月日は流れ五年、リーノイアからイルバースに国王がやって来る日の一週間前の日。
南北を隔てる壁は二年前に完成しており、北イルバースでは一ヶ月前からお祭り騒ぎだった。
「国王様が、もうすぐこの地にやって来られる!」
「あぁ、私たちがそこに住んでいるなんて誇らしい!」
「宴だぁ!騒ぐぞー!」
既にこのような状況が三週間前から続いており、街は活気に満ちていた。
ある者は喜び、泣き、愉悦に浸り、騒ぎ、歓喜し、叫び、喧嘩し、腹踊りをしたりなどとストレスや不満を一切感じさせなかった。
「見てください、ジネットさん。街は活気に溢れてます、まさかこの地でここまで開拓を進められるなんて思いもしなかったです。全てはジネットさんのお力があり、デジオン様の遺産があったからこその発展!」
「.....」
「七日後には国王様が来訪され、イルバースを都市として認めてくださるかもしれません!順調に物事は進んでます」
「.....そうかな?」
街を眺めるジネットの傍で騒ぐ秘書の女性がジネットの表情と言葉に思わず固唾を呑んでしまう。
イルバースは創設以来、最高潮の活気に満ちており、国から正式に都市と認められれば商業はもちろん、人々の往来も多くなり金銭の循環も良くなり更に街は発展するだろう。
それでも、ジネットの表情は優れることはなかった。
白髪の混じった茶色の髪にモノクルを付けた表情は暗く、言葉はどこか重かった。
「たしかにイルバースは活気に満ちている、だが、それは北に限ったことだ。我が友、ゲルマックのいる南はこのニュースすらも届いてはいないという話ではないか」
「は、はぁ。しかし、南の連中がそれを知っても式典に害するだけでしょう。奴らは野蛮で、我々とは相容れない存在」
「.....果たして、本当にそうなのだろうか?」
そう、これが今もなお続いているイルバースの南北問題の実態である。
元々壁の増設を進めたのが今は街にいないデジオン・パルサイザーである。
彼がゲルマックに敗北し、追放した時に壁の建設は中止されるはずだったのだが、費やした莫大な予算と前払いの報酬金を既に渡してしまっていたため、住民からも批判の声が上がり中止を断念せざるを得なかった。
ゲルマック・ビードラーは今も住民からは英雄として扱われている、同時にゲレネ教は敵として人々の心に根付いている。
これは遠い20数年後の未来にも影響されることとなる。
そして、壁が完成し新たな問題が浮上した。
南の人々に対する北の人々の差別が悪化し、壁と壁を跨ぐために役所まで設けられたほどである。
街の出入り口もそれぞれに作られてしまい、南の人間を徹底的に迫害した。
「ゲルマック、私は間違っていないのだろうか?これが私の望んだ平和で人々が何不自由なく暮らすことのできる理想郷なのだろうか?」
ジネットの独り言を拾う者は誰一人としていなかった。
虚空を見上げ、ジネットは一人北も南も関係ないと頻繁に出入りしている息子の姿を思い浮かべたのだった。
※
「なぁ、ゲルさん、七日後に北の方に国王っていう最強の筋肉ムキムキで無敗の戦士がやってくるんだろ!?勝負挑んでもいいかな!?」
「.....どうしてそうなったんだ」
ハァ、とゲルマックは21にもなる無知な弟子、ゴルドスのキラキラした瞳を見ながら大きな溜息を吐いた。
一週間後、国王がイルバースに視察にやってくるというところまでは間違っていない。
北イルバースに比べて南イルバースは教育面でも行き届いていない部分もあり、ゴルドスのような年齢でも文字の読み書きができない者も少なくない。
少なくともゲルマックの弟子であるロブ、ゴルドス、グラハムには基本的な読み書き、計算は教えたのだが、その他の知識を教えなかったことがここに痛手を与えたようだ。
「馬鹿か、ゴルドス。国王ってのはこの大陸、ノレオフォール大陸の首都であるリーノイアに住んでる一番偉い奴のことだ。俺たちがやれば簡単に倒せる」
「何、雑魚なのか!?」
「当たり前だ、多分護衛の奴らはかなり強いがな」
「よし、じゃあ護衛って奴らに喧嘩を」
「やめなさい」
そろそろ止めておかないと本気で喧嘩を挑みに行かねないゴルドスをチョップで制裁する。
ロブは読書を好んでいるため一般教養や知識はあるはずなのだが、どこか考え方がズレている部分があるようだ。
さっきから鉄パイプを磨きながら殺気立ってるのが証拠である。
「.....ハァ、一体どこで育て方を間違えたんだか」
「ゲルさん、何で泣いてんの?」
「何でもない」
隣に座るグラハムが心配そうに声をかけてくるが、ゲルマックの涙が止まることはなかった。
ゲルマックがイルバースに住み始めて11年、月日の流れが長いようで短く感じられる。
自分も年を取った、そう思うと自然に笑みがこぼれてしまった。
「よし、お前ら。今日もいい天気だし飯でも食いに行くか」
「お、いいっすね!」
平和な日常は続く、誰も彼もが少なくともそう思っていた。
ゲルマック達が一歩、南イルバースの大地を踏み先に進もうとした矢先に黒いフードを被り、同色のローブを纏った人物が行く手を遮る。
「ん?」
「............」
「何だ、あいつは?」
誰もが対応に困った、素顔も見えない、性別もわからない、髪の色すらもわからない。
