-Ruin-   作:Croissant

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後編

 

 

 その日、一人の少年が旅立って行った——

 

 

 家族を事故で失い、知人の家に引き取られる前にと母親の墓を詣でる為だけに京都に来ていた少年。

 

 彼は、挨拶もせずに新しい生活の場へと旅立って行ったのである。

 

 みょーにリアクションが面白く、実に弄り甲斐が……もとい、中々親しみやすかった少年は、たった三日間という短い期間でそれなりの友達関係を構築できていた。

 だからこそ少女らに『みずくさい…』『せめて挨拶だけでもしてほしかった』等とぼやかれているのも仕方の無い事である。

 

 

 『あんま責めないでやってくれねぇーか?

  別れが苦手だから、顔を見せたくねぇんだろうさ』

 

 

 しかし、突然やってきた親戚を名乗る青年がそう言って少年を庇った。

 

 

 母の里には少女らと共に行くとは聞いてはいたのだが、何んだかんだ言ってもタダキチはまだ幼い子供。

 知らない仲でもなかった彼は心配は拭い切れず、物陰からコッソリ見守っていたのだそうだ。

 

 そして墓参りが終わったのを見届けた後、連絡をつけていた預かり先の“叔母”に引き会わせ、別れの言葉が言い辛かった少年に代わって麻帆良の皆にその事を告げに来たというのである。

 

 

 成る程。話を聞いてから彼を改めて見直してみれば、親戚と言うだけあって青年はあの子に良く似ているではないか。

 

 おそろいと言っても良い頭に巻いている赤いバンダナもそうであるし、はにかむように苦笑する顔などそっくりだ。

 

 その顔でそう言われれば少女らも納得せざるを得ない。

 

 考えて見ればあの少年はしたくもなかった家族との別れを経験している。

 だからもう二度と別れの場を体験したくないのだろう。

 

 

 「うん……そーだね。ここは笑って見送ってあげるのがスジってもんだよね」

 

 「タダキチくん……がんばってね……」

 

 「元気でね」

 

 「あたし達が応援してるよ」

 

 

 「皆……」

 

 

 少女らは目を潤ませつつ、沈み行く夕日に少年の姿を見て別れを告げていた。

 

 青年もそんな心優しい少女らに胸を打たれたか、少しだけ目元をキラリとさせつつ、手近にいた少女(釘宮 円)の肩に手を置いて“何となく”遠くを指差し、少年の明るい未来を願うのだった——

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……つーか、老師本人の事アルな?」

 

 「相変わらずノリの良い御仁でござる」

 

 

 

 

 

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              ■十時間目:独立愚連隊ニシへ (後)

 

 

 

 

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 シネマ村での大騒動の後、横島らはホテルに戻って来ていた。

 

 

 その時の彼はその余りと言えば余りにも目立つ姿をしていた事から着替えが届くまでの間、ずっとシネマ村の中をチョロチョロして敵を陽動し、その間に木乃香と刹那は古が送って行ったのだ。

 

 尤も、彼からすれば“珠”を使って式符を強化し、二人の完璧なニセモノを作って誘き出して一網打尽……という策をとりたかったところである。

 ああいった手合いは根を残す。だから一気に潰してしまう必要があったのだから。

 

 しかし、霊力が激減していた所為で上手く“珠”の生成ができなかったし、何より本山の使い手が出払っていて手が足りないという理由から泣く泣く諦め、そこそこに目立つ程度の陽動を行うだけに留めていたのだ。

 

 それに落ち着いて考えてみれば、あれだけ目立つ行動をとった後であるから何かしらの事を起こせば逆に警戒して陰に沈んでゆく可能性だってあるではないか。

 そうされたら更に厄介な事になる。

 

 だったらその危険度を知る者…この場合は刹那や木乃香が長に報告し、関西の組織の方で手を打ってもらうのが一番だろう。

 それに東との確執が元というのなら、これ以上しゃしゃり出るのは立場的によろしくない。

 

 ——そう判断しての事だった。

 

 そこら辺に思考が進むのは“向こう”での失敗の数々がちゃんと滋養になっているからだろう。その過去の経験は自慢にはならないが。

 

 そこそこ目立つよう頑張ったのであるが残念ながら彼の陽動には乗ってくれなかったようだ。

 尤も、古らの方にも敵は行ってなかったようなので全然OKであるが。

 

 着替えを持ってきてもらうまでの間、ずっとシネマ村のスタッフであるかのように来場客にサービスを続け、かのこと共にポーズをとって写真をとらせたりして来園客にウケていたのはご愛嬌か。

 お陰でシネマ村に新たなショーが生まれ、お土産としてのドーナツが生まれる事となるのだが。

 

 偶然が生んだ産物であるし、何よりこの一件は秘密行動。

 よってどれだけブームの火付け役を担えたとしてもコトが終われば麻帆良に戻るので何のマージンも入らないのが物悲しい。

 

 

 兎も角、恐らく曲者どもは作戦(…と言うにはやたら大雑把だったが)が失敗したからそのまま撤退したのだろう。

 

 そして念には念を入れる横島の働きにもあってか、二人は無事にネギと合流……まぁ、何故かハルナ達までがおまけで付いて行っているが……

 

 その後、ネギ達が本山に入ったのを見届けた古は木乃香の勧めを丁重に辞退し、隠れ潜んでいた楓と共にシネマ村にとんぼ返りをしている。

 

 というのも、横島が霊力を使い過ぎていた為、そのまま“セクハラ一直線”をぶちかましそうだったのだ。

 

 おまけに彼は、横島忠夫という“漢”は、期待(?)を裏切るような男ではない。

 

 陽動なのだからそれなりに目立たなければならないという大義名分の下、当然のように彼は二人が来るまでの間、さっきも述べたようにマスコットキャラ宜しくコミカルな動きを一部の客に披露してはおひねりをもらっていたのであるが、そんな事をしつつも女子更衣所へのピーピングをやりまくって霊力を回復していたのだ。

 小銭も入るし、霊力も回復するしで一石二鳥という事だろう。

 

 

 無論、着替えを手にして戻って来た二人はツヤツヤした横島を見て一発で行っていたであろう犯罪行為を見破り、力いっぱい折檻した事は言うまでもない。

 

 

 で——

 

 実のところネギが本山に入った時点で横島の任務の半分は終了している。

 後はせいぜい、麻帆良に帰る際の護衛くらいだ。

 

 古と楓から皆が本山に到着した事を聞くと横島は学園長に報告し、その後どうすればよいのか問うたのであるが、後は西の長……近衛の婿である詠春に任せておけとの事。

 

 そんなんで大丈夫なんか? と首を傾げ掛けた横島であったが、よくよく考えてみればそれは当然の事で、刺客とはいっても西の者であるから木乃香らが本山に入ってしまえば内部で騒ぎを起こすほどバカではないだろうし、何より木乃香らに顔を見せてしまっている。

 長が相手の特徴を聞かぬわけがないし、そうなると余計に動きを抑えられている筈。

 内紛と言っても間違いではない誘拐事件を未然に防いでもらっただけではなく、解決まで外部に任せたとあってはその内情だけではなく長の体面も拙くなってしまう。

 ならば解決の方だけでも向こうの任せるのが筋というものだろう。

 

 そう納得をし、既に調べはついているのだろうと思いつつも一応は刺客としてやって来たメンバーの情報を知っている限り近衛に伝え、任務完了の言を頂いたのだった。

 

 

 ただ一つ——

 あの術師の眼鏡姉ちゃん(千草)は兎も角、残る二人……SAN値が低い二刀流の少女と、あの銀髪の少年——

 

 

 特にあの明らかに実力があり過ぎる銀髪の少年の事が頭に引っ掛かり続けていたのであるが……

 

 

 

 

 

 

 

 「しかし……お互い何とか乗り切れてよかったでござるなぁ」

 

 「そうアルな」

 

 

 楓は肩まで湯に浸かり、古は口元ギリギリまで湯にその身を沈めて寛ぎかえっていた。

 

 一日中自由時間だったので、皆の夕食も入浴時間もバラバラだ。

 日も暮れ、殆どの人間が戻って来てはいるが、それでも寝る前に風呂に入る事ぐらいはあるだろう。だから清掃中の立て札を置いて来てたりする。

 お陰で貸しきり状態だ。

 

 

 まぁ、そんな暴挙に出ているのにも理由があるのだが。

 

 

 「しかし……

  そうでござるか……横島殿、刹那を救う為に……」

 

 「……」

 

 

 既に彼の活躍はシネマ村への帰りに伝えてある。

 

 しかし、お互いの共通の話となるとやっぱり今日あった事となるので、今も反芻するように同じ事を話していた。

 覗きに(うつつ)を抜かしていたから二人でフルボッコにしてはいるのだが、女の子の為に不条理且つ理不尽な活躍をし、ありったけの力を行使している彼に対して評価は下がってはいない。

 

 そんな彼に対して『ここまでするっ?!』というほどボコっているのは如何なものか?

