クロノス先生とカミューラの戦い。その後、俺たちは言葉少なに帰路をたどり、それぞれの寮へと戻っていった。
口数が少なくなるのは当然だろう。クロノス先生は最高指導責任者という立場もあり、生徒にとって比較的よく接する教師である。その近しい人間が、物言わぬ身体に変えられてしまったのだ。
それを目の前で見ていたのだから、その辛さは一層深い。闇のデュエルは、一度始まれば誰であろうと介入できない。だから見殺しにしてしまったのは、仕方がなかった。
そんなことを本気で思える人間は、あの場には一人もいなかった。だからこそ、誰もが多かれ少なかれ自責の念と己の無力さを感じ、口を噤むしかなかったのだ。
そんな感情を表に出したところで、何もいいことはない。それがわかるほどにはみんな大人であり、そして、そんな感情を超えるほどに怒りを感じていたからこそ、誰も何も言えなかったのだ。
「………………」
そうして自室に戻った俺は、早速デッキの構築に努めていた。
カミューラのデッキは、OCGカードが比較的少ないカードで構成されたアンデット族。なかでも、主力であるヴァンパイアジェネシスをサポートすることを主眼に置いた構成でほぼ間違いないはずだ。
いうなれば、【ヴァンパイア】デッキといったところか。そして、それだけならば対策など容易だ。それどころか、俺が通常使うデッキでも油断さえしなければ十分倒せる。
だから、真の問題はそこではない。
魔法カード《幻魔の扉》。これが最も警戒しなければならない問題だ。
己ではなく他者の命を糧にしても発動させることができる、サンダー・ボルトと死者蘇生の両方の効果を持ったトンデモカード。
これを封じられなければ、再び誰かの魂を人質にとられて終わりだ。
……クロノス先生のように。
「……これで、40枚」
思わず手に力がこもる。俺のためにその身を差し出したクロノス先生、そうさせてしまった自分への憤りのためだ。
あの人は、あの時本当に教師の鑑だった。闇ではなく光を信じ、そして子供たちを導くためにこそデュエルは存在すると説いた。
そんな素晴らしい人の犠牲の上に、俺はこうして過ごしている。
なら、俺はクロノス先生の示したその信念に沿って、カミューラに勝つ。それがクロノス先生の生徒として、そして助けてもらった身として俺がすべきことである。
「……よし」
完成したデッキをケースにしまう。
すでに夜遅い。カミューラに挑むのは明日に持ち越しである。
明日、万全でデュエルに臨めるよう、今日はさっさと寝るに限る。寝不足でミスをしたなんてことになったら目も当てられないからな。
というわけで、俺が身を横たえるべきベッドを視界に収める。
そして、変わらずそこにあった相棒の姿に、俺は少しだけ嘆息した。
背を丸め、両膝を抱えるようにしてベッドの上に座っているマナ。その顔は膝の上に伏せられており、表情を見ることはできない。
ひとまず今はデッキの構築を優先させたため後回しになってしまったが、帰ってきてからずっとこうである。
……何故、と聞くほど馬鹿ではないつもりだ。十中八九、俺が捕まった時のことだろう。
そう確信に近い予想を持った俺は、ベッドに近づき、その横に腰を下ろす。ぎし、とスプリングが沈み、マナの身体も合わせるように小さく跳ねた。
今ので俺が横に来たことは分かっただろうに。それでも、マナは一向に顔を上げようとしない。
「……はぁ」
溜め息を一つ。俺は膝を抱えて丸くなっているマナの身体を強引に自分側に倒し、その頭を抱えるようにして胸に押し付けた。
さらさらの金髪が広がり、その上からあやすようにゆっくり撫でる。もう片方の手は、マナの背中に回してポンポンと軽く叩く。
「気にするなよ。相手は神に匹敵する力を持ってたんだ。たとえマハードでも、どうしようもなかったさ」
これは恐らく事実である。マハードがいかに力のある魔術師とはいえ、さすがに神には敵わない。ゆえに、神と同格……あるいは迫る力を持つ幻魔にも、それは同じことだろう。
だから、仕方がない。これは俺の本心である。
しかし、マナには納得がいかないらしい。顔を胸に押し付けたまま、小さく反論する。
「……確かに遠也の言う通り……そうかもしれないよ。けど、私はそれでも、遠也を守りたかった――」
言って、マナはその手をゆっくり俺の背中に回す。俺の無事を確かめるようにそっと触れたその手に、マナの抱いた恐怖が滲み出るようだった。
危うく幻魔に魂ごと奪われかけた俺。きっと、その立場がマナだったら……俺は、今のマナと同じように感じるに違いない。
だから、マナの気持ちはわかる。けど、実際に生贄にされそうだったのは俺であってマナじゃない。だから、たとえ気持ちがわかっても、俺がマナにかけられる言葉は一つしかないのだ。
「ありがと。諦めずに何度も攻撃してくれてたのは、わかってたから。それだけで十分だって」
俺は少しの笑みと共にそうマナに返して頭を撫でる手を止め、身体ごと胸の中に抱きしめる。
「俺も、クロノス先生を助けられなかった。それに俺が捕まらなければ、マナがこんな思いをすることもなかったのにな。……悔しいよ、自分の無力が。だから、二人できっちりこの借りは返してやろう。ぐうの音も言わせないほどにさ」
明日、俺はカミューラに挑む。
そこで、俺を怒らせたことを後悔させてやる。マナを悲しませた怒りをぶつけてやる。俺が捕まらなければよかったという気持ちは確かにあるが、知ったことか。そもそも襲ってきたのは向こうなのだから、あいつが悪い。
なら、この怒りは全部元凶である奴に持っていってもらう。
「マナが気にしてくれるのは嬉しいけど、だからといってマナに悲しんでほしいわけじゃない。俺は、ほら、その……笑ってるマナのほうが、まぁ、好きだからさ。あんまり気にしすぎるな! な」
俺は若干気恥ずかしい言葉も交えつつ、抱きしめたマナの背を軽く撫でる。
すると、一拍置いて返ってきた「……うん」という小さな返事。
それを聞いた俺は、マナを抱きしめたままベッドに横になる。
必然マナも一緒に倒れ、二人してベッドに寝転ぶ形となった。マナの顔は見えない。さっき胸に顔を押しつけたままだからだ。
とはいえ、そこまで強く押さえつけているわけでもないので、すぐに腕の中からは出られるはずだが……マナのほうから離れる気はないらしい。
そんな中ふと感じる、もぞもぞと胸のあたりで動く感触。たぶんマナが顔を上げたのだとわかったが、俺はこの状況の恥ずかしさから下を見ることをしなかった。
