——困った。
横島は、何というか、非常に困っていた。
元いた世界で雇い主だった女性を前に、セクハラの言い訳を考えている時……よりはマシであるが。生命の危機も無いし。
それでも、言い澱むほど困る事は難しい。
と言うのも、
「オイ、横島」
「横島さん……」
横島が一人酒を飲み、程よく酔いが回っていた所に、何だかすげぇ怒った顔で二人がやって来たからである。
ネギに課していた修行が(有耶無耶で)終わり、部屋で休んでいた為か完全復活してはいたが、何故かテンションだけが戻っておらず、何時もの宴会所から離れて先ほどまでネギを虐め……もとい、鍛えていたテラスにて月を肴に飲んでいたのだ。
皆から離れてゆっくり一人で飲む酒。
今日は酒が飲みたいから何でもいいからくれないか? と言ったら何故かエヴァが茶々姉に命じて出してくれたのはラム。
度数もけっこうあり、なめした革ラベルが貼られた高そうなラムだったが、エヴァは何もいわず黙ってこれをくれたのである。
何時にないサービスぶりに変だとは思いはしたが、横島もその高そうな酒の魅力には勝てず、偶にはこんな日もあるわさと気にしない事にした。
しかし、一人静かに飲んでいたのであるが、遠くから騒動が聞こえる分、殊更孤独感を感じていたりする。
皆と離れて飲んでたのは失敗だったかな? 等と愚にも付かないような事を思い始めていた矢先、件の二人はやって来たのだ。
「へ?
零と円ちゃん……か?
どーしたんだ? そんな顔して」
その形相にグラスを落としかけた横島だった(ちょっち怖かった)が、わたわた慌てつつも何とかキャッチ。
底を軽く鳴らしはしたが四割を腹に収めた瓶と共に床に置く事に成功し、腰を上げた。
『……こ、これは……』
しかしグラスをお手玉しつつも中身を溢さず受け止められた事は確かにナイスキャッチだが、状況はナイスとは言い難い。
何せ零は兎も角、円は涙目。
その零にしてもとんでもない目つきで睨みつけてくる。
すわ、恨み言か!?
それとも寝てる内に無意識的セクハラを円に行ったか!? それだったら切腹モノではないか。主に自分の性技……いや正義が。
等と何時ものおちゃらけで話を受けたつもりであったが——事は彼が想像していたより重かった。
「……何で……」
「え、と……」
「何でそんなに自分を投げやりに扱うんですか?!」
「え?」
そう責められても戸惑うばかり。
何より酔った頭では言葉の意味が浸透し辛い。
そんな横島の様子に余計に腹を立てたのだろう、零が前に出て横島の襟首を掴んだ。
「オレらが言ってんのはな、無駄に命使うなって事なんだよ。
テメェは人にはそれ言うくせに、自分はその言葉守ってねぇだろうが」
「え、えと、それは……」
アルコールが頭に回っている事もあるが、流石の彼も対応が鈍い。
いや、そもそも彼女らが怒っている原因は彼の愚考であり愚行。
霊能力のある意味直弟子ともいえる円の為、彼にとって最大最悪の禁忌である記憶捜査を行ってしまった事だ。
何せ元々彼は、色男やイケメン相手ならいざ知らず、女子供には底抜けに優しいという特徴があった。
だから、自分の元いた世界のように神話や伝説がそのへんにゴロゴロ転がっているわけじゃないので、霊障を負ってしまいかねないと懸念した彼は、当り前のようにそれを行ってしまったのである。
しかし、当事者の横島は兎も角、されてしまった円のショックは如何なものだろう。
イキナリやって来て、いきなり身代わりとなって命を危機を背負い込む男に今後彼女はどう接すればよいというのか?
焦っていたのだろうか、彼の頭からそういった配慮は綺麗に抜けていたのである。
更に悲しむべきは彼の身の上。
銭ゲバの見本のような女にこき使われ、そんな彼女の為に身体を張る事(張らされる事)のが日常だった。
それだけが理由という訳でもないが、間違った日常観念よってそれ自体が極普通になってしまっているので、周りに対する配慮。特に“こちらでの一般人”に対する配慮が決定的に欠けていたのである。
何せ“向こう”では一般人でも霊や妖怪、果ては下級神とだってひょっこりと出会う可能性があった。
だから大して気を使わずとも、よほどの惨劇じゃない限り霊障事件で心に傷を負ったりしなかったのだ。
これは横島のファンブル(大失敗)である。
それに——
「……どういう事でござるか?」
「うおっ!?」
「え? か、楓さんとくーふぇ!? 何で……」
「二人でシケ込んでナニかやてる思て探し……て、そんな事はどうでもいいアル!!
どういう事アルかっ!!??」
酒に酔っていた所為だろうか、横島は楓たちの接近に気が付かなかった。
横島ファンブル二連発。
「い、いや、あの……」
おまけにこんな状況に陥れば落ち着いて話が出来ないではないか。
横島を責めていた円と零は話の腰を折るなと怒り、楓と古は直弟子である自分(ら)だって話を聞く権利はあるだろうと主張する。
だが何故か円はそれを拒否。今の問題は私の所為でもあるのだからと言い返す。
探し回っててイラ付いてた為か楓達も珍しく冷静さを保てていない。
ウッカリ二人っきりで横島と真剣な話をしていたものだから殊更だ。お陰で楓も何時になく文句がうるさい。
だが、三人がそんな風に騒ぐ物だから零は逆に静かになり、周囲の空気を物凄く重くしていっている。ぶっちゃけ光り物が唸りを上げて登場する時が迫りつつある。
女の怒りに対する危険感知力が無意味に鍛えられている横島は当然真っ先にそれに気付いていた。
「解った。解ったからっ!!
