遊戯王GXへ、現実より   作:葦束良日

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第19話 恋情

 

 あのデュエルのあと部屋に戻った俺たちは、レイのデッキを広げて三人によるデッキ調整会を開いた。

 レイのデッキの主力となっている恋する乙女は、OCGでは存在しないモンスターだ。もともとそのカードに興味があったことに加え、それを生かすために四苦八苦するレイに、俺は力を貸してやりたくなったのである。

 そのため、いくつか俺が持っているカードをレイに渡してデッキに組み込んだりもした。レイは恐縮してせめてトレードにしようと言っていたが、そこは年上からのプレゼントということで押し通した。

 それに俺がカードをもらっても恐らくデッキに入れないだろうし、それならレイがそのまま持っていたほうがいいだろう。最後にはレイも納得してくれたし、問題ない。

 とまぁ、そんな感じでレイのデッキは恋する乙女を更に生かすことができるようになったと思う。思う、という曖昧な表現なのは、試しにデュエルをする前にレイがレッド寮に戻る時間になったためだ。

 まぁ半日ほど俺の部屋にいたわけだから、それぐらいの時間になっていても不思議ではない。レイはよほどこの部屋が気に入ったのか渋っていたが、そこは仕方がない。

 もちろん俺はレイを送っていった。さすがに小学5年生だとわかっている女の子を一人で帰すほど、甲斐性がないわけではない。

 

 レッド寮の部屋を開けた途端、十代が「おっ、レイ! 探してたんだぜ!」と言って、レイの肩を叩く。小柄なレイはちょっと痛そうである。俺に助けを求めるように見てくるが、俺は肩をすくめて付き合ってやってくれと無言で示す。

 十代もこう見えて心配していたんだ。今は明るく笑っているが、レイの姿を見た瞬間にホッと安堵したような表情を見せたのに、俺は気づいていたからな。

 もともと人情味のある性格をした十代だ。同室かつ身体の小さいレイを、何かと気にかけてはいたんだろう。バシバシと景気よく叩いているのも、そういう気持ちの裏返しってだけだ。

 まぁ、それでも冗談とはいえ高校生男子の張り手は小学五年生のレイには、やはり重荷かもしれない。さすがに表情をしかめてきたレイを見て、俺は軽くレイの手をつかんでこちらに引いた。

 その途端、さっと俺に寄ってきて背中に隠れるレイ。

 それを見て、十代が不思議そうな顔をした。

 

「レイはどうも身体が弱いらしくてな。お前の愛が痛かったんだとさ」

 

 俺が笑ってそう言えば、十代は一度叩いた手を見つめて、それから苦笑いを浮かべた。

 

「はは、そうだったのか。悪かったな、レイ! それより遠也、お前レイと随分仲良くなったみたいじゃないか」

「まぁな。偶然会って、色々話したりしたんだが……ウマが合ったみたいだ」

 

 言って、後ろのレイの肩をポンポンと軽く叩く。

 それにびくりと反応を返す姿はまるで小動物のようで、自然と笑みがこぼれていた。

 

「じゃあな、レイ。また明日会おうぜ」

「あ……」

 

 俺がその言葉と共にレイを背中から引っ張り出して十代たちのほうに軽く押す。

 不安そうな目で見てくるが、俺は問題ないと笑い返した。

 

「3人とも、俺の友達だ。困ったときは頼ってやってくれ」

「おう! 任せとけ!」

「せっかく同室になったんだしね。仲良くしようよ」

「だな」

 

 口々に明るく口を開く3人。その毒気のない姿に多少は緊張を和らげられたのか、レイも表情を僅かに崩して頷いた。

 それを見届けて、俺は扉を開けて外に出た。

 

「じゃあな。十代、そういうわけで、あまりレイを無茶につき合わせるなよ」

「おい遠也! お前、俺をなんだと思ってんだよ」

 

 憮然とした十代に「冗談だ」と返して、俺は室内にいる他の3人にも手を振る。

 振り返される手を気持ちよく受け、俺は扉を閉めた。

 そのままレッド寮を離れ、ブルー寮へと戻る。その道すがら、横で浮いているマナがレッド寮のほうを見て呟いた。

 

『大丈夫かなぁ、レイちゃん』

「大丈夫だろ、十代たちがいい奴らだってのは、わかってるだろ?」

 

 余程のことでもない限り、問題は起きないだろう。

 俺はそう信頼を込めて返すが、マナは微妙に呆れ顔だった。

 

『もう、レイちゃんは女の子なんだよ?』

「そりゃレイが男なわけないだろ。それがどうしたんだ?」

 

 その答えは、マナには非常に不評だったようだ。マナは、これだから男の人は、と呟いてから俺に話しかけてくる。

 

『いい、遠也。レイちゃんはまだ小さくてもレディなんだよ? それなのに、男しかいない部屋なんて、気が休まらないに決まってるでしょ』

「……でも、十代たちだぞ?」

 

 あいつらなら、たとえバレたとしてもそういう方向に話がいくとは思えないんだが。

 

『そういうことじゃないよ。性別が違う、っていうこと自体が問題なの』

「……はぁ、そういうもんか?」

『そういうものだよ。女の子――特にあれぐらいの子は繊細なんだからね』

 

 俺にはよくわからないが、同じ女の子であるマナが言うんだから、そうなのかもしれない。

 ふーむ、だとすれば、明日にでも大徳寺先生に話してみるかな。あの人なら、多少の無茶ぐらいなら聞いてくれそうだ。迷惑をかけるようで少し気は引けるけど。

 マナの言葉からある対策を考えつつ、俺は自分の部屋へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 翌日。

 さっそく昨日思いついたことを大徳寺先生に話し、渋る大徳寺先生をどうにか言いくるめた後。俺は十代の部屋を訪れた。

 扉を開けると同時に、一斉にこちらを向く4人。十代と翔は部屋の隅でデュエルをし、隼人は自分のベッドで寝転んでいた。レイはデッキの調整をしていたのか、カードがベッドに広げられている。

 そんな八つの目にさらされる中、俺はつかつかと入って行ってレイの両肩に手を置いた。

 びっくりした顔になるレイに、俺は笑顔で口を開く。

 

「レイ、引っ越しだ」

「ふぇ?」

 

 思わず気の抜けた声を出すレイだが、周りの十代たちも突然俺が告げた言葉に驚きを隠せないようで詰め寄ってくる。

 

「いきなりどうしたんだよ、遠也。レイが引っ越すだって?」

「レッドの生徒なのに、どこに行くっていうんすか?」

 

 十代と翔の言葉に、俺は自分を指差す。

 それが示すことに気が付いた隼人が、ぎょっとして声を上げた。

 

「まさか、遠也のブルー寮なのか!?」

「そのとーり」

 

 にやりと笑えば、面白いぐらいに驚きの声を上げてみせるその他の面子。

 まぁ、レッド所属なんだし、驚くのは当然だろう。

 ちなみに、昨日思いついた対策というのがこれ。男子だと偽装しているので女子寮に行くことはできないが、俺の部屋ならばマナがいる。まだマシだろうと思って大徳寺先生にお願いしに行ったのだ。