顎の下からじっと見られていると感じながら、俺は極力意識しないようにして目をつぶる。そして一言だけマナに告げてから身体の力を抜いた。
「……おやすみ」
マナの返事も聞いたことで、俺はもう寝ることに抵抗がなくなっていた。
人肌に触れながらの就寝とは少々恥ずかしいが、こういう精神的にキツイことがあった時は何よりも安心できる手段の一つであるのも事実。
まぁ、これは俺のわがままなので、マナが嫌なら当然拒否してオーケーだ。俺はすでに力を抜いているため、抜け出そうと思えば容易になっている。だから、あとはマナの意思に任せて完全に寝るスタンスへと移行する。
すると、緩めた腕の中でマナが一層身体をくっつけてきたのを感じた。ドキッとするが、今日の出来事が出来事なので、気持ちがそういう欲望に向かうことはなかった。
そして俺の顔の下、胸のあたりで呟かれた「……おやすみ、遠也」という小さな声。俺の名前を呼ぶその声が、すっと子守唄のような安心感を伴って耳に届けられるのを感じながら、俺は明日に備えて意識を落としていくのだった。
*
翌日。
俺はカミューラがいるであろう城が浮かぶ湖の前に立っていた。昨日、クロノス先生が倒され、人形にされた場所だ。
我知らず身体に力が入り、筋肉が強張る。もちろん、怖いわけじゃない。カミューラに対する怒りと、この一戦にクロノス先生の命がかかっているという事実によって、どうしても緊張というものは出てきてしまうのだった。
だが、だからといって自信がないわけではない。むしろ、俺は負けるとは露ほども考えていない。奴が何をして来ようとも、完膚なきまでに叩き潰す。それだけのことはできると、確信していた。
今行くから、首を洗い忘れてるなら早く洗っとけ。そう心の中で毒づき、一歩踏み出す。
――その時。
「相変わらず不気味だぜ」
「なんか霧も出てるっすよ」
「まぁ、吸血鬼らしい佇まいと言えるな」
「ふん、陰気なだけだ」
「それに趣味も悪いわ」
「同感だ」
「……な、なかなか雰囲気があるんだにゃー」
「お、俺の後ろに隠れないでほしいんだな」
俺の背後から聞こえてくる声。
それに対して、俺はいい感じに高ぶっていた気持ちに水を差され、溜め息をついた。
「……おいこら、ギャラリー。もうちょっと緊張感持てや」
振り返ってじろりと全員に視線を向ければ、彼らは揃って気まずげな顔をした。さすがに本人たちにも自覚はあったらしい。
クロノス先生の命かかってんだぞ、という責めも含まれたそれに晒され、しかし十代は明るく笑った。
「悪かったけど、でも俺にとっちゃ何も気負うことがないから、ついな。遠也が戦うんだ。負けるはずがないだろ?」
それがまるで当然のことであるかのように言い放ち、「ま、俺がやっても絶対勝つけどな」と付け加える十代。
そのあまりにあっけらかんとした物言いに、俺は一瞬言葉をなくす。
しかし、それが俺に対しての信頼から発せられている言葉だと理解したところで、俺もまた笑みを見せて十代に返した。
「当たり前だろ、親友。俺を誰だと思ってるんだ」
「へへ、そうでなくちゃな。クロノス先生のことは任せたぜ、親友!」
安心したように、肩の力を抜く十代。
ひょっとして、十代なりに俺が緊張しているかもしれないと考えて気を使ってくれたのかもしれない。
なら、俺はその信頼に応えるだけだ。
「ああ、任せとけ!」
そう力強く言い、俺はみんなに背を向ける。
そして向かうのはカミューラが待つ湖上の城。湖の上に敷かれた赤い絨毯の上を歩き、城内へと侵入する。
石造りで天井が高く作られた、いかにもな中世の城。時おり照明代わりに光を放つたいまつの火に目を向けながら、その中を進むことしばし。
俺たちは光が差し込む広い空洞に出た。
ガラスのない窓から漏れた明かりが照らすそこは、全方位がやはり石で囲われているもののかなりの広さを持っている。二階まで吹き抜けの作りとなっており、壁に沿うようにして通路がある。
恐らくここはダンスホールのようなもので、通路は二回から一回のパーティーを見下ろす物見席のような役割なのだろう。
そうしてこの場の考察をしていると、不意にその通路から高い声が響いてきた。
「フフフ、逃げずに来たなんて偉いわね。それで、今宵はどなたがお相手になってくださるのかしら?」
赤いドレスに緑色の長髪。そこに挑発的な表情を加えて、カミューラが余裕綽々の態度でこちらを見やる。
問いかけのような言葉でありながら、その視線は俺に向けられている。昨日のあのやり取りから、俺が向かってくると予想できていたのだろう。だというのに、回りくどい演技をするものだ。
俺はすっと前に出て、一言だけ簡潔に述べる。
「俺だ」
そして、カミューラはわかっていたとばかりに頷いた。
「ええ、ではその変わった坊や。上がってきなさい。楽しいデュエルをしましょう、闇という名のね……」
そう告げて、物見通路の中で僅かにスペースがせり出した部分にカミューラが立つ。その反対側に同じようなスペースがあることから、そこで向かい合って対戦しようということだろう。
その意図を察し、俺は二階に上がるための階段に向かう。みんなも近くで見るためか一緒に上がってくる。そして俺は持っていたクロノス先生の人形がデュエルの余波に晒されないよう万丈目に渡してから、カミューラの対面へと移動する。みんなは階段を上がったところで立ち止まった。
向かい合う俺とカミューラ。そしてそれを横合いから見ているみんな。そんな図式が出来上がったところで、カミューラはくすりと口元に笑みを浮かべた。
「ふふ、いいのかしら。こんなにお友達を連れてきて。また昨日のあなたみたいになるかもしれないわよ」
「………………」
安い挑発だ。そんな言葉で、俺が感情を動かすとでも思ったのだろうか。だとしたら、なめられたものである。
俺は隣に浮かぶマナに目を配り、小さく笑みを交わし合う。それだけで心が落ち着く。負ける気が全くしない。
だから、俺は余裕たっぷりに笑ってカミューラに返す。
「安心しろ。お前ごときに苦戦なんかしないから」
「なっ……!」
その俺の対応が癇に障ったのか。カミューラは一転して険しい表情で俺を見た。
「可愛げのない子……! いいわ、そこまで言うのならあなたも私のお人形にして差しあげましょう!」
「出来もしないことを言うもんじゃないぜ」
「減らず口を……!」
互いにデュエルディスクを起動させ、準備は万端。
さぁいくぞ、クロノス先生の魂は返してもらう!
