前編
異世界への移動……というのはファンタジーでもよく使われてきた手法だ。
その世界の神様やら魔法やらによって導かれ、選ばれし者がやって来る。そして難題を解決し——というのはパターン化していると言ってよい。
それは感動的な大作でも、悲劇でも大抵同じだった。
出来ない事があるから出来る者を呼ぶ。或いは出来る可能性が高い者を呼ぶというのは同じ方向なのだから。
しかし、神々やら世界の誕生から違う、全くの異世界なら話は別。
宇宙の誕生レベルから違うのであれば、当然ながら生まれた元素からして違う訳だから人間を構成する材料も違ってくる。
呼び名が違っているが同じ元素である可能性より、呼び名が同じで別の元素である確率の方が高いのだから。
そうなってくると、異世界……いや、
何せ原子や分子同士の相性だって不明である。最悪、反発反応を起して分解してしまいかねない。
となると、異世界から
分解してゆく精霊すら再生する力を持つ青年が、
物質の特性すら歪曲させる事が出来る男が、
人造人間のアシストがあったとはいえ、生身で大気圏突入中に霊能を発揮して大した怪我も負わなかったという生き汚いその男が何の手も打てずに墜落し、
落下ダメージ以上に負傷した挙句、十年にも及ぶ記憶が消失している。
更に全く違う宇宙のモノ。似て異なる元素物質を普通に摂取し、普通に消化できている。
つまり、それは——
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■七時間目:猿の湧く所為 (前)
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カラカラ…と音を立て、長細い青色の瓶を振り、掌にコロンと飴玉を一つ取り出す。
色は瓶と同じ青。
澄んだその色は宝石の様に美しいがこれでもれっきとした飴玉だ。
尤も、只の飴ではないのだが——
「ククク……」
その飴を電灯の灯に翳し、半ばうっとりとした眼差しを送っていた子供であったが、その子は唐突に含み笑いを漏らし始めた。
それも只笑っている訳ではない。
そのまま最後に大爆笑へと変じてゆく狂気の笑いだった。
心の弱い者が目に入れてしまえば即座の失禁と、今夜は悪夢でのオネショは必至であろう。
「ふははははははははは……」
まだ笑い続けているその様は、不審者どころか怪人である。
黒マントでも着けて、ついでに黒マスクでも着ければ100%天然素材でできた怪人の完成であろう。
だが、幸い(?)にもその子供の姿はパッとしなかった。
ジージャンにTシャツ、ジーンズにバッシュという当たり障りの無さ過ぎる出で立ちだったのだから。
それでも顔を右掌で覆い隠し、海老反ったり前かがみになったり忙しく体勢を変え、病的に笑い続けている様は精神に著しい障害をお持ちの不審者だ。
「くくく……」
その気色はまだ治まってはいないようであるが、それでも構わず子供は瓶から取り出していた一個の飴を口元へと近付けてゆく。
やがて針の様に細め、涙すら浮かべていた眼がくわっと大きく開かれる。
そしてその飴玉を、おもいっきり勢いをつけて大きく開けた口の中へ……
今こそ野望を叶える時!!
「 い ざ ! ! ! 」
ぐわっっとやや充血した目を見開き、ドンッッと大地(床ともいう)を踏みしめて彼は行く。
憧れのパラダイスであり、理想郷にして救済の世界へと……彼は、旅立つ!!
すぱかーん!!
「ぐおっ?!」
……事は叶わず、その後頭部に見舞われたナゾの一撃によって子供は飴を飛ばしてしまった。
その飴は暴挙に出た人物がすかさず繰り出した掌に収まり、何時の間にか子供から奪い取っていた瓶の中に戻されている。
子供の頭部は何かに張り飛ばされて実にイイ具合の音を立てはしたのであるが、実際には痛みも無いし苦しみも無い。
どちらかと言うとその子供は、来るのが解かっていたのに避けようと出来なかった自分の方にイタさを感じてたりする。
「な〜にやってるでござるか」
「くぉ……楓ちゃん、酷いやないか」
その子供——飴の力で子供の姿となっている横島忠夫の後で、この修学旅行に持って来ていたのだろうか、彼愛用のハリセンを肩に乗せた制服姿の少女、長瀬 楓は溜息を付きながら瓶をポケットに押し込んでいた。
何時もの横島であればひょひょいのひょいと回避できたであろうが、彼女の得物はドツキ漫才御用達のハリセンだ。
お笑いの血が騒ぐのか、横島はハリセンを避けられない……というか、自分から当たりに行ってしまう性質だったりする。
そんな横島を感心して良いやら、やっと入れられた一撃がツッコミだった事に肩を落とせば良いやらで楓の心境は複雑だ。
「何やってるって……オレはただ……」
「この飴の力が土壇場で切れたりしないよう、念の為に飴を口にしようとしてた——でござるか?」
「そ、そーだぞ? だ、だから不審な行動とちゃうやろ?」
な? な? 等と弁解しながら畳の上を座ったままずりずりと後ずさる。
バリバリに挙動不審だ。
その構図はまるで愛人とアツイ夜を過ごして朝帰りをした亭主のよう。
そして溜息を吐いて横島を見る楓は、あたかも懲りない夫を諌める妻の要でもある。
何せ彼女、彼が何を思いつき何を実行しようとしていたのか、おもいっきり理解できてたりするのだから。
「どーせ しずな先生が入浴している時に露天風呂に乱入し、
子供だから全然セーフだとイロイロするつもりだったのでござろう?」
「な、何故その事を〜〜〜〜っ?!」
イヤというほど理解されている横島であるが、そのセリフにこれだけ反応して自爆してたら情状酌量の余地は無い。
ああ、やっぱりか……と肩を落としてしまうのも当然だ。
何と読みやすい行動であろうか。
単純というか、底が浅いというか……兎も角、僅かの間しか接していない楓にも彼の行動はお見通しである。
それだけに安心できるとも言えなくもないが。
「そんな事を許す訳が無いでござろう?
