-Ruin-   作:Croissant

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休み時間 <幕間>:あんだんて
本編


 

 少女は自分に絶望していた――

 

 黄昏時の夕日を浴び、身体を琥珀に染めながら肩を落として佇む。

 その表情、空気からも体感している自信を失っている程が解るというもの。

 

 否、解ってしまうほどの陰の気に溢れているのだ。

 

 こんな子供が何を大げさな…等と言う事無かれ。

 

 ある程度の年齢の少女には他者には些細な事であっても、かなりキツイ傷を残す事だってあるのだから。

 いやまぁ、確かに言い過ぎだという感も無い訳ではないが、当の本人にとっては絶望に近いものがあるのだろう、前述の通り身に纏っている空気には瘴気にも似た澱みがあった。

 たっぷりと縦線の入っている煤けた表情のまま、何故か絵の具で汚れているエプロンを力無く外しつつ溜息を吐く。

 その溜息がねばっこく地面にどろりと零れ落ちて広がってゆく様を幻視できる。それほどの重~く深~く長~い溜息であるからこそ、その落ち込み様が解るというもの。

 

 「うう……

  私ってダメ……」

 

 喋られるだけマシであろうが、それでもテンションのダウナー具合はかなりのもの。

 溜息を吐くと幸せが逃げると言うが、これだけ酷い溜息を吐いてると一回で不幸のズンドコだろう。

 夕暮れの時という事もあって黄昏感に拍車が掛かっている。

 

 そんな少女に、

 

 「ああんアスナ。

  せっかくチャンスやったのにー」

 

 「あんなに勇敢なアスナさんが……」

 

 イキナリすぐ側から呆れと驚きを含んだ二つの声が掛けられた。

 

 別に気配なんぞ隠してもいなかったのであるが、意識がすぽーんと他所に取られていた事もあって二人の気配に全く気付けず、流石の少女も『わっ』と驚いて仰け反ってしまう。

 

 声の主は、寮で自分と同室の少女とその幼馴染の少女。

 

 修学旅行の騒動からこっち、この二人は繋がりを断たれていた時間を取り戻そうとしているかのように、どこに行くにもくっ付いて行動している。その仲良さげな様は百合説を浮上させてしまうほどに。

 

 まぁ、百合云々の真偽は兎も角、二人とも部活中に様子を窺っていたのか、部の衣装(?)のままで、一方は占い部と書かれた魔女っぽい鍔の大きなトンガリ帽子を被っており、もう一方は剣道をやっているのだろう剣道着だ。

 全く違うベクトルのクラブなのに、どうやって一緒に行動しているかは謎である。

 

 それはさて置き――

 

 責める訳ではないものの、吸血鬼に対峙しても怪異に出会っても殆ど臆する事の無かった少女が、こんなにも萎縮しているとは一体何があったと言うのだろうか?

 

 「たった一言やん。どーして言えへんの?」

 

 「ダメ……どうしても緊張しちゃって……

  大体、高畑先生と一緒に学祭回ってるシーンがイメージできないし……」

 

 そう。彼女が直面している難問は、愛しの彼(元担任教師)に一緒に学園祭を回りませんかと誘う事である。

 

 600年を生きる吸血鬼と相対しても、百を超える式鬼と向かい合っても怯えはしたが前に進めた肝の太い(暴走しただけともいう)彼女であったが、事が色恋沙汰となると話は別のようで、『エライよね、本屋ちゃん……』等と大人しくて引っ込み思案のくせにキッチリ告白しているクラスメートに心底感心していたり。

 

 考えてみれば武道四天王と謳われている級友の二人も、この三人に恋愛沙汰で相談を持ちかけられているのだから、脳筋的少女というものは戦いに関する事以外の性根がヘロヘロなのかもしれない。

 

 「ここで必要な勇気に比べたら バケモノ相手に暴れる勇気なんてどーってことないよ。

  ホント……」

 

 「あ そ、それは解る気がします」

 

 こんな事に同意する娘もいるし。

 剣道着の少女も納得したらダメだろう。それ、女の子としてどうなん? 等と幼馴染が将来を危ぶんでいたり。

 

 魔女帽の少女の記憶に新しいのが、相談に乗った中華な同級生。

 実はその想い人の青年は未だ心に大き過ぎる傷を抱え込んでおり、件の中華な少女は何もかも中途半端な自分程度であの人を支えられるのだろうかと涙すら浮かべて本気で悩んでいた。

 

 この目の前にいる同室の少女のよーな勢いだけのヘタレでスカポンタンなのではなく、本気の本気で想っているからこそ相手の懐に踏み込めず悩み悶え、その悩み故にLikeをぶっちぎってとっくにLoveに踏み込んでいる事に気付けなかったほど。

 

 大きなお世話な気がしないでもなかったのだが、あえてショック療法でそれに気付かせる事によって何とか持ち直させはしたのだけど……

 まさか同様の悩みを抱えていたバカ忍者を同様のネタで背中を押して距離を修復させた当の本人が、よりにもよって告白云々以前にオコサマレベルのデートにすら誘えないというのは如何なものか?

 

 つーか、又聞きではあるがバカブルーに対して相当に叱咤激励したようなのに、自分の方はネガティブ一直線はアカンやろ。と、溜息を吐いてみたり。

 

 「……いい 私ずっと片思いで……

 

  今のままで満足……」 

 

 ずずーん、と空気が重低音の響きを立てそうになるほどの落ち込みを見せる少女。

 ルームメイトはどうしてくれようかと、ちょっとイラっとしてた。

 そうやって足踏みばっかしてても何の解決にもならないし、諦めて繋がりすら無くしたら後悔するのは明白だ。

 当たって砕けてしまえ……とまでは言わないが、それなりのけじめを付けた方がスッキリするのにと思いはするが、以前のような関係を壊すのは辛いのだろう。

 

 まぁ、その気持ちは痛いほど解る。特にこの魔女帽と剣道着の少女らには。

 

 解りはするのだけど、こーゆー場合の助言は難し過ぎる。

 何しろ自分らが恋愛沙汰に慣れているのかというと、若葉マーク以前に経験ナッシングなのでどーしよーも無いのだから。

 

 「アカン……掛ける言葉が思いつかへん」

 

 「私もちょっと……」

 

 混沌が這い寄って来そうな影を背負ってフフフ… と静かにワラう少女を痛ましい(つーかイタタな)目で見守るしかないというのか?

 何と自分らは無力なのだろう。

 

 そう二人が肩を落とした時だった――

 

 

 

 

 

 『へへへ どーやら手助けが必要みたいだな』

 

 

 

 

 

 救い(?)の声が聞こえてきたのは。

 

 

 バッと慌てて身構える三人。

 

 流石にイヤっというほど扱かれている三人は、戦闘モードに入る間隙が少ない。

 

 不必要なまでに厳しい吸血鬼なクラスメートのお陰(所為)で、怪異に相対してしまった際に一瞬でスイッチが切り替わるようになって(されて)いるのだ。

 

 「誰っ!?」

 

 アレだけダウナーだったのが嘘のように、愛用のハリセンを取り出して身構える少女。

 

 正眼に構えるのは視界を広くする事と、初見で距離を取るためだ。そこまで無理やりにも鍛えられている事が涙ぐましい。

 

 『おおっと、オレっちの事をお忘れじゃねーか?

