遊戯王GXへ、現実より   作:葦束良日

68 / 92
第62話 異地

 

「おーい! そこにいるのは、遠也とマナじゃないか!?」

 

 見慣れた火山も、森もない。ひたすらに白い砂だけが広がる広大な砂漠に、ぽつんと唯一主張する人工物であるアカデミア校舎。

 突如として変化したその異様な光景に固まっていた俺とマナの耳に、ここ最近で聞き慣れた声が届けられる。

 

「遠也、今のって……」

「ああ。ヨハンの声だ」

 

 俺とマナは顔を見合わせて互いの予想を確認し合うと、すぐに声が聞こえてきた方向へと視線を向けた。

 聞こえてきたのは、あの巨大な手中の先に取り付けられたヘリポートからだ。目を凝らせば、そこにはヨハンだけではなく皆が揃っており、その中でヨハンが大きくこちらに手を振っているのが確認できた。

 今、俺はマナに抱えられて空を飛んでいる。その高度はヘリポートよりも若干下という程度なため、あちらは俺たちに気付けたのだろう。

 振られる手に俺も小さく手を振り返し、マナは俺を抱えたままヨハンたちの元へと飛んでいく。その傍には十代が膝をついており、ヘリポートに降り立った俺はマナに支えられながら十代の前へと歩を進めた。

 

「よ、十代。大丈夫か?」

「へへ、なんとかな。そういう遠也だって、マナに支えられてるけど、大丈夫か?」

「大丈夫だったら、支えられちゃいないさ」

 

 俺がそう言って苦笑すると、十代もつられるように小さく笑う。このまま事情を聴きたいところだが、しかし状況はこのまま談笑するような悠長なものではなかった。

 

「十代、遠也。話は後だ。まずはここを降りよう。ヘリポートもだいぶ傾いてしまっている」

 

 ヨハンが提案してきたそれに、俺たちはすぐに頷く。かつて此処を支えていた大地は、いまや不安定な砂にとって代わっている。いつ崩れ落ちたっておかしくはないのだ。

 そういうわけで、予定よりもだいぶ遅れて合流を果たした俺たちは、まずは下に降りることを優先して動き出す。

 砂の大地に降り立ち、三つある太陽や海の代わりに広がる砂漠……異世界としか思えない事態に俺たちは息を呑む。そしてその後、互いのこれまでの経緯や、現在の異状についてなど、様々なことを話しながら一路アカデミア校舎へと向かうのであった。

 

 

 

 

 途中、校舎前でクロノス先生とナポレオン教頭が実体化した《ハーピィ・レディ》に襲われていたが、ヨハンが《サファイア・ペガサス》を召喚してこれを撃退。どうも、この世界ではカードの精霊が実体化できるようだった。十代の《ハネクリボー》も全員に見えているようだったし。

 ちなみに俺の身体を支えてくれていたマナのことは、既にこの場にいたほぼ全員が知っていたのであまり混乱はなかった。唯一ジムだけがマナを見たことがなかったので、ジムにだけはマナのことを説明したが、それだけだ。

 しかし、そうなるとこの異世界はやっぱり精霊界ということになりそうだ。マナに聞いてみたところ、確かに精霊の世界であると確認が取れた。なんでも、空気の感じで人間界との違いは判るのだとか。

 

 また、気になっていたコブラとの顛末だが、どうやら十代は無事にコブラを倒すことが出来たようだった。

 俺と別れて先行した十代たちは、研究所内部でコブラの刺客になっていたという佐藤先生と相対。そのデュエルに十代は勝つも、デス・デュエルによる消耗が激しく一時休憩をとったらしい。

 その後、出発した十代たちは大きな障害に出遭うことなく先に進めたようだ。もともと通路が一本道であったこともあり、警戒しつつも迷うということはなく進んだ十代たちは、やがてあのヘリポートの根元である広大な空間に辿り着いたのだという。

 そして辿り着いた瞬間、鳴り響くアラート音。皆でひと塊になって警戒していると、通ってきた道から誰かが走ってくる音が聞こえてくる。全員で油断なく見据える通路から現れたのは、オブライエンだった。

 この時はオブライエンをコブラの部下かもしれないと思っていた皆は警戒を解かなかったが、しかしオブライエンはそれを気にせず十代に顔を向けると、俺が頼んだ伝言を伝えてくれたらしい。

 そして、十代はオブライエンに「遠也に何かあったのか」と尋ねたらしい。それに、オブライエンは自身が知る限りのこと……俺がギースと戦い、消耗によって追って来れないことなどを告げたらしい。

 皆からの疑いの視線を受けつつも、オブライエンは誠実に俺の頼みを聞いてくれていたのか。そう思うと、改めてオブライエンに感謝の念が湧き起こる俺だった。

 その後、コブラ本人がエレベーターで上に昇っていく姿を目撃した皆は、一時は部下であった責任としてコブラを止めたいと言うオブライエンと共にコブラを追ってヘリポートへと向かった。

 そして、対峙するコブラと十代たち。そこでついに、最後のデュエルが始まったらしい。

 

 途中で助けたクロノス先生とナポレオン教頭と共に保健室へとたどり着き、鮎川先生の治療を受けながら、十代はその時のことを思い出して俺に聞かせてくれていた。

 ちなみに、十代は椅子に座っているだけだが、俺はベッドだ。アモンとのデュエルで倒れた万丈目が寝ていたのだが、譲ってもらった。正直、結構つらかったのである。

 

「――強かったぜ、コブラは。《ヴェノム》っていう毒蛇のモンスターを使ってきてさ。デュエルにも、気持ちにも、隙がなかった。それに……」

「それに?」

「奇跡を起こしたいって気持ちは、純粋だったと思う。手段は許せなかったけどさ」

 

