前編
大体の学校に存在する購買部であるが、ここ麻帆良のは規模が違う。
何せそこら大手の量販店より品数が豊富であり、学園オリジナル商品なる物だってあるのだ。
その販売方式にしても如何なる状況だろうと臨機応変に販売活動をし、多様な移動手段を用いた機動部隊的な部署もあって出前も迅速。
移動購買部として極普通に名が通っていたりする程で大型量販店顔負けだ。
これからもこの街の無茶さ加減も知れるというもの。
そんな普段から突飛な物も販売している購買部であるが、その日にはこれまた妙なものを大売出ししていた。
停電セールと銘打たれた幟が出ており、ローソクや懐中電灯や電池式のカンテラ等が売り出されているのだ。
尤もこれは当日の最終セールであり、この日の為であろうここ数日の間は防災グッズが抱き合わせのように売られていたりする。
ここ麻帆良学園は年に二回、セキュリティを含む電源系統のメンテナンスが行われていた。
その際、都市部全体が停電になってしまうのだ。
当然ながら犯罪とかも起きそうであるが、そこはそれ、普段以上に防犯隊が出張っているので今まで大した問題は起きていない。
学校から何やら楽しげに帰宅してゆく少女達。
慣れているのかイベントとして受け入れて停電を楽しんでいるのか、きゃいきゃいと最終日ギリギリの安値で買った防災グッズを持って珍しく真っ直ぐ寮や家に帰って行く。
まぁ、八時からは全ての電源が停止し、病院施設のような場所以外は稼動不可になるのだから直帰は当然かもしれない。
そんな停電をどこか楽しんでいる少女らとは裏腹に、一部の教師らはどこか気を張っているように見える。
少女らの下校の挨拶を受けて何時もの様に返事を返すもどこか固い。そしてそそくさと職員室へと向かって行く。
表向きには一般教師と同様にメンテ中に生徒が問題を起こした場合の生徒指導要項の会議であり、それも当然行われるのであるが実際には“今夜”の打ち合わせの意味合いが強い。
何せ停電中は結界の力が著しく低下する。
消える訳ではないが下がるのだから“外部”から入ってくる輩もいるだろう。
それらが起こすかもしれない問題に彼らも出払うのだ。
さて——
先にバラしてしまうのも何であるが、実はこの晩、学園都市部である事件が
そして
真祖の吸血鬼の魔力封印の一部が解け、一般生徒を下僕化させて魔法教師と戦う…正に大事件である。
にも拘らず殆ど記録にも残っておらず、その吸血鬼も特にお咎めも無いという謎の結果に終わるのだ。
そう、
この学校には大量の電力を消費して件の吸血鬼の魔力を押さえ込んでいるのだが、その封印の電力がストップしたりすれば当然ながら学校側にもその情報は伝わるはず。
その情報が伝われば当然の様に彼女の行動を止めるような動きがあって然るべきだ。
だが、現実に封印の電力がストップし、真祖の吸血鬼等という厄介極まりない存在がその力を取り戻して結構暴れたにも拘らずお咎めらしいお咎めを受ける気配が無い。
考えられる可能性は幾つかあり、当然ながら『学校側の完全な不手際』という可能性も否めない。
が、仮にも関東魔術協会の理事がいるこの都市でそんな不手際があるとはとてもじゃないが考え難い。
ここまで徹底して何も行っていないというのなら、件の吸血鬼の行動に全く気が付かなかったか、数人程度の生徒の犠牲ならどうだって良いという事となってしまう。幾らなんでもそれはおかしい。
となると一つの仮説として“既に学校側がその吸血鬼の計画を完全に察知していた”というのが浮かんでくる。
だが、現実的に見て堅物でクソ真面目な教師らだって多々いるこの都市で、一般人に危害が及びかねないふざけた行動を見過ごす事等できやすまい。
特にガンドルフィーニや神職であるシスター・シャークティの二人がそんな危険行為を放っておく訳も無いのだから。
では次にどういう仮説が成り立つだろうか?
学校関係者の上層部、
例えば学園長がその情報を得、真祖の吸血鬼の目的と“本質”を理解した上で邪魔が入らないように教師達を出払わせたとしたら?
