-Ruin-   作:Croissant

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八時間目:ヒツジ達の沈黙
本編


 逃した獲物は大きかった——とはよく言うが、眼鏡ねーちゃんという獲物を狩れなかったのはかなり痛かった。

 

 横島忠夫という男は頭に血が上り易い代わりに下がるのも早い。

 よい意味での熱しやすく冷め易いという見本のような男である。

 

 

 が、事が煩悩に関わってくると話は別。

 

 

 横島家の血が呪われている……かどーかは不明であるが、この一族の男は女っ気が無いと死んでしまうかもしれないアホタレな特性を持っている。

 

 そんな血を継ぐ彼は度重なるストレス(外から見ればリア充なのだが)によって疲弊していた。

 

 そしてようやくそれを発散(?)できる対象を見つけたというのにナニも出来ず引っ張リ戻されてしまっていた。一度持ち上げられて落とされたようなものだ。

 

 だからと言ってそのまま突き進んだらシャレにならない。色々と。

 その際にナゾの魔法道具によっておバカに鎮静化させられた訳であるが、少年少女の前でエロ同人的状況に入らずに済んだのは……確かに感謝しても仕切れないだろう。

 実際、楓に対して感謝の土下座衛門と化していたし。

 

 

 しかし煩悩というか、ぶっちゃけ性欲は燻り続けている上、周囲は美少女ばかり。

 それも上級レベルの女の子ばっかが周囲にいるのだから居た堪れない。

 

 

 ——これだけ隙ばっか見せてる方が悪いに決まってんだろ?

   犯られたって文句言わねーよ。

 

 と、本音が囁き、

 

 

 (まてや!! せめて和姦に持ち込なアカンやろが!!)

 

 と悪魔が助言。

 

 

 【お待ちなさい。未成年の少女に罪の意識を持たせてどうするのです。

  ここは一つ、無理矢理襲って自分が罪を被ってやるのも情けでは?】

 

 と天使が提案し、

 

 

 『せ、せめて優しくしてあげましょうよ〜』

 

 と仏心が——

 

 

 「……って、待たんかーっっ!!

  なんやおどれら そろいもそろってオレを陥れようとしくさってからに!!

  幾らその葛藤がテンプレいうたかて限度かあるだろーが!!」

 

 

 ——いやだってよぉ……

 

 『む、無茶ですよぉ』

 【アナタ(ワタシ)が性衝動を止められる訳が無いじゃないですか】

 

 (賭けてもいいですよ? あなたでしたら一年以内に手を出すと)

 

 

 「じゃかぁしっっ!!

 

  オレはそこまで外道とちゃうわーっっ!!」

 

 

 横島(本人)がそう絶叫すると、悪魔やら仏心達は顔を見合わせてアメリカンなジェスチャーで肩を竦め、ふー…ヤレヤレというリアクションを見せた。

 

 

 【自覚なき者は救い様がありませんね。

  あ、ワタシも手を出す方に賭けます。

  最初のお相手は楓サンに……そうですね。負けたらミカミさんに罵詈雑言を浴びせてもいいですよ?】

 

 (むむ? だったら私も賭けを変えて古ちゃん……ではなく、意表をついてまだ見ぬ少女にしましょう。

  その娘とスるのに賭けます。負けたら隊長さんを年増と罵ってさしあげましょう)

 

 「な……っ!?」

 

 ——んじゃあ、オレは最初は3Pに賭けるぜ。負けたら『百合子母さんに罵詈雑言浴びせる』な。

 

 「…っ!!!???」

 

 

 『じ、じゃあボクは、ハーレム作って酒池肉林に……

  えっとぉ……“小竜姫様に向って貧乳と罵る”を賭けますぅ』

 

 「ちょっ、おま……っっ!?」

 

 

 本人が動揺しているのを他所に、大穴だなぁとか、大きく出たな等と和気藹々としている。

 

 ちゅーか全員手を出すと確信しているご様子で、それは横島のアイデンティティの全否定をも意味していた。

 

 それは流石に黙っていられない。

 

 

 「いい加減にせーっっ!!

  オレはそこまで堕ちてへんぞーっっっ!!!

 

  それやったらオレは手を出さんに全賭けじゃあっっ!!

  ンな不確定未来なんぞオレの全てを賭けて否定する!!!」

 

 

 ——『(【あ、それ無理】)』

 

 

 間髪いれず否定する本心たち。

 

 流石にロリ否定という金字塔を全否定されればブチキレるというもの。高級メロンを思い出させるほど筋を浮かべて突っ掛かっていこうとした。

 

 そんな彼の顔の前に掌が突き出され、

 

 

 だって、それ見たらお前の言葉なんぞ信じられんぞ——と告げた。

 

 

 え? と示された指に従って恐る恐る振り返ると……

 

 

 

 

 「ん〜……横島どのぉ……」

 「ろうしぃ〜 えへへへ……」

 

 

 

 

 

   横島が寝ている布団の左右に、

 

 

 

       旅館の浴衣を肌蹴させ、

 

 

 

          明らかに行為に及んだ後の二人の——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「 ぬ わ ぁ あ あ あ っ っ っ っ ! ! ! ? ? ? 」

 

 

 

 思わず叫び声を上げて飛び起きた横島。

 

 追い詰められた兵士宜しく、周囲をせわしなく窺って旅館の布団で寝ていた事に気付き、ようやくホッと胸を撫で下ろしていた。

 

 

 「よ、良かった……夢オチやったんか……

 

  チクショウめパターン化されたネタにかましやがって……」

 

 

 等とブツクサ文句を零してはいるが、えがったーえがったーと涙すら流して安堵しているのだから、どれだけショックが大きかったか解るというもの。

 

 チンケなプライドに縋る事無くヨロシクやってればこんなに苦しまずに済んだものを。

 

 

 「じゃかぁしわっっ!!」

 

 

 ……等と地の文にツッコミすら入れてるのだから相当 追い詰められていたのだろう。

 

 傍から見れば往生際の悪い無駄な足掻きであるし、笑える事なのだが……

 

 

 「大丈夫でござるか? かなり魘されていたでござるよ」

 

 「な、なんとかな……」

 

 

 その焦燥具合を心配したか、横で寝ていた少女も身を起こして彼の背を撫でて介抱する。

 

 その気遣いに礼を言いつつ、彼女が水差しから注いでくれた水を受け取ってそれで咽喉を潤し——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぴゅ〜〜〜と鼻と耳からその水を噴いた。

 

 

 「えと……カエデ……ちゃん?」

 

 「何でござる?」

 

 

 建付けの悪いドアの様にギギギと軋んだ音を立てて少女に顔を向ける……と、やっばり見慣れた楓の姿。

 

 ついでに言うと浴衣の胸元はかなり乱れておりその豊満な胸も露出しているし、虫に食われたような赤い痕もポツポツ見えている。

 

 自分らが寝ていた布団の周囲にはクシャクシャになったティッシュが転がっているし、

 

 

 何より寝ていた布団の中央辺りに——

 

 

 

 

 

 

 

       チョコレート色の染みが………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぬがぁああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!」

 

 

 

 

 

 ——こうして横島は、二段夢オチ(、、、、、)というものを体験したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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               ■八時間目:ヒツジ達の沈黙

 

 

 

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 「——それでは麻帆良中の皆さん。『いただきます』」

 

 

 いただきま——す

 

 

 笑顔でネギが挨拶の掛け声をあげると共に、少女らが一斉に手を合わせてから箸を伸ばす。

 まぁ、それを待たずに調味料に手を伸ばしている少女もいたが、それでも行儀は良い方だろう。

 

 何時もは真面目不真面目を問わず元気が良い3−Aの中で、特ににぎやかな連中が精彩を欠いていた事も一因として挙げられる。

 昨日、音羽の滝の酒混じりの水を飲んでしまった生徒らは二日酔いの所為か、はたまた飲み慣れない物を飲んでしまった所為か定かでは無いが余り騒いでいないのだ。

 

 

 「せっかく修学旅行一日目の夜だったのに。悔し——っ!!」

 

 

 ……いや、騒げなかった為に燻っているのかも……

 

 