 もちろん、普通なら認められるわけもないので、ある程度の理由はつけた。

 いわく、俺とレイはレイが学園に来る前からの知り合いであり、人見知りの激しいレイはレッド寮で精神的に疲弊している。

 デュエルも俺を驚かせるほどに上手いし、レッド所属ではあるが、特例として一時期でいいので俺の部屋に住まわせてやってくれないか、と言ったのだ。

 さすがにずっと、と言えば即座に否定されていただろうから、レイが慣れるまでの一時期と限定した。

 渋っていた大徳寺先生も、俺が拝み倒したことで一週間だけなら、と許可してくれたのだ。

 そのことを十代たちに伝えると、大徳寺先生が許可したなら、と納得していた。

 レイには俺が「マナが女の子が男だけのとこでは居づらいだろうからって言ってたからさ」と伝えると、驚いて俺の顔を見てくる。

 それを見て、迷惑だったか、と俺は不安から問いかける。しかし、それに対する答えは肯定ではなく否定であり、レイは肩に置かれた俺の手を取って、笑顔になった。

 

「ありがとう、遠也さん!」

 

 そう素直に感謝されれば、俺も悪い気分にはならない。

 どういたしまして、と返して、俺はレイのために運び込まれたベッドは暫くこのままで頼む、と十代に告げる。

 それにげっ、という顔を見せる十代たちを尻目に、広げられていたレイのカードをまとめて、俺とレイは部屋の入口に立った。

 

「じゃ、そういうことで」

「あ、ま、またな」

 

 しゅたっと手を上げて言う俺と、ぎこちなさの残る男言葉で告げるレイ。

 そんな俺たち二人に、三人は揃って笑顔だった。

 

「おう、またなレイ!」

「まぁ、教室でまた会うだろうしね」

「その時にまたよろしくなんだな」

 

 それぞれそんなレイを不審に思うこともなく、普通に別れる。

 まぁ、レッド所属なんだから、授業に出るのはいつも通りなのだ。翔が言うように、部屋が変わったからといって、全く会わなくなるわけじゃない。

 だからこそ、特に思うこともなく十代の部屋を離れた俺たちは、そのままブルー寮に向かう。

 マナが待ってるぞ、と告げて、嬉しそうにするレイを、微笑ましく見つめながら。

 

 

 

 

「レイちゃん、おかえりー!」

「きゃあっ!」

 

 部屋の扉を開けた途端、レイに飛びつくマナ。そして、それに驚いて思わず悲鳴を上げるレイ。

 飛びついたマナは、身長差のあるレイを腕の中に抱えて、そのまま部屋の中に戻っていく。それについて俺も部屋に戻ると、マナがレイを抱きしめたまま楽しそうに笑っていた。ちなみに帽子は衝撃で落ちたのか、床に転がっている。

 レイはレイで、驚きは最初だけだったのか、今では苦笑いでその状態を受け入れていた。

 俺は、溜め息をついてマナに声をかける。

 

「おい、マナ」

「あはは。ごめんね、レイちゃん。でも、なんだか私に妹ができたみたいで嬉しくってね」

 

 悪びれない笑顔で言うマナの言葉に、俺は内心で思わず同意する。

 俺もまたレイのことを、妹がいたらこんな感じかもしれないと感じていた身である。マナの気持ちがわからないと言えば嘘になる。

 その言葉を受けたレイはきょとんとしていたが、しかし次第にその表情を和らげていく。

 そして、照れくさそうに笑って口を開いた。

 

「えっと……私も、一人っ子だから。お姉さんがいたら、こんな感じかなって……」

 

 頬をかいて笑うレイに、マナが更にかわいい! と叫んで抱き着く。レイもどこか嬉しそうなのは、やはり男ばかりの環境にいきなり入り込んで気を張っていたからだろうか。

 思えば、昨日マナと接している時は驚くほどリラックスしていたな。それを考えると、マナが言った通りだったわけだ。

 まぁ、言われてみれば、そうかもしれない。俺だって、いきなり女だらけの中に一人放り込まれたら、嬉しさよりも先に混乱と緊張が身体を支配するに違いない。

 幼いレイにとっては一層、というわけか。それでも、カイザーのこと――自分の望みのために一人でここまで来たってんだから、大したもんだよな。

 俺はレイに近づき、頭を撫でる。きょとんとしたレイが俺を見上げた。

 

「えっと……なに?」

「いや……すごいなぁ、と思って」

 

 マナの腕の中で一層首をかしげるレイに、俺は笑って言葉を続ける。

 

「カイザーのことだよ。一人でこの島まで来たってことがな。よくご両親も許したもんだ」

「え?」

「え?」

 

 ……おい、なんで不思議そうな顔をしてるんだ、レイさんや。

 そして、何故気まずそうに視線をそらす。

 

「マナ、そのまま確保」

「アイサー」

「ちょ、ちょっとマナさん!?」

 

 ぎゅっと抱く力を強めるマナに、レイが抗議するも時既に遅しである。

 俺はしゃがみこんでレイの目線に合わせると、にっこり笑った。対して、冷や汗を流すレイ。

 

「さて、どうやらまだ話していないことがあるようだね。……教えてくれると、お兄さん嬉しいんだけど」

「……あ、ぅ、その……ご、ごめんなさい」

 

 諦めたようにうなだれたレイを連れて、テレビの前にソファまで移動する。そして、俺たちはそこでレイが昨日話していなかった部分を聞くことになったのだった。

 

 

 

 

「よし、レイ。いくぞ」

「う、うん……」

「3、2、1……」

 

 ゴツン。

 

「痛いっ!」

 

 俺が拳を落とした頭を押さえて、思わずといった感じで声を上げるレイ。

 しかし、俺は謝るつもりはない。そもそも、レイに殴っていいか確認を取ったうえにカウントダウンまでしたのだ。むしろ甘いぐらいだと思う。

 

「我慢しろ。……まさか、親に何も言ってなかったとは……あまりに基本的すぎて確認しなかった俺も俺だけど」

 

 そう、なんとレイは親に何も言わずに昨日ここに来たらしいのだ。

 俺はてっきり両親には話して来ていると思い込んでいた。普通、この年齢の子が一人でこんなところに黙って来るとは思わないだろう。当然誰かの許可があるものだと思っていた。

 まさか、本当にここまで危ない橋を渡っていたとは。もはや呆れてものも言えんぞ。

 俺がそう思っていると、マナがレイの殴られた頭を撫でている。その光景を見つめ、俺は痛さのあまりに座り込んだレイに合わせて腰を下ろす。

 

「なぁ、レイ。とりあえず電話しろ。お前だって、お父さんとお母さんを心配させたいわけじゃないだろう?」

 