  そういった色恋沙汰に関しちゃあ、誰よりも頼りになるオレっちの事をよ』

 

 「何?」

 

 その声に、魔女帽の少女を後ろに庇いつつ、アーティファクトの小剣から二振り取り出して構えている少女が怪訝そうな顔をした。

 

 向こうはこっちを知っている。そう言っているのだから。

 

 警戒は消さないが、いきなり投擲するような真似は自重する事にし、声と気配のする方……街路樹の陰に声を掛けた。

 

 「キサマ……何者だ?」

 

 問い掛けに応えるかのように、木の陰からフーっと煙が吐き出される。

 

 雰囲気からすると、やれやれと肩を竦めているようだ。

 

 だが、このままでは埒が明かないと踏んだのだろう、声と煙の主はよっと腰を上げて陰からその姿を現す事にした。

 

 『フ 忘れてるようなら、もう一度名乗ってやろじゃねぇか。

  その可愛い耳の穴に染み込ませ、心に刻み込むんだな。

 

  メルディアナ魔法学校を主席で卒業したネギ=スプリングフィードを兄貴と慕う一の子分、

 

  ケットシーに連なる妖精族、

  誇り高きオコジョ妖精に席を置く一匹狼…ならぬ一匹オコジョ妖精、

 

  アルベール=カモミール 通称カモ君たぁ、オレっちの事よ!!!』

 

 何と彼女らの担任の使い魔、いや使い魔として登録されている彼の相棒、

 

 久しぶりに再会した時なんぞ麻帆良中を逃げ惑った揚句、畜産科で保護されていたというボケかまして毛皮をネズミ色にくすませていたこの小動物の正体は、

 

 そう、誰あろう。

 最近とんと影が薄くなりまくったオコジョ妖精、アルベール=カモミールその人(オコジョ)であった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あー 見て見て、せっちゃん。イタチやイタチー」

 

 「でも喋ってますね。妖の一種でしょうか?」

 

 「フェレットじゃないの?」

 

 『ちょっ、まっ!! 姉さんたち、マジに忘れてる!?

  オレっだよオレっち!! 皆のアイドル、カモくんですぜー?!!

  つかずっといるじゃねーか!!』

 

 

 「なーなー せっちゃん。この子、おじいちゃんに報告した方がええかな?」

 

 「ええ 侵入者のようですしね」

 

 「捕まえとこうか?」

 

 『 ち ょ っ と ー っ ! ! ? ? 』

 

 

 何とゆーか……

 

 ここんトコの認識では使い魔は可愛い純白の小鹿だったし、一緒にいる皆の妹分の愛くるしさに目が行きまくって、マジにほとんど忘れかかってたりする。

 同じ使い魔でも目に優しいのと、目にイタタとだったらどっちに目が向くかは言うまでもない訳で……

 

 まー らしいというか何と言いますか、かな~りgdついたオコジョ妖精のシーンであった。

 

 

 

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         ■休み時間 <幕間>:あんだんて

 

 

 

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 さて、少女らが実に乙女らしい事で悩んでいた明くる日――

 

 学園祭まであと六日となった事もあって、麻帆良内の活気も尋常ではないレベルに達していた。

 

 元々の規模が尋常ではないし、大,高,中と一貫して同じクラブもあるので、必然的に出し物も大学部が介入してきて大掛かりになってゆく。

 ぶっちゃけ、学園そのものを使った祭りとなるので、そこらのテーマパークより規模が上回ってしまうのだ。

 

 何せ学園内にある龍宮神社の縁日も、所謂“テキ屋”ではないというのだから。

 確かに()より麻帆良の方が技術的にも体系的にも上回っているのだけど、何から何まで行えてしまうここの事情には頭痛がしないでもない。

 

 とはいえ、ここで生活をしている者達からすれば例年行事であるし日常茶飯事。だーれも気にしやしない。

 現にアミューズメントパークのパレードの真っ最中にしか見えない通学路の様子にも、今年も始まったでござるなーと楓らも呑気に見物してたりするのだから。

 

 休日だから彼女もタンクトップにスラックスという、ラフな格好。

 彼女を左右から挟み、一緒に見物している鳴滝姉妹も白いセーラー服(水兵の方)で目を輝かせている。

 毎年集客宣伝やら出し物がドハデにランクアップ(エスカレート?)している感がある為、彼女らも楽しみにしているのだ。

 

 「楓姉ぇ 横島さん今晩から来てくれるんだっけ?」

 

 のんびりと散歩しつつボーっと眺めていた三人であるが、ふと思い出したか史伽がシャツを引っ張ってそう問いかけた。

 

 「そうでござるよ」

 

 昨日会った時に確かにそう言ってたでござる。楓がそう言葉を締めるが、風香も史伽もオヤオヤ~とニソニソ笑いを強める。

 昨日会ったじゃなく、昨日()の間違いでしょ? という意味らしい。いや言わずとも楓には解った。だからあえて無視。藪を突いてアナコンダ3は勘弁だ。 

 

 ……尤も、一緒に作業というのが嫌という訳ではない。古もそうらしいが楓とて楽しみだったりする。

 

 無自覚だろうがそれが表情に出てたりするから、鳴滝姉妹もニソニソが止まらないのだ。

 この双子、彼女の変化とか戸惑いをこうやって第三者的に見て楽しんでいる様子。気楽なものであるが、あんまりちょっかいを掛けて来ないのはありがたい。真名も見習ってほしいものである。

 

 「……ま、夕方まで時間もござる故、うぉーきんぐまっぷの仕上げといくでござるよ」

 

 「物凄いヘタクソな話の逸らし方だけど……はーい」

 

 「あ、そっか。

  どーせ夕方に会えるから横島さんに聞いたらいいんだー」

 

 「……」

 

 黙秘剣……いや、黙秘権を行使してずんずん先を歩いてゆく楓の後ろを、おもっきり楽しげな顔で追う二人。

 実はこの三人、部活らしい部活が不明なさんぽ部であるが、折角の学園祭なんだからと学園祭巡りのガイドにロードマップを製作しているのである。

 とは言っても都市内のほほ全てを歩き回っている三人なのだから、素人でも気軽に歩けるコースを検討して再確認する程度。できあがればそれを執行委員会に提出するだけでだ。

 

 無論、来園客(しつこいようだが、学“園”だから)にとっては大助かりなので、執行委員会にとってもありがたい話。実のところさんぽ部初の出し物と言える。

 ここんトコず~っと楓は横島らと修行していたので、偶には部活らしい事でも……と思い立ったのが始まり。結果的には学園サイドの役にかなり立っているのだが。

 学生の本分たる学業は……まぁ、横に置いといて、ものごっつ素晴らしい修行もできてるし、学園生活も積極的に行っている。何気に充実している楓であった。

 

 が、

 

 『……おかしいでござるな』

 

 一歩歩く毎に何故か不安が募ってゆく。

 いや、不快感と言った方が良いだろうか?

 

 『何やらここで呑気にしていてはいけないような……』

 

 奇妙な苛立ちと、焦りのような不可思議な感触が胸に湧いてくるのだ。

 

 『よもや古が抜けが……もとい、ケシカラン行動に出ているとか……

  油断ならぬ女子でござるし……』

 

 とりあえず自分の事は棚の上らしい。

 だが、それは無いと言える。

 

 『ム? いや、古は先程見たでござるな。当日の演武の打ち合わせをやっていたでござるし……

  あの様子では、初等部との打ち合わせも行うようでござる。となると……』

 

 円はナナと共に何処かへ出かけている。

 仮にある男(、、、)と待ち合わせをしていたとしても、愛妹がいるのだからケシカラン真似はすまい。妹だけ先に一人で帰す等というスカタンな行動は、大首領がコミケ会場に出向いて魔女っ子のコスプレしてカメコの前でポーズとる事よりあり得ない。

 

 では……?

 

 『可能性としては……ナンパ、でござるか……ならば安心でござるな。

  横島殿のナンパ成功確率はゴ○ゴの失敗率より低いでござるし』  

 

 ボロクソである。

 つか、せっかく名を伏せてやったのに台無しだ。

 

 まぁ、男の正体云々は横に置くとして、そうなってくると不快感の正体が解らない。何せ彼女の勘は彼が関わっていると告げているのだから。

 

 誰かと逢引とか、それ以外が浮かばんのか? という疑問が浮かばないでもないが、偶然にも古の方も同時刻に同じような不快感を感じていたりする。不運にも、丁度組み手の相手になっていた中武研の高等部,大学部の男子がエラいとばっちりを受けていたりするし。

 

 イラつきとしか言えない不快を抱えた二人。

 

 だが正体は解らない。

 

 こんな感触を抱えたままというのも不快極まるのであるが、どうせ夕方には絶対に来るのだし、その時に問い詰め……質問すれば良いではないか。そう一応の決着をつける二人だった。

 

 無意識に歩行速度が上がっていて付いて来る姉妹がエラい疲労してたり、組み手につき合わされていた部員が半死半生になったりでタイヘンな目に逢ってたりするのだが……

 

 しかしそれが、恐るべき“乙女の勘”であったと知る由もなかった――

 

 

 

 

 

 

 「えっ ブシッ!!」

 

 往来のド真ん中で見事な○トちゃんクシャミを披露する青年が一人。

 横を歩いていた少女も、その余りに見事なクシャミ具合に瞠目していたりする。

 

 「むぅ……誰かがオレの噂をしていたか?