「「デュエルッ!」」
皆本遠也 LP:4000
カミューラ LP:4000
「私の先攻、ドロー!」
カミューラがデッキからカードを引き、手札に加える。
幻魔の扉はあちらが先攻である以上、気にしなくていい。今考えるべきは、カミューラがどう場を整えてきて、それにどう対処するかだ。
「私は《不死のワーウルフ》を守備表示で召喚! カードを1枚伏せて、ターンエンド!」
《不死のワーウルフ》 ATK/1200 DEF/600
なるほど。手堅く、オーソドックスな始まり方と言える。同時に、俺のデッキの性質をよく知っているとも言えるな。
俺が最もよく使うシンクロデッキは、最初のターンでも高攻撃力を何体も並べることができる。俺が後攻となっているうえに出せるモンスターがワーウルフしかいなかった場合、こうして守備を固めてくることは後攻ワンキルを防ぐ重要な手だ。
シンクロデッキはそれがごく普通に可能なデッキだからこそ、警戒するのは理解できる。
ま、今日使うデッキは違うほうだけども。
「俺のターン!」
ターンが俺に移り、それを見た三沢が発する声が聞こえる。
「カミューラの幻魔の扉は強力なカード……遠也は、いったいどう対処するつもりなんだ」
そしてそれは他の面々にとっても気になることだったのだろう、その言葉に頷くようにして俺の方に目を向けている。
確かに幻魔の扉は強力だ。発動すれば一気にデュエルを決着にまで持っていくだけの出鱈目さを持っている。
だが、どれだけ強力でも所詮は魔法カードでしかない。なら、取れる手段はいくつもある。
俺は手札のカード1枚を手に取った。
「俺は《熟練の黒魔術師》を召喚! そして更に魔法カード《テラ・フォーミング》を発動! デッキからフィールド魔法を1枚手札に加える! 魔法カードを発動したことで、黒魔術師に魔力カウンターが1つ乗る」
《熟練の黒魔術師》 ATK/1900 DEF/1700 counter/1
テラ・フォーミングの効果により、デッキを抜き取ってその中から目当てのカードを手札に加える。そしてデッキをデュエルディスクに戻し、オートシャッフル機能によってデッキが自動的にシャッフルされた。
「今回の遠也のデッキは魔法使い族か!」
「けど、フィールド魔法? 遠也がフィールド魔法を使うのを見るのは、初めてだわ」
「ああ、俺も見たことがない」
明日香の驚きにカイザーも同調する。
それはこの場にいる誰もがそうだった。それも当然、俺はこれまで一度もフィールド魔法をデュエルで使ったことがない。だからこそ、この戦法はこの島に来てからは初公開となる戦術だ。
「いくぞ! 俺はフィールド魔法《魔法族の里》を発動!」
フィールド魔法ゾーンにカードを置き、それによって古めかしい古城の石壁から周囲の景色は変化していく。
現れたのは大樹が根を張り、陽光が差す森の中。 青々と緑が茂る大自然と、その中に溶け込むようにして見える木と土で構成された住居のようなもの。
まるでファンタジー映画に出てくるエルフの里のようなイメージがぴたりと当てはまる。そんな景色がそこにあった。
「魔法カードの発動により、熟練の黒魔術師に2つ目のカウンターが乗る」
《熟練の黒魔術師》 counter/1→2
「俺は更に《闇の誘惑》を発動。デッキから2枚ドローし、手札の闇属性モンスター《見習い魔術師》を除外する。魔法カードの発動により、熟練の黒魔術師に3つ目のカウンターが乗る」
《熟練の黒魔術師》 counter/2→3
魔力カウンターが3つ溜まった。これにより、熟練の黒魔術師の効果が発動する。
「熟練の黒魔術師の効果発動! 魔力カウンターが3つ乗ったこのカードを生贄に捧げることで、手札・デッキ・墓地から《ブラック・マジシャン》1体を特殊召喚する! デッキから現れろ最上級魔術師! 《ブラック・マジシャン》!」
熟練の黒魔術師がその身に満ちる魔力を糧に祈りを捧げ、徐々に光の粒子となってその姿が消えていく。
そしてその光はやがて黒く染まり、人の形へと集束していく。そして完全に人間の姿をかたどった時。その黒い光は1体の魔術師の姿となって俺のフィールドに姿を現した。
《ブラック・マジシャン》 ATK/2500 DEF/2100
「1ターン目からブラック・マジシャンが……遠也は本気だ!」
決闘王の相棒としても名高いモンスターの登場に、場の視線が集中する。それを受け止めながら、ブラック・マジシャンは器用にチッチッと指を立てて振った。
「バトルだ! ブラック・マジシャンで不死のワーウルフに攻撃! 《
黒い魔力が杖の先に集まり、そこから闇色の波動が放たれてワーウルフに襲い掛かる。
守備表示のワーウルフの守備力はわずか600ポイント。拮抗する間もなく、一瞬でワーウルフは破壊された。
「くっ……! けれど、不死のワーウルフは不死身のモンスター! その効果により、デッキから同名カードを攻撃力を500ポイントアップさせて特殊召喚する!」
《不死のワーウルフ》 ATK/1200→1700 DEF/600
そんなことは言われるまでもなく理解している。だが、攻撃力1700程度なら、警戒するほどでもない。
