨日の時点でそれが出来たマナのことが十代には気がかりだった。

 自分と同じかそれ以上に心配しているだろうマナは大丈夫なのだろうか。

 視線の先では、マナが怪我から回復して目を覚ましたレイに遠也の姿がないことを静かに説明している。レイが遠也の姿がないことに疑問を持ったからだろう。驚いた顔をするレイに向けるマナの顔には、やはり少しの陰りが見えた。

 それを見て、十代は思う。やっぱりマナも遠也のことが心配でたまらないのだと。そして、改めて思った。なんとしても、この状況を打開して元の世界に戻ってみせると。

 もちろん、戻る時は全員一緒だ。そう気持ちを新たにしていると、そんな十代にヨハンが声をかけてきた。

 

「十代、クロノス先生の生徒数チェックが終わったぞ。昨夜の時点で体育館にいた生徒は全員いるってさ」

「そうか、よかった」

 

 知らずいなくなっていた人間がいないことに、十代はほっと息を吐く。この異常な状況で単身離れてしまう危険は、十代にだってわかることだった。

 しかし、胸を撫で下ろした十代とは対照的にヨハンの顔は厳しいものだった。

 

「……いないのはゾンビ化したと思われる生徒たち。そして、遠也とマルタンだけだ」

 

 その言葉を聞いて、喜びを見せていた十代の表情も曇る。

 ゾンビ化した生徒たちはもとより、遠也とマルタンの名がその表情をさせたのだ。

 遠也については言わずもがな、昨日からどうなったのかが分かっておらず心配が尽きない。更にマルタンについては、以前から行方不明となっており特に仲が良かったレイが気にかけている生徒であった。

 しかしそのマルタンに、マナとパラドックスは昨日食糧保管庫の前で会ったという。そしてその時の話によれば、現在の事態の元凶は自分であると語ったらしい。

 友であり仲間の安否、そしてマルタンの言葉。いったい何がどうなっているのか、十代たちは頭を悩ませているのだった。

 そんな時、二人のもとにジムやオブライエン、万丈目に剣山といった面々が集まってくる。パラドックスも、現時点での情報を知るためかその輪に加わろうとやってきた。

 更に、女性陣――マナと明日香に付き添われてレイも十代のところに来る。そして不安げな目で十代を見上げた。

 

「十代さん、遠也さんとマルっちは……」

 

 自分を見上げる瞳に心配の色を見てとり、十代は一瞬言葉に詰まる。

 マナと明日香が上手く説明してくれたのか取り乱すことはしていないようだが、それでも思い人と友人の無事がわからないことはレイに負担をかけているのだろう。まして、友人であるマルタンが今の状況に一枚噛んでいると聞けば、レイの性格なら気に病まないはずがなかった。

 それを察し、十代は努めて笑みを見せる。少しでも安心してほしいという彼なりの気遣いだった。

 

「大丈夫だって、レイ! 遠也もマルタンも、何とかしてみせる。すぐに前みたいに一緒にいられるようになるさ!」

 

 根拠はない。だが、明るくそう言い切った十代の姿には、何故かそう思わせる不思議な魅力があった。

 レイもそれを感じたのか、十代の言葉に微かな笑みを見せる。それは他の面々にも同じであったようで、勢いのいい言葉にヨハンやジム、オブライエン達もふっと気を緩ませた。

 

 ――その時。

 

『あー、テステス。ふふ、なーんてね。聞こえるかい、遊城十代。それに生き残った生徒諸君』

 

 突如体育館内のスピーカーから響いてきた声に、館内にいる誰もがおもむろに顔を上げる。

 その中で、特に今の声に強く反応したのは六人。十代、ヨハン、レイ、それにマナとパラドックス。最後にナポレオン教頭。この中で前者五人にはある共通点があった。

 

「この声、加納マルタンか!?」

 

 それは、マルタンの声を聴いたことがあるということ。

 無論それだけならもっと多くの人間に当てはまるだろう。しかし、彼の声に意識を傾けて聴いた者、という意味で考えればその数はぐっと少なくなる。

 十代とヨハンはレイの友達ということで一度会っているから記憶に残っていた。マナとパラドックスはつい昨日に聞いた声だ。その出会いが衝撃的だったこともあってよく覚えている。レイに関しては言わずもがな。友人の声を聴き間違えるはずもない。

 そんな中、学園でも特に接点がなかったナポレオン教頭が反応したのは意外と言ってもよかっただろう。しかしその顔に浮かぶ驚愕と心配、そして安堵の感情は、注意深く見る者がいればこの場の誰よりも深いものであると感じたに違いない。

 その稀有な六人の中で驚きの声と共に名を呼んだ十代に、マルタンは『へぇ』と感心したような声を漏らした。

 

『そういえば君も僕と会ったことがあるんだったね。ふふ、そうだよ十代。君の言う通り、僕は加納マルタンだ』

 

 含み笑いと共に十代の誰何に肯定を返す。スピーカーから聞こえてきたその返答に、ナポレオン教頭やレイは大きく目を開いて驚きを表した。

 

「マルっち……! どうして、こんなことを……」

 

 信じられないといった様子でレイがマルタンを呼ぶ。レイにとってマルタンとは内向的で押しが弱いという印象の男の子だ。とてもではないがこんな大事を起こせるとは思えない。

 それゆえの言葉だったのだろうが、しかしマルタンはそんなレイの心配とは裏腹に、返ってきたのはまったく平静な声だった。

 

『マルっちはやめてほしいなぁ。これでも僕はこのマルタン帝国の王なんだからさ。もっとも、臣下はゾンビばかりだけどね』

 

 最後には軽く自嘲するような響きも持たせた気負いのない声ものぞかせる。

 そして同時に、マルタンはどうやってかこちらの状況をリアルタイムで把握しているようだと誰もが悟る。十代の誰何、レイの言葉、それらに的確な返答をしたのがその証拠だった。

 言葉が聞こえているなら話は早い。そう判断した十代は、早速自分の中から溢れる勢いに従って口を開いた。

 

「マルタン! マナとパラドックスからお前が黒幕だったことは聞いたぜ! 遠也と翔はどうしたんだ!」

『ああ、あの二人かい? そんなことは知らないよ。まぁ、おおかた二人仲良くゾンビにでもなってるんじゃない? いくら彼が強くても、何度も蘇るゾンビ相手に長く持つわけがない』

 

 それに、とマルタンは付け足す。

 

『デス・ベルトがあるから、勝ち続ければ疲労でどちらかは死んでしまう。お優しい皆本遠也に、友達を殺すことは出来ないだろうね』

 

 つまり、遠也が翔を生かすためには負けるしかないということ。ならば、遠也は負けるだろう。友人を大事に思う姿を知ったればこそ、マルタンの言う推測がその通りだと十代たちにも思えてくる。

 しかし、それは友達を思う尊い心があるからこそだ。自分たちの間に紡がれている友情、それあっての行動に違いない。

 ならばそれは決して薄ら笑いを浮かべて嘲るようなものではない。今のマルタンのように。

 十代は思わず虚空に響くマルタンの声に視線を鋭くさせる。まるでその場にマルタンの姿が見えているかのように、明確な対象への気持ちが現れた目であった。

 

『やだな、そんなに見つめないでくれよ十代。……いいよ、君の気持ちは分かった。君がどうしても彼らを救いたいなら、僕と賭けをしようじゃないか』

「賭けだって?」

『そう。僕は皆本遠也と丸藤翔の身柄。それから、君たちが手にし損ねた食糧も賭けようか。見返りは多い方がやる気が出るだろう?』

 