600万ドルの賞金首——
一部地域では御伽噺の怖い存在として伝えられてすらいるそんな存在が全力とまでは行かないが力を取り戻し、一魔法教師を襲う事等あってはならない事。
封印されているからこその黙認を続ける訳には行かない筈。
だが、現実的にはお咎めらしいものは無い。
<桜通りの事件>を知っており、釘をさしているにも関わらずだ。
だからこそ成り立ってくる仮説。
−力を取り戻した真祖と戦う−
そんな試練を学園長がその魔法教師に課した——と……
尤も、今となっては闇の中。
魔法教師の大半も学園都市の外側で予想外の騒動の対応に追われており、都市内部で巻き起こった魔力の奔流の謎も完全には明かされぬまま。
納得できずとも、近衛や高畑らから『内部での騒動を鎮圧する為、一時的にエヴァの封印を弱めた』という些か眉唾的な説明を受けたとしても、その言葉を信じる他無い。
——無論、言い訳はある。
A級の賞金首を匿っているから必死に闇に葬った、というものだ。
だが……
事件の後、質問を投げかけてくる魔法教師らに対して顔色一つ変えずしれっとして説明し続けていた学園長に、高畑は苦笑を禁じえなかったという。
それが全てを物語っているのかもしれない——
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■三時間目:ナニかがミチをやって来る (前)
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魔法都市である麻帆良の教師らは、大体数人の魔法生徒を連れて行動している。
担当官がおり、その直属の部下を連れて…チームを組んで行動すると思えば解かり易いだろう。
それは弟子と師匠の関係に近く、実際にそんな上下関係で行動している者達だっている。
だが中央区は女子校で固められている為、必然的に魔法生徒らは全員が女生徒となってしまう。
で、
仮免ではあったが魔法関係者の端くれとなった横島と楓の二人は誰が担当する事になったのかというと、
「という事で、僕がキミ達を担当する事になったんだ。よろしく」
「よろしくお願いするでござる」
「ういっス」
二人に面識があり、尚且つ魔法教師らの中で楓に接する時間の長かったタカミチ=T=高畑であった。
横島としては女で無いのならどーだっていい話で、暑っ苦しくなくて口煩くなければ誰だっていいのだから今一つ真剣みに欠けていた。
真面目なガンドルフィーニが担当した方が良いと言う説もあったが、あそこには担当者であるガンドルフィーニより更にクソ真面目な女子高生の魔法生徒がいる。
真面目云々は良いとしても、一番の問題は現役女子高生(更に美少女)がいる……それだけでチームワーク崩壊の危機は目に見えていた。
同様の理由で大半の魔法教師も担当できないし、刀子やシスター・シャークティ等であれば教師そのものが危険だ(彼女らの理性と、過剰防衛をさせてしまう…という意味で)。
よって白羽の矢は高畑に立ったのである。
無論、そんなお馬鹿な理由だけでは無く、彼が選ばれる一因となった理屈の通る理由だってちゃんとある。
横島と楓の二人は魔法を使う事はできないが氣の使い手である。
前述の通り、師匠と弟子の様な意味合いも含んでいるので、当然ながら担当者は同様に氣の使い手である事が望ましい。
となると氣の剣技を使う刀子や、氣も魔力もある高畑がこれに相当し、刀子が駄目である以上は高畑が受け持つ他無かった……という訳だ。
決して
時間にして夕暮れ。
先に述べたように、この日は年二回行われるメンテナンスによって都市全体が停電する日である。
無論、医療設備のある病院や消防隊本部、警邏部等の電力までカットしたらお話にならないのだが、そちらは自家発電で賄えるようにしているのだから問題はない。
しかしやはり優先順位からして一般施設等はカットされるので、当然の如く人通りはかなり少なくなっている。
普段が普段なので、間違って過疎地に迷い込んでしまった気にすらなってくる程に。
「ところで楓君。あの二人は大丈夫かい?」
「大丈夫でござる。春華の香を嗅がせて眠らせて来た故、朝までグッスリでござるよ」
「なるほどね」
あの二人…というのは、彼女のルームメイトである鳴滝姉妹の事だ。
停電というイベントがあり、尚且つやんわりとストッパーをしてくれる楓がいなければ人通りの無い街に出てしまう可能性は高い。
アルバイトがある…等と言っても納得する二人ではないし(特に姉の風香)。
となると強制的に眠ってもらう方が安全だったのである。
「あの二人って……あの二人か……」
風香らの事を思い出し、ゲンナリとする横島。
まぁまぁと楓が執り成すも、早々復帰は出来まい。