 俺がそう言うと、レイは顔を伏せてしゅんとした雰囲気になる。

 勢いでどうにか自分を誤魔化していたところに、俺が現実を突きつけたからか。自分でもあまり考えないようにしていたことに直面し、レイはレイで思うところがあるようだった。

 そして、ゆっくりとレイは立ち上がった。

 

「……うん。ごめんね、遠也さん」

「謝るのは、俺にじゃないだろ?」

 

 だが、レイはふるふると首を振った。

 

「嫌な役、やらせちゃって……」

 

 その発言に俺は驚く。頭がいいとは思っていたが、本当に聡明だな。

 誰かがいずれレイに加えるべき罰。それを俺に行わせてしまったことへの申し訳なさか。俺が昨日から色々とレイに便宜を図っているのに、それを仇で返すような気持ちを抱いたのかもしれない。

 しかし、俺は気にしていない。むしろ、この状況でも人を思いやれるその心に、俺は感心すら覚えた。

 そんなことを内心で思いつつ、かき混ぜるようにくしゃりとその頭を撫でる。

 

「気にするな。それに、俺も謝らないとな。殴って悪かった、痛かったろ?」

 

 レイはそれに、うん、と頷いた。次いで、でも、と付け足す。

 

「ありがと、遠也さん」

 

 それに俺は何も返さず、ただ電話のほうを示す。そしてレイは電話の前に立ち、番号を入力し始めた。

 数秒、そのまま電話口で硬直する時間が続き、繋がったのだろう、レイが「もしもし、あの、レイ、です」と恐る恐るといった様子で話し始めた。

 途端、離れているこちらまで聞こえるかのような大きな男性の声。そして、同じく聞こえてくる涙声になっている女性の声。

 間違いなく、両親なのだろう。心配と、無茶なことをしたことへの怒りと、そして無事でいてくれた安堵。それらがない交ぜになった、聞いたことがないほどに切迫しつつ、そして複雑な声だった。

 レイはひたすらそれに真摯に向き合い、謝ったり現状を説明したりして時間が過ぎていく。

 途中、俺とマナも電話口に出た。一応、俺たち二人はレイの事情を知って、色々と便宜を図っているから、俺たちから見たレイの様子を聞きたかったのだろう。

 本来俺一人で済むことだが、マナも出したのは、男一人に娘を任せていると思われてはご両親が不安がるだろうと思ってのことだった。

 結果として、レイは次の定期便で帰ることが決まり、これから校長にも説明に向かうことが決定された。その定期便には、両親も迎えとして乗り合わせるようだ。

 ひとまず、話がついてよかった。ご両親はこれから警察に捜索届を下げてもらいに行くらしい。まぁ、丸一日以上連絡がなかったんだ。そうなってるわな、普通。

 そのようなやり取りをすべて終え、ようやく今後のめどが立ったところで、レイは二人に電話越しで頭を下げながら受話器を置く。

 そして、ふぅ、と息をついた。疲れを含んだものであったが、どこかすっきりと肩の荷が下りたかのような軽快さがあった。

 やはり、心の中ではしこりとなって溜め込まれていたのだろう。その悩みが当面なくなり、気が楽になったといったところか。

 まぁ、単純に両親の声を聴いたということも関係しているかもしれない。まだ小学五年生の女の子なんだ。家族から離れて一人なんて、どんな状況だとしても寂しいに決まっている。

 

「お疲れさん」

「ふわっ!?」

 

 だから、俺は勇気を出して電話を掛けた労いと、ここでは俺たちが力になってやるという気持ちを込めて、レイの頭に手を置く。

 そして、思いっきり髪が乱れるように撫でた。

 それに、わっ、ちょっ、やめっ、と言いながらどうにか俺の手をどかそうと苦心するレイ。その表情がどこか笑っているのは、まぁご愛嬌ということで。

 

「次の定期便は、一週間後だっけ。なら、それまで一緒にいられるね」

 

 マナがそう言って、レイの手を握る。それに、レイも嬉しそうにうん、と頷いた。

 その様子を微笑ましく見つつ、俺は期限が定まったことで浮き上がってきたある問題について考える。

 とはいえ、考えるといっても俺に出来ることは一つだけ。あとはレイが頑張るしかないわけだが。

 

「さて、レイ」

「はい?」

 

 俺に向き直るレイに、その問題を突きつける。

 

「カイザーの件はどうする? ここまできたら、早いほうが何かといいと思うが……」

 

 ギリギリになればなるほど、思考というものは狭まっていき散り散りになるものだ。それに、帰る準備など、することも増えてくる。

 期限ができた以上、あまり悠長に構えてはいられない。レイもそれはわかっているはずだ。

 

「………………」

 

 返ってきた反応は無言。だが、それがただの放心ではないのはすぐにわかった。

 レイはマナと握り合っていた手をそっと離すと、緊張に彩られつつも真剣な表情で、俺に小さく頭を下げたのだ。

 

「遠也さん……その、お願いします!」

 

 目的語が抜けていたが、言いたいことは分かる。カイザーと会う機会を作る、という俺が最初に提案したソレ。間違いなく、そのことだろう。

 おそらく緊張のあまり、本人としてもいろいろ限界だったのだ。だから、俺はそのおかしな日本語には突っ込まず、ただレイに顔を上げさせる。

 そして、こちらを不安げに見つめる視線に対して、笑みを浮かべた。

 

「任せとけ!」

 

 当然のようにそう答えた俺に、レイは目に見えてほっとしていた。

 俺はしゃがみこみ、レイに対して拳を向ける。

 初めはその意図がわからず、レイはきょとんとするだけだ。しかし、マナに何事かを囁かれると、なんだか照れくさそうにしながら、自分の小さな拳を俺の拳にコツンと合わせる。

 それに満足げに俺は頷き、ポケットからPDAを取り出す。

 もちろん、かける先は決まっている。丸藤亮、と表示されたそれを選択し、俺は通話ボタンを押すのだった。

 

 

 

 

 少々時間が過ぎ、夕方。

 俺とマナとレイの三人は、連れだって寮を出た。

 緊張と不安のためか表情をこわばらせているレイに請われ、レイの右手は今俺と繋がれている。そして、左手は同じようにマナと繋がれていた。

 本人いわく、こうしていたほうが安心するのだということらしい。まぁ、俺自身経験はないことだが、告白というものはやはり相当な勇気を振り絞るものなのだろう。

 そうだろうと思うからこそ、俺は何も言わずに手を繋いでいる。マナも同じくその気持ちがわかるのか、ぎゅっと安心させるようにその手を握っていた。

 寮を出た俺たちが向かっているのは、以前に明日香とカイザーが立っていた崖の間にある小さな灯台である。

 俺はそこに、用事があると言ってカイザーを呼び出している。普段から何かと親しくしている俺だからだろう、カイザーは特に理由も聞かず頷いてくれた。

 だから、今から行くソコにはすでにカイザーが待っているはずである。

 目的地に近づくにつれ、繋がれた手から伝わってくる力が強いものになっているのは、レイもそのことを承知しているからだ。

 だが、今更なにも言うことはない……いや、言うべきではないと思っている俺たちは、レイに言葉をかけることはしない。

 あとは、レイがその気持ちをカイザーにぶつけるだけだからだ。それはレイとカイザーだけで行われるべきことであり、俺たちはおまけのようなものなのだ。

 だが、それでも。やはり多少ともに時間を過ごしたことで、情というものは移っていたらしい。灯台の傍までたどり着き、俺たちの姿をカイザーが捉えた、その時。

 俺はレイの頭から帽子を取ると、ぽん、と軽くレイの背を押した。

 