全部まとめてすっこりぼっこり説明するからっ!!」
元より一緒に裏にか関わっていた楓と古にもこれだけ心配かけているのだ。黙っている訳には行かないだろう。
何よりネギの過去を女の子達と共に観覧してしまった事も負い目として心に残っている事もある。
『ネギはよくて自分は黙秘という訳にもいかんしなぁ……』
そんな考えは的外れかもしれないし、余計な行為かもしれない。
酒の勢いかもしれないが、奥に秘めていた物を吐露したくなっていた事もある。
或いは——これ以上黙っていたくなかったのかもしれない。
「ああ、話すよ。
全部——」
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■二十一時間目:あくの分岐点 (中) −弐−
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「ね、ねぇ、くぎみーさぁ……」
「う、うん……どーしちゃったんだろうね」
登校一番、いきなり“それ”を見てしまった桜子は、同じように驚いている美砂の髪を引っ張ってそう話を振った。
普段なら怒るそんな行為。だが美砂も気になっていたのだろう、然程怒りを見せたりせず桜子にそう返している。
何せ登校したは良いが円の周囲の空気はどんよりと重く、尚且つ気難しげな顔をしつつタレるという奇行を披露しているのだ。
昨日も様子が変だったが、それは焦りであって今回のような異状ではない。
自分で自分のやった行為を悔いてると言うか、理解不能な怒りを抱えていると言うか、兎も角そういったものを皆は彼女に感じていた。
「うーん……でも聞きにくいね」
「ウン。今のくぎみん見たらちょっと……ねぇ」
時折、はぁと溜息を吐いている円であるが、こうまでややこしい彼女の様子からその深刻度は今まで見た事がないレベルだろうと判断が出来る。
勘の良い事で知られている桜子が今はそっとしておこうとばかりに距離を置いている事もあり、美砂も不承不承ながら真名の隣に戻っていった。
と、そんな美砂が椅子に腰掛けようとした正にその瞬間、何時もクールな真名がいきなり反応してその顔を教室の入り口に向けた。
「楓姉ぇ、ホントどうしたのー?」
へ? と何時になく心配げな風香の声に驚いて真名の視線を追う形で入り口に目を向けると……
肩をがくーんと落とし、鳴滝姉妹に支えられるように楓が教室に入って来たではないか。
「え? ウソ。楓まで!?」
それに続くように遅れて入ってきた古までもが落ち込んでいるのを見ると、流石の美砂の焦りも頂点に達し、桜子と共に情報通の和美のところにすっ飛んで行くのだった。
左前の席……実のところ和美も訳が解らなくて驚いていたのであるが……騒動を視界に端に流しつつ、エヴァは己の席で腕を組んで黙っている。
当然のように彼女の後ろには茶々丸が控えているのだが、やはり彼女もちらりちらりと円達を気にしているようだ。
明日菜や木乃香、刹那に夕映にのどかといった他の魔法に関わった少女らは三人の様子に戸惑いを見せている。
訳を知らないのだから当然だ。
もう一人、理由を知っている者はいるだが教室にはいない。
何でも今日はズル休みするとの事だった。
気持ちは解るが、はっきりとズル休みだと言い放ってくれるのだから清々しい。
「フン……」
見ようによっては鼻先で笑ったようであるが、どちらかと言うと鼻で溜息を吐いた感が強い。
現に、直後エヴァは少しだけ身体を前にずらして椅子に寄りかかっている。朝が弱い為にタレている事はあってもやや後悔の空気を漂わせているのは、この王者(女王様)にしては珍しい。
昨日、エヴァが横島に高いラムを渡した事には意味がある。
他者……それも女に対して気を使い過ぎる事がいい加減に気になってきていた事もあり、その理由を問いたかったエヴァであったが、あの男ときたらはぐらかすのが異様に上手い。聞こう聞こうとしてもヤツのボケに対してツッコミを入れている内に何時の間にか要点をずらされてしまうのだ。
確かに、大体の見当はついてはいる。ネギの“アレ”と同じような物だと。
いや、おそらくは高畑の“アレ”と同じくらいの物だろう。
違うのは対象が女であろうという事か。
対象が“女”だと見当がついている理由は簡単で、横島が異様に女子供に気を使っているところから鑑みただけ。それでも間違い無いだろうと確信はしていた。
——していたのだが……
如何に言い辛かろうが言葉の端々を突くなり上げ足を取るなりするだけで良いのであるだが、前述の通り誤魔化しが異様に上手く真顔でボケたりするのでこっちも本気で怒ってしまって無駄にエネルギーを使わされてしまう。
しかし逆から言えばそこまで上手く誤魔化すのだからとんでもない理由があるはず。
今後彼を鍛えてゆく上で知っておかねばならないし、奥義には程遠いがついに足元を掴めるに至っている“例の技”は、心の闇に関わってくるのだから使ってよいかどうかの判断基準にもなるのだ。
だからエヴァは策を講じた。
自分のように頭を使って話す人間なら横島は最初から構えてくる。壁を作るのではなく、心が身構えているのだ。
自分より頭が良い。或いは自分より格が上で、隙を見せれば命を奪われるような敵とばかり戦い続けてきた彼は、無意識にそれを行えるようになっているのだろう。
しかし、自分を真っ直ぐに見、何の思惑もない目で迫られたら逆に全く拒めなくなる。
実にアッサリと精霊の集合体という複雑怪奇な存在の かのこをいとも簡単に受け入れ、魔法技術での改造人間であるナナですらありのままを全てを受け入れ、尚且つ欠片も裏を持たずその
それを利用する事にしたエヴァは、悩み続けている零と円を見守りつつも助言を与えようとはせず、テンションが回復していない横島にラムを与えた。
元々ラムという酒は度数も
もどりが強ければ酔いを味わう時間も長くなる訳で、言葉を止めている枷も緩むというもの。
枷を緩ませたところで言い寄られれば、如何な彼でも打ち明けるだろう。そう思って下僕である零とリンクを繋いだままにして向かわせた訳であるが……
結果的に言えば、大成功であり失策だった——
久しぶりにエヴァは後悔色の溜息を吐く。
それに気付き、茶々丸が話しかけようとするが丁度ネギが教室に入ってきてしまったので、伸ばし掛けた手を止めて失礼しますと場を離れるしかなかった。
円達の様子を気にしている所為だろう、やや詰まった委員長の号令に倣って席を立つのだが、やはり頭を掠めるのは横島の事。
彼の悩みは理解した。出来てしまった。
嫌っていない女に攻撃が出来ない訳も知った。知ってしまった。
彼が病的に女達を守る理由も解った。解ってしまった。
理解し、納得できてしまったが故にエヴァは眉を顰める。
横島の心が壊れていない奇跡に。
個を失っていない信じ難い奇跡に。
そして最低最悪の今の彼に。
予想はしていた。
高畑という例があった為、想像くらいはできたのだから。
自分の力不足で大切なものを失う。そんな悲劇は掃いて捨てるほど世界に転がっている。
この学園にいる魔法使い達の中にもそういった経験を持つ者もいるのだ。現に高畑がそうであるし。
が、ここで別のファクターが加わると話が変わってくる。
克明且つ鮮明な記憶と記録。
確かにそこから他者のデータを汲み上げて使用できるのは大きなアドヴァンテージだろう。
彼の能力と相俟って、如何なる状況でも生きて帰れ、如何なる相手であろうと戦いを有利に薦められるだろう。
だがしかし、前述の“経験”がその中に加わってくるとややこしい事になる。
エヴァは気付いてしまったそのデメリットに、一人溜息を吐いていた。
何せそれは、エヴァの想像を遥かに超えていたのだから——
****** ****** ******
バニラの香を口の中でかき回し、口の幅の広さにして溜息と共に吐き出す。
もったいない吸い方だし、味わいも何もあったもんじゃない。
マナーの観点から言えば葉に失礼だ。もっと味わって然るべしであろう。
——尤も、今の彼女からしてみればクソッタレ以外の何物でもないのだが。
「あ゛ー……
あにやってんだろーなー オレ……」
一気に吸い込み、鼻から出してみたりする。
これたま下品であるが、旨味を噛み締められるしちょっと苦しくなるから今の自分には丁度良い。
しかし、いくら屋上とはいえ堂々と学校で吸っているのは頂けない。
煙草臭と違うので解り難いだけで、葉巻の香りを誰一人理解できないという訳ではないのだから。
「そう思うんだったら、授業サボっての喫煙なんか止めてほしいんだけどね」
何時の間に屋上に来たのか不明であるが、妙に親しげな声を掛けて誰かが彼女の元へと歩み寄ってきた。
突然声を掛けられたにも拘らず、焦りも咽たりもせず彼女……零は再度煙を吸い込み、落ち着いたまま吐く。
「うっせーぞボウズ。
自分から吸えるように努力したバカに言われる覚えはねーぞ」
日の陰になっている壁にもたれて足を大きく広げて葉巻を吸う少女……
何ともシュールな格好であるが、彼女の主が何時もサボって寝ている場所であるのは笑える。。
しかしまだボウヤと呼ばれるのはねぇ……と彼、高畑は肩を竦めた。
「意外に真面目に登校してたと思ったけど、いきなりズル休みかい?」
「うっせーつっただろ。オンナにゃオンナの理由ってのがあンだよ。
この制服を着崩して泣きながら走ってやろうか?