それにしずな先生はとっくに入浴を終えているでござるよ」
「な、何ですと——っ?!
くそっ! 謀ったな
「キミの御父上が悪いでござるよ。
かなり違う上、かなり横島に汚染されているようだ。
解かる人にしか全く解からない声優ネタをかます楓であったが、当の横島はというと甲子園への出場キップを己のエラーで逃した高校球児のように膝を付いて悔しがっていた。
まったく……混浴が駄目になったくらいでそこまで落ち込まなくとも……と呆れ七割、情けなさ三割の苦い笑みが浮かぶ楓。
罰を与えたとてこの男の事、下手すれば糧になりかねない。
はてどうしたものか…と思案する彼女の頭に、その時ピンっと電球が輝いた。
思い立ったら吉日。楓はそんな駄目男の見本のような彼の襟首を掴んでどこかに引き摺って歩き出したではないか。
「え、えと……楓ちゃん?」
「何でござる?」
唐突な行動に驚愕していた横島であったが、何とか現世復帰して恐る恐るといった態で楓に問い掛ける。 無論、彼女は軽く言葉を返すだけで歩みを止めたりしない。
意外に引き摺る力の強さに得体の知れない危機感を覚え冷や汗を流しつつ、横島は勇気を持って質問を再開させた。
何せこの行動に彼の霊感が反応し、ちょっとだけ不安…いや、“不穏”を感じてしまったのだから。
「その、ええ〜と……どこに行きなさるのかな〜〜っとか思っちゃったりしてさ……
そ、それでその……いずこへ?」
自分の身に迫る危険をヒシヒシと感じつつ、必死に自分を取り繕って勇気を持って問い掛けている横島。
そんな彼の覚悟や決断も知らず、楓は振り返りもせずに、
「今日はイロイロ走り回って汚れたでござろう?」
と変化球で返してきた。
「え?
いや、その……まぁ、確かに……」
「ここは一つ、英気を養うという意味合いもかねて、風呂に入る事をオススメするでござるよ。
ここの露天風呂はなかなか心地良いとの事でござったし」
「へぇ……それはいいかも……って、楓ちゃん?」
その答えに何やら危険な香りが混ざっている事を感じた。
慌てて横島は楓に問い返す。
「何でござる?」
「オレが風呂に入るのは良しとしよう。
こー見えてもオレってけっこー風呂好きだしな」
「おぉ、それは重畳。実は拙者もそうでござるよ」
「いや、気が合うねぇ〜〜……って、それは良いんだよ。良いんだけどさ……」
「何でござる?」
答えつつもずるずると引きずる速度は衰えない。
いや、心なしか加速しているよーな気が……
自分がバレたら拙い事を誤魔化す時と同じモノを感じ取りつつ、それでもまさかなぁ〜と一粒の希望を持って横島は再度口を開いた。
「あのさ……何で楓ちゃんは何時の間に洗面用具持ってるか、
いやそれ以前にドコにオレを引きずって行くのか是非お聞かせ願いたいんだけど?」
確かに、横島を左手でもって引き摺っているのであるが、右手には横島の言う通りに何時の間にかタオルとか石鹸、そして着替えとかが持たれてたりする。
普通に考えると、入浴する為の用意であり、その道中で怪しく笑っている不審者の横島を発見して注意をした……と見るのが妥当であろう。
少なくとも横島を連れてゆく為のモノではない。ハズだ。多分。
だから彼の問いは、違うとイイなー いや、違っててほしいなー という期待を持っての事である。
「ああ……」
なるほど…と楓は直に彼がナニを慌ててそう問い掛けてきたのか理解し、優しく微笑んで横島を安心させた。
否——油断させた。
楓はそのまま笑みを深め、全く他意は無いでござるよ〜〜とばかりの表情をもって、
「無論、一緒に入浴する為でござるよ?」
と、事も無げに答えたのである。
「はい?」
その彼女の言葉に、一瞬でカチンと石化してお地蔵さんとなってしまう横島。
楓が想像した通りの笑かすリアクションだ。楽しくてたまらない。
少女は更に笑みを……いや、“本当の意味で”楽しげな微笑を浮かべ、歩調を速めて風呂場を目指す。
「ちょっと待て!!」
「何でござる?」
可愛らしくキョトンとして首を傾げる楓に、横島も萌え付き……否、
「オレと混浴する気か?! 若い身空でそんなフシダラなコトする娘はセンセー許しませんよ?!