 十代いわく、コブラはデュエルエナジーを集めることで可能になるらしい奇跡を願ったという。

 それは、かつて戦士として血と泥にまみれた戦いに疲弊していた自分の心を癒してくれた存在――リックという少年に再び会うこと。

 戦場に置き去りにされていた赤ん坊であった彼を拾い、コブラは息子として育てた。しかし、不幸な事故によってリックと名付けられたその子は命を落とす。コブラにとっての全てだった我が子……その子の復活をコブラは夢見ていたのだ。

 無論、死者を生き返らせることなどできるはずがない。しかし、それすら可能になるのではと思わせる存在にコブラは出会ってしまった。

 それが――

 

「今回の黒幕、ってわけか」

「ああ。許せないぜ、コブラの子供を思う気持ちに付け入って利用するなんてさ……!」

「十代君、あまり興奮しないの。身体に響くわよ」

 

 椅子に座った十代を診ていた鮎川先生が、表情を険しくした十代に釘を刺す。すると十代の横にいた明日香も「心配させないで」と、どこか声質を落として言う。

 二人に言われて、十代もさすがに悪く思ったのか表情を正して「ああ、ごめん」と少しだけ笑みを見せた。

 しかし……コブラにも、そういう理由があったんだな。コブラがデス・デュエルを行った理由なんてもう覚えていなかったことが悔やまれる。根は優しい人であったことを窺わせるエピソードに、コブラへの認識を改める俺だった。

 聞けば佐藤先生にも相応の理由があったというし、十代たちが納得するだけの理由ならば、やはりコブラを含めて彼らには彼らなりの譲れないものがあったということなのだろう。

 

 となれば、やはり全ての元凶は黒幕である精霊――《ユベル》と考えた方がいいのかもしれない。

 十代いわく「コブラは、デュエルの後に突然現れた“光の少年”に従っていたようだった」。そして、その少年は「新しい世界へ共に行こう」と十代を誘って来たということらしい。

 十中八九、そいつがユベルで間違いないだろう。つまり、この世界にいることはユベルの計算通り。相手がどういう手で来るのか、気が抜けない日々になりそうである。

 俺がそう考えていると、十代を診察していた鮎川先生がその手を止めて立ち上がる。

 

「うん、大丈夫そうね。ただ、デス・デュエルによる疲労感だけはどうしようもないけれど……」

「大丈夫だよ、鮎川先生。コブラとのデュエルでは、あまりエナジーは取られなかったみたいだしさ」

 

 ……ん?

 

「どういうことだ、十代?」

 

 心配そうな鮎川先生の言葉に笑って返した十代の言葉。それに疑問を感じた俺が口を挟む。

 最終戦でありながら、コブラはエナジーの収集率を最大にしていなかったというのだろうか。俺はこんなに消耗しているというのに。

 そんな疑問から聞いてみれば、十代もよくわからないのだそうだ。ただ……、

 

「なんかコブラが言ってたんだよ。俺たちがこんなことは止めろ、って言ったら――「よかろう、手心を加えてやろうではないか。フフ、どのみち先程に外で大きなエナジーの収集ができ、更についさっき追加分もあったところだ。今更収集率を下げようと問題はない」ってさ」

「………………」

 

 どういうことなんだろうな、と首を傾げる十代に対して、俺は無言になる。

 外での大規模なエナジー簒奪……今はデス・デュエルに危険性があるかもしれないということで、クロノス先生たちはデス・デュエルを禁止している。その中での大きな収集機会となると、答えは一つだ。

 俺とパラドックスのデュエル。間違いなく、そこだろう。更に追加分というのは俺とギースのデュエルのことを指すに違いない。

 その原作にはなかった収集機会に多くのエナジーを確保できたから、十代からの収集は僅かでも十分だったということなのだろう。それが、今の十代の元気な様子に繋がっているというわけか。元気とはいっても、万全ではないだろうが。

 俺はその思考から、思わず横のベッドで寝ているパラドックスを見る。すると、その視線に気づいた十代たちもその視線の先へと目を向け、見慣れない人物が寝ていることに気付いて目を見張った。

 

「なぁ、遠也。誰だよ、この人?」

 

 この場の全員の疑問を代表するように、十代が聞いてくる。

 さて、その問いにどう答えようかと俺は数秒考え込む。

……敵、というのが一番今の俺とパラドックスの関係を現しているとは思うが、個人的にはパラドックスのことは嫌いではない。その抱える事情を把握していることもあり、俺はどうしてもこいつを敵だとは思い込めなかった。

 だから、俺はひとまずこう答える。

 

「まぁ、俺を訪ねてきたお客さんみたいなものかな。偶然、今の騒動に巻き込まれたみたいでさ。デス・デュエルで……」

「ああ、エナジーを取られたってことか。災難だったな」

 

 語尾をぼかせば、十代はデュエルに負けてエナジーを取られたと勘違いしてくれたようだ。本当は外部の人間であるパラドックスがデス・ベルトをつけているはずはないのだが、異常な状況も手伝ってか上手く勘違いしてくれたようでほっと胸を撫で下ろす。

 そうして一つの疑問が解けたところで、不意にヨハンが口を開いた。

 

「みんな、今俺たちがいる状況はかなり異質だ。異世界に来てしまったことで俺たちも混乱しているが……事情を何も知らない多くの生徒はもっと混乱しているはず。いきなりのことで、騒動が起きるとも限らない」

 

 真剣な面持ちで言ったその言葉に、俺たちは揃って頷く。混乱の極みに達した生徒が、自暴自棄になる可能性は確かにある。それが拡散しては目も当てられない。その危険性は、この場にいる誰もがわかっていた。

 