 

 いや普段の二人……特に楓ならば自分が覗かれたとしてもあそこまでドエラい目に遭わせたりはすまい。ここンところは暴走気味ではあるが。

 

 彼女本人すら上手く説明できない感情の動きなのであるが、覗いていた事実をハッケソした瞬間、二人してぶちキレてしまった……と言うのか正直なところだ。

 

 『何故でござろうか?』と、首を傾げてしまうほどに不理解状態。

 

 

 この場に真名がいればイラついて露天風呂の岩を殴り壊しているような話である。

 

 

 そんな楓の称賛の意の篭った呟きを耳にし、古は頬を手で抑えて頭まで湯に沈めていた。

 

 別に彼女が誉められたわけではないのであるが、ぽこぽこと鼻と口から空気の泡を零しつつ、彼女は心の中できゃーきゃーと悲鳴をあげてたりする。

 

 

 言うまでも無く、話をするたびに横島のことを思い出しているからだ。

 

 いや、確かに横島に以前から言い様のない好意を自覚してはいるし、昨晩にはごっつ濃厚なのをぶちかましてもいる。

 

 その事がひっかかって朝方はギクシャクしてしまっていたものの、シネマ村の件ですっかり忘れ去っていたのであるが……

 

 古は、かぶり物の上からとは言え、抱きついてキスしまくったのが今になって思い出されており、またしても感情が暴走してたりするのだ。

 

 

 『う゛う゛……恥ずかしいアル〜〜〜っっ』

 

 

 幸いにも彼女のセリフは、ぶくぶくぶく〜……という泡の音に変貌しているので楓には聞かれていない。聞かれていたら問い詰められそうだったから重畳だ。

 

 

 その楓というと、話を聞いていない古に気付いていなかったか言葉を掛け続けていたのであるが、ふと肌身離さず持っている自分の札を手に出して誇らしげに見つめていた。

 

 

 修験者モドキのコスプレをし、メタリックな葉団扇を手にしている彼女の姿。

 これこそが、彼女が札の力を使った時の姿でもある。

 

 やたら肌が見えている衣装ではあるが……

 

 

 『露出度の高さは横島殿のシュミでござろうか?』

 

 

 等と苦笑してみたり。

 

 実際、自分の戦闘装束より露出度は高い。

 見る者が見れば『これ、どこのエロゲ?』とか口にされそうなほど。いや、戦闘装束の方を着ていてもそう言われそうだが……

 

 

 古の方は衣装の露出も(横島にしては)かなり押さえ気味。歌舞伎者っぽい派手さがあるが、何か彼女に似合っているし。

 そして道具は完全防護特化型である。その分かなり使い勝手は良さそうだが。

 

 何せ使用する時の効果が明確であるし、古自身の実力もある。

 相手からしてみれば遠距離攻撃を放てば反射されるし、接近戦に持ち込んでも衝撃すら防げる盾が展開されるのだから性質が悪過ぎる。

 

 例え“あの”真名が相手であろうと、発見さえしていれば撃たれても怖くない。いや、それどころか攻撃をした真名が危ないくらいなのだからとんでもない能力である。

 

 

 そして自分の道具——

 

 

 古のに比べればバラつきが多過ぎる。

 おまけに道具を具現させてから十分間しか使えないときている。

 

 三回能力が使えるのだが、三つの制限時間はその十分以内に括られているし、ランダムなので三つの能力がかぶる事もある。

 おまけに十分経てば切れてしまう。

 更に何度か試してみたところ再使用には三十分近くかかるようで今一つ使い勝手が悪い気がしないでもない。

 

 

 だが、使える力そのものはとんでもなかった。

 

 

 実際、コタロー襲撃の際には透明化できていたし、風のように空も飛べた。

 全体的にかなり無茶な底上げが起こる為、元々の楓の力が上乗せされるのであるから奥の手として使用すれば恐るべきものとなろう。

 

 

 『全く……反則でござるなぁ……』

 

 

 と苦笑しつつ、改めてその札をしげしげと見つめる。

 

 朝見た通り、裏面と同色の小豆色の縁取りがありサイズは兎も角、厚みの方はのどからのカードの三倍くらい。

 材質は不明で、和紙のようでもプラスチックのようでもあり、それでいて手触りは大理石のようにすべらかだ。尚且つその重さはまるで紙のように軽い。

 

 だからと言って、安っぽさは感じられない丁寧な作りをしている札である。

 

 

 『……というか、“作った”という感じがしないでござるな……

  “この形で生まれた”と言うか……ふぅむ……』

 

 

 全くもって“魔法”というものは不思議極まりない。

 この札とて契約が成立した瞬間、カモの元に出現したと言うのだから。

 

 

 『しかし……』

 

 

 札を見つめながら楓は湯の温度によるものではない火照りを頬に感じていた。

 

 

 この札は横島との繋がりであり、彼との絆である。

 

 女の為にはどんな無茶も実現できると豪語している彼は、正にそれを古の目の前で実行して見せたのだという。

 

 

 楓はその事が、そしてその絆の証である札をその手に持てている事が何だかとても嬉しかったのだ。

 

 

 横島と共に在る——と言う事が……

 

 

 ……まぁ、火照りの意味はあんまり気付けていないのだけど。

 

 

 「うん……?」

 

 

 と、嬉しげにこの世で唯一の存在である自分の札を眺めていた楓は何気なくそれを裏に返したのであるが、その裏側の中ごろに何か引っ付いている事に気が付いた。

 

 ゴミかと思い、つまんで取ろうとするのにそれは動かない。

 

 爪先で引っ掻いても……いや、引っ掛かりそのものがない。

 

 

 「?」

 

 

 動かぬのも当然で、よく見るとそれは書かれている文字のようだ。

 

 

 「英語……でござるか?

  え、え〜と……あ、あるぺす……? うーむ……なんと読むでござろう?」

 

 

 その前後にも何か書かれている様であるが、かろうじて文字として判別できたのはその単語のみ。

 

 まだ中学生。それもバカレンジャーが一人として知られている楓にしては読めた方かもしれないそれは、飾り文字で『Alpes』と書かれているようだ。

 

 

 「ふーむ……?」

 

 

 ふと気になった彼女は、未だ湯に潜っている古の脇を肘でつついて呼んでみた。

 

 

 「古、古。ちょっと話を聞くでござる」

 

 

 ぶくぶくぶく……と人間ジャグジーでも目指してかのように泡を吐いていた古は、脇を突付かれたお陰で人間の吐く息には限界があるという事を思い出したか、『ぶがぼっ!?』と水中……いや湯中か?……でおもっきり咽て飛び上がってきた。

 

 

 「げぼっ!!