「わっ」

 

 軽くとはいえ、身体を緊張で固くしていたレイは、僅かにバランスを崩して前に一歩踏み出す。

 帽子がなくなったことで露わになった長い黒髪を翻してこちらを振り返ってくるレイに、俺は一言だけ投げかけた。

 

「頑張れ!」

 

 繋がれていない方の手で拳を作り、それをぐっと小さく突き出して見せる。

 それを受けたレイは、小さく噴き出す。そして、固くなっていた表情を緩めて、繋がれていた手をことさら強く握り返してきた。

 

「うんっ、いってくるね!」

 

 そう言うと、レイは俺とマナの手を離し、灯台のもとへと歩いていく。

 俺たちはそれを見届け、一拍の時間をおいてレイの後を追い、その後ろに立った。

 そして、訝しげにこちらを見るカイザーに、片手をあげて声をかける。

 

「よ、カイザー。わざわざ来てもらって、悪いね」

「それは構わないが……用事とは何だ?」

 

 俺に目を向け、カイザーは言う。

 レイを一瞥したことから、その用事が目の前の少女に関することだとカイザーも予想しているだろう。

 そして、俺はその予想に違わぬ事実を口にする。

 

「用事があるのは、俺じゃなくてこの子でね。俺は、協力しただけなんだ」

 

 俺がそう言ってレイを見ると、つられるようにカイザーもレイに視線を移す。

 憧れの人物に目を向けられたレイは、ぴしっと姿勢を正して、その目を真っ直ぐに見つめ返した。

 

「ぼ、ボク、早乙女レイっていいます! そ、その……亮サマに、伝えたいことがあって、遠也さんにお願いしたんです」

 

 上気した顔で、ガチガチになりながらも、レイはカイザーに正面から向き合い言葉を紡ぐ。

 それを受けて、カイザーの顔が驚きに染まる。どうも、レイの見た目に驚いているのだと、察せられる。

 レイは小学五年生なうえ、女の子だ。身長はお世辞にも高くなく、はっきり言ってしまえば低い。どう見ても高校生には見えないし、中学生でも厳しいだろう。

 だから俺は、カイザーに聞こえるように口添えを行った。

 

「レイは、本当は小学五年生だ。けど、どうしてもカイザーに会いたかったらしくてさ。無理してここに来てる。近いうちに、帰らないといけないんだ」

「……そうか」

 

 俺の知らせた内容に、カイザーは一つ頷いてみせる。

 そして、おもむろに一歩前に出ると、その目をしっかりとレイに合わせた。

 真正面から見つめられ、一層レイの身体がこわばる。それを見つつ、カイザーはレイに声をかけた。

 

「伝えたいことがあると言っていたな。……レイ、君の話を聞こう」

 

 そう言うと、カイザーは意外にも笑みらしきものをその表情に浮かべた。十代に負けず劣らないデュエル馬鹿と言っても過言ではないカイザーが、レイの緊張を見てとって気を利かせることができるなんて……。

 我ながら変なところで感心していると、そんなカイザーの態度に少しは身体の力を抜くことができたのか、レイが意を決したように口を開く。

 

「ボク……ずっと、亮サマに憧れていました! 亮サマのデュエルを見て、その姿を見て、本当にカッコいいと思ったんです! だから、そ、その……ボクは、亮サマのことが好きです!」

 

 最後には叫ぶようになっていたが、レイは気持ちをはっきりと口に出した。

 一度呼吸をして、更にレイは続ける。

 

「だ、だから……ボクと、付き合ってください!」

 

 言い切り、レイは真っ赤な顔でカイザーに向き合う。

 言葉はどこか足らず、余裕のなさからかどもりは隠しきれない。しっかりとした文章ではなかったことは間違いない。だが、だからこそレイの真剣さが伝わるというものだろう。

 それに、最後の肝心なところは間違いなくカイザーにも伝わったはずだ。

 だから、あとはカイザーがどう応えるのか。それだけのはず。

 それがわかっているから、俺とマナは二人を見つめる。

 大仕事を終えたレイは、一杯一杯なのだろう、僅かにその肩が震えている。緊張と、返ってくる答えに対する恐怖と、あるいは照れや羞恥もあるのかもしれない。

 そんなある種の極限状態にありながら、しかしレイは視線だけは決して逸らすことはなかった。

 自身の中で荒れ狂う様々な感情を抑え、ただ一途にカイザーからの答えを待つその姿は、レイの精一杯の姿である。

 それを見て、俺たちもまた思わず身構える。果たして、レイの告白が受け入れられるのか。固唾を呑んで見守る。

 すると、カイザーが一度目を伏せる。

 そして、数秒の後に目を開き、再びその視線をレイに合わせた。

 

「――……レイ」

 

 名前を呼ばれ、レイの肩が跳ねる。

 俯きそうになった顔を、どうにか押し留めて、レイはカイザーを見た。

 

「こんな島まで、その一つの思いを抱いて来てくれたこと。その気持ちは、本当に嬉しく思う。ありがとう」

「え?」

 

 カイザーが穏やかに述べた言葉に、レイが希望を込めた目を向ける。

 しかし、カイザーの言葉はまだ終わりではなかった。更に続けられる。

 

「……だが、すまない。俺は、君の気持ちに応えることができない」

「……っ!」

 

 さすがに言いにくいのだろう、申し訳なさそうにその言葉を告げるカイザー。その表情は、告げるカイザーも辛いのだと言わずとも伝わってくるようだった。

 そして、その言葉を聞いてゆっくりとレイは顔を伏せる。そのまま、掠れたような声でカイザーに問いを発した。

 

「……り、ゆうを……理由を、教えてくれますか?」

 

 顔を伏せたレイにはわからないだろうが、その問いを受けたカイザーは一つ頷いて口を開く。

 

「……俺は、今は誰とも付き合う気がない。俺はデュエルが好きで、そして、その道を極めていきたいと思っている。そのために、俺はデュエルに我武者羅に向かって行きたいのだ。――レイ、君の気持ちは本当に嬉しい。だが、俺はデュエルが第一になってしまっている男だ。今の俺では、きっと恋人ができても大切にすることはできまい。……だから、すまない……」

 