 「今日どこ行くんだっけー?」

 「限定ストラップのカワイイのあるかな?」

 「鹿人間はちょっとねー」

 「そー言えば、朝方ヘンな叫び声しなかったー?」

 

 

 等と きゃいきゃいとはしゃぐ黄色い声に苦笑を浮かべつつ、ネギも味噌汁に手を伸ばしていた。

 物思いに耽っている顔はその実年齢より大人びて見えなくもないが、まだ箸に慣れていないのかスプーンで食べているのが何だか微笑ましい。

 

 

 「ネギくん。ちょっと眠そーやな——♪」

 

 「あ このかさん。おはようございます」

 

 

 木乃香の奪回に走り回り、尚且つ闘いが終わった後、壊したものを魔法で片付けたりしてけっこう忙しかったのであるが、自分の仕事をきちんと弁えている彼はそれを顔に出していない。

 それでも気付く木乃香は感心すれば良いのだろうか。

 

 

 「ゆうべはありがとな♪

  何やよーわからんけど、せっちゃんやアスナと一緒にウチをたすけてくれて」

 

 「い…いえ……

  僕はほとんど刹那さんについてっただけで……」

 

 

 訳が解からずとも感謝してお礼を言うのは木乃香の長所だろう。

 

 彼女は裏の事情を全く伝えずに育てられている事もあって大した説明は出来ていないのだが、それでも気にしていないのは人間が大きいのか天然なのか。

 

 ネギの肩でカモも『細かいこと気にしない人で助かるぜ……』と安堵していた。やや呆れもしているが。

 

 

 「……あ。せっちゃん」

 

 

 木乃香がふと顔を上げると、目立たぬよう朝食をとっている刹那の姿が入った。

 

 当然というか、刹那はギクリとしてお盆ごと自分の食事を持ってそそくさと席を立つ。

 

 

 「あんっ 何で!?

  恥ずかしがらんと一緒に食べよー」

 

 

 そして木乃香はそんな刹那を追う。

 

 

 「せっちゃん 何で逃げるん——?!」

 

 「刹那さ——ん」

 

 

 別に恥ずかしがっているわけではないのだが、そんな事を知る由も無い木乃香はお盆を持ったまま刹那を追い、

 昨夜、刹那に離れられた時の木乃香の表情を憶えているネギも刹那を追いかける。

 

 

 「わ、私は別に——……」

 

 

 一緒にいられない説明をする事ができない刹那は、ただ逃げる事しかできないでいた。

 

 

 だが、当人らにとってはシリアス気味で様々な想いを秘めているそれであるが、傍から見れば奇妙で楽しげな追いかけっこに過ぎない。

 

 普段はクールな刹那の慌てふためいている流石の3−Aのメンバーでも見た事が無いらしく、自分らが酔い潰れている間に何か面白そーな事が起こったのだと確信をしたクラスの問題児らは今晩こそ騒ぎまくることを決意するのだった。

 

 

 

 

 

 「へ? 逃げられたでござるか?」

 

 

 そんな騒動が起こっているテーブルよりちょいと離れた席。

 楓は思わずマヌケな声を出してしまった事に気付き、箸を持ったままの手で自分の口を押さえた。

 

 幸いにも誰にも聞き取られていない……というより、刹那らの追いかけっこに集中していたので誰も気にすらとめていないようだ。

 

 ホッとして口から手を離し、楓は話を聞いていた相手にもう一度顔を向けた。

 

 その少女は楓の困惑等どこ吹く風で、落ち着いて味噌汁を啜り、『ちょっとダシの旨みが出切っていないネ』と辛口の評価を下してたりする。

 だが楓の視線に気付くとニッと微笑み、味噌汁の椀をコトリと盆に戻してから口を開いた。

 

 

 「そう……カエデが当身を食らわせ、横島サンをかっ攫って逃げた後、ネギ先生らもアノ女を捕らえようとしたヨ。

  けど——」

 

 

 楓の左側で落ち着いてほうじ茶の入った茶碗に手を伸ばしつつ話す少女……超 鈴音によれば、楓が立ち去った直後に木乃香を誘拐しようとした曲者……千草の足元に水が湧き出し、気を失った彼女と落とした眼鏡を捜し続けていた剣客……月詠を吸い込んでいったのだという。

 

 

 「考えられるのは−水を触媒とした転移魔法−くらいネ」

 

 

 と超は自分の見立てを述べた。

 

 

 「ダシが淡い上にお茶が熱過ぎるヨ!」——と舌を火傷しつつ……

 

 

 そんな超から視線を外し、チラリと刹那を追って走り回っている木乃香の姿を目に入れた。

 彼女は逃げられるという事には辛そうであるが、別に自分を嫌っている訳では無いという事に気付けたお陰だろうか、どこか機嫌が良さそうにも見える。

 

 昔のように仲良く一緒にいられたら……という想いから幼馴染を追い回しているに過ぎない、どこにでもいるごく普通の少女の姿だ。

 しかし横島の話によると、彼女は人間としては(、、、、、、)中々な魔力が秘められているのだという。

 

 穏健派と急進派の派閥争いが関わっている。というのなら、ネギ達が言うようにその魔力を利用しようと企む輩の仕業となるのだが……

 

 最近、鍛え上げられてきている彼女の勘が違和感を伝えてきている。

 何と言うか…その足並みの揃わなさからしっくりしないのだ。

 

 超によれば、水を触媒とした転移はけっこう高等な魔法らしい。

 とすると、関西呪術協会(、、、、、、)が、そんな西洋魔法使い(、、、、、、)を雇っているという事となる訳で、

 

 そうなると関東の魔法協会といがみ合っている理由も噛み合わなくなるし、閉鎖的…と言うほどではないにせよ、伝統を重んじる者達がそんな輩を雇うというのも……

 

 

 「う~む……」

 

 

 段々煮詰まってきたので、楓は頭を振って一度情報を組み直す事にした。

 

 まず、最初の西の妨害工作はヘッポコの一言に尽きる。

 

 しかし、ネギの実力は兎も角として、横島と明日菜の不条理さによって誤魔化されているが、式神の力は決して弱くは無く油断何ぞしてよい相手ではない。

 

 大体、月詠と名乗った剣客の腕も“本物”で、刹那同様に神鳴流の技を使っていたのだが、あの戦い方は刹那のような人対魔ではなく、人対人に特化しているように思われる。

 昨夜あのようなヘッポコな負け方をした以上、次からはもっと慎重に事に及んでくると思われる。ならばに刹那にとってかなり性質の悪い相手という事になるだろう。

 

 そして今、超から聞いた話によると、横島が懸念していたように かなり“やる”であろう実力者の魔法使い(?)も伏兵として潜んでいた。

 

 何が厄介かというとその引き際の良さだ。

 

 あの場に居た中で実は一番厄介な相手である横島は、楓が握っている“暴走対抗手段”によって無力化し、尚且つ彼女がかっ攫って行ったのであの場に残っていたのはネギと刹那、そして明日菜だけ。

 つまり、どれだけ才能があろうと素人二人もいる状況なのだから如何様にも出来た筈なのだ。

 

 

 だが、そいつは撤退を選んだ。

 

 チャンスだったにも拘らず“逃げた”のである。

 

 

 一見して好機なのだが、それでも逃げたのは横島に次いで自分のようなイレギュラーが出現した為に他の傍観者を警戒したのだろう。

 一端退いて他の手を使う(或いは考える)ような冷静さと慎重さを持っているとなると……間違いなくプロだ。

 

 それにもし、あの場に初めから潜んでいたとすると、横島も自分もそんな第三者の存在を知覚できなかった相手となる。

 その上で完全に引き際を見極めて撤退を選んだのだから只者とは思えない。

 

 

 『もしや…あの眼鏡女(千草)の目立ちまくるヘンな行動は何かの陽動だったでござるか……?