  あんま酷いコト言われてなかったらええなぁ……」

 

 「酷いウワサ前提なん?! ……あ、ですか?」

 

 「まぁ、昔は

  『おぅっ?! どこかで美女がオレの事ウワサしてんのか?! ヒャッハー』

  とか考えとったけどな……

  現実は無常なんや……」

 

 「……」

 

 少女はあえて言及を避けた。

 

 まぁそれは兎も角、と彼――横島も涙を拭いて何とか立ち直り、体裁が悪い為かややぎこちないが笑みを少女に向けた。

 

 「それは置いといて……

  今日は悪りぃな。付き合ってもらって」

 

 「ふぇ?

  あ い、いえ、それはええんや……

  いや、いいんです。これくらいお安い御用や……です」

 

 「いや、せやから使い慣れん丁寧語はええて。キミかて関西弁の使い手やん」

 

 「ホンマで……本当ですか? あ……」

 

 「また~」

 

 そう苦笑してみせる横島に、少女は恥ずかしいのか身を縮めてしまう。

 

 彼は、この少女を元気な子ではあるが のどかとは別ベクトルで内気で、内向的とは行かないまでも失敗をやたら気にするタイプであると見ている。

 身近に自分の失敗は人の所為にする上司とかがいた所為でかなり新鮮に見えてたりするが、このままでは彼女の為にはならない。その事を感じるからこそ“あの娘”のお願いに乗ったのであるが……

 

 「……今更やけど……難しいなぁ……」

 

 「え?」

 

 「あー いやいや。服の色とかの事。白ばっかしやとなぁ……と」

 

 「ああー……

  でも、似合うとりますよ? かのこちゃいと色がおそろいやし。

  黒髪が映えてええんちゃいます?」

 

 「せやけど、やっぱなぁ……

  ま、そこは先生のセンスに期待するっちゅー事で」

 

 「せ、責任重大や……」

 

 緊張する性質なのか、服選びを任せれただけで硬くなってしまう少女に、横島も苦笑しか出来ない。

 だが、“だからこそ”という気持ちが湧いてくるのだから不思議である。いや、横島らしいと言えるのか?

 

 兎も角、彼はやや大げさな身振りで少女に頭を下げ、

 

 「兎に角今日はお願いするわ。亜子先生」

 

 「ひゃうっ!? お、お手柔らかに」

 

 「いやそれ、使いどこ違……まぁ、ええか」

 

 そう、おどけて言うのだった。

 

 

 

 

        ******      ******      ******

 

 

 

 

 切欠はやはり、最近鍛えられてきた円の“眼”であった。

 

 亜子の態度というか、行動がぎこちなさを増し、授業中もぼーっとする事が増えて説教される事もあったし、演奏の練習をしていても調子どころか音まで外す事が増えてきていた。

 

 どうかしたの? と問い掛けても何でもないと返すだけ。

 それだけならまだ良いのだが、円はその返答のニュアンスに微妙な距離と壁を感じたのである。

 

 だが、距離を詰めて問う事も憚られた。

 というのも、それを行おうとすれば微妙に身構えて壁を分厚くするのである。

 かと言って放っておけるような薄い仲でもない。これには美砂達も困ってしまった。

 

 この調子なら本番は上手くいくとも思えないし、練習中のミス程度ならまだしも、本番中にこんなウッカリをかませば練習してきた意味も無くなってしまう。

 

 いや、ステージを失敗する程度なら笑って終わらせられるのであるが、亜子はその性格上、ずっとその件を引き摺ってしまう可能性があるのだ。いや、高いのだ。

 

 何せ彼女はプレッシャーに弱い。

 お遊びに近いが、それなり以上に頑張って取り組んできたのだし、自分らも亜子も頑張ってきた。こんな訳の解らない事でパーにしてしまうのは惜しいし、何よりこのままでは亜子がまた以前のようになってしまう。 

 

 しかしどうすれば――……?

 

 

 

 

 普通買い物となると都心部に行く必要もないほど、麻帆良には何でもかんでもある。

 

 一地方にあると都市というより、独立した国家に近いものがあり、流通ルートもその地方地方のものだはなく、独自のものを使っている節もあるのだ。

 ……まぁ、その裏には関東魔法協会の中心位置だからだるという理由も隠れているのだろうけど。

 

 そんな裏の事情はさておき――

 

 何の関係もない一般人の男女問わず流行やらオシャレやらが関われば移動距離等も関係なくなるので、結局は学園都市から外に出る者は普通にいたりする。

 尤も、今現在は学園祭期間中という事もあってそんなに出てはいないだろうが、それでもゼロではないだろう。

 

 「……まぁ、いたとしても顔見知り以外は解んねぇけどな」

 

 「はい?」

 

 「いやいや 何でもない」

 

 そんなトコに出て来ているのだから、彼も何時もの青いツナギではなく、さりとてジーンズにジージャンという悲しい服でもない。

 ジャケットを軽く羽織り、身体に合ったスラックスに靴もカジュアルシューズという、以前の彼からは考えられない格好である。

 ビンボー臭くないし、意外に足も長めなのでけっこう見栄えが良くなってたりして、誰かさん達がいれば喜んだかもしれない。

 尤も、楓のプレゼント兼AFとして出しっぱなしの赤いバンダナは相変わらず着用しているし、白小鹿を連れているのも相変わらずなのでちょっとチグハグなのが物悲しいが。

 

 ともかく、その見栄えは本人が絶望してギャーギャー言うほど悪くはないし、彼も相手にはかなり気を使ってくれるのでデートとかには最適だと言えるのだが、どう言う訳か彼が声をかける相手は派手好みとか見た目重視ばかりなので一回もナンパが成功した事がない(記憶が消滅している十年間は知らないが)。

 

 まぁ、今現在やや後ろの位置を歩いてきてくれている少女には全く関係ない話であるし、そういった目的ではないとはいえ彼が身なりを整えてくれている事に文句なんぞ出よう筈もない、

 

 普段はそれなり以上に忙しい麻帆良の用務員達であるけど、学生達の頑張りが高まってゆくのと比例して片づけや掃除という行動が学生らの邪魔になってくる。

 何せ部外者から見れば立派にゴミであっても、準備をしている側からすれば備品の一つという事もあり得る。

 例え鉋屑のようなものでも飾りに使わないとも限らないのだから、使いどころは違うだろうが“足の踏み入れ場もない”のだ

 となると、学生達がゴミ置き場にまとめて置いているモノを廃棄するだけとなるのでやっぱりやる事が少なくなってきた。

 無論、祭りの後は地獄だろうけど。

 

 さてそうなってくると学生達とは逆にけっこう時間が取れるようになった横島は、街をブラついてナンパをするというチャンスが……

 

 あるはずだったんだけどなー……

 

 はぁ、と溜息を吐く横島に気付き、亜子が首を傾げていると、後ろから問い掛けた。

 

 「どうかしたんですか?」

 

 「ん? あー……いや、自分のセンスの無さにちょっと未来的な不安が……」

 

 瞬間的に方便を組み立て、実に現実味のある顔でそう返した。

 何せちょっとでも自分に対して陰の気を見て取ると、この少女はコンプレックスを発動させて落ち込みかねないのだ。

 すごく自然に言葉を返せた自分にエールを送りたいが、美少女に対してウソが上手くなる事には眼から心の汗が溢れ出てきそうである。主に良心の痛みで。

 

 とはいえ、彼女にとって悪い事をしている訳ではないので良心の呵責は(そんなには)ない。それだけが救いだろう。

 

 「服の方は一緒に渡せるし、どないでもでけるんやけど……

  それに未来的にインナーに困るやろしなぁ……

  まさか かのこに頼んで買わせる訳にもいかんし」

 

 「ぴぃ?」

 

 インナーと書かれたメモ持って買い物に行く小鹿。

 シュールと言うかなんというか……

 

 実のところこの小鹿なら訳もなくやれるだろうが、そんな方法をとるといらん誤解を呼び込みそうだ。

 主に犯罪的に。

 

 「……悪いけど今回の亜子ちゃんから渡しといてくれへん?」

 

 「あははは お兄ちゃんもタイヘンですねー」

 

 「フフフ これで気ぃ抜いて思春期に入ったら、どうなる事やら……

  デリカシー無いの!? お兄ちゃんなんて嫌いっ!!