 そこまで言い切った後、カイザーはレイに対して頭を下げた。

 その姿を見れば、カイザーがレイに対して真剣に向き合ってくれたことがわかる。

 小学五年生の告白など、と軽んじず。自分の考えもしっかり明かし、そのうえでレイの気持ちに応えられないことを、きっちりと態度で示す。

 子供のことと思わず、頭まで下げるその姿を見れば、文句を言うことなどできなかった。

 それは、レイも同じだったのかもしれない。

 僅かに顔を上げると、レイは明らかに無理をしているとわかる声で、頭を下げるカイザーに対した。

 

「か、顔を上げてください、亮サマ! う、嬉しかったです、その、ぼ、ボクの気持ちに、きちんと応えてくれて……そ、その……っ」

 

 最後で声が掠れ、レイは思わず口を噤む。

 

「っ……あ、ありがと……ござ、ました……ッ!」

 

 涙交じりに早口で言い終え、レイはカイザーに背を向けて走り出す。

 俺とマナに目を向けることなく、レイは泣きながらこの場所から離れていった。

 

「マナ!」

「うんっ!」

 

 名前を呼び、それだけで俺が言いたいことを察したのだろう。あるいは、俺が言わずともマナはそうするつもりだったのか。

 返事に対してタイムラグなしで駆け出したマナ。レイを追って行ったその姿を見送り、俺はカイザーに一歩ずつ歩み寄っていく。

 

「ありがとな、カイザー」

「……遠也」

「アイツに、ちゃんと向き合ってくれて。カイザーってデュエルにしか興味がないと思ってたから、手酷く拒否するんじゃないか、ってちょっと不安だった」

 

 俺が本心を隠さずにそう言うと、カイザーは気が重そうに息を吐いた。

 

「……俺とて、木石ではないんだ。恋愛が全く分からないわけじゃない。告白するという行動に、どれだけの勇気が要るかも……」

「カイザーも、誰かに告白したことがあるのか?」

 

 それを聞き、俺は思わず尋ねた。

 しかし、カイザーはそれに首を振る。

 

「いや……だが、それでも想像はできる。そして、想像である以上、本当はそれ以上に勇気が要るのかもしれない。そう思ったら、適当な対応なんて出来るはずもない」

 

 そして、そんな決断を真っ向から打ち砕かざるを得ないカイザーは、本当に複雑そうな表情をしていた。

 カイザーが語った言葉は、すべて本心からのものだったのだろう。だからこそ、カイザーに出来ることはあれが全てだった。その結果、レイは涙を流した。

 それはもうどうしようもないことであり、しかしそうしなければいけないという葛藤は、あるいは告白を断られたレイとはまた違う意味で、断ったカイザーにも苦しみを与えているのかもしれなかった。

 なんというか、カイザーも真面目な奴だ。だからこそ、レイの告白も間違いではなかったと思えるわけだが。

 少なくとも、子供の言葉だと馬鹿にせず真剣に対応してくれた点だけでも、レイにとっては良かったと思う。そのことだけは、感謝しておこう。

 

「さて、と」

 

 マナ一人に任せっぱなしというわけにもいかない。

 それに、レイのことはやはり気になる。カイザーに言いたいことも言えたことだし、俺も急いでレイのもとに向かうとしよう。

 そう思って足を踏み出すと同時に、「遠也」とカイザーから呼びかけられる。

 足を一度止め、俺はカイザーに振り返る。

 カイザーは、どこか迷いのある顔で俺を見た。

 

「俺が言っていいことなのかはわからないが……遠也、あの子のことを頼む。泣かせてしまったのは俺だが、それでも……」

 

 言いづらそうに言うカイザーに、俺は「おう」と応える。

 カイザーは悪いことをしたと思っているようだが、それは本来気にしても仕方がないことだ。答えは必ず、是か否に分かれ、それは他人がどうこう言うことではないのだから。

 カイザーの答えは否だった。それは、レイが受け入れなければいけないことであり、カイザーが必要以上に罪悪感を感じる必要はない。

 むしろ、いつまでもそうでは、レイのほうが気にして気まずくなってしまう。

 俺がそうカイザーに返すと、カイザーは自嘲するようにふっと笑った。

 

「そうか。行ってくれ、遠也。後を任せるようで、すまないが」

「気にするな。俺はレイの兄貴分みたいなものだからな。むしろ望むところだ」

 

 俺はそう最後に告げて、カイザーから離れていく。

 いくらか距離が開いたところで、俺はちらりと後ろを振り返った。

 まだ灯台に一人で留まっているカイザーは遠目ではいつも通りに見えるが、それでもどこか無理をしているように感じられる。

 やはり、堪えていたのだろう。改めてそう思いつつも、それ以上は何も言わず。

 俺はただブルー寮の自室に向かって走る。レイとマナがそこに帰っているだろうことを、何となく予想しながら。

 

 

 

 

 部屋に戻った俺は、やはり自分の予想が正しかったことを知る。

 そこには、レイを抱きしめるマナの姿があったからだ。

 

「あ、遠也」

「……遠也、さん?」

 

 マナがこちらを見て上げた声に、レイもマナの胸に埋まっていた顔を上げてこちらを見る。

 その目は赤く充血しており、今の今まで泣いていたのだということが否応にも伝わって来る。

 手酷く……というわけではないが、振られたのだ。それも当然というものか。まして、一人でこの島まで突撃してくるような思いで来ていたのだから、その落差もひとしおなのかもしれない。

 俺は二人に近寄り、マナの隣に腰を下ろす。

 そして、慰めになるかはわからないが、と思いながらレイの頭を撫でた。

 

「ん……」

 

 いつものように髪を乱れさせるような撫で方ではなく、慰めるためなのだから優しさを意識して撫でた。

 その成果か、レイは泣き顔ではあるものの気持ちよさそうに目を細めた。

 

「よくやったな」

「……え?」

「告白なんて勇気が要ることに、レイは逃げずに立ち向かっただろ。それだけでも、十分凄い」

 

 そんな勇気が持てない俺だからこそ、なおさらそう思う。ヘタレな俺とは、比べるべくもない勇気である。

 

「で、でも……ボク……ふられ……っ」

「そうだな。それは、まぁ、あれだ……事実だけど」

 

 そう言った途端、レイの顔がくしゃりと歪み、マナにジト目で睨まれる。

 こ、言葉を間違えたか? いや、しかしこんな状況初めてなんだから、何から何まで正しい対応なんて出来るはずないだろ。

 そう内心で言い訳しつつ、言葉を続ける。

 

「けど、それはレイのせいじゃない。カイザーのせいさ」

「……ふぇ?」

 

 見上げてくるその視線に、俺は当然だろうと返す。

 

「だって、レイは精一杯やっただろ。それに、俺から見てもレイは十分可愛いし、魅力的な女の子だと思う。だから、それを断ったカイザーがどうかしてるって、それだけのことだろ?」

 

 実際、これほどまでに一途に誰かを思い、更にそのために一切の躊躇いもなく行動できる人間はそういない。

 良いことばかりではないが、それでもその気持ちの強さという点においては、感心するぐらい素晴らしいことだと思う。

 この世界に来ていきなり気持ちがダウンしてしまった俺には、到底無理なことだ。それに、告白とか本当に尊敬する。自分ができないだけに、俺はレイのことを高く評価しているのかもしれなかった。