少なくとも、一発でオンナの理由ってヤツを思い知れるぞ」
「勘弁してくれよ」
ここのところ機嫌が良かったのだが、何故か今日は物凄い不機嫌。
その不機嫌さのベクトルも主と似ているのには苦笑も湧く。
こんな状態の彼女(ら)に何を言っても無駄だと高畑は理解しているので、彼はそのまま零の隣に腰を下ろしてポケットを漁る。
隣から何ともうまそうなが漂って来ているのだが、流石に生徒に葉巻を強請るのは問題があるし、何より彼にだってちょっとはあるプライドに関わってくるし。
ちょっと後ろ髪引かれはするものの、吸いなれたマルボロを取り出して一本抜いてそれを味わう。
「フン……才能が無かったわりに様になってんじゃねぇか」
「それって礼を言うべきなのかな?」
「さーな」
煙草の話か実力の話かは知らないけどね。と彼は言葉を煙と一緒に吸い込んだ。
普通なら咎める状況であるし、一般の教師に見られると何かと不味いシーンである。
だが高畑は何も言わず零の横に立ち、壁にもたれて煙草を吸っていた。
似合わないとかモノマネだとか
そんな高畑が横にしても零は相変わらず。
くゆらせて上ってゆく煙をボーっと見つめていた。
とは言っても味わうのはその半分。
半分まで味わうと掌に押し付けて消し、また一本抜いて切込みを入れて吸うという、割に合わない吸い方をしていた。
そんな彼女が捨てた吸殻を、眼の端で羨ましげに見つめていた高畑であったが、
「なぁ……」
「ん? 何だい?」
急に話しかけられると何事も無かったかのように質問で返している。
「お前さぁ……」
「うん?」
「ガトウが死んだ時のこと、今も思い出したりすんのか?」
「……っ」
予想だにしなかった言葉に、流石の高畑も煙草を取り落としかかった。
無論、そこまでには至らなかったが、それでもかなりの衝撃が走っている。
それは言葉によって、ではなく言われた事で頭に情景が走ったからだ。
高畑は内心の動揺を誤魔化すように煙草を咥えて肺を煙で満たす。
しかしその煙草の味すら“彼”の好みだったのだから役に立ったとは言い難い。
それでも体裁だけは取り繕えたので、平然としてるかのように高畑は口を開く事が出来た。
「……そりゃあ、ね……」
「そっか……」
忘れる事は無理だ。
吹っ切る事もできないだろう。
自分の弱さを思い知り、自分の至らなさを突きつけられた事件なのだから。
ある意味自分の基点であり、強くなりたいと言う根本なのだ。
忘れられる訳がない。
そして忘れてはならない事なのだ。
急に煙草の味が苦くなり、彼にして珍しく途中でもみ消して携帯灰皿に押し込む。
それでも気を取れ直すように再度箱から引き抜いて咥えている。何だかんだでヘビースモーカーだ。
零ももう一本引き抜き、先を切り飛ばして火をつける。今回は切り込みはいれていない。
しばし無言と共に煙を味わっていた二人だったが、零は唐突にまた口を開いた。
「……そんじゃ、もう一度
「は?」
いきなり何を言うのか。
余りの質問に高畑は初めて零に眼を向けたが、彼女は未だぼんやりを空を見つめている。
「いやな、今の記憶とか経験とか持ってなくて、
単なるガキの時まで記憶を巻き戻して再体験するんだ。
ガトウに死なれたりしてシーンが終わったら正気に返るけどな」
やっぱり話は解らないが、空に向けられたままの眼にからかいの色は無い。
力不足で修行していた時代、戦闘鍛錬に付き合ってもらっていた生き人形時代なら兎も角、今の彼女は果てし無く人間に近い人外。表情も実に解り易いのだ。
尤も、からかわれていないと解るからこそ余計に混乱するのであるが。
兎も角、やや首をかしげつつも彼女の言った言葉を噛み締めてゆく。
今も満足できていないが、
周りに終始おんぶ抱っこ。なまじ超人揃いだったが為、彼の力量が足りずともどうにでもなってしまっていた。
だからこそ、一人でも欠けただけで自分の力の無さを思い知らされてしまった時代……
それを繰り返すと?
それも思い出すのも腹立たしい未熟極まりないあの時の自分の頭に戻って?
そう高畑の頭が内容を理解すると、彼の表情は露骨に歪んだ。
「……御免だね。冗談じゃないよ」
高畑は、吐き捨てるようにそう言った。
「……だよなぁ」
高畑の不機嫌気味な空気など気にもせず、また半分も残っている葉巻を押し消す。
流石に今度は高畑もそれを見ていたりはしない。
忌々しい、とまではいかないだろうが、当時の自分に対してそれに近い物があるのだろう、高畑の表情はまだ硬い。
ふと見上げた高畑の顔にそれを見出し、零は頭を掻きながら腰を上げた。
「悪りぃ。妙な事 聞ぃちまったな」
「え……?」
あのボトルの中で修行していた時だって罵られる事はあっても謝罪なんぞ聞いた事も無い。
いや、悪びれる風もない口先だけの薄っぺらな謝りのセリフだけなら何度かあったと思うが、本物の謝罪は初めてだ。
「チャチャ……あ、いや、零君」
「オレ、戻るわ」
高畑が何か言い出す前に、ポンっと葉巻の箱を投げつけ、振り返らず去ってゆく零。
拒絶はしていないが、その背は何故か声を掛け辛かった。
独立で動けるようになる前とのギャップが大きく、妙に感情豊かになっているからかもしれない。
その所為か、彼にしては珍しく僅かな戸惑いを見せてしまい、その間に零は屋上から姿を消してしまっていた。
質問の意図も意味も解らない高畑は首をかしげ、葉巻の箱に目を落とすと、
「これ、吸殻しか入ってないじゃないか……」
そう呟してぐしゃりと箱を握り潰し、彼女の後を追うように屋上から降りていった。
「ホンマ、どしたんえー?
くーふぇ 朝から変やで?」
「ええ、楓も釘宮さんも朝から変でした」
「……ウ、ウン……何でもないアル」
休み時間ともなると、流石に焦れた者が問い質しそうにし始めていたのであるが、何せ落ち込み具合が普通ではないので話しかけ辛い。
別荘修行組も理由は解ってはいないものの、誰の件で悩んでいるかだけは解っている。
だがやっぱり何時にない楓たちの落ち込み具合に切欠を掴みかねていた。
そこで代表になると挙手をした木乃香が刹那と共に、せめて理由だけでもと話しかけた訳であるが……
「皆、心配しとるんよ?