 食糧。

 その単語を聞いて、体育館中からざわめきが起こる。誰もが少ない食事に不満を持っていたからだ。

 これまで多くの生徒は、現状を思えば仕方がないと無理やり自分を納得させてきた。しかし、マルタンに勝てば食糧が手に入る。無理に少ない食事にする必要もなくなるのだ。

 その可能性は彼らにとって抗いがたい魅力にあふれていた。そのため、誰もが表情に期待を込めてマルタンの声に耳を傾ける。

 大多数がすっかりマルタンのペースに乗せられている事態にオブライエンが小さく舌を打つが、誰も気づくことはなかった。

 

「こっちが賭けるものは何だよ。あいにく、出すものなんか何もないぜ」

『そうだなぁ……じゃあ、君たちが確保している発電施設。あれがいいな』

「発電施設?」

 

 十代の頭の中に、校舎にほど近い場所に建つ鉄塔が浮かぶ。

 実は一年生の頃、十代はその発電施設に入ったことがあった。生徒たちを生け贄にして人間界に現れようとした《サイコ・ショッカー》を倒すことがその目的だった。

 発電施設の膨大な電力を利用して半実体化したサイコ・ショッカーには苦戦したものだと十代は当時を振り返る。休みの間の出来事であったので、本土に戻っていた遠也は知らない事件であった。

 その発電施設だが、校舎と共に異世界に来てから一度だけ十代たちは様子を見に行っている。しかし施設は大部分が砂に埋もれ、それによって故障してしまったのかウンともスンとも言わなかったのだ。

 つまり、現状あそこは使い物にならないのだ。修理に必要な部品も十分ではなく、専門の知識を持つ者もいない状況にいるのだから。

 

『悪くない条件だと思うけど?』

 

 マルタンが答えを促してくる。

 確かに悪くない条件だと十代は唸る。今のところ使いどころがない施設ならこちらに痛みは少なく、それで遠也や翔、食糧が手に入るのなら受けるべきだろう。

 だが、上手すぎる話だと十代は訝しむ。マルタンにメリットが少なすぎる気がするのだ。

 となれば、マルタンの狙いはなんだろうか。これほどまでの譲歩は、まるで俺たちが賭けを受けてくれないと困るみたいな――、

 

「何を悩んでるんだ、遊城!」

「そうだ! 早く返事をしろよ! 食いモンが手に入るんだぞ! わかってんのか!」

 

 なかなか答えを出さない十代に痺れを切らせたのか、多くの男子生徒が十代をせっつくように怒声を上げる。

 それにヨハンが落ち着けと呼びかけているが、どれほど効果があるかは疑わしい。それほどまでに空腹は彼らから余裕を奪っていた。

 十代は何かマルタンの意図に思い当たったような気がしたが、これ以上時間をかけるわけにもいかないと悟ってひとまず思考を切り上げる。賭けの前に内部から崩れては意味がないのだ。

 ジムなどは「電力の確保の可能性はまだある。遠也たちのことはあるが……発電施設は正直惜しい」と十代に言うが、しかし今の生徒たちや遠也と翔のことを考えれば、この提案を否定するわけにもいかないというのが十代の本心だった。

 だから十代は「わかった」と答える。が同時に、「ただし」と付け加えた。

 

「そっちが提案した賭けを受ける以上、こっちの提案も受けてもらうぜ!」

『へぇ、言ってみなよ』

「俺が提案するのは勝敗を決める方法さ。その方法は……デュエルだ!」

 

 当然とばかりに十代が言えば、スピーカーの向こうでマルタンは笑い声を漏らした。

 

『ふふ、君ならそう言うと思ったよ十代。いいよ、それじゃあ僕は正面玄関の先に相手を用意しておこう。その相手に勝てば、賭けは君たちの勝ちだ』

「その言葉、忘れるなよ!」

 

 そのやり取りを最後に放送は切れる。これによって、遠也と翔、それに生徒たち全員の悲願である食糧の確保が懸かったデュエルが行われることが決定した。

 もしこれで負けでもしたら、本当に暴動となりかねない。それほどまでに生徒たちはこの状況に追い詰められている。

 あらゆる意味で負けるわけにはいかない勝負。そのことを再認識し、十代たちは一層気持ちを引き締める。そんな中、ナポレオン教頭だけは動揺を隠せない面持ちで虚空を見つめ続けるのだった。

 

 

 

 

 そしてマルタンの放送からすぐ、十代たちはまだ無事な生徒を連れて正面玄関へと向かった。

 当初は少数の代表者だけを連れていくつもりだったのだが、ゾンビ生徒たちの姿が外に全く見えないことから急きょ大勢での移動と相成ったのだ。

 十代たちは彼らを連れていくことに渋ったが、食糧のことなどで気が立っている彼らは自分たちも勝負を見届けると言って聞かなかった。無理やり押さえつけて従わせることも出来たが、それをすると今後に甚大な悪影響を残す可能性がある。

 そのため、結局十代たちが折れて彼らも連れていくことにしたのだ。ゾンビたちがいればそれを理由に突っぱねることも出来たが、いないためにその理由もあまり効き目を持たなかったのだ。

 

 そうして通路を歩く中で、オブライエンは胸の中で疑念が大きくなっていくのを感じていた。

 正面玄関までのゾンビを排除してまで、自分たちを外に連れ出す理由とは何か。それに、こちらに利がありすぎる賭けの条件も気になる。

 こちらとしては大多数の生徒の意思もあり、従うしかないわけだが、しかしこうまでして今回接触してきたのは何故なのか。

 単に自分はこれほどの力があると誇示したいだけなのか。それとも、何か他に理由があるのか……自分たちを外へと出させたい理由……。

 そこまで考えてオブライエンはハッとした。ゾンビとなった生徒たちを排除し、それによって生徒たちの危機意識を薄れさせる。それによって食糧の行方が気になって仕方がない生徒たちが、ついていくことを主張するのは想像に容易い。

 となれば、俺たちは多くが外に出ることとなり中は手薄になる。つまり、マルタンの狙いは学園の中……もしくはマルタン自身が言っていた発電所。発電所は正面玄関からはほぼ反対方向だ。これが囮だとすれば、自分たちを反対方向へと移動させることは理に適っている。破格の条件は、ただのエサか。

 

「ッ十代!」

 

 それに気づいたオブライエンは、自分が思い至ったマルタンの意図を伝えようと十代に声をかける。

 

「どうしたんだよ、オブライエン」

 

 正面玄関を目の前にしたエントランスホール。そこで突然呼び止められた十代はオブライエンに振り返る。

 オブライエンは十代に近づくと近くにいた現状の中心人物全員を招きよせてゆっくりと歩く。そして、他の生徒たちに聞こえないように三人に自分の考えを語った。

 手短に話したオブライエンの言葉に、ヨハンとジムは難しい顔になる。オブライエンの語った推測は確かに納得がいくものだったからだ。

 となれば、このまま外に出るのは危険だろう。これが囮だとすれば、相手の目的は時間稼ぎだ。早々に開放してはもらえない事態になるはずだ。

 しかし。

 

「……厄介だな。わかっていても、俺たちは外に出るしかない」

「ああ。ここで引き返すなんて言ったら、皆が暴動を起こすぞ。今だって、食糧が手に入ると聞いて目がまるでBeastのようにギラギラしているんだ」

 

 そんな状態の彼らに、引き返すとは言えない。冷静に考えれば敵の術中にはまることへの恐ろしさがわかろうものだが、その冷静さが彼らにはない。食糧を得られるかもしれない可能性を投げ捨てるなんて言えば、たちまち彼らは統制を失って暴走するだろう。

 いま彼らが十代たちに大人しくついてきているのは、ひとえに十代たちがアカデミアで指折りの実力者だからだ。自分たちよりもデュエルに勝てる確率は高いと踏んだから従っているにすぎない。