  とか言われたら…………………鬱だ死のう」

 

 「わぁっ 言われても無い事で自殺志願せんといてーっっ」

 

 ――円が和泉 亜子の件で白羽の矢を立てたのは横島だった。

 

 何しろ初対面時は兎も角、彼の周囲に漂うその妙な安心感からか気兼ねが湧き難い。良い言い方をすると落ち着くのである。いや悪い言い方をすると異性として見られていないという気がしないでもないのだがそれは兎も角。

 それに、昔はデリカシーを母親のお腹に置き去りにしてきたとしか思えない人間であったのだが、何だかんだで成長(失敗の連続から学んだ?)しているのだろう、元々妙に勘だけは良かった事もあってか実に機微に聡い。

 

 そしてじわりじわりと無意識に歩み寄ってくるので何時の間にか悩みやら胸の内に篭るものを吐露してしまう。

 問われる、のではなく言ってしまう(、、、、、、)。これが大きい。

 

 加えて間にナナと かのこいうクッションがあった。

 つまり、良い子しているナナにご褒美にお洋服を買ってあげようと思う(これは本当にナイショで買おうと思っていた)。

 最終的に自分がどれを買うか選ぶのは筋であるが、選択肢に至るまでが凄く遠い。よってアドバイザーが必要である。

 嗚呼、だけど残念ながら当日(つまり今日)空いている娘がいない。楓も古も部活らしいし、円はチアリーディング部のミーティングが朝急に入ったらしい。

 頼られた円は困り果て、“たまたまスケジュールが空いてる”亜子を拝み倒し代役を頼み込んだ――という事である。

 

 「にしても、子供服って高いんやなー……

  ウチ、こんな値段や知らなんだわ」

 

 「まー 安いモンやったら幾らでもあるんやけどな。

  やっぱ兄貴としてはちょっとでもエエ服買うてやりたいとゆー見栄が……」

 

 「ホンマ、お兄ちゃんもタイヘンやなぁ」

 

 「あはは ま、こんな苦労やったらバッチコイやけどな」

 

 「ぴぃぴぃ」

 

 「ん? かのこちゃんもそう思うんかいな」

 

 「ぴぃ」

 

 「あは ホンマ仲ええなぁ」

 

 円の読み通り、あっという間に亜子の空気と馴染んでいた。

 

 彼は不自然なほど関西弁を多用していたのであるが、彼女も関西弁である為かそれが良い方向に向いたか、店を二,三軒回った頃には割と気軽に軽口を利けるようになってきて、ナナとの生活の話を経てお友達ランクで会話が出来るようになっていた。

 亜子の方も最初こそ緊張があったようだが かのこというワンクッションがあり、自分にも愛嬌をふりまくものだから気持ちが(ほぐ)れるのも早い。

 

 まぁ、亜子が女子高生だったらもっとみっともないトコを見せていたかもしれないが、相手は女子中学生。心の中にガッチリ理性の壁を作っている対象である。

 お陰でご近所のお兄さんレベルを貫けていた。

 

 しかし、こう美少女(ちゅーがくせー)と話をすればするほど己の女っけの無さに目頭が熱くなってくる。

 いや全く寄って来ない訳ではないのだけど、来る子来る子が女子高生未満というのはどういう事か?

 

 そりゃまぁ、見目麗しいし性格も良いし文句言う事なんかあるわきゃ無いのだけど、如何せん唯一の欠点が二の足踏ませている。つーか、その唯一の欠点が痛すぎで一歩も進めないのだ

 

 何せ如何に美少女であろうと皆して“じょしちゅーがくせー”なのである。

 

 考えてみよう。

 確かに積み上げてきた記憶は殆ど無くしたとはいえ彼の実年齢は二十七歳なのだ。

 二十七歳のれっきとした大人が、じょしちゅーがくせー萌えーっっ とかほざけば普通は引くだろう。つかバッチリ変態だ。

 いくらドスケベという自覚があるとはいえ、自分の趣味はあくまでもノーマルであり、決してロリではない(注:自称)のだ。濡れ衣(注2:自称)はゴメンである。

 

 そう違う。違うのだ。絶対に。

 

 だから楓が時たま見せるようになった可愛らしさにドキンとしたり、古のはにかむ顔を見て頬が火照ったりしないし、

 あまつさえ円が顔を照れたりしてそっぽ向いたりするのを見て照れが移ったり、零の仕種に色気を感じて鼓動が早まったりするわきゃ無い。無いったら無い。無いのだ。無いんだっっっっ

 

 チクショー オレのジャスティスが引退なんかしなければもっと耐えられた(と思う)のに……裏切り者ーっっ

 

 今、心にあるのはNGな守護騎士達。これがまたじぇんじぇん役に立ちやがらねぇ。

 こんニャロー達は彼女らの仕種にどっきどきっとする度に『ローリコロリーン!』『つるっぺったーんっ!』等と煩くて敵わない。

 理性を守ってくれる筈の騎士達が本能先導してどーすんじゃ、ボケーッッ!!

 

 等と心中では力の限り魂の叫びを上げている訳であるが、表面には全く現さず涼しい顔。

 

 「でも結局は、ワンピにしたんですね」

 

 「アイツ、スカート好きやしな。

  ジーンズは締め付けられ感があってあかんのやて」

 

 「あ、でも可愛ゆうて似合う思いますよ?」

 

 ――この通り素面顔だ。

 流石兄者と言っておこう。

 尤も、心の中は横の少女の事をそっちのけ気味なので激しく失礼なのであるが。

 

 

 

 

 「白が一番似合う分、苦労しましたね」

 

 「せやけど、まぁまぁなんは買えたからな。

  気に入ってくれたらええんやけど」

 

 思っていた以上に時間が掛かってしまったのであるが、それでもコレッ! というものを見つけられたのは幸いだった。

 ポケットが服のラインで目立ちにくくした大人しいデザインの、それでいて可愛らしい系のを一つと、飾り気のないのを一つ。こちらは自分でアクセと組み合わせで着るタイプだ。必然的にアクセも買ってやれるというお得もあったりする。

 

 二着買ったのは気分。

 三着でも良かったのだが、絶対に恐縮するだろうから妥当な数だろう。

 

 そして目的の買い物が終わった今は、お礼として亜子をお茶に誘い、適当な店を探してぶらついている所である。

 何せ小鹿(ペット)同伴なので微妙には入れる店が少ない。

 

 「絶対喜んでくれる言うとるやないですかー」

 

 「解んねんけど、不安は不安。プレゼントってそんなもんやろ?」

 

 「あ、そっか。せやなぁ……」

 

 その人となりを知ってはいても、何かプレゼントする時や、何かで喜んでもらいたい時等は不安になるもの。

 気持ちが篭れば篭るほど、それ不安はより大きくなって出てくる。

 

 「相手にある気持ちが本モンでありゃああるほど、

  独り善がりちゃうやろか思うんは当たり前や」

 

 「…………………せやなぁ」

 

 級友に不可思議ジュースを飲みまくる少女がいる事と、彼の言葉に“何か”を感じたのだろう。意外なほど深く受け止めている。

 

 そんな様子が目の端に入ってはいるのだろうが、彼はあえて何も言わない。

 

 「まぁ、オレもかな~りイタイ目みとるさかい、エラソーに言えた義理ちゃうけどな」

 

 精々、そう言って自分を落とす程度だ。

 

 「……でも、横島さんの選ぶのって無難なんが多いやないですか」

 

 「フフフフ……失敗がめっさ多かったからこそや。

  無難というモノを選べるようになった恥かしい過去を語れと申すか」

 

 「あ、あわっ、あわわわわ す、すんませんっっ!!」

 

 そう慌てる亜子であるが、直前に影が入りかかっていた空気が一瞬で掃われている事に気付いていない。

 横島の方からして無意識にやっているのだから当然と言えば当然であるが、それでも物凄いギリギリのタイミングである。

 何せ自分に泥を付ける事をこれっぽっちも厭わないのだから。

 

 “まぁ、そろそろいいか”と頃を見た横島は、そのまま目に止まった店に入る事にした。

 幸いにも時期が時期だからかオープンテラス。

 ウエイトレスらしき娘にこの(かのこ)も良い? と聞いたら笑顔でどうぞと言ってもらえたので直ぐに決めた。ウエイトレスの笑顔も可愛らしかったし。

 

 流石に亜子も遠慮を見せたが、“皆の妹分”へのプレゼントを選んでもらったお礼という大義名分もあるし、彼女のような娘に金銭で礼を渡すのも何か無粋だ。当然ながら礼をしないのは論外である。

 

 「せやからお昼とお茶くらい奢らせてもらうのは当然の権利やろ?」

 

 等と言われたら断り辛い。

 

 「え、え~とゴチになります?」

 

 「何故に疑問形?