せめて何があったかだけでも言うてくれへん?」
「え……あ、う……」
にょっと顔を近付ける木乃香であるが、古は直に眼を逸らす。
隠しているのは解るが、ここまで意固地に喋らない彼女も珍しい。
何せ元々が真っ直ぐで素直な古だ。ある程度以上問い質せば意外なほどあっさりと口を開くのが常だ。
喋りたくとも喋られない内容だというのか。
どういようという眼差しを刹那に送る木乃香であるが、訳が解らな過ぎる刹那も肩を竦める他無い。
こういった心の城壁を突破するのは思いの外手間取る。大人しく門等が開くのを待っている方がマシなくらいだ。
しかし、のんびりとしてはいても木乃香はこういった事柄で待つのは嫌いである。
「ほかほか……
せやけどなぁ、くーふぇ。泣き寝入りはあかんえ?
無理やりされたんやったら、責任くらいとってもらわなあかんやん」
「ほえ……?」
教室の空気が、凍った——
いや、静寂を感じてしまうほど、別ベクトルにざわめきが起こっていた。
ざわ ざわ……というヤツだ。
「ちょ、お、お嬢様!?」
真っ先に意味合いに気付き、慌てたのは刹那だ。
真面目な話だったはずなのに、何でイキナリこうなるのか。人前だというのに思わず素っ頓狂な声を上げてしまうほど焦ってしまった。
古はというと、直に意味が伝わらなくてポケっとしていたのであるが、数秒もするとバカイエローと謳われている彼女の脳ミソにも意味が届き、忽ちのうちに顔を赤くして首をぶんぶか振って否定する。
「ち、違うアルよ!? 私は別にそういった事はされてないアル!!」
「解っとる。解っとるえ? せやけどな、ウチも乙女の一人として黙ってられへんねん。
ええか? くーふぇ。泣き寝入りしたら相手の思う壺や。
このままやったらずるずる関係を続けられてしまうえ?
ウチらの歳でまだ子供産みとうないやろ?」
「だ、だから違うて言てるアル!!」
「ん?
ウチの言う事どっか間違うとるんえ?」
「全然全くサパリ違うアル!!
むしろ……むしろ、その方がどれだけマシだたか……」
感極まったか、古の言葉はそこで途絶えてしまった。
すくっと立ったまま、俯いて泣く古。
初めて見る彼女の姿に、少女らも息を呑み声を失っていた。
「ん。やっぱ言い難い事なんやなー
解っとるえ。ホンマは考えが行き詰まってもとんやろ?
誰にも言えへん事やから苦しかったんやろ?」
木乃香以外は——
茶化すような言い方から一転。優しげに慰めるような口調で語りかけて肩に手を置く。
すると古は、力なくコクンと頷いた。
「ほな場所移そな。かめへん授業サボろ。
次はネギ君の授業やさかい解ってくれるえ。
な?」
普段の木乃香も相当癒しがあるが、裏に関わってからは魔法使いとして目覚めて始めているからか、場の雰囲気と言うか相手の心が放っている空気までも読めるようになっている。
だからこそ彼女らの…古の持つ憤りの苦しさを誰よりも感じ取れていたのだろう。
そんな彼女に慰められたのだから、気が弱くなっている古は逆らうことなくコクンと頷き、委員長に断りを入れた木乃香と共に教室を出て行ったのだった。
「えと……お嬢様?
このまま放ったらかしなんですか?」
古がイロイロと体験しちゃったという爆弾を教室で誤爆させたまま……
****** ****** ******
「で? 何があったの?」
「別に何でもないでござるよ……」
「それで何でもないって言うんだったら、学園長先生だって人間に見えるわよ」
エラい言い様である。近衛が泣きそうだ。
おもっきり授業中であるが、明日菜は半ば引き摺るように楓を裏庭に連れ込んでいたりする。
どーせ次の授業はネギだし、あいつにグダグダ言わせないという気満々だ。
実のところ昨日修行場から帰った時からずっと気になっていた事もあるが、何より古や円まで落ち込んでおり、零に至っては殆ど授業に出ていないときてる。
更に鳴滝姉妹にどーにかしてよーっと泣き付かれたのだ。
それで木乃香が古に話聞いてみると言い出したので、だったら自分はと手分けして話を聞く事にしたのであるが……どーもにも楓は口を開いてくれない。
何か言いにくい事に間違いは無いだろうが、ここまで口を噤むと言うのはちょっと異常である。
いや、元々言って良い事悪い事をよく理解できる人間であるから、口を開かない事だってあるだろうが、その場合彼女はのらりくらりとはぐらかすのだ。
しかし今の彼女ははぐらかすどころか誤魔化す事すら出来ていない。
言えない事があると丸解り状態で、ただ言わないだけ。これを異常と言わず何と言おう。
「あのねぇ……あの二人もすっごく心配してるのよ?
もちろん私だってそうだけど、何があったかくらい言ってくれてもいいんじゃないの?」
「……」
秘密、なのではない。
「それとも横島さんに何かされたの?」
「……その方がずっとマシでござるよ」
奇しくも古と同じセリフであるが、二人が知る由も無い。
しかし、木乃香と明日菜の差は大きい。
二人とも優しいし世話焼きであるが、木乃香は女らしく優しさで接し慰めるのであるが、明日菜はどちらかと言うと……
「こぉらっ!! 長瀬 楓!! こっち見なさい!!」
「!?」
ばちんっと楓の両頬が音を立てる。
あまりにも唐突に行われたので流石の楓も、今のコンディションならばどうしようもなかったようだ。
言っては何だが、明日菜は妙に男っぽいところがあり、慰めるとか癒しとかより発破かけたり鼓舞したりする方が得意だったりする。
それを実証するかのように、楓は明日菜の掌から力が伝わってくる気がしていた。
「アンタねぇ、お腹ン中にぐちゃぐちゃ溜め過ぎなのよ!!
どばっと吐き出す事もできないってんだったら、
落ち込んだトコも見せんじゃないわよ!!」
「あ、アスナ殿……」
じんじんとした痛みより、ずぅんと重く言葉が響いてくる。
真っ直ぐに向けられた明日菜の眼光は楓の眼を貫くほどの力が篭っていた。
まるで力が明日菜の掌から、そして眼から無理やり注がれてくるようだ。
「それとも何? 私じゃ信用できない?