「俺はカードを2枚伏せて、ターンエンドだ」
終わってみれば、なかなかのターンだったといえる。
まさか3枚積みしてある里が来ずにテラフォのほうが来るとは予想外だったが、結果的には同じことなので問題はない。
それに黒魔術師にカウンターを乗せきり、ブラック・マジシャンを召喚できた。高攻撃力のモンスターの召喚に成功したのだから、まずまずのスタートである。
みんなも俺の優勢を見て、わっと盛り上がる。しかし同時に、俺の場を見て首をかしげてもいた。特に、カードについては先生並みかそれ以上に詳しい三沢が顕著である。
「魔法族の里……聞いたことがないカードだ。場の魔法使い族が強化されているわけでもないし、魔法使い族を特殊召喚する効果があるわけでもなさそうだ。一体……」
そしてその疑問はカミューラも感じていたのだろう。訝しげにこちらを見ている。まぁ、あっちはそれ以上に自分の知らない手を使っていることに驚いているのかもしれないが。
「残念だったな、カミューラ。俺には頼もしい相棒がいるからな、偵察は無意味だったろう」
「……やっぱり、あの小娘の仕業だったのね」
「まあな。それにしても蝙蝠とヴァンパイアとは、わかりやすいもんだったよ」
「……遠也くん、何の話っすか?」
俺とカミューラのかわす言葉に違和感を持った翔が、訪ねてくる。
俺はそれに、カミューラは蝙蝠を使って俺たちの偵察をしていたと告げる。俺たちがどんなカードを使い、どんなデュエルをするのか。カミューラはそれを覗き見て、対策を練っていたのだ。
それを知った翔たちは、姑息な手を使うカミューラに憤慨した。
「そんな! 卑怯だぞ、カミューラ!」
そうカミューラを責めるが、カミューラは涼しい顔である。
「ふん、勝つために行う努力を卑怯とは言わないわ。あなたたちのそれは負け犬の遠吠えって言うのよ、おわかり?」
小馬鹿にした物言いに、更に怒りを募らせる翔。
だがまぁ、この件だけに関して言えば俺はそこまでカミューラを責める気にはならない。強い敵相手に対策を練るのは当然だし、それが勝負というものだ。
覗きは確かに犯罪なので責められるべきだが、普段のデュエルを見ていても大体カードの使用率は分かる。それで対策を練られるのは、当たり前のことだ。
その本人への対策を用意してくることは、カミューラが言うように勝つための努力であって、そこは特に責められる点ではないだろう。
「私のターン、ドロー!」
カードを引いたカミューラが、にやりと笑う。
「ふふ、せっかくブラック・マジシャンを召喚できたのに、残念だったわね。あなたの命運は、ここまでよ」
その自信にあふれた言葉に、カミューラが引いたカードが何であるのか全員が察する。
「引いたのか、幻魔の扉を……」
カイザーが忌々しげに口にする。クロノス先生があまりにも卑怯な手で敗れた姿を思い起こしたからだろうか。
そして、カイザーの言葉にカミューラは機嫌よさそうに頷く。
「ええ、そう、その通り! このカードの効果でブラック・マジシャンを破壊し、私の場に特殊召喚する……するとどうなるか、わかるでしょう?」
カミューラの場には攻撃力1700の不死のワーウルフ。そして俺の場のブラック・マジシャンがあちらに移れば、総攻撃力は4200となる。
つまり……。
「2体のダイレクトアタックで、遠也のライフは尽きるわけか……!」
万丈目がその単純すぎる計算によって導き出される未来に、歯噛みしながら答える。
そう、いかにライフが満タンであろうと、それを上回る攻撃を受ければひとたまりもない。そしてそれを実行するためのキーカードは既にカミューラの手の中にある。
それを悟り、他の皆も俺を心配そうに見てくる。……ただ一人、十代を除いて。
「そのよくわからないフィールド魔法も、意味がなかったようね。これで、あなたも私のお人形……」
陶酔するように言うカミューラだが、俺はもうそんな言葉に付き合う気はさらさらなかった。
「御託はいい。早くターンを進めろよ」
「ふふ、最後の強がりぐらい許してあげるわ。さあ、これで終わりよ! 魔法カード《幻魔の扉》を発動!」
カミューラが声高く宣言し、示したカードをディスクに差し込む。周囲の皆もあの禍々しい扉の出現を予期し、思わず身構える。
……しかし、予想に反して場には何も変化がない。そのことに、誰よりもカミューラが驚いていた。
「な、ぜ……なぜ発動しない!?」
カミューラはカードを引き抜き、もう一度セットする。しかし、やはりディスクは反応せず、当然ながら幻魔の扉が現れることもない。
その不可思議な事態に驚きの表情を見せているこの場の全員に原因を説明するため、俺は口を開いた。
「フィールド魔法《魔法族の里》の効果だ。俺の場にのみ魔法使い族が存在する場合、相手は魔法カードを発動できない。尤もお前が魔法使い族を召喚すればこのロックは抜けられるが……」
その説明を聞き、こちらを睨みつけているカミューラに、にやりと笑みを見せる。
「そのデッキはアンデット族で構成されているはずだ。魔法使い族がいるとしても恐らくかなり少数……違うか?」
