遊戯王GXへ、現実より   作:葦束良日

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第50話 意志

 

「――ねぇ、レインさん。お昼一緒に食べない?」

 

 レインの記憶が確かなら、それが最初にかけられた言葉であったと思う。

 お昼休みに入った教室。誰もが仲のいい誰かと共に机を囲む中、一人で教室を出て行くのがレイン恵の日課だった。

 そしてその後購買で適当なパンを買い、どこか座れる場所を見繕って昼食をとり、休み時間が終われば教室に戻ってきて授業を受ける。そうして学校が終われば、寮の自室に戻って今日の報告。それで一日は終わり。

 疑問すら抱く必要もなく、ただそうであることが当たり前として過ごしてきた日常。

 そんな日常に一石を投じたのが、早乙女レイという少女だった。

 声をかけられたレインは、席に着く自分を覗き込んでいる少女を見る。……確か先日行われたデュエルで自分が負かした少女だったと記憶を掘り返す。名前は確か……。

 

「……早乙女レイ……」

「わ、ボクの名前覚えててくれたんだ?」

 

 一度対戦しただけの自分を覚えているとは思わなかったのか、レイは少し大げさに驚いてみせる。

 レインとしても通常であればいちいち覚えてなどいない。しかし、レイはそのデュエルで珍しくシンクロ召喚を使っていたので記憶に残っていたのだった。

 そしてそんなレインの回答に気を良くしたのか、レイは笑みを深めて言い募った。

 

「それで、どうかな? ボクと一緒にご飯食べようよ」

「……遠慮する……」

 

 がた、と椅子を揺らしてレインは立ち上がる。ほぼ即答に近い形で断りを入れると、そのまま振り返ることなくレインは教室を出て行った。

 あの少女と仲良くすることが、自分の任務にとって重要であるとはレインには思えなかった。それならば、無理に接触を持たずとも問題はない。そんな思考の下、今日も今日とてレインは一人で過ごすのであった。

 変わりのない日常。アカデミアに送り込まれてから、そう過ごすべきだと判断して続けているレインにとって当然の生活。学生生活を謳歌することに目的がないのであるから、それを重要視しないのは彼女にとって必然であった。

 ……しかし。

 

「ね、レインさん。今日は一緒に食べようよ」

「………………」

 

 その日以降、レイは幾度となくレインに声をかけるようになっていた。彼女だって、レインがいつも一人で過ごしていることを知っているだろうに、なぜその生活に入り込んでくるのかレインには本気で理解できなかった。

 この頃には、レインも監視対象である遠也とこの少女が親しい関係であることを認識していた。二人がレッド寮傍で何人かの上級生たちに混ざって話しているのを目撃しているからである。

 しかし、だからといってこの少女と親しくなる必要性をレインは感じなかった。監視こそが本分である以上、過度にその対象と接触することにはデメリットがあると考えたからだ。

 無論、近づくことによるメリットもある。しかし、わざわざデメリット要素を生み出すこともないだろうと慎重なレインは考えたからである。ここらへんは、彼女のマスターの気質も関係しているといえよう。

 ともあれ、そういうわけでレインはその後もレイのことを少し避けていた。しかし、それが二日続き、三日続くと、レイとしても我慢の限界が来たらしかった。

 次の日、レイは教室を出て行くレインに駆け寄ってきたのだ。

 

「レインさん! ちょっと待って!」

「………………」

 

 しかしレインは足を止めない。すたすたと歩いていくレインに、レイはしかし追いすがって隣に並んだ。

 

「へへーん、ボクは諦めが悪いんだ。今日こそは一緒にご飯を食べるからね!」

「………………」

 

 もう好きにしたらいい。

 何度無視しても変わらず自分に構ってくるこの少女に、レインも面倒くさくなったのかわざわざ言葉を返すこともなくただ歩く。

 否定の言葉がなかったのを承諾ととり、レイは嬉しそうにレインと一緒に歩いていった。

 それからしばらく、レインが勝手に教室を出て行き、それにレイがついていくという構図が恒例のものと化した。

 購買でパンを買い、適当なベンチに腰を下ろして食事をとる。黙々と食べるレインの横にレイが座り、昨日は何があった、自分の知り合いの先輩がこうだった、とレインの答えがないことを知っていながら色々と話しかけるのだ。