私程度じゃ受け止められないっての!?」
「……」
どうしてこの御仁は……と楓は内心苦笑していた。
何と言うか度量と言うか、器というかが年齢不相応なほど異様に大きい。そこら辺が“彼”に似ている。
これだけの事で苦笑が浮かぶ自分も単純な女でござるなと思いつつも、こうまで想ってくれている級友に感謝の念が絶えない。
「……心配……掛けたでござるな」
「あったりまえよ!! 全くもう……」
楓が苦笑を見せた事にホッとしたのか、掌を頬から離す。
勢いでついやっちゃったと自覚があるのだろう、明日菜は僅かに頬を染めていた。
楓も少し頬が赤いのだが、それは明日菜の馬鹿力の所為のよーな気がするけど気にしてはいけない。
「ま、話し難い事だったら話せる範囲でいいんだけどね」
「さっき言った事と違ってるでござるよ」
「いいのっ!! で……?」
花壇の石垣に腰掛けさせた楓の前にし、明日菜が腰に手を掛けたまま問いかける。
輝くようなオーラを放つ彼女に、逆らい難い楓はついに諦めて口を開く事にした。
「さてもさても……どう話せば良いでござろうか」
そして楓は、あの時の事を痛みの中から掬い上げてゆく。
自分の……いや、自分らの迂闊さを思い知らされたあの時の事を——
****** ****** ******
——いやさ、実はオレ、この世界の人間じゃねぇんだわ。
しかしそう言われても円も『は?』って感じだった。
確かに呆気にとられたはしたが、既にエヴァから異世界がある事は聞いているし、何を今更という感が強い。
尤も、彼の言う異世界と言うのはこの世界の魔法使い達ですら思いも付かない全くもって全てが違う世界で、感覚的に言えば宇宙人が近いと後で訂正が入っているのだが。
それでも彼女にはそんなにショックは無かった。
魔法使いやら精霊小鹿やらスライムやら、果ては悪魔やゴーレム、おまけに同級生には吸血鬼やロボまでいたのだ。ここに宇宙人が混ざったとしてもそんなにショックにならないというのが彼女の弁である。
そんな事より驚いたのは、彼のいた世界には神様が“実在”し、この間やって来た悪魔なんかよりもっともっと格上の悪魔もいたとの事。
あのジジイは無限再生したり何十体ものクローンつれて来たり、時間の流れを操ったりしないヤツで良かったとは彼は言ったものだ。
しかし、それより何より呆気に取られたのは彼のいた世界で起こった事件。
昔話はおろかゲームの世界じゃないとお目に掛かれない神話級の大事件。
スケールが大きいと言うか、妄想としか思えないというか、ナニそのゲーム設定? な話だったのだから当然だろう。
いやさ僅かでも耳を貸していた彼女に天晴れと言ってやりたいほどに。
——本当ならもっと説明しなくちゃいけねぇんだけどな……
彼はそう言って掌の中に力を集めると小さな珠を作り出し、それを皆に見せ付けるように突き出した。
楓達はそれを目の前で行った事に慌てていたが、円は意味が解らない。
いや、それを問う暇がなかったと言う方が正しいだろう。
小さな珠の中に文字が浮かぶと、周囲の景色が切り替わったからである。
浮かんでいたのは『観』の文字。
後で教えてもらった事であるが、『覗』では自分が文字に持ってるイメージの所為でうまく伝えられず、かといって『伝』では皆の脳が伝わってくる情報量で持たない。『見』も同様だ。
だから“景色を眺める”という強いイメージを持っている観光の『観』の字にしたとの事。
それでも彼女らには——十分以上のショックだった。
「老師が力に目覚め、使いこなせるようになたのは……
私たちよりちょと上、十七の時だたアル」
「へぇ〜 そうなん?」
「……十七で目覚めたというのに、今はアレか? 成長が早いにも程があるだろう?」
授業中であるし、家庭科くらいでしかめったに使われない調理室。
木乃香が古を引き摺っていったのはそこであった。
慌てて刹那も追って来てはいたが、この時間にこの教室が開いていることをしっかりチェック入れていた木乃香には呆れる他ない。
兎も角、気を落ち着かせる為に機材を(勝手に)使ってお茶を淹れて古に飲ませ、自分も刹那と共にゆっくりと飲む。
ありゃ? 新鮮な葉っぱちゃうなぁ等とまるで場違いな事を考えはするが、けっして古を問い詰めたりはしない。あくまでも彼女が自分から話し出す事を待っている。
どちらかと言うと刹那の方が焦れてたりしていて中々興味深かい。
それでも木乃香は、十分もしない内にポツリと言葉を零してくれたのにはちょっとホッとしていたりする。
しかし予想通りとは言え、やっぱり楓と古の彼氏(断定)である横島忠夫という青年の件。
惚気だったどうしようと心配した刹那だったが、話し始めた時の古の深刻度に変化はない。だから黙って続きを聞く事にした。
「直に前線という訳ではないアルよ。
最初から最後まで退魔の最前線アル。
ただ当初の老師の肩書きは荷物持ち兼壁だたアルが」
「ふわぁ……丈夫なヒトや思たら、そやったんかぁ……」
「い、いえ、お嬢様。そういう次元の話では……」
無意識か意図的かは知らないが、相変わらずピントがズレた事を言われてやや力が抜けるが、お陰で肩の力が抜けた事に感謝し、古は言葉を続ける。
「そんな仕事の中で力に目覚めたアル。
全身に纏てる氣(霊気)を一点集中して盾を生み出す力」
現在知られているあらゆる攻撃。氣でもって全てを断つ神鳴流の剣すら止め、或いは弾いてしまう本人は無自覚の最強の盾、サイキックソーサー。
「そのお陰で老師はもと前に出さされるようになたアル。
何せ盾だから当然アルね」
難儀な人だ……と思わず同情してしまう刹那。
そんな彼女の前で古は溜息を吐く。
「だけど、その所為で老師の力の方向が決まてしまたアルよ……」
収束特化。それが彼が向かわされた力の道だった。
「兎も角、
力に目覚めた横島殿は元々才能があったのでござろう、恐ろしい成長を遂げるでござる。
アスナ殿も御存知でござろう? あの大鬼神を止めた力を」
「う、うん。まぁ……
確かに良く考えてみたら凄いんだよね。
言われないと全然気付かなかったけど……」
無理も無かろう。
スクナの力を吸い、その力を基にして更に練り上げ、それによって伝説の大鬼神をSMチックに拘束し、その直後にエヴァに殴り飛ばされた挙句に氷付けにされたのだからアホタレという記憶の方が強いだろう。
しかし、言われてみればネギの魔法を全く受け付けなかった鬼神の戦闘力を奪っているのだから普通ではないし、自分らが散々苦労したあの銀髪の子供をおちょくりまわってボコボコにしていたのだ。
正体不明にも程がある。
「それでもその力でも……
その力を持ってしてもどうしようもない敵が現れたでござる……」
「敵?」
「そう、“敵”でござる。
それでいて………………横島殿の想い人の、生みの親……」
「へ?」
何せ解る範囲でも、知り合いのダ女神より力が
人間界で動いている事を知られぬよう、力を押し隠していてそれだ。
逆立ちしても人間がどうこうできる相手ではない。