 だからこそ、ここでデュエルを放り投げてしまえば、あとはもう収拾がつかない事態になることだろう。そうなれば本当に終わりだ。ゆえに、この賭けを受けないという選択肢は既にない。

 そしてその懸念を同じく抱くオブライエンは、ヨハンとジムの言葉に深く頷いた。

 

「ああ。無論こちらの考えすぎならそれでいい。だが、合っていた場合は最悪だ。マルタンの狙いは判らないが、学園内のどこかに向かうはず。一番可能性が高いのは発電所だが……」

 

 しかし、実際にどこを目指しているのかはわからない。ゆえに下手な行動を起こすことは出来ない。別行動をとるのも今の状況では危険である。

 どうしたものか。オブライエンが逡巡していると、突然十代の足元から「にゃー」と場違いなほどに平和な鳴き声が響く。

 全員が下を見れば、そこには十代の足にじゃれつくレッド寮の寮監でもある猫、ファラオがいた。

 

「ファラオ!? お前までついてきてたのか?」

 

 この大移動に紛れていたことに驚きながら言えば、不意にファラオから懐かしい声が響いて十代の耳を打つ。

 

『十代くん。マルタンくんのことなら、ファラオについていくんだにゃ』

「今のって……」

 

 二年前、何度も聞いた恩師の声。どうやら自分以外にも聞こえたらしく、聞き覚えのない声にヨハンたちは首を傾げている。驚いているのは他に、明日香と万丈目、それにクロノスとナポレオンの四人。レイも知っているはずだが、会ったのは短い期間だったのであまり覚えがないようである。

 そしてその声を発したファラオは、一瞬気を逸らした十代の足元を離れて走り出した。

 

「あ、お、おい!?」

 

 走り出したファラオに十代が戸惑いの声を上げると、ファラオのすぐ後に続いて走り出す男が現れる。

 

「な、ナポレオン教頭! どうしたノーネ!?」

 

 そう、ファラオの後を追って走り出したのはナポレオン教頭だった。突然の行動にクロノスは驚き、生徒たちの多くもいきなりのことに戸惑って教頭たちを止めることをしない。

 

「あの猫とマルタンは我輩に任せるのでアール! そっちのことは頼むのでアール!」

 

 いきなりの行動に驚いていた面々も、その言葉で我に返る。そういえばナポレオン教頭はマルタンの放送を聞いた時から様子がおかしかった。あまり気に留めていなかったが、それがこの行動に繋がったのだとすればそれが原因なのだろうが……しかし、無謀にもほどがある。

 それがわからない教頭ではないだろう。つまり、それだけ教頭にとってマルタンは特別な存在だということだ。間違いなく、二人には何らかの関係があると見ていい。

 そう考えればナポレオン教頭がこんな行動に出るのも分かるが、だからといって孤立してはマルタンをどうこう以前に教頭の無事すら危うい。

 

「ああもう、俺はナポレオン教頭を追う! 皆は遠也たちのことを!」

 

 十代はそう告げて走り出す。ファラオから聞こえた声。それは間違いなく大徳寺先生のものだった。先生がついていけと言った以上は、何か理由があるんだろう。恐らくはマルタンに関係することで。

 そう思考を巡らす十代だったが、背中に誰かがついて来ている気配を感じた。振り返れば、そこには追随して走るレイの姿があった。

 

「レイ!? おまえ、なんで……!」

「遠也さんのことは、気になるけど……。でも、マルっちはボクの友達なの! 友達がいなくなるのは、もう嫌だからっ――だから、ボクも行く!」

「レイ……」

 

 必死の形相で言うレイの脳裏に誰が思い浮かんでいるかなど、今更改めて問うまでもないことだった。

 去年、行動を共にしていた仲間が一人いまだに目覚めないことは、十代にとっても忘れられない事実である。そしてその眠り続ける彼女はレイにとって親友だった。だからこそ、友を失う恐怖をレイは誰よりもわかっているのかもしれない。そんなことを十代は思う。

 もし俺が同じように遠也を失ったら。一瞬そんな不謹慎な想像が浮かぶが、すぐに十代は頭を振って今の思考を追い出す。縁起でもないし考えたくもない想像だったが、しかしだからこそ実際にそれを体験したレイの気持ちを考えてしまう。

 だから、十代はただレイに向けていた視線を前に戻す。そして「遅れるなよ!」と一言かけると、レイはすぐさま「うんっ!」と返事をして十代に続く。

 そうして二人はすぐにナポレオン教頭に追いついた。ナポレオン教頭の体格は背も低く太り気味であるため、追いつくだけならば容易かったのだ。

 

「ナポレオン教頭! あんた一体マルタンとどんな関係なんだ!?」

「教頭、マルっちの放送を聞いている時も少しおかしかったですよね?」

 

 走り続けることも考え、教頭のペースに合わせて並走する十代とレイ。二人がそう尋ねると、ナポレオン教頭はぐっと言葉に詰まったが、やがて今更隠しても仕方がないと判断したのか重い口を開き始めた。

 

「……マルタンは、血を分けた我輩の実の息子なのでアール」

「…………ぇえ!? 息子ォ!?」

「でも、マルっちの名字って加納……」

 

 外見からはあまり想像できない繋がりに、十代が驚きの声を上げてレイがその名字が異なることに疑問を持つ。

 ナポレオン教頭はレイの疑問に「マルタンは別れた妻に引き取られたのでアール」と沈みがちな声で答える。別れたということは、色々あったということだろう。二人はそのことを慮り、それ以上突っ込んで聞くことはしなかった。

 教頭はマルタンのことを常に気にしていたが、妻に会うことを止められていたためこれまで頻繁に会うことは出来なかったらしい。しかしマルタンは進学先にデュエルアカデミアを希望し、ようやく日常的に目にすることが出来るようになったのだとか。

 とはいえ、やはり妻からの言葉もあり、教頭はマルタンとの接触を最低限に抑えていたようだ。それは、教師として息子だからという理由で生徒を優遇していると見られないためのものでもあった。

 しかし、一番大きな理由は――。

 

「……我輩は怖かったのでアール。もし長く放置してしまったことを息子に責められたら……息子に憎まれていたらと思うと、とても息子の前に立てなかったのでアール」

 

 だが、今こうしてマルタンがとんでもないことを起こしてしまったことに、教頭は本気で悔いているという。もっと自分が気にかけていれば、あるいはマルタンを止められたのではないかと。

 それこそが父としてすべきことではなかったのか、と後悔が募ると教頭は言う。

 

「しかし、もう恐れないのでアール。息子を救うためならばたとえ火の中水の中なのでアール!」

 

 その決意で、ファラオの後を咄嗟に追いかけたのだという。

 強い意志を秘めた目で走る教頭に、十代は大きな共感を覚えた。十代だって、遠也は皆を助けるために今こうしているのだ。対象が違うだけで、教頭の言葉は自分にも当てはまる。そう思った。

 

「へへ、カッコいいぜ教頭先生! なら、さっさとマルタンを見つけて止めてやらないとな! 先生は親として、俺は先輩としてさ!」

「あは、じゃあ、ボクは友達としてだね!」

「ムッシュ十代、マドモアゼルレイ……」

 

 二人の名前を感慨深げにつぶやき、ナポレオン教頭はこの事態になってもマルタンを責めない二人に深く感謝した。

 息子の周りには息子のことをこれほど考えてくれる者がいる。それがどれだけ得難いものであり、恵まれたことなのか。今すぐ息子に話したい。教頭は一層マルタンを何とかするという思いを強くした。

 その時、前を走るファラオの口からピンポン玉ほどの大きさの光る球がふわりと浮いて十代の隣に並ぶ。

 そしてその光の球は、やがて見覚えのある男性の姿へと変化していった。

 