  いや、今も言うたけどお礼するのは当然やし、そろそろ小腹もすいたやろ?

  遠慮せんと注文してや。

  オトコに払わすんは美少女の特権やで?」

 

 そう軽いリップサービスと共にメニューを渡す横島に、亜子も少し頬を染めて受け取った。

 

 こういった喫茶系の店を見る目も何時の間にか養われていたのだろうか、軽く誘った店であったが何だか選びぬいた用に感じが良い店である。

 

 店内からはコーヒーの良い香りが漂ってきているし、店の雰囲気も落ち着いていて、窓際やテラスも明るくてすごし易い。

 ウェイトレスの教育もキチンと行われているようだし、女の子向けだろうかデザートメニューも豊富。

 紅茶の葉の種類もコーヒーの豆の種類も多く、淹れ方すら選べるようだ。

 コーヒーと紅茶、そしてデザートの種類が豊富なので中々選び辛いのが難点か? いや嬉しい誤算なのだが。

 

 その中に今日のオススメとしてイチゴミルフィーユがあったので、それとミルクティーをセットで頼み、彼はマンデリンを注文。かのこ用にフルーツを頼んだ。

 

 勿論、注文したものが即行で来る事は無いのだが、今日のお礼やら自爆的な話を聞いているだけで時間はあっという間に過ぎてゆく。やはり引き込ませる会話は豊富なようだ。

 

 興味が向く話を聞いていれば時を忘れるもの。忽ちの内に時間は過ぎて行き、亜子がハッと気付いた時には目の前にふわふわクリームを挟んで積み重ねたサクサク生地のミルフィーユと、紺色の鍋掴みのようなデザインのコゼー(ポットカバー)がかぶせられているポットと小さなミルクポットとカップが、そして横島の前には感じの良いこげ茶色のコーヒーカップとやはり小さなミルクポットと白と茶色の角砂糖が置かれていた。

 二人は会話を一時中断し、この店の味とやらを楽しむ事にした。

 

 さて――

 

 こき使われていた所為で結構コーヒーにうるさくなっていた横島は、へえ…とその店の味に感心していたのであるが、話を中断して我に返った亜子は目の前のスイーツに集中し切れずそんな彼をチラリチラリと視線を送っていた。

 

 彼女からしてみれば、彼ははっきり言って非常に評価し辛い人間である。

 

 まず楓と(結構深い関係と)噂になり、次いで古まで加わって奇妙でエッチな三角関係を築いていると話が広まっていた。

 

 勿論、何だかんだで聡い3-Aの面々であるから、どちらかと言うと真実どうあれ面白がって単なるノリで囃し立てていた、というのが本当のところであるのだが……

 

 修学旅行から帰ってきた辺りからだろうか、楓と古の雰囲気が変わり始めたのだ。

 

 その後、唐突に転校してきた零と円と共にいきなり物凄く落ち込んだので思って心配していたら、次の日には復帰。それどころかまた雰囲気と纏う空気が変わっているではないか。

 彼との関係に何かがあったと思わない方がおかしい。

 

 尚且つ、よくよく話を聞けばその零と円も関係があるというではないか。

 いや、ただの噂なら囃したり茶化したりして終わるのであるが、どうも彼女らの様子を見ているとやはり本気であるようなのだ。

 

 ――何せ楓と古の変化はそれだけ如実だったのだから。

 

 彼女らとはずっと同じクラスに居て、同じ寮で生活し、同じ寮内浴場に入っている。

 当然と言うか、同性の気安さか、女として殿方に見られたらいけない姿まで見たり見られたりしている訳であるが……例の噂が深みを増したあたりで二人の雰囲気と言うか周囲の空気が一変したのだ。

 

 女らしい、というかこの二人のプロポーションはとても良い。

 楓は身長も高く、胸も大きいがウエストは反して細く、ヒップはそう大きくないという反則的な体型だ。

 古も小柄であるが無駄な部分が無いまとまった体型をしていて、スレンダーではあるが無駄な脂肪が全くなく、しなやでかなり良い。

 

 スタイルが良いとか、綺麗だという言葉は確かに浮かぶ。

 二人とも武道家であり、厳しく激しい鍛練を続けている事もあって傷だらけであり、打撲痕とてはっきりと見える事だってある。

 だけどその中には野生美とも言える綺麗さがあり、どこまでも武道頭であるけどやっぱり女の子でもあると感じはしていた。

 

 しかし、失礼ながら女らしいかと問われれば首を傾げざるを得なかった。

 

 女の目なのでどこかどうだとははっきりとは言えないのだが、少なくとも亜子には女らしいとか、色っぽいとかという言葉は浮かばなかったのである。

 無かったのであるが……よくよく考えてみると、前述の修学旅行の後の変化。その時には仕種や表情にはっとするほど“女らしさ”が見えるようになってきていた。

 

 これもまた女の目だからか、はっきりとこうだと言えないのだが、

 

 時折外を見ていたり、何かに思いを馳せていたり、小さく溜息を吐いたり、

 

 或いは寮での入浴時に鉢合わせをした時、身体を流す所作の中にも色気のようなものが確かにあった。

 

 そして噂に耳を立ててみると、何でもこの二人はほぼ同時に件のオトコを好きになり、修学旅行の間に会ったり出かけたりしている内に本気になったらしい。

 だが本気になってしまった所為か逆に告白は行えず、本気になってからしばらく経つもやはり保留状態はなのだという。

 それでもあれだけ変化していたのだ。それは驚くべき事だと言える。

 

 ――そして円だ。

 

 いや、夕映や鳴滝姉妹と体格的にどっこいどっこいなのに何故か色気がある絡操 零という少女もいたりするのだが、それは兎も角。

 学園祭に向けてバンドを組んでいるのだが、この娘もある日を境に急速に色気……のようなものを感じ始めたのである。

 甘えてくるナナを抱きしめる時や、教室で着替えをしている時、演奏の練習をしている時、そしてその合間の休憩の時にペットボトルでお茶を飲む時等の仕種や表情の中に何と言うか自分にはない大人の空気を確かに感じるのだ。

 

 背伸びをしている訳でもなく、装う訳でもなく、極自然に行えているのだからこれは内面的な成長があった事に間違いない。 

 

 彼女らをそこまで変えるものが彼にあるというのだろうか?

 

 確かに人が良いのは解るし、人見知りをする のどかや自分ですら会話が出来るほど、かなり気安い雰囲気と空気をもっている。

 妹の事をとてもとても大切にしている事も知っているし、周りの女の子に対する気遣いも出来ている……まぁ、偶に美人な通行人に眼を奪われてたりもするが。

 用務員の仕事もかなり真面目にやっているようであるし、掃除も丁寧だ。何だか時代劇の丁稚っポイ気がしないでもないが。

 ちゃんと新田先生や目上に対して礼儀をもって接しているようであるし、彼らの受けも良い。

 

 ……これできちんと“誰か”を選べているのなら……

 

 どうも亜子にはそれが引っかかっている。

 楓、古、円、零の間をフラフラしているようにしか見えず、それがとてももどかしいのだ。

 だがそれでも彼女らは喧嘩をしない。

 

 いや、抜け駆けをした時には喧嘩っポイ事になるのであるが、それ以外の仲はとても良く、恋のライバルとはとても思えない。

 零は特殊だ。後で寝取りゃいいなんて平気で言うし。しかしやはり仲は良い。特に何故か円と。

 

 円にこの間の騒動の後に話を聞いたのであるが、まだ検討期間のようなもので惚れさせてもらっていないから、その範疇じゃないとの事。

 亜子もそうであったのだが、皆して『お前はナニを言ってるんだ?』と思ったものだ。

 

 何せ円は惚れさせてくれるのを“待っている”のである。

 待ってる時点で撃墜されているようなものではないか。こんなの疎い自分だって解るし、皆だってそう思っているだろう。

 そんな彼女らを目にする度、亜子は落ち込みを深めていた。

 

 自分は“ああ”だっただろうか?