女の子はもっと自分を大切にしなさーいっ!!」
必死であるからこそ支離滅裂。
何を言わんかや。お前こそもっと普段の自分を顧みろと言いたい。
「ナニを言うかと思えば……大丈夫でござるよ? ここの露天風呂は混浴でござる故」
「何ですと?!
って、論点が違うっ!! そーゆーコト言ってんじゃなくて!!」
「おろ? 拙者のこの身体に情欲の高まりを感じるとでも?」
「アホな事言うなっ!!」
「では全然OKでござるな」
「え゛?
あ、いや……そーゆーコトじゃなくて……」
「まーまーまー 幸い、古はまだ酔い潰れている事でござるし……」
「は? 幸い?」
「いやいや。はっはっはっ」
何だか何時もよかエラく強引な楓であった。
彼女の弁の通り、古はまだ飲酒によってぶっ倒れている。
元気爆発少女である古が疲労で倒れるなどという珍事態が起こり得るのかどーか別として、他の教師らにはそういう事として次第を伝えていた。
何せ西の陰謀(?)とはいえ飲酒をしてしまったのは事実であるから下手をすると修学旅行は中止であるし停学処分だ。
だから飲酒によってぶっ倒れてしまったクラス委員長と同様に、はしゃぎ疲れて倒れた事にして部屋に放り込んでいるのだ。
お陰で楓にはチャンス……じゃなかった、機会が回って来て……じゃない……
えーと…まぁ なんだ。
そう、
『これはたいへんでござる。
横島殿とふたりでイロイロそうだんせねばならないでござるよ』
てな事らしい。多分。
何だかセリフが平仮名っぽく、とってつけた理由のよーに平べったい言葉に聞えるのだが恐らく気の所為だろう。
それが重さを増した任務によるものなのだろうか、何だか解からない気合が篭った楓の腕力はいつも以上。
運命に抗おうと無駄な努力を続けている横島ですら逃れられず四苦八苦していたりする。
しかし、絶妙な体重移動によって横島は足を踏ん張らせる事から出来ずにそのままズルズルと欲情……いや、浴場に引き摺って行かれいた。
普段なら兎も角、子供の体型&体重になっている彼では腕を取って抗う事も儘ならないようである。
身長はおろか体重まで子供と変化しているのに幻術と言うのだから、この世界の幻術はどんなんだと言いたい。
まぁ、そんな関係ない事を考えている間にも、横島は風呂場へと到着してしまってたりするのだが。
「ぬぉっ?! いつの間に……っ?!」
考え事をしている間に状況を進められるのは相変わらずという事なのだろう。
だが、今更言うまでもなく脱衣場は別なので逃亡する事は可能だ。
しかし、
「ああ、実は護衛の件で相談したい事があるのでござる。
内密の話でござるが、このホテルには監視カメラが至る所に設置されている故。
二人きりになれる場がここしかなかったでござるよ」
等と言われたら断り切れないではないか。
「無論、ちゃんと水着を着用するのでご安心を……
はっはっはっ 流石に嫁入り前の身である故、そうそう肌身を曝すつもりはないでござる」
何時もの忍者服はかなり露出度があったぞ? という話もあったりなかったりするのだが、そこはさておき。
水着ならばまぁいいかと横島もしぶしぶ納得。
チェ…っ という舌打ちが出そうになった気がしないでもないが多分気の所為だ。うん。
彼女がそうまで言うのだから真面目な話をするのだろう。
仕方なく横島も混浴するという事を受け入れてしまうのであった……
「へぇ……」
脱衣場から風呂場を覗き見ると、そこはなかなかに広い岩風呂だった。
銭湯ではないのだが脱衣場もそこそこ広く、やはり街中の入浴施設などより一味も二味も違う落ち着きが感じさせられる。
何だか入るのが楽しみになり、横島はパパっと手早く服を脱ぎ去って、その露天風呂へ突撃しようとしたのであるが、あの楓と共に入る事を思い出してタオルを腰に巻いてから浴場に入り直した。
エチケット云々ではなく、生まれたまんまの姿を美少女に見られて新しい境地を見出したくないだけ。
子供の時の自分をナチュラルに曝け出して悦ぶ趣味に目覚めたくないというだけだったりする。
その気が全然無いと言いきれないのが彼の悲しさだ。ナニかに覚醒しそーで怖いし(例:彼の高校時代のドッペルゲンガー事件)。
しかし、このホテル嵐山の露天風呂は、彼が思っていたよりかなり広い。
規模としては麻帆良女子寮の浴場ととんとんなのであるが、横島はそんな事は知らないから素直に感心している。
まさか自分のすぐ近くにりっぱな浴場があるとは露ほども思っていないだろう。まぁ、知っていたとしても部外者だから入れまいが。
入れたら入れたらで何か失いそーで嫌だし。