  ぶぼっぶぼっぶへ……っ な゛、な゛に゛す゛る゛ア゛ル゛〜〜」

 

 

 鼻からも湯を戻しつつ涙垂らして文句を言う顔はとても乙女のそれとは言いがたい。

 

 おまけに助けてやったようなものなので文句を言われる筋合いはないだが、そこは楓。

 

 

 「ははは……すまんでござるな」

 

 

 と、九割のおちょくりと一割未満の本気の謝罪を口から漏らす。

 

 まぁ、古も自分がオポンチかまして勝手に咽た事に気付かないわけもないので直に『まぁいいアルが……』と気を落ち着かせた。

 

 

 「それは兎も角、古は今札を持ってるでござるか?」

 

 「何だかおもいきりスルーされた気がするアルが……持てるアルよ」

 

 

 そう言って頭の上に乗せていたタオル……潜っていた時に湯に浮いていたが……の中からそれを引き抜いた。

 

 紙とかなら持ち込んだりはしないのであるが、材質は不明。何か水をはじいたりしてたから古も札を持ち込んでいたのである。

 

 

 それにその札は古にとって既に相棒だ。

 

 

 これがあったお陰で木乃香を逃がす為の時間を稼げたのであるし、刹那達を敵の矢から守る事ができたのだ。

 武器と言うより強力な防具であるこの魔具、そして老師と自分とを繋ぐ絆のように感じられているそれは、もう体の一部と言っても良いかもしれない。

 

 札を見て老師が駆けつけてくれた時の事を思い出したのだろうか、彼女は何だか妙な顔をして更に頬を赤く染めていた。

 

 

 「……」

 

 

 何時もなら『おや? 湯中りでござるか?』といったボケを素でかます楓であるが、何だかよく解らないがジト目でそんな古を見つめていたりする。

 

 女の勘と言うものは何とも恐ろしいものだ。

 

 

 「……古。札の裏に何か書いてあるでござるか?」

 

 「……ふぇ? 裏アルか?」

 

 

 楓の声がみょ〜に低くなっている気がしないでもないが、幸いにして古は気付いていない。

 札に見入っていた彼女はそう言われて初めてそれを裏に返してじっと見つめてみた。

 

 

 「……? 別に何も………あっ」

 

 「あったでござるか?」

 

 

 札の右下の辺り。

 そこに微かにではあるが、確かに文字と思わしきものが書かれてあるではないか。

 

 しかし3−Aにおいて古と言えばバカイエローとして名を馳せている。

 

 よって、

 

 

 「えと、ええと…………よ、読めないアル〜〜」

 

 

 不思議文字に古は半泣きとなっていた。

 

 

 「どれどれ……」

 

 

 顔を寄せて楓が覗きこんでみるとやはり自分の札と同様に文字らしきものがある。

 Calyx… Securitas……という部分だけ辛うじて読み取る事ができた。

 

 

 「く……くらりぃ……? えと……せ、せ……せくりたす? ……なんでござる? コレ」

 

 「私が知るワケないアルよーっ!!」

 

 

 しかし、当然ながらこの二人が読める訳がない。

 

 楓がローマ字風に読んでいた言葉であるが、彼女の札にあったAlpes(アルペス)はラテン語で山,或いは山の精を意味し、古の札にあったCalyx(ケイリクス)は花の鍔や盾を、Securitas(セクリタス)は安全等を意味する単語である。

 

 札はおもいっきり花札であるというのに、微かに見える文字はラテン語。そしてそのラテン語の字体は楓が見たのどかの札のそれによく似ていた。

 

 何となく……ではあるが、パクティオーカードに“なりかかっていた何か”が別のものに練り込まれてこの札になったという感じがないでもないのだ。

 

 というのも、

 

 

 「何だか……再生紙を思い出すアルな……」

 

 「でござるな……」

 

 

 そう、再生紙などのエコロジーペーパー等にはめったにない事ではあるが、古紙の字が残っている事がある。

 それが二人には思い出されていたのだ。

 そう考えてみると急に符が安っぽく感じられてくるから不思議である。

 

 現代の宝貝(パオペイ)と言っても過言ではない代物に対しての表現としては散々ではあるが……

 

 尤も、だからと言って不快に思う訳ではない。

 

 古もその力のお陰でやるべき事を成し得たのであるし、楓の方にしても心強い力を示してくれたのだ。

 それで文句など思い浮かべたら罰が当たるという物である。

 

 

 それよりなにより、

 

 

 「しかし……実に横島殿らしいと言えなくもないでござるな」

 

 「そーアルね」

 

 

 “これ”を使うと言う事は、彼と共に戦っているようなものなのだ。

 

 彼に背を預け、足りないところを補ってもらっている——彼女らからしてみれば、正にそんな感じがするのである。

 

 

 一度約束すると必死になってそれを守ろうとし続け、力を貸し続けてくれる。

 見た目がどうも安っぽくてイマイチ信用できなさそうなトコまでよく似ているではないか。

 

 

 だから古はその札を持てている事が嬉しいのだろう。

 

 彼女は自分の札を撫でながら、柔らかく微笑んでいた。

 

 

 「むう……」

 

 

 そんな古の様子を見、楓はその事が何だが異様に気になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

        ******      ******      ******

 

 

 

 

 

 

 「横島君、お疲れ様」

 

 「うぃっス……」

 

 

 新田に続き、少女らにずっとタダキチの事を説明し続け、やっと全員に対してのそれが終了した時、流石の横島も疲れ果てていた。

 

 何せこの日は班ごとに出掛けているので、帰宅時間がまちまちなのだ。

 新田教諭に説明するのも結構手間取ったが、それよりも帰って来た班ごとに説明をするのが大変だった。

 

 無論、新田の方が楽だった……と言う訳ではない。

 

 何せ横島はパッと見が未成年。そんな彼が平日の京都にいるだけで不審がられたのだ。

 

 それでも一応、家庭の事情で高校に行けず、やむなく用務員として麻帆良で働いている青年がいるという話を新田も聞いており、彼がその本人である事を瀬流彦が証明してくれたので何とか話はついた。

 

 

 ただ、その場に帰ってきた少女が出くわしたのが拙かった。

 

 

 何せ五月蝿い事と、ワケの解らぬ騒動を起こす事で3−Aに敵うクラスはない。

 

 『どーしたの?!』『誰かが連れて行ったの!?』等から始まり、ドコをどー聞き間違ったのか『売ったのー!?』と大騒ぎだ。

 

 仕方なく横島は、新田の逆鱗に触れる前に少女らに冒頭のような説明をしたわけであるが……タイミングか悪いとゆーか運が悪いとゆーか、説明がし終わる頃に別の班が、そしてまた説明が終わる頃にまた別の班が……と、狙ったように順次戻って来て、『ねぇねぇっ 何があったのー?』『その人誰ー?』と聞いてくる。

 

 相手が男子生徒とかなら兎も角、将来が楽しみなナイスな美少女揃いということもあり、やらんでも良いのに冒頭のような話を横島は続けたのだ。そりゃあ疲れもするだろう。

 

 

 そしてやっと今、解放されたのである。

 

 

 「アレがじょしちゅーがくせーパワーか……おっそるべ〜し……」

 

 「ははは……」

 

 

 ぐったり〜として呟く横島に、様子を見守るだけであった瀬流彦も乾いた笑いを漏らすのみ。

 

 何だか使い魔の かのこもグロッキー気味で座り込んでいるので、その疲労たるや想像以上なのだろう。

 

 西の過激派に襲われた事や、それらを撃退した事、そしてその間の活劇も報告時に聞いているので、もうご苦労様と言う他無い。

 

 その上、ただでさえ元気な少女らの中でも別格の3−Aの生徒らを相手にしていたのだ。

 

 瀬流彦もその苦労は以前から高畑より見聞きしている。

 幼稚園児の無邪気さに小学生の元気さを足して思春期のズルさを持ち合わせている少女らを相手に、担任や教師のような義務がないとゆーのに懇切丁寧に説明をし続けた彼には苦笑いしか浮かべられまい。

 

 

 その瀬流彦は仕事時間内なのでスーツ姿。

 一息入れるにはまだ早いからだ。

 

 対する横島は楓らが買って来てくれたジージャンにジーンズ姿という何時もの格好。

 何だかサイズが異様にぴったりなのを入手してきた楓に戦慄を覚えないでもなかったが、女の子のスリーサイズを神レベルの眼力で掌握してしまう彼から言えば然程でも無いのかあっさりスルーしている。

 

 

 ネギも刹那もまだ知らない事であるが、麻帆良にはかなりの数の魔法使い……魔法先生&魔法生徒がいる。

 この瀬流彦も魔法先生の一人で、今は一般教師として生徒らを守っており、乱暴な言い方をするのなら魔法使いとしては勤務時間外という事になるだろう。

 

 しかし横島はまだ仕事中……正確に言えば任務待ちの警戒中である。

 だから瀬流彦よりも気を抜く事ができないでいたのだ。

 

 そんな彼に自販機で買ったペットボトルのお茶を差し出すと、ロビーのテーブルに突っ伏したままくぴくぴと音を立てて飲む。

 イロイロあってホントお疲れのご様子である。

 それでもちょっと掌にお茶を出しては かのこに与える事を忘れないのだから何とも微笑ましい。

 

 霊力を消費しまくってそれを充填すると言う大義名分の元、更衣室を覗きまくっていた彼であったが、そのお陰で楓と古に半死半生の目に遭わされている。

 無論、九割九分九厘殺し程度でも、どーかなるような横島ではないのだが疲労困憊にはなっているのだ。

 

 

 それに——

 

 自分の中に居る自分の事もはっきり自覚してしまったのだし……

 

 

 「横島君……?」

 

 

 小鹿と戯れつつも深刻そうな顔をしていた横島をいぶかしんだか、瀬流彦も表情を変えて問い掛けてしまう。

 

 

 「あ……

  いや、何でもないっスよ……」

 

 

 その問い掛けを かのこを撫でて誤魔化す。

 

 されるがままの小鹿であるが、スキンシップは大好きなので瞼を閉じて堪能しているようだ。

 

 無論、誤魔化しきれる筈もなく、瀬流彦も唐突な表情の変化とそのヘタクソな誤魔化しに眉を顰めていた。

 

 

 「それより、あの刺客の眼鏡姉ちゃんの事なんスけど……」

 

 「え? あ、ああ……」

 

 

 あからさまな話のずらし方であるが、瀬流彦はあえて乗ってやった。

 何だかこれ以上問うてはいけないような気もした事もあるし。

 

 彼はポケットからPDAを取り出し、システムを起動してさっき学園から送ってもらったデータに目を落した。

 

 

 「えっと……どっちだい?」

 

 「どっちって……あぁ、剣客の子も眼鏡だったっけ?