「十代、それに遠也も保健室で落ち着くことが出来た。俺たちはすぐに生徒たちに説明をした方がいい。――クロノス先生、ナポレオン教頭」

「なんなノーネ」

「なんでアール」

「生徒たちを体育館に集めてもらえますか。巻き込まれた生徒の総数、怪我や体調不良がないかなどの調査……一か所に集めた方が、効率的に行えます」

 

 ヨハンの言葉に、先生たちは揃って首肯すると保健室をすぐに後にした。早速生徒たちに呼びかけに行ったのだろう。

 それを見送り、残ったのは鮎川先生、俺、十代、翔、剣山、明日香、万丈目、ヨハン、ジム、オブライエンとなる。その顔触れを見渡し、ヨハンは言葉を続けた。

 

「よし、消耗している十代と遠也、それから鮎川先生を残して俺たちも体育館に向かおう。当事者である俺たちが説明した方がいいこともある」

「待てよ、ヨハン。俺は休む必要はないぜ。それに、保健室にある二つのベッドはもう埋まってるんだ。動けるんだし、俺もそっちに行く」

「十代……わかった」

 

 十代自らの申し出に、ヨハンは少し躊躇いながらもOKを出す。やはり、最後のデュエルで消耗が抑えられていたのをヨハンも知っているからだろう。問題はないと判断したようだった。

 更に、俺も続けて口を開く。

 

「ちょっと待ってくれ。それなら、鮎川先生も向こうに行ってください。もし体調が悪い生徒がいた時、すぐ対応できるように」

「え? でも……」

 

 俺の提案に、鮎川先生は口ごもる。やはり、俺という患者を残していくのが引っかかっているのだろう。

 しかし、デュエルエナジーを奪われることは、すなわち疲労していることと同義なので、回復するには寝ているのが一番だ。その間、鮎川先生には時間が出来る。ならば、その時間を有効に使った方がいい。

 俺がそう続ければ、鮎川先生も納得したのか最終的には頷いてくれた。これで、残るのは俺一人。あとの全員で体育館に向かうことが決定した。

 

「All right。そうと決まれば、俺達も急ごう」

 

 ヨハンの言葉にジムが賛成し、オブライエンもまた頷いて賛同を示す。無論、他の面子にも異論はなく、全員が俺を残して保健室を出て行った。

 ちなみにマナは精霊化して俺の隣にいる。よって、正確に言えば保健室に残ったのは俺とマナの二人である。

 

 そして、もう一人。

 

「――なぁ。起きてるんだろ、パラドックス」

「……ふん」

 

 ベッドの上で半身を起こした状態でそう口にすれば、寝ていたはずのパラドックスはむくりと身を起こした。

 その瞳に寝惚けたような色はなく、やはり少なくとも俺達が来た時……あるいはそれよりも前に目を覚ましていたのだろう。異世界という話題を出した時に寝息が乱れたことに偶然気づかなければ、俺も気づかないままだっただろうが。

 そして、俺の横でパラドックスには見えないだろうが僅かにマナが警戒したのが見えた。やはり、いきなり人を殺そうとした相手だから身構えてしまうのだろう。

 だが、俺のほうはといえばマナほど気にしていなかった。自分のことなのにおかしいと我ながら思うが……。

 ひょっとすると、予備知識として俺の頭の中にある元の世界での彼らに対する記憶が、そうさせるのかもしれない。それに、未来を変えたいという思いは少なからず俺にもわかるものだ。だからとも考えられた。

 そういうわけで気負うことなく、俺はこちらを真っ直ぐに見ているパラドックスに、片手を上げて応えた。

 

「さっきぶり。意外と元気そうだな」

「……異世界だと言っていたな」

 

 こっちの言葉はさらっと無視して口を開くパラドックス。言葉のキャッチボールが出来ていないが、まぁあんな話を聞いていた後では仕方がないか。

 俺は上げた片手を降ろすと、その手でくいっと廊下を指さした。

 

「廊下に出れば、窓がある。見てみるといいさ」

 

 あいにく身体がつらくて動けない俺は、ベッドの上のままだ。しかし、ずっと動いていた俺とは違って寝ていたパラドックスは既に回復しているようで、ベッドから降りると廊下へと向かう。

 俺はその背を見送るが……窓の前に立った瞬間、その肩が動揺に揺れたのが見えた。

 

「馬鹿な……海ですら消えているだと。これではまるで――」

「破滅した未来みたい、か?」

 

 俺はそう言うと、立ち上がってパラドックスのほうへと向かう。よろめき、マナが実体化して支えようとしてくれるが、俺はそれを制するとパラドックスの隣に立って同じく外を見た。

 パラドックスはそんな俺を一瞥するが、すぐに視線を外へと戻す。

 

「まさか。未来はこれとは比べ物にならないほどに酷い光景だった。倒壊した建造物、割れた地面、乾ききった夥しい血の跡……それが私のいた未来だよ」

「シンクロとモーメントが発展した結果……だったか」

 

 俺はベッド脇に置いてある自身のデュエルディスクを見る。使用時に七色の輝きを放つそれは、まぎれもなく遊星粒子の結晶である。その集大成であるモーメントが作り出す莫大なエネルギーは、未来において重要なエネルギー源として人々の生活を支えているのだ。

 しかし、シンクロ召喚の発展が予期せぬ未来へと人類を導いていく。シンクロ召喚には、モーメントを加速させる特性があったのだ。それによって、モーメントは急激に加速。人々の生活に根付いていたモーメントの発展は、付随して人類の発展を加速させていった。

