バサッ、とリリーは両腕でもある翼を大きく広げながら低空飛行でマグラターゼに迫る。
強靭な怪鳥の脚爪をギラリ、と輝かせて切り裂くように振るう。
スパン!と刃物で切ったような感触、音と共にマグラターゼの右腕からドクドクと血が流れ始める。
「ぐっ...!」
態勢を崩したマグラターゼは傷口を抑えながら、今もグルグルと低空飛行で高速移動しているリリーを必死に追いかける。
フワリ、とマグラターゼの眼前に羽根が風に乗って落下してくる。
次の瞬間、マグラターゼの背に強烈な痛みが走った。
リリーが脚爪でマグラターゼの背中に三つの大きな切り傷を刻みつけたのだ。
「がっ、はァ!」
ドサッ、とマグラターゼは膝から崩れ落ちる。
リリーはマグラターゼの目の前に着地し、細くなった瞳で見下ろしていた。
「それが君の全力?」
「ハァ、ハァ、ハァ!」
「だとしたら僕の足下にも及ばない、これ以上やっても結果は同じだよ。諦めたら?」
「.........フ」
マグラターゼが笑みを浮かべた瞬間、マグラターゼの右腕を中心に凄まじい殺気と嫌悪感がリリーを襲った。
あまりにも恐ろしく感じてしまったため、リリーはズザザ、と勢いよく後ずさりしてしまう。
リリーがもう一度マグラターゼの右腕に視線を戻すと、先ほど付いたはずの切り傷が塞がっていた。
マグラターゼはゆっくりと立ち上がる。
ポタポタと背中から血を流し、血反吐を吐きながらも力強い意思を目に宿して。
「まだ、まだだ!俺は、ボスに、ゴルドスさんに恩返しをするまでは、負けるわけにはいかないんだよォ!」
ダッ!と大地が震えたと錯覚するような力強い踏み込みでマグラターゼはリリーに右拳を放つ。
ゾォッ、とリリーは全身から嫌な汗が流れ出したのを感じ翼を大きく広げて空中に回避する。
(.....あの腕、何でだろう。あいつが何かをしているわけじゃないのに、あの腕だけには近づきたくない、ていうか関わりたくない!)
「.....やっぱり、あんたも、俺の腕をそんな目で見るんだな。所詮同じ苦渋を味わった者でも俺の痛みは俺にしかわからないってやつ、か」
「同じ苦渋?」
リリーは地面にゆっくりと着地し、マグラターゼと向かい合い尋ねる。
「そうだ、亜人であるあんたが人間の街に住んでいるなら一度、いや、何度も味わったことがあるはずだ」
マグラターゼは目を瞑り、今にも泣き出しそうで悲しそうな表情をリリーに向ける。
「人間の、目だ」
※
マグラターゼ・ギアノスは右腕に異物を宿した状態で生を授かった。
出産を協力した医者は心底気の毒そうにしていたが、逃げるようにして残りの作業を済ませて部屋を飛び出した。
彼の母親も抱くことを拒んだ。
もしかしたら、マグラターゼの右腕の存在そのものを拒んでいたのかもしれない。
父親は関わることを避け、親の愛情を十分に注がれることなく少年は育った。
ある日、マグラターゼは外に出かけた。
両親がたまには外に行ってこいと言ったので甘えただけだった。
しかし、誰も彼もが、動物であろうと魔物であろうと避けるようにしてマグラターゼから距離を置いた。
幼い少年に罪はない。
罪のない少年は悪意ある目と、まるでゴミを見るような蔑んだ人間の目を注がれて育った。
ついに両親は少年を捨てた。
北イルバースの裕福な家で生まれた彼は南に追放され、独りで月日を過ごしてきた。
誰も彼のことを見向きもしない、誰も彼に救いの手を差し伸べてくれない。
マグラターゼ自身も成長するにつれて自分の腕の異常性を実感し始めた。
外見に問題はないが、人外染みた性質と漂わせる異様な雰囲気が原因だった。