何せ奢らされた挙句、子ども扱いするなーと暴れられ、それだけならまだしも楓との仲をやたら揶揄されてしまったのである。
好奇心旺盛なお年頃。特に風香は下ネタとまでは行かないがHネタをどばどば飛ばしてきやがる。
よせばいいのに、横島も一々言われる度に、
『違うんじゃ——っ!! 気の迷いじゃ——!!』
とガンガン電柱にヘッドバットかまして湧いて来る妄想を振り払っていた。
そのリアクションが余りに面白く、更にからかいまくって横島をどんどん追い詰めていったのである。
あれだけコンクリートにヘッドバットして額を割って大流血をしたのに今日という日には傷一つ残っていないのには呆れるが。
そんな彼であるから彼女らに苦手意識が生まれても仕方無いだろう。嫌うほどではないにしろ。
「何があったかは知らないし、聞いたりしないけど、ほどほどにね」
「うう……生温かい心遣いが逆に心に沁みて痛いのぉ……」
高畑としては苦笑する他無い。
「ところで横島殿」
「なんだい? 楓ちゃん」
その高畑の格好は何時もの通りにスーツ姿。これで戦闘に差し障りが無いのだからその強さも解かるというもの。
横島はジージャンとジーンズ。足元はバッシュだ。兎に角、丈夫なのをくれといってもらった物。まぁ、トレードマークだったバンダナが無いだけで昔の…GS見習い時と同じ姿である。
「どうして拙者の方を向いてくれないでござるか?」
「それ、解かって言ってんのか? ひょっとして虐めか?」
「はてさて」
半泣きで言葉をつけてまくる横島の横に立つ楓の衣装。
それは実に彼女のクラスを一番解かり易い格好で示していた。
ぶっちゃけ、忍者装束である。
「ぜってー虐めだろ?! そーなんだろ?!
このオレを萌え殺そーという悪魔の作戦なんだろ?!」
「はっはっはっ 言い掛かりでござるよ」
「その笑いがイヤ——っ!!」
確かに忍者装束は忍者装束なのだが、普通のとはちょっと違っている。
流石に時代劇のくの一のような『ちったぁ忍べ!』と文句を言いたくなるほどのカラフルさは無いし、ゲーム出てくるくの一の衣装のような露出狂の心配をしてしまうようなキケンなシロモノでもない。
だが、ほどほどのレベルで露出しているからこそ性質が悪いと言えよう。
足は脚絆で固め、戦草鞋にも似たものを履いているし、その素材も今の技術が使用されているだろうからそれも良い。
彼女の背後にある身長程もある巨大な十字手裏剣も…デタラメさは冷や汗が出たが、まぁ良しとしよう。
だがその他が彼的にダメなのである。
まず上の着物は夏襦袢のように袖が無い。
デザイン的にはノースリーブと言っても差し支えが無いし、脇の部分も動かしやすいように切込みが深い。お陰で脇から胸チラしそーで怖い。
戦闘用に袴を穿くのは良いとして、サイドから腰から上太股のラインが覗いているのは如何な物か?
ノースリーブの脇から胸チラしそうな着物。
腰から上太股がサイドから見えてしまう袴。
もー横島にとってはシャレにならない程のダメージを齎すカッコではないか。
只でさえ年齢度外視に色っぽい楓である。それを強調してどーするのか?! と小一時間問い詰めたくなる。イヤ、くの一的には間違ってはおるまいが。
「と、申されても拙者の戦装束はこれでござるよ?
それにもう着替えに戻る時間も無い事でござる故」
横島がやや頬を染めて焦りまくる様を見、何故かしてやったりといった顔をする楓。
ニヤリとした笑みが混ざったのは彼女にしては珍しい事。
どうも彼を相手にしている時は表情が零れ易くなってしまう。不思議と悪い気はしないのだが。
「ちょ…っ、ナニその笑顔?! ひょっとして確信犯?!」
「まさかまさか。
ナニを勘違いしているか存ぜぬが、間違いなく拙者の勝負服…もとい、戦装束でござるよ。
それともなんでござるか? 拙者のこの姿に魅了されているとでもおっしゃる?
そんな眼で見るという事は、横島殿の心の中にそういった想いがあるからでは?」
「ぬぉ〜っ!! 正論だけに言い返せない〜〜〜っっ!!」
横島はテンパっている所為であろうか気付いていないようだが、彼女は横島が苦しんで原因を口にしていないのに、自分の出で立ちの事としてすんなりと答えている。
つまり、彼が何によって精神ダメージを受けているのか理解して…というか解かってこういった格好をしているのだろう。
長瀬 楓…何だかんだでイジワルのようだ。
そんな二人の若いやり取りを笑って眺めていた高畑であったが、時間が迫っている事に気付いて二人に声を掛けた。
「ああ、お二人さん。そろそろ時間だから話を聞いてくれないか?」
「了解でござる。ほら、横島殿」
頭を抱えて悶えている横島に手を差し伸べると、彼は大人しくその手を取って立ち上がる。
何だか涙眼なのは、中身だけとはいえ大人としてはどうだろう?