 それに対して、レインは何も答えない。せいぜいが皆本遠也の監視だけでは得られない情報を予期せぬところから得られてラッキーぐらいなもので、それにしたって別に必要な情報というわけでもなかった。

 結局レインにとって、レイはそれほど関心を向けるような存在ではなかったのだ。

 けれど、一つだけそんなレインが疑問に思うことがあった。それは、誰もが話しかけてこなかった中で、なぜ彼女だけが自分に話しかけてきたのか、という点だ。

 レインは監視やその他諸々のために、よく授業をさぼる。そのことに周囲が興味を持ちつつも話しかけては来ない、という雰囲気をわざと作り上げていただけにそれを無視して話しかけてきたレイのことは僅かばかりとはいえ気にかかったのだ。

 彼女と周囲の差異は一体なんだったのか。それだけが唯一、レイに対してレインが興味を持った事柄だった。

 その日も、レイは懲りずにレインに話しかけていた。しかしその日はいつもと違い、レインは食べる手を止めて視線をレイに移したのである。

 

「どうしたの?」

 

 いつもとは違う反応に、レイは小首を傾げて不思議そうな顔になる。

 その表情を正面から見つめて、レインは静かにかねてから抱いていた疑問を尋ねた。

 

「……どうして、私に声をかけたの……」

 

 レインにしてみれば、気になっていた疑問だった。何も自分は変わっていないはずなのに、この少女だけが周囲と違って自分に興味を持った原因は何なのか。その原因を究明することで、一層自分は違和感なく行動を行うことが出来るようになり、仕事もよりスムーズになるだろう。

 そういう考えによる質問であり、レインとしてはしごく真面目な問いだった。

 しかし、レイはその問いに対して小さく笑う。そして、「そんなことかー」とあっけらかんと言い放ったのである。

 これには、さすがにレインも少々むっとした。自分の真剣な問いかけにその態度は何事か、とそう思ったのだ。

 後になって思えば、この時初めてレインはレイという少女に明確な感情を抱いたのかもしれなかった。

 そして、その時レイは笑顔のままレインにこう答えた。

 

「簡単だよ! ボクがレインさんとお友達になりたかっただけ!」

「……ともだち……」

「うん、そう! レインさんってデュエルも強いし、可愛いし、誰だって友達になりたくなると思うよ」

「………………」

「あ、でもクラスの子たちは違うのか。うーん……きっと皆レインさんが高嶺の花みたいで、話しかけづらいんだね。遠也さんたちなら、気にしないんだろうけど」

「……皆本、遠也……」

「あ、知ってるんだ遠也さんのこと。……でも、ダメだからね! いくらレインさんでも、遠也さんは渡さないよ!」

 

 誰も欲しいとは言っていない。それに、そもそも遠也には彼女がいるのではなかったか。そんなことをレインは思ったが、しかしそれを口に出すことはなかった。

 

「ね、それよりレインさん」

「……なに……」

「えーっと、その、返事はもらえないのかなって……」

 

 もごもごと口ごもって言うレイに、レインは訝しげな顔になる。返事を求めて質問したのは自分のはずだ。その自分が、なぜ今度は返事を求められているのか。

 レイは自分が言った言葉を全く理解していないらしいレインを見て、少し照れくさそうに頬を染める。そして、もう一度レイはその言葉を口にした。

 

「だから、ボクがレインさんと友達になりたいって話! ボクと友達になってくれる?」

 

 改めて言われ、あれは自分に対する問いかけだったのかとレインはようやく理解した。

 そして、今言われた彼女からの要請を脳内でどうしたものかと思案する。

 ここでレイからの要請を断ったところで、恐らく現状に支障はない。また元の一人の状態に戻るだけであろう。デメリットもなければ、メリットもない。

 対して受け入れた場合。彼女は監視対象である遠也と親しく、より詳しい情報が得られるだろう。しかし、その反面対象と直接接触を持つ可能性があるため、それがデメリットになりうる危険がある。

 果たして、どちらの選択をするべきか。悩むレインは、答えを待ってこちらを見ているレイに目を移した。

 

「………………」

 