  それとも彼女そのものが囮とか……或いは威力偵察……う〜む……』

 

 

 等と、その思惑を探る楓であったが、実のところ相手のちぐはぐな行動が作用しているだけだったりする。

 その上彼女は、何だかんだ言っても経験が足りないので裏を読み切れないのだ。

 

 単に横島にかき回されただけという説もない訳ではないが……簡単に思考が行き詰ってしまうのも仕方のない事だと言えよう。

 

 

 

 ぽんっ

 

 「おろ?」

 

 

 ——と、そんな風に首を捻ってウンウン唸っている楓の肩に誰かが手を置いた。

 

 

 楓が思考を中断し、その手の主の方へと顔を向ける。

 

 

 

 「カ~エ~デ~~……」

 

 「あ……」

 

 

 眼を三角にして自分を睨んでいる中華娘、古がそこにいた。

 

 

 「や、やは、古。何の用でごじゃるか?」

 

 

 考えてみれば同じ班。尚且つ古が班長なのだ。

 同じ席で食事を取るのは当然であり、更にここでこんな話をしているのだから彼女の耳に入るのも当たり前の事なのだ。

 

 それに良く考えてみれば楓は昨夜の事を古に伝えていない。

 

 楓らしくない大ポカであるが、今更言ってもしょうがないだろう。

 その所為で何だか焦ったりしている楓であるが、それを必死に隠して笑顔に努めて問い掛けていた。

 

 ……まぁ、誤魔化しきれるとは思っていないのだが。

 

 

 「私が頭痛でウンウンいてた時に、ナニか老師と楽しそうにしてたみたいアルね~~……」

 

 「え、いや、その、べ、別に楽しいコトしてたわけでは無いでござ……」

 

 「ほぉ~……全然、楽しくなかたと……」

 

 「あ、いや、全然というわけでは……」

 

 

 言ってしまってから『墓穴っ!!』と自分を叱咤するももう遅い。

 

 様子を見守っていた超がおもむろに箸を持ち、かなり行儀が悪いが空になった茶碗を、

 

 

 カ~~~ン

 

 

 と叩いた。

 

 

 「カエデェ~~っ!!」

 

 「わぁ〜っ! で、殿中……もといっ、朝食中でござる!!」

 

 

 茶碗をゴングとして突如として始まった異種格闘技戦。

 

 忍者対拳法家という珍しい好カードに生徒らは色めきたって食券を賭けたトトカルチョまでおっ始めるありさま。

 

 

 その戦いは激怒した鬼の新田教諭の雷が落ちるまで続いたという。

 

 

 

 

 −でも、漬物はおいしいですね−

 

 「そうですね~ 塩分濃度が絶妙です」

 

 「どこの店のモノか調べて直接契約を結ぼうかネ」

 

 

 飽く迄も超一味だけは平和だったが。

 

 

 

 

 

        ******      ******      ******

 

 

 

 

 

 「あ痛ぁ……

  あのボウズ、眼鏡ねーちゃん逃がしちまってたのか?」

 

 「そーみたいアルよ」

 

 

 そんな事を言いつつ石畳の広がる境内を何だか仲良さげに歩いている二人……横島と古。

 

 古は制服であるが、その横を歩いている横島は又しても飴の力を借りて子供の姿をとっており、子供用のジーンズとTシャツにジージャン。そしてトレードマークのバンダナ姿に何故か水筒を持っている。

 ぱっと見には何だか仲の良い姉弟が歩いているようにも見えてしまう。

 

 女生徒に混じって歩く男の子というものはけっこう目立つが、お子様必須アイテムである水筒を肩から斜めに引っ掛けているので遠足に来た子供かな? 等と勝手に周囲の人間は納得していたりする。

 麻帆良の女生徒らは良くも悪くもあまり深く気にしない性格をしているし、他の人間は通り過ぎるだけなので結局は然程目立ったりしていない。

 ちゃんと手を繋いで歩いている事も一因であろう。中等部の少女と……であるが。

 

 

 横島もこのくらいは……と我慢して手を繋いでいるし。

 

 いや、古と手を繋ぐのがイヤなのではなく、何だかしらないがみょ〜な不安に駆られるというか、何かしらの前兆を迎えそーというか……何だか説明の仕様が無い予感がしていたのだ。

 何か酷い夢見た気もするし……

 それに人前で女の子と手を繋ぐのはちょっと(、、、、)こっ恥ずかしい。まぁ、それは妥協できたのだけど。

 

 幸いにも拳法の修業で鍛えられている少女の手は思っていた以上にゴツゴツしているので然程ドキドキしないですんでいるが、ここに“然程”という表現が混ざってしまっている時点で何だかファール気味で危うい。

 横島の心に住まうジャスティス(ロリ……否定?)も、<仲良き事は美しきかな>と色紙に一筆書いてナスと共に飾ってるし。

 

 

 二段夢オチに続いて、見た悪夢を忘れるというパターンまで踏み、それでいて懲りずにじょしちゅーがくせーと仲良くお手て繋いで歩く事に慣れつつある横島。

 

 ——順調に彼の中でナニかが変わりつつあった。

 

 

 

 

 そんな少女らの周囲を謎の生物が徘徊している。

 

 

 その生物……つぶらな瞳の奥で『何やコイツ。シメんぞゴラァ』とメンチ切っており、

 放っておけば節くれだった物騒な角が生える物騒な野獣で、

 マキビシ宜しくその辺に糞をしまくり、人の通行を邪魔しまくりながら

 『ワれ。エエもん持っとるやないけ。ちょ、ワシに食わしてみいや』という眼差しで持って煎餅を強請る(関係ないが、“ねだる”も“ゆする”も同じ字だなぁ……)獣たち。

 

 そいつらが放し飼い状態で人間に怯える事無く、我が物顔でこの場所をうろつき回っていた。

 

 

 ……いや、ぶっちゃけ鹿であるのだが。

 

 

 

 

 ここは奈良公園——

 

 

 太政官布達により明治13年開園し、正式には『奈良県立都市公園 奈良公園』という。

 

 見た目にもだだっ広いその敷地総面積は502haもあり、一般的に奈良公園と呼ばれているのはこの周辺社寺を含めたエリアの事で、それら(興福寺や東大寺、春日大社や奈良国立博物館等)を含めると総面積は大体660haに及ぶ。

 

 その公園内には多くの国宝指定・世界遺産登録物件等があり、年間を通じて日本国内のみならず外国からも多くの観光客が訪れ、日本を代表する観光地の一つとなっている。

 特に奈良の大仏や鹿は国際的にも有名で、奈良観光のメインとなっており、当然の様に修学旅行生である彼女らのコースにもここは含まれていた。

 

 

 

 

 修学旅行二日目の日程は、この一日、奈良を班別行動で見学する事になっているのだ。

 

 

 幸いネギは木乃香のいる五班と行動を共にしているので後を付いてゆくだけでよい。

 

 だから横島らは親書と木乃香を守護すべく刹那らの後を歩いており、その道々で彼は古から事の次第を聞いていたのだ。

 

 

 「しかし……鈴ちゃんて何モンなんだ?

  魔法使いじゃないらしいけど、“裏”の事も知ってるなんて」

 

 「さぁ? 超は何でも知てるから不思議じゃないアルよ」

 

 「いや、知ってる事自体が不思議なんだけど……」

 

 

 超が何故横島ら“裏”の事を知っているかは定かでは無いが、彼女が昨夜の事を知っていた理由は簡単である。

 “機械”を使って覗いていたのだ。

 

 二つの無音ローターで飛行し、熱光学迷彩と魔法ステルスまで備えた1リットルのペットボトルサイズのカーキ色のイカス奴。

 自律型の小型飛行偵察機、『見える君(ピーピングトム)』。

 考えようによっては科学で作った式神である。

 

 木乃香が攫われた際、異変に気付いた葉加瀬が偵察用に飛ばしたらしい。

 

 超一味はそれを使って様子を窺っていたそうである。

 

 

 「て、偵察ロボなんぞ持っとるんかい……」

 

 「まぁ、超だし。

  ナニ作てもおかしくないアルよ?」

 

 「そ、そーゆーもんなんか?」

 

 

 まぁ、別に魔法の件を吹聴する様子も無いらしいのでその事は良いとしたのであるが、 

 

 

 「……ん? て事は……」

 

 

 そんな偵察機械で様子を窺っていたという事は、当然ながら自分の狂態も見られていたという事で——

 

 

 「んひぃ~~~っ!! お願い忘れて私~~~~っ!!」

 

 「うわっ?! ど、どうしたアルか?!」

 

 「い〜〜〜や〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」

 

 