 

「ぁ……う……」

 

 そして言われたレイはというと、顔を真っ赤にして照れていた。

 意外にも、そういう褒め言葉を言われたことがないらしい。その混乱する様子を見て小さく笑みを浮かべながら、俺は撫でる手に少しだけ力を込めた。

 

「今は、そうやっていっぱい泣けばいい。その間、俺とマナがずっと傍にいるからさ。けど、そのあとはまた笑って、もう一回デュエルでもしようぜ」

 

 最後に冗談交じりにそう言い、マナに視線を向ける。

 後は任せた、と訴えようとしたのだが……なぜかものすごい目で俺を見ていた。ジト目どころか半分睨みが入ってるぞ、それは。

 すると、マナが小声で「私にそんなこと言ってくれたことないのに……」と呟いていた。

 お前に言うわけないだろ、そんなこと。当たり前のことすぎるし、なにより恥ずかしいだろうが。

 そう思っていると、不意にレイが抱き着いてきた。といっても、俺だけにじゃない。マナの身体にも変わらず細い腕が回されており、レイが俺たち二人に抱き着いた、という表現のほうが正しいだろう。

 何事かと思ったが、レイは顔を俯かせて泣いていた。いっぱい泣く、という俺の言葉で、また涙があふれてきたのかもしれない。

 俺とマナは目を合わせて苦笑すると、二人してレイを慰め始める。

 俺はレイの頭を撫で、マナはレイの背中をさすり。

 三人固まってそうしている様は、周りから見たら奇妙に映ったかもしれない。けれど、今この部屋には俺たちしかいないんだから問題はない。

 十分後、緊張の糸が切れたことと泣き疲れからかレイが静かに眠るまで、俺たちはただレイに寄り添って彼女を慰め続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから幾らかの時間が過ぎて、夜。

 ふと目を覚ましたレイは、ベッドから起き上がった。

 それにあわせてかけられていた布団がずり落ちるが、それよりもレイは自分がベッドでで寝ていたことに小さな驚きを示す。

 おそらく、寝てしまった自分を遠也かマナがベッドに運んだのだろう。そう判断し、レイは心の中で二人に感謝する。

 その優しさと、思わず抱き着いてしまったレイに文句も言わずに付き合ってくれたことを。

 二人の前で盛大に泣いてしまったことは、今思えば恥ずかしく思う。あの時は気持ちが高ぶっていて抑えられなかったが、やはり人前で泣くという行為は幼いレイにしても羞恥を感じることであった。

 そこでふと、レイはベッドに寝ているのが自分ひとりであることに気付く。

 このベッドの持ち主は遠也であり、その本人がこの時間にベッドの中にいないとはどういうことだろうか。

 レイはベッドから降りて、部屋の中で唯一ベッドの代わりになりそうな場所……ソファのほうに向かう。

 近づいて上から覗き込めば、そこには予想した光景がある。ソファに寝ころび、目を閉じて眠る遠也の姿がそこにあった。

 こうなっているのは、ベッドを自分に譲ったためだろう、とレイは考える。その気遣いに申し訳なく思いつつ、同時になんだか嬉しさを感じるレイだった。

 自分をベッドに寝かせ、遠也自身は別の場所で寝る。それは、レイが他人だからという遠慮もあるかもしれないが、それと同じくレイを一人の女の子として見てくれているからだとレイは思った。

 まだ短い付き合いではあるが、遠也のそういった優しさをレイは知っていた。そしてそれが、とても好ましいものであることも。

 ブルー生徒の部屋に備え付けられたソファは、エリートの寮だけあってそれなりに大きい。男子一人が寝ころんで、まだ僅かに余裕があるぐらいには。

 レイは、きょろきょろと周りを見回す。部屋の中にマナの姿はない。自分の部屋に戻ったのかもしれないとレイは思う。さすがに夜に異性の部屋に泊まることを、教師が許可するとは思えなかったからだ。

 ならば、とレイはひっそりとソファの表側に回り、座り込む。ちょうど遠也の正面に顔を向けたレイは、じっとその寝顔を見つめた。

 

 ――初めは、シンクロ召喚のイベントだった。弱いモンスターを駆使し、力を合わせて大きな敵に立ち向かう姿に衝撃を受けた。それまで当然のようにはびこっていた、ステータス絶対主義とも呼べる風潮が、崩れる音を聞いたからだった。

 低ステータス、低レベルがメリットとまで言い切った姿に、驚いた人間は多かったはずだ。それはこれまでの常識に、真っ向から反する概念だったからだ。

 レイもそんな一人だった。むしろ、低ステータスのカードを主力に据えていた彼女にしてみれば、他の人間よりも衝撃的だったと言っていいかもしれない。

 その後わずかに話した時に受けた助言は、今でもレイにとって大切な言葉だ。それがあったから、レイは一層自分のデッキを信頼し、更なる努力を怠らないようになったのだから。

 だからこそ、遠也はレイの中で特別だった。カイザーのように、一目で心が燃え上がったわけじゃない。だが、じんわりと染み込んでくるかのような憧れが、レイの心に生まれたのである。

 

(まさか、その人と同居することになるとは思わなかったけど……)

 

 苦笑し、レイは思う。

 憧れの存在だった。ただそれだけだったのだが、こうして実際に触れ合い、その人柄に触れ、レイはすっかり遠也のことを好きになっていた。

 それはカイザーに対するそれのように、激しい感情を伴うものではない。だからこそ、レイはそれを恋愛感情だと思わなかった。それは……例えるなら、妹が兄に向けるような、そんな好意だとレイは感じた。

 遠也もまた、自分に対して妹分ぐらいには思ってくれているんじゃないか、とそんな期待を込めての気持ちだったが、あながち外れてはいないだろうとレイは思っていた。

 けれど……。

 

(うーん……よくわからないや)

 

 カイザーに告白して振られ、恋に破れたからだろうか。レイは、自分の気持ちがどういうものなのか自信が持てなくなっていた。

 カイザーに向けていた気持ちは、恋だったのか。それとも、熱烈な憧憬を相手が異性だったことで誤認したのか。そのあたりが、レイにはよくわからなくなっていたのだ。

 だからこそ、遠也に対する自分の気持ちもまた揺らいでいた。

 兄に向ける好意だと思っていたが、本当にそうだったのか。こうして実際に触れ、生活し、レイは遠也の生の姿を知った。

 それでも、憧れた時以上に遠也に対して穏やかな気持ちを抱くこれは、一体何なのだろう。

 恋、なのかもしれない。レイは僅かに疑問の混じる思考ながら、そう考える。

 少なくとも、レイは遠也に対してカイザーと同じかそれ以上の好意を抱いている。それは間違いがないことだ。それが兄に対するものとどう違うかと言われると自信がないが、これからも一緒にいたいという気持ちは間違いなくレイの中にある。