そんな気持ちよさげな岩風呂が目の前に広がっているのだが、意外にも横島はちゃんとかけ湯をしてから先に身体を洗い始めていた。
湯に入る前にキチンと汚れを落とす……なかなか作法が解かってる男である。
いや、普段なら風呂を覗く穴場を探す彼であるから作法もクソもあったのかと問われると返答に困るのであるが。
ちなみに今回は覗きポイントの下見を行っていない。
女子中学生の貸切に近いこのホテルの風呂場を下見するほど落ちぶれていないからだ。本気で覗きたいのなら飴も手元にあったのだし……
先程楓にも言っていた事であるが、高校時代 赤貧に喘いでいてもちゃんと風呂は入っていた事から解かるように横島はけっこう風呂好きだ。
だから鼻歌なんぞ歌いつつ身体を洗っていた。
麻帆良の自分の部屋にも風呂はあるが、やはり開放感というものが違う。
その嬉しげに身体を洗う所作からも彼が風呂好きである事が窺い知れた。
「お背中を流すでござるよ」
「ああ、あんがとな」
そう言ってもらったので快く承知し、横島は頭を洗う事にした。
横島は男であり、左程気をつけていないのでリンスINのシャンプーだけでOKだ。
ホテルのオリジナルシャンプーなのだろうか? 泡立ちも良くなかなか気持ちが……………
「…………………………………………………………楓…ちゃん?」
「何でござる?」
横島はぴたりと手を止め、背中を強すぎず弱すぎない適度な強さでゴシゴシ洗ってくれている美少女に声をかけた。
楓も何やら鼻歌を歌っており楽しそうだったりする。
「え〜と……いつの間に?」
「最初からでござるよ?」
横島の知覚能力の異様な高さは既に見知っている。
ならば素早く衣服を脱ぎ、最初から洗い場の近くに潜み、彼が近寄ってくるのを待って無防備になった時に近寄るのが上策であろう。そう踏んでの事だった。
確かに忍らしい戦法と言えよう。
しかし横島にとっては性質の悪すぎる悪戯である。
何せ今、ジャスティス(ロリ否定)は重体なのだから。
あんなぁ……と眉を顰めつつウッカリ振り返ってしまう横島。
うかつ、ウカツ、迂闊。
正に迂闊。
横島は頭を泡まみれにしつつ迂闊にも後に振り返り、背後の楓のその姿をまともに目に入れてしまったのだ。
そして横島の顎は、外れたかのようにかっくーんと音を立てて落ちてしまう。
確かに彼女の言葉に嘘偽りは無かった。
感心にもきちんと水着を着用し、体の大事な部分を隠してくれてはいた。
いたのではあるが……
楓の水着とは 黒 い ビ キ ニ だったのである。
それもかなり布地が少なく、それって勝負水着? とかアホな感想を言ってしまいそうになるほど大事な部分のみしか隠せていない、黒いマイクロビキニだったのだ。
楓が横島と出会う前、ネギ先生が初めて少女吸血鬼と戦い、敗北した後に元気の無かった彼を風呂場にて皆で励ますというイベントが行われていた。
何だか女子中学生らが子供にセクハラしただけという気がしないでも無いが、楓の水着はその時のものなのである。
「おろ? 似合わないでござるか?」
ボーゼンとしている横島の表情に気付き、やや頬を染めつつポーズをとってみる。
だが手に持っているのは泡まみれのタオル。横島を洗っていたのであるから、当然ながら彼女の四肢や身体にも泡は付着していた。
楓のプロポーションは89-69-86で、とっくに中学生という範疇から逸脱している。
大人の女顔負けだ。ナメンナ ゴラァッ!! と文句言いたくなるほど。
そんな彼女が風呂場の熱気だか何だか知らないが、うっすらと頬を朱に染めているのだから堪ったものではない。色気が更に増しているではないか。
その手に持った泡が年齢度外視の色気に拍車をかけ、ぶっちゃけそーゆーサービス業のお姉さんの様である。
カラータイマーが赤になった瞬間に停止し、
何処かの汎用人型決戦兵器が起動した瞬間に暴走する。
正しくそんな波動が彼から発せられているのだが楓は気付きもしない。否、できない。
流石に横島の半分程度しかない彼女の人生では男の……“牡”のそーゆー露骨なオーラを受けた事は無かったようだ。
ぱ き ー ん
だから横島の心の奥で何かが割れた音が聞こえた気がした……のであるが、その意味合いはサッパリ理解できなかった。
「? 横島殿? 如何なされた?」
きょとんとする楓の表情はとても可愛らしい。
それすらもただでさえクソ短くなっている理性という導火線の火を煽りまくっている。
「………し」
「し?」
プルプルと肩を震わし、ぷちぷちと血管が切れてゆく。
ああ、もう終わりか?