そんな超存在だったのだ。“アレ”は。
戦いの中で本気の本気で想い合い、助け合う二人。
流石の楓も嫉妬を浮かべられないほど。
横島は横島で彼女を救うべく珍しく大奮起し、何の前触れも無しに急激に霊格を上げて、相方の必要はあるものの奥の手を使った超反則技を行えるまでに至っていた。
だがそれでも届かない。
当たり前である。
仮に二人の霊力平均値が100マイトとし、理論限界値の9999倍に出来たとして、神魔から借りた道具を使って更に一桁上げても999万9千マイト。
その相手は人間界で活動している事を悟られぬように力を隠した状態でも、某ダ女神の霊力より最低7桁上なのだ。ダ女神が1マイトという小動物以下の出力でなければ全然届いていないのである。
出力だけでも負けているのに、戦闘時間が全然足りてないので結局は重傷が限界だった。
しかしそれでも結局は勝てた——
件の手段でも無理だった筈なのに、
これは世界の修正という手助けがあったお陰だと彼は言う。どう意味であるかまでは不明であるが。
魔神は本来の望みである死を与えられ、被害は
しかし——その最小の被害が……余りにも大きかった。
「……で、では、その……横島さんの彼女が……」
刹那の問いに古は無言で頷いた。
確かに戦場ではよくある事であるし、彼だけが不幸な訳じゃない。
どれだけ強かろうと死ぬ時には死ぬ。かの有名な『紅き翼』ですら犠牲者がいるのだ。彼女の言うような大きな戦いに出ていたとすれば犠牲者が一人だと言う方が信じ難い話である。
しかし、当事者からいえば大き過ぎる被害であろう事は刹那も良く解る。
先のスクナとの戦い。
結局被害者はゼロで終わったのだがあれこそ奇跡であり、誰かを失っていても不思議ではない戦いであった。
それは本山の知人だったかもしれないし、巻き込まれた級友かもしれない。大恩ある長だったかもしれないし、考えたくもないがネギや明日菜、そして木乃香だったかもしれないのだ。
誰一人欠けるのも考えたくない人間達であるが、それでも済んでみれば少ない犠牲で良かったとか言われるのだろう。
甘くなったと言われればそれまでであるが、木乃香という掛け替えのない親友や、自分を簡単に受け入れてくれる明日菜やネギといった人間もいる事を思い知らされている今の刹那は、身に沁みていると言って良いほど理解できてしまっているのだから。
だが——
「……それだけならまだいいアル」
「ふぇ……?」
感受性の強さ故か、ここまでの話で既に木乃香の堰は決壊して涙がだくだく流れだしており、刹那があわてて自分のハンカチで持って拭いてあげていたのであるが……苦しげな古の声に二人して彼女を見た。
古は握り締めた拳を震わせて歯を食い縛っている。
悔んでいるのか自分を責めているのか、拳は強く握り締められて真っ白だ。
爪で傷つけられたか、握り過ぎか、滴る血の赤が鮮烈である。
「古!!」
「……大丈夫アル。私、まだ冷静アルよ……」
そうは言うが、ようやく力を抜いて広げられた掌は己の爪が突き刺さっていたのか痛々しい。
木乃香は慌てて自分のハンカチを巻いて血を止めるが、自身の涙で濡れていた分出血があって忽ち白い布地は朱に染まった。
そんな彼女の応急処置に礼すら言えず、布地を赤くしてゆく己の掌を見つめながら古は言葉を続ける。
「老師は“ココ”に来る際、ある事故に遭て今までの記憶とかがスゴイ鮮明になてるアル」
「記憶が、鮮明に? それが……」
「大し……エヴァにゃんが言うには、
下手に記憶を覗いたら自分を取り戻せなくなるくらい克明と言てたアル」
「「??」」
無論、二人は古が何を言いたいのか良く解らない。
しかし話の流れからそれが古達の元気の無さに関わっている事だけは何とか理解が出来る。
だが学園長が匙を投げてエヴァに任せ、その任された彼女ですら覗き見るだけで自分を失ってしまうほど鮮明で克明な記憶持ち。
それが一体どう今までの話に関わっ——……
「ま、まさか…………」
それに思い至った時、刹那は驚くよりも前に身体が凍り付いた。
いや、それ以外考えられないというのに考えたくもない話であり、自分ならば絶対に正気でいられないと自信を持って言える。
だからこそ、刹那の顔色は蝋のように白くなっていた。
そんな幼馴染の驚愕に首をかしげた木乃香だったが、流石に彼女も聡い。直後、その事に思い至りハッとして古に顔を戻す。
パズルのピースは、横島が過去に想い人を失った事と、克明で鮮明な記憶。
考えてみれば簡単な事で、ちょっと考えれば解る話。
だが、そうであるが故に余りにも酷い。
「そうアル……老師は………」
楓は思う。
いや、誰だってそう思うだろう。
彼の経験を知る者ではなくとも、人の心を、良心を持つ者ならば何で彼がこんな目に遭わねばならないのかと。
そして一番長く彼に接し、彼が異世界の人間である事、その人となりや現状を知っている自分がそれに思い至らなかったか。
何故勢いのままに彼を問い質したか悔まれてならない。
もし時を廻る事が出来るのなら、あの時の短慮な自分を殴り殺してしまいたくなるほどに。
「えと、ね、ねぇ、楓さん……その、えと……」
確かに成績は低いし、お馬鹿代表として知られている明日菜であるが、状況を理解する能力は一般人のそれを越える。
だからこそ明日菜も思い至れている。
いや、思い至ってしまった。
コクリと小さく頷く楓。
落ち込んでいるのか、後悔しているのか、その反応は何時ものそれと違い年齢相応——いや、普段よりも年下のよう。
明日菜より頭一つは大きく感じるその大人びた身体も逆に彼女より小さく見えてしまうほどに。
だからこそ明日菜も息を呑み、腰が抜けるようにへたり込んでしまう。
そんな明日菜の様子を知ってかしらずか、楓は力なく空を見上げ、それを体験し続けながらも己という個を持ち続け、尚も自分達に笑いかけてくれる彼を思い静かに泣いた。
横島は、
“今の”横島はその鮮明且つ克明という記憶能力故——
事ある毎に想い人を失った
自分の無力さを思い知らされたあの時を体感させられ続けているのである。
円は一人、はぁ……と深く溜息を吐いた。
どうせここには人は来ない。だからどんな情けない姿も曝せるし、誰も茶々を入れまい。
だからと言って何の解決にもならないのであるが……
「何だかなぁ……」
頭を抱えるように手摺に凭れ、ずるずると膝を落とす。
泣き喚きたいような、それでいて喝を入れてほしいような不思議な気分。かといって人と会いたくないのであるが。
眼下に広がるのは大密林。
人の声どころかそもそも人の気配すらないのは霊能力者となってしまった今では大助かりだ。
ここはエヴァの城の中。
当の所有者に好きに使ってよいとお許しをいただいているので出入り自由。茶々丸の姉達も使いたい放題だ。無論、そんなつもりは更々無いが。
精々、誰も来ないでとお願いした程度。
日射は強いくせに本当の太陽では無い所為か、或いは空間設定が数百年前のお陰か陽光も差すような物ではないし、そこそこ風もあるので落ち込んでいる彼女にとっては気分的にも丁度良い。