楓としてはちょっと萌えたりしているが。
二人に課せられたのはゲートの門番である。
この麻帆良と外部とを結ぶラインの一つに巨大な橋があるのだが、保安の為にメンテ中はその橋の向こう側を閉じるというのだ。
無論、結界が完全に消える筈も無いので騒ぎ立てる程の問題はなかろうが、如何に魔法界とて“絶対”は無い。
どんな問題が発生し、都市で生活をする一般人に危害が及ぶか解からないのである。
その橋のゲートの向こう側をメンテナンスが終わるまで守って欲しいとの事だった。
ある意味重要拠点であるが、メンテ中は外輪部の補助結界がサブとして働くので然程の問題は起きない筈である。
だから新人の任務としては妥当といえるだろう。
「僕は中の監視…いや、任務があるから行く事はできないけど、メンテナンスが終了したらに迎えに行くよ。
だからそれまでは……」
「了解したでござる」
またも先に返事をしたのは楓だ。
横島は何だか首を傾げていて今回は黙っていた。
高畑はそんな横島を不思議に思いつつ、仕事を了承して歩いてゆく二人を境界線から見送った。
何だか胸騒ぎがしているのだが自分にも仕事があるのだ。
そう——
魔法先生ネギ=スプリングフイールドとエヴァンジェリン=アタナシア=キティ=マクダウェルの勝負の監視という重要な任務が……
****** ****** ******
「な〜んか、高畑さんヘンじゃなかったか?」
「そうでござるか?」
うん…と自分でも何が言いたいのかよく解からないが、楓の問い返しには頷く。
「なんつーか…監視とか言ってただろ?
直に“任務”って言い直してたけど、言い直すって事は隠さなきゃならない監視って事なんじゃないかなぁって……」
「あ、ああ、そういう事でござるか」
そういった事に気付くのは彼の専売特許である。
だからと言って、自分らに言い渡された任務に関わるのかどうかは解からないのであるが。
しかし、そうなってくると昨日二人が言っていた事柄も絡んでくる。
吸血鬼事件に関わりがあり、尚且つその担当者を監視しなければならないのでは? という仮説だって浮かんでくるのだ。
「まぁ、それでも今のところは拙者らの任務とは直接の関係は無いと思うでござるよ。
それに受けた任務以外の事を考えるのは少々危険でござるし」
「ん? あぁ、それはオレも解かってるんだけどな……ま、いっか……」
楓の言う事も尤もだ。
命懸けの任務とは限らないが、ボ〜っとしてて怪我をしたらシャレにならない。
“向こう”でも油断をするなと散々怒鳴られていた訳であるし。
とっとと気持ちを入れ替えて任務に集中せねば。
幸い、集中力を削ぐような“大人の美女”は側にいないのだし。
「……コドモで悪かったでござるな」
「ぬぉっ?! ひょっとして口に出してた?!」
「言葉にせんでも大体解かるでござるよ」
何故かむくれてしまった楓の機嫌をとりつつ、横島は一度だけ後を振り返って都市部を視界に入れた。
『……何だろ? な〜んか胸騒ぎがするんだよなぁ……』
腐っても、記憶と経験を失っていようとそこは上級の霊能者。
その勘は正鵠を射ていた。
****** ****** ******
海峡に掛かる橋の様に、無闇やたらとデカイ橋に向ってトテトテと連れ立って歩く二人。
人通りも無いに等しく、今や車のライトすら殆ど見えなくなってきている。
考えてみればゲートが閉じてしまうのに悠長に車で行き来するわけも無い。
八時には停電するので最終定時の七時半までに戻って来れなければ十二時まで締め出されてしまうのだから。
そんな殆ど人通りの無い道を何故だか無言で歩いている。
いや、話のネタも色々あったのだけど、高畑と別れて二人きりとなると妙に緊張してしまって何だか上手く話を繋ぐタイミングが掴めないでいた。
こういう時には主に横島の方がアクションをとってくれるのだけど、人通りが殆ど無いという事は、当然ながら女性の姿も無い訳で、そういったネタから入る事もままならない。
オンナのネタしかないんかいっ?! と言われてもしょうがないのであるが、道化をどこか演じている部分もある横島はツッコミを受ける事によって話を切り出すのが定石だった。