  いや、そっちじゃなくて、符術使いの方っス」

 

 

 横島はあの夜しか会っていないのだが、彼女(月詠)の方も何だか別の思惑を感じないでもない。しかし今は誘拐事件の首謀者と思わしき女の方が気になっている。

 

 

 「あぁ、こっちの女性ね……えっと……」

 

 

 天ヶ崎千草——

 

 今回の件の首謀者として扱われている女性術師。

 “先の大戦”のしこりなのか、西洋魔術師に対して根深い恨みをもっているらしく、その復讐を果たすために近衛 木乃香の強大な魔力を利用しようと企んだと思われる。

 

 

 「先の大戦? 二次大戦っスか?」

 

 「いや……その、そっちじゃなくてね……」

 

 

 横島から言えば大戦といえば世界大戦しか知らない。

 

 瀬流彦が何だか口を濁しているようだが、こちらの世界の“裏”では魔法関係の大きな戦があったと思われる。それもそんなに昔ではなさそうだ。

 

 どこの世界でもオカルトな戦はあるという事なのだろうか。

 

 

 「ま、別にそれはいいっスよ……問題は何をしようとしてたかって事で……

  そっちは……?」

 

 「うん。まだなんだ」

 

 

 流石にそこまではまだ調査は進んでいないようだ。

 

 いくら手が長かろうが伸ばす先が見えていなければどうしようもないと言う事か。

 

 それでも少ない情報からでも考えられる事はいくつかある。

 

 例えばその大きな魔力を使って大量の式兵を操り、クーデターを起こして本山を掌握するとかだ。

 式を操る魔力の核となっているのが長の娘の木乃香なら向こうもそう簡単には手だしもできないだろうし。

 

 まぁ、単なる仮説であるし穴だらけの話であるが。

 

 

 「巨大な魔力……ねぇ……

  木乃香ちゃんのそこまで大きいんかなぁ……まぁ、あの歳にしてはある方だと思うけど……」

 

 「そ、そう?

 僕も今回初めて知ったんだけど、ちゃんとした方陣使ったら数百の式を同時制御できるほどらしいんだよ?」

 

 「同時に制御できたって、一体一体がヘボやったら意味無いやん。

  戦争は数だよ兄貴……とかよく言うけど、オカルト関係の争いやったら数より質がモノ言うぞ?」

 

 「う、う〜ん……」

 

 

 そう言われると瀬流彦も言葉が続かない。

 

 例えば伝え聞く英雄、サウドンド・マスターらは正しく一騎当千の力を見せたと言う。

 それに瀬流彦とてある程度の戦いは経験している。だから彼とていくら数を集めても大した抗魔力をもっていなければ魔法で一薙ぎにできるだろう事を知っているのだ。

 

 

 尤も、横島の基準で言う強大な魔力というのは恋人だった魔族の娘や、その妹達。或いはやたら縁があったお尋ね者の邪龍みたいなのが該当する。

 尚且つ、彼の弟子を名乗る少女に至っては太古に何処かへと去った月の女神をその身に降ろした事まであるのだ。

 その魔族の娘にしても、少なく見積もっても一級GSの百倍は霊力があった。今更木乃香程度の内包力では驚けという方が難しい。

 

 そーゆーのと比べる方に問題があるという説もあるが、彼が関わらされていた相手の多くが高いレベルの妖怪、そして神族や魔族、事件にしてもその多くが世界最高レベルだったのでこんな間違った認識のままなのもしょうがないかもしれない。

 

 

 「ま、今はどーこー言うてもしゃあないか……

  本山とやらのメンツもあるだろーし、あんま首突っ込んでも何だしな。

  セルピコ…じゃない、瀬流彦先生もクラスの女の子を守んなきゃなんねーから手ぇ離せへんやろ?」

 

 「……うん、まぁ実際そうなんだけどね……

  それより、その呼び方をどーにかしてほしいんだけど」

 

 

 瀬流彦の小さな呟きなど右から左に流し、テーブルに突っ伏したまま顔をごろんと転がして窓の外を見やった。

 日は既に暮れ、夜の帳が下りている。

 

 今日という日は間もなく終わり、明後日は麻帆良に帰る日だ。無論、彼女を寮に送り届けるまで気を抜くつもりは無いし、明日も楓か古と共に五班にくっ付いて護衛するつもりであるが……

 

 

 この京都奈良への修学旅行は、学校行事という以前に“西”の縄張りに“東の者”が入るという事もあって魔法先生は殆ど来ていない。

 

 関係改善が行われる前に関西呪術協会の縄張り内に東の魔法使いが数を整えて侵入して行くのはかなり刺激してしまう事となる。

 だからネギと瀬流彦……そして魔法使いではない横島くらいしか来ていないのだ。

 

 よって西の術師が僅かでも手勢を整えてちょっかいをかけてくれば忽ち手が足りなくなってしまうのである。

 

 

 無論、向こうとて魔法の秘匿ぐらいは心得ている訳で……ひょっとしたら今この瞬間にも“裏”で刺客らと本山の戦いが人の目に入らぬ場所で起こっているかも知れない。

 だったら後は余り目立った動きを見せず、一般人を装って女生徒らへの被害を押さえた方がマシである。

 

 

 「……兎に角、後は明後日……学園に着く時まで女の子らの護衛に集中するという事で」

 

 「そうだね……」

 

 

 責任の丸投げという気がしないでもないが、向こうからの申し出もないのに勝手にでしゃばる方が問題だろう。

 

 まぁ、コトが起これば誰かに言われるまでもなく横島も動いてしまうだろうが……

 

 

 彼とて恨み辛みからの行動も理解できないわけではない。それは自分自身が強く認識している事なのだ。

 だから千草の想いも解らぬでもない。

 しかし、木乃香の様な女の子を巻き込むのは断じて許せない所業であるし筋違いである事もちゃんと理解している。

 

 

 「……魔神憎けりゃ魔族まで憎い……ってか? オレはそこまでいかなんだけどなぁ……」

 

 「は?」

 

 「……うんにゃ。なんでもないっス」

 

 

 憎むべき対象はいたが、“彼女”はその娘だった。

 

 今考えてみると、敵対対象がいる種族全てを憎む……といった愚行は犯さずにいられたのは、“彼女”がその対象の娘だったからかもしれない。

 

 だったらあらゆる意味で“彼女”は恩人ではなかろうか?

 

 ……尤も、その代わりに人と人外を分ける柵をほぼ完全に見失っていたりするが……

 

 

 ——いや、やっぱ自分が馬鹿なだけか?