傷はすぐに治るし、力を込めれば岩でも破壊することができる。
そんなある日、赤い髪の男がマグラターゼに手を差し伸べた。
今までの人間とは違い、避けることなく嫌うことなく笑顔でマグラターゼの右手をガッシリと力強く握ってくれた。
その時、少年は大量の涙を流したのだった。
マグラターゼはこの時、初めて一人の人間として認められた気がした。
※
「ハァ!」
「ぐっ!」
マグラターゼが右腕を振るい、リリーの片腕にエルボーを放つ。
リリーは咄嗟の攻撃に思わず脚ではなく、腕で防御態勢を整える。
この行為は間違いだった。
リリーの戦闘手段は主に怪鳥の脚を利用したもの、腕は空を飛び移動する翼のオマケにすぎない。
戦闘において攻撃に変換する筋肉の動かし方に慣れない、そんな腕で戦闘慣れした彼の右腕の攻撃を防げばどうなってしまうか。
「う、オラァ!」
彼の細身の体型からは考えられないほどのパワーに耐えきれず、リリーの左腕はボキッと大きな音を立てる。
「がっ、アぁぁぁぁぁぁ!」
あまりの痛みに、リリーは悲痛の叫びを上げるが、マグラターゼはそんな彼女に待ったを許さなかった。
リリーはだらん、と力の入らなくなった左腕を抑えながら追撃を加えてくるマグラターゼに対して左脚で迎え撃つ。
「所詮、人間など自分と少しでも異なれば、蔑み、妬み、嫌い、見下し、否定するだけの、醜い悪意の塊でしかない!」
マグラターゼは右腕を中心に激しいラッシュを繰り出しながら語り続ける。
「あんたも味わってきたんだろ!?そして手を差し伸べてくれた者がいたからこそ今も生きていられる!だから尽くすんだろ、人間に!」
バキィ!とマグラターゼがリリーの脚爪による攻撃を右腕で受け止めて、右脚の爪を三つ纏めて握りつぶす。
「う、ぁっ!」
「だからこそ俺はボスに、ゴルドスさんに全てを捧げる!この命も、力も!」
※
一方、ヨルダンとコグレの戦いも佳境に迫ってきていた。
夕暮れをバックに近辺のコンテナは幾つも破壊され、中身が溢れ出ている。
地面には各箇所に焦げた線のようなものが点在している。
ヨルダンはボロボロになった服を脱ぎ捨てて上半身裸の状態で目の前にコグレを睨みつけていた。
「まさか、ここまで粘るなんてよォ、さすがに予想外だぞ」
「そういうお前もしぶとさと逃げ足の速さはゴキブリ並だぜ?」
「ハッ、余裕だ、ねェ!!未だに俺の能力もわからねぇくせによォ!!」
瞬間、コグレはズガガガガガ!とコンクリートの大地を削り火花を散らしながらヨルダンに急接近する。
両手の五指を広げてヨルダンの肉体を確実に引き裂くような態勢を取り、歪んだ笑みを浮かべる。
「お前は本当に、クソ野郎だな!」
コグレが左手をヨルダンに振り下ろした瞬間、ヨルダンは一歩横にズレ、握りしめた拳で左手に向かって雷撃の如く強烈なパンチを放つ。
「い、ギィッ、あがぁぁぁぁ!!?」
拳はコグレの開いた指に直撃し、左手の指は突き指してしまう。
ある程度武道を齧っていない者でもわかる簡単なことでもある、指だけでは衝撃は和らげることはできない。
雷の魔力を宿したヨルダンの拳はそのままコグレの左腕まで巻き込み、本来は曲がらない方向に捻じ曲がる。
「たしかに俺はお前の能力はわからねェ、だが、それだけの理由じゃ俺が負ける理由にはならねェんだよ!」
ズドム!とヨルダンの膝蹴りがコグレの腹部に直撃し、口から咀嚼していたガムが飛び出し、ヨルダンの足に付着する。
「だが、このガムが爆発を起こすのは火に触れた時だけだとわかった。だからお前は必ず発火させてからガムを吐き出す」
「ぐ、ガッ、はぁ!」
バチバチバチバチ!とヨルダンはガムの付いた部分に魔力を集中させてガムを焦がす。