 流石に頭が完全に冷えてしまえば自分の行為が如何に変態的であったか理解できてしまう。

 テンションが上がり過ぎた事もあり、ハイになっていたと言えばそれまでであるが、ああいう事をやっておいて旅の恥はかき捨てとばかりに記憶が消えてくれるはずもない訳で……

 

 当然、そんな奇行……つーか狂態を女子中学生に見られ続けられたとい事実は横島のシャイでヘタレな部分を責め苛んでいた。

 

 

 カズイ〜〜カズイ〜〜〜っ オレの記憶を消してくれ〜〜〜〜っ!! などとイタイ事を言い出して悶える横島に古はヤレヤレとアメリカンなジェスチャーで肩を竦め、

 

 

 「吼っ!」

 

 ドずむっ

 

 「ぐぼっ?!」

 

 

 脇腹に当身という言葉から程遠い当身を入れ、

 何事も無かったかの様に、白目をむいて失神する彼を引き摺って歩き出したのだった。

 

 

 近くにいた何も知らない一般生徒らがドン引きだった事は言うまでも無い。

 

 

 

 実は横島、昨夜の奇行の所為で楓にかなり怒られている。

 

 セクハラを止められない理由はあまりに説明し辛いので横島はひたすら頭を下げ続ける事しかできなかった。

 だから横島は奥義“天空土下座”から“飛び込み前転トリプル土下座”まで技を繋げ、そのまま這い蹲ってただひたすら謝り倒す事しかできなかったのである。

 

 所謂、<正直、スマンかった>パート2だ。

 

 

 何とか朝方には謝罪を受け入れてくれたものの、その楓は今日は横島の横にいない。

 

 横島は『まだ怒っとるんかなぁ……トホホ』とか思っているようであるが、別にまだ怒りが続いているというわけでは無い。

 単に役割分担を行った為である。

 

 

 楓が本気で駆けると流石の横島でも付いて行けなくなる。まぁ、楓の後姿に萌えたりしていれば話は別であろうが。

 そして横島は護衛……それも対象が女の子となると人智を超えた底力を発揮する。

 

 だから今日の彼女はネギの護衛を受け持ち、木乃香の護衛の“支援(刹那がいるから)”に横島……と古とに役割を割り振ったのである。

 

 幸いにも超達(同じ班の美空は知らんが)は横島の受けた任務まで知っていたので、『ワタシ達の事は気にせず、横島サンを手伝えばいいヨ』と言ってくれている。

 だから気兼ねなく古は横島と手を繋いで一緒に歩いていたのだ。

 

 

 

 ——というのは表向きの事情である。

 

 

 

 真の事情は、

 

 

 「昨日は楓が一晩老師と過ごしたから、今日は私の番アル!!」

 

 

 という事らしい。

 

 何だが人前で言われるとエラい誤解を受けそうなセリフである。

 別のテーブルであり、尚且つネギらの騒動の側にいて聞こえる筈も無いのに、早乙女ハルナの眼がギュピビーンと光っていた気もするし。

 

 

 しかし楓からしてみればそれは単に言い掛かりだ。

 

 別に横島とそんな艶っぽい事はして……………無かったはず。

 

 

 いや? アレは…………

 いやいやいや、あれは……違うでござる。

 そう、違うでござるよ?

 アレはただ……ええ〜〜と……その、何でござろう。そう、アレ。いや、そーじゃなくて……」

 

 

 「アレって何アルか〜〜っ?!」

 

 「ぬぅっ?! ウッカリ声に出してたござるか?!」

 

 

 等と楓はパートナーと同じ様なポカをかまし、言い訳が難しくなるような事態になり、

 

 

 「だたら今日の自由行動の時は、楓がネギ先生の護衛について、古が横島サンを手伝えばいいネ」

 

 

 と、超が執り成したのである。

 

 しかし、古としては文句は無いのであるが、楓としては納得しかねていた。

 

 何せ超本人が語ったような厄介な相手が向こうにいるのだ。

 そこで戦力を分けるといのは正気を疑う策なのである。

 

 

 「でも、相手がプロなら戦力の立て直しを先にする思うネ。

  式神使いと剣術使いのペアが役に立たなかたなら、少なくとももう一手……或いは二手目を用意する必要があるしネ。

  あの場で引いた手並みから、ブリーフィングも無しに襲撃を掛けるとは思えないヨ。

 

  それに……」

 

 

 そこで一旦言葉を切り、くいっと顎である方向を示す。

 

 するとそこでは女の子に纏わり付かれて混乱の極みにあるネギに、

 

 

 「あ……あのネギ先生!!

  よ、よろしければ今日の自由行動……

 

  私達と一緒に回りませんか——!?」

 

 

 一人の内気な少女がなけなしの勇気を振り絞っていた。

 

 

 

 そして、ネギは五班と行動を共にする事となり、めでたく(?)楓はネギ、古は横島と共に刹那の支援を行う事と相成ったのである。

 

 

 

 何か燻っている楓同様、横島も何だか納得しかねる状況であった。

 

 とはいっても戦力の分断云々の真面目な話では無く、もっと色っぽい事で………まぁ、ぶっちゃければせっかく麻帆良から出たというのに、女子中学生とずっといっしょだという事に——である。

 

 

 いや、別に古や楓が嫌いなわけではない。

 

 

 妙にタダキチ(横島)の境遇に同情してくれている新田教諭と一緒にいるのは勘弁であるし、せっかく京の都にいるというのに野郎と一緒なのは鬱陶しい。

 状況が状況である為、舞妓さま(、、、、)に会いに行く事も叶わぬのなら、せめて美少女と一緒にいるしかないではないか。

 

 しかし、横島本人はあまり気付いていないのだが、彼は、

 

 『楓ちゃんや古ちゃんといると何だかウレシイよーな気がする』

 

 のである。

 それが納得しかねている原因の大元だったりするのだ。

 

 目の前にはっきりと理由が鎮座しているというのに、それを見てみぬフリが出来る彼にはもはや賞賛を贈る他あるまい。

 

 

 ともあれ、“仲良し姉弟が如く”という大義名分でもって無理矢理自分を納得させ、おてて繋いで仲良く歩く事を妥協する横島であった。

 

 

 

 

 決して——

 

 決して、もし楓といたら、

 夢の中で見た彼女の、胸元を肌蹴て艶っぽく微笑む彼女を幻視してしまうから、相手が古なのでホッとしてる事なんぞ……無い。

 

 

 無いのだ。

 

 

 

 

 多分……

 

 

 

 

 

 

 「……」

 

 「ど、どうしたの? 古ちゃ……くー姉ちゃん」

 

 「……何故か今、老師とカエデに殺意を覚えたアル」

 

 「何故に!?」

 

 

 

 

        ******      ******      ******

 

 

 

 

 「わ——っ ホントに鹿が道にいる——ッ」

 

 「へ——

  結構大きいわね」

 

 

 そんな横島と古……そして物陰からネギを見守っている楓らの前で、当の本人らは楽しそうに園内を歩いている。

 ネギのその表情は神社仏閣を堪能していた昨日とは違い年齢相応のもの。

 

 年齢詐称を疑っていた横島(しつこい)としては首を捻るほどに。

 

 

 「スゴイスゴイ 見てくださいアスナさん……わあ—」

 

 

 こんなごく自然に多くの鹿が歩いているのを見てはしゃいでいたネギが、餌をねだる鹿に齧られたり、それを見ていた明日菜に『ガキね——』と呆れられたりして中々に微笑ましい。

 

 無論、横島もネギを笑いつつマネをしてあえて齧られるというベタな芸人魂を古に見せたりしている。

 

 血を滲ませてまで笑いをとるという芸人根性を感心すればよいのか、呆れ果てれば良いのか微妙なところであるが、それ相応の笑いは取れた事を横島はけっこう満足していたりする。

 

 そんな無意味な芸人魂を見せている彼と古がいるのはまぁ良いとしても、別の班である筈なのに自分達に着いて来ている事が気になったのか、何時もはそんな事を気にしないハズのハルナが、

 

 

 「それにしても……その子もそうだけど、なんで古までこっちに来てんの?