 

 

 そう溜め息を零しながら横島はやっと腰を上げた。

 

 かのこも彼を見てひょこひょこと立ち上がる。

 

 

 「横島君?」

 

 

 何だか言い表せない表情をした横島に、瀬流彦は思わず問うように声をかけてしまう。

 

 そんな戸惑っているのが丸解りの瀬流彦の様子をみて横島は苦笑を漏らした。

 

 

 「オレも風呂入って英気を養う事にします。ここって混浴だし……

  あ、でもどーせしずな先生は……」

 

 「え? あ、うん。彼女は既に終わってると思うけど……」

 

 

 どーせそんな事だと思ったよ。チクショーめ……と肩を落としつつ瀬流彦に背中を見せ、かのこと共に歩き出す横島。

 

 瀬流彦は急にしずなの話が出て気を取られ、何を聞こうとしたのか忘れてしまっていた。

 

 

 それが横島の狙いであったどうかは……彼が解るはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

        ******      ******      ******

 

 

 

 

 

 

 横島忠夫。

 

 肉体年齢十七歳。

 蟹座のO型。美形だ——っ!!?? ……最後はちょっと(かなり)違うか……

 

 兎も角、大人的な落ち着きはあるものの肉体年齢に精神が引っ張られ気味の彼は、実のところ運はあまり宜しくなかった。

 

 以前兎も角、今の彼は霊力が満たされている間はちょっとスケベ程度の人間であるのだが、一度霊力が下がると反比例して煩悩が増し、増加した煩悩でもって霊力を回復して行く怪奇エロ霊能人間となってしまうのである。

 

 しかし実のところそれは運の無さとかではなく、女性問題と言えなくもなかった。

 

 運が無い——というのは覗けば大半は失敗し、成功したらしたで碌でもない結果に陥る点だ。

 

 

 完全に自業自得なのであるが、覗こうと思えば発見されて失敗し、偶に混浴に成功すると入ってくるのは女子中学生。

 

 それだけならまだしも、それで霊力が回復してたりなんかするからアイデンティティの危機である。

 

 この日、激減した霊力を回復せんが為に想像を絶する隠れ身の術で更衣室を覗きに覗いて覗きまくった彼であったが、冷静になった今でこそ解るがその時に着替えていた女の子は、間違いなく“女の子”というカテゴリーの年齢だったのである。

 

 

 麻帆良学園中等部の用務員をしている横島であるが、生徒との接点はあまりなく、顔も良く知らないでいた。

 

 楓と古、食事に行くから親しくなっている超と五月、仕事上でつながりができている真名。例外として楓に騙されて知り合いとなってしまった風香と史伽。これくらいだ。

 

 だから当然、あやかとか千鶴、和美等の少女らの面識は新幹線内だけと言っても良い。

 

 子供好きとして色んな意味で知られているあやかとて、横島の側に余りいなかったのだし。

 

 

 彼女曰く——

 

 

 「何と言うか……俳優の声を吹き替えで聞いている気分ですの。

  ネギ先生と違って、底知れない濁りを感じると言うか……不思議な話ですわね?」

 

 

 不思議なのはアンタや……と、横島以外の者も激しくツッコミを入れた。

 

 魔法による年齢詐称程度では彼女のショタセンサーをぶち抜けなかったと言う事なのか?

 

 

 兎も角、3−A……いや、麻帆良には中学生と言うカテゴリーから外れかかっているプロポーションの少女らが多い。

 

 だから横島も自分を失ってしまいそーになる彼女らに余り接点を持たずにいたわけであるが……

 昼間のシネマ村の一件で激減させた霊力を回復させるべく、『うっひょーっ』とどこぞのオコジョ妖精のよーに歓喜の悲鳴をあげつつ更衣室を覗いていたのは周知の通り。

 だがよりにも寄ってそんな霊力回復に協力してくださった女性たちは、何と楓らの同級生である あやか達だったのだ。

 それに気付かされたのは二人の鬼に折檻を喰らった後。

 『何であやか達を覗いたでござる!?』『中学生に興味ないと言たのは誰アルか!?』と怒られてからだ。

 

 彼女らのプロポーションに心を奪われて中学生と気付けず、あまつさえ霊力をほぼ回復してツヤツヤしていたもんだからそのショックも大きかった。

 

 というより、ボコられた事より中学生に萌えた自分を自覚してしまった方のイタミが酷かったりする。

 

 

 そういう状況に浸らされつつある事こそ運の無さといえるのであるが……まだ彼にはその自覚が無かった。

 

 

 まぁ、それは兎も角——

 

 がんばったのにボロボロにされた横島を流石に不憫に思ったのだろうか、身体を引き摺るようにホテルに戻った彼に対し、楓は、

 

 

 『今日は横島殿に付いて行ったりしないでござるから、湯に浸かってゆっくりするでござる』

 

 

 と優しく言ってくれた。

 

 

 『Oh...My Godes...』

 

 

 旅行に来てから今日までまともな入浴ができておらず、ゆっくりと湯に浸る事がで来ていなかった横島が感謝の涙を浮かべたのは当然の事だろう。

 

 

 そして彼は自分が単純である事をまたも思い知らされるのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 「くはぁあああ〜……」

 

 「ぴゅい〜〜……」

 

 

 横島はちゃんと作法通りに掛け湯をしてから軽く身体を洗い、同じように掛け湯をした かのこを抱っこし、ゆっくりと身体を沈めて湯を沁みさせていた。

 

 溜め息にも似た深くて長い声が思わず洩らし、小鹿が真似るように鳴いたのはご愛嬌か。

 

 何せ今の今まで温かな血だまりの中ばかりに浸かってしまっていた彼なのだ。

 貸し切り状態でゆっくりと浸かれた露天風呂にむせび泣いてたりするのも当然である。

 

 因みに露天風呂はペット同伴不可であるが、かのこはペットではなく使い魔。だからこれでいいのだ。とへ理屈で連れ込んでいる。抱っこしてるだけで癒されるし。

 大体、この子は抱っこしてないと沈むし。

 

 まぁ、混浴だと言うのに女っ気がゼロというのも物悲しいが、覗きの所為でめっさ怒られた後なのでしょうがないかと諦めもつく。

 じょしちゅーがくせーに頭が上がらないのもまた物悲しさに拍車が掛かるのだが……

 

 

 「ふぃいいいい〜〜……」

 

 「ぴゅい〜」

 

 

 それでも深〜い安堵の溜め息が出るのはリラックスできている証拠。

 小鹿の溜息と同時というのもナニであるが、何か気持ちよさげなので彼も気にしない。

 入浴する直前、一緒に連れてってくれないの? と見つめられただけでコレなのだから、甘いとゆーかなんとゆーか。

 流石に煩悩力者だから子煩悩とか使い魔煩悩とかもあるのかもしれない。

 

 先程までは大きかった かのこであるがそれはカードの力とやらで、実際には小鹿のまま。

 何か間の成長をすっ飛ばされた気がして物悲しかったのだが、札の力を解けばこの通りだ。お陰で彼は心を癒されている。

 

 

 しかし、それでも完全にはリラックスし切れないでいた。

 

 

 『……アレも……オレなんだよな……』

 

 

 思い出されるのは昼間のシネマ村の一件。

 

 確かに刹那と木乃香の命が危なかった。

 

 それは間違いなく西の刺客とやらの所為であり、反撃に躊躇する必要は無かったといえるだろう。

 

 

 しかし——

 

 

 「だからって、あんな事せんでも……」

 

 

 “珠”に込められた一文字。

 

 それは漢字と同様にして一つで意味を成す文字。

 

 一つで様々な意味を含ませられるサンスクリット文字の一字。所謂 “梵字”だった。

 

 

 無論、横島は人間の枠内でいる存在なので神仏を表すその文字の完全具現など不可能だ。

 

 しかし、意味を持っている文字には違いないので、紛い物なりに極々小規模だけならそのとてつもない力を再現できるのである。

 

 あの天守閣周辺だけなら完全消滅させられるほどに——

 

 

 ただ……

 

 

 「……オレはあんな字知らへんのに……」

 

 

 サンスクリットはサンスクリットでも彼自身が、

 この横島(、、、、)が全くもって見た事の無い、古代の文字使いだった。

 

 

 それこそが、“あの自分”が在るという証でもある。

 

 

 バシャッと大きめの音を立て、横島は乱暴に顔を洗った。

 

 ゴシゴシと湯で何度も顔を洗い、沈みかかった気持ちごと澱みをこそげるように。

 

 

 「……」

 

 

 濡れたタオルを顔に押し当てたまま、瞼の下の闇を見つめる。

 

 無論、眼を閉じているのだから何も見ないし見えてこない。

 だけどそのずっと遠くにいる自分の姿を幻視してしまうような気さえしてくる。

 

 いや既にしてしまっているのかもしれない。

 

 

 手繰り寄せる事は“絶対にできない”記憶。

 

 実年齢までの経験。

 

 それこそが自分を納得されられる唯一のものなのに……

 

 

 その欠片すら、生まれてから十代後半までの記憶と経験が異様なほど鮮明になっている“今”だからこそ、恰も他人事のように感じられて“記録”から浮かび上げさせる事ができないのだ。

 

 

 「……ったく……だったら感情ぐらい制御させろっつーの……

  まぁ、女の為に身体が動くのは変わってねぇみたいだけどさ……」

 

 

 零れる言葉は溜め息混じり。

 

 今更嘆くつもりは更々無いが、愚痴の一つも吐かなきゃやってられないというのが正直なところだ。

 

 言うまでも無く刹那らを救えた事に関して欠片ほども文句は持っていないのだけど。

 

 

 「いやいや……

  確かに冷静さにかけるのは感心できぬでござるが、友を助けてもらえた拙者から言えば感謝感激でござるよ?」

 

 「ま、そー言ってもらえただけで嬉しいけどさ……

  あの眼鏡姉ちゃん……千草ちゃんだっけ? 彼女を勢いで殺しかけたんだぜ?