授業をサボるのはネギ先生の手前やはり心苦しいが、二,三日溜息を吐き続けていても外では二,三時間なのだから勘弁してほしいところだ。尤も、今はそんな事すら頭にないが。
自分の為に無茶をし、その所為で周囲に心配をかけさせていた彼。
以前より研ぎ澄まされている彼女の勘が、そんな彼の想いの奥に気付き、同様に腹を立てていた零と共にウッカリ問い詰めてしまった。
そんな勘がもう一度働いたのは彼が口を開く直前。
あの場にいた事に気付いた楓と古がやって来て自分らと同じように責め寄り、諦めたように語り出したその一瞬手前だった。
そう、彼が自分の秘密を語り始めた時にきちんと勘が訴えたのだ。『聞くな。話を止めさせろ』と……
自分達が聞いて良い話ではないし、何より彼にこれ以上思い出させるのは余りに酷過ぎる。
あの例の珠を使って“観せた”訳だ。言葉に紡ぐという事は、はっきりと思い出すという事。
そんな事をさせたのである。自分は。
「あうぅ………」
苦しい。
そして苛立つ。腹が立つ。
憎い、とまではいかずとも怒りは尽きない。
そのくせその感情を向ける方向に戸惑っている自分がいる。そこがまた余計に腹が立つという悪循環。
コツン……と手摺に額を打ち、ぐぢゃぐぢゃになっている頭をどうにかしようとするも残念ながら秋以上夏未満という微妙な気温の所為か手摺は冷たくも熱くも無く、いくら押し付けても頭は冷えてくれない。
この過ごし易さすら今の円には腹立たしい。
しかし——
「……私、何に怒ってるんだろ……」
という感情の壁に突き当たっている事に気が付いた。
いや、迂闊だった事に対する怒りは既に理解し尽くしている。
人の過去に勝手に踏み入って訳も知らず文句を言った馬鹿さ加減には死にたくなるくらい。
円は知らぬ事であるが、楓と同様に時を廻る事が出来るのならあの時の自分を殴り飛ばしてやりたいと思うほど。
が、そんな後悔やら追憶やらとは別の、燻り続けている怒りの存在にも気が付いている。
ただその怒りが何を指しているのかが見当も付かないだけで……
「う゛う゛〜……」
円には大切な友達が多いが、中でも放っておけない少女に亜子という娘がいる。
彼女はつまらない事、くだらない事でぐじぐじと悩んだり落ち込んだりし続け、ずっと尾を引っ張り続けてしまう癖がある。
例えば彼女の背には大きな傷痕があり、その傷の事をずっと気にし続けていて、相手が知る筈も無いの失恋の原因ではと思い込んだりして酷いコンプレックスにもなっている。
そんな亜子を円も良く励ましたり叱咤したりしたものであるが……
『これじゃぁ、亜子の事言えないなぁ……』
等といきなりそんな自分の自信が萎んでいた。
更に言えば、先に述べた亜子の場合なら悩み事の対象が大体ハッキリしているし、コンプレックスは背中の傷痕と上がり症と実に解りやすい。
円の場合、何がどう憤っているのかさっぱり解らないのである。
だからこそ、ここまで苦しんでいるのだが。
「おう。いたのかお前」
「うぇ……? あ、ああ零ちゃんか……」
唐突にそんな彼女の背中に声が掛けられ慌てて振り向くと、そこには見知った少女の姿。
何時どうやって近寄ってきたのか考えるだけ無駄な相手。
今学期からいきなり級友になった少女であり、納得し難いが“同僚且つ上司”だという存在の少女、零がいた。
「……何時、ここに?」
「別に探して訳じゃねーよ」
肩を竦ませつつ円の隣にやって来る零。
授業に戻ろうとしたのだがやっばりその気になれず、結局はここに来て休んでいた事を述べた。
つまりは先に来ていたのは零であり、円は単にその後から来ただけの話。
尤も、タッチの差でも一時間ほどの差ができてしまう為、どれくらいここにいたかは不明であるが。
そんな零も、円ほどではないがやっぱり腹に何か溜めているのか目に何時もの輝きがない。
無気力手前の表情で懐から細葉巻の箱を取り出し、一本引き抜いて先を切り飛ばしてバーナーで火を点け、その煙を味わう。
一番、美味くない吸い方である。
「ん……」
「……ンだよ」
そんな零についと手を伸ばし、何かを求める。
何だか気だるそうにその手を見ていた零であったが、直に思い当たったか咥えていた細葉巻を乗せてやると円は礼も言わずにそれを咥えて煙を吸い込んだ。
「ぐぇっ!? がふっ、げへっげへっごふっっ!!」
「バーカ。トーシローが肺に入れるな。
口ン中に溜めて転がして煙の味を楽しむんだよ」
涙を流してまで苦しむ円を心配しようともせず、手から落とした葉巻を床に落とす前にキャッチしてそうのたまう。
蹲って咳き続けていた円であったが、どうにか息を整えられたのかまた零から葉巻を引ったくって口に咥えた。
今度は慎重に、ゆっくりと吸って舌で転がし、味わい、そして吐く。
未だ涙目なのはマイナスであるが、中々どうして様になっていた。年齢的な問題は山済みであるが。
「……思ってたより味が良い……
香ばしいって言うか甘いって言うか……」
「まーな。
フツーの煙草と違って、葉巻ってのは味が深いんだぜ?」
何度か吸い、味わって吐いている円を眺めてから、零はまた一本箱から引き抜いて先を切り飛ばして吸う。
女子中学生が二人して葉巻を吸うというすごい構図であるが、二人のアンニュイな表情をしているということもあってか不思議と背景とマッチしており、完成された作品のような空間がそこに出来上がっていた。
「おい……」
「何……?」
しばらく燻らせている煙を見つめていた二人であったが、不意に零が口を開いた。
「お前も気が付いてんだろ?」
「横島さんの、こと……?」
「ああ……」
二人同時に煙を溜め、ゆっくり吐く。
「………零ちゃんも……気付いてんでしょ?」
「ん……まーな。
あのバカ二人は知らんが……」
円は振り返ってしゃがみ、零は逆に手すりに凭れて景色に顔を向ける。ただし、別に風景を見てはいない。
「横島さん……
「ああ」
「あの人、完全に解ってるよね」
「ああ……」
例え何度あの女の人を無くした時を繰り返そうと、おそらく同じ選択をし、同じ苦しみを味わい、死ぬほど後悔して死ぬほど泣く。
それが解ってる。完全に自覚している。
だからこそ吹っ切れている。
というより、吹っ切れていないのならとっくに発狂している。一日だって耐えられる筈がない
「あの人が
「多分な」
それは複雑且つ簡単明瞭で単純な理由。
魂に刻み込まれているあの女性のデータ。
前の世界でそのデータがあるのならば、自分の子供として生れてくる可能性があるからと立ち直りの切欠をくれたあれ。
記憶と記録が人智を超えて鮮明で克明という事は、その魂に残されているデータも超強化されているという事であり、生れてくる可能性がほぼ確実なまでのレベルに跳ね上がっているという事。
如何に狂い掛けようと壊れかけようと、胸の奥魂の奥にある“彼女”も以前とは比べ物にならないほど強くなっている。