 じっと自分を見つめ、口を一文字に引き結んでいる少女。

 レインからしてみれば、なぜこんなことに必死になれるのだろうかと不思議に思わずにはいられない。けれど、彼女にとってはきっととても大切なことなのだろう。

 でも、一体なぜ大切なのか、それがレインにはわからない。……だから、だろうか。それはレインにとって新たな興味となって、ある感情を心に生み出した。

 それは、知りたいという気持ち。この少女がこうまでこだわる、友達とは一体何なのか。それを、知的好奇心からレインは知ってみたくなったのだ。

 ゆえに、レインはこう答えを返す。

 

「……いい……」

「え?」

「……友達……」

「――ほ、本当!?」

 

 レイの確認に、こくりと頷いてレインは応える。

 それを受けて、レイは両手を上げてやったぁ、と喜びを露わにして歓声を上げた。

 やはり、彼女がどうしてそこまで喜ぶのかレインにはわからない。しかし、そこまで素直に感情を表に出せるというレインには出来ないことに、僅かながらの羨望を抱いたのは事実だった。

 やっぱり、興味深い。レイを見て、レインは自分の心に新たな何かが生まれつつあるのを感じていた。

 

「ね、ね、レインさん。じゃあ、これからは恵ちゃんって呼んでいい?」

「……構わない……」

「ありがとう、恵ちゃん! ボクのことはレイでいいからね!」

「……レイ……」

「うん!」

 

 たったそれだけのことで、レイは嬉しそうに笑う。

 それを今はまだ関心の薄い眼差しで見つめながら、レインは少しだけ変化が起こった自分の生活に、心がくすぐられるような奇妙な感覚を覚えるのだった。

 

 

 

 

 * *

 

 

 

 

 ――あれから、まだ一年も経っていない。

 その間、レインが朝に弱いと知ったレイが毎朝起こしに来るようになったり、昼食は常に二人でとるようになったり、と色々な変化がレインには起こった。

 そして、それらの時間を通じてレインにとってもレイという存在は大切な友達という位置づけになったのである。

 そしてやがて、遠也やマナ、十代に翔に剣山、万丈目に三沢、明日香に吹雪といった面々と知り合っていき、彼らもまたレインにとってかけがえのない仲間となっていった。

 それもすべて、レイがあそこで自分に話しかけてくれたからこそだ。

 レイと出会っていなければ、きっと今の自分はなかった。こうして人との繋がりに温もりを覚えることなく、淡々と機械のように仕事をこなしていただけの人形になっていたに違いない。

 だからこそ、レインにとってレイは特別だった。誰よりも大切に思う、たった一人の親友であった。

 その親友の思い人を、消すわけにはいかない。レイが悲しむなんて、真っ平御免だった。

 しかし、だからといって破滅の未来を良しとするわけにもいかない。マスターもまた彼女にとっては比べることも出来ない存在だからだ。

 だから、彼女はこれまでの付き合いの中で知った遠也の可能性を信じた。いまだライディングデュエルの原型すら存在しない世界で、アクセルシンクロを見出した男。

 その可能性に、レインは賭けることにしたのだ。

 その可能性は、きっと希望となって未来を変えてくれる。そう、レインは信じたのだ。

 

『――レイン恵。これは、どういうことですか』

 

 レインの自室。通信を漏らさないために防音などの設備も整えられたそこで遠也のデュエルディスクに改良を加えていると、突然ディスプレイがオンになってマスターの姿を映し出す。

 レインは作業を一時中断すると、ディスプレイに正面から向き合った。背中には嫌な汗が伝っている。しかし、それを表には出さず、レインはマスターの詰問に答えた。

 

「……ごめんなさい。……でも、私は皆本遠也の可能性を、信じたい……」

『可能性。そんな曖昧なものに頼っていて未来が救えると、あなたは本当に思うのですか』

 

 普段は温厚な彼女のマスターには似合わぬ、厳しい口調。

 そこから読み取れる彼の本気さに気圧されつつも、しかしレインははっきりと自分の考えを口にする。

 

「……わかりません。……でも、信じなければ、きっと可能性はゼロだから……」

 

 何を言えばいいのかなんて、レインにはわからない。もとより可能性などというものとは無縁の存在であるレインにとって、それは真に理解できるものではないのだから。

 だがしかし、ここで言っておかなければいけないのだ。自分の言葉でマスターを説得できるとは思っていない。けれど、僅かでも遠也に可能性を見出してほしかった。

 それは、かつて絶望に沈んだマスターだからこそ。

 