『お話し中失礼するにゃ。十代くん、久しぶりだにゃ』

 

 長い黒髪を後ろで束ね、細い目は小さな眼鏡で覆われている。シャツにネクタイという格好も十代が知るそれと変わっていなかった。

 レイとナポレオン教頭は、すわ幽霊かと身構えたが、十代にとっては忘れられない恩師である。

 

「大徳寺先生……! なんで先生が!? 先生はあの時死んだはずじゃ……」

 

 十代にとって大徳寺は既に死んだはずの男だった。

 一年生の頃、三幻魔をめぐるセブンスターズ事件の中で、実は敵の一味であった大徳寺と十代はデュエルをしてこれに打ち勝った。

 しかし大徳寺の身体は既に滅びており、ホムンクルスを利用して生きながらえているだけだった。そのためデュエルで敗北した大徳寺は身体に限界が来て、死亡。それが十代が知る大徳寺の最期だったはずなのだ。

 しかし、大徳寺は言う。自分は完全に死んだわけではなかったのだと。

 

『私が死んだとき、天に昇るはずだった魂がファラオに食べられてしまったんだにゃ。それからはずっとファラオのお腹の中にいたのにゃ。……とまぁ、積もる話はまた今度。今はマルタン君のことだにゃ』

「先生が、なんでマルタンのことを?」

 

 十代が尤もな疑問をぶつけると、大徳寺は『実は』と前置きをして話し始めた。

 曰く、ファラオが見聞きしたことは中にいる大徳寺にも伝わるらしい。そして、実はファラオはゾンビ化した生徒たちに見つかっても何もされない稀有な存在だと大徳寺は言う。

 それというのも、ファラオはデュエリスト以前にそもそも猫であり、例え見つかってもデュエルが出来ない動物を彼らは気にも留めないらしいのだ。当然と言えば当然である。

 しかし、ファラオの中には大徳寺がいる。天才と称された頭脳を持つ人間が。

 そのため、ファラオが行く先々で大徳寺は多くの情報を掴んできたらしい。その中にはマルタンに関するものもあり、またマルタン本人の近くまでファラオが行ったこともあるようだ。

 その時にファラオはマルタンの匂いを覚えた。今ファラオはそれを探して走っているというわけだと大徳寺は語った。

 

『もっと早く伝えられれば良かったんにゃけど、ファラオは私が外に出るとすぐにまた食べてしまうんだにゃ。今はファラオも本能的に何か感じるのか、自由にさせてくれているけどにゃ』

「そうだったのか……」

 

 大徳寺の言葉に納得した十代は、先行するファラオを見る。ファラオは時おり頭を左右に揺らしながらひたすら走っている。恐らくはマルタンの匂いを探しながら走っているのだろう。まさかファラオがこれほど頼りに思えるなんて、と十代は小さく笑った。

 

『あ』

 

 唐突に大徳寺が声を上げ、どうしたのかと思う前に十代も大徳寺が声を上げた理由を知る。

 ファラオが突然曲がり角を曲がり、一目散に走りだしたのだ。今は先ほどまでのように頭を振ってはいない。つまり。

 

『マルタンくんの匂いを見つけたようだにゃ。さぁ、行くにゃ十代くん!』

「わかったぜ、先生! ナポレオン教頭、レイ! 行くぜ!」

「うむ!」

「うん!」

 

 その声に力強く答えを返す二人に頷きを返し、十代たちはファラオの後を追いかける。

 幸いと言うべきだろう、道中にデュエルゾンビと化した生徒たちの姿は見かけない。十代たちはこの機を逃してはならないとばかりに通路を走り抜け、ただただファラオの姿を見失わないように気を付ける。

 今頃は既に遠也たちと食糧を賭けたデュエルも始まっているはずだ。ヨハンたちはヨハンたちで頑張ってくれているはず。なら、自分もこちらでしっかり出来ることをこなさなければ顔向けできない。

 なにより既に自分たちを含めた多くの生徒にとってこの状況は限界なのだ。今の状況を生み出したのがマルタンであるとするなら、マルタンをどうにかすることでこの世界から抜け出す突破口になるかもしれない。少なくとも、可能性はゼロではない。

 なら、何が何でもマルタンを止めてみせる。俺たち自身のため、ナポレオン教頭のため、レイのため。必ずやり遂げてみせると十代は地を蹴る足に力を込めた。

 

 やがて十代たちは校舎を飛び出し、外に出る。やはりあちらは囮で発電施設が狙いだったのかと十代は考えるが、よく見れば周囲には何もなく、発電施設がある場所とは方角が違う。

 ならばマルタンの狙いとは一体? そう怪訝に感じたところで、先を走るファラオが「にゃー!」と強く鳴いた。ハッとして顔を上げれば、そこには砂漠の中で佇む小さな人影が一つ見えた。

 徐々に鮮明に、近づいていくその人影。ラーイエローの制服に、黒いマント。小柄な身体はレイにとっては見慣れたもので、十代にとっても見覚えがあった。

 

「――マルタンッ!」

 

 間違いなく、加納マルタン。十代たちはついにマルタンの元へとたどり着いたのだった。

 

「へぇ、まさか僕のところに君が来てくれるなんてね、十代。君が僕を求めてくれるだなんて、本当に嬉しいよ」

 

 必死に追ってきた自分たちとは全く異なる、余裕の笑み。さすがの十代もその表情には眉をひそめた。

 遠也と翔を一体どうしたのか。賭けの話は一体どうなった。なんでここにいる。

 聞きたいことは色々あった。しかし、十代はそれを口にしない。それよりもまずマルタンと話すべき者がいることを先ほど知ったからである。

 口を開かない十代のそんな気持ちを察したのか、件のマルタンと話すべき者――ナポレオン教頭は一歩マルタンへと歩み寄った。

 

「マルタン……一体どうしてしまったのでアール。こんなことは止めて、我輩のところに帰ってきてほしいのでアール」

「………………」

 

 いくらかトーンが低い、必死の懇願。しかし、そんなナポレオン教頭の言葉にマルタンは何も返さない。それどころか先程までの笑みを消し、無表情になってしまっているほどだ。

 そのことにナポレオン教頭の心は痛んだ。しかし、それも仕方がないと自嘲する。これまで妻に止められていたとはいえ、息子を放ったらかしにしていたのは紛れもない事実なのだ。その罪を教頭は自覚していた。

 しかし、だからといってそのままでいたくはない。許されるなら、再び親子として……。

 その思いから、ナポレオン教頭は言葉を続ける。

 

「我輩は臆病だったのでアール。お前に憎まれているかもしれないと思って、正面に立てなかった……しかし、今なら我輩は言えるのでアール。お前は我輩の大切な息子でアール! お前が苦しんでいるなら、たとえ何があっても我輩がお前を守る!」

「ナポレオン教頭……」

 

 真摯な決意を込めた言葉に、レイは教頭の強い意志を知る。

 これほどまでに息子を思う教頭の言葉は、他人であるレイをしても心に響くものだった。これならマルタンも、とレイは希望を抱く。

 

「これまで父親らしいことをできなかったことを許してもらおうとは思わないのでアール。けれど、これからお前の父として我輩は全力で――」

「ふふ、茶番だね。今更そんなことを言っても、もう遅いよ」

 

 しかし、レイの希望は露となって消える。

 マルタンはナポレオン教頭の言葉に全く感じることなど無いように、冷笑でもって応えたのである。

 これにはナポレオン教頭もやはりショックだったのだろう、「マルタン……」と力なく呟くとその力を入れていた肩が徐々に下がっていった。

 

「マルっち、本当にどうしちゃったの……?」

 

