魔族、そしてオーガカイザーがグラッダに襲撃してきたあの日から五日が経過した。
倒れたオーガ達はハルキの知り合いの専門業者に引き取ってもらい、そのまま家に戻った。
ミスティの目はまだ覚めておらず、襲撃の日から二日経った日に目を覚ました。
ハルキの両腕も今ではライムの治療魔法の力で完治しており、私生活を送ることに関しては何も心配はいらなかった。
ハルクの怪我は大したことなかったので、グラッダの修繕作業に早い段階から参加していた。
修繕作業を指揮しているのはドケチとガンコの兄弟で、彼らもまたそこまで重症ではなかった。
シャリーにも父親、そして屋敷の者も殺されてしまったという真実を隠し通すのに限界が訪れライムの口から告げられた。
その日は一日中泣いていたが、次の日からは普段と変わらぬ様子でコソコソと恥ずかしがりながら物陰に隠れていた。
ミスティが目を覚ましてからライムとティルナはルナの治療に尽力を尽くしていた。
ハルクがシャチから渡されたバルダ草が本物であることがわかり、三日間ルナに付きっ切りで治療していた。
魔力を流してしまえば悪化してしまうデリケートなものだったため、基本的にはティルナが行いライムは知識の面でのサポート、そして修繕作業の合間に参加したハルクも手伝いに当たっていた。
ハルキは今後のことを考え、引退した身だが鍛え直すといって基本的に家の外で何らかの特訓を行っていた。
たまにミスティも参加しており、地面に小さなクレーターが出来上がることが多くなった。
そして今日もまた一日が始まる。
※
「えー!?私もいかないとダメなの!?」
「頼むミスティちゃん!お前の魔法が頼りなんだ、鉄資源が足りなくなってきて工事が進まないんだよ」
「.....そういうことなら仕方ないか。ハルキさん、今日はあまりお付き合いできないかもしれないです」
「いいよー!代わりに愚弟をボコるから」
「いや、俺も行くんだけど」
よく晴れた昼の日、今日はハルクがミスティを連れて街の方まで行っていた。
修繕工事はほとんど進み、終わりに近づいてきたのだが、重要な鉄が足りなくなってしまいミスティが駆り出されたのだ。
鉄の生成には操作の何倍もの魔力を消費してしまうのだが、家に住まわせてもらってる身としては断ることができなかった。
本来なら宿に泊まるのだが、ハルキが気を利かせてくれこの街に滞在する間はここにいていいと言ってくれたのだ。
ルナの治療のこともあるし、その方が良いという判断だった。
グラッダに初めて訪れたときは色々あったためきちんと許可を得られなかったので今になったというわけである。
街は既に以前の景色を取り戻しており、中央ではドケチとガンコが喧嘩する光景も元どおりになっていた。
ハルクは笑みを浮かべ煙草を吸いながら街を見渡す。
「ありがとうな、グラッダのために戦ってくれて」
「いいのよ、ライム君が言うんだから。それにハルク君の故郷なんだから放っておくほうが無理よ」
「ミスティちゃん」
二人はそんな何気ない会話をしながら街を歩いている。
ふと、ハルクはかつて町長であったティロス・グラッダの住んでいた屋敷に目を向けた。
現在屋敷はこの襲撃によって命を落とした者の慰霊館として扱われている。
イルバースのこととは違い、今回は関係のない人々が被害に遭いすぎた。
屋敷の唯一の生き残りであるシャリーが一人で住むにしても広すぎるということからそうなった。
シャリーはティルナの家に住むということで落ち着いた。
(.....俺はまだまだだ。守れた人もいるけど、守れたはずの人もいる。俺はまだ強くなれる)
ぐっ、とハルクは決意を新たに拳を握り締めた。
※
それから更に二日が経った。
その日の夜、ハルクはルナの部屋に訪れていた。
若干曇った満月の夜のことだった。
ライムとティルナからは部屋に出入りする許可はもらっていた。
最近ではルナの体内に残留した魔力反応が徐々に消えつつあり、快復の傾向に向かっていた。
バルダ草の効力が出ているのかもしれない。