「……正史ではなかった、可能性。……それはきっと、希望になると、思うから……」

『………………』

「……それに、私は親友の気持ちを、裏切りたくない……」

 

 たどたどしく口にしたレインの気持ち。

 それを受け取ったマスターが何を思うのか、レインにはわからない。しかし、これで言いたいことは言えた。ならば、あとは自分に出来ることをするだけである。

 再び作業に戻ろうとするレインに、ディスプレイからの声が降りかかる。

 

『それが、あなたの答えですか。レイン恵』

「………………」

『あなたは私が作り出した生体アンドロイドにすぎない。その活動の権利は、私の手に握られている。それを忘れたわけではないでしょう』

「………………」

 

 そんなこと、レインは重々承知していた。

 自身は彼女のマスターであるゾーンによって生み出された人間に近い、しかし全く違うもの。ゾーンの驚異的な技術によって単体での半永久的な活動を約束されているとはいえ、創造主がその命を握っているのは事実なのだ。

 よって、彼がひとたびその手に握られたトリガーを引けば、レインは生物で言うところの死を得ることになる。

 一応不測の事態に備えて、活動を停止させられたとしても一日程度の活動ならば可能になっているが、それも本来は自身の処理による証拠隠滅や自力での帰還のための機能だ。

 それ以上の存命を可能にする機能ではない。よって、一日経った後は確実にレインの活動は停止する。つまり、もう何があってもレインにとってそれは避けられない未来なのだ。

 そんなことは本人であるレインは一番よく知っている。

 しかしそれでも、レインは遠也から預かったデュエルディスクを手放そうとはしなかった。

 その姿から彼女の考えを悟ったのだろう。ディスプレイの向こうで、ゾーンは一度目を伏せた。

 

『……そうですか。残念です、レイン恵』

 

 その言葉と同時。なにか鈍い音がレインの耳に届いた。

 自分の体内から響いたその音は、まぎれもなく主要エネルギー機関の動作がストップした音だった。

 瞬時にサブの非常用エネルギー生成ドライブが動き出す。が、これはマスター曰く持って約一日ほどの使い捨て機関だ。これで本当にレインに猶予はなくなった。

 

『……嫌な感触だ。自らの部下に手を下すなど、もう二度と経験したくはないものです』

「……マスター……ごめんなさい……」

『謝罪は結構。あなたは私にとって部下でしたが、やはり私が作り出したロボットにすぎなかったようだ』

「……はい」

 

 レインは短くそう答えると、急いで作業に戻る。既に賽は投げられた。ならば、時間を無駄にするわけにはいかない。

 

『あなたのすることはわかっています。この通信装置に積まれたモーメントをそのデュエルディスクに組み込むつもりなのでしょう。D・ホイールの代わりに2個のモーメントで必要なエネルギーを補おうとしている』

「………………」

『しかし、ただ2個積み込むだけではエネルギーは足りない。それを知ってのことですか?』

「………………」

 

 それは、レインにだってわかっていたことだ。

 元々D・ホイールにはモーメントが積まれている。更にデュエルディスクにも1つ。つまり、既に通常のライディングデュエルの時には2個積まれているのが普通なのだ。

 そのうえで、加速してエネルギーを増やしていくことで可能になるのがアクセルシンクロだ。その加速するという最後の一押しがスタンディングデュエルでは出来ない以上、アクセルシンクロはこのままでは出来ないだろう。

 押し黙るレインに、ゾーンは淡々とした口調で言葉を続けた。

 

『あなたが活動停止したことを確認した後、回収する者を派遣します。尤も、それは三皇帝以外の者になりますが。――それでは、さようならです、レイン恵……』

 

 そこで、通信は途切れた。

 最後にゾーンから告げられた問題点が、レインに重くのしかかる。確かに、このままでは意味がない。アクセルシンクロを可能にするには、2個合わせたうえで、それ以上の出力を生み出さなければならないのだから。

 ならば、一体どんな手があるというのか。彼が言ったように、ただ2個積み込むだけでは無理ならば、一体どうすれば……。

 しかし、上手い解決策が出てこない。急がなければ、改良が終わる前に自分の期限が来てしまう。それより前、更に回収を任された者が来るより早くこれを手渡さなければならないというのに……。