終わりなのか?
終わってしまうのか? 横島。
カウントダウンもスタートする。
10・9・8……
何の? と聞いてはいけない。
強いて言うのであればナニかの……とだけ言っておこう。
静かではあるが灼熱の、何が何だかよく解からない波動が強まってゆく。
ド紫色のフォースつーか、オーラつーか、プラーナつーか……それらがこう、ガシガシと。
7・6・5……
いや良く我慢した。
良く耐えたよ。
ここで話があるっつーのは誘いだな? 誘いだったんだな? じゃあ仕方ないよな?
等と既に自己弁護もスタートしている。心の圧力釜も破裂寸前なのだからしょうがないか。
どーせ後で後悔するくせに……
まぁ、どちらにせよ時間は切れるのだけど。
3・2・1……
も、もう、ダメだぁ……
ゼ……
「む…っ?!」
「もう辛ぼ……うえっ?!」
辛抱たまらーんっ!! と動きそうになった瞬間、横島は楓に抱えられてその場から飛び退って岩陰に身を伏せさせられた。
「うごっ!?」
その際、ウッカリと額を岩で打ち据えられてしまったりもする。ヒビが入ったのは岩の方だが。どんな石頭だと問いたい。
だが、お陰で彼は正気に返る事ができたのだから。細かい事は良いだろう。
「ハっ?! オレは一体……?」
「(シ…ッ!! 誰か入って来たでござる)」
何故に楓がこんなに慌てていたのかというと、邪魔が入らない様に清掃中の看板を立てていたからである。
何の邪魔か……はさておき、その看板が出ていたというのに入ってきたのならば関係者の可能性がある。だとすればバレると拙かったのだ。勝手にそんな立て看板まで使ってるし。
ジャスティスが昏睡状態なのか全く利いてくれなかった事に悶えている横島を尻目に、楓は脱衣場から入ってくる姿を見据えていた。
と……?
「(む……ネギ坊主?)」
入って来たのは肩にオコジョを乗せた少年。
誰あろう、彼女の担任で魔法先生であるネギ=スプリングフィールドその人であった。
****** ****** ******
魔法教師、ネギ=スプリングフィールドは悩んでいた。
彼には学園長から授かった『親書を関西呪術協会に届ける』という任務がある。
それは関東魔法協会と関西呪術協会とを仲直りさせる一歩である大事な任務なのだ。
だが、それと平行して彼自身には −父親の手がかりを捜す− という目的があった。
だからこそネギはここ京都への修学旅行を心待ちにしていたのである。
しかし今はそんな事は言っていられない。
根が真面目な彼は、生徒に危害が及ぶ事を危惧していたのだから。
確かに父の足跡を追うのは大事であるし、何としても知りたい事だ
だからといって、親書を届ける事を蔑ろにするつもりはないし、妨害工作に生徒を巻き込む事など論外だ。
今の彼は、大事な生徒らを守り、且つ無事に親書を届け、その後にできれば関西呪術協会の長に父の事を聞けたら良いな……と目的の順番を組み替えていた。
ちゃんと生徒の無事を優先順位の先頭に並べ替えているのは、この年齢から言えば感嘆に値できるだろう。
だが、それでも問題が消えるわけではない。
今一番の問題は西の刺客だ。
親書を奪い、講和を反故にさせる……何故そんな事をするのかネギにはサッパリ解からないのだが、ともかく西の刺客はそのつもりなのだろう。
だが、その想いはさておき、魔法を秘匿するという暗黙の了解すら無視し、尚且つ一般人を……自分の生徒達を妨害工作に巻き込むのは許せるものではなかった。
肩に乗せた親友のオコジョ——本人(?)曰く、由緒あるオコジョ妖精らしい——カモミール…通称カモ君によれば、京都出身でかみなるりゅう(注:神鳴流。カモには読めなかった)とかを使う、出席番号14番 桜咲刹那がとにかく怪しいという。