イキナリ思い出しエロネタなんぞをかます勇気(というか暴挙?)はないらしく、顔には出していないが横島も気不味かったりする。
後は楓がネタを振ってくれる事に期待するのみ。その望みも薄いのだけど……
何だかこの三日間、ひたすら一緒に歩いているような気がしてくる。いや、実にそう通りなのだが。
今の楓の姿がコスプレ忍者気味である事を除けば、毎日デートを繰り返しているという噂を立てられたって仕方が無いと言えよう。
実際、
−ヒミツの課外授業でお疲れさん?!−
等という見出しの張り付いた今朝の麻帆良タイムズ(3−A版)を目にした時には流石の楓も眩暈がした。
何時の間に撮られた物か、妙に肩を落とした楓を謎の青年(笑)が優しげに慰めている写真が掲載されている。
言うまでも無く昨日のアレだ。
確かに見ようによってはタイトル通りに見えなくも無いし、その説得力を増すように前回の写真よか楓の顔は嬉しげだった。
鳴滝姉妹には、アルバイト先の先輩だから皆の思っている様な関係では無いと説明しておいたが、コレでは誤解を再燃させられてしまうではないか。
流石に二日連続で授業をボイコットする訳にはいかなかったので、昨日のパターンで逃げまくってちゃんと授業は受けておいたのだが、理由を知ってはいても全然助け舟を出してくれず、ニヤついているだけの真名をちょっとだけ恨んだのはしょうがない話であろう。
楓はこの事を横島には話していない。無論、彼のアイデンティティーを守る為にだ。
「ん? どうかしたの?」
「いやいや。何でもないでござるよ」
気が付けば彼の横顔を見つめていたようだ。
少しだけ頬を染めつつ手を振って誤魔化す。
流石にそんな顔をしている楓にヘンなネタを回す訳にも行かず、横島は折角のチャンスを活かせられない。
どないしょ〜〜…と女絡みでヒジョーに珍しい悩みを持った彼であったが、その表情にはチラッとも出ていないのは見事である。
その分、何だか真面目に仕事の事を考えているように見えているのだから実は結構得してたりする。
少なくとも楓には大人の男として映っていたのだし。
そんな彼の横顔にまたチラリと視線を送り、楓は内心溜息をついていた。
『横島殿の彼女…でござるか……』
その溜息の意味は自分でも解かっていないのだけど。
考えてみれば彼は本当なら二十七歳。
ロリちゃうんやーっ!! 等とバカなセリフをほざくのも解かる。横島から見れば自分は半分ほどしか生きていない“子供”なのだから。
近衛や高畑、そしてガンドルフィーニらが特に気にせず二人きりにさせているのも、セクハラ大帝であるくせにそんなモラルだけは異様な程きちんと保っている為。
でなければ今だって監視の一人くらい付く事だろう。
その学園側の対応もそうであるのだが、自分に対する横島の接し方も楓はかなり気にしていた。
同級生らが囃し立てる様な関係では決して無い。何せ女として相手にしてもらっていないのだから。
何を気にしているのかと問われれば返答に困るのであるが、『横島忠夫の彼女』という単語にはかなり引っかかってしまう。
彼女が気にしている事の一因として挙げられるのに、彼の無くしてしまった過去の事がある。
ちゃんと仕事に付いているし、スケベではあるが憎めない性格なので恋人の一人もいるだろう。
いや、帰りたいという観念を全然持っているように見えないから、“今は”いないのかもしれないが。
彼の自分に対する気の使い方から察するに、女と付き合った事が無い…等という事はあるまい。
何せ側にいるだけでこれだけ安心していられる存在はいないのだ。
肩に力を入れる必要も感じず、気を使ってくれるし退屈もしない。
煩悩全開の救い様の無いドスケベでお馬鹿でデリカシーが無くて根性も無くてギャグ体質で無節操である事を除けば人間的にも好ましいのだから。
尤も、彼女という立場となった女は大変だろう。
これだけリビドーが凄まじい人間だ。デートの度にヘトヘトになってしまいかねない。
『まぁ、拙者が中学生だから無事なだけかもしれないでござるが……』
と、そこまで考えてから楓はある事に気が付いた。
——もし、自分が高校生だとしたら?
——元の世界に彼は帰るつもりは無いとの事なので、このままここで過ごし、自分が高校生になったとしたら?
