-Ruin-   作:Croissant

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中編

 

 

 「吸血鬼?」

 

 「……でござるよ」

 

 

 とてとてと連れだって歩く二人。

 

 片方が女子中等部の制服、もう片方がやや汚れた青いツナギである事を除けば、デートの様に見えなくも無い。

 年下である筈の中等部の少女の方が大人っぽいのが笑いを誘うが。

 

 少女は片手に白い紙袋を抱き、そこから串団子を取り出しては口に運んでいる。よほど好きなのだろうか? 量としてはかなり多く、運動部の男子生徒の様。因みに奢ったのは横を歩いている男だ。

 

 彼の方は時たま分けてくれる二三本を口にするだけ。それでも気にする風も無くそんな少女の様子を見、僅かに苦笑する。

 

 けっこうな量があったのであるが、それをキレイに消費してゆく様は普段の少女の大人っぽさとのギャップが大きい。

 

 それを目の当たりにし、やっぱりまだ子供っぽいトコもあるんだなぁと笑みが漏れたのだろう。

 

 

 「む…? 何でござる?」

 

 「イヤ別に」

 

 

 少女から眼を背け、また少し微笑む。

 そんなヘンな所だけ大人っぽい仕種を見せる彼に少女の頬が僅かに染まった。

 

 

 桜の花が舞う小道を歩いている二人。

 

 風に舞う花弁の間に見える男の横顔は、普段のおちゃらけた空気を感じにくくて妙に大人の男の顔をしている。

 過去の一部を無くしており、尚且つ実年齢すら無くして十歳も若返ってしまったという信じ難い話を聞いてはいるのだが、何故だか少女はそんな戯言をあっさりと信じていた。

 

 

 確かに普段の彼は異様に子供っぽく、やたら目敏く美女を発見しては熱過ぎる視線を送ったりしているのだが、時たま見せる所作や仕種には中高生の少年らには無い大人っぽさが窺えている。

 少女はそれに目を引かれているのだ。

 

 だから第三者的にはデートに見えているのだろう。時折、男に対して嫉妬の眼差しを送ってきているくらいなのだから。

 

 尤も、大人の目からすれば学校を中途退学した青年に気を使っているデキの良い後輩の少女というシチュにしか見えないのであるが……

 

 

 

 さて、そんな二人であるが、早くも今日から“裏”の仕事……の様な物を任されている。

 

 学園長からこの男を経由して少女が受け取った仕事は、今日の放課後に世界樹前に来て欲しいとの事。

 元々、放課後にはこれからの仕事の事で打ち合わせをしようとしていたのだから丁度良いと言える。

 

 その内容も、どこが仕事なのかと問われれば返答に困るのであるが、少女には凡その見当はついていた。

 

 

 『恐らく、拙者らの力を図るつもりなのでござろうなぁ……』

 

 

 自分にしても彼にしても、その持っている実力を学校側は知らないだろう。

 

 元担任教師の男性は、彼女の大体の力量を見量っているかもしれないが、この男の方は全くの皆無である。

 尚且つ元担任の性格からして、少女の力量を見て取っていたとしても一々“上”に報告すまい。良くも悪くも生徒の事を信用しているのだから。

 

 となると、学園側としては一緒に仕事をするに当たってその力量を知っておく必要があるだろう。

 

 呼び出された場所の広さからしてそれが一番可能性が高かろう…そう少女は踏んでいたのである。

 

 

 「ところで…いいの? 学校サボってオレに付いて来て……」

 

 「横島殿がサボらせたような物でござるよ」

 

 「な、何故に?!」

 

 「はてさて」

 

 

 結局、少女は仕事を終えた青年と共に学校を後にしてしまったのだ。事実上のサボりである。

 

 用務員とは言っても、彼一人だけがそうという訳ではない。

 この広い学園の事、たかが一人や二人の用務員で賄える筈もないのだ。

 だから青年は十人からなる用務員の一人で、実は唯一の男。後はおばちゃんズで構成されてたりする。

 この職場環境が彼にここを任せた理由の一つでもある(彼は後でものごっつ学園長を恨んだという)。

 

 それは兎も角、本日の仕事の割り振りからして青年の仕事は午前中で終わってしまった。今回の件に関してはちゃんと『学園長に頼まれた仕事』という理由があるのだが、少女の方はばっちりサボリなのでバリバリに校則違反である。

 

 表向きの理由として『身に覚えの無い男女交際の噂が授業中でも飛び交っている上、当の本人といるところを発見されてしまい本日は学び舎で勉学は不可能な状況となってしまったので撤退…もとい、早退する』との事らしい。学年の最下位ラインを競り合っているバカブルーが何を言うか…という話もあるが。

 