「くっ……このガキがぁああ!」
図星、あるいは魔法使い族が全く入っていないのか、カミューラが牙を剥き出しにした恐ろしい顔で罵倒してくる。
まぁ、俺の場に魔法使い族がいないと、俺の方が魔法カードを使えなくなるというデメリットもあるが……魔法使い族主体のこのデッキでは大きな問題じゃない。
つまるところ、これで幻魔の扉は破られたということだ。
「魔法カードの発動そのものを無効にしてしまうフィールド魔法か。遠也のあのデッキが使えば、まさに鬼に金棒」
三沢の言葉に、うんうんと頷く面々。デメリットもあるし、効果で除去されることも多いからそこまで強力なカードというわけでもないんだが……まぁ、効果だけ見れば強力と言えなくもない。
効果の発動には対応していないとはいえ、こうして最初の方で発動してしまえばそれもあまり関係がなくなる。魔法使い族にとってかなりの追い風となるフィールド魔法なのだ。
「へへ、俺は信じてたぜ! 遠也がこれぐらいで負けるわけないってな!」
十代がそう屈託なく言い、つられるように俺も笑みを浮かべる。
その様子を憎々しげに見てくるカミューラが、己のターンを続行していく。
「くっ……! ならお前の場の魔法使い族を破壊すればいいだけよ! 私は不死のワーウルフを生贄に捧げ、《ヴァンパイア・ロード》を召喚!」
《ヴァンパイア・ロード》 ATK/2000 DEF/1500
こいつが来たということは、来るかカミューラのエースが。
「そしてヴァンパイア・ロードを除外! ヴァンパイア一族の誇りを今ここに! 特殊召喚、《ヴァンパイアジェネシス》!」
《ヴァンパイアジェネシス》 ATK/3000 DEF/2100
攻撃力3000の大型モンスター。これなら俺の場のブラック・マジシャンを倒すことができる。更に、俺の場に魔法使い族がいなくなるため、魔法族の里の効果で俺は魔法カードを封じられることになる。
それを見越してか、カミューラの顔に若干の余裕が戻る。
「くらえ、ヴァンパイアの一撃を! ブラック・マジシャンに攻撃! 《ヘルビシャス・ブラッド》!」
「罠発動、《くず鉄のかかし》! 相手モンスター1体の攻撃を無効にし、このカードは再びセットされる」
「くっ……忌々しい! 私はこれでターンエンド!」
カミューラが苛立たしげにターンを終える。
それを俺は冷めた目で見つめる。自分の思い通りにいかないことに憤りを感じているらしいカミューラだが、そんな怒りは子供の癇癪と一緒だ。何も怖くなんてない。
クロノス先生の魂を取り上げ、命の危険にまで晒したこと。そのことに対して俺が抱くこの怒りに比べれば、そんな自分勝手な理由で苛立つカミューラ滑稽にさえ感じる。
だからこそ改めて確信する。油断なく、容赦なく。このデュエルは俺が制すると。
「俺のターンッ!」
……その気持ちをカードたちも汲んでくれたのだろうか。
手札と場に揃ったカードは、このデュエルに決着をつけるに十分なもの。応えてくれたカードたちに心の中で礼を言い、俺は勝利への道を形作っていく。
「俺は《召喚僧サモンプリースト》を召喚! 効果により守備表示となり、そして手札から魔法カード《賢者の宝石》を捨て、デッキからレベル4モンスター1体を特殊召喚する!」
《召喚僧サモンプリースト》 ATK/800 DEF/1600
かつてシンクロ召喚が登場したばかりのころ。化け猫こと《レスキュー・キャット》と共に環境を大いに引っ掻き回した準制限カードだ。
その効果はまさに驚異的で、魔法カード1枚をコストに、即座にレベル8シンクロとランク4エクシーズに繋げられるという恐ろしい性能を持つ。
今回コストにした賢者の宝石は少々惜しいが、このターンで決着をつけるために必要なカードではないため躊躇なく墓地に送る。そして、俺はデッキから一枚のカードを手に取った。
「俺はチューナーモンスター《フレムベル・マジカル》を選択し、特殊召喚! そしてレベル4召喚僧サモンプリーストとレベル4フレムベル・マジカルをチューニング!」
《フレムベル・マジカル》 ATK/1200 DEF/800
共に魔法使い族の2体。シンクロ召喚にお馴染みのエフェクトによって空中に飛び上がり、光の輪と星になった2体は眩い輝きの中に消えていく。
呼び出すのは、シンクロデッキにおけるエースモンスター。
「集いし願いが、新たに輝く星となる。光差す道となれ! シンクロ召喚! 飛翔せよ、《スターダスト・ドラゴン》!」
陽光に包まれた森の中で現れるスターダスト・ドラゴンの姿は、まるでファンタジーの世界に迷い込んだかのように幻想的である。
更に言えば、ブラック・マジシャンとスターダスト・ドラゴン。この2体が並んだ姿は、この世界では俺にしかわからないだろうが、感動さえ呼び起こすものであった。
《スターダスト・ドラゴン》 ATK/2500 DEF/2000
さて、これでカミューラは魔法族の里によって魔法カードを、スターダストによって破壊をもたらす効果モンスターの効果と罠カードまで封じられたことになる。