という事に。
無論、単なる If 話だ。
今の状況下だからこそ思いつく仮定であり、希望的観測も混ざっているかもしれない。
それでも、何故だかその“もしも”が気になってしまった。
当然ながらそのIfの世界にも成長した自分がいる。
女子高生なら黙っていられない横島のパートナーとなって一緒に歩いている自分がいる。
彼の行動パターン…というか、思考パターンはこの僅か三日で凡その事は掴めている。だから自分に対する行動を読む事等、手札をめくる事より簡単だった。
『……となると……そんな拙者に横島殿は……?』
…ボッ!!
何を考えたのか、いきなり楓の顔が真っ赤に染まった。
照れるどころではない。強い酒でも呷った様に真っ赤っ赤になっている。
この三日間、横島の煩悩具合を目にしている楓は、その全てが自分に向いた場合の事を想像してしまったのだ。
「うおっ?! か、楓ちゃん、大丈夫か?!」
「へ、平気でござじゃるよ」
「なんか語尾がヘンだし…」
「なっ、何でもないでおじゃる!!」
「いや、それキャラ違うし……
それに顔も真っ赤じゃないか。熱が……」
本当にこういったことには矢鱈と気が付く横島。
体調を気遣った彼は、慌てて真っ赤になっている楓の額に自分の手を当てた。
そう、ピトリ…と。
本心からの労わりの想いを持って……
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
瞬間、楓の思考が弾け飛んだ。
「えっ?! な、何?!」
声無き叫びに泡を喰った横島に構わず、楓は顔から蒸気を噴いたまま腰を落とし、
ドズムッ!!!
「ぐはぁっ!!!」
おもいっきり体重の乗ったボディブローを彼の腹にお見舞いし、
「しゃ、しゃきにいくでごじゃる!!」
と、全力でその場を後にして駆けて行ってしまった。
後に残されたのは大の字でのびている横島のみ。
返事は出来るが屍のようだ。
それでも彼はしなくてはならない。
こういった場合には、是が非でも言わねばならない言葉があったのだから。
横島は最後の力を振り絞り、己が使命だと言わんばかりにその言葉を口にした。
「な、なんでやねん……」
ばたり…と力尽きて手が落ち、それでも言えた事に満足した横島は意識を手放したのであった。
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ナルタキ姉妹に頼まれ、カエデ調査隊の一人に抜擢されて彼女の足取りを追っていた時、ふと目に入った元担任の姿。
そして彼と話をしている青いツナギを着た若い男……
そう、一昨日カエデと共に写真に写っていたあの男だった。
タカハタ先生と知り合いなのか、妙に親しげに話をしている彼は、何だか話し易そうな雰囲気をもっている。
話に割り込むのは良くない事だと思いつつ、彼ならカエデの居場所を知っているかもしれないと近寄ってゆくと……
「じゃあ、遅れないように七時には頼むよ。それで、場所は解かるかい?」
「ええ〜と…あのでっかい橋ンとこでしたっけ? でも、行き方は流石に…」
「僕が車で近くまで送ってあげるよ。
楓君と歩いて行ってもらっても良いんだけどね。彼女は散歩部だから地理に詳しいし、君も道を教えてもらえるだろうしね」
「は? 散歩…部?」
等という話をしているではないか。
散歩部というのは、ナルタキ姉妹とカエデが入っている弱小部で、兎に角学園内をてくてく散策しまくるクラブの事。
部活動からして文化部では無いし、ましてや運動部でも無い謎クラブだ。
自分が近寄って来た事に気付いたのか、直に二人は話をやめて、若い男は掃除用具(?)を持ってその場を離れ、タカミチは自分の元に歩み寄って何気なく挨拶をしてから成績の事に話を移行して足止めを掛けてきた。
この時点で怪しさ大爆発なのだけど、素直に話を合わせて二人の会話を忘れたフリをし、自然な挨拶をして五時限目の開始の鐘が鳴る前に教室へと戻っていった。
何時もと変わらない授業前の風景。
だがそこにカエデの姿は無い。
暫くしてガラリとドアを開ける音がして担当教師が入ってきた時にはカエデは何時の間にか席についていたが……
さっきの二人の会話に出ていた大きな橋。
それは麻帆良と外とを繋ぐアレの事だろう。タカミチが車で送ると言ってたから多分そうだろうし。
とゆーか、自分はそれ以外の大きな橋に心当たりが無いのだけど。
七時という時間は停電の直前だ。そんな時間に何を…それにカエデまで……