 命を預けるパートナーとなる可能性が高い相手に、土地勘を叩き込む方が重要なのでござるよ…というのが楓の弁であるが何だか理由としては薄い。

 まぁ、成績は悪いが出席率は良かった楓が何で簡単にサボりをしてしまったのかは彼女自身も良く解からないのであるが。

 

 

 「それは良しとするでござる。

  で、話は戻すでござるが、ここ桜通りには最近吸血鬼が出るとの噂が出ているでござる。

  にも拘らず、学園側は拙者らに……」

 

 「この件は担当者がいるから近寄らないように……か」

 

 

 何だか少女に誤魔化されたよーな気がしないでもないが、その口から出た疑問は当然の事。

 

 それはこの男が学園長から直接言われた“お願い事”である。

 少女とこの男だけでは無く、それなりの実力者であろう魔法教師や魔法生徒らも近寄らせないよう言い含めているらしい。

 

 

 「やっぱ変な話だよなぁ……」

 「でござるなぁ……」

 

 

 妙に意見がハモる二人。こんな事でシンクロしてしまうのもその仲を疑われる一因となろうのに……

 

 それは兎も角、少女の方は“勘”から出た違和感であったが、男の方には明確な疑問があった。

 

 

 「なぁ、ここってそんなに頻繁に吸血鬼が出るの?」

 

 「え? いや、拙者は桜通りの噂しか聞き及んでおらぬし、それ以外の話は……」

 

 

 その少女の答えに男は首を傾げた。

 無自覚であるが、真面目モードの彼は妙に魅力が上がる。だから少女も見直すかのような視線でもって見つめていた。

 

 

 「う〜ん…」

 

 「どうかしたでござるか?」

 

 「いやね…『プロを雇った』とか言ったんじゃなくて、あの爺さんは『担当がいる』って言ったんだよなぁ」

 

 「それが何か?」

 

 

 少女の疑問に男は「うん」と頷き、

 

 

 「もし吸血鬼専門の人がいるんだったら、それなり以上に吸血鬼が出没しているって事になるだろ?

  でも噂が無いって事は今回の件に“だけ”吸血鬼が絡んでるって事になる。

  だったら微々たる戦力でも集めておくのが普通だろ?

  なのに…」

 

 「その担当者“だけ”が事に当たる…」

 

 「うん」

 

 

 そう聞くと確かに疑問が湧いてくる。

 初めて裏にかかわった事から得られる真実も多いのだが、寮内で噂の桜通りの吸血鬼は“実在する”というのには流石に驚いたが。

 

 それでも青年の方はさして驚いていない。実際に闘った事があるという話を聞いた時には閉口したが。

 

 

 「可能性としては他の吸血事件を揉み消しているとか、

  件の人物が相当の実力者だから足手まといとなっては困るから人払いを頼んでいる…でござるが」

 

 「そう。だけど……」

 

 「で、ござるなぁ…」

 

 

 でもそれは納得できるよう組み立てた話というだけである。

 男からそんな話を聞き、少女も何だか納得できなくなっていた。

 

 いや——

 少女の方には微かにとある仮説が浮かんでいたりする。

 

 浮かんではいるのだが、直様『まさか』と否定しているのだ。

 

 『流石にネギ坊主一人に任せる…なんて事はありえないでござろうなぁ……』と、実に常識的な事で。

 

 

 う〜ん…と二人仲良く首を傾げて歩く。

 

 そんな二人だから交際疑惑も強まり、勘違いも進んでゆくのだが。

 

 

 「ま、よく解かんねーけど、当面は近寄らない方がいっか。

  あの爺さんのコトだから何か企んでるだろーし」

 

 

 だが、やはり彼はこーゆーイヤな企みを、“向こう”で『イヤっ!!』て程押し付けられていた男。

 即行で思考をキャンセルし、見てみぬフリを決め込む事にした。

 

 

 「……左様でござるな。君子危うきに近寄らずでござる」

 

 「そーそー」

 

 

 そんなチキン気味な意見に即行で賛同する少女。

 臆病風に吹かれた…というのではなく、話に出てきた爺さん事、学園長に何かしらの企みがあるという部分で意見が合ったのだ。

 

 そんなに面識がある訳ではないが、契約時に改めて裏の代表として会話を交わした折、相当に喰えない人物である事を感じ取っていたのである。

 

 

 「ま、魔法に関わっているよーな都市だから監視の眼はそれなりにある筈だし、

  楓ちゃんの友達の皆も寮なりそれなり以上のトコに住んでるんだろ?