  サイっテーだよ……」

 

 「うむ……確かに先に始末する事を考えるのはいただけないでござるな。

  一番手っ取り早い方法であるからこそ、一番簡単に堕ち易い道でも在る……

  なれど横島殿はそれを自覚……いや、理解しているのでござろう?」

 

 「ああ……」

 

 「ならそれで良いではござらぬか。

  起こしてしまった事を嘆き続けるより、それを教訓として戒める。

  その方がずっと建設的でござるよ。

  幸いにして怪我人は“無くなった”事でござるし」

 

 「ありゃあ木乃香ちゃんの力だよ」

 

 「完治させたのは横島殿の力だと聞いているでござるが」

 

 「いや、それだって珠の力を……」

 

 「ほう?」

 

 「……………」

 

 「………」

 

 「………」

 

 「………」

 

 「………」

 

 「………」

 

 「…………………えっと……」

 

 「?」

 

 「楓…チャン……?」

 

 「あい?」

 

 

 「な、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  何 で コ コ に お る ん じ ゃ ぁ あ ———— っ ? ? ! ! 」

 

 

 慌てて立ち上がりかける横島であったが、タオルを頭の上に乗せていた事を辛うじて憶えていたのか、腰の位置までで踏み止まる事に成功。

 

 今回は“ご披露”する事無く、身を捻ってややアクロバチックに再び湯に身を沈められた。頭まで。

 その際、かのこだけは湯面に出していたのは流石である。

 

 

 楓の方は流石に三度目。

 慌てる事無く首から上だけを横に逸らして直視を避けられていた。

 

 

 「(ぶくぶくぶく……ごぼっ)なっ、なんでココにおんねん!?

  付いて来たりせんゆーたやん!! ウソツキ——っ!!!」

 

 

 先程までのシリアスはどこへやら。

 半泣きで楓に抗議する様は何時もの横島だ。

 

 そんな横島の様にホッとしている楓であるが、露ほども見た目に表さずしれっとしたまま、

 

 

 「はて? 拙者は嘘などついてはおらんでござるよ?

  確かに付いて来てはいないでござるし、一人で露天風呂に入らせはしたでござる。

  拙者らが入っている所に勝手に入って来たのは横島殿ではござらぬか」

 

 「ぬぉっ!? 何たる詭弁っ!! 乙女の恥じらいはドコ行った!?」

 

 「御安心あれ。拙者、同じ轍は踏まんでござるよ。

  このようにちゃんと学校指定のスクール水着を着用してるでござる」

 

 

 スク水!? と目を見張る横島。

 

 なるほど確かにスク水だ。

 

 この旅行中にどーやって入手したか全く持って不明であるが、肌にぴっちりと張り付いた紺色のそれは、漢らにとっての魅惑のアイテム。心を惑わす色になんか深い意味でもあるんか!? とか叫びたくなってしまうそれに間違いなかった。

 

 ロリちゃうねん。ノーマルやねんとほざきまくりつつも、こーゆーアイテムに心を惑わされているのだからその説得力も無いに等しい。

 

 つーか、ジャスティスに至っては左手をぐっぐっと何度も握り締め、右手はパッキンパッキンと指を鳴らしていたりする。どんな感情が蠢いているのやら興味は尽きない。

 

 

 おまけに楓の胸元はびろ〜んとひろがっているではないか。

 そのダイナマイツ具合には流石の横島も血圧アップしてヤリパンサーだ。

 

 

 「ちゃうんじゃ——っ!!

  ちゃう、ちゃうんやっ!! そーやないんじゃ——っ!!!」

 

 

 ナニがどー違うのかサッパリサッパリであるが、例によって例の如く横島は近くにあった岩にガンガンヘッドバッドかまして血圧を下げようと無駄に努力をしている。

 無論、そう簡単に落ち着けるわけがない。

 

 先日、刹那によって切断され、ネギによって修理中となっていた風呂場の岩がたちまち粉々となった。

 

 

 「あはは……風呂で騒いではいけないでござるな。あんまり騒ぐと人が来るでござるよ?」

 

 「誰がオレをこーさせとると思とんじゃ——っ!!」

 

 

 アイデンティティの崩壊の危機に、横島もマジ泣きで抗議する。

 

 尤も、『あんまり騒ぐと、この水着に石鹸の泡をぬりたくってそれで横島殿を洗うでござるよ?』と言われれば、湯の中でも土下座して謝る他無い。

 

 そんな“さーびす”受けたら完全にアウトとなるのだから。

 

 楓にしても、先日一対一で風呂場で相対した時にはあれだけ慌てていたというのに、今の彼女は修学旅行前のペースを取り戻しているようにも見える。

 

 

 ——というのも、

 

 

 「ぜぇぜぇ……

  ん? そう言えば楓ちゃん、みょーな事言わんかったか?」

 

 「はて?」

 

 「いや、その……拙者“ら”とか……」

 

 

 “ら”と言ったのだから、単数形ではない。

 普通で考えれば複数形という事になる。

 

 それはつまり……

 

 

 「……ろ、老師……」

 

 「え………」

 

 

 当然ながら今現在での横島の関係者の一人、古もいるという事で……

 

 まぁ、二人一緒でなければこんな事等できはすまい。

 

 

 「え、えと、あの……」

 

 「う、うん……」

 

 

 霊力が下がっているからか、二人の霊気を隠す能力が上がっているのか、はたまた心を許しているので気付けなかったかは定かではないが。

 

 兎も角、古がいてくれているお陰(所為?)で、楓もこうやってまともに彼と話ができているという事なのである。

 

 

 が、

 

 

 「さきは、その……」

 

 「う…うん」

 

 

 「……」

 

 

 楓は、な〜んかイマイチ面白くない……

 

 

 シネマ村での一件。その件に関わった二人であり、当事者である。

 

 その事が古の心に何を齎せたのかは知らないが、確実に朝よりは変化を見せて……いや、見せ付けていた。

 

 

 「むぅ……」

 

 

 古はなんだかもじもじとし、水着を着用しているというのに、まるで肌身を曝しているかの如く恥ずかしがっている。

 

 横島もそんな彼女の仕種に触発されたかのように、どこか落ち着きのなさを見せている。

 

 

 それがやっぱイマイチ面白くない。

 

 

 「 横 島 殿 」

 

 「うわぁおっ!?」

 

 

 いきなり二人の間に割り込みを掛ける楓。

 

 横島との顔の距離は僅か五cm。とんでもない近距離である。

 彼の驚きも知れると言うもの。

 

 

 「なっ、何や何や!? イキナリっ!!」

 

 「はっはっはっ お気になさらず」

 

 「気にするわっ!!」

 

 

 自分に対し半泣きになって抗議する横島。

 

 それは自分によって陥落されかかっているからであり、自分に意識が向けられているという事である。

 それがまた嬉しいのか、楓の笑みが増した。

 

 

 「むぅ……」

 

 

 すると今度は古の方が何か面白くない。

 

 楓と同じ様に唸り、何か頬が膨らんでいる。

 

 

 「老師」

 

 ごちんっ

 

 「おぷっ!?」

 

 

 瞬動。

 一瞬で楓と横島のとの間に割り込みが掛かり、楓は鼻を古の後頭部で打って蹲った。

 

 そして横島との顔の距離は楓より近くて四cm。

 

 

 「うっひゃぁあっ!?」

 

 

 当然の様に横島は奇声を上げて後に跳ねた。

 

 

 「な、何やちゅーんじゃっ!? オレに対する挑戦か!?」

 

 「ベ、別に新たなるスタンド使いとかではないアルよ」

 