そしてそれにはタカミチも関わっているらしい。
「ウ〜ム……」
授業そっちのけで悩んでしまう自分。
自分のいるクラスは麻帆良でも変わり者の集団として知られている。だからこんな奇行も然程目立ったりしない。あまり嬉しくないが。
他のクラスメイトのビミョーな視線もそっちのけで悩み続ける少女。
湧いてしまった疑念はそう簡単に振り払えず、時間が経つごとにどんどん膨らみ続けてゆく。
イライラする…という程ではないにせよ、気になって仕方が無いのもまた事実。
だったら自分のするべき事は一つである——
都市内が闇に包まれる事を怯えているかのように、街には奇妙な緊張感があった。
だから市電も運行が止まっており、橋の近くまで行く事は結構難しい。
それでも適当な駅で下り、目的地まで走って行ったてとしても長距離ランニングだと思えば楽なもの。
何時ものペースでたったか走っていれば直に目的の橋が見えてくる。
「ム…?」
が、見えてはきたのだけど、それに比例するかのように何だか足が重くなってきた。
疲れた…という訳ではない。
その気持ちがあるからか、やがて彼女もペースを乱し、スピードすら歩く程度にまで落ちてしまう。
“帰りたい”“この場から離れたい”
そんな奇妙な気持ちがどんどん高まってゆく。
不思議な事に、闇が迫ってくる事に対する恐怖感等でもなく、単純に“行きたくない”という気持ちだけが高まり続けているのだ。
「?」
それがまた不思議さに対する好奇心を増長させ、足を進ませる結果になろうとは誰も思うまい。
いや、“人払い”を仕掛けた者達は、まさかその人払いの結界の所為で人が近寄ってくる事になろうとは想像もできなかったであろう。
人払いの結界は、無意識に『そこに行きたく無い』と思わせる術なので、“故意に行きたくなくなされている”と意識されれば効果が下がってしまうのだ。
だけど流石に強化された人払いの結界は、関係者以外立ち入りを禁じている事もあって彼女の意思の力をもってしても弾き出そうとしていた。
だが……
「…!」
「……?」
道の向こうから伝わってくる声に反応し、何時の間にか俯いていた少女が頭を上げた。
予想していた通りの二人……カエデと、あの若い男が歩きながら何か言い合っているではないか。
「?」
外灯が点き始めた歩道のど真ん中、その上から差す明かりでもカエデが顔を赤くしているのが解かる。
「これは……」
初めて見る彼女のハッキリとした羞恥に思わず声が漏れてしまった。
だが、距離がある所為か会話に気をとられている所為か、二人はこちらに気付いていない。
青年が顔を覗きこみ、カエデが顔を赤くしたまま避け、また覗き込まれる。
彼氏彼女の関係がじゃれあっている光景そのままだ。
いや、それは良い。
それだけなら(ツッコミを入れたい気もするが)然程気にする事もあるまい。
問題とすれば、
カエデが忍者装束であり、尚且つでっかい十字手裏剣を背負っている事だろうか?
胸の奥がむずむずしてくる。
心が疼くのだ。
好奇心も強く感じるが、それとは別に湧いて来る欲求があり、高鳴ってゆく物が胸を弾ませてゆく。
何かを起こそうというのだろう。
カエデの衣装……出で立ちからもそれが強く感じられる。
最早混ぜてもらいたいという欲求は止められない。
だが、近寄って一声掛け様としたその矢先に、
「……?」
「〜〜〜〜っ!!」
顔を真っ赤に染め上げて蒸気を噴いていたカエデがドズムと見事な掌底を青年のどてっぱらにぶち込み、
「しゃ、しゃきに行くでごじゃる!!」
と舌を縺らせた言葉を残し、一目散に駆けて行ったのである。
「え、え〜〜と……」
ひゅ〜〜〜〜……
春先なのに足元に木枯らしを感じた。
遠くから烏の鳴き声が聞えたもんだから情景にピッタリである。
とはいえ、カエデにのされてうつ伏せの大の字にのびている青年をほったらかしにするのも何だ。
とてとてと近寄り、助け起こそうとしたのだが……
「な、なんでやねん……」
と一言呟いて男は意識を失ってしまった。
何だか一仕事やり遂げた男の顔をして。
青年を見、カエデが走り去った方向を見、腕を組んで悩む。
この人物が痴漢行為を働いたというのなら、服をひん剥いて転がしておいても良いのだけど、どーもそーいうのとは違う気がする。
カエデだって嫌がっていた風にはぜんぜん見えなかったのだし。
ここは一つ起こしてあげるのも人情なのだろうが、今青年が喰らったのは水月にキレイに入ったモノで、充分に腰が入った素晴らしい一撃である。そう簡単に意識は戻るまい。