  超一味は別ンとこ回ってるみたいだし……」

 

 

 等と質問を投げかけてきた。

 

 

 「へ? あ、あの、この子はワタシが面倒見る事になたアルよ。だから一緒に連れて来てるネ」

 

 「そーなの?

  ん? でも、古ちゃん、二班の班長でしょ? 班行動別にしたらマズいじゃん。

  何でここにいんの?」

 

 「う……」

 

 

 細かい事を気にしない麻帆良の生徒であるが、こーゆートコにはやたらと気が回るのだろう。

 それに元々、古は嘘が上手くないので誤魔化しが下手だった。

 

 

 答えに窮した古であったが、この場には言い訳を罪悪と考えない男がちゃっかりいる。

 

 

 「あんな。流石にオレ一人でおったらアカンねんて。

  せやからセンセーの誰かが付いとらなアカンのやと」

 

 「ふ~ん……

  あ、だったら源先生……え~と、ホラ、眼鏡かけててオッパイ大きい女の人知ってるでしょ?

  あの先生と一緒は駄目なの?」

 

 

 子供相手になんつ~説明するんじゃと思いつつも一瞬それも良かったかな~と悩んだ横島であったが、その瞬間、繋いでいた古の手に万力のような力が宿り、危うく握り潰されかかってそういう想いが消し飛んでしまう。

 何か頬を膨らませていた古に何とか許してもらい、解放された手を涙目になってフーフーと息を吹きかけている。

 

 そんな横島を不思議そうな目で見守っているハルナの視線に気付き、不自然さが感じられない動きでその手を後ろに隠しつつ、

 

 

 「あの乳……もとい、女の先生な、保健の先生みたいな事もせなアカンから、あんまオレにかまえんのやて。

  あの眼鏡のオジさん先生は……なんか怖いし……」

 

 

 と説明を続けた。

 完全なアドリブであるというのに、何とも上手い言い訳である。

 

 

 「じゃあ、瀬流彦先生は? ホラ、あの背の高いわりとカッコ良さげな先生」

 

 「………………………………………………男前は好かん………」

 

 

 アドリブも何も無い、ぶっちゃけた横島の本音。

 その答えに、ぷ…っと彼女は吹き出し、同じ班の綾瀬 夕映は呆れて溜息を吐いた。

 

 いっちょまえに男の子してるじゃんとハルナは笑って納得する。

 

 確かにその消去法から言うとネギと共にいるのが良かろう。

 それにネギとは歳も近い為、あまり気にせず付いて回れるだろうし。

 

 

 「なるほどね~~ だから古はお目付け役を授かったって訳か」

 

 「そ、そうアルよ~ だから班長は超に代わてもらたアル」

 

 

 古は内心、ふう~……と安堵の息を吐いて冷汗を拭っている。

 よくもまぁ、ここまで言い訳が出来るものだと横島に感心もしているが。

 

 ハルナと夕映はというと、そんな事より友達の事が重要なので、二人は勇気を持ってネギを誘った宮崎のどかに手痛い……いや、手厚い祝福を送っていた。

 その後姿を確認し、刹那らからの視線も自分らから外れたのを見てから、チラリと横島の様子を窺えば、

 

 

 「ん……? 姉ちゃんも食べるか?」

 

 

 と、本当の七歳児の様に持っていた菓子……どこで買ったのかチョコバーを勧めてくるではないか。

 更に『姉ちゃん』とキた。

 

 よくもまぁ、ここまで子供になり切れるモノである。

 

 

 「いや、ちょっとな……こーゆー不条理な目に遭うの慣れてるんだ……」

 

 

 そんな古の表情に気付いてそう説明してやる横島であったが、ちらりと煤けた目で視線を逸らす。

 思い出すのがナニであるのか、説明するのがナニであるのかは定かではない。

 

 ふと前に眼を戻すと皆が前進を再開したので古も『おーい雲よ〜…』とか言い出しそうな横島の手を引いて歩き出した。

 何だか気分は介護人か保母さんだ。

 

 

 そんな複雑な想いを持った少女に手を引かれつつ、横島もまた複雑な想いを廻らせていた。

 

 

 昨夜も楓に怒られていたのであるが、どうも精神が肉体年齢に引っ張られ過ぎている。

 

 何だかんだ言っても実年齢は二十七歳。

 十代の頃の押さえが利かない煩悩は“それなりに”鳴りを潜めていたし、場の空気を読む事も弁えられる様になっていた……ハズだ。

 

 

 だが、昨夜のアレはどうだ?

 

 以前の自分の行動そのままに、目的の為に手段を見失い、その手段の為に目的を忘れていたでは無いか。

 

 

 そんな彼の暴走を止めてくれたものが、もらったバンダナ……

 

 楓が近衛から対横島用に託されていたマジックアイテム。

 

 それは聖具としても知られているかの有名な『マグダラの聖骸布』!!……の、粗悪なレプリカである。

 

 

 びっしりと魔法呪式が施されている赤い布は、対になっている布にキーワードを唱える事によって発動し、頭に巻かれている者から気力を奪い去って行くのだ。

 

 横島の頭に巻いてある赤い布と同じ材質の、ハンカチサイズのそれは楓の左手首に巻かれており、あの夜暴走した横島の気力を奪って甚大な性犯罪を防止したというわけである。

 因みに、発動のキーワードである“Acta(アクタ) est(エスト) fabula(ファーブラ). ”は、『活劇(見せ場)は終わりぬ』といった意味で、アウグストゥスの臨終のセリフだと言われている。

 

 元々は収監された魔法犯罪者用の暴動鎮圧用に開発されたものであるが、暴動の意思を奪おうにもテンションを下げる事しか出来ず、尚且つ頭から外せば終わりなので意味なしとされてお蔵入りとなっていたものらしい。

 近衛はどこからか手に入れていたそれを対横島暴走用にと楓に託したのである。

 

 昨夜の場合、後一歩でも使用が遅ければル○ンダイブの奥義、天空ルパ○ダイブが千草に決行されていたかもしれない。

 そうなるともはや18禁〜21禁指定で早急にR18板行きを強要された事であろう。

 

 

 そんな昨夜の事を思い出せば思い出すほどゲンナリとしてしまう横島。

 

 顔面を強打して痛かった事はどうでも良いし、ギリギリで止めてくれた楓にも感謝している。

 いや…横島的にはその行動は間違いではないのだが、飽く迄もそれは十代の頃の話。

 

 大人となった自分はそうがっつかなくともそれなり以上のオイシイ想いをしていた……ハズである。多分。

 

 

 『やっぱ……まだ“穴”が塞がりきってないのかも……』

 

 

 自分の——特に煩悩関係が情緒不安定である理由を既に理解している横島は、古に余計な心配をかけないよう内心で溜息を吐きつつ、彼女と共に茶店に突撃をする木乃香の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 『な〜に悩んでるアルか……?』

 

 

 だが、得てして思春期の少女というものは感受性が高い。

 そんな横島の感情の波に古はとっくに気付いていた。

 

 それに彼女は他ならぬ横島によって霊感を高められているのである。

 身体に流し慣れてしまっている彼の霊気であるし、元々才能があった古だ。“揺らぎ”くらいは理解できるようになっていても不思議ではあるまい。

 

 

 だが悩みがあると理解は出来ても、その内容を聞けるかとなると話は別なのである。

 

 

 確かに以前は感じられなかったが、横島と共に霊気のコントロールの修行を始めてから、そういう感触が何となく解かるようになってきてはいる。きてはいるが、早々簡単に聞く事が出来ないのだ。

 

 いや、以前の彼女であればもっと安易に問いかけられたであろう。

 何時もの気軽さで、

 

 

 「ナニ悩んでるアルか? ワタシに言ってみるヨロシ」

 

 

 とか言って。

 

 

 修学旅行に出るちょっと前、例の周天法を使った修行の合間に、古は気軽に質問した事があった。

 

 

 「そう言えば老師に付き合った女性はいたアルか?」

 

 

 と——

 

 彼女からしてみれば何気ない質問であるし、横島についてもっと知りたいという欲求の表れである。

 楓も何気に耳をダンボにしていたし。

 

 その時、彼は一瞬硬直したものの直に何時もの泣き言をぶちまけてその場を収めたわけであるが……脇で見ていた楓は兎も角、周天法によって霊気と直結していた古は、確かな揺らぎを横島の魂から感じ取っていたのだ。

