さくら荘の空太君が開き直った様です。《完結》   作:こいし

29 / 31
一次審査、


神田空太の一手

 恋を教えて。椎名ましろが神田空太にそう言った時、神田空太はそれに答えることが出来なかった。

 今でこそ椎名ましろに恋している神田空太ではあるが、恋をこういうものだと教えられる程恋について何か知っている訳ではない。心理学者という訳でもないし、まして恋愛について教えられる程長い年月を生きてもいない。寧ろ、恋愛についてだけ知りたいのであれば空太よりも仁や千尋に聞いた方がよっぽど効率が良いし、確実だ。

 とはいえ、椎名ましろは恋を知りたい。それも、空太に教えて欲しい。

 当然、本や漫画の知識でいえば、恋愛について知っている。胸がドキドキして、ちょっとした行動できゅんとして、ハラハラして、切なくなって、ときたまぽかぽかと温かくなる。そんな感情が、恋だ。しかしましろは稀代の非常識人、そんな感情は感じた事も無いし、文面だけ見ても理解は出来ない。

 

 それはつまり、

 

 恋愛漫画を書くことが出来ないということだ。彼女は、漫画を書く為に恋愛を知りたい。本当の恋愛を知りたい、胸がドキドキして、きゅんとして、温かくなる様な体験をしたい。

 だから、空太に教えて欲しい。空太に、ドキドキさせてほしい、きゅんとさせてほしい、温かくさせてほしい。

 

 椎名ましろは稀代の非常識人。だから気が付かなかった。ドキドキさせてほしい、きゅんとさせてほしい、温かくさせて欲しい、そんな願いの相手に空太を『選んだ』ことの意味に気付かなかった。紛れも無く、それは好意を持った行動ということではないか。

 

「恋を教えて、ねぇ……」

 

 空太は日課を終えて、皆が起きてくる頃であろう時間帯に、縁側に座ってそう呟いた。

 

 あれから、数日経った。空太の疲労も、青山の体調も元通り、ましろ当番も空太に戻されて、さくら荘の雰囲気はいつも通り、和気藹々としたものに戻っていた。

 とはいえ、まだまだ悩み事が無くなった訳ではない。ゲーム作ろうぜ! には自作ゲームを送ってエントリーしたし、ましろとの約束もまだ有効であるし、その上恋を教えてとは凄まじい連続攻撃、怒涛の攻めではないか。

 

「おはよ、神田君」

「ん、ああ青山おはよう」

 

 すると、そこに青山が起きて来た。彼女はアレから無理をせず、ましろ当番でなくとも余裕のある範囲でましろを色々気に掛けている。その内に、ましろとは名前同士で呼ぶ仲になった様だ。空太的にも、ましろにちゃんとした友人が出来ることはなんとなく嬉しい事実だったりする。

 

「何してたの?」

「ん、ちょっと運動をな」

 

 空太の日課は、まだ知られていない。仁以外には。朝帰りの多い仁以外が起きてくる時間には、既にシャワーを浴びて一息ついているのだから、知りようもない。まぁ、徹夜をすることも少なくない面子がさくら荘には多いのだ、いずれ知られる事だろう。

 空太の返答を聞いて、青山が頷くと、彼女は空太に一通の封筒を手渡した。

 

「はいこれ、神田君に来てたよ」

「……あーゲーム作ろうぜの合否か」

「っ! そ、それって……」

「まぁあまり心配して無いけどな」

 

 空太はその封筒をビッと破って、中の手紙を取り出す。

 そこには、こう書いてあった。

 

 『一次審査通過』

 

 赤坂龍之介、プログラマーの天才によってお墨付きをもらったのだ、一次審査くらいは突破してくれないと困る。空太は噴き出すように短く笑うと、青山に見えるように手紙を見せた。すると、青山は自分の事のように笑顔を咲かせた。

 やったね、と何度も言ってくるので、空太は苦笑しながらありがとうと返した。

 

 二次審査は数日後、8月31日のプレゼンテーションにて行われる。

 空太は自分のゲームを分かりやすく説明し、納得させ、ゲーム制作まで漕ぎ付けるための場が設けられた。チャンスを手にしたのだ。

 

「まぁ、本気の俺が作ったゲームだ。一次審査も通れない様じゃ、ゲーム作りの才はないだろ」

「それなんか凄い嫌味だね」

「自信を持つ事は良いことだ、寧ろ人は自分の凄い所をしっかり凄いと言えないと駄目だよ。謙虚なのも良いけど、プライドと自信はある程度必要だ」

「んー……そんなもんなん?」

「弱い奴は落とされる、それはスポーツの世界でなくとも同じことだ」

「神田君……なんかこの前から神田君じゃないみたい……」

「どういうことだ?」

「なんか、漲ってる……? みたいな」

 

 青山の感想は、的を得ていた。

 あの一件以来、空太は随分と変わった。いや、特筆して行動に変化があるわけではない……が、その表情というか雰囲気に活力が感じられる。

 

「んー………まぁ、無理しない程度に頑張ってるからな」

「?」

「噛み合った、と言った方がいいかもしれない」

 

 その原因は、やはり空太の内面に起こっていることだった。空太はあの一件以来、自分の身体がようやく自分のものになった様な感覚を得ていた。今まで噛み合っていなかった精神と肉体が噛み合ったのだ。

 だからだろう、自分の出来ることがしっかり理解出来る。故に漲る自信と活力が雰囲気に出ているのだろう。

 

「ま、なにはともあれ……プレゼンの練習、手伝ってくれるか?」

 

 空太はそう言って、青山に笑みを向けた。

 

 




合格!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。