  だったら少なくとも未来の美女達は無事だってコトだしな」

 

 「ま、そーでござるが…」

 

 

 <桜通り>というところはここで生活をしている者達がそう称しているだけの桜小道だそうだが、学校からその寮への帰り道がそれにあたる。

 

 わざわざ寮に侵入するとは思えないし、学園長の話に寄ればその寮には孫娘もいるという。

 今までの認識なら兎も角、“裏”を知った今の楓もそんな寮に吸血鬼が易々と侵入できるとは思えなかった。

 

 寮以外で生活をする者もいるが、そういった人間の家族は大体がここの教員だったりする。ここの教員ならば魔法教師である可能性が大きいので、闇に潜むのを常としている吸血鬼がそういった娘を狙って事を大きくするとは考え難い。アホタレな吸血鬼が居ないという訳では無いが…

 

 まぁ、痺れを切らしたり飢えに耐え切れずに暴走しないとも限らないから、そこらだけは気をつけていれば良いだろう。

 横島は軽くそう言って吸血鬼に対する興味を終了させる事にした。

 

 それは彼女もそう思った事であるが、寮の近くでそんな事件が起こっていたとは思いも寄らなかった。

 自分の知覚能力にそれなりの自信は持ってはいたのであるが、それに全くと言って良い程引っかかっていない。

 という事は、相手は魔法とやらを利用した隠行の術を行使していたか、或いは途轍もない実力者という事。

 相手に対する興味がわいた事もあり、ちょいと会ってみたいという想いも無きにしも非ずであるが、興味本位で動いて万が一寮の友人達…例えば同室の妹分らに被害が及んでは本末転倒である。

 

 そんな事もあって青年の言葉に賛同しているのだ。

 

 まぁ、何だかんだ言って彼が適切な判断を持っていた事に感心もしていたからであるが。

 でなければ友人らの安全を守る為に見回りくらいやっていた事であろう。

 

 

 「楓ちゃんもそのでっかい寮で暮らしてんだろ? 何か異変があったら気付いてる筈だしな」

 

 「それを言われると耳が痛いでござるが……ま、そうでござるな。

  でも一応はこの一件の片がつくまではもっと気を配るでござるよ。

  幸いにも寮には中々の剣士と中々の拳士と中々の狙撃手もいるでござるし」

 

 「………ナニソレ?」

 

 

 思ってた以上に彼女はとんでもないトコに住んでいたよーである。

 

 兎も角、そっちは気にしない事にして、サボりかました少女と共に指定された時間までブラつくという事を再開させた二人は、歩きながらどこに行こうかと話し合っていたのであるが、

 その笑い合う会話からして、やっぱり傍目にもデートにしか見えなかったりするのだが、やはり二人は気付いていなかった。

 

 そしてその構図が某パパラッチ少女を奮起させちゃったりする事も……

 

 

 

 

 

 

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                ■二時間目:キセキの価値は?(中)

 

 

 

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 <超包子>

 

 麻帆良に住む者でこの店の名を知らない者は居ない。

 

 路面電車を改造したイギリス風+中華の小奇麗でオシャレな料理研究会の店で、学園祭の期間中出店する事で知られている。

 尤もクラブ活動の店であり、主な活動費(材料費等)を自力で稼ぐ事もあって偶に平日でも開かれていた。

 

 何しろこの都市内で一番の有名店であり、支店を出して欲しいとせがまれもしている部活動店。その実入りは下手な店より多い。

 

 無論、加入したいと申し出る料理人も多かろうが、まだ中学生だというのにこの店のオーナーである超 鈴音のお眼鏡に適う必要がある上、料理研究会であリ、ここのメインの料理人でもある四葉 五月に認められなければならない。

 もしそれが適えば学園外でも其々が其々の持ち味を出した一級のレストランとして名を馳せる事ができるであろうが、今だにこの麻帆良学園都市内にしか店がない。というより、学園外に出たものはこの店の事はぼんやりとしか思い出せないらしい。

 

 それでも、学園都市内だけ−という閉鎖空間内で午前中に店を任せられるスタッフを見つけられただけでも奇跡と言えよう。

 

 

 そのお陰かどうかは不明であるが、店の周囲は治外法権的に平和である。

 

 他の場所ならいざ知らず、ならず者一歩手前の気の短い大学の格闘団体の連中もここで騒ぎを起こしたりしない。つーか、やって可愛い料理長を怒らせる気もさらさらないし。

 そんな事も知らない迷惑な行動をかます馬鹿共は常連客らの手によって叩き出されてしまう事すらあったりする。

 

 それほど親しまれ愛されている店なのだ。この店は。

 

 まぁ、オーナーもシェフも女子中学生というのがちょっち問題かもしれないが……

 

 

 

 「昨日も感心したけど…ホントに美味いなぁ……

  ちょっと中華に偏り気味だったけど美味いから気にならんかったし」

 