 それも深くて重い——僅かながら悲しみの波をも含んだ……

 

 フラれた……とかではない事は何故だか理解できた。

 それに毎日会っていて解かるが、彼の本質を理解した女であれば離れようとすまい。

 

 別れた……でもなかろう。前述の理由もあるが、それにしては深すぎるし重すぎるのだ。

 

 

 となると………

 

 

 古は、珍しく浅はかな質問をした自分を責めた。

 

 

 考えられるのは不幸な別れ——

 

 自分の何気ない質問によって横島はその事を思い出してしまい、彼の傷痕を引っ掻いてしまったのかもしれない。

 その事がトラウマのようになって質問し辛くなっているのである。

 

 

 左側に眼を落とすと子供となった件の青年。横島。

 

 大人しく自分を手を繋ぎ、その手を離す事なく自販機で買ったコーラを器用に左手だけで開けて飲んでいる。

 物珍しげに鹿達を眺めているような外見相応の子供の自然な仕種をしつつも、護衛対象である木乃香とその護衛役の刹那に気を配り続けていた。

 

 この年齢(今の外見の、では無く。本来の年齢)にしてこのプロの演技力。

 そして自分が一発の拳も入れられない人外の回避力と、意思そのものを実体化させられる強力な氣の使い手。

 

 十代にしてこの技量とは……一体彼はどういった人生を歩んでいたのだろうか?

 そしてどれほどの悩みを抱えてきたのだろうか?

 

 自分は強者との格闘経験はあっても、強者との死闘はまだ行っていない。

 だから彼の想いを酌めないのではないだろうか?

 

 だから自分に……ではなく、楓にだけはそういった事を語っているのではないだろうか?

 

 

 ふう……と我知らず肩を落としかかったその時、古はハッとしてその事に気がついた。

 

 

 『何で私は、自分とカエデを比べてるアルか……?』

 

 

 

 ここにも悩める少女が一人 ———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チラリとタダキチに視線を送ってから、楓はネギに眼を戻す。

 

 陰から影へ、影から陰へと移動し、ネギやカモはおろか、刹那にすら気付かれないよう楓は後を追い続けている。

 それも極自然にだ。

 

 気配を消している訳では無く、気配を周囲に紛らわせているだけなので、仮に見つかったとしてもそう疑われたりはすまい。

 それほどの技量を持っているのだ。今の楓は。

 

 

 『さてもさても……まさか横島殿との修業がこういった形で実を結ぶとは……』

 

 

 楓は横島との周天法の“業”によって、自然の木々が放つオーラを認知できるようになっていた。

 

 元々霊能力というのは“感じる”事や“観る”事から始まる。

 楓は既に気配を察知したり消す事ができたりしていたので、その上から自然の気の流れを読み取り、それに合わせられるようになったのだ。

 

 完全に気配を消すと、その場が切り取ったように感知できなくなるので逆に上級者相手では感知されてしまう事だってある。

 今までの楓は、気配をぼかして不自然さを無くすという業を行使していたのであるが、今の彼女は風景の一部の様に周囲と融け込んでいた。

 

 こうなると目に入れたとしても彼女だと認識できず、“居た”という事を認知できまい。

 

 まさか唐突に隠行の技が一段上がるとは思いもよらなかった。

 

 

 『これも横島殿のお陰……でござるな』

 

 

 と、もう一度彼に視線を送ると、

 

 

 ぎぢ……

 

 

 突如として楓の氣が増した。

 

 彼女の存在を知覚できず、その周囲にいた鹿が笛の音のような悲鳴を上げて逃げて行き、刹那が思わず反応して鯉口を切りそうになったほどに。

 

 それに気付いた楓は慌てて気を落ち着かせて術を組みなおす。

 

 

 フー……フー……フ——………

 

 

 程なくして調われる呼吸。

 周囲の気を乱す事無く、木々の気配とも同化できるリズムが戻ってくる。

 

 何とか術を安定させると、楓はネギに視線を固定する事にした。

 

 

 ネギから眼を離すと——

 

 ……いや、

 

 今の横島を見ると何だかイラつきが止まらなくなる。

 

 

 古と仲良く手を繋ぎ、彼女に微笑みかけている横島を見ると——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あれ? 龍宮さん、どうかしたの?」

 

 「いや……何だか急にバカを思い出して怒りが沸々と……」

 

 

 

 

 

 

 

 

          ******      ******      ******

 

 

 

 

 

 

 

 「せっちゃん……」

 

 

 さらりとした長い黒髪の少女が淋しげに揺れている。

 

 ぽつんと一人公園内に佇み、手に持った団子の紙皿の上に頬から伝わらせた水滴を垂らしつつ……

 

 

 自分の事を嫌っていない……というのは何となく理解できた。

 

 そしてその事はルームメイトであり、大切な友達である明日菜や、担任の子供教師であるネギも『絶対にそんな事はないっ!』と太鼓判を押してくれている。

 

 

 だが、それとこれとは別なのである。

 

 

 自分と話をしてくれていない。

 

 目も合わせてくれない。

 

 昔みたいに側にいさせても、いてもくれない。

 

 

 そして理由も語ってくれない……

 

 

 昨夜の事は訳が解からぬままに終わった事件であるが、確かに刹那は自分を助けてくれた。

 

 そして心から無事である事を安堵してくれていた。

 

 

 だというのに、一緒に食事をする事もないし、隣に立つ事すら許してくれない……

 

 

 「ウチ……何かしたんかなぁ……」

 

 

 知らない内に傷つけてしまっているのか?

 或いは何か迷惑をかけてしまっているのか?

 

 せめてそれだけでも教えてほしかった。

 

 でも彼女は近寄る事すら許してくれなかったのである。

 

 

 刹那には木乃香を危ない事に巻き込みたくないという想いと、自分の“裏”を知られたくない……つまりは知られて嫌われたくないという理由があった。

 

 その想いが強すぎるのか、お互いの想いが同じである故か、それは綺麗にすれ違い、お互いを傷付け続けている。

 

 刹那にしても裏に関わってそれなりの年月を送ってはいるのだが、その心は飽く迄も思春期の少女に過ぎない。

 だから優しい少女の機微に疎いとしてもそれは罪ではないだろう。

 

 幾ら心配してくれたとしても、幾ら気遣ってくれていたとしても、そこに隔たりがあれば拒絶と同じな事に気付けていないのはしょうがない事なのかもしれない。

 

 

 木乃香はただ、目から流れる滴を紙皿に零す事しかできないでいた。

 

 

 

 

 尤も——

 

 

 

 「ねーちゃん」

 

 「へ? あ……」

 

 

 いきなり声をかけられ、慌てて目元を拭ってその方向に眼を向けると、そこには一人の男の子。

 

 母親の墓を詣でに東京から出てきたという男の子が、ニカッと笑って自分を見上げていた

 

 

 

 

 女の子の涙に人一倍弱い男。

 タダキチ事、横島 忠夫がここにいるのだから、木乃香が一人で泣いていられる訳が無いのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「そっかぁ……友達、逃げてまうんかぁ……」

 

 「………うん」

 

 

 ちょっとだけしょっぱくなった団子を分けてもらい、横島は古と共に木乃香と歩いていた。

 

 何だかよく解からないが、木乃香が団子を買って刹那を追い回してネギから離れてしまったので慌てて後を追ったのであるが、何時の間にか彼女は一人になっていた。

 

 別に木乃香がそれほど運痴という訳ではないだろうが、相手は剣術家である刹那である。普通に逃げればそれだけで彼女が追いつく事は叶うまい。

 

 

 やれやれと安堵して木乃香に近寄って行こうとすると……

 

 ス…と横島が古より先んじて前に出、子供そのままの笑顔で何気なく呼びかけたのである。

 

 

 え……? と古が首を傾げるより前に、木乃香が目元を拭ったのが目に入った。

 

 

 『泣いてたアルか……?』

 

 

 ただ呆然と立っていただけにしか見えていなかった古であったが、横島はその後姿から木乃香の悲しさを完全に察知していた。

 

 自分より確実に付き合いが短いはずの横島は先にその事に気付き、泣いていたからこそ彼はあえて自然に話しかけたのである。

 

 

 『やっぱり、老師は老師アルなぁ……』

 

 

 と、こんな状況だというにも変わらず、古は不思議な嬉しさが込み上げていた。

 

 

 「ウチのこと、嫌いになってへん……それはアスナも、ネギくんも言うてくれたんよ」

 

 「ふーん」

 

 「あっ、アスナゆーんは寮でウチと同じ部屋の娘で、ネギくんゆーんは、ウチの先生なんよ」

 

 「うん、さっき古姉ちゃんから聞いたで」

 

 「そーなんか…」

 

 「せやねん」

 

 

 木乃香と優先的に話しているのがちょっと面白くないが、それでも完全に木乃香のペースで話をしているのはスゴイ。

 

 おっとりとした木乃香の喋り方は嫌いではないが、会話を続けるのはちょっとだけ苦手でもあった。

 それに合わせられるのは同じ関西系故なのだろうか?