 自分が知る姿とは全く変わってしまったマルタンを、窺うようにレイは見る。

 もともとマルタンはそれほど明るい人間ではなかった。どちらかというと暗く、そして自分の中に不満を溜めてしまうネガティブな人間だったとレイも思っている。

 しかし、だからといって他人を傷つけることに愉悦を覚える人間ではなかった。むしろ相手の心を気遣うことが出来る人間だった。でなければ、何故しつこく構おうとする自分に付き合ってくれていたのか。

 マルタンはレイが自分を心から案じていると察したからこそ、強く拒否することはなかったのだとレイは思う。それはきっとマルタンの優しさの表れだったのだろう。

 しかし、今目のマルタンにそんな様子は見られない。そんな戸惑いの目を向けるレイの前で、マルタンは異形のものと化した左腕を掲げて陶酔したように声を発した。

 

「もはや何も僕には意味を為さない。ここで僕は更なる力を手に入れる!」

 

 直後、掲げた左腕を勢いよく振り下ろして地面に突き刺す。

 その瞬間、突き刺さった左腕を中心に吹き荒れる風。それによって大地を覆っていた砂が吹き飛び、赤茶色の地面が姿を現した。

 そして、マルタンはその地面に刺さった腕を駄目押しとばかりにぐっと突き入れる。

 それによって現れた変化は顕著だった。突き入れられた箇所から人など簡単に呑み込める亀裂が生じ、更にアカデミアを巻き込むほどの大きな揺れが一帯を襲い始めたのだ。

 

「な、なんだ!?」

 

 次第に大きくなっていく地震に、十代は体勢を整えつつ困惑の声を出す。

 そして発生した地震がひときわ強くなったと思った瞬間、岩盤を突き破って地中から巨大な七つの柱がせり上がる。

 マルタンや十代たちがいるところを中心に円を描くように突き出たそれらは、いわゆるエジプトのオベリスクというモニュメントの形をしている。

 そしてそれは、十代にとって非常に見覚えがあるものでもあったのだ。

 

『十代くん、ここは三幻魔が封印された場所の真上だにゃ!』

「や、やっぱこれって三幻魔の時の!? けど、三幻魔は俺と遠也が倒したはず……」

『確かに、十代くんと遠也くんのおかげで三幻魔は倒されたにゃ! けど、忘れたのかにゃ、十代くん! 三幻魔は再び封印されただけだったんだにゃ!』

「げ、そういえばそうだったっけ!?」

 

 三幻魔の事件に十代と同じく関わりを持つ大徳寺が、この場所の危険性を十代に伝える。十代に見覚えがあるのも当たり前だ。なにせここは一年生の最後に、遠也と共に三幻魔を倒したその場所だったのだから。

 そんな十代と大徳寺の会話を観察するように見ていたマルタンは、興味深そうにそれを見る。しかしやがて大徳寺への視線を強くすると、その眼光を鋭いものに変化させた。

 

「……変わった友達を連れているね、十代。だが、邪魔だ! 消えろ!」

 

 その両目から光が放たれ、その光は大徳寺の全身に余すことなく降り注ぐ。その光にいかなる効果があったのかは定かではない。しかし、その光に晒された大徳寺は薄れた身体を更にぼんやりとしたものにさせ、弱々しい声と共にファラオの中へと戻って行ってしまったのである。

 

「先生!」

 

 消えてしまった大徳寺に十代が呼びかけるが、返事はない。

 焦燥を滲ませる十代を満足げに眺め、マルタンは亀裂に向けていた左腕を抜いて立ち上がる。そして一度生じた亀裂の下を見つめると、顔を上げて十代に笑みを見せた。

 

「じゃあね、十代。彼らの力を得て、僕は更に強くなる。君のためにね……ふふふ」

「何を言って……マルタン!」

 

 十代の言葉が終わる前に、マルタンは亀裂の中へと身を投げた。

 慌てて十代が覗きこめば、中にはさらに下へと続く石造りの階段が設えられていた。恐らくは封印されている三幻魔の元へと向かうつもりなのだろう。

 三幻魔は世界を揺るがすほどの力を秘めたカード。その恐ろしさをかつて対峙した十代はよくわかっていた。

 

「くそ、三幻魔がこの世に蘇ったら大変なことになる! レイ、ナポレオン教頭! 俺はマルタンを追う! 二人はこのことを皆に!」

「う、うん!」

「ムッシュ十代! 息子を、息子をどうか……!」

 

 十代の言葉にすぐさま頷いたレイとは違い、ナポレオン教頭は縋るように十代の前で頭を下げた。

 闇の道へと向かう息子を、ただ見ていることしかできなかった自分。そのことに教頭がどんな思いを抱いているのか、十代にはわからない。しかし、マルタンのことを思って頭を下げる教頭の姿に、十代は力強く頷く以外の返答を持たなかった。

 

「ああ、任せろって! 行け、二人とも!」

 

 亀裂の中へと飛び降り、足場を器用に伝いながら十代は階段の中ほどに降り立つ。そしてそこから既に奥へと向かっただろうマルタンを追って十代は走り出した。

 また、レイとナポレオン教頭も十代の指示通りに他の皆の元へと向かうべく走り出す。動き出した事態に対処するには、まずは合流しなければ話にならないと二人ともわかっていた。脇目も振らずに二人はただ皆がいるだろう正面玄関を目指す。

 だからだろう、十代の後に亀裂に入り込んだ人間に二人が気付くことはなかった。外套を揺らして飛び降りたアモンの存在に。

 

 

 

 *

 

 

 

 十代たちと一時別れたヨハンたちは、正面玄関を抜けた先で待っていた三人の生徒を相手にデュエルを始めていた。

 相手は何の変哲もないデュエルゾンビと化した生徒たち。だが、それはつまり倒しても倒しても復活するということである。そのことからもこの賭け自体が時間稼ぎである可能性はより高まるとオブライエンは推察した。

 しかし、始まってしまったデュエルを途中で投げ出すことは出来なかった。そんなことをすれば、食糧が手に入ると信じている生徒たちが暴動を起こす可能性もあったからだ。

 だからデュエルを続けるしかない。オブライエンは後手に回っていることを自覚し、苦々しく思う。

つい先ほどの地震。何かが起こっているのは間違いないのだ。ならば、早々にこの茶番に終止符を打たなければならない。オブライエンは一層その思いを強くした。

 デュエルの相手をしているのはヨハン、ジム、オブライエンの三人。デュエル自体はさすがに各校のチャンピオンというべきか、ヨハン、ジムともに相手を圧倒し、そして今、オブライエンもその手に勝利を掴もうとしていた。

 

「――《ヴォルカニック・エッジ》で攻撃! 《ヴォルカニック・スラッシュ》!」

「うぁ……」

 

 

ゾンビ生徒 LP:1000→0

 

 

 ヴォルカニック・エッジの攻撃が相手生徒のモンスターを切り裂き、ついにそのライフを削り切る。これによってオブライエンの勝利が確定。デュエル・エナジーが抜かれる感覚に眉をしかめたオブライエンに、先んじて相手を倒していたヨハンが声をかけた。

 

「そっちも終わったか、オブライエン」

「ああ。だが、少し待て。最後の仕上げだ」

 

 オブライエンはそう返すと、厚手のズボンに取り付けられた複数のポケットの一つに手を突っ込む。

 そしてそこから太めのワイヤーを取り出すと、それで倒れた生徒三人を拘束し始めた。それを見て、ジムがパチンと指を鳴らす。

 

「なるほど、ワイヤーで三人を縛って行動を封じるのか! 確かにこれなら、復活してきてもデュエルできない」

「そういうことだ。尤も三人という少数が相手だったからとれる方法だが」

 