これで《王宮のお触れ》でも張れば完璧なのだろうが、そこまで悠長に付き合ってやる理由もない。
クロノス先生の魂を取り戻すため、勝てるなら確実に勝ちに行く。エンターテイメントじゃないんだ。見ているみんなもそんなデュエルを望んでいるわけじゃない。
カミューラの場の伏せカードだけが気になるが、立ち向かって、打ち破る。そう決意し、手札のカードに手をかけた。
「更に魔法カード《
ブラック・マジシャンの背後に現れた無数のナイフ。それらが一斉にヴァンパイアジェネシスに向かって放たれ、その巨体を次々に抉っていく。
さすがにそれだけの猛威に晒されて耐えきれなかったのか、ヴァンパイアジェネシスは破壊されて墓地に送られた。
「ば、馬鹿な……! 私のヴァンパイアジェネシスが……!」
呆けるカミューラには付き合わず、俺はスターダストに視線を向ける。
相手の場は空っぽ。ならば、することなど一つだ。
「バトル! スターダスト・ドラゴンでカミューラに直接攻撃!」
「くっ……罠発動、《リビングデッドの呼び声》! 墓地から《不死のワーウルフ》を特殊召喚!」
《不死のワーウルフ》 ATK/1200 DEF/600
あの伏せカードはリビングデッドの呼び声か。ここにきて壁モンスターが出てくるとは。
だが、リビングデッドの呼び声ぐらいならば問題ではない。
「なら不死のワーウルフに攻撃対象を変更する! いけ、スターダスト・ドラゴン! 《シューティング・ソニック》!」
スターダストの口から放たれる音速を超えた空気の弾丸。それは当然のように不死のワーウルフに直撃し、呆気なく再び墓地へと逆戻りさせる。
そして同時に、その攻撃力の差分1300ポイントがカミューラのライフから引かれていった。
カミューラ LP:4000→2700
「くっ……!」
これで再びカミューラの場はゼロ。今度は伏せカードも何もない本当にまっさらな状態だ。
そして俺の場にはブラック・マジシャンがいる。カミューラのライフは残り2700ポイント。計算では200ポイント残る計算になる。
それがわかっているからだろう、こちらを睨みつけるカミューラの目には次のターンで必ず見返してやるという強い意志が見える。
ここに来て勝負を諦めず勝ちに貪欲なあたり、ひょっとしたらカミューラにも譲れない何かがあるのかもしれない。
だが、それは俺には何の関係もないことだ。カミューラから話を聞いたわけでもない。
ただ、あいつはクロノス先生の命を脅かした。そして今もその命はあいつの手に握られている。そこからクロノス先生を解放する手段がこのデュエルに勝つことならば、俺はたとえどんな理由があろうとそれを実行する。それだけである。
「いくぞ、カミューラ! ブラック・マジシャンの攻撃!」
ブラック・マジシャンが杖を構える。その瞬間、俺は再び声を上げた。
「そしてこの瞬間、罠発動! 《マジシャンズ・サークル》! 魔法使い族の攻撃宣言時に発動し、お互いのデッキから、攻撃力2000以下の魔法使い族モンスター1体を特殊召喚する!」
「なっ……なんですってぇ!?」
ここに来て、魔法使い族専用の罠カード。それも、ダメ押しの追撃を行う存在を場に呼ぶためのカードだ。
もちろん、俺が呼ぶのは一人しかない。
「待たせたな、相棒! 来い、《ブラック・マジシャン・ガール》!」
フィールドに描かれた六芒星の魔法陣。そこから飛び出してくるのは、どこかコミカルな服装に身を包んだ黒魔術師の少女。
常には明るいその表情も、思うところがある相手に対してはなりを潜める。マナにしては珍しく、睨むようにカミューラを見つめて杖を構えた。
《ブラック・マジシャン・ガール》 ATK/2000 DEF/1700
この罠カードは相手にも特殊召喚の機会を与える。そのため、カミューラのデッキに魔法使い族がいるなら、特殊召喚可能である。
だが、一向にカミューラがカードを触る気配がない。そして、吐き捨てるようにカミューラの口から言葉が紡がれた。
「私のデッキに、魔法使い族はいない……ッ!」
唇を噛みながらそう告げ、ぎろりと恐ろしい形相でこちらを見る。
結果として、カミューラの場にモンスターが出てくることはなかった。つまり、カミューラへの攻撃を遮るものは、何もないままだということである。
「マナ」
『うん! 決めよう、遠也!』
その声に俺は当然とばかりに頷き、最後の宣言をするべく口を開く。
「これで終わりだ、カミューラ! ブラック・マジシャンとブラック・マジシャン・ガールで直接攻撃! 《
横に並んだ二人のマジシャン。互いの杖先に集った魔力を混ぜあい、それは一層大きな魔力の塊となって二人の頭上に集束する。
そしてマナはそのまま視線をカミューラに向ける。挑むような目つきで目標を見据え、頭上の魔力を解放すべく行動する。
『せーのぉー!』
そんな掛け声とともに杖が一気に振り下ろされる。
二人のマジシャンが集めに集めた魔力が指向性を持ってカミューラへと殺到し、圧倒的なまでの波動の中にカミューラの身体は瞬く間に呑み込まれていった。
「ぎゃぁああああッ!」