 

 

 その空気に感化されたか、人馴れした鹿が何頭かやって来てぴすぴす鼻を鳴らしている。

 

 何が幸いするか解ったもんじゃないが、そんな鹿の頭を撫でたりしている内に木乃香の顔にも笑顔が戻りつつあった。

 

 それを見て心持ち安堵した古は、分けてもらった団子をゆっくりと咀嚼する。

 

 

 「でもなぁ……

  せっちゃん、ウチとお話してくれへんのよ……

  一緒にご飯も食べてくれへんの……」

 

 

 しかし、その言葉を口にすると辛さを噛み締めてしまったのか木乃香はまた俯いてしまう。

 

 その沈痛な横顔に古も口を開きかけるのだが、どのような言葉をかけてもガラクタに過ぎないので言葉を飲み込むしかない。

 

 

 大体の予想はつく——

 

 

 楓経由で聞いてはいるが、刹那は木乃香を護る為にわざと距離を置いているらしい。

 

 裏に関わっている以上、絶対に怪我を負ってくるだろうし、木乃香の事だからその事を絶対に気にして余計に距離を詰めてくるだろう。

 そうなると本末転倒だ。彼女の方から危険に近寄ってゆく事となりかねない。

 

 他に理由があるかもしれないが、古にはそのくらいしか思いつかなかった。

 

 武は鍛えはしているのだが、大局を見る目が乏しいのを今更ながら思い知っている彼女だが、それが解ったとて今の救いにはならない。

 

 木乃香にとって必要なのは助言であり納得。

 

 それを差し出す材料も術も無いし慰めの言葉も思い付かないからこそ、古は口に出せるモノが何も浮かんでこないのである。

 

 自分だってそういった理由で……例えば超に距離を置かれたら悲しいし辛い。

 近しい者、親しい者であればあるほど壁を作られると辛いのだ。

 

 だからこそ古は木乃香の気持ちも理解でき、逆に刹那の想いも何となく理解できてしまう。

 

 

 

 ——故に、無力だった。

 

 

 

 「…………うーん……そっかぁ……

  そりゃオレでも解からんなぁ………」

 

 「せやなぁ……」

 

 

 そんな二人の間にいる横島の返答はごく簡単なものだった。

 

 

 しばし無言で無言で鹿を撫でる。

 狙ったものではなく、無意識的なものなのだから本能的に気を休めたかったのだろう。

 

 しかし人馴れした小鹿は嬉しいかもしれないが、何の解決にもなっていない。 

 

 古はその事に軽い落胆を覚えたのであるが、

 

 

 「オレはその“せっちゃん”いう子とちゃうし、ハッキリ言えへんのやけどな……」

 

 

 ポリポリと団子の串を持った手で頬を掻き、木乃香の顔を覗きこむ横島。

 

 笑顔でもなく、憤りも無い。

 

 物事を教える老教師のようなあまり感情を表に見せていない顔だ。

 

 

 「さっきねーちゃんが追いかけとった子やろ? その“せっちゃん”って……」

 

 

 コク…と木乃香は無言で頷いた。

 

 

 「あの子、やたら辛そうに逃げとったで?」

 

 「……え?」

 

 

 うん——と眉を顰め、遠い眼をする少年。

 

 背伸びをしている子供……というより、木乃香には何だか子供のふりをしている大人に思えた。

 

 口では解らないと言いつつ、自分の気持ちを全て理解してくれている。

 

 そして刹那の想いすら解ってくれている。そんな大人に……

 

 

 

 「オレ、当事者とちゃうさかいエラソーに言えへんのやけど……

  ホンマに嫌いな子避ける時ってな、あんまり走ったりせぇへんねん。

  その子、一緒にいとうないんやなくて、一緒におったらアカンと思とんとちゃう?」

 

 「え……な、何で? 何でやの?!」

 

 

 相手が子供という事も忘れて詰め寄る木乃香。

 

 空になっている皿や串が落ち、避ける間も無く掴まれた横島はガックンガックン揺さぶられる。

 

 普段は大人しい木乃香のその勢いに一瞬呆気にとられた古であったが、『それじゃ喋られないアルよ』とやんわりと彼女を諭した。

 

 

 「う゛〜〜……クラクラする……」

 

 「あう〜…ゴメンなぁ」

 

 

 何かイイ具合にヨッパライ風の千鳥足になった横島に木乃香は手を合わせて謝罪する。

 言うまでもなく横島はそーゆー目に遭い慣れているので全く気にしていない。と言うよりこの程度の事で気を使われる方が居心地悪い。

 

 その木乃香の剣幕に鹿も逃げてしまうが、一頭の小鹿だけが残っていて横島を心配そうに見つめている。

 まだ視界はぐるんぐるん回っているが、それでもそんな小鹿の頭をたどたどしく撫でて平気さをアピール。

 泳ぐ視線をムリヤリ彼女の目に合わせ続きを語った。

 

 

 「せ、せやから知らんゆーたやん。

  木乃香ねーちゃんの方が詳しい筈やろ?」

 

 「う、ウン……でも…………」

 

 

 焦るのも道理で、木乃香には理由らしい事は何一つ思い浮かばないのだ。

 だからこそ悩み、だからこそ無意識に動物に癒しを求め、こんな子供にすら救いを求めていたのだから。

 

 

 「せやから、オレがどうこう言うたかてしゃあないやん。

  木乃香ねーちゃんが知らん事はオレも知らんのやし」

 

 「そか……そやなぁ………」

 

 「それに……逃げられただけで諦めるんか?」

 

 「え……?」

 

 

 その言葉に木乃香の動きが止まる。

 

 

 「友達に避けられる理由が解からん。

  解からんいうて遠くで見よるだけやったらな〜んも進展せぇへんで?」

 

 「で、でも……せっちゃんに迷惑……」

 

 「ホンマもんの友達やったら、そんなん迷惑に思うかい!!

  それとも、木乃香ねーちゃんは友達を諦めるいうんか?!

  何もせんと、遠くに行ってしまうかもしれんのを諦めるっちゅーんか?!」

 

 

 横島の目が一瞬、遠くを見たと古は感じた。

 ここではない何処かにほんの僅かの間、意識を持って行かれたと。

 

 

 その勢いに驚いて目を丸くした木乃香に気付き、横島は咳払いをして自分の気を静める。

 どうも感情の制御が下手なままになっているようだ。

 

 言い過ぎたかもしれんなぁ……などと苦笑しきりである。

 

 

 だけどこれだけは言ってやりたかった。

 

 刹那のくだらない思い込みという気がするし、

 

 

 何よりも、

 

 

 「その せっちゃんが木乃香ねーちゃんから逃げる理由は知らへんけど、

  あんな辛らそうに逃げるんやったら、知られとうない理由ある思うんよ」

 

 「そんな……」

 

 「せやから木乃香ねーちゃんが本気で仲直りしたい思うんやったら、何言われても平気にならなあかん。

  どんな理由聞いたかて、そんなん気にするかっっちゅー強さがいる思うんや」

 

 「強…さ……」

 

 

 「……あんな、木乃香ねーちゃん」

 

 

 

 自分のような——

 

 

 

 「ホンマに大事なモンはな、無ぅなってから気が付くんやで?