 そう言うそばから早速三人が目を覚ます。が、身体がワイヤーで縛られているため、ただ砂の上でじたばたともがくだけである。

 どうやら上手くいったようだとその様子を眺めていた三人は一つ息を吐きだし、改めて向かい合った。

 

「……やはりというべきか、勝ったっていうのに音沙汰がない」

「だな。オブライエン、お前の推測は当たっていたらしいぜ」

 

 デュエルを制したというのに、遠也と翔が解放される気配がないどころか、マルタンから何の知らせもない。そのことから二人はオブライエンが事前に語った可能性が現実味を帯びてきたことを実感せざるを得なかった。

 無論それはオブライエン自身にとっても同じこと。二人の言葉にオブライエンは複雑な表情で頷いた。

 

「出来れば当たって欲しくはなかったがな。とりあえず、俺は発電施設に急行する。奴の狙いはそこかもしれない」

 

 わざわざ賭けの対象に向こうから指定してきた場所だ。何かしらの手掛かりがあるかもしれない。

 オブライエンの考えにヨハンとジムも同意し、ならば急がなければと三人は少し離れてデュエルを見学していた仲間たちのところに戻る。そこでオブライエンがやはりこれは囮であり、今から発電所に向かうという旨を伝えた。

 すると、仲間の中から一人、長身の男が前に出た。

 

「オブライエンだったな、発電所に行くなら私が手を貸してやろう。……《真紅眼の黒竜(レッドアイズ・ブラックドラゴン)》!」

 

 男――パラドックスがカードをデュエルディスクに置くと、光と共に真紅眼の黒竜が翼をはためかせてその姿を現す。その威容の前で、召喚者たるパラドックスは腕を組んでオブライエンに視線を投げかけていた。

 

「そうか、そういえばあなたはデス・ベルトを着けていないんだったな」

 

 それはつまり、デュエルをしても全く影響がないということ。それにこれほどの強力カードの持ち主であり、遠也曰く実力も高いらしい。ならばいざという時にこれほど頼りになる戦力もない。

 オブライエンは瞬時にそう判断するが、一応は「いいのか」とその意思の確認を行った。すると、パラドックスはその眉を僅かに歪めた。

 

「ふん。遠也が戻ってこないなら、奴に直接聞くまでのこと。乗れ」

「――恩に着る!」

 

 パラドックスがこの場について来ているのは、ひとえに遠也が帰ってくる可能性があったからだ。それがなくなった以上、ここに留まる意味はパラドックスにはない。

 まだ他の場所に行った方が遠也と接触できる可能性は高く、更に言えば首謀者に直接会うのが最も手っ取り早い。それがパラドックスの考えであった。

 オブライエンにその内心を読み取ることは出来なかったが、しかし言葉に含まれる感情からパラドックスの本気を信じたのだろう。オブライエンはすぐに身体を低くした真紅眼にまたがった。

 

「私も行くよ!」

 

 同じくパラドックスも真紅眼に乗った直後、マナが勢い込んで真紅眼の横に浮かぶ。マナもパラドックスと同じく遠也の帰還の可能性が高い故にここに来た者だ。もちろんデュエルをすると言ったヨハンたちや生徒の皆が心配であるという気持ちもあったが……。

 それでも、依然安否がわからない遠也のことをマナが気にしないわけがなかった。その遠也にも関係するマルタンのところに向かうとなれば、否はない。強くパラドックスを見据えると、「勝手についてくるがいい」と言い残して真紅眼が飛び立つ。

 マナもそれに続いて飛び上がり、地上の皆に「それじゃ、いってくるね!」と言い残して真紅眼の後を追って行った。

 それを見届けた地上のヨハンを始めとした仲間たち。彼らもまた早速次の行動へと移った。

 

「よし、俺達も発電施設に急ごう! クロノス先生、鮎川先生!」

「なんなノーネ?」

 

 ヨハンの呼びかけに、クロノスと鮎川が反応を返す。この場で唯一の大人である二人に、ヨハンは正面から向き合って要望を伝える。

 

「お二人は生徒たちが勝手な行動に出ないよう見張りを。それからナポレオン教頭たちが帰ってきたら――」

「ヨハン君、あれを!」

 

 言葉の途中、ヨハンの背中越しに何かを見つけた鮎川が声を上げる。

 それにつられて全員が鮎川が指をさした方向に目を向けた。すると、その先には砂の丘を越えて走ってくる背の低い男と一人の少女の姿が見えた。ともに、この場の誰もがよく知る二人であり、さきほど十代と共に別行動をとった二人だった。

 

「ナポレオン教頭!? レイも!」

「どうしたんザウルス、二人とも!」

 

 明日香と剣山が走ってくる二人を迎えるために近づいていく。そして明日香の前に来た途端、走り続けた疲れが出たのかレイはその胸に向かって倒れ込んでしまう。

 レイの足元にいたファラオが心配そうに鳴き声を上げる。明日香は倒れ込んできたレイを優しく抱き留め、肩を荒く上下させるその姿を見る。隣では剣山も膝をついた教頭の背中をさすっていた。

 そんな明日香たちにヨハンたちも追いつく。そして同じくレイと教頭を見ると、やがて明日香の腕の中にいるレイは息も切れ切れながら必死に何かを話そうと口を動かした。

 

「み、みんな……実は……」

 

 ずっと走り続けだったからだろう、呼吸の合間からこぼれるような言葉で、レイは必死に自分が見てきた脅威を語る。そしてその内容に、全員が驚愕に目を見開いた。特に明日香や万丈目、三沢やクロノスはより顕著だった。

 後者の全員に共通すること、それは一年生時に起こったある騒動に関わっているということである。十代や遠也などここにいない彼らも深く関わった一年生時に起こった騒動――あわや世界の危機という状況にまでもつれ込んだ、かの名高き三幻神に匹敵するとまで言われる究極のカードの一角。

 すなわち、三幻魔。ある一人の老人の夢から始まった、二年度前の終わりにアカデミアで起こった未曾有の災厄。かつてはその災厄が世界に放たれる前に事態を収めることが出来たが、今もまたそれが出来るとは限らない。

 その脅威を正しく認識しているのが、明日香、万丈目、三沢、クロノスである。何せ彼らはその目で三幻魔を見ているのだ。そして、カードから生気を吸い取って力を増していく様も見ている。冷や汗が頬を伝うのは仕方がないことだろう。

 そして彼らのそんな様子は実際に三幻魔の脅威に触れていない者たちにも伝染する。三幻魔とはやはりそれ程の脅威なのだと間接的ではあるが悟り、ヨハンは力強く声を発した。

 

「急ごう、皆!」

 

 短い掛け声に誰もが重々しく頷き、走り出す。目指す場所はもちろん、オブライエン達が先行しているであろう発電所であった。

 

 

 

 

 ひとまずは生徒たちに落ち着くよう呼びかけると言って、ナポレオン教頭と鮎川先生は残ることとなった。

 ナポレオン教頭は特に走ってきて著しく体力を消耗しているのが原因だった。体型からわかるように運動は苦手らしく、疲れた身体でついていっても逆に迷惑をかけるだけと判断したようだった。

 同じく鮎川も体力も持久力も乏しい自分ではついていけないだろう、と言った。それならここで自分に出来ることをすると苦笑気味に主張したのだ。

 そのため二人を残して、ヨハン、ジム、万丈目、三沢、明日香、レイ、剣山、クロノスらは一路発電所へと向かった。

 発電所は正面玄関からはほぼ反対方向であり、その途中ではデュエルゾンビと化した生徒たちとのデュエルが予想されていたが、不思議とデュエルゾンビ達意に出遭うことはなかった。