 

 青いツナギを着た青年、横島忠夫もご満悦のようだった。

 

 “向こう”での高校時代は赤貧に喘いでおり、職場で飯をたかり、学校では級友(注:イケメン)の弁当を奪っていた男だ。

 おかずなし、飯のみという生きている時代を間違えていたよーな貧乏学生だった彼にとって、安くて美味い飯が食えるのは神からの施しに等しい。

 

 成人してからの記憶は未だに曖昧すぎて思い出せないのであるが、染み付いた貧乏性は抜け切らないものなのだろう。

 

 

 「それは重畳でござる。

  なれど完全に中華に纏まっている訳では無くメニューも豊富でござる故、別の日に行けば別の料理が楽しめるでござるよ?」

 

 「お、それはいいなぁ」

 

 

 何とも仲睦まじく見えるものだ。

 

 楓は一人で食事をするのは味気ないと思っているし、横島の方はややストライクゾーンから外れたボール球の年齢とはいえ美少女と一緒なので料理の味も尚更だ。

 それに何故だかベクトルが違う者同士の筈なのに微妙に空気が合っている。これで食事が楽しいと思わねば嘘だろう。

 

 幸いにも彼は今朝は学園が用意してくれた朝食をおもっきり食っていたので、さして下品な仕種を曝け出す事もなく<超包子>で食事をし終え、店を後にする事が出来ていた。

 

 

 「しかし……良いのでござるか? 拙者の分もまた奢っていただいて」

 

 

 一緒に昼食を食べた後になって言う言葉ではないが、それでも一応この少女…楓も気にはしていた。

 

 確かに横島は前金を貰ってはいるのだが、それは当座の生活費である。

 尚且つ、確かに住居と仕事を与えてくれてはいるが“裏”の仕事が入らねば大した額にはならないのだ。

 

 さっきは団子を奢ってもらい、今度は昼食である。流石の楓もちょっとは気にするだろう。

 

 

 「ああ、気にするなって。女の子の分を支払うのは男の甲斐性だしな。

  それにここを案内してもらったお礼もあるしね。

  ……それでも広過ぎてサッパリだったけどな……」

 

 

 あれだけ歩き回って学園の端に辿り着けなかったのってどーよ…? と、横島の顔に縦線が入った。

 

 学園都市という名は伊達では無かったのだから。

 こんなクソド広い学園内のあちこちを丁寧に説明してもらったのだから、彼の大原則『女の子の恩には恩で返す』を発動させるのは至極当然の事である。

 

 

 彼が高校生だったあの時、学費だけは海外にいる親に出してもらってはいたのであるが、それ以外の生活費などは自力で稼がされていた。

 もとより貧乏でケチ気味であった彼だが、それは生きる為には仕方のなかった事と言えよう。

 単に彼が選んだ仕事場が余りに理不尽で労働基準法違反がフツーだっただけなのだ……その時点でダメダメであるが。

 

 それでも熱過ぎるリビドーの指令のまま、時給僅か255円でバイトを続けて生きていた彼のド根性は昨今の青年など足元にも及ばない。

 その苦学生さは、月一回の牛丼に卵を付けて食べるというのがご馳走だったという事からも見て取る事が出来る。

 彼はそんな涙なくして語れない苦労生活者だったのである。……まぁ、そのド苦労も僅かな給金の大半をAVとかに消費していた為であるが……言わぬが華だろう。

 

 その事からも解かるように、今の生活レベルは学生時分より遥かに水準が高い為、宵越しの銭は持たない主義の横島はストライクゾーンを微妙に外している年齢とはいっても相手は高レベルの美少女であったから反射的に奢ってしまったのである。

 

 何せ彼は煩悩を力の源とする怪奇生物といえる霊能力者だ。

 先行投資だと思えば毎日の食事を100円ショップのカップ麺で賄うハメに陥ったとしても痛くも痒くもないのである。流石は命とリビドーを天秤にかけられる“漢”だといえよう。

 

 懐が(彼からすれば)スゲく温かいので、あはは……と軽く笑える余裕すら見せている。

 

 そんな横島の顔を見、楓も安心して奢りを受け入れて彼と並んで通りを歩き出した。

 

 

 

 桜の花びらが何処からか舞い降り、楓の髪にかかる。

 年齢相応の童顔さを持ってはいるが、醸し出している雰囲気が妙に大人っぽい。

 甘い物を食べている時などは本当に中学生なんだなぁと改めて感心させられたりもするが、こうして並んで歩いていると高校時代の同級生よか大人っぽく感じたりもする。

 

 しかし向こうの生活を“懐かしい”と思ってしまうのはどういう事なのか?