 触れられたら恥ずかしいながらも嬉しいし、笑いあうときは胸の中が温かくなる。その気持ちが恋というのなら、きっとこれもまたそうなのかもしれないと思える。

 カイザーの時とは違う感触を持つ感情に、レイは自身の中でそう結論づけた。カイザーに対しての感情は、今でもわずかにしこりがある。たとえそれがどんな感情だったとしても、レイは間違いなくカイザーに好意を持っていたのだから、仕方がないことだった。

 しかし、よく泣いたのがよかったのだろう。後を引くほどに残っているわけではなかった。

 そして、自覚したレイはそっとソファの背もたれを倒す。実はこのソファ、リクライニング機能つきのものだったのだ。それを、レイは遠也から聞いて知っていた。

 これで、僅かだった余裕は広がり、十分にもう一人が寝れるスペースが出来上がった。

 満足げにそれを見たレイは、眠る遠也の横に、その身体を滑り込ませる。

 

(ごめんね、マナさん)

 

 やはり遠也と同じく姉のように感じる女性に、心の中で詫びる。

 レイから見ても遠也とマナはお似合いであり、また互いに好意を持っていることをレイはしっかり察していた。むしろ最初は恋人同士だと思っていたのだ。違うと聞かされた時も、まだなんだ、と思ったほどである。

 だからこそ、レイには僅かに罪悪感がある。だが、それでも実行をやめないのは、レイが持つ生来の行動力がそうさせるのだろう。

 一人で島まで突撃してきた行動力は伊達ではない。自分の気持ちに素直になる、という一点において、レイは誰よりも突出しているのだった。

 遠也の身体に寄り添い、その心臓の鼓動を感じる。その感覚に安らぎを覚え、レイはほっと息をついた。

 撫でられた感触も、かけられた言葉も、レイはしっかり覚えている。

 だから、レイは遠也の身体に遠慮がちに抱き着き、小さく呟いた。

 

「……ありがとう、遠也さん」

 

 そして、レイはそのまま眠りに落ちる。人肌という、これ以上ない安心を得られるそれに、心と体を埋めながら。

 

 

 

 

 翌朝。レイは「あああー!」という誰かの驚きの声で目を覚ました。

 そして、レイは見た。マナに詰め寄られ、たじたじになっている遠也を。

 どうやら、遠也の隣で自分が寝ていたことに、朝やって来たマナが気が付いたらしい。だが、それはレイが勝手にやったこと。身に覚えのない遠也は、必死に言い訳をしている。

 どうもマナが見たとき、寝返りの関係か遠也はレイを抱きしめる形で寝ていたようだ。それがマナの怒りに触れた、というか嫉妬させているのだろう。

 そんなやり取りを聞きながら、その感触を寝ていたために覚えていないことをレイはちょっぴり残念に思った。

 そして、レイが起きたことに気付いた遠也が縋り付くようにレイを見る。事情を説明してくれ、と言っているのだろう。その視線を追って、マナもレイを見た。

 その二人の視線を受けて、レイは笑う。昨日振られたばかりとは思えない、眩しい笑顔で。

 

「おはよう、遠也さん! マナさん!」

 

 やけにすっきりした顔で、元気よく挨拶をするレイ。そのあまりの明るさに、遠也とマナは諍いを忘れて僅かに呆ける。

 そんな二人を見て、レイは一層その笑みを深くするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の定期便が来るまでの一週間。俺はその間を、ひたすらレイと過ごす時間に充てていた。

 十代や皆とも引き合わせ、出来るだけ楽しい思い出にしようと、時には大騒ぎをし、時には穏やかに過ごし。

 もうすぐいなくなってしまうのだから、と考えれば、いささかいつも以上に無理をするのも酷ではなかった。この場所の思い出が、恋に破れた場所、というだけになるのは忍びない。他にも楽しい思い出をこの場所に見出してほしかったのだ。

 そんな俺の努力の甲斐あってか、レイはずっと楽しそうにしてくれていた。時折、マナとレイが微妙な感じにあることもあったが……。

 いや、あれは余裕たっぷりのレイに、マナが唸ってそんなレイを見ている、というだけだった気がする。レイが腕を組んできたり、胡坐をかいた俺の上に座ったり。子供なんだから、それぐらい別にいいだろうに。

 そんな俺たちの様子を見た明日香が、俺に「あなた、いつか刺されないといいわね」と言ってきたり。それはヤンデレ的な何かなのか? ヤンデレは確か十代の方に何かあったはずなので、俺は大丈夫だと思うんだが。

 そんな俺の様子を見て、明日香はため息をつく。失礼な、と言えば、明日香は不意に俺の手を握ってきた。

 突然、柔らかな感触に包まれた手に、俺は少々驚く。しかし、その手はすぐにレイが俺を後ろに引っ張ったことで、ほどかれた。

 むっと明日香を見るレイと、それを受けて苦笑している明日香。そして、明日香は俺を見て言った。「こういうことよ」と。

 どういうこと? それでもわかっていない俺に、明日香は呆れ顔で去っていった。よくわからないが、とりあえずこの腕に組みついてきたレイをどうにかしないといけないことだけはわかった。明日香め、面倒なことを。

 

 

 ――そんなこんなで時間が過ぎ、今日はいよいよレイが帰る日。

 迎えに来た両親にひとまず怒られ、その後準備をしてあった荷物などを持って、港へと移動する。

 無論、俺やマナ、十代や明日香たちに、あとカイザーも見送りに来ている。

 レイも何か吹っ切れたのか、カイザーに対してそれなりに普通に接することができるようになっていた。後を引きずるかと思ったが、意外だった。まぁ、そのほうがこちらとしては心配がなくていいが。

 定期船はすでに港についている。

 荷物と共にレイのご両親はすでに乗り込んでおり、今はレイ一人が港に残って俺たちに向き合っているところだ。

 最後の挨拶、ということだろう。レイは笑顔だったが、やはりその中にある寂しさは隠せないようで、複雑な表情をしていた。

 そんなレイにまずは十代が声をかける。

 

「じゃあな、レイ。またいつでも来いよ、そんでもう一回デュエルしようぜ!」

 

 にかっと笑って言う十代に、レイは苦笑いだ。この短い期間ではあったが、レイも十代のデュエル馬鹿っぷりを理解したようである。

 この一週間の間に、十代とレイはデュエルをしている。結果は十代の勝ちであったが、レイが使うデッキが珍しいこともあって、十代はまたレイとデュエルがしたいようだった。

 そして十代を皮切りに、やたらマナに絡もうとしていた翔、それから隼人に三沢、ジュンコにももえ、とそれぞれがレイに声をかけていく。レイはそれぞれに笑顔で応え、別れを惜しんでいた。僅かな間だけの付き合いだったが、それでも友達であることに変わりはない。