最初は半信半疑であったが、京都への移動中、新幹線の中で件の少女は小さな男の子を叩いてニヤリとしていた(注:カモ視点)らしい。
実際、彼女は泣かした子供に謝っていない。それはネギ自身も見たのだから間違いない。
同僚の新田によれば、その子供はタダキチといい、大阪から東京へと引っ越して早々に両親を交通事故で失い、親戚をたらい回しにされて施設に預けられる直前で養い親となってくれる人間が現れ、その家の子になる前に母親の実家と墓がある京都に一人でやって来たのだという。
聞いていたネギはおろか、語っていた新田ですら涙を禁じ得ない設定……いや、物語である。
なんだか瀬流彦先生やしずな先生は微妙に苦笑していた気がしないでもないが。
兎も角、そんな子供を叩いて謝りもしていない刹那。この事からネギ彼女に対する疑いを強めてしまってたのである。
『やっぱ、あの女が怪しいっスね』
「うん……信じたくないけど、刹那さんが一番怪しいんだよね」
カモはネギに肘をかけ、頭に小さな手ぬぐいを乗せて小さなお猪口に手酌で酒(?)を注ぎ入れて呷っている。どこのオッサンだ。お前は? と問いたい。
そのネギも表情はだらけきっていた。
彼は風呂嫌いで知られているのだが、それは洗髪が嫌いだからというだけで、湯に浸かる事自体は嫌いではないのだ。
だから観光地の露天風呂というものを味わい、脱力し切っていたのである。
無論、任務や用心の心を忘れたわけでは無い。
現に今も問題の西の刺客の事を考え続けているのだから。
「あいつ、いつも木刀みたいの持ってるし、
魔法使いの兄貴じゃ呪文唱える前に負けちまうよ」
おまけに新幹線の中で目にした通りならば式神も使えるっポイ(←誤解)。
「う〜〜〜ん
魔法使いに剣士は天敵だよ——」
何せこちらは呪文を詠唱せねばならないのだ。
その間に攻撃を受けたりすれば詠唱は中断してしまうし、その攻撃も受け放題なのである。
相手の腕にもよるが、未熟なネギでは剣士を前にすればそこらの案山子と変わらないのだ。
ワラ束の様に斬られるのは流石に勘弁して欲しい。
だが、以前のように……教え子のロボっ娘の時のような闇討ちもまたやる気は起きなかった。
あれは成功させなかったのだが、それでもかなり後味が悪かったのだ。
「どーしよ——」
はふぅ〜…と子供らしからぬ溜息を吐くネギ。
色々と考え過ぎてしまい、根本的な解決から遠退いてしまうのは彼の悪い癖である。
とはいえ……
「(はて……? ネギ坊主は何を悩んでいるのでござろうか?)」
「(さ、さぁ……?)」
横島のようにヘンなトコで考えなしなのも問題であるが。
ギリギリでセーフだったとはいえ、ジャスティス不在(予想以上に怪我が酷く、入院した模様)で楓と密着しているのは拙い。
かと言ってここから出れば発見される率が高い。そうなったら女子中学生と混浴しているエロ男というレッテルがペタリと貼り付くではないか。それは是が非でも回避せねばならなかった。
いや、性犯罪者のレッテルはどーでもいい。高校時代から“向こう”で散々言われていたのだから。
嫌なのは受け入れちゃいかけている事なのである。
それだけは何としても回避せねばならない事柄だったのである。
だが横島はそんなネギを見、自分の姿を顧みてハッとした。
「(……考えてみれば、オレって今は飴の力で子供の姿じゃねぇか……
ナニ焦ってたんだろ……)」
やっとその事に気付き、肩から力が抜けてゆく。
それならこのまま風呂に入り、子供先生をスルーして出てゆくだけで、やーらかい堕落させるモノから逃げ延びられるではないか。
正に(横島主観で言えば)一石二鳥!!