 

 物理的に言えば“向こう”から来てしまって二日と経っていないのに、彼の心が感じている別離時間は十年どころではなかった。

 それに、記憶が抜けてしまっている部分が肉体時間すら蝕んでいる。その事はここに来て直に気付いてはいたが。

 何せ時間にして十年分、記憶どころか経験すら横島の身体から抜け落ちてしまっていたのだから。

 

 

 理由としては彼の最大の隠し技である“珠”。

 

 それを制御する記憶すらごっそりと失っている事が挙げられる。

 僅かに残った記憶が本当ならば、自分は最大十数個の“珠”を同時制御できていた…筈だ。

 

 だが、今の自分は最大三個。

 確かに漢字というキーワードを込めれば良いのだから、三つの組み合わせでも凄まじく多様だ。

 

 だが、3と15の差は凄まじく大きい。

 

 これでは高校卒業手前くらいの時の能力しか出せやしないでは無いか。

 

 彼とてこの二日ボ〜っとしていた訳ではない。

 件の“珠”まで使用して卒業してから成人までの記憶を引きずり出そうとまでしていたのである。

 だが、何度やってもどうやっても、本当に切り取られているかのように記憶が浮き出てこないのだ。存在していないものは返ってこないとでも言わんばかりに……

 

 流石の裏技師の横島でもこれではどうしようもない。

 

 だがしかし、それより何より問題なのは、元の世界を“向こう”だと認識してしまっている事。

 つまり、自分の居場所を何故だか“こっち”だと認識してしまっている事なのだ。

 

 これでは例え元の様な能力で“珠”を多重連結させて使用した所で“帰る”という強い想いが持てないし、無理に“向こう”の世界へ“行く”という気になれないので成功する率は酷く下がってしまう。

 

 

 −ひょっとして、“こっち”にオレという存在が固定されてしまっているのか?−

 

 

 そう悩まざるを得ないのが現状である。

 

 簡単な距離…とは言ってもキロメートル単位…ならば『転』『移』できるし、拠点設定をしていれば『帰』『還』も可能だろう。

 だが、全くの異世界である上、“向こう”に対する望郷の念が異様に薄い以上、『帰』『還』は叶うまい。

 

 

 「…一体、どーすりゃいいんだろうな…」

 

 

 決して暗さは持っていないのだが、そう溜息混じりに呟いてしまう横島。

 そんな彼の横顔を、楓は無言のまま見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 麻帆良という地にいれば否が応でも目に入るものがある。

 

 それが−世界樹−

 

 その世界樹の真ん前、

 正式な名前は知られていないが、都市の中央部にはその名でもって親しまれている世界樹前広場があった。

 

 遠目で見てもデカイ樹であるが、ここまで近寄ってみると理不尽にクソでかい樹である事を思い知らされてしまう。

 

 麻帆良学園の屋上からこの樹を眺めた時には、『ふぇ〜…“こっち”じゃあ、あんなにでっかい樹も生えてんだ…』等と感心した程度であったが、ここまで間近に寄れば、

 

 

 「なんじゃこりゃあ……」

 

 

 と呆れてしまうのも無理は無い。

 

 世界樹だと言われている事からも解かるように、その樹はそこらの大木なんぞ足元にも及ばない高さと大きさを持っているのだから。

 

 何せ大きさ高さ、太さは縄文杉すら追従も叶わず、その樹齢も測定不能である。

 この学園が創立する以前から生えているとの事であるが想像も出ない。

 それどころか何の樹であるのか植物の特定すら難しいのだ。

 

 その樹高、実に270m。ギネス間違いなしである。

 セコイアもびっくりの樹高を持つ広葉樹。

 ナメとんか?! と言いたい横島の気持ちも解かるというものだ。

 

 

 「……コレ、何?」

 

 

 呆れつつも眼が離せない横島は、後にいるであろう楓にそう問い掛けた。

 

 初めてこの樹を見るものは感心する事は多いがここまで呆れる者を見たのは楓も初めてである。

 

 尤も、その彼女も改めて疑問を投げかけられて初めてこの樹の異質さに気が付いていた。

 ここに住んでいるものは誰もこの樹の異様さを気にもしていないのだから。

 

 これも魔法の力なのでござろうか? と都市そのものにすっかり誑かされていた自分に苦笑しつつ、時には案内係も勤める散歩部の部活宜しく彼に説明をしてやった。

 

 

 「これがこの学園に住まう者なら誰もが知っている世界樹でござる。

  一見すると解からんでござろうが、話によれば薔薇科の落葉小高木と同じ形状の葉…

  要するに“桃”と同じ葉の形をしてるでござるよ。

  拙者も実が生っていたところを見た事はござらぬが、噂では二十二年に一度しか生らないとの事でござる」

 

 

 勉強はスカであるのに、こういったことには詳しい楓。

 未だに楓がバカレンジャーである事を知らない横島は、ガイドさん宜しく解説してくれる彼女の言葉に素直に感心するのみだ。

 

 

 「正式名称は『神木・蟠桃』というらしいよ?