 

 先輩の事を想い、募らせ、

 

 結果としては残念で終わったのであるが、勇気を振り絞って卒業式の日に告白したわけであるが……自分はあそこまで綺麗になれていたかと問われると……

 

 あの三人(四人)が口でどうこう言おうと、誰がどう見たって本気である事が解る。

 時折、ナナに向けて母親のような表情や眼差しを送れているのは、その想いで成長してると言う事なのだろう。

 その想いが彼女らを大人にしたというのなら、全然綺麗になれていない自分が先輩に感じていた想いは本物ではなかったのでは?

 あれだけ悩んで、失恋して泣いて苦しんだのも、本物じゃないのでは?

 いや、本物の想いじゃなかったからふられたのでは?

 

 だからこそ亜子は――

 

 そんな思考の行き止まりの壁で唸っている亜子は、彼女らと平等に接する事が出来ている横島に対して完全には心を許せなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 ――さっきまでは――

 

 

 

 

 

 

 「つまり、既に彼氏がいるからか美砂ちゃんとかと相対しても解らへんかったやけど、

  徐々に……それでいて急に変化を遂げた円ちゃんや楓ちゃん達を見て、

  自分の気持ちやその自信すら揺らいでいた……と」

 

 「……ウチ、ふられた時、すっごいショックやったんです。

  何であかんの? 何でウチやないん? って、すっごい悔しかった。

  せやけど、散々泣いて、皆に慰めてもろて、新学期に入る頃には立ち直れたんです」

 

 だからこそ、本気で好きじゃなかったからこそ、こんなに早く立ち直れたのではないか?

 うっすらと涙すら浮かべてそう吐露した亜子は、そのまま俯いてしまった。

 

 僅かの時間ではあったが、彼女の前に置かれていたティーカップはすっかり温くなっている。

 

 それでも、たどたどしくはあったが言いたい事を全部言えた為か少しは楽になったのだろう、俯いてはいても纏っている空気は幾分軽くなっていた。

 

 結局、文句と言うか憤りを胸に溜めていた事が辛かっただけなのかもしれない。

 

 いや周りに対してそんな気持ちを持ったりしているのだから、ダブルで落ち込んでいるともいえるのだけど。

 

 

 ………て、

 

 

 「ウチ、何で横島さんに話とん!?

  よりにもよって自分の恋バナを人に話すやなんてーっっ!!」 

 

 

 ナニを今更である。

 

 「まぁまぁ、落ち着いて」

 

 「こんだけおもっきり恥じ掻いて落ち着けへんわぁーっっ!!」

 

 ツッコミドコが多すぎでご愁傷様であるが、コレは仕方のない話である。

 何せ彼は相対するものの調子を崩す事では上司に勝るとも劣らない。ただの一般人である亜子が抗える筈もないのだ。

 

 お茶の好みからスタートし、デザートの味のランクに入り、そんな顔してあんま美味ぅなかった? という流れに入り、どんな男がそないなオンナの顔させとんのや? という褒めの方向から切り込まれ気がつくとポツリポツリと話し始めていた。

 

 大体において男の話の聞き方で失敗するのは、聞く仕種を見せていない、顔を向けていない、手を止めないというのが挙げられるが、横島は何をどうこうする事より女の子の方が重要なので、話の継ぎ目に入らない限りコーヒーに手を伸ばしたりもしないし時計を見たりして時間を気にしたりもしない。

 

 美少女を前にして顔を向けない等持っての他。

 ふむ、と真面目な顔でずっと耳を貸したままにするのだから、女の子としても話し易いし、聞き上手相手に話し始めてしまえば止められない。

 よって亜子が気が付いた時には不必要な事までおもっきり話しまくった後だったのである。

 仕方ない事とは言え、それは亜子も恥ずかしかろう。悩み事の吐露とはそれだけ恥ずかしい事なのだから。

 

 で、そんな思春期の乙女の独白を聞いた横島はと言うと……

 

 「それにしても……まぁ、なんつーか……

  亜子ちゃんて大人やなぁ……」

 

 マジに感心してたりする。

 

 「……え?」

 

 この言葉に驚いて顔を上げた亜子だったが、何を言ってるのかと横島を見てみるとなんだか腕を組んでいて本当に感心している様子。彼女は再度驚かされた。

 

 「『え?』ったってさ……そんな事、フツー考える?

  オレは無理だったぞ?

  自分がふられた理由は自分に足りんもんがあって、それであかんかった思うとんやろ?

  自分選ばんかった相手のにーちゃん怨んだりせず、

  あまつさえ慰めてくれた円ちゃんとかに感謝して」

 

 「え? えっ?」

 

 「オレなんぞチクショーっっ やっぱイケメンがええんか!? 

  男は顔か!? ドチクショーっっ!! って、泣き喚いとったぞ」

 

 「は? え? えっと…その……」

 

 大げさな身振り手振りを交えた言葉に、亜子の空気が吹っ飛ばされてまた軽くなる。

 それを知ってか知らずか、横島は畳み掛けるのを止めない。

 

 「オレがふられ人生一直線やったからそう思うんかもしれへんけど、

  ふられた現実は受け入れとうないもんなんや。

  せやから、ふられた時には責任転換してもがく。

  もがいて足掻いて、ドチクショーっっ なんでじゃーっって喚く。

  どこがあかんのやーっっって、責任を他所に向けるんや」

 

 「えっと、それは……」

 

 「うん。ものごっつ悪い例やな? せやけど少なくともオレの高校ン時はそうやった。

  俺の周りもそんなもんやった。

  せやから、少なくともオレやオレの知り合いから言うたら亜子ちゃんはずっと大人や」

 

 「お、大人? ウチ…が?」

 

 うんっと力強く頷く横島に、亜子はどう反応すればよいやら解らず、ただわたわたと慌てる事しか出来ない。

 自分がマイナス面だと思っている部分を全肯定した挙句褒められたりすれば当然だろう。何よりお世辞にしか聞こえないのだし。

 

 だが横島の目も顔も真剣そのもの。亜子が納得しかねているのを見て取った彼は、『良いだろう。君がどう大人なのか思い知るが良い』とばかりに自分が如何にガキっぽかったか、周囲の女子たちがどうだったかと暴露を連発する。

 

 尤もその多くは自虐ネタで、言わんでもいいのにバレンタインデーに生まれて初めてチョコもらったのに誰一人として信じてくれず、挙句に自作自演として納得されてしまって校舎裏で涙に暮れたという自虐にも程がある黒歴史まで超披露。

 

 絶句と言うか呆気に取られたというか、兎も角、亜子の毒気はすぽーんと抜かれきってしまっていた。

 

 無論、それだけが理由と言う訳ではない。

 

 自分を感心の眼差しで向けている目にしても、彼のその口調からしても、ここ最近で見慣れたおちゃらけたそれではなく真剣なものである事が解るのだ。

 だからこそ亜子も本気で聞き、本当の意味で呆気に取られていたのであるが……

 

 そんな彼女を表情に気付いたのだろう、言って言葉に照れたか視線をそらす。

 ふと思い出して下に眼を落すと空気を読んでいたのか大人しくフルーツを待っている かのこの姿。

 あ、悪ぃ…と皿から切った林檎を取って渡すと、嬉しそうにシャリシャリ音を立てて齧っていた。

 それでもすぐに無くなり見上げてくるので、横島も苦笑してまたサクランボ等をつ食べさせてやる。

 何とも和むやりとりに亜子も気か緩んで吹き出し、空気はまたさっきまでの穏やかさを取り戻していった。

 

 「あ~……ゴメン。ナニ言ってるのか解んなくなっちまった。

  脇道に逸れまくって、明後日向いちまってたよ……」

 