 そして、人間は常に先を求め続ける生物である。高度な生活を営もうと、「もっと良く、もっと充実した生活に」という欲望は際限なく膨らんでいった。

 モーメントは、人の感情を読み取る。荒んだ欲望を取り込み、そのまま加速し続けたモーメントはついに暴走。町を、人を、文化を破壊しつくし、最終的に世界は破滅したのである。

 俺の知識の中にある歴史の流れ。それを脳裏に浮かべていると、いつの間にかパラドックスは外を見ることを止めていた。そして、その金色の瞳はひどく強い力を持って俺の姿を映し出していたのである。

 

「その通りだ、皆本遠也。そして未来を知る私だからこそ、疑問に思える。――お前があのデュエルで最後に行ったモノ……エクシーズ召喚。あんな召喚方法、私の知る未来にはなかった」

「………………」

「この時代にアクセルシンクロを行っていたことを、遥かに上回る異常。アクセルシンクロを行うお前を消せば事は済むと思っていたが、アレを見せられて同じ考えを持てるほど私は楽観主義ではない。――聞かせてもらおう、皆本遠也。お前は一体、何者なのか」

 

 どこまでも真剣な眼差しと共に問われた言葉に、俺は気まずさを感じつつその目を見つめ返した。

 俺が何者か、か。元は違う世界の人間で、そしてこの世界の未来を知る者とでも言えばいいのだろうか。しかし、馬鹿正直にそんなことを話すつもりは俺にはない。そもそも俺が違う世界の出身であるということは、今の時点で知っている人たちを除いて誰にも言うつもりがないのだ。

 俺にとって元の世界は元の世界であり、今の俺の居場所はこの世界にこそあると思っている。だからこそ、今更自分の出自がどうこうと言いたくないという気持ちが一つ。そして何より、そんな出来の悪いSF小説のような設定が実際に自分に起こったなんて、普通なら正気を疑われるところだ。だからこそ、それを口にするつもりは毛頭なかった。

 しかし、ならばどう答えればいいのか。俺は考えをまとめる意味も込めて、パラドックスから視線を外して外の景色へと目を向ける。

 

 すると……。

 

「ん?」

 

 今、視線の先に何かあったような。

 疑問に感じ、俺は目を凝らして窓の外を見る。パラドックスには申し訳ないが、何か砂漠の中で動いたような気がしたのだ。

 そしてよくよく見てみれば、あれは人……だろうか。観察してみるに、どうもこちらに向かってきているようでもある。となれば、現地の住人か? いや、待てよ。そういえば何かこの時にあったような……。

 

「悪い、パラドックス。なぁ、マナ」

「うん? どうしたの、遠也」

 

 俺の呼びかけに待機していたマナが実体化して俺の隣に立つ。僅かに目を見張ったパラドックスが視界に入ったが、今はそれよりも気になることがある。

 

「あそこ、こっちに誰か来ているみたいなんだけど……わかるか?」

「え? あ、ホントだ」

 

 マナも砂漠の中を向かってくる人影に気付いたのか、少し驚いたような声を上げる。

 そして俺はマナがその誰かを認識したことを確認し、一つの提案をした。

 

「マナ、ちょっと見てきてくれないか? もしハーピィが襲ってきても、お前なら勝てるし」

 

 なにせ攻撃力が全然違う。それに、マナの場合は魔術の力もあるので、ある程度格上であっても対処できるに違いない。

 そう思っての言葉だが、マナはその提案に難色を示した。

 

「でも……」

 

 そう言って、マナがちらりと見たのはパラドックス。なるほど、一度俺が殺されかけているだけに、そこまで信じられないってわけか。

 マナもどうやら過去に会っているらしいが、やはり目の前で人を殺しかけたのを見ては易々と気を許せないということだろう。

 しかし。

 

「頼むよ、マナ」

「……うん、わかった。行ってくるね」

 

 重ねて俺が頼み込めば、マナは了承してくれた。いかにも渋々といった様子ではあったが。

 そして、マナはちらちらと俺のことを気にしつつ、精霊化して外へと向かっていく。それを見送り、この場に残されたのは俺とパラドックスのみとなる。

 俺は、改めてパラドックスに向き合った。

 

「俺を殺すか?」

 

 率直にパラドックスに問いかける。

 もし肯定するならば、再度のデュエルも辞さない心構えだ。その場合、デス・ベルトによって更なる消耗は避けられず、悪ければ命の危機もあるかもしれないが、大人しく殺されるつもりもない。

 いくらパラドックスが俺に対する疑問を持っていたとしても、消してしまえば危険性は消える。臭い物には蓋をする。そんな考えで俺を再び襲わないとも限らなかった。

 そして、そんな俺の問いに、パラドックスはマナが出て行った外を僅かに見た。

 

「……なるほど。あの精霊に行かせたのは、巻き込まないため、か?」

「さてね。何の事だか」

 

 図星だった。

 もしパラドックスが本気で俺を殺すつもりなら、マナが魔術を使う前に決着はつくだろう。忘れがちだが、パラドックスは一種のサイボーグ。その身体能力は並の人間よりも遥か高みにいるのだ。

 マナがいれば、俺を庇おうとするのは目に見えている。その時にマナが傷つくことは容易に想像できた。

 それに、デュエルであってもパラドックスが操るのは最強の名に相応しいほどのパワーモンスターたちだ。上級魔術師であるマナであっても、さすがに分が悪い。

 ならば、俺一人のほうがいい。もう一度デュエルして勝てるかと言われれば微妙だが、それでもマナを矢面には立たせられない。俺だって、男なのだ。これまでマナに守ってきてもらった分、そろそろ自立しないと格好悪いってもんだろう。