 あるいは外を移動してきたのが良かったのかもしれない。校舎の中であれば、デュエルゾンビはたくさん残っているだろうからだ。

 ともあれ、なんの妨害もなくヨハンたちは迅速に発電所へと辿り着くことが出来た。これは間違いなく僥倖であった。

 そうして目の前に迫った発電所を見れば、どこか様子がおかしい。ヨハンらの記憶では発電所は使い物にならない施設であり、電気は全く生成できていないはずなのだ。

 しかし、いま発電所内の鉄塔同士を繋ぐ電線には電気による光を確認することが出来る。しかも、その光は人間の顔を映しているようにしか見えなかった。

 もしや……。そんな期待を胸に、彼らは発電所の中へと飛び込んでいった。

 

「オブライエン! パラドックス! マナ!」

 

 施設内で電線を見上げていた三人の背中に声をかけると、三人は揃って振り返る。見慣れた三人の元に駆けよると、早速万丈目が状況がわからないゆえの困惑を見せつつ口を開いた。

 

「一体どうなっている。あの電線に浮かぶ顔は何だ?」

「それが、わからないの。私たちが来てすぐに施設が復旧したみたいで、あれが映し出されて。たぶん、さっきの地震が原因だと思うんだけど……」

 

 万丈目の言葉に同じく困惑していたのだろう、マナの言葉も明瞭とは程遠かった。

 更にマナによると、施設復旧後に映像が映し出された途端、パラドックスが近くの機器を弄って直してしまったらしい。最初はノイズもひどく映像も途切れ途切れだったのだという。

 パラドックスは元々科学者であり、この時代の機械の修理程度ならばそれほど苦労することもない。

 ちなみにパラドックスが修理をした際、ならば最初から故障した発電施設を直してくれればとオブライエンは思ったが、もともとこの学園の関係者ではない者に責任を押し付けるべきではないと思い直して口を開くことはなかった。

 パラドックスが発電施設の復旧をしなかったのは、まず自分がPDAなどを使うことがなく自分に影響がなかったこと。そして異世界に来たという特異な現象から、施設がそもそも復旧可能な状態であるか疑問だったこと。なにより自分がそこまでする義理はないと判断したことにあった。

 確かに自分だけでは異世界からの脱出は容易ではないだろう。しかし、決して不可能というわけではないとパラドックスは思っていた。

 パラドックスは他の生徒と違ってデス・ベルトを着けておらず、デュエルに制約はない。更にその所有するモンスターは強力無比なものばかり。加えて自身も最高級の科学者であり、時間さえかければ帰還できるという自信があったのだ。

 十代たちに協力的なのは、単に一番それが手っ取り早いからだ。しかし絶対ではない以上、こだわる必要もない。そのうえ他人任せな多くの生徒を好意的に見れないパラドックスは、彼らのためにそこまでしてやる気にはなれなかったのである。

 しかしこうして目の前に脱出のためのヒントが転がり込んでくれば話は別だ。パラドックスは自ら修理に乗り出し、これに成功。声を聞き取ることすら困難だった映像を、かなり鮮明な状態にまでもっていったのである。

 

『聞こえておらんか!? そちらの声は届いておる! アカデミアの生徒の誰かではないのか!?』

「この声、そしてこのご尊顔……!」

 

 映像を見上げる皆々の中、三沢は信じられないとばかりの響きを声に乗せて一歩前に出た。

 映像に映っているのは、白衣を纏った一人の老人。しかしそれは今の三沢にとっては恩師ともいうべき学問の師匠の姿に他ならなかった。

 

「ツバインシュタイン博士! 三沢です、三沢大地です! こちらはデュエルアカデミア! 発電施設の中です!」

 

 歓喜を滲ませて声を張り上げると、映像の中でツバインシュタイン博士が目を見張るのがわかった。

 元の世界にいるだろう人間と交流が成り立っている。この事実は、全員の心に希望の灯をともすには十分なものだった。

 

『おお、三沢君! 君も異世界に行っておったのか! しかしそうか、アカデミアに合流できたのじゃな』

「はい! ですが博士、一体どうやってここに通信を……?」

 

 三沢が当然と言えば当然の疑問を投げかける。

 異世界に通信を寄越すなど、そうそうできることではない。今の科学力では異世界の存在を観測することすら危うかったのだ。それがいきなり通信を交わすなど、通常できることではない。

 

『うむ、それについてはワシだけでは無理だったろう。しかしI2社と海馬コーポレーションが惜しみなく技術を貸してくれたおかげで今回の試みは成功したのじゃ』

「I2社とKCが……!?」

『そうじゃ。特に海馬コーポレーションが現在試験中と噂だった新エネルギー理論による設備は大変すばらしいものじゃったぞ。それより三沢君、この通信がいつまで続くかもわからん。早速本題に入らせてもらう』

「本題、ですか?」

 

 三沢の声に、ツバインシュタインは頷く。

 

『そう、すなわち諸君を元の世界に戻す方法じゃ』

 

 その発言に、誰もが目を見開いてざわりと驚きの声が溢れる。ただ一人、パラドックスの感心したような「ほう」という声だけが目立って響いた。

 そして自失から返ってきた三沢が、興奮したように声を大にする。

 

「も、元の世界に戻れるんですか!?」

『理論上は、の』

 

 その後に続くツバインシュタインの説明は、まさに驚きのものであった。

 曰く、《レインボー・ドラゴン》の力によって異世界とこちらを繋ぐ穴を作り出す。それがツバインシュタインが出したこの世界からの脱出方法である。

 先日、ペガサスはついにレインボー・ドラゴンのカードを作るために必要な石板が眠る場所を特定したというのだ。それによって大きな力を秘めたレインボー・ドラゴンのカードを作り出し、その力で以って世界の壁に穴を開ける。そしてその穴を広げ、穴を通って元の世界に戻ってきてもらうというのが大まかな内容だ。

 誰が聞いても荒唐無稽な話。それはもちろん、彼の弟子である三沢にとっても同じことだった。

 

「そんな無茶な……本当に成功するんですか?」

『成功する確率は40パーセント近い数値をはじき出しておる。これが現状最も信用のおける方法なのじゃ。そしてこの方法を取るためには、まずそちらに《レインボー・ドラゴン》のカードを送らねばならん』

 

 ツバインシュタインは言う。そのためには、大きなデュエル・エナジーが必要であると。

 実力者同士がぶつかり合った時に発生するそのエネルギーでカードが通れるほどの小さな穴を作り出す。そこを通してカードを送るので必ず受け取ってくれとツバインシュタインは言った。

 

『まずはアカデミアの屋内テニスコートに行け! あそこには海馬コーポレーションが試験中の通信デュエルシステムが設置されておる。それを使ってこちらが用意した相手とデュエルをしてもらう。指示は追って出す、まずはテニスコートに行くのじゃ!』

「博士……わかりました!」

 

 三沢は力強く頷き、早速テニスコートに向かおうとする。

 しかしその前に映像から『ちょっと待ってくれ』と声が聞こえてきて動かそうとしていた足を止めた。

 

「あれは……」

「エドだドン!」

 

 ツバインシュタインに続いて映像に出てきたのは、灰色のスーツに身を包んだ銀髪の少年。明日香と剣山が思わず声を上げたとおり、エド・フェニックスの姿がそこにあった。

 そのエドは、どうにも納得が出来ないといった顔でいる。そして訝しげな声を出した。

 

『十代と遠也の声が聞こえないが、何かあったのか?』

 

 その声に誰もがはっとして苦しい顔になる。確かに、その二人はここにはいない。特に遠也は安否すらわからない状態だ。

 十代も三幻魔の封印を解こうとするマルタンを追っているという。どちらも非常に危険な状態にある可能性は高かった。

 しかし、わざわざ心配をかけることはないだろう。その思いから、ヨハンが明るく声を出した。

 

「大丈夫! あいつらはちょっと席を外しているだけさ!」

『それならいいんだが……』

 

 それでもエドは渋っていたが、やがては納得したのか『気を付けて行ってきてくれ』とだけ言葉を残した。

 ヨハンが言った「大丈夫」は、彼ら自身が言い聞かせる言葉でもあった。あの二人なら、大丈夫。ヨハンたちは改めてそう心の中で信じ、顔を上げてアカデミアの校舎を見た。

 

「行こう、テニスコートへ!」

 

 

 

 *

 

 

 

 その言葉を皮切りに、彼らは全速力でテニスコートを目指す。

 そんな中、ヨハンは不謹慎ではあるとわかっていながらも喜びを胸の内に感じていた。

 

(レインボー・ドラゴン……ついに、ついにお前と会えるのか!)