楓に気付かれない位置でよしっと勝利を確信して拳を握り、立ち上がって子供教師に声をかけ——
カラカラカラ……
「……ん? 誰か来たよ。男の先生方かな?」
「え……? 「(シ…ッ! 見つかるでござるよ?!)」ぶふぁっ?!)」
——ようとした所で、全裸の少女が浴室に入ってきたのである。
そしてまた岩に叩きつけられる横島の頭。その際、スイカ割りのような鈍い音がしたが気の所為だろう。
「(あ……あの娘は……)」
「(ふむ……
刹那……桜咲刹那。拙者のクラスメイトでござる)」
実際、ダクダク血を流してはいるが平気っぽいし。
そんな彼らの視線の向こう。
今この露天風呂に入ってきた髪を片方に束ねた小柄な少女剣士がいた。
その少女は新幹線内であらぬ疑い(?)を掛けてきた退魔剣術である神鳴流の使い手であり、武道四天王の最後の一人。
今の今までネギが頭を痛めていた当の本人。桜咲刹那その人であった。
なななんで!? 入り口は男女別々なのに中はおんなじ——?! と、混浴を知らなかった少年は慌てふためいている。
そんな少年とオコジョの更に後ろでは、横島が更にジタバタと苦しみもがいていた。
「(は、放してーっ!!)」
「(見つかるでござるよ?! それは流石に拙いでござろう?!)」
「(解かった!! 解かったから……はーなーしーてーっ!!)」
羽交い絞めにされている楓の腕の中から必死に逃れようとじたばた足掻いている横島。
彼の人智を超えた能力を駆使すればそんな事は児戯にも等しいはず……なのであるが、何時もどーり女がらみでテンパりまくっていて、彼はその能力を発揮しきれないでいるのだ。
というのも、彼の状態が“羽交い絞め”だからである。
つまり、後から美少女にピタリと密着されているのだ。
やーらかいくせに、どこか青い
年齢度外視の美乳且つ爆乳のドスゲェ超兵器。
今より更に未来に対して期待が持ててしまうそのドスゲェ兵器が、横島の背中に挟まれてふにゃりと形を変えているのである。
横島の眼球が飛び出しそーになっているのも仕方の無い話であろう。
これで鼻血など出した日にゃあアンタ、もう彼は解脱しちゃうかもしんない。幾らなんでもそりゃ拙かった。
だから横島はもがいてたのである。そう、己を賭けて——
しかし、そうだとしても楓は今手を離す訳にはいかなかった。
新幹線内で起こった刹那との事件は、横島と古から既に聞き及んでいる。
些細な事ではあるのだが、刹那はけっこう用心深い性格をしている為、タダキチ(横島)に対してまだ疑惑を持っているかもしれない。
そんな彼女の前に彼が飛び出してゆくとかなり問題が生じてしまうだろう。紹介すら行っていないのであるし
いや、落ち着いて話し掛けるのならまだマシだったのであろうが、ここは風呂場である。
裸の少女の前に裸の彼がひょっこり現れ、『やは、おぜうさん。話をきいてくれまいか?』等と話しかけられて冷静でいられるだろうか?
いやそれ以前に、これだけテンパった人間と相対させる訳にはいくまい。纏まる話も拗れに拗れるのは必至だろうし。
だから彼女は横島を押し留めているのである。
決して——
「背は小さいけど、キレイな子やなぁ……」
等と、横島が子供先生と同じ様な感想を口から漏らし、ボ〜っとして見惚れていたからではない。
……ハズである。
……多分。
そんな風に二人して無音で騒ぎまくるというド器用な事をしていると、
カシャンッ!! と唐突に灯りが弾け、
「誰だっ?!」
刹那が白木の刀を構えるのが見えた。
前方のネギ少年も、慌てているのが解かる。
「逃げるかっ」
「(来る?!)」
「(拙っ?!)」
流石に楓も横島もそこらは普通では無い。
構えの間より空気よりも、氣の流れで技が出る事に咄嗟に気付いていた。
神鳴流奥義……
——斬岩剣!!
充分に氣を乗せた得物での一閃!
音も無く、豆腐か何かのようにネギが身を隠していた岩が切断されてしまう。
「(おぉっ!!)」
「(ひーっ!!)」
幸いにも自分らが見つかったわけではなかった様であったのだが、その余波は自分らに迫っていた。
言うまでも無く黙って当たってやるような二人ではなかったので、楓は刹那が放った退魔の剣術を感心しつつ避け、横島は声無き悲鳴を上げつつも紙一重で見事に避けている。
二人は結構余裕を持って避けたのであるが、刹那のそれは野太刀なので定寸より剣先までが長く、居合いの速度を殺さないようにしているのか“反り”も緩い。
乱戦や近接戦には不向きかもしれないが、<薙ぐ>という事ではかなり優秀であろう。
そう見てとれるのだから楓も相当だ。
何せこれが退魔剣術でござるか…等と呑気に感心していた程なのだから。
だが、ネギも只の子供ではない。
彼なりに今までの戦いで色々と学んでいるのだ。
刹那が入浴時にも油断をせず得物を持ち込んでいるのと同様に、彼も小さな魔法の杖を持ち込んでいた。
「FLANS EXARMATIO!!」