 もちろん、実際に殺しに来るなら全力で抵抗させてもらうが。こっちもマナや皆と楽しく過ごすために死ぬわけにはいかないのである。

 俺はいざという時にすぐ動けるよう体勢を微かに低くする。パラドックスがどう行動してきても、対処できるように。

 しかし、パラドックスは俺のことは無視するかのようにいきなり踵を返すと、保健室へと戻り始めた。それに虚を突かれた俺は、すぐには動けずそのまま背中を見送る。

 すると、パラドックスは保健室の入り口前で立ち止まった。そしてこちらに背を向けたままで口を開く。

 

「……お前のことは後回しだ。まずはこの現状から脱することを優先する」

 

 つまり、今すぐ殺す気はない。少なくとも、異世界を脱出するまでは、ということか。

 まぁ、確かに俺は今回の件でも十代たちと共に割と中心に近い位置にいる。だからこそ、事情を知る俺を今消すことは、現状の打破においてマイナスであると判断したのだろう。

 現状への理解者の減少、仲間が死んだ十代たちの意気低下を考慮したと思われる。詳細を知るのが俺たちだけである今、その判断はパラドックスらしい合理的なものと言える。

 そして、それはつまりこの期間は一応の安全を確保されたということだ。というわけで、俺は緊張していた気を緩め、保健室へと入っていくパラドックスにすたすたと歩み寄る。

 うん、強硬な手に出ないとわかれば警戒するだけ無駄というものだ。ただでさえ今は非常事態なのだ。警戒する対象が減ったことは素直に喜ばしい。

 というわけで、ベッドに戻ったパラドックスに倣って俺も再びベッドの中へ。そうしてマナの帰りを待つが、暇だったのでパラドックスに話を振ってみた。

 

「そういやパラドックス。お前のデカいバイクな、森に置きっぱなしになってるから」

「……どうせ今この場にあったところで意味はない。時間移動機能はあっても、世界間移動機能などアレにはついていないのだからな」

 

 平坦な声で返答が帰ってくる。

 一応は受け答えをしてくれたことにほっとしつつ、俺は訊きたかったことを聞くことにした。

 話す前に一度深呼吸。そして、意を決して口を開く。

 

「なぁ、未来ってさ……滅びるんだよな。シンクロ召喚のせいで」

「その通りだ。だが、それがどうした」

「いや……その、さ」

 

 俺は何と言ったものか、言葉を吟味する。だが、結局うまく伝える言い回しを思いつくことが出来なかった俺は、ストレートに聞いてみることにした。

 

「――俺も、そんな未来なら変えたいって言ったら、どう思う?」

 

 顔色を窺うように、しかしぐっと力を込めて言った言葉。

 恐らく、パラドックスは怒り狂うだろう。未来の救済のために数えきれないほどの苦難と努力と犠牲を乗り越えてきた彼らにしてみれば、俺のソレなど“何も知らないガキの調子に乗った言葉”としかとられまい。

 しかし、それでも聞いてみたかった。実際にそのために絶大な覚悟を持っている彼らが、どんなことを言うのか。たとえ返答が激情であったとしても、それはきっと今の俺に足りないものであることは間違いないのだ。

 だからこその問いかけ。怒りを受けてでも、俺が訊いてみたかったこと。

 帰ってくる反応を予想して身構えるが……しかし、パラドックスは予想に反して黙ったままだった。

 あれ、と不思議に思った時。おもむろにパラドックスの声が耳に届く。

 

「――好きにすればいい。それこそが、お前が言う希望への可能性とやらならな」

「パラドックス……」

「お前は確かに可能性の断片を私に見せたのだ。失望させてくれるなよ、遠也」

「――! ああ!」

 

 俺は勢い込んで頷く。

 あの時、デュエルした時のパラドックスでは聞くことなど出来なかった言葉。新たな可能性を否定し、そんな博打を打つよりも多数を犠牲にしてでも自分の信じる方法を取ると言ったパラドックス。

 そのパラドックスが、彼らの創ろうとしている未来とは異なる未来への可能性を認めてくれたことが嬉しかった。その可能性を信じて、希望を見ることが間違いではないと認めてくれたことが。

 無論、心から賛同したわけではないだろう。今でも俺の言葉に対する反発は当然あるはずだ。俺だって、パラドックスの目指す未来と過程が絶対の間違いであるとは言い切れないのだから。

 しかし、それでも。そういう考えもあると思ってくれたことは、大きな変化だと思う。まるで俺自身の進む道が肯定されたようで、思わず顔に笑みが浮かぶ。

 とはいえ、まだパラドックスは俺を消すことを止めるとは言っていない。この異世界を脱出した後にどうなるかはわからないが……。

 それでも、俺は俺なりに頑張っていこう。パラドックスの言葉から、俺はそう思える自信をもらったような気がした。

 ベッドの上で、その意気を込めてぐっと拳を握りこむ。

 そして、もう一つ。パラドックスに聞かなければならないことを聞くため、俺は声をかける。

 

「なぁ、パラドックス。レインっていう――」

 

 その時、突然慌ただしい声が近づいてくるのを感じ、俺は言葉を止めて入り口のほうに目を向けた。同じく、パラドックスも視線をそちらに向けている。

 直後、雪崩れ込んでくる仲間たち。十代、ヨハン、オブライエン、ジム、マナ。それに、いつの間にやらアモンまでいる。最後に、熱や砂避けの外套に身を包み汚れまみれの男が一人。

 見覚えのない最後の一人に、一体誰だろうかと思いつつ、その顔を見る。

 そして……思わず一瞬固まった。

 

「三沢!?」

 

 汚れによって肌の色すら変わってしまっているが、二年も一緒にいた男の顔を見間違えるはずがない。

 そこにいたのは、ツバインシュタイン博士の研究を手伝うために島を出た俺たちの仲間の一人。三沢大地に間違いなかった。

 