断末魔の叫びをあげ、カミューラが身をよじりながら崩れ落ちる。
闇のデュエルによる副作用、現実の痛みがカミューラを襲っているのだろう。しかし、それは自業自得というもの。カミューラは、結局自分の手で自分の首を絞めることになったのだ。
カミューラ LP:2700→0
カミューラのライフポイントが0を刻み、決着がつく。
そして最後の攻撃のダメージで息も荒くへたり込んだカミューラに、俺は対面から大声で宣言した。
「俺の勝ちだ、カミューラ! クロノス先生を元に戻してもらおうか!」
精霊状態になったマナが隣に戻ってきたのを感じながら、俺はカミューラの返答を待つ。しかし、一向に返事がない。
それなりに声を張っているのだから、いかに距離があろうと屋内で聞こえないはずがない。訝しみつつ、俺は再度声をかけた。
「おい、カミューラ!」
呼びかけると、不意にカミューラの肩が揺れる。
小刻みに上下に揺れる肩。そして、漏れ聞こえてくる微かな声。それに気づいて俺は眉をしかめる。
そう、カミューラは笑っていたのだ。
「ふ、ふふはは、戻せですって? ふふふ!」
俯き座った状態のままそう呟いたカミューラは、下に向けていた顔を上げて、口の両端が切れるほどに口角を持ち上げて、にぃと笑った。
「イ・ヤ・よ」
はっきりとした拒絶、そして何よりその人を食った態度に、怒りよりも前に感情が止まって絶句する。
言葉を失った俺たちを見て、カミューラは更に笑った。
「私はね、たとえ負けたとしても問題はないのよ。なにせ、クロノスの魂を元に戻せるのは私だけなんだからねぇ」
ゆらりとダメージの残った身体を持ち上げ、幽鬼のごとく立ち上がる。
そして、更に言葉を続ける。
「まったく、どうして負けたら私が素直に元に戻してあげるなんて思えるのかしら。いい子ちゃん達の考えることは分からないわぁ。ふふふ!」
その言い分に、思わず歯噛みする。
そうだ、俺たちは心のどこかで「負けたらクロノス先生を戻してくれるに違いない」と考えていた。それは相手にもそれぐらいの善意はあるだろう、と無意識のうちに信用していたからだ。
たとえば、ジャンケンをする時。俺たちは相手は最初に「グー」しか出さない、あるいは後出しはしてこないと無意識のうちに信用している。そうすれば簡単に勝てるに決まっているのにだ。
言葉には出さずとも、それが最低限守られるべきルールだと互いに理解しているから、その暗黙の了解は通用する。
だが、相手がそんなものなんて意にも介さない外道なら? そんなルールに欠片も価値を見出せないほどに切羽詰った人間なら?
当然、そんなものを守るはずがない。つまり、カミューラはそのどちらかの存在であり、俺たちはクロノス先生を救う術を失ったと同義なのだ。
「貴様……! 貴様にはデュエルで向かい合う相手への敬意はないのか!」
カイザーが怒り心頭とばかりにカミューラに噛みつく。
互いに本気で戦い、そして勝っても負けても、共に相手への敬意を忘れないこと。それがカイザーの理想とするデュエルだ。それを真っ向から汚したカミューラが、カイザーには許せないのだろう。
だが、きっとその理想はカミューラのような存在には理解されないものだ。案の定、カミューラは小馬鹿にしたように笑った。
「敬意? そんなもの、負けた奴の言い訳でしょう。そんなもの、持ち合わせているわけないわ」
あまりにあっけらかんと言い放つその姿に、誰もが言葉を失う。それは本気でそう思っているに違いなかったからだ。
「なんてこと……これではクロノス先生は……」
「クロノスは、このままだってことか!」
明日香と万丈目が悔しそうにそう口にし、みんなにも絶望感が漂う。
そんな中、カミューラが笑顔で俺に向かって手を差し出した。
「……さあ、鍵を渡しなさい! そうすれば、クロノスを元に戻してあげる気になるかもしれないわよ? ふふ、ふふふははは!」
「くっ……!」
笑いながらそんなことを言われても、信用できるはずがない。鍵を渡したところで、本当に元に戻してくれる保証はどこにもない。いや、これまでの言動を考えれば、そんな面倒なことをわざわざしてくれるはずがないとさえ思える。
そしてこの考えは恐らく間違っていない。カミューラは、クロノス先生を元に戻すつもりはさらさらないのだろう。
……だが、しかし。それがわかっていても、俺に選択肢はない。
人形になってしまった人間を元に戻す方法なんてものが、そこらに転がっているはずがないのだ。カミューラに頼る以外に、クロノス先生を元に戻す方法はない。
だから、俺は鍵を渡すしかないのだ。それが、どれだけ愚かな行為だとわかっていても。
「……ッ!」
『遠也……』
首から下げていた鍵を外す。あまりの悔しさに、油断すれば叫びだしそうだ。
それでも、そんな激情は抑えて鍵を持った手をカミューラの方に差し出した。
それを見て、カミューラが得意げに笑う。鼻につく笑いだった。
「ふっふふふ……! そう、それでいいの! お利口さんは嫌いじゃないわ! 思わず人形になった先生を元に戻してあげたくなっちゃうぐらいにねぇ!」
白々しいことを!