 即座に遠也を殺しにかかりそうな三皇帝が来ないというのは朗報だが、安心するわけにはいかない。アクセルシンクロさえできるようになれば、シンクロの天敵たる機皇帝をマスターから下賜される予定の三皇帝を相手にしても戦えるのだが。

 だが、そのためにはやはりモーメントの出力の問題をどうにかしなければならない。ただ2個積むだけではない、その他の方法……。

 

「……あ……」

 

 三皇帝。そうだ、あの方法ならば。

 一つ方法を思いついたレインは、即座に作業に没頭していく。確実に可能になるとは言い切れない。しかし、可能性があるならばそれに賭ける。

 その一心で、レインは改造作業を行っていく。脳裏によぎる仲間たちの、そして友の顔。それを決して忘れないようにと自分に言い聞かせながら、彼女の手は休まることなくデュエルディスクへと向かっていくのだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ジェネックスも残すところ二日となった日のお昼頃。俺は中等部女子寮のほうへと足を向けていた。

 十代たちは何でもプロリーグ世界タイトルマッチを見るために校長室の巨大テレビを借りるつもりらしく、早足で校舎に向かっていった。それを見送った俺は精霊状態となったマナとともに、単独行動を行っているのだ。

 俺は昨日、大会規定の一日一度のデュエルしか行っていない。いつもは何度か戦うのにそうしなかったのは、俺が常に使っているデュエルディスクを今は持っていないからだ。

 まるまる一日を間に置いた夕方付近。レッド寮の前で待っていたレインに、俺はデュエルディスクを手渡している。そのため、支給品のデュエルディスクを借りるしかなく、それで何度もデュエルする気になれなかった。

 もともとメダルは比較的集めていたほうだったし、問題はない。そのため、休みの日ということにして身体の調子を整える日に当てていたのだ。

 そうして日をまたいで今日。つい先ほどレインからデュエルディスクを取りに来てほしいと連絡があったため、俺はこうしてレインのもとへ向かっている。

 結局レインが何故いきなり俺のデュエルディスクを貸してほしいと言って来たのか、俺にはわからない。恐らくはモーメントを調べるためだとは思うのだが。

 まぁ、レインもその背後にいるであろうゾーンもモーメントに関しては慎重だろうから、俺はそういう意味でも信頼して普通に手渡した。

 もしモーメントを抜き取られるとアクセルシンクロできる可能性が減るので困るところではあるが……。それよりレインが上からの指示を無視した時に、どうなるかのほうが不安だった。それなら、元々できていないアクセルシンクロの可能性を減らすほうがマシだと判断して渡したのだ。

 果たして俺のデュエルディスクはどうなっているのだろうか。ディスクの安否に少々心配になりながら、俺は女子寮へ向かう道を歩いていた。

 その間、俺はレイから聞いた話を思い返していた。レイ曰く、いつも通りに朝起こしに行ったら、レインは既に起きていて「今日は用事があるから」と言って登校を拒否したらしい。

 ここのところ日中はレイも用事があるらしく、昨日のお昼から夜にかけてレインはずっと部屋にいたとしかレイも知らないようだ。一昨日の夜になる前あたりに俺が会ってからずっと、つまり昨日はずっとレインは部屋に籠っていたことになる。

 一応食事などはとっているとレイン自身は言っているようなのだが、寝ずに何かをやっているのは間違いなさそうだ。そしてそれがデュエルディスクを渡した直後である以上、それが原因としか思えなかった。

 そういったことをレイから聞いた俺たちは、いくらか歩幅を広くとって目的地を目指していた。

 

『大丈夫かなぁ、レインちゃん』

「無理してないといいんだけどな……」

 

 さすがに徹夜はそう褒められた行為でもないだろう。一日中部屋の中にいたというのも滅多にないことであるし、いったい何をしているのかは知らないが、レインの身体が心配である。

 そうして歩いていると、徐々に中等部の寮が見えてくる。そしてその中でも女子寮はどこなのかと思い探そうとしたところで、マナがあっと声を上げた。

 

『遠也、あそこ。レインちゃんが立ってるよ』

「ん? あ、ホントだ」

 