「……ぐ……遠也、か。久しぶりだな……」

「あんまり喋るなって三沢! 身体に響くぜ!」

「ああ……悪い、十代……」

 

 十代、それからヨハンに支えられた三沢が二人に促されて椅子に腰かける。他の面々は普通にしているところを見ると、三沢以外の人間は何もないようだが……。

 

「一体、どうしたんだ?」

 

 皆の後をついてきたらしい鮎川先生が急いで治療の準備を始めるのを見ながら、俺はこの状況に対する疑問を十代たちにぶつけるのだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 同時刻、アカデミア校舎内の図書館にオレンジ色の光が溢れかえった。

 その光源は、図書館に設置されたテーブルの一つ。その上に置かれたラグビーボール状のカプセルであった。

 それは、アモンがSAL研究所から持ち帰ったもの。彼はそこで手に入れた物を、このカプセルに入れて持ち込んでいたのだ。

 

 その手に入れた物とは何か。その答えは、カプセルの中にあった。

 

 濃い紫に黒を混ぜたような漆黒の腕。五指の先に生えた爪は鋭く、ぴくりぴくりと痙攣を繰り返す。悪魔の腕と言われれば信じてしまう、そんな禍々しさがその腕にはまとわりついていた。

 もしこの場に十代たちがいたなら、この腕を見て何かに気付いていたかもしれない。彼らはこの腕を見たことがあったからだ。コブラの左腕として……。

 その時、一層光が強くなり、図書館の中を覆い尽くす。しかし、それは時間にして数秒のことであった。徐々に光は収まり、図書館は元の暗闇を取り戻していく。

 そして、カプセルの中にあったはずの腕はいつの間にか消失していた。その代わりに、先程まではいなかった異形の存在がカプセルの前で佇んでいる。

 全身がオレンジ色に染め上げられた人型。髪を逆立てた少年のような形をしており、その面貌はのっぺらぼうのようにパーツというパーツが存在しなかった。

 まるで幽霊のように実態があるとは思えな出で立ち。しかし、その左腕だけは異彩を放つ。

 その左腕は、ついさっきまでカプセルの中に収められていた悪魔の腕だったのである。

 

『ふふ、あはは……』

 

 不意に、その異形の存在が声を発する。口がない以上、声ではなく音と表現するべきかもしれないそれは、しかし確かに笑い声のようであった。

 

『心の闇……! 感じるぞ……!』

 

 今度は明確な言葉が図書館の中に響く。興奮気味、というべき語調で呟いたソレは、テレポートのように一瞬で図書館から消え去った。

 後に残るのは静謐さを取り戻した図書館。そして、何も収容されていない空っぽのカプセルのみであった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 なぜ三沢がいるのか。そして、何があったのか。それについて問うと、十代は頭を掻きつつ「いや、それがさ」と口を開いた。

 

 それによると、体育館でこちらに飛ばされた百人ほどの生徒たちを前に現状の説明をしていた時、それまで姿が見えなかったアモンがやってきたのだという。

 そして、アモンは外で何者かがアカデミアに向かっていることを告げ、一路十代たちはそちらに直行。現地の人間なら、この世界の詳しい事情を聴けるかもしれないという期待もあったらしい。

 そうして向かってみれば、そこには薄汚れた男を庇ってハーピィ・レディ相手に戦うマナの姿があったそうだ。ちなみにハーピィ・レディのほうは《万華鏡-華麗なる分身-》によって《ハーピィ・レディ三姉妹》となっており、更に《サイバー・ボンテージ》を装備していたという。

 つまり、その攻撃力は2450ポイント。だというのに、マナはそのハーピィたちを単独で倒したというのだから恐れ入る。

 そして、戦いが終わったところを見計らって十代たちはマナと男のほうへ向かう。そしてマナに「この男は誰だ」と問いかけ、返ってきた答えが「この人、三沢くんだよ」だったと。

 その返答に特に十代が大きく驚きを示した。色々と聞きたくはあったそうだが、三沢の消耗は激しく、また砂漠の中では落ち着いて話も出来ないということで、アカデミアまで急いで戻ってきたということらしかった。

 

「それで三沢。お前はどうして……」

「遠也……俺はツバインシュタイン博士の元で、ある研究を行っていたんだ」

 

 鮎川先生の治療を受けながら三沢が答え、それに十代が続けて疑問を投げかける。

 

「研究だって?」

「ああ。量子力学という学問のな。そして俺と博士は、重力子を使い12あるという異次元へ移動する実験を行っていた。……だが」

 

 三沢曰く、実験は失敗。機器が暴走を起こし、それによって気づけばこの場所に飛ばされていたのだという。咄嗟に博士をその場から押し出したため博士は巻き込まれなかったようだが、三沢は巻き込まれてしまい、ここでしばらく息をひそめるようにして生活をしていたらしい。

 

「幸い、過去にここに来たことがある人間もいたらしくてな。このゴーグルや外套なんかも転がっていたから、俺は生き延びることが出来たよ」

 

 そう言って、三沢は身に着けていたそれらに目を向ける。着の身着のまま一人で放り出された三沢の心情は察するに余りある。それらの道具が近くで見つかったのは、本当に僥倖だったに違いない。

 その時、三沢は軽く呻くようにして身を丸める。鮎川先生が無理をしない方がいいと声をかけ、三沢をベッドに寝かせようとするが……二つあるベッドは既に埋まっている。どうしたものかと思っていると、パラドックスがベッドから降りて立ち上がった。

 

「その男はここに寝かせるといい。私はもう回復した」

「あ、すみません。えっと……」

 

 鮎川先生が感謝を伝えようとして、しかし名前を知らないためか口ごもる。

 そういえば、パラドックスが起きて皆の前にいるのは今が初めてだったか。なら、知らないのも当然である。

 