  尤も、もしそうなら九千年に一度しか実が付かない筈だけどね」

 

 

 そんな二人の後から声がかけられた。

 え? と振り返るとそこには見知った顔。

 

 

 「えーと…高畑さん?」

 

 「タカミチでいいよ。横島君」

 

 

 ほんの昨日、横島の事情聴取を行っている穏やかな雰囲気の高畑・T・タカミチが何時の間にか後に立っていた。

 

 

 「蟠桃…でござるか? なにやら聞いた事があるような……」

 

 

 そんな彼の気配を既に気付いていたのか、楓は然程気にもせず彼の言った名前の方に気をやっている。

 相変わらず成績は悪いのに知識だけは豊富なんだなぁ…と元担任は口元を緩め、

 

 

 「ホラ、西遊記に出てくる孫悟空がいるだろう? 彼が天界で食い荒らしたっていう果実さ」

 

 「……ああ、確か中国の神話でござったな。

  九千年に一度その木に実る桃を食えば不老不死になるという……」

 

 「そうそう。それだよ」

 

 

 楓が樹の事を思い出して口にすると、高畑はこの知識が成績に出ればなぁ…等と苦笑していた。

 

 と——

 

 

 

 

 

 「そーか……あの猿ジジィ…この樹の実を食いやがったのか」

 

 

 

 

 

 

 

 等ととんでもないセリフがすぐ近くから聞こえてきたではないか。

 

 

 二人がギョッとしてその方向を向くと、相変わらず樹を見上げている横島の姿。

 

 そう言えば彼のいた世界には神々や悪魔がそこらで見えたという。となるとまさか…

 

 

 冷や汗を流しつつ二人が横島に問いかけようとした時、

 

 

 「おお、もう来ておったのか」

 

 

 という老人の声がそのヤな重さの空気を拭い去った。

 

 

 「あ、福禄じ……じゃなかった、学園長」

 

 「フォフォフォ…どーでもよいが、なんでそーそう気安く七福神と間違えるんじゃ?」

 

 「あ、いや、その…以前、宝船ジャックしかけた時にあのじーさん達と会ってるモンで…」

 

 「「「………」」」

 

 

 折角拭い去れた空気がまた重くなった。

 

 

 特に高畑と楓の冷や汗は余計に冷たくなり、さっき感じた疑問を無理矢理心の奥に鍵を掛けて閉じ込めたほど。

 

 何にせよ横島忠夫は只者では無い。

 その事を再確認させられた一幕であった。

 

 

 

 世界樹前広場という場所はけっこう開けている。

 まぁ、これだけドでかい樹が生えている広場も珍しいのだが、樹に比例して広場が開けてゆくのは当然の事であり、その広さを利用した様々な催しも執り行われるほど麻帆良では慣れ親しまれた場所である。

 

 尤も、

 

 

 「拙者ら以外に人影が無いというのは結構不気味なものでござるな」

 

 

 人っ子一人いない状況は流石に珍しいが。

 

 

 「あぁ、人払いの結界を張ってるからね。

  無意識にここに来たくないように認識させているんだ」

 

 「…なんでもアリだなぁ」

 

 

 横島の世界からすれば結界で人払いをかけるのは結構珍しい。

 “こちら”は魔法等の所謂“オカルト”が秘匿なので然程珍しい方法でもないのだが、彼のいた世界ではかなりオープンなのだから。

 無論、『無い』という訳ではないが彼自身は知らない。

 

 

 「で、ここで何の話をするんスか?」

 

 

 ぐるりを見渡して人目が無い事を確認しつつ、横島が近衛にそう問い掛けた。

 楓は気付いてはいなかったが、自分ら以外の気配は全くないのに視線を感じているからだ。

 

 

 「うむ…実はの、キミの実力の程を知りたいと思うてな…

  いや何、難しい事では無いぞえ? そこの長瀬楓君と組み手を「 大 却 下 !!!」」

 

 

 近衛の言葉は途中でイキナリ横島の声に瞬殺されていた。

 最後まで言わさぬ横島も大した者である。

 

 とは言っても単なる手合わせであり、これからの仕事には必要なもの。

 だがそれでも、楓からすれば『やはり…』といったところなのであるが、横島から言えば論外であった。

 

 

 「如何な理由があろうと美少女に手ぇあげられるかーっっ!!!」

 

 

 これが横島いう所の<正論>なのだから。

 