 

 割り込んだまでは良かったが、どうも勝手が上手くいかない。

 湯中りしかかっているのか、心構えなく発動させた瞬動の所為か、胸がドキドキしているし。

 

 

 「あ、あの……っ」

 

 「う、うんっ!?」

 

 

 「その……どうも…ありがと……」

 

 

 小さく、

 本当に小さく礼を言う古。

 

 武術家として礼儀を重んじている彼女であるから、こんな風に礼を小さい声で言うのはおかしくもある。

 そして本人も何だか大きな声で言えなかった事に混乱しているようだ。

 

 助太刀や助力、そして霊波を習った後など言うそれとは違い、何と言うか……横島の中にある想いを知った事に対しての礼なので言い難いのである。

 

 それが何を意味しているのかもやはり気付いていないのであるが。

 

 

 そして横島は、俯きかげんで礼を言う古に萌え……もとい、苦笑しつつ、

 

 

 「礼を言うのはオレだよ。

  ありがとな、古ちゃん」

 

 

 とこれまた礼を言って来るではないか。 

 

 

 へ? と訳の解らぬ古は伏せていた頭を上げ、横島の顔を見た。

 

 

 「あ……」

 

 

 苦笑したままなのだから何時もの彼の顔。

 いやじゃーっ いやじゃーっと鍛練から逃げまくり、それでも最後まで付き合ってくれた後の顔そのまま。

 

 だけど違う。はっきりと違っている。

 

 

 同じなのに何だか違う、そして妙に眩しい笑顔がそこにはあった。

 

 

 自然と古は目を伏せて俯く。

 

 その笑顔に眩しさを感じた事もあったが、それより何より礼を言われる程の事はできていなかったのだから……

 

 

 「あ、あイヤ……その、私は別に……何も……」

 

 

 できなかった。

 

 いや、正確には“届かなかった”。

 

 

 確かに月詠には刹那と共に一矢報いる事はできたのであるが、それはお返しができた程度。

 

 その刹那の事にしても結局は木乃香と共に危うく失いかけていたのである。

 

 ギリギリで救ってくれたのは、この横島だ。

 

 魔法の秘匿という約束事すら無視し、町の中を一直線に貫いて危機に駆け付けてくれた老師なのである。

 

 

 だから自分の友を救う為に全てを無視してくれた彼に礼を言ったのであるが……

 

 まさか自分が言われるとは思いもよらなかった。

 

 

 「あん時さ……」

 

 「ふぇ……?」

 

 「あん時、オレ止めてくれたろ」

 

 「……あ」

 

 

 そう——

 

 横島の“性質”が切り替わり、全ての禍根を先に絶とうとしていた彼を止めたのは、古の制止の言葉だった。

 

 確かに心の中にも別の言葉は湧いてはいたが、肉体的に響いたのは間違いなく古の言葉だったのだ。

 

 

 「あれは……その……」

 

 「うん……あのままだったら皆危なかった。

  木乃香ちゃん達を犠牲にし掛けたのに、このくらいなんて言われてさ、ぶち切れちまったんだ」

 

 「それは……」

 

 

 と、古が横島にフォローを入れようとする。

 

 彼女とてそんな場面に出会えば暴走もするだろう。

 或いは頭が真っ白になり、もっととんでもない行動をとってしまうかもしれない。

 

 

 「でもさ、今さっき楓ちゃんにも言ったけど殺そうとしたら駄目だろ?

  それに皆を巻き込みかけるなんて最低最悪に本末転倒じゃねーか」

 

 

 怒りに我を忘れた事など何度もある。

 

 同僚の娘が関わった植物妖怪の事件や、かの“魔神”の事件の時等がそうだ。

 

 だが、それらの被害は少なくとも自分がメイン。他者への被害は少なかったと思う。

 

 しかし今回は最悪だ。

 意識が殺意に完全に持っていかれ、相手を消す事のみに集中し切っていた。

 

 自分がズタボロになるのはいい。慣れてるし。“向こう”では毎日の様にボロゾーキンにされていたし。

 

 だが、自分の所為で女の子に一生モノの傷を作るのだけは絶対にしてはいけない事だ。

 

 

 だからこそ横島は心から古に感謝している。

 

 慕っていてくれて、自分を止めてくれて、結局は皆を救ってくれた古に……

 まだ誰にも言っていないし、言えない傷がジクジクと胸の奥で痛んでいる。だからその傷が広がるのを防いでくれた古に……彼はずっと感謝の念を向けていた。

 

 

 

 ——そう、もう二度と誰も失いたくないのだから。

 

 

 

 古は今まで、これほどまでにストレートで深く、そして重みのある感謝の心を向けられた事はなかった。

 

 

 教えを乞う為に訪れてくる。或いは勝負を挑んでくる男たちは、自分と戦った後に感謝の心を贈ってくる。

 

 その中に僅かながらも下心があり、その下心が全くのゼロで感謝する者はいないと言って良い。

 

 だから他人から向けられる感謝の心というものを真の意味では知らなかったと言えよう。

 

 

 しかし、横島は良い意味であけすけだ。

 

 感謝の気持ちも本心からのもので、全く裏表がない。

 

 

 楓と共にここで横島を待っていたのは、飴が無くなって子供の姿になれなくなっている彼と、明日の日程を相談する為という理由があった。

 

 何せ女子中学生の群れの中にいる(見た目)男子高校生など目立つなんてモンじゃないのだ。

 それに横島は楓と“そーいう関係”という噂があるのだから輪をかけて目立つ。

 風香や史伽に食事を奢った事が彼女らの口から出たのだから尚更だ。

 

 だからそんな彼と秘密の相談をする場として風呂を選んだという訳である。多分。

 

 

 しかし、もう一つ別の目的があった。

 

 

 任務遂行の意志より何より、自分らの友の身を本気で按じてくれた彼に対して感謝の言葉を述べたかった。

 

 守ってくれただけではなく、どういった能力かは不明であるが、怪我や疲労まで完全回復してくれ、木乃香らが本山につくまで陽動をかって出てくれた彼に、大きくお礼を言いたかった。

 

 

 だけど彼はそんな自分に対し、更に感謝の弁を述べてくる。

 

 

 伸ばした手が届かなかった時の痛み、苦しみは尋常ではなかった。

 

 あのまま二人が落ちていったとしたら……その時の痛みは想像を絶するだろう。

 

 

 彼は二人と、そして自分を救ってくれたのだ。

 

 心から助けを求めたその時に駆け付け、救ってくれたのだ。

 

 どれだけ感謝しても追いつかないほどなのだ。

 

 

 なのに彼は更に自分に感謝の弁を述べてくる。

 

 自分を、皆を救ってくれてありがとうと言ってくる。

 

 

 つまりはそれだけ、

 

 それだけ、以前失った“誰か”の事が、“しこり”が残っているのだろう。

 

 

 横島の笑顔が優しげであればあるほど、古の胸の奥がチクリとした痛みをつたえてくるのだった——

 

 

 

 ごっ

 

 「ぽぺっ!?」

 

 

 そんな古の眼前に黒い物体……楓の後頭部が出現し、今度は古が鼻を強打して抑えて蹲った。

 

 

 空気が読めないわけではないし、狙ったわけでもないのだが、古の周囲にあったシリアスな空気は楓によって一気に払拭されてしまう。

   

 復活を果たした楓が、赤くなった鼻を抑えつつも身を翻して瞬動。今度は彼女が古と横島の間に割り込みを掛けのだ。

 そして距離は三cm。

 

 

 「ひゃうっ!?」

 

 

 当然ながら飛びのくが、背後は既に岩。

 ごいんっ♪と実にイイ音を後頭部が奏で、目を回して楓の胸に倒れこんでしまう。

 

 

 「お、おろ?」

 

 

 意趣返しのつもりなのか、割り込みをかけたまでは良かったのであるが、意外(?)な展開。

 こうなると楓も扱いに困ってしまう。

 

 何というか……こんな風に胸元に異性を抱きしめる機会等なかったので、混乱もするというもの。

 

 ネギは子供過ぎたのでその範疇ではなかったのであるが、横島はれっきとした大人。見た目でも青年だ。

 別ら後ろめたい事などありはしないのであるが、何だか不純な事をしているような気さえしてくる。

 

 

 おまけに……

 

 

 『く……い、意外に抱き心地が……』

 

 

 良いのだ。

 

 