そう思うものの、口には出さない。そうなれば、ごくごく僅かながらにある“本当に元に戻してくれるかもしれない可能性”をなくすことになってしまう。
それぐらいは、わかっている。俺も、みんなもだ。
誰もが努力して口を噤み、何も言わないようにしている。機嫌を僅かにでも損ねてしまえば、そんな可能性すら無に帰すのだ。しかし、そんな努力を見て、カミューラは嘲笑う。
それでも、俺たちに出来ることはこれだけだった。
「ふふ……それじゃあ、その鍵をこっちに放ってもらおうかしら。嫌とは言わないわよね?」
確信を込めたその問いに、俺は無言で鍵を投げる体勢をとる。
腸が煮えくり返る思いだが、ここで耐えなければクロノス先生を助けられないのだ。だから、俺は屈辱を感じながらも鍵をカミューラの方に放り投げようとした。
その時。
「――……え?」
それは、突然のことだった。
カミューラの身体が徐々に闇に覆われていっているのだ。腕を伝わり、身体へ。そこから足へ、と全身に闇が広がっていく。
「な、なにこれは!? デュエルディスクから!?」
そう、それはカミューラの左腕に取り付けられた、蝙蝠の羽を象ったような独特のデザインのデュエルディスクから発せられていたのだ。
闇はそのデュエルディスクから溢れ出し、カミューラを食い潰そうとしている。
「な、何故こんな! これはアムナエルの自信作だと……! っまさか、アムナエルが!?」
カミューラは突然の事態に混乱の極致にあるのだろう。
半狂乱でこの事態を引き起こした原因であろう人物の名を呼び、呪詛を吐く。
「あ……アムナエルゥゥウウ! 裏切り防止のつもりか!? 私は裏切っていない! 裏切っていないのに何故、ふざけやがってぇええ! 我ら一族の悲願を、貴様なんぞに! 貴様なんぞに! アムナエルゥウウッ!! ――……!」
最後は闇に口を覆われたため、言葉になっていなかった。だが、最後までカミューラが口にしていたのは、間違いなく呪いの言葉だったのだろう。
やがて闇に全身を侵されたカミューラの身体は真っ黒に染まり、それは地面に溶けるようにして影と一体化して消えていった。
カミューラが立っていた場所には、あいつが身に着けていた金色のチョーカーが残るだけだ。
「………………」
その、唐突に過ぎる結末に、咄嗟に言葉が出てこない。
だが、結果としてカミューラは消え去った。それは事実だ。何故そうなったかはわからないが、事実は事実として受け止めておくべきだろう。
と、その時。万丈目の「のわっ!?」という声が聞こえてきて、そちらに目を向けた。
すると、そこには万丈目の腰に抱き着くクロノス先生の姿があった。
「あれ? ここはどこなノーネ? なんでシニョール万丈目がいるノーネ? どうなっているノーネ?」
「ええい、いいから! 早く離れんかぁ!」
クロノス先生の人形を万丈目が持っていたためだろう。元に戻ったクロノス先生は、そのまま万丈目に引っ付いてしまっているようだった。
しかし、その姿を見て心から安堵する。そして同時に喜びが胸に満ちる。それは他の皆も同じだったようだ。
「クロノスせんせぇ!」
「よかったんだな!」
「ご無事で何よりです……!」
それぞれ喜びの声を上げ、万丈目から離れたクロノス先生の下に集まる。
俺も今いる場所から駆け出し、皆の下に行く。
「そうか、カミューラがいなくなったことで、クロノス先生にかかっていた術も効果が切れたんだ。……本当に、良かった」
三沢がそう分析しつつ、安堵の息とともに心からの言葉を口にする。
そして生徒に囲まれているクロノス先生は、戸惑った様子だったが次第に調子を取り戻しているようだった。
「な、なんだかわからないでスーガ、急に人気者になってしまったノーネー! オホホホ!」
やれやれ、とその姿に思わず苦笑するが、そのお調子者な姿も下手したら二度と見れなかったかもしれないと思うと、許せてしまう。
そんなふうに喜びを噛みしめながらいると、突然城を大きな揺れが襲った。
それどころか、壁や柱から細かな破片が降り注いできている。まるで城が崩れようとしているかのようだ。
「まずいな……主がいなくなったことで、城が崩れているんだ!」
「あわわ……みんな、早く逃げるんだにゃー!」
カイザーの言葉に大徳寺先生が続き、俺たちは即座にこの場からの離脱を試みる。
俺たちは一目散に来た道を戻り、ひたすらに外を目指す。走り出したところでマナがカミューラのつけていたチョーカーを回収していたみたいだが、それは置いておいてまずは脱出が先決だ。
全速力で駆け抜けた俺たちは、どうにか城が崩れる前に脱出に成功。そのまま湖の岸まで走っていき、地面の上にたどり着いたことでようやく人心地つく。
そして、少々乱れた息を整えながら振り返る。そこには脆くも崩れていく城の姿がある。急速に姿をなくしていく古ぼけた城は、やがて数分もしないうちに全てが湖の中へと消えてしまう。
あたりを覆っていた霧もそれに伴って晴れていき、太陽と青い空が俺たちの目に飛び込んでくる。
さっきまでの光景が嘘のように、のどかな景色がそこにはあった。
「……まるで、悪夢を見ていたようね」
明日香のその言葉には同感だ。まさしく、あれは悪夢のようだった。人間が人形になり、闇のデュエルによって身を削っていく。真っ当じゃない。
「けど、悪夢はおしまいだ。勝ったんだからな」
そう、今回の悪夢は終わりだ。次はまたきっと、厄介な敵がやってくるのかもしれない。だが、それまでは英気を養っていてもいいだろう。
そういうわけで、俺は肩から力を抜いて全員の顔を見た。
「それじゃあ、帰るとしますか!」
明るく言い放った俺に、全員が小さく笑って頷いてくれる。
そして俺たちは湖を後にし、それぞれの寮へと戻っていった。さっきこの城に向かった時とは違い、誰の顔にも安堵と笑みがある。そして、クロノス先生の姿もあることに確かな喜びを感じていた。
『よかったね、遠也』
「ああ」
答えつつ、俺はちらりと大徳寺先生を見る。そこには、隼人や翔と楽しそうに話している先生の姿がある。
それを見はしたものの、俺は何も言わずに歩を進めた。
『ほら、えらいえらい』
「やめろバカ。頭を撫でようとするんじゃない」
『え、じゃあ、チューがいい?』
「……そ、それもやめろ」
『間があったけどな~』
言いつつ、触れもしない癖に俺に引っ付いてくるマナ。殊更に明るく振舞ってくれているのは、カミューラが最後にああなってしまったことを気に病む俺の内心を察しているからなのかもしれない。
そのことに、声には出さずとも感謝する。そして、このやり取りをちょっと鬱陶しく思いつつも楽しみながら、俺は皆と共に湖から立ち去って行った。
こうして、俺にとって初のセブンスターズ戦。カミューラとの戦いは幕を閉じたのだった。