 その叫びに高畑は苦笑し、近衛もフォフォフォと笑っている。

 横島の人となりはある程度理解していた二人であるが、真顔でそう叫ぶ彼には前より好意を持ってしまう。

 隠し様も無い彼の本音であり、想像していたよりお人好しさに満ち溢れていたからである。

 

 だが、この答にむっとした人物もいた。

 確かに彼女の好感も高まってはいたのだが、

 

 

 

 「…それは聞き捨てならないでござるな…」

 

 

 

 それとこれとは話が別だったりする。

 

 

 「へ?」

 

 

 見慣れた穏やかな顔。穏やかな表情。

 だが、明らかに彼女が纏う空気が凝固している。

 

 

 「拙者、確かに拙い技しか使えぬとはいえ、それなりに修業してきたつもりでござる」

 

 「は、はぁ…そーみたいだけど…」

 

 

 すぅ…と細められた目元から針のような光が見えた気がした。

 

 

 (マ、マジに怒っていらっしゃる?)

 

 

 と訳が解かっていない横島はかなりビビッていたし、近衛は今更ながら押し隠していた楓の実力を垣間見た気がして感心していた。

 

 

 「その拙者に対してそういう態度を取られると…拙者は見下された気がするでござるよ……」

 

 『ま、そうだろうね』

 

 

 高畑もその気持ちは理解できる。

 確かに横島の気も解からないでもない。でもないのだが……

 

 自分の実力にそれなりの自信を持っている相手にああいった事を言うとそれはプライドをかなり傷つける事となる。そしてそういった相手はほぼ間違いなく不快になる。

 それは自分もよく思い知っている事だ。

 

 ふと、今もログハウスに住んでいる旧知の少女を思い出し、苦笑が浮かんだ。

 彼女もこういった場合には途轍もなく激怒するだろうから。

 

 睨みつけると言うよりは刺す様な視線。

 熱さより冷たさが強い怒気。

 

 確かに楓の言わんとする事は解かる。

 解かるのだが、

 

 

 「あんなぁ、楓ちゃん……」

 

 

 横島には横島なりのジャスティスがあった。

 

 

 「自分より百倍近く強い女の子にすら躾に手ぇ上げたとしても九割九部九厘+α殺しの特別折檻セールを喰らってたオレにそれを言う?」

 

 

 ……訂正……

 トラウマだったようだ。

 

 

 「「「は?」」」

 

 

 横島の口から切実な…

 本当に切実な声が噴き出ていた。

 

 気の所為か、その眼からも心の汗もはらはらと流れて出ているような……

 

 

 その理由を語る為にも、ここはあえて例え話をしよう。

 

 

 例えば——そう、仮に“蝶の化身の魔族の幼女”がいたとしよう。

 

 

 その娘の事は嫌いじゃないし、どちらかと言うと妹の様に可愛いと思っていたとしよう。

 が、あんまりじゃれ付いて邪魔をしたりするもんだから、ちょいと……本当にちょっとだけ。例えるなら『ダメじゃないか。メッ』という程度に手を上げてしまったとしよう。

 

 すると、

 

 

 「こんな小さな娘に暴力をふるう気ですかー?!」

 

 

 と、姉を失った寂しさからしょんぼりしていた彼女に保護欲を刺激され、禍根も何も忘れて大切に教育している竜神族の剣士に理不尽な折檻を喰らっちゃうのだ。

 

 ぶっちゃけて言えばその幼女の力は丼勘定せずとも自分の霊力はおろかその保護者&師匠をやっている竜神族の剣士よか高い。

 天界側の霊山預かりとなって力を押さえられてなお、その力は横島を凌駕しまくっているのだ。

 

 全力パワーで殴っても痛みこそ与えられるだろうが傷どころか痣もできないだろう。それでいて軽い教育的指導でも全殺しにされてしまうのだから理不尽極まりない。

 尚且つ、自分が絶対に勝てないと胸を張って言える超存在……己のかーちゃんの教育と、無駄にスゴイ父の教育が隅々まで行き渡っている上に、女の子に暴力を振るえないのである(注:セクハラは別らしい)。

 

 まぁ、そんな目に合わさずとも彼自身が優しいので女子供に対して意味も無く手を上げられないのであるが…それは兎も角、

 

 そういった理由もあって、喩え自分より実力があるであろう楓にすら組み手すら行えないのである。

 実際、弟子である人狼少女にすら霊波刀で斬り結ぶ事すらできなかったのだし。

 

 

 

 ……尤も、ある事情によって前以上に嫌いでない女にも手を上げられなくなっているのだが……

 

 

 

 兎も角、そういった説明を終えると流石に楓も、

 

 