 中等部の寮が立ち並ぶ入口にて、レインは立ってこちらを見ていた。今は既に授業時間であるため、周囲に人影はない。だからこそというべきか、一人立っているレインの姿は結構目立っていた。

 すぐに俺とマナはレインに駆けより、挨拶をかわそうと片手を上げる。しかし、俺が何かを言う前に、レインは手に持っていたデュエルディスクを俺の胸に押し付けてきた。

 

「これ、俺のデュエルディスク? レイン、お前……」

「……もう、限界。……部屋に戻る……」

 

 ふらふらとした足取りのレイン。その目も、どこか普段より眠気を強く帯びているようで、もはやいつ閉じてもおかしくないほどに瞼が重そうだった。

 どうやら予想通り、徹夜していたらしい。

 俺は苦笑して、レインの頭に手を置いた。

 

「あんまり無理はするなよ。レイも心配するからな。もちろん俺もだが」

「あ、もちろん私もね!」

 

 一瞬で実体化したマナが続くと、レインはふっと笑みをこぼした。そして消え入りそうな声で「うん」と呟く。どうやら本格的に眠気が押し寄せてきているようだった。

 どことなく形状が変化したデュエルディスク。動力部分が若干横長になっている気がするそれを持ち上げ、レインの前で掲げてみせる。

 どうやらなにがしかの改造を施していたらしい。それがどんなものなのかはわからないが、レインがすることだ。俺にとっても悪くない何らかの処置を行ったのだと思う。

 だから、何をレインがしたのか知らずとも、俺はただこう言うだけである。

 

「ありがとな、レイン」

「――……うん。……それじゃ……」

 

 どこか満足そうな笑みを見せ、レインがふらりと俺たちに背を向ける。

 足元がおぼつかない姿に危険を感じた俺は、咄嗟に心配する声を出した。

 

「お、おい。送って行こうか?」

「……平気。……遠也先輩、マナさん。……バイバイ……」

 

 背を向けたままそう言ったレインは、寮の中へと去って行く。さすがに男である俺がこれ以上ついていくわけにもいかず、しかし心配だった俺はマナに精霊状態になってきちんと部屋に戻ったかだけ確認してもらった。

 一分ほど後、マナは俺の隣に戻ってくる。

 

『大丈夫。部屋でベッドに入ってたよ』

「そうか……じゃあ、行くか」

『うん』

 

 途中で倒れたりはせずちゃんと部屋で寝ていることを確認した俺は、安心してその場を去る。既にジェネックスは大詰め。微かに残る記憶を頼りにするならば、動くのは恐らく今日だ。ならば、気を抜くわけにもいかない。

 まるで新品のように磨かれたデュエルディスクを左腕に着ける。レインの細かな気遣いが感じられるそれに自然と浮かんだ笑みをこぼしつつ、俺は高等部のほうへと向かうのだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 部屋に戻ったレインは、ベッドに入り横になる。

 もはや身体が動く時間の限界を迎えていることは明白であり、次に瞼が落ちてくれば再び開くことはないだろうと感じさせるほどに、意識が朦朧となっているのが現状であった。

 しかし、それでも最後の力を振り絞ってレインは自身のPDAを手に取ると、一通のメールを打ち始めた。

 それは、レイに当てたもの。このジェネックスの期間中、レイがたびたび授業をさぼっているわけをレインはよく知っている。

 もしここで何も説明せずに自分が動けなくなったら、最終日である明日の朝にレイが自分を起こしに来た際に自分の異状に気付くだろう。そうなったら、せっかくの最終日であるというのにレイは集中できないに違いない。

 それだけならいいが、最悪の場合いまレイが取り組んでいることを投げ出してしまうかもしれなかった。レイの願いを知っているレインが、それを許容することなどできるはずもない。だからこそ、レインは最後にこのメールを送るのだ。

 徹夜したから自分は寝る。明日の朝は起こしに来てくれなくていいから、ジェネックスの結果だけを伝えてほしい、と。もちろん、体調に心配はいらないとの文も添えた。

 いい知らせを楽しみにしている。そう最後に付け足すと、レインはPDAをベッド脇のチェストにゆっくりと置いた。

 これで大丈夫。もし万が一にレイがこの部屋に来たとしても、こうしてベッドで寝ていれば、自分は寝ているのだと判断してくれることだろう。

 それに、もしレインを回収に来た者とレイが鉢合わせても困る。ならば、こうして自分の部屋に近づく可能性を減らすことがレイのためになる。

 その考えの下、自分がすべきことは全て終わったとレインは長く息を吐く。

 時刻は既に日も高い昼過ぎ。マスターが言った一日程度しか持たないという期限から、既に半日以上。よくぞここまで持ってくれたとレインは自分の身体を褒めてやりたい気分だった。