 

  無くしてから後悔するんは……イヤやろ?」

 

 

 

 あんな想いをする女の子は——

 

 こんな優しい女の子があんな苦しみ(、、、、、、)を受けてはいけないのだ——

 

 

 

 

 

 

 

        ******      ******      ******

 

 

 

 

 

 

 そのまんまボ〜っとしているのも何であるから、結局三人で時間いっぱいまで回る事にした。

 

 

 先程 思わず激昂してしまった横島であったが、流石に冷静になると恥ずかしいらしく頭を掻いて黙っている。

 

 そんな彼を見て苦笑している木乃香であるが、彼の言う事に一理も二理もあると感じたのだろうこれまた無言。

 

 それでも先程よりかなりマシな空気を纏っているのだが。

 

 

 といっても横島の気恥ずかしさが払拭される訳もなく、やっぱり付いて来ている小鹿の頭を撫でて照れくささを誤魔化しているのだが、そんな彼を見てドラマの一シーンのようだと木乃香も笑みを戻してゆく。

 

 横島の方はそんなあたたかい眼差しがイタイらしく、余計に小鹿をかいぐりかいぐり撫でる訳だが、そんな所作が余計に木乃香には良い方向に循環が働いているので皮肉なものだ。

 

 

 しかし、そう言った微笑ましさは木乃香と横島の二人だけ。

 

 その少し後ろを歩いている古はというと、横島の背中を見つめたまま沈黙を貫いていた。

 

 

 思い出は思い出。

 忘れたわけでも無いし忘れられるものでもないが、“今は”何の感慨も無いのだから。

 

 吹っ切れた……等という事もありえない。

 だからこそ“今の”彼があるのだろうから。

 

 

 少し前を歩いている横島の後頭部を見つめながら古は先程の言葉を思い返している。

 

 

 『……老師は……その“痛み”を知っているアルか……』

 

 

 無くしてから気付く大事な物——

 

 木乃香は当然、例の嘘八百のバックストーリーを聞いているから、それはタダキチの家族だと思った事だろう。 

 横島がマジックアイテムの力で子供の姿をとっている事を知るはずもない木乃香なのだから当然だ。

 

 だけど古はその事を知っている。

 だから横島の話が“偽り”の家族等ではなく、恋人やそれに相当する人間の事であると何となくではあるが想像できていた。

 

 

 最初に思い浮かべた仮説がさっきの言葉によって真実味を増し、胸の奥でもやもやとしたものを古に感じさせ続けている。

 彼にとって恋人のような存在を()くしたのは、彼が守り切れなかったからなのか?

 

 となると、彼の心の傷は回復してようが傷痕は消える事はあるまい。

 その傷痕を抱えたまま、横島は今生きているのだろう。

 

 忘れられない、忘れ様も無い人として……

 

 

 ふぅ……と古は溜息を吐いた。

 

 未熟である事は常々自覚しているのだが、こういった年月と経験の差を目の当たりにすると殊更思い知らされてしまう。

 

 

 横島は刹那じゃないから解からない……と言ってはいたのであるが、その実、大体の見当は付いているようだった。

 

 それは横島のもどかしそうな様子から判った事であるが、もし彼がその事を木乃香に伝えたとしてもそれは真の意味での解決には向わないだろう。

 

 何せ刹那と木乃香の問題であり、刹那自身が自分で気付かねば納得し切れずいつかまた同様の事を行うであろうとも考えられる。

 

 だからこそ、横島は木乃香が自分から刹那に接する事が出来るよう背中を押したのだろう。

 

 

 そんな彼女への助言も、横島に似たような経験があったからこそであろうし。

 

 

 「う〜〜……」

 

 

 頭がゴチャゴチャして、うっかり唸り声を出してしまう。

 

 溜息を吐いたり憤ったりと忙しい事であるが、古は元々、直情と言って良い程考えるより先に動いていたのだから悩み慣れていないのである。

 

 おまけに自分の中でうねっている感情の根元がハッキリしないのだ。

 

 だからこそ混乱が続いている。

 

 

 「? ねーちゃん、どーかしたんか?」

 

 

 ふと気が付くと、横島が足を止めて自分を見上げているでは無いか。

 木乃香も不思議そうな顔をして自分を見つめている。

 

 古は我知らず頬を赤く染め、手を振って『何でもないアル』と誤魔化して見せた。

 

 

 「そーなんか? 腹でも減ったんとちゃうんか?」

 

 「違うアルよ!失礼アル!」

 

 「あそこに鹿煎餅売っとるえ?」

 

 「私、鹿じゃないアルよ! このかもヒドいアル!!」

 

 「まぁまぁ……鹿煎餅や食うたかて腹や起きいひんで? 味も薄いし」

 

 「食べたアルか?!」

 

 「男として、その味に興味を覚えたらチャレンジせなアカンやろ?」

 

 「性別関係ないし、意味無い誇りアル!!」

 

 「何をー?!

  ゲテモンへのチャレンジ王は、スカート捲りの学年制覇記録に並ぶ栄誉やないか!!」

 

 「そんな栄誉、捨ててしまうアル!!」

 

 

 何だかエキサイトして言い合いをしてしまったが、直後に彼の意識が木乃香に向いたことを古は見逃さなかった。

 

 彼に釣られて木乃香を見れば、彼女は先程の顔とは違って二人の言い合いによってクスクス笑っているではないか。

 

 

 横島は、その空気を払拭する為にボケをかましたのだろうか? 

 

 

 思わずそれを問いかけようとすると、彼は既にそこには居ない。

 

 

 「はよ行こ。遅ぅなってまうでー」

 

 

 既に十メートルは距離を離し、二人がやって来るのを待っていた。

 

 

 『ああ、やっぱりそうだったアルか……』

 

 

 と気付きはしたが、古も確認するほど馬鹿では無い。

 

 ふ…と彼女は表情を緩め、横にいる木乃香に手を差し伸べた。

 

 

 「ほら、このか急ぐネ。皆が待ってるアルよ」

 

 「せやな」

 

 

 今のやり取りのお陰だろうか、木乃香も少しだけ元気を取り戻して、小さく微笑んで古と共にタダキチに並んだ。

 

 

 先程と同じ様に、

 それでいて前よりかは幾分空気を軽くして園内を歩いてゆく三人。

 

 間に挟まれた形で歩いていた横島は、近寄ってきた鹿に木乃香が気をとられた時、

 

 

 『もし、刹那って娘が正直にならなんだら、オレがどーにかする』

 

 

 と、小さな声で古に言葉を呟いた。

 

 

 ハッとする古であったが、彼は既に小走りで木乃香と共に近くの売店で鹿煎餅を買いに行っており、鹿にやってはまた手を齧られていた。

 

 当然、木乃香は笑顔を見せている。

 

 

 横島は古が元気を見せていないのは、木乃香を思い遣っての事だろうと誤解したようだ。

 

 だからこそ横島は二人の、そして刹那の為に自分から動こうとしていた。

 無論、そうでなくともおせっかいな彼は出しゃばったりするだろうが。

 

 

 だが、古はそう言われて笑顔を見せられたかというと実はそうではない。

 

 

 その言葉によってさらに表情を苦いものにしていたのである。

 

 

 流石にその事にまで横島は気付けず、木乃香と他愛無い事を話しながら集合場へと足を向けている。

 

 今度は古が少しだけ遅れて二人の背中を見つめつつ、トボトボと歩いていた。

 

 

 

 ——老師は、大切な人を心に刻み込んでいる。

 

 

 

 だからこそ他人の心の痛みに敏感であり、どうがんばっても女に手を上げられないのだ。

 

 不意にその事に理解してしまい、

 それが奇妙な焦りを自分に与えているという事など理解できる筈も無い古であった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「にしても——

  さっきから老師と木乃香は何やてるアル?

 

 

 

 

 

 

 

  まるで見えない何か(、、、、、、)を撫でてるみたいアルな……」

 

 

 

 

 

 

 




 どうも改訂版のご閲覧、ありがとうございます。
 前にも言いましたが実はこっちが原文。
 これを全文打ち直していたものを初期のそれに戻してたりします。

 やっぱり刹那と木乃香は然程でもないのですが、古はメンタル表現が難しい。
 あおりを食ったのは本屋ちゃん。正に空気w

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