何故彼女がバルダ草を持っており、それをハルクに渡したかは未だに謎だが、本物であることに変わりはなかったのだから素直に喜ぶべきことだった。
「ルナ」
今日もまた、ハルクは日記を綴るように今日あったことをルナに話しかける。
今日は街の修繕工事が終わりかけていたときにドケチとガンコの喧嘩がヒートアップしてしまい、営業再開間近だった居酒屋「黒夜叉」が半壊してしまい営業までの期間が延びてしまったこと。
ルナとも何度か行った店だ、ハルキに連れられて二人酔わされて醜態を晒してしまった。
ハルクはそのことのルナの言動と行動を思い出し、クスリと笑みを浮かべる。
他にもティロス達の墓参りに行ったこと、ひったくりを見かけて捕まえたこと、ハルキに特訓に付き合わされ全身疲労で体中が痛いことなど細かいことやどうでもいいことなども話した。
気がつけばハルクは眠ってしまっていた。
椅子に座ったままうつらうつらと船を漕ぎながら。
−−−もそり、とベッドのシーツが擦れる音でハルクは目を覚ました。
雲の多い真っ暗な夜中だった。
ハルクは明かりを点けると目を大きく見開いた。
ハルクの正面に人影、ルナ・シノハラが目を覚ましていた。
「.....ルナ!」
長かった、ルナが突然意識を失ってから一年。
ずっとハルクが待ち焦がれていた光景が目の前にあった。
ルナはまだ寝ぼけているのか、目の前をボーッと見ており、ハルクの方には目を向けてなかった。
ハルクはルナに駆け寄る。
「ルナ、ルナ!目を覚ましたんだな!よかった、本当によかった!」
ポロポロ、とハルクは涙を流す。
ルナの手を握りしめて彼女の体温をこの手で確かめる。
話したいことが山ほどある、一緒に行きたいところもたくさんある、ハルクの頭の中にはこれから二人で何をするかで埋め尽くされていた。
−−−しかし、ある異変に気がつく。
「.....ルナ?」
これだけハルクが声をかけているのに、これだけハルクが一人で馬鹿騒ぎしているのに。
ルナはハルクの方を見向きもせずにボーッと焦点の合わない瞳でただひたすら正面を見つめていたのだ。
−−−数秒後、ライムとティルナを呼びに行きことの成り行きを説明する。
ライムはすぐにルナの状態をたしかめ、ティルナもライムに続いて彼女の体の状態をたしかめる。
「おかしい、魔力もしっかり浄化されてるし熱も引いてる。何の異変も見当たらない」
「ライムさん、これはもしかして」
「.....まさか!」
ティルナが顔を俯かせ、そっぽを向いてしまった。
ライムは頭を抱えてハルクの方を静かに見る。
(クソ、なんで、なんでこんなことに!ハルクに何て言えばいいんだ!)
もし、この世に神がいるとするならば今すぐにでも殴ってやりたい気持ちで一杯だった。
あまりにも、あまりにも残酷すぎる。
「ライム」
「.....ハルク」
「教えてくれ、ルナの身に一体何が起こってるんだ?」
ライムはハルクの真っ直ぐな目を見て決心する。
引き受けたからには結果までを伝えるのが仕事である、ライムは重々しく口を開く。
「ルナ、さんは記憶を失ってる」
「.....え?」
ハルクは驚くが、ライムは続ける。
「もっと言うなら魔力、急激に取り込んだ魔力もそうだしその魔力が長い間体内にあったせいで体のいくつかの部分が蝕まわれている。特に魔力に耐性の低い脳が影響を受けてるみたいだ」
本来であれば脳は魔力に対する耐性がある程度あるものだが、魔力調整不安定症の患者の多くは宿している魔力も少ないかないため脳が抗体を作れずにいた。
外部からは何の問題もなかったのだが、内部からは防ぎようがないのは明らかである。
他にもティルナが軽く診察した結果では内臓と右足への侵食が特に酷かったようだ。
「.....な、何とかできないのか!?そうだ、ライムの治療魔法を使えば」
「彼女に魔力を注ぎ込むのは危険だ。侵食が加速する可能性もある、これ以上は、俺じゃ手の施しようがな−−−」
「それ以上言うなぁ!」
ライムが言い終わる前にハルクがライムを殴った。
「ハルク君!」