しかし、ゲルマックはどこか強者の気配を感じ取ると同時に、不気味さと危険性を察知していた。
「ったく、またゲルさんに挑もうっつー身の程を知らねぇ、チャレンジャーって奴かヨ?」
「おい、ゴルドス」
「止めないでくれゲルさん。あぁいう輩は、身の程弁えてもらわねぇと、いかねぇッスからねぇ!」
ドッ、とゴルドスが舌舐めずりをして狂犬のように駆け出した。
ゲルマック・ビードラーがイルバースの英雄と呼ばれるようになってからというもの、その知名度は大陸中に知れ渡り、近隣の街に住み着く腕に覚えのある実力者達がゲルマックに挑みに来ることが多くなったのもまた事実。
その度にロブとゴルドスが蹴散らしていたが、それでも数が減ることはなかった。
お陰でロブとゴルドスは5年前とは比べものにならないほど強くなった。
しかし、目の前の人物は獣のごとく牙を剥くゴルドスを子供のようにあしらい、足で地面に顔を踏みつけた。
ビキビキビキビキビキ、と大地に亀裂が走る。
「ゴルドス!」
「がっ、はァ!?」
ギロリ、と黒ローブの人物はゲルマックを睨みつける。
そして、ゴルドスの顔を踏み台にしてゲルマックに向かって接近する。
その間にロブが割り込み鉄パイプで黒ローブのパンチを防ぐ。
「ロブ!」
「ゲルさんとグラハムは大人しくしといてください、こいつは俺が潰します!」
「馬鹿野郎!そいつは今までの奴らとは比べものにはならねぇぞ!」
しかし、ゲルマックの言葉は届かない。
身の丈が頭一つ分大きい黒ローブに鉄パイプをバットでフルスイングするように横腹に向けて放つが、パキィン、と鉄パイプの方が音を立てて弾き飛ばされ、先端がポッキリと折れてしまった。
「なっ.....」
「............」
黒ローブは無言でロブを弾き飛ばし、家の壁をいくつも貫通させた。
「テメェ、何者だ?」
ゴォォ、とゲルマックはここで初めて殺気を立て、戦闘態勢に入る。
グラハムはこの隙にロブの安否を確認すべくゴルドスを回収し、ロブが吹き飛ばされた方向へと走った。
黒ローブは初めて口を動かす。
「ゲルマック、そして南イルバースの者共。駆逐対象だ」
「駆逐?」
「これ以上は語るにあらず」
バッ、と黒ローブが態勢をわずかに低くすると両肩から赤黒い触角のような蠢く何かが出現した。
「お前、魔族か?」
「残念だが、近くではあるが正解ではない。もっともここで死ぬ貴様には関係のないことだがな」
ゴキ、ゴキ、ゴキ、という音と共に黒ローブの両肩から出現した赤黒い触覚が大きくなっていった。
「死ね」
※
「ダルダス!」
「おやおや、これはジネット様。どうかなさいましたか?」
その頃、北イルバースの中心にあるイルバース邸にて南イルバースと外を塞ぐ壁が破壊されるという報告を受け、ジネットはカメラに捉えられていた壁を破壊した黒ローブの人物を見るなり焦った様子だった。
風でわずかにフードがズレ、黒ローブの素顔を目撃したジネットの表情は青くなった。
「お前、たしか壁の建設を直接指揮してたんだよな?」
「えぇ、そうですよ?」
「あの壁はそんなにやわなのか?それとも南側だけわざと建設に手を抜いたのか?」
「.....はて、何のことでしょう?」
「とぼけるな!ならば何故デジオンのような大魔術師ですら破壊することができなかった壁が破壊されてるんだ!?あれでは南側の安全は」
「ジネット様」
勢いよく話すジネットの言葉を遮り、ダルダスはニヤリ、と悪どい笑みを浮かべながら続ける。
「南側?あれらの安全を保障する理由などありますでしょうか?」
「は.....?」
「七日後には国王様がご来訪されます。それまでに街の汚点は今すぐにでも消しておかねば」
「まさか、ダルダス!貴様ァ!」
「.....そもそもあれらをイルバースの一部と認めた覚えはない。英雄ゲルマックも然り、あれらが存在する理由などないのです。あれらのせいでイルバースが問題視されたらどう責任を取られるおつもりで?」
ダルダスは極めて真剣な様子でジネットに問いかける。
ダルダス・ビッターという男はイルバースのことを一に考えている。
ジネットの片腕として政策、催し、経理、商業などの様々な事務を担当し、イルバースにおける必要不可欠な人材だった。
だからこそ、イルバースの汚点とも言える南を滅ぼすことが彼の目的だった。
黒ローブに関しても彼が呼んだ者だろう。
「お前、正気か、あんな奴らの力を借りた時点で、我々はもう終わりだぞ!」
「真実を揉み消し、新事実を上書きすればいいだけの話」
「本当にそれで済むのか?本当にそれで済ませていいのか!?お前は自分が何をしたのか、本当にわかってるのか!?」
「全てはイルバースの為です」
ダルダスの表情は変わることはなかった。
ジネットはそんなダルダスの様子に恐怖を覚え、冷や汗をダラリと流し始めた。
「旦那様!大変です!」
ジネットとダルダスが口論をしていると、部屋の扉が勢いよく開かれ、ジネットの秘書が血相変えてやってきた。
「坊っちゃまが、ザルド坊っちゃまが南に行ったと、さきほど門番から連絡が!」
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