 

 ヨハンにとって、レインボー・ドラゴンは待ちかねていた存在である。宝玉獣たちと試行錯誤して作り上げてきたデッキ。無論いまの布陣に不満などはない。しかしそれでも、ヨハンのデッキには決定的な切り札が存在しないというのもまた事実なのだった。

 しかし、そんな弱点ももうすぐなくなる。レインボー・ドラゴンが加わることで、ついにヨハンのデッキである【宝玉獣】は完全な姿を見せることになるのだ。

 

(十代、遠也……早くお前たちとデュエルがしたい。宝玉獣たちの真の力を、お前たちに見せたいぜ!)

 

 その時を思うと、ワクワクする気持ちを抑えられない。十代と遠也、あの二人とデュエルして、レインボー・ドラゴンを加えた自分のデッキについて語り合えたら、どれだけ楽しいことだろう。

 そしてその時は、既に遠い未来にあるものではない。あと少しで実現できるものなのだ。

 だから。

 

(必ず、全員で元の世界に帰る! そうだろう、十代、遠也!)

 

 決意を胸に、ヨハンは走る。肩を並べて並走する仲間たちと共に。

 絶対に元の世界に戻るんだという意思を込めて、ヨハンは強く地を蹴った。

 

 

 

 *

 

 

 

 さすがに移動人員が多いため、モンスターを利用しての移動はできなかった。そのため走っての移動(マナだけは飛んでいるが)となったのだが、校舎の中に入ってからが問題であった。

 そう、校舎の中にはデュエルゾンビと化した生徒たちが沢山いたのである。彼らは揃ってデュエルディスクを構えて不気味に近づいてくる。

 これは誰かが応戦して足止めをするしかないか。そう誰もが悲壮な決意を固めたその時、パラドックスはただ一言「邪魔だ」と言い放って生徒たちを蹴散らすと彼らの包囲網に穴を作った。

 普通の人間であれば通路にひしめくほどの数の人間に突っ込んだら、体勢を崩したり転倒してそれどころではないだろう。しかし、パラドックスは全く意に介していないようで、これには戦士として自身を鍛えてきたオブライエンも素直に舌を巻くしかなかった。

 そんな中マナは「そういえば遠也がパラドックスはサイボーグだって言ってたよーな……」と呟くが、幸いと言うべきか誰にも聞かれなかったようである。

 

 ともあれそういうわけで、結果的に一行は誰も犠牲を出すことなくテニスコートまで至ることに成功する。

 雪崩れ込むように中に入ると、三沢は早速ツバインシュタインと通信を繋ぐ。そして他の面々は通信デュエルシステムの設備だと思われる装置がテニスコートの脇に置かれているのを発見していた。

 それを見た三沢はすぐにその装置をコート中央を囲うように配置することを指示。力仕事であるため、男勢がそれに従って動き始めた。

 そして三沢は、通信デュエルシステムの操作を行うコンソールの前に行き、あちらとの通信を繋ぐ。

 

「博士! テニスコートに着きました! 指示を!」

『よいぞ、三沢君! ではまずドーム部分を開き、システムを起動させるのじゃ!』

 

 その指示に頷き、三沢はシステムを動かす準備を始める。そして話を聞いていた明日香とレイ、そしてマナがそれを手伝う。

 ドームが開き、曇り空が姿を現す。その開いたドーム部分の正面にテニスコートが縦に伸び、そのコートを囲うように成人男性の3倍はあろうかという巨大な黒鉄のモニュメントが配置されている。

 その様子を見届け、三沢はついにシステムの電源スイッチを押しこんだ。

 

 ――それによって、ついにシステムが動き出す。

 

 ドームの枠を形作っている鉄柱部分からせり出した数本の突起。恐らくは無線LANに近い役割を持つものなのだろう。そして同時にコート傍のモニュメントから駆動音が響き渡る。どうやら正常に動いたようだと三沢を始め全員が胸を撫で下ろす中。

 

「これは……っ」

 

 パラドックスだけが動揺した声を出す。

 それに、誰もが驚きを表情に現した。常に冷静で一歩引いたポジションにいる男というのが、彼らのパラドックスに対する印象である。その男が、驚きの声を上げた。それは、これまでの印象からは考えられないことだったのだ。

 しかし、そんな彼らの驚きをパラドックスが気にすることはなかった。パラドックスの視線はただ一点、通信デュエルシステムに向かっていて、その他のことなど気にもしていない。

 

 ドーム部分から現れた突起、そしてコートを囲うモニュメント。それらは起動した途端に、輝きを放ち始めた。美しく虹のように煌めく、極彩色の輝きを。

 

「“モーメント”……!」

 

 海馬コーポレーションが試験中の新エネルギー理論。なんとなく察してはいたが、やはりそうなのかと図らずもモーメントの試験運転に立ち会うことになったパラドックスは苦虫を噛み潰したような表情になる。

 本来はまだまだこの技術が確立するのは先のことだ。実際KCも試験中というだけあって、まだその安定稼働は実現できていない。何らかのブレイクスルーがなければとても代替エネルギーにはなれないだろうと言われている。

 しかし、そんなことはパラドックスには関係なかった。モーメントの雛型がここにある。それだけで彼には十分表情を歪ませる原因になるのである。

 

 そんなパラドックスを気にしつつも、迅速に行わなければならない今の事態に誰もが動き出す。ヨハンはコートの前にデュエルディスクを着けて立ち、三沢らは早速通信デュエルを始めるべく仕上げに入る。

 そしてドームの先の空に浮かび上がる元の世界の映像。そこに対戦相手がエドの紹介によって現れる。

 より強いデュエル・エナジーを生み出すために選ばれた、プロの中でも指折りの実力者。すなわち、カイザー亮。その姿を前に喜びと興奮を露わにするヨハン。

 しかし、それをパラドックスはただ無表情で眺めるだけだった。この時代の彼らは、この動力がやがて世界を滅ぼすことを知らない。今その動力を用いてデュエルをすることの、なんと虚しいことか。

 そしてそんなパラドックスの気持ちを理解できる者もまたこの世界にはいない。この気持ちを共有できるのは、ゾーンをはじめとした彼の仲間ぐらいのものだろう。

 だが、そんな彼らでもパラドックスの今の本音を知ることはない。皆本遠也という人間に敗れた今のパラドックスのことを。

 今のパラドックスの姿を知り、そしてモーメントが引き起こす結末を知るのは、たった一人しかいない。

 

 ――遠也、お前なら一体どんな気持ちでこのモーメントを見た?

 

 未来に破滅が待つことを知る遠也なら、自分と同じように複雑な気持ちを抱くだろうか。それとも己とは違う未来の可能性を信じる遠也のことだから、もっと違う何かを感じたかもしれない。

 だがしかし、いずれも本人がいない今は益体のない思考に過ぎない。

 

 ――デュエル!

 

 世界越しに交わされるその宣言を、パラドックスは珍しく茫洋とした感覚の中で聞いていた。

 

 

 

 


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