 「あ、いえ、いいんです。話させられたいう感じやけど、その……

  上手く言えへんけど、何か胸のつっかえが取れた言うか楽になった言うか……」

 

 これは本当である。

 

 確かに亜子は自分のコンプレックスに足掻き、自己嫌悪の中で落ち込んでいたいた訳であるが、ここに横島は励ましやら慰めるといった行動を行っていない。

 

 性格や状況にもよるが、落ち込んでいる時に与えられる慰めや励ましの言葉は逆効果を齎す事がある。

 

 この場合の亜子がどうだったかは不明であるが、少なくとも横島の行為は悪い方向には向かなかったようだ。

 

 新たに運ばれて来たアイスコーヒーのグラスを持ち、やや憮然とした顔でブラックのままストローで吸う横島を見る頃には、亜子の顔には笑顔が戻っていた。

 

 彼を追うように、彼女は手をつけただけでほったらかしにしていた自分のミルフィーユにフォークを刺し、ざくざくと割って口に運んだ。

 

 「亜子ちゃん」

 

 「はい?」

 

 そのタイミングを計っていたかのように横島が口を開く。

 

 「亜子ちゃんのクラスにいる千鶴ちゃんて、

  皆が大人っぽいって言うけどオレには歳の割りに落ち着いとるというだけにしか見えへん」

 

 「え……?」

 

 「楓ちゃんも最初会った時より落ち着いてきたけど、

  やっぱり仕種の一つ一つがどこかあどけない(、、、、、)

 

 「……」

 

 「円ちゃんも落ち着いてきたように見えるけど、

  よく勢いで後先考えず行動しちまうのはやっぱ歳相応」

 

 「え、と……」

 

 一瞬の沈黙の後、何を? と亜子が問い掛けるより先に、横島は空になったグラスを置きつつ、

 

 「結局、亜子ちゃんが自分に欠点を感じてるようなのを皆も持ってる。

 

  オレみたいなコンプレックスの塊みたいなのじゃなくても、

  刹那ちゃんや木乃香ちゃん、明日菜ちゃんだって持ってる。

 

  だけどそれはしょうがないんだ。なんたって経験値が足りねぇんだから。

  二十年以上(、、、、、)生きてるオレが経験値不足なのに、亜子ちゃんが足りてたら立つ瀬がない」

 

 

 そう言って小さく微笑みかけた。

 

 横島の笑みによってか、言葉によってかは不明であるが、亜子も黙って耳を傾けて彼の顔を見つめている。

 何せ彼は本心を語っているのだ。

 芯から横島は、一歩後ろから自分を見つめていられる亜子に感心しているのだ。

 

 それは自分が出来なかった事であるから。“あの時”に出来ていればもう少しマシな結果になったのではと悔んだ事であるのだから――

 

 「……でも」

 

 「ん?」

 

 「でも、ウチなんかが――」

 

 大人だと言えるのか?

 

 一度ふられたからだろうか、挫けた自信は中々戻ってこない。

 

 上手くいくとは思っていなかったが、ふられるとも思っていなかった。かなり矛盾した考えであるが、このくらいの年齢なら思考を先送りにして行動する事も間々ある。

 今になって亜子はその事に気付いている訳であるが、その所為で自分の子供っぽさを思い知って余計に恥じているのだ。

 

 普通ならば、ここは慰めたり励ましたりして女の子を元気付けようとするだろう。

 落ち込んでいるものを元気にしようとしているのなら当然の行動であるのだし。

 

 だが、亜子の目の前にいるのは横島忠夫なのである。

 イキナリ亜子の頭に伸びてきた横島の腕。

 

 頭を撫でるのだろうか? と普通な思われるわけだが差にあらず。

 その腕の先にある掌はぐぐっと中指を親指に引っ掛けており、中々に力が込められていた。

 

  ブ ゴ ン っ っ

 

 「 ぴ ゃ あ っ ! ? 」

 

 突然放たれた中指は見事に亜子の額を殴打。

 感心しちゃうほど重い音を立てて彼女を涙目にさせる。

 

 それはそれは見事なデコピンだった。

 

 「『ウチなんか』や言うなっ

  少なくともオレは亜子ちゃんの事オレよか大人や思とるし、

  円ちゃん達かてずっと気にしとったやろ!?

  そないに見下されるよーなヤツを感心したり気にしたりするかいっ」

 

 「……」

 

 オデコを押さえつつ、横島の言葉にまた表情を沈める亜子。

 

 うわっちゃーっ やり過ぎたか? と思わなくとも無いが、それでも間違いってはいないと(横島的に)勇気を振り絞って表情を変えない。

 一応、グラスに残った氷を口に放り込んでガリガリ噛み砕きクールダウン。こんな事で熱くなり易いのも負けていると思うのに。

 

 「あんな、亜子ちゃん。

  自分なんかや思うんは、一番楽やからや。

  そう思たらそれ以上考えんで済むからや。

 

  せやけど、ふられたり失敗したりする度にそないに思いよったら下にしか行けへんやん」

 

 静か、であるが――亜子は怒られていた。

 しかし、オデコを押さえつつ上目遣いで横島を見返す彼女であったが、その眼差しに恨みがましいものは無い。単に痛みでそうなっているだけだ。

 

 「亜子ちゃん」

 

 「……ハイ?」

 

 「エエ女はな、いやエエ女ほどまずフられる。

  理由はサッパリやけど、大体は年上のヤツのええトコにいち早く気付くんやけど、

  年下やからか相手にされん事が多い。

  オレの知り合いなんぞドスゲェ美人やったけどやっぱり兄貴分にフられとるしな」

 

 「……」

 

 この男が手放しで美人と称するのならそれは凄い美人であろう。

 

 そんな人でも……? と驚かされる。

 

 「誰かとそんな時は辛い。

  経験値が一気に入るんやから辛いんは当然や。

 

  せやけどそん時はすっげー辛ぅても、後ンなってそれがすっげー腹の足しになる。

 

  現に亜子ちゃんは気付いてないかもしれへんけど大人に一歩進んどるんや。

  そりゃ周りと違う気にもなるわ」

 

 

 「ウチが……?」

 

 亜子は、オデコを押さえたままであるが、やっと頭を上げた。

 

 「楓ちゃん達の話を自分の話に入れたん聞いてやっと気付いたんやけど……

  置いてけ掘りにされたいう気がしとった。ちゃうか?」

 

 コクン、と素直に頷く。

 

 「逆や逆」

 

 「逆……?」

 

 

 「亜子ちゃんは皆より先に大人に近寄ったんよ。

  置いてけ堀にした(、、)んや」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色々と話をしていたからか、喫茶店を出た時には結構な時間になってしまっていた。

 二人はそのまま麻帆良にとんぼ返りをし、出し物の準備作業に入らねばならない。

 横島は兎も角、亜子は寮に帰って着替えたりしなければならないので大変だ。

 

 「あの……今日はご馳走様でした!」

 

 駅で別れる際、亜子はそう言って頭を下げた。

 

 出かける前より、ずっと元気良く。

 

 「いんや世話ンなったんはこっちやしな。それに同じ関西弁の使い手やし」

 

 「そうですかー……って、意味わからへんしっ!」

 

 「おお、ノリツッコミ!