 本格的に活動が止まれば、マスターの手による回収担当者がやって来ることだろう。それがいつになるのかはわからないが、どうか誰にも見つからないようにやってほしいと思う。

 それで仲間の誰かが傷つくようなことがあれば、レインとしては後悔してもしきれないからだ。尤も、あのマスターのことだからそのあたりは完璧だと思っているが。

 もはや自力で支えることすら困難になっていた瞼が、ゆっくりと落ちてくる。

 そんな中、レインは自分が知り合った皆の顔をぼんやりと思い浮かべていた。

 光の結社という存在との戦いはまだ終わっていない。遠也や十代をはじめとした皆が、きっとそれに立ち向かっていることだろう。

 その脅威は時おり遠也が見せた焦りのような表情から察することが出来る。だがしかし、彼らなら何とかしてくれるに違いない。そんな根拠のない思いをレインは抱いていた。

 自分を受け入れてくれた仲間たち。そして、自分のことを親友だと言ってくれたレイ。

 彼らを思う気持ちを最後まで抱き続け、その瞼はついにレインの瞳を覆い隠したのだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

『――活動停止を確認。……眠りましたか、レイン恵』

 

 地平の果てが見えない、異質な純白の空間。そこに大きな機会に包まれて浮かぶ男が一人、機械音声が混じる声で静かに呟いた。

 そこに僅かな驚きと安堵が含まれていたことには、この場に誰もいない以上、気付く者もいなかった。

 活動の限界値である一日を大幅に超えても動いていたのは、彼にとっても予想外の出来事だったのだ。本来ならば今日を迎える前にレインの動きは止まっていたはずなのだから。

 恐ろしきは思いの力、か。自身が科学技術によって生み出した存在が、人知の及ばぬ現象を引き起こした事実に、彼は驚いていた。

 ごく小さいことではあるが、彼の予想を覆した事実は大きい。レイン恵は彼にとって被創造物の域を出なかったが、しかしこの瞬間彼はレインの存在を一個の存在として初めて認めたのかもしれなかった。

 そのことを賞賛するも、同時に厄介なことをしてくれたものだとも彼は感じていた。

 

『アクセルシンクロの種を残すとは。……そうなると、イリアステルを動かすのは厳しいですね』

 

 イリアステルのトップである三皇帝。彼らに与える予定である《機皇帝》は、シンクロキラーとでも呼ぶべき能力を有したカードたちだ。

 そのためシンクロ使いである遠也の相手を任せるには最適だと思っていたのだが、その遠也がアクセルシンクロを手に入れているとなると話は変わる。

 今はまだ完全にものにはしていないようだが、こちらとしても今すぐ機皇帝を渡して現地に送り込めるわけではない。そのうえ、今アカデミアの地で起きている騒乱の中心近くに遠也がいる以上、その中で彼がアクセルシンクロを目覚めさせる可能性もあるのだ。

 必要に迫られた場面で、その時に適した能力を開花させる。稀にそういう人間が存在していることをゾーンは知っている。そして、これまでのデュエルを見てきて、遠也もそういった才を持つ者である可能性は高いとゾーンは踏んでいた。

 土壇場での奇跡のドロー。いずれ名を馳せるであろう遊城十代にも備わっていると思われるそれが、遠也にも恐らくはあるはずだ。

 ならば、ここは確実に対処することのできる者を送り込む。獅子は兎を狩ることにも全力を尽くす。手近だが僅かな不安を残す案を取るぐらいならば、難しくとも信頼を確実に置くことのできるものを選ぶ。

 そう考えたゾーンは遠也という存在を確実に抹消するための手段をこれと決め、そのための準備を始める。

 ゾーンが次に打った手。それは一体何なのか。

 それが遠也に迫るのは、もう少し先のこととなるのだった。

 

 

 

 

 


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