 これが横島の弁なれば納得できよう。

 しかし楓の感覚なのだから驚きだ。

 

 まだちゃんとしたスキンシップをとった事がないのに、この程度で混乱していたら先が思いやられるというものである。

 

 

 湯あたりしかけたのか、楓はポ〜っとした顔で横島を抱きとめ続けてたのであるが、ふとそんな彼の背に目を落して表情を一変させた。

 

 

 「む……」

 

 

 いや——

 

 彼の肌を見る機会は何度もあった。

 全身をウッカリ見てしまった事も。

 

 しかし、身体を赤く温めたのを見たのは初めてである。

 

 

 赤く火照った横島の肌には、おびただしい傷痕が浮き上がっていたのだ。

 

 

 

 『……出会った時の傷痕は殆ど見えないでござるが……』

 

 

 そこらへんは……まぁ、横島だし。

 

 

 『む……?! 首の頚動脈にも致命傷の痕が………』

 

 

 何か鋭い刃物で斬り裂かれた筋が赤く浮かんで見えている。

 

 楓だからこそ解るのだが、刃物のように鋭いもので斬られ、然る後に完治させた痕だ。

 

 

 『そして背中のこれは……』

 

 

 火傷の跡とは明らかに違う。

 

 赤く火照ったから浮き上がっているのだろう、高温で肌を焼かれたとしか思えないような痕がそこに現れている。

 

 

 「………」

 

 

 そしてそれは、彼が数多くの人外との戦いを経て来た証でもあった。

 

 

 「……横島殿」

 

 

 楓は、無意識にきゅ…とその頭を抱きしめていた。

 

 

 何がそうさせたかは解りはしないし、彼女がはっきりと理解できるとも思えない。

 

 しかしそうする事が必然であるかのように、楓は横島の頭を抱きしめてしまっていた。

 

 

 闘いには痛みが伴う。

 

 身体であったり、心であったりだ。

 

 そして彼の身体には無数の痕がある。

 

 下手をすると、その傷の分だけ心にも痛みを負ってしまっているのかもしれない。

 

 そう考え付いてしまうと、こうする事以外にどう行動できようか。

 

 少なくとも、楓はそれだけしか思いつかなかった。

 

 

 その想いが愛しさだと気付けぬまま——

 

 

 「カ〜エ〜〜デ〜〜〜……」

 

 ぶんっ!!

 

 

 「おぉっ!?」

 

 

 楓の頭部があった空間を、鉈のような蹴り脚が薙いで行った。

 

 直前に殺気を感じた彼女は横島を抱えたまま身を逸らして無事だったが、当たればただでは済まなかっただろう。

 

 

 「うーむ、腕を上げたでござるなぁ……

  湯面に波紋も立てず蹴りを放つとはなかなか……

  ではなく、何 を す る で ご ざ る か っ ! ? 」

 

 

 実際、蹴りが来るまで風呂の湯が乱れもしていなかったのだ。

 それでいて技が使えたのだから、全くもって大したものである。楓も誉めてやりたくなってしまう程に。

 

 無論、

 訳の解らない攻撃をされなければ——の話であるが。

 

 

 「何をするでござる……じゃないアルよ!! ナニ老師を独占してるアルか!?」

 

 「は? いや、別に拙者は……」

 

 「そんなコトしてて説得力ないアル!!」

 

 

 『へ?』と改めて下に目を落すと、横島の頭は強く抱きしめられ……とゆーか、胸に思いっきり顔を沈めさせている。

 

 なんかピクピクしてるし、チアノーゼを起こしてるっポイ顔色もしてるではないか。

 

 

 「ぬ゛ぉっ!? 横島殿!?」

 

 

 慌てて身から剥がし、ガクガク揺するが意識は戻らない。

 

 そのかわり霊力はフルチャージされてたりするトコは実に彼らしいが。

 

 

 「大体、何アルか!?

  “私達”の話に割り込んできて……説明を求めるアル!!」

 

 

 何だか怒り心頭に達している古は、何時もより気が短めでプンスカ怒っていた。

 だが、楓の方の何かカチンとキている。

 

 

 「“私達”?

  拙者“ら”の話に先に割り込みをかけたのは誰でござったかな?」

 

 「知らないアルね」

 

 「ほほぅ……?」

 

 

 何を張り合っているのかお互いが解かっていないのであるが、古の返答の直後、ぐにゃり……と二人の間の空気が歪みを見せた。

 

 立ち上る湯だけではない、砂漠の陽炎のような高熱の揺らぎを感じさせている。

 

 

 楓の目が針のように光り、古の口元が鮫のように横に伸びた。

 

 

 「ふふふ……

  カエデぇ〜……一つ私がどれくらい強くなれたか見てほしいアルなぁ……」

 

 「ふっふっふっ………

  ここは一つ、古には拙者の符の力をはっきりと見せておく必要があるでござるな……」

 

 

 ふふふふふふ……

 ふっふっふっふっ……

 

 

 温かな春の夜の露天風呂。

 

 その中だというのに妙に底冷えのするワライが反響する。

 

 ひとしきり耳障りなワライが響いたあと、耳が痛くなるような静寂の瞬間が訪れ——

 

 

 「「勝負っ!!」」

 

 

 

 斯くして、

 本人らの以外には全く無意味なバトルがおっ始まるのだった。

 

 

 

 

 その闘いは、目覚めた横島が二人の全裸キャットファイトを目の当たりにし、鼻血を噴いて生死の境をさまようまで続いたという。

 

 

 無論、後で彼にみっちり怒られた事は言うまでもない……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃——

 

 

 

 

 「………彼は一体……」

 

 「ひっくひっく……ぐすぐす……

  も、もうお嫁さんになれへん……」

 

 

 「なぁなぁ、新入りと千草の姉ちゃん、どないしたんや?」

 

 「さぁ〜? あん人の方は何だかよく解らない目にあったそうやしー

  千草さんの方は口にする事もできひんよーな目に遭わされたみたいですよ〜?」

 

 「ワケわからん……

  ん? そっちは何や顔がツヤツヤしとるみたいやけど、なんぞエエ事でもあったんか?」

 

 「ええとっても……

  ちょっと荒かったんですけど、将来が楽しみな人と闘り合えたんどすわぁ〜……」

 

 「へぇ〜……ええなぁ……ま、オレもちょっとオモロイ奴に会えたけどな。次は勝つけど」

 

 「あはは〜 お互い、ええ想いしたいう事やねー」

 

 「せやな」

 

 「「あはははは……」」

 

 

 「うっさいわっ!! 人が落ち込んどる時に何楽しげに話ししよりますのんや!!

  くぅぅ〜〜〜〜……ワケ解らん変態の所為で悉く策は失敗。

  おまけにお嬢様には本山に入られてまうし……

  あん結界ん中に入られたら、こっちは手ぇ出せしまへんし……散々や!!」

 

 「千草さんも大事なモン無くしてしまいましたし〜」

 

 「まだ無くしてへんっ!!」

 

 「なんや? 大事なモンて……」

 

 「ん〜……コタローはんも何時か奪うモンやろなー」

 

 「はぁ?」

 

 「コ、コイツら……」

 

 

 「……まだ手はある……」

 

 

 「え?」

 

 「……僕に任せてくれないか?

 

 

  流石にここまでされたら後には退けない……」

 

 

 

 

 

 

 

 空では月がワライ、

 

 風は狂ったように咲く桜の花びらを舞わせる。

 

 その花の香に酔うように全ての駒の位置が狂いを見せる。

 

 

 そして駒では無い駒の出現が流れを狂わせ、

 狂わせられた流れは激流へと周囲を誘う。

 

 

 かくして狂乱の舞台は整い、

 

 

 

 

 その幕は、

 

 

 

                   これから上がる———

 

 

 

 

 

 

 

 




 御閲覧、お疲れ様です。
 何とか手直し修正し、あの戦いの夜手前までこぎつけました。

 何気に入った かのこですが、実は後から響いてきます。
 ネタバラになりますが、実はシロのボジに近いものがあり、その所為で巻き込まれるものもいるという訳で……ええ、だからこそ前の時は出さなかったんです。


 さて次はあの夜の戦いですんで ちょっとシリアス気味。
 まだ戦闘技術を確立してない横っちだから珠をそこそこ使ってしまいます。
 珠に頼るのって、安易だからしたくないんですけど、記憶がないので勘弁してください。
  
 という訳で今回はここまで。続きは見てのお帰りです。
 ではでは〜


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