「ふざけるなよ、何だよそれ。治療魔術師?メデルの生き残り?だったらルナを完全に治してくれよ!俺が、俺がどれだけ待ったと思ってるんだ!目の前に、もう目の前にあいつが、目を覚まして、それなのに!記憶を失ってる?冗談はやめろよ、ふざけるなよ!何がバルダ草だよ、何が魔力を注ぐと危ないだよ、クソッタレ!引き受けたからにはしっかりと治せよ、ルナの記憶を戻せよ!」
ハルクは泣いていた、長い間治療してきたティルナも涙を流していた。
ライムは何も言えなかった、ハルクの言い分は無茶苦茶だが、正論の部分がライムの心に深く突き刺さった。
「.....ごめん」
ライムは反論することなく静かに謝罪した。
謝るだけじゃ許されないとわかっていても、無力な自分が憎くても。
今のライムには精一杯の謝罪をすることしかできなかった。
「.....ッ、クソ!」
ハルクはそのまま部屋を飛び出して行った。
行方はもうわかる、姉のハルキから教えてもらった。
−−−灯台だ。
※
『おい、ティルナさん!ルナは大丈夫なのか!?』
『命に別状はありません。ですが、意識が戻るかのどうかの保証までは』
ハルクが灯台に到着した頃、月は完全に姿を隠し雨雲が空を覆っていた。
そういえばそろそろ雨季の時期だった、とハルクはボーッと夜の海を眺めながらふと思った。
(何、やってんだろうな。俺)
理不尽な理由で友人を殴ってしまった。
理不尽な理由で友人を責めてしまった。
ハルクには医療や治療魔法の知識はないが、それでもこの数日ライムがどれだけ必死になってくれていたことは知っている。
それをハルクは感謝の言葉どころか自分の鬱憤をぶちまけてしまった。
ルナが目を覚ました、それだけで嬉しいことのはずなのに。
記憶を失った、ということに耐えきれなかった。
ルナの記憶が無くなったということはハルクとの出会いもあんなことやこんなこと、あの家で過ごした思い出も、彼女自身の故郷のことも全て忘れてしまったということ。
ハルクがルナにプロポーズしたことも忘れてしまったのだろう。
ハルクはポケットから煙草を取り出し火をつけて吸い始めた。
そういえばルナには吸いすぎと怒られたこともあったな。
ルナとこの灯台に来て夕焼けを一緒に見たこともあった、眠れないと言って部屋に突撃してきたこともあった。
思い出せば思い出すたびに彼女と過ごした日々が鮮明に彩られていく。
しかし、ルナはそのことを一切覚えていない。
その事実がとても悲しかった。
目が覚めたらこれから歩み寄ろうと決めていたのに、二人で幸せに暮らそうとお互いに誓っていたのに。
そんな未来も音を立てて崩れてしまう。
「もう、俺、どうすりゃいいんだよ」
ハルクは水面を見つめながら泣きに泣いた自分の酷く悲しみに歪んだ顔を眺めながら自嘲気味に笑みを浮かべる。
それすらも今の彼にとってはどうでもいいことになっていた。
ポツ、と雨が降り始めた。
ポツ、ポツ、ポツポツポツポツと雨粒の数は次第に増えていく。
そういえば、ルナと初めて出会った日もこんな雨の日だった。
−−−雨の音に紛れて後ろから足音が聞こえた。
誰か来たのか、ハルキか、それともライムかミスティか。
今のハルクにとっては誰が来ても一緒だった。
だから彼は振り返ることはせずに雨の降る海を眺める。
雨の日は中々来る機会がないためこういうのも悪くない、とハルクが思った時だった。
近づいてきた足音はハルクの真後ろで止まり、ボフ、と抱きしめられたようだった。
(この感じは)
懐かしく、暖かい。
何故ここに来たのかわからない。
そもそもどうやってやって来たのかなどと考えたが、そんなことはどうでもよかった。
涙腺がまた緩む、ハルクの涙腺と同調するように雨足も強くなった。
ハルクは泣いた。
ただひたすら、雨の音にも負けないくらいの大声で嗚咽を漏らして人生で一番と言ってもいいくらい泣いた。
そんなハルクを後ろから優しく抱きしめるルナ。
互いに愛しあった二人は雨の中、僅かな温もりを感じあっていた。
第二章 〜眠りの姫君〜 完。
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