 それゆえ、そこに年齢の差があろうと関係ない。友達との別れを惜しむのは、当たり前のことだからだ。

 そして次に明日香がレイに声をかけ、「向こうでも元気でね」と握手をしている。それに対して、レイが「うん、明日香さんにも負けないよ」と返している。

 それに明日香は驚いた顔になり、何やら必死に否定していた。会話は聞こえないが、楽しそうではあったので、きっと何か言いたいことでもあったのだろう。

 続いてカイザーが、「ありがとう、息災でな」と簡素な言葉を投げかける。それにレイは驚きの表情になり、次いで元気よく「はい!」と答えた。

 さて、こうして残るは俺とマナの二人だけ。一番長くレイと接していた俺たちを、みんなも気を使って最後に回してくれたのだろう。出発の時間いっぱいまで話せるように。

 

「うぅ、レイちゃん……元気でね。私のこと、忘れちゃヤだよ」

 

 そう言って、マナがレイに抱き着く。ぎゅっと抱きしめられたレイは苦しそうだが、それでもそれ以上に嬉しそうだった。

 

「もちろん、忘れないよマナさん」

 

 レイもマナの背に腕を回し、抱きしめ返す。

 時折、変な空気になることがある二人だったが、基本的にはやはり二人はお互いのことが好きなのだ。マナはレイのことを妹同然に見ているし、レイもまたそんなマナを姉のように思っている。

 そんな二人が、別れを悲しむのは当然のことだ。二人は抱き合って、お互いの思いに身を浸す。本当に仲の良い姉妹のように見える二人に、俺も近づいていった。

 

「レイ」

 

 呼びかけると、レイはマナの身体から身を離し、こちらに向き直る。そして、笑顔を見せた。

 

「遠也さん……。遠也さんには、本当に感謝してる。この島に来て、ずっとボクを助けてくれて、ありがとう」

 

 正面から真っ直ぐお礼を言われ、さすがに俺も照れる。

 頬をかき、誤魔化すように口を開いた。

 

「気にするなよ。俺も楽しかったから。まるで、妹ができたみたいでさ」

 

 本心からそう言えば、レイはちょっと思案するような顔になる。

 そして、曖昧に笑って時計を確認する。もう少しで、出発の時間だ。

 

「ありがとう、遠也さん。……お礼に、これを受け取ってもらえる?」

 

 レイはそう言って一枚のカードを取り出す。裏側で出されたそれは、何のカードなんだかわからない。

 俺は更にレイの傍まで寄って腰をかがめる。そして、そのカードを手に取った。

 

「……あと、これもお礼だよ」

「え?」

 

 その囁きが聞こえた瞬間、俺の頬に感じる温かい感触。

 それは一瞬のことであったが、思わず思考が停止する。対して、目の前のレイは顔を真っ赤にしているものの楽しそうに笑っている。

 

「えへへ、ボクの初めてのキスなんだから、感謝してね」

 

 黒髪を翻し、照れたように微笑むその姿は、思わず見とれるほどに可愛いものだった。

 だが、そんな感傷は数秒の間だけ。「あー!」という叫び声にかき消された。

 

「レイちゃん! な、なにを!」

「マナさん、ボクだって真剣なんだから、これぐらいはね!」

 

 マナの叫びに悪戯気にそう返し、レイは船の乗り込み口へと駆けていく。

 その途中、一度だけ振り返ると、レイは笑顔で大きく手を振った。

 

「じゃあね、みんな! 遠也さん! またボクはここに来るから! 今度は、遠也さんに会いに!」

 

 そう言い残し、レイは今度こそ振り返ることなく駆け去っていく。

 それを呆然と見届けて、俺は受け取ったカードに視線を落とした。

 表側にしてみれば、そのカードは《恋する乙女》。レイ自身何枚も持っているカードだから、それをもらうことに大きな抵抗はない。

 だが、あんなことをされた状況で、このカード……。それに、あの最後の言葉。そこから導き出される答えは、一つしかない。

 俺は思わずみんなを振り返り、曖昧に笑った。

 

「えっと……これって、そういうこと?」

 

 俺が発した言葉に、真っ先に返答をしたのは、翔だった。

 笑顔で、翔は口を開く。

 

「もげろっす」

「いきなり酷いな、お前は!」

 

 だが、そのセリフが出るということは、確定とみていいだろう。

 まぁ、俺がレイとこの島で一番長く接した異性であることに間違いはないが、まさかそういう感情を向けられる対象に思われていたとは。

 俺はてっきり、レイも俺のことを兄のように思ってくれているとばかり……。

 

「兄とはいっても、血は繋がっていないでしょ。なら、そういうこともあるわ」

 

 明日香は、俺が考えていることを察したのか、そう口にする。

 けど、まさかと思うだろう。俺はカイザーとは似ても似つかないんだし。

 俺が一人動揺していると、十代たちはそれぞれ俺に一言声をかけてこの場を去っていく。

 

「じゃあな、先に帰るぜ遠也」

「もげろ」

「果報者なんだな、遠也は」

「しっかり見送りをしておいてくれ」

「ロリコン」

「愛に年齢は関係ありませんわ」

「後は任せた」

「じゃあ、また教室で会いましょう」

 

 それぞれ誰のセリフであるかは、推して知るべし。

 そして取り残された俺は、ちらりと横を見る。

 そこには、ぶっすーとわかりやすく機嫌を損ねているマナの姿。だが、どこか無理にそのポーズをとっているように感じるのは気のせいではないだろう。

 そもそもマナはレイのことが大好きなのだ。そうそう、嫌うことができるはずもない。

 だから、文字通り今の姿はポーズというわけだ。

 

「はぁ……マナ、帰るか」

 

 徐々に港から離れていく船を見ながら、俺はそう促す。

 それに、マナはあからさまに驚いた顔になる。

 

「え、ここは遠也が私にキスしてくれるところじゃないの?」

「なんでそうなる」

 

 いったいどんな発想をすればそうなるのか。

 全く読めない思考を持つ相棒に溜め息をつき、俺はマナの手を握る。

 短い期間ではあったが、レイはいつも一緒にいる存在だった。そのレイがいなくなったことを、俺は心のどこかで寂しく思っている。

 だから、躊躇いもなくこうしてマナの手が握れたのかもしれない。その寂しさを誤魔化すために。

 それはマナにとっても同じことだったのか。マナは繋いだ手をたどり、俺の腕に自らのそれを絡ませる。

 普段なら慌てて取り乱すその仕草にも、今はむしろ安心感のようなものを感じる。やっぱり、結構寂しいのかもしれない。それを感じているのか、マナもまたその顔に寂しげな笑みを浮かべていた。

 

「……帰るか」

「うん、そうだね」

 

 俺たちはそのまま歩きだし、寮への道を進んでいく。

 そこに、昨日までは共にいたレイがいない。

 この短い間に、随分馴染んだものだ、と苦笑いを浮かべながら俺は帰って行ったレイのことを思う。

 また、いずれ会う日が来る。その時を、今から楽しみにしておくとしよう。

 そして、俺は寮へと戻っていく。隣のマナと、レイと過ごしたこの数日間の思い出を語り合いながら。

 

 

 

 


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