「私の名はパラドックス。治療してもらったことには感謝する」

 

 パラドックスもそう思ったのだろう。自己紹介をし、更に鮎川先生にそう言って労った。

 鮎川先生もそれを受けて「こちらこそありがとう、パラドックスさん」と返すと、三沢を早速そのベッドに寝かせた。

 どれほどの時間かはわからないが、少なくとも衣服の端がボロボロに擦り切れるほどこの世界に一人でいたのだ。三沢はもう限界に近いはずだ。今は友との再会に喜ぶより、回復に専念してもらうことにしよう。

 

「でさ、遠也」

「ん、なんだ十代」

 

 三沢がベッドの上で目を閉じたのを確認した後。いきなり「でさ」などと話しかけてきた十代に、少しだけ違和感を覚えつつ応える。

 すると、十代はちらりとパラドックスのほうを見て、再び俺に視線を戻した。

 ……ああ、そういうことか。

 十代が言いたいことを察した俺は、パラドックスのほうに手を向けた。

 

「えっと、この人はパラドックス。俺の……知り合いみたいなものだ。さっきも言ったと思うけど、今の状況に巻き込まれてここにいる。よろしくな」

 

 俺がそうパラドックスのことを紹介すると、パラドックスが鋭い目つきで「どういうことだ」と無言のプレッシャーをかけてくる。

 さっき俺が十代たちに外からのお客さんだと言った時にも起きてたから事情は分かってるだろうに。どうにか話を合わせてくれ、と俺は目で訴えた。

 実際の関係を話すと話がこじれるから、ありきたりな設定でなあなあにしたいのである、こっちは。

 そんな中、俺からの紹介を聞いた十代が人懐っこい笑みを見せてパラドックスの前に立った。

 

「災難だったな……ですね? えっと、パラドックスさん、でいいのか?」

 

 慣れない敬語でたどたどしく話しかける十代。

 その姿に毒気を抜かれたのか、パラドックスは一つ特大の溜め息をつくと、口を開いた。

 

「……敬語が使いづらいなら、呼び捨てでも気にはしない」

「え、そうか? いやー、助かったぜ。いまいち敬語って苦手なんだよな、俺」

 

 あはは、と陽気に笑う十代。高校三年生にもなって言うセリフじゃないとは、この場にいる全員が心の内で思ったであろうことである。

 まぁそんなわけで、とりあえずとはいえ顔合わせも済み、俺たちはひとまず休みを取ることになった。

 いきなりこんな状況に置かれ、事情を知るからと今から気張っていては身体が持たないと鮎川先生に諭されたからである。

 実際、十代やヨハン、ジムをはじめとした面々は今からまたこの状況をよくするために何かできないかと動くつもりだったらしい。どこか余裕のない顔つきを見て、鮎川先生は一人の大人として心配になったのだと思う。

 そしてそんな鮎川先生の心情は、その表情から読み取ることが出来た。外はちょうど夜が近づいて来たのか暗くなり始めている。時間的にもそろそろアカデミア内でじっとするべきと判断し、俺たちは鮎川先生の言葉に従うことを決めた。

 

 保健室には俺とマナ、三沢とパラドックスが残ることになった。これから保健室を使う生徒が増えることも考慮し、予備のベッドが追加されて三つになったので、パラドックスももう少し休むことになったのである。

 十代、ジム、ヨハンは最後に学内を巡回してくるそうだ。何かのトラブルがあれば、そこから連鎖的に問題が起こるかもしれないとジムが言ったためである。

 オブライエンは、独自に調査を。アモンは生徒たちの話を聞いてくると言って出て行った。万丈目、翔、剣山、明日香は今の状況について考えてみるとのことである。

 そういうわけで、すっかり夜となった今、保健室に人気はなくなった。三沢は泥のように眠っているし、パラドックスもたぶん寝ているだろう。こちらに背を向けているからわからないが。

 俺はふぅと息を吐いて、夜の色に染まった天井を見上げた。

 

「なんか、大変なことになっちゃったなぁ」

「ホントにね」

 

 俺のベッドの脇から、マナの声が返ってくる。

 ちなみに今のマナは実体化している。どうもここが精霊界であるためか、実体化している方が楽なんだとか。一応精霊化することもできるらしいが、まぁ楽ならそっちのほうがいいのはわかる。

 とはいえ保健室のベッドの数が足りないので、さすがに寝る時は精霊化するつもりのようではある。精霊化すればベッドの心配はいらないあたり、便利といえば便利な気がする。

 

 俺はそんなどうでもいいことを考えながら、今日を振り返る。デス・デュエルの危険性の露見、パラドックスとのデュエル、研究所への侵入、ギースとのデュエル、そして……異世界への転移。

 まさにイベント目白押しだ。一日で起こったとは思えないほどに、詰め込まれている。まぁ、そのせいで俺はいま保健室にいるわけだが。もう少し間があれば回復する時間もあったのだろうが、いま言っても詮無いことか。

 また一つ息をこぼして上を見る。「溜め息をつくと、幸せが逃げるよ」と隣から言われたが、俺はそれに「幸せが逃げてるから溜息つくんだよ」と返す。今度は苦笑が帰ってきたのがわかった。

 そして、俺は寝ているであろうパラドックスの背に目を向けた。

 

「……結局、レインのことは訊けなかったな」

 