仕方ない…と、人情半分好奇心半分に彼を起こしてやり、自分にできる範囲の事をやる事にした。
それが、自分が生きていた“日常”を踏み越えてしまう事になると知らず……
****** ****** ******
見た目よりは軽い十字型の風車手裏剣を立てかけ、ゲートに背を預けて息を整える。
たったこれだけの距離を走破しただけだというのに何故か息が乱れているのは修業不足か。
心が乱れた時には調子も狂う。
そういったものを初めて体験したのだから元に戻すのも一苦労だ。
手負いの熊に出会った時でもここまで心を乱した事は無いというのに、掌で熱を測られただけてこうなってしまうとは何たることか。
「はぁ……横島殿には悪い事したでござるな…」
とは思うのだが、今更戻るのも気恥ずかしい。
いや、このまま待っていても向こうからやってくるだろうから待っている事にした。流石にまだ顔を合わせ辛いし。
自分では修業不足だと嘆いてはいても、そこらの修行者より遥かに鍛えている楓の呼吸の方は既に戻っていた。
それでも軽い自己嫌悪の方はふるい落とせないのか、コツンと固い橋柱に後頭部を当てて溜息を吐いている。
「な〜にやってるでごさるか…拙者は……」
思わず脱力。
実は楓自身も今さっきまで気付いていなかったのであるが、この衣装は別の“勝負服”宜しく気合を入れて着替えていたのである。
確かに初めての任務であるし、上役となる者の前に出るのだから“一張羅”を着るのは当然の事。
新社会人がパリっとしたスーツを着て挨拶をするようなものだ。
だが、ルームメイトの姉妹を眠らせてから姿見を前にして着替えている間も、
『これでは横島殿が耐えられないかもしれないでござるなぁ』
とか、
『あの御仁ならばスリットに眼が奪われるかもしれないでござるし…』
とか言って、何だかにやけていた気もする。
何だかんだで彼女は横島を悪い意味では無く気にしているのようなのだ。
楓は色恋沙汰の事など考えた事も無い。
特に自分に関してのそれはゼロと言って良いかもしれない。
だが、だからこそ未だにその事に気付いていないのだろう。
写真にははっきりと写っているというのに——
はぁ…とまた溜息一つ。
落ち着かない気分と気不味さが入り混じり、何とも言えない居心地の悪さが纏わり付く。
もじもじと、
そわそわと、
うずうずと身を捩るのも初めての事。
それが何を示しているのか未だ理解できない楓も、やはり乙女だったという事なのだろう。
自分で意識を刈り取っておきながら、居ないと妙に落ち着かない…彼女の理解力ではその程度であろうか。
「…………ん? やっと来たでござるか……」
気を失わせておいて、『来た』はないだろう? という説もあるが、それは兎も角。
ゲートに近寄ってきている気配に気付き、頭を振って表情を何とか取り戻す。
既にゲートは閉じられているのだが、非常用の出入り口は開いているのでそこから入ってくる筈だ。
楓は両の手でパチンと顔を叩き、気持ちを入れ替えて彼に接しようとする。
何時までも照れていても話にならない。
何だか奇怪なしこりが胸に残っているよーな気がしないでもないが、それは後回し。
問題を先送りにしただけという説もあるが。
だが、振り返るより前にある事に楓は気付いた。
『……?
気配が……二つ?』
いや、確かに知っている気配であるし、一つは間違いなく横島のものだ。
という事は、もう一つの気配は自分の知り合いという事となる。
「え……? まさか……?!」
と慌てるより先に非常ドアがギギギ…と軋む音を立てて開いた。
「ああ、開いた開いた。けっこう重いな」
「そりゃそーアルよ。何時もは使って無いアルから」
流石の楓も眼を大きく開いて驚いた。
確かに実力者。
真名ですら一般人最強クラスと認めてはいるが、気を練れる“だけ”の少女である事に間違いは無い、本当に“一般人”である同級生が来たのだから当然であろう。
「あ、楓ちゃん。お待たせ」
「待たせたアルね」
そんな彼女の焦りなど全く気付かず、のほほんとした表情で彼は、
「く…古……」
「や、カエデ。
楓の同級生にして中武研部長である古菲を伴って任地に姿を現したのだった。
今更ですが、こんな大規模な計画停電なのにあっさり受け入れているのも認識阻害の魔法なのかしらん?
因みに晩上好(ワンサンハオォー)は『こんばんわ』です。念の為。