  流石に同郷や。キレがええな」

 

 そう言って笑う横島の顔を見、亜子も笑みがこぼれる。

 別に問題が解決した訳ではないし、何がどう慰められたわけではない。どちらかと言うと説教喰らっただけ。

 だが、下手な慰めをされるより、下手な同情をされるよりずっと彼女の心に力を、そして自信を与えてくれていた。

 

 悩むのは皆同じであるし、辛くなるのも皆同じ。単に経験値の貯まり方が違うだけだと理解させてもらったのだ。それが何より大きい。

 

 「あの……」

 

 「ん?」

 

 亜子は何かを言いたそうに口を開きかけるが、やはり“その一歩”だけはまだ踏ん切りがつかないのだろう、下唇を噛み締めてそれを口に出す事を諦めた。

 

 「あの、その……

  ま、まだ言えない悩みがあったり、その、するんやけど……」

 

 “まだ”言えない。

 自分を、自分の全部を受け入れてくれる人が本当にいてくれるか、という質問は。

 

 それを口にすると、何故そんな事を悩んでいるのか、

 

 そして自分の背中にある理由を言わなきゃならない。いや、“言いたいくなる”かもしれないのだから――

 

 「おうっ 何時でもオッケーや。

  美女美少女のお悩み相談やったら120時間で受付けしとるぞ」

 

 それを見越したかのように先に言う男。

 少しでも言いたくなさげな事は言わさない。乱暴で強引で細やかで優しい行動だ。

 

 今の今になって、亜子は円達がああまで信頼し、ナナがあそこまで懐いている理由が解る気がした。

 

 「120時間って……それ以上はアカンの?」

 

 「いや、電話の前で正座して待てる限界時間。

  携帯やったら何時でもOK。

  ノンレム睡眠からでも0.001秒以下で覚醒して電話に出てみせよう」

 

 「ンなアホな」

 

 亜子の口に本当の笑いが戻る。

 無論、影が100%消えた訳ではないが、それでも最初の時より断然良かった。

 この笑顔が本当の彼女なんだなと横島も嬉しくなってくる。

 

 見えない傷の痛みで泣くのも御免だが、そんな痛みで泣かれるのはもっともっと御免だ。

 そんな傷には至っていなかった。それだけでも一日潰した価値がある。

 

 横島は、それを安堵している自分を今初めて気付いた。

 

 「亜子ちゃん」

 

 「ハイ?」

 

 だから余計なお世話だと、お節介だと思ったのだが、

 

 「痛い事があったとか、

  こんなヤツ好きになったけど上手ぅいかんかった。

  そんなコト言える亜子ちゃんは、ホンマは強いねん」

 

 「……え?」

 

 「そんな事も気安ぅ言えるほどの友達もおんのやろ?

  友達をそこまで信じられるんやからホンマに凄いんや」

 

 「……」

 

 そう言いながら横島はポケットから小さな紙袋を取り出し、亜子の手に握らせる。

 

 何時の間に買ったのか、金貨をあしらったリボン飾りが付けられていて、そこそこしたかもしれないが今の亜子は気付けていない。

 

 「せやけど、強いんと疲れるんは別問題。どないにがんばっても疲れる時は疲れるしな。

  つーか、がんばっとる娘にもっとがんばれや言えんし」

 

 「横島、さん……」

 

 彼女が訳も解かっていない内に紙袋を受け取らせると、横島は手を放してニカッと子供じみた笑顔を見せた。

 

 「せやから、さっきも言うたけど、疲れたら何時でも連絡してや?

  お悩み相談から、愚痴のぶつけどこまで幅広う受け持っとるさかい」

 

 「……」

 

 亜子がどう反応してよいやら解らぬまま何か言おうとする前に、横島はぴょんと後ろに下がって片手を上げる。

 

 「ま、報酬は出世払いな。

  じょしこーせーか、じょしだいせーンなった時に本気のデートで」

 

 「え゛?」

 

 

 「じゃ、また後で~~」

 

 亜子の返事も聞かずに鹿の子と共に駆け出してゆく彼に、亜子はやはり反応し切れない。

 ようやく手を伸ばした時には横島の背はずっと遠く。

 一瞬、白い小鹿が振り向いた気がしたが、背の色は黄昏の色に混じって見えなくなっていた。

 声を出しても届くま……いや、彼だったら聞こえるだろうけど止めておいた。

 

 その小さな白い色すらも視界の向こうに消え、彼女の目には完全に見えなくなった時に、亜子に湧いてきたのは苦笑。

 

 ここ数日の間、胸の内に溜まり続けていた澱みはすっかり吐き出されてカラッポになっていた。

 

 妙な同情もされず、変な慰めもされず、一番記憶に残ったのオデコに喰らったデコピン。

 だけど叩き込まれたのは別ベクトルでの自信。そして気付かないうちに前に進めているという自覚。

 気付かない内に友達すら巻き込んでいたかもしれない悩み。それは多少は残りはしたもののすっきりと解けていた。

 

 「そっかぁ……

  釘宮や長瀬さんがあんだけ信用しとる訳や……」

 

 ぽーんと紙袋を放り投げてキャッチ。

 

 何だか疲れたけど、本当に心が軽くなってきたと実感できている。残念なのは心が弾むというほどではない事か。

 

 「ネギ君レベルのイケメンやったら言う事なかったのに~」

 

 等と言いつつも、クスクスと嬉しげな笑いが零れる。

 

 不思議な話であるが、彼ならどんな話にも耳を傾けてくれる。それどころか自分が抱えている“傷痕”ごと自分を受け入れてくれる。そんな感じがするのだから。

 

 「横島さんかぁ……ほんま不思議な人やったなぁ。

  もうちょっと色々聞きたい気もするなぁ。

  ま、何時でも会うてくれる言うてくれたし」

 

 色恋沙汰というよりは、歳の離れた従兄弟に相談する、というのが近い。

 

 それでもちょっと前より考えられないほどの安心感を亜子に齎せていた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 -蛇足-

 

 

 

 

 

 「ほう? どういう事でござるか?」 

 

 「あれ?」

 

 何という事でしょう。

 ふと気がつくと亜子の後ろに背の高い級友がつっ立ってらっしゃるではありませんか。

 

 「な、長瀬、さん?」

 

 「如何にも。長瀬楓でござるよ。

  それで和泉殿が何ゆえ横島殿と?」

 

 何故かどこかの本屋ちゃん宜しく前髪で目が隠れているのだけど、糸目が開いているのか知らないが獣○槍でも所持しているかのように目が爛々と輝いていらっしゃる。

 

 いや、それより何より気になるのが彼女が引き摺っているズタ袋のような荷物二つ……に成り果てた姉妹。

 

 不幸中の幸いに生きてるっポイのだが、そんな二人を引き摺ってきている分、恐ろしさに拍車が掛かっている。

 

 さんぽ部というのはナニか? パルクールの日本語読みだとでも言うのだろうか。

 

 「えっ?!

  いや、その、ちょっとお悩み相談させてもーとっだけでっっ」

 

 「最近の相談とは、プレゼントをもらうのも範疇に入るでござるか?」

 

 「えっ゛? その、これは……」

 

 そんな良いモンと違うんやでーっ?! と疑念を晴らすべく、ガサガサと袋を開けたのであるが……

 

 「アレ?」

 

 何か知らないが、金のイヤリングが入ってた。

 

 それも18金か24金くらいのが。

 

 「……ほほう、高そうでござるな」

 

 「え、え~と……」

 

 その怨念でナニをしたのか、無言の楓から漏れ出している負のオーラ力がぐんぐん増す。

 

 ムーンムーンとヤな重低音も響いてるし。

 

 反対に亜子の顔色は血圧と共にピョロロロロ…と急降下。

 

 嗚呼、いっそ意識を失えたらと思うのも当然か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「一体、ドコでナニしてたでごさるかーっ!?」

 

 「え、冤罪やぁあーっ!!」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――こうして、訳の解らない嫉妬の八つ当たりを喰らったものの、亜子は心に刺さっていた棘の痛みは癒されていた。

 皆も成長してはいるけど、人生経験が足りないからまだまだで、当然自分もまだまだ。それを理解できたのは大きかったようだ。

 

 ただ、絶対に聞こうと思っていた『何故に相手を誰かに絞らないのか?』は聞き忘れてしまっていたのだが……それでもまぁええかと彼女は締めくくれる。

 

 チャラ男が嫌いと豪語していた円があれだけ想いを向けている理由も、血の繋がりの無いナナが本当の兄のように、いや実の兄妹より絆が深そうな理由も何となく理解できた気がするし、何より“また”聞けばよいのだ。

 

 彼の空気が、ただ会話を交わした時に伝わってくる感情の波を受けるだけで――彼女は棘の痛みが癒されている事に気付けたのだから。

 

 

 僅か半日と言う短い時間は、亜子に大きな実りを感じさせてくれていた。

 

 

 

 

 

 

 更に余談だが、

 亜子向けられていた異様に怖い波動……まぁ、八つ当たりであるが……の矛先は横島に向けられ、話を聞いた古と共に責められた彼は、円が二人の剣幕にビビって仲裁してくれなかったが為におもっきりドエラい目にあったらしい。

 

 挙句、愛妹からナイショでドコ行ってたレスかと涙目で責められ、心を半死半生にされて死に掛けたという。

 

 


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