 俺はぽつりと呟く。

 パラドックスはゾーンに近しい人間だ。更に、本人も科学に明るいときている。となれば、レインを元に戻すことも出来るのではないかと俺は考えているのだ。

 とはいえ、俺たちは敵対していた者同士。いきなりそんなことを言えるはずもなく、まずは普通に話が出来るようになるのが先決だった。

 まぁ、その点は意外とどうにかなった。パラドックスが俺を積極的に殺そうとしなかったからだ。あのデュエルで俺のことを少しは認めてくれたのだと考えれば、嬉しい。そういうわけでようやく訊いてみる下地が出来たところで、三沢がやってきたのである。

 その後は今後の対応や現状への理解などでずるずると時間が経っていき、結局今の時間になってしまった。溜め息も出ようというものである。

 

「レインちゃん……パラドックスなら、何とかしてくれるのかな?」

 

 マナが、少しだけ沈んだ声で言う。

 レインが昏睡状態であることを思ってのことに違いない。マナはレイを通じてレインとも仲が良かった。だからこそ、心配なのだろう。

 俯きがちになったその姿を横目で見て、俺は上半身を起こすとその肩に手を回してポンポンと軽く叩く。あまり気にしすぎるな、とそんな意味を込めて。

 

「わからないけど、可能性はあるんだ。なら、今はそれに賭けるだけだ」

 

 マナを元気づけるため、そして自分にも言い聞かせるために、俺は力を入れて断言した。これまでは、どうすればいいのかさえわからなかったのだ。可能性が見えたことは大きな進歩である。

 そう思って、今は信じるしかない。そう伝えれば、マナは肩に置かれた俺の手に自身のそれを重ねて、小さく「うん、そうだね」と頷いたのだった。

 その反応に、俺もほっと内心で安堵する。やっぱり、マナの沈んだ顔なんて見たくないものな。

 そうして少しだけ穏やかな空気が流れたと思った、その時。

 

 ――きゃぁあああッ……!

 

 校舎のどこからか突然聞こえてきた悲鳴。それに、俺とマナはハッとして顔を見合わせた。

 

「今の声って……!」

「レイちゃん!」

 

 俺はすぐさまベッドから降り、だいぶ回復したこともあってそのまますぐに走り出す。そして、マナと共に保健室を出て声がした方へと急いだ。

 今の声は、間違いなくレイのもの。一体何があったのかはわからないが、悲鳴を上げるなんて尋常のことじゃない。頼むから、無事でいてくれ。心の中で必死に願いつつ、俺は足を動かした。

 そうして廊下を走っていくと、やがて何人かが固まってしゃがみこんでいるのが見えてきた。よくよく見れば、それはヨハン、ジム、オブライエン、十代の四人。学内を回っていた皆が俺たちと同じく悲鳴を聞いて駆けつけてきたのだろう。

 

「みんな!」

「遠也! それにマナか!」

 

 声をかければ、こちらに気付いたジムが確認するように俺たちの名前を呼ぶ。

 そして、他の三人もこちらを認めると、十代が慌てた様子で振り返った。

 

「ちょうどよかったぜ! マナ! レイに、レイに回復の魔術をかけてやってくれ!」

「十代くん!? 回復の魔術って……」

「これは……!」

 

 追いついた俺たちは、十代の腕に抱えられたレイに目をやり息を呑んだ。

 高熱を出しているのか、紅潮した顔、荒い吐息。更にその剥き出しになった肩から二の腕にかけて、無残な傷が刻みつけられていた。

 かなりの大怪我でありながら、しかし血は流れていない。それだけで、この怪我が超常的な何かが原因であるとわかる。

 

「女の子に、ひどい……!」

 

 唇を噛んでそう言いつつ、マナはすぐさま回復魔術をかけ始める。しかし、若干その呼吸をよくする程度で、怪我のほうはそのままであった。

 しかし、何もしないよりはマシだった。そして、その魔術のおかげか意識を取り戻して薄らと目を開けたレイが十代、マナへと目を向け、そして最後に俺へと視線を向けた。

 

「レイ!」

「とおや、さん……マルっちを……影に、連れてかれた……助けて、あげて……」

「レイッ!」

 

 途切れ途切れになりながらも、レイはそれだけを告げて再び意識を落とす。

 俺や十代が焦って顔を覗き込むも、表情はさっきと変わらない。急に悪化したというわけではないとわかって胸を撫で下ろすが、しかし状況が好転したわけではなかった。

 その時、オブライエンが俺たちに声をかけてくる。

 

「十代、それに遠也! ひとまず保健室に連れていけ! ここでは充分な治療は出来ん!」

「Yes! オブライエンの言う通りだ!」

 

 オブライエンとジム、二人の言い分に俺たちは全面的に賛同し、十代がレイを抱え上げ、そして俺とマナがそれに続く。

 

「急げ、十代! 俺たちはこのままマルタンを探す!」

「頼んだぜ、ヨハン!」

 

 そして、俺たちは保健室に向けて走り出す。十代と並走してマナが魔術をかけ続けるのを見つつ、俺は懐から生徒手帳代わりのPDAを取り出して鮎川先生へとつなげる。

 異世界にいるからか電波の状況は悪いが、学内ならばまだ何とか繋がるのだ。走りながら、俺は鮎川先生にすぐに保健室に来てもらうよう頼み込んだ。

 鮎川先生もすぐさま了承。保健室に向かってくれるという言葉に感謝し、俺は改めてレイの顔を見た。

 苦しそうに肩を揺らして息をする小さな身体。その姿に、やるせなさと憤りを感じずにはいられなかった。

 レイにこんなことをした者、そして助けてやれなかった自分自身に、怒りが湧く。だが、今はそんな感情には蓋をする。それよりもレイの苦しみを取り除いてやることが、最優先でやらなければならないことだ。

 荒い呼吸を繰り返すレイに焦燥にも似た気持ちを抱きつつ、俺たちは保健室へと急ぐ。頑張れ、と抱えられたレイに必死に声をかけながら。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。