魔力によって発生する電熱では爆発は引き起こさないようだった。
ヨルダンは右手で腹を抑えるコグレに視線を合わすように蹲踞の態勢になる。
「もう一つ、お前は攻撃の時に魔力を使ってないから魔術師ではない。手と足で主に攻撃してたから、何か道具でも使ってんじゃねぇのか?」
「.....そォだよ」
コグレの返答を聞くなり、ヨルダンはコグレの髪を掴みゴチン!と頭突きを喰らわせる。
「い、で、テメェ!」
「探り合いはここまでだ、一気に終わらさせてもらうぜ!」
「は、ちょ、さ、探り合い!?」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ヨルダンは全身に魔力をバチバチバチバチ!と促す。
そのまま電光石火のごとく、蹴り、パンチ、フック、パンチ、蹴り、蹴り、フック、エルボー、パンチ、蹴りとコグレが反応できない速度で勢いよく応酬を喰らわせる。
コグレがヨロヨロ、と立ち上がる瞬間、ヨルダンは全魔力を右手に集中させストレートを放つ。
「これで終わりだクソ野郎!」
ヨルダンの右ストレートはコグレの腹部を直撃し、ズドーン!と雷が落ちたかのような雷鳴が辺りに轟き、コグレは空中に身を委ねて後方へ吹っ飛び、コンテナにめり込んだ。
「っしゃあ!俺の勝ちだ、クソ野郎!」
ビシッ!とコグレを指差してヨルダンは勝ち誇った笑みを浮かべた。
※
「雷鳴!?」
「.....フフ」
マグラターゼは突如どこかで発生した雷に驚きながら攻撃の手を緩めてしまう。
対するリリーは痛々しい左腕を抑えながらも勝ち誇った子供のような笑みを浮かべた。
「残念だったね、君たちの仲間の誰か倒れたよ」
「ま、さか、コグレが負けたのか!」
「さっすがヨルダンさん!僕も負けてられない!」
ダッ、と片翼で不安定な飛行ながらも脚で何とか支えながらマグラターゼに接近し、脚爪による攻撃で切りつける。
「チッ、だがあんたは片腕はもう使えない。あんたに勝ち目はない」
「そういうの、死亡フラグだよ!」
再び、リリーとマグラターゼの脚爪と右腕が激突した。
「残念だね、こんな関係じゃなかったら君とも分かりあえたかもしれない」
「.....そうだな、そうかもしれない」
「だけど、君は敵である僕に同情してしまった。左腕に致命傷を与えてから攻撃が弱いよ」
「単純に疲れてるだけだ!」
メリメリメリ!とマグラターゼがリリーの顔面に右拳によるストレートを放つ。
リリーの体は吹き飛ばされるが、脚爪を大地に固定することで何とか態勢は崩さずに済んだ。
「ほらね、今のパンチも本気じゃない」
リリーは口と鼻から血を流しながらニヤッと笑みを浮かべる。
「君のその人並み外れたパンチなら僕の頭蓋骨を砕けたはずだよ、間違いなくね」
「...........」
「それができないとしても僕の意識を奪うことだってできたはずだ、今の今まで戦っていた僕だからわかる」
リリーは確信を持ってマグラターゼに言い放つ。
マグラターゼは顔を俯かせながら黙ってリリーの話を聞いていた。
「君は、優しいんだね」
「.....ッ!」
リリーの短い一言にマグラターゼは体を一瞬だけピクリと震わせた。
「だけど、戦闘においてそれは不要な感情、覚えときな」
瞬間、リリーは力の入らない左腕に無理矢理力を込めて高速でマグラターゼの背後に回り、首に足蹴りを放つ。
「がっ...!」
「君の言う通り、僕も君とは違った形で出会いたかったよ、マグラターゼ君」
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