 「それは…難儀でござるなぁ…」

 

 

 怒りの矛を僅かに下げてくれた。

 

 確かに彼の力量は解からないのだが、DNAに性質を刷り込まれているような物。これでは楓が敵でない限り試合もできまい。

 

 

 「完全に敵だった場合は何とか戦えるんスけど、敵だと思って…はムリっスね……」

 

 

 女の子が憎っくき野郎に化けていた場合等であれば反射的に攻撃できたりするが、残念(?)ながらこっちの世界にはキザなロンゲ男はいないし、近衛らも彼奴めの外見も存在も知らない。

 最初から楓が男に化けて横島に攻撃でもしていたとすればまだどうにかなったかもしれないが、今となっては……

 

 かと言って、これからの為にも二人の力量を自分らを含めた“皆に”見せておく事は必要である。

 

 う〜む…どうしたものかのぉ…と近衛が首を捻っていると、ポンっと楓が手を打った。

 

 

 「そうでござる。組み手が無理ならば、ゲームはどうでござろうか?」

 

 「は? ゲーム?」

 

 

 横島が怪訝な顔をして問い返すと、楓はそうでござると頷いた。

 

 

 「ルールは簡単でござる。

  横島殿が十分以内に拙者にタッチすれば横島殿の勝ち。拙者が十分以内に横島殿を倒せば拙者の勝ち。

  どうでござる?」

 

 「どうでござる? …って、マテや!! 可愛い顔しても誤魔化せへんぞ!!」

 

 

 可愛いと言われてちょっと照れる楓であるが、横島は半泣きだ。

 

 

 「それって、つまり楓ちゃんはボコスカ攻撃してくるけど、オレは只ひたすら避けまくるだけやん!!

  日本語で圧倒的不利っちゅーんじゃ!!」

 

 「気の所為でござるよ」

 

 

 泣きながら反論する横島であるが、かなり中身は薄い。

 どこかでそれが一番だと解かっているのかもしれない。

 

 近衛や高畑なども、それはいい案だと納得しているし。

 

 確かに美少女を殴る事はできずとも、美少女に殴られる事には慣れている横島には一番楽な方法であろう。

 そんな事を悦ぶ新しい自分に目覚めたくは無いだろうが

 

 相変わらずギャーギャー言っている横島にも楓は慌てず騒がず、

 

 「まぁ、待つでござるよ横島(うじ)

 

 「誰が横島氏だ!! お前はハッ○リくんか!!」

 

 

 はっはっはっ…と笑いつつ右手の指をぴんと立て、

 

 

 「拙者はゲームだと言ったでござるよ?」

 

 「む?」

 

 「横島殿が勝てば、拙者は知り合いの…そうでござるな同級生のお姉さんを紹介するでござる」

 

 「何と?!」

 

 「無論、デートの約束込みで」

 

 「ぬっ??!!!」

 

 「その際、どこまで行くか……それは横島殿のご自由でござる……」

 

 

 近衛と高畑の目には何だか楓の腰の辺りから悪魔チックな尻尾が生えてピコピコ動いているように見えて冷や汗を流していた。

 

 正に悪魔の取引である。

 

 

 だがしかし!!

 彼は、痩せても枯れてもGS横島忠夫だ。

 

 異世界に来、仕事を失ってしまったとは言え、彼は簡単にそういった悪魔の取引に、

 

 

 

 

 

 「良し!! 受けた!! 掛かって来い楓ちゃん!!!!」

 

 

 

 

 

 ……逆らえる筈もなかった。

 

 

 その男としての性の発露に、同性である高畑も近衛も涙を禁じ得なかった。

 

 

 羊皮紙にサインをさせた事を満足する悪魔宜しく、あいあい♪ と嬉しげに頷く楓。正に悪魔。

 

 何だかよく解からない気炎を上げる横島の背を見つめながら、近衛と高畑は只々冷や汗の量を増やしてゆく。

 

 

 「……のぅ、タカミチ君…」

 

 「…はい?」

 

 「楓君は…自分が勝った時の横島君のペナルティを口にしておらんのぅ?」

 

 「ですね…」

 

 

 横島の気性を読み、先に彼が飛びつく報酬をチラつかせて自分のペースに引き入れた楓。

 

 まだ少女であるはずの彼女の中に、男では計り知れない女という生き物の一端を垣間見せられた大人二人は冷たい汗を拭う事もできずにいた。

 

 気合を入れ、煩悩パワーでもって霊力を上げてゆく横島に感心しつつも、自身は身体から力を抜いて戦いに備えてゆく楓。

 

 

 何にせよ、

 この場には居ない魔法教師らも見守る中、横島と楓の戦いが幕を開けたのだった。

 

 

 

 


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