僅かの間に紡がれた武装解除の魔法は見事成功し、バシンッ!! と音を立ててその不可思議な力が少女の刀を弾き飛ばす。
先に相手の得物を奪うのはなかなか良い方法だ。
だが、流石にまだ子供なので詰めが甘い。
「フッ」
刹那は得物を飛ばされても慌てる事なく距離を詰め、ネギの喉と股間を掴んで完全に動きを封じてしまった。
「( ぐ ぉ っ!?)」
楓にとっては今の刹那の行動は常套戦法なので取り立てて慌てたりしなかったのであるが、ネギと同じ男である横島にとっては、<掴まれる>のはイタイ攻撃である。
無駄に感受性が高い彼は、その衝撃をウッカリ自分に重ねてしまい、ひゅんとキて内股&前かがみになってしまう。
決して、背中でふにふにしている感触によって前かがみになったわけではない。ハズだ。
「何者だ。
答えねば捻りつぶすぞ?」
「(ひぃっ!!)」
刹那がそう脅し、尋問を掛けた。
ネギの三倍は人生経験が豊富な横島は、その痛みをとても良く知っているのでネギよか遥かに怯えてたりする。
お陰でふにふにの感触は紛れたのであるが。
まぁ、誤解であったし、間近で顔を確認すれば相手がネギである事は簡単に気が付く。
慌てて手を離して謝罪するもしどろもどろなのは彼女の性格なのだろう。
ネギの方は“掴まれた”事もあって、そう簡単には冷静さを取り戻せていないようだが。
少年一人が知らなかった事であるが、刹那も魔法関係者であり、木乃香の護衛だった。
その事を彼女が説明した事によって事態はやっと収束に向ってゆく。
横島もやっと落ち着き、やれやれと座り込んだ。
騒動が治まって安堵したのではなく、楓が解放してくれたからだったりするのが実に彼らしいが……
「(ん?)」
と、俯いていた横島が突然顔を上げた。
前方には未だ裸体を曝す刹那がいるにも拘らず……だ。
いや……? その刹那の“向こう”を見つめているような……
「(如何なされたでござる?)」
おちゃらけ色が薄まった横島に、楓も僅かに緊張してみせる。
「(何か妙な霊気が……)」
「(何と?)」
横島の言葉にくの一少女が身構えるより先に、
「ひゃああ〜〜っ!!」
「「な…っ?!」」
どこか間が抜けた悲鳴が風呂場にまで響き渡った。
「この悲鳴は……」
「このかお嬢さま?!」
慌てて湯から飛び出し、脱衣所へと駆けて行く二人。
その後を追い、楓らも後を……
「サイキック……」
「横島殿?」
追おうとしたのだが、横島はいきなり左腕に力を収束させると、例の霊気の盾を出現させ、
「ソーサーッ!!」
ブン…っ!! とおもいっきり塀の向こうの茂みに向って投げつけた。
——ひゃあっ?!
無論、彼も当てるつもりはなかっただろうが、流石に周囲の枝葉を切断しつつ、隠れていた自分をかすめてけば誰だって驚く。
現に悲鳴が…女か?…が聞こえていた。
「曲者?!」
楓も殆ど気付いていなかったようで、少々慌てていた。
いくら隠行の技が優れていようと、霊気を止める術を持っていなければ横島の感覚からは隠れ切る事はできないのだ。
まぁ、こちらの世界にはそんな技は無いようであるが。
「あっちは二人に任せて、あいつを追うぞ!!」
「承知!!」
横島の声を聞き、楓も気合を入れなおして遠ざかろうとしている曲者の影を追い始め………
——ようとして、その足を止めた。
「よ、横島殿?! しっかり!!」
その横島が血の海に沈んでいたからである。
「一体何が…………………あ っ ? ? ! ! 」
楓は気が付いていなかった。
いや、忘れていたと言った方が良いだろう。
楓はビキニだった。
そしてあれだけの動きをし、尚且つ物陰にいたとはいえ、神鳴流剣術の余波も受けていたのだ。
当然の様に彼の眼前で立ち上がった楓の紐は単なる化学繊維の布なので、そんな衝撃や動きに耐えられようもない。
簡単に
それも、“上”と“下”のセットで……
「み、見られたでござるか……………?」
呟く様に倒れ伏している横島に問い掛けると、遺体もかくやといった按配の彼の右腕がゾンビの如くゆるゆると動き、
グ……っ!
と親指を力強く立てて見せた。
「………」
暫し呆然としていた楓であったが、寒暖計宜しく足元からゆっくりと赤の色を昇らせてゆき、
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
声ならぬドでかい悲鳴を上げて横島の足をむんずと掴み、浮いている水着も忘れず拾ってその場から姿を消した。
脱衣所でのサル騒動はその間に終結してはいたのであるが、ホテルの周囲にはひき逃げ事件でもあったかのように、人を引き摺り回した血の跡が延々と続いて関係者を騒然とさせたという。
甚だ関係ない話であるが、その不可思議な事件の被害者であろう人物は修学旅行が終わった後も見つかっていないし、血の跡も道路の真ん中でぷつりと途切れていた為、警察も首を捻っていたそうである。