だから彼は力強く強固に頑強に現実を受け止められ、何度体感させられようとも自我を保ち切る事が出来るのだろう。
何とも強い絆の話だ。
それを理解できているのは、円が感受性の霊能力に目覚めているから。
零の方は単純に経験の差。出自が無機物な人形であった事と数百年も生死の狭間で主と共に戦い続けていたお陰だ。
そこが楓と古の二人と違うところであり、彼女らの悩みと決定的にベクトルが違う点。
未だ楓らは無神経にも言い辛い事を言わせた己等の愚かさを悔み続けているし。
で、こっちの二人であるが……楓らとは逆に比較的早く後悔の海から這い上がっており、彼に対してただ普通に接するだけで良いという“正解”にあっさり辿り着いていた。
残る問題は……
「だけど……」
「ああ……」
「「何か腹が立つんだよ(な)ね……」」
——という事であろうか。
最初は多少気にしてはいたが、横島の過去を“観”せられた事に後悔はないし、これからどう接すれば良いかも解ったので不幸中の幸いと言うか重畳というか大助かりだと思っている。
あの二人はかなり初めの方から身近にいた事もあって、彼が秘めた想いに気付けなかった事を悔んでいる訳であるが、円と零の○○コンビは感受性の高さと経験の積み重ねによって彼の心の傷は思っていたよりも深いが、思ったより痛んでいない事も理解できていたのだ。
流石にその傷に直結する事柄が起こればトラウマと持ち前の優しさによって敵を“排除”する方に傾くだろうが、それ以外は落ち着いたもの。
普段の彼と、守る為の殺意とか完全に分離しているのだから、零からすれば呆れしか浮かばない話であるが。
あの観せられた過去。
戦いの終盤で彼は最大最悪の選択を迫られていた。
超大な敵の計画を破壊する為には、自分の大切な想い人を死なせなければならない。
彼女を取るか、宇宙を取るかという最凶で最狂の選択肢だ。
彼女を取ればそれ以外が消え、宇宙を取ればその彼女を救う為に強くなった意味もない。
彼女か宇宙か。
常人なら発狂しかねない選択肢を突きつけられている過去の彼を眺めつつ、今の彼はこう言った。
「オレは、アイツをとったよ」
と——
『後悔するなら、おまえを倒してからだ、アシュタロス!!』
『や、やめろー!!』
そんな彼のつぶやいた言葉と真逆の結果が起こり、少女らは驚愕する。
あのような超敵を倒す手段はない。
存在の力からして大陸と蟻が戦うようなもの。そのチャンスを逃せば蟻のような人類に抗う術はなかったのだ。
よって、何万年も進めてきた計画の根源を完全破壊し、“絶望”させる事によって心をへし折ったのである。
『あいつは……俺のことが好きなんだって……命を賭けても惜しくないって……
なのに、俺はあいつに何もしてやれなかった!! 結局はあいつを見殺しにしたんだ!!
う わ あ ぁ ぁ ぁ ぁ ー ッ……!!』
だが、その慟哭の重さと激しさは筆舌に尽くし難い。
彼の言う『彼女を取った』。
その言葉の意は余りに重い。
——あの時、アイツの事しか頭になかった。
その場にいた同僚や、ダチや親の事も頭になかった。
そして決められなかった。つまり、宇宙とアイツの重さが同じだった訳だ。
で、結局背中を押してくれたのはアイツ。
な? アイツの事しか頭にないじゃん。
だから世界
僅か“一体”の犠牲。
なれど代え難く掛け替えのない“一人の女性”という大き過ぎる犠牲。
それを思い出させるという愚行を楓らは悔んでいるのだが、円は彼がそんな過去を引き摺りつつも吹っ切れている事に逸早く気付き、一歩後ろから眺められていた。
大体、あの結末においての彼の想いなんぞ余人には計り知れない。当事者である横島以外が理解できる訳がないのだ。
何よりそんな彼の気持ちを理解しようするのも失礼であろう。
それが解ったからこそ、円も零も悔んだりする事はしていないのであるが……
「解んないね……」
「ああ……」
切ない。
そして何故か腹立たしい。
ぶつける方向が思いつかない分、腹と胸に溜まり続けるのだから堪ったものではない。
はぁ……と再度二人して溜息。
二人して眉間に皺がよっており、やるせなさがアップしている。
同時に葉巻を口から離し、その先を押し付け合って火を消し、やはり同時に外に投げ捨てた。何とも仲が良い事だ。
そしてまた、縁に身体を預けて一緒にタレていた。
「何か……会いにくいね……」
「あぁ……」
無論、相手は横島の事。
こんな憤りを持ったままなら、間違いなく八つ当たりをしてしまうだろう。
訳の解らない八つ当たりほど厄介なものはない。
ほぼ確実に相手を傷付ける上、自分らも後でボディブローが効いて来るのだから。
だから今は会わない方が良い。
少しでも落ち着かねばややこしい事になる事間違いなしなのだから。
「でも……」
「……」
「……何か、会いたいよね……」
「……ああ……」
円の言葉は、口にした本人と共に零の腹にずんと重く沈みこんでいった。
ここに居続けるのなら、彼らがやって来るまで三,四日は時間が稼げるだろう。
その間に何とか気を落ち着かせれば何とか……
——なるといいなぁ……
最初から諦めムード。
円は兎も角、零にしてはかなり珍しい事だ。
見事な悪循環。
誰の目にも回復の兆しはない。
楓は明日菜に、古は木乃香らに慰められ、エヴァもまた其々の悩みのベクトルを掌握できていない。
かと言って、訳も知らない人間にわざわざ教える事はできない。
現に零は高畑に教えていないし。
同じベクトルの悩みを持つ者同士でいるのだから、思考のドツボも同じなのである。
「ああ、ここにいたレスか」
「へ?」
「何?」
ただ虚しく時が過ぎてゆくのかと思ったその時、妙に可愛らしい舌っ足らずな声が耳に入ってきた。
「もぅっ お姉ちゃん、足が速いレスよ〜」
「え? 私?」
その場にやってきたのは、皆の妹分。件の男の
今は子供の外見となっているから相応の体力しかないのか、幼児走りで とてとて寄って来たナナは、ちょっとだけ怒った顔で円に文句を言う。
何でも校内で声を掛けたのに気付いてもらえず、それでも諦めずに後ろから追いかけていたのだけど無視するかのようにズンズン歩いて行き、そのままエヴァの家の地下に降りていってしまったとの事。
「あー……ゴメン」
どうして校内に? という疑問が湧かないでもないが、それでも悪かった事に変わりはない。
円は素直に謝ったのだが……
「うー」
まだちょっと怒っているのか、円と零の間にちょんっと割り込んで、軽くいじけてみせるナナ。
皆の妹分というお得なポジションもあってか、仕種の一つ一つが妙に似合っている。というか、別荘内時間をいれればけっこう一緒にいるのでこの二人からしても妹という見方しかできない。
零ですら苦笑するのだから大したものだ。
と、
「ねぇねぇ、お姉ちゃん」
そんなナナが二人に顔を向け、
「何?」
「何だ?」
無垢故に澄んできれいな眼差しを二人に向け、唐突にこんな事をぶちかましたりしたら、二人でなくとも絶句するかもしれない。
「お兄ちゃんのこと、好きレスか?」
「「え゛?」」