翌日、空太は椎名ましろの再試の付き添いで学校へ向かう準備をしていた。おそらく椎名ましろはまだ眠っているだろうし、まだまだ時間にも余裕があるのでそこまで焦った様子ではない。元々、授業を受けに行く訳でもないので鞄は持っていかないし、制服に着替えて携帯や財布をポケットに入れるだけで準備は終わる。日課もあってかなり早くに準備が終わり、ましろを起こしに行くには早過ぎる時間なので空太は自室でのんびりとゲーム作りをしていた。
そこへ、空太のポケットから携帯のバイブによる振動が伝わる。空太は何気なしに携帯を取り出し、表示を見ると実家からだった。元々空太はこの夏休みに実家に戻る予定だったので、おそらくはそのことについてだろうと電話に出る。
「はいもしもし」
『あ! お兄ちゃん? なんでこっちに戻って来ないの!? 夏休みに入ったら戻って来るって言ってたじゃない!』
電話の相手は妹の神田優子だった。お兄ちゃんマジLOVEで元気ハツラツちょっぴりおちゃめでキュートな妹を自称している現在中学三年生である。彼女は小さい頃より空太にひっついていた生粋のお兄ちゃん子であり、空太が色んなことから眼を背けていることも理解している。だからこそ、兄LOVEなこの妹は空太を気遣っていたりもする。
「ごめんな妹よ、俺は帰れそうにないんだ」
『どうして!? 女? 女なの!? お兄ちゃんもしかして彼女が出来たの!?』
「いや彼女じゃなくてペットを飼い始めたんだ。猫が七匹と人間が一匹」
『ちょっと待って、今何かおかしなワードが聞こえて来たよ! 人間は一匹じゃないよ! 一人だよ!』
「ああ、ごめんごめん。猫が七匹と人間が一人だ」
『そういう問題じゃないよ!! 人間飼い始めたってどういうこと!? もしかしてお父さんのベッドの下に隠してあったエッチな本に書かれてた性奴隷ってやつなの!?』
「帰ったら殺るべき事が増えたみたいだな。親父に言っとけ、隠し場所を変えろって」
『え? いや私その本お母さんに渡しちゃったよ?』
「………仕事が減ってなによりだよ」
妹は思っていた以上にバイオレンスな行動を天然で行う子だった。発見したエロ本をよりにもよって一番見せてはいけない人に渡してしまうとは。公開処刑にもほどがある。
空太は溜め息を吐きながら改めて話を元に戻す。
「とにかく、俺は実家に戻れないんだ。よろしく言っておいてくれ」
『そんなッ!? お兄ちゃんが帰って来ないと私の夏休みの計画がおじゃんだよ!?』
「お前の夏休みの計画にお兄ちゃんを勝手に組み込まないでくれる?」
『お兄ちゃんの人でなしー! ところで飼ってる人って女の人? ていうか飼ってるってどういうこと?』
「お前はまだ知らなくても良いことサ」
『どういうことなの!? もしかしてお兄ちゃん……もう大人の階段を登っちゃったっていうn―――』
空太は電話を切った。
「手遅れだな、あの妹は……」
一つ呟いて携帯の電源を落とし、ポケットに入れる。ゲーム作りをする気分でも無くなってしまったので、空太はパソコンの電源を落として立ち上がった。ふと見てみると、窓の外には快晴の青空が広がり、夏休みの序盤にしては良いお出かけ日和だった。
「まぁ……再試なんだけどな……ましろを起こしに行くか」
空太はそう呟いて、ましろの部屋に向かったのだった。
◇ ◇ ◇
学校へ到着し、ましろを再試の教室まで送り届けた後、空太は購買で買ったパンを抱えて廊下を歩いていた。ましろを起こす際にましろが駄々を捏ねたので少しばかり時間を食ってしまったのだ、それ故に空太はともかくましろは朝食を食べていない。一応来る時にバームクーヘンを与えたが、それでも足りないだろうと考えて買って来たのだ。ましろ当番として素晴らしく有能な行動を取る空太だった。
「あれ? 神田君?」
そんな空太の正面から歩いて来たのは、クラスメイトの青山七海だ。彼女は自身のポニーテールを揺らして空太の方へと身体を向けた。空太は青山七海を見て、表面上は取り繕っていたが内心では帰りたい気分になっていた。
それというのも、空太は実の所青山七海という人間が苦手だ。嫌いという訳じゃない、容姿も整っているし、内面も几帳面で実直で芯の通った性格をしているし、空太に対してなにか悪意ある行動や言動を振るう訳でもない。空太が苦手としているのは、彼女の生き方だ。
彼女には『声優』になるという夢がある。その為に高校一年生の時点で養成所に通っているし、さくら荘の上井草美咲の作るアニメーションの吹き替えとして日夜努力を惜しまない。故に、空太は彼女が苦手だ。
勿論、上井草美咲や椎名ましろといった才能人達も努力はしている。それこそ、常人の及びも付かない程の努力だ。だが、空太は彼女達が苦手ではない。ならば何故、青山七海という人間だけを苦手としているのか。
それは、彼女も……天才ではないからだ。努力して努力して、一生懸命に前だけを見て、堅実にコツコツと積み重ねて天才に近づいた秀才だからだ。才能が無い訳じゃない、だが天才と呼ばれるには小さな才能だったのだ。空太は、そんな青山七海を見ると嫌になる。自分と同じ才能にあまり恵まれなかったのに、自分とは違って懸命に前だけを見続けられる彼女を見ると、自分が酷く小さいものに見えるから嫌になる。
だから、神田空太は青山七海の事が苦手だ。
「……おう、青山」
「どうしたの? 今日は学校休みだけど?」
「椎名ましろが再試を受けるからその付き添いで来たんだよ」
「何それ?」
「まぁ色々だ……青山こそなんで此処に? 先生に呼び出されたか?」
「う……まぁそうね」
空太に言われて図星だった青山は眼を逸らしながら肯定した。
青山七海は努力の人だ。彼女は夢を追いながらも成績を疎かにはしない。実際、成績は優秀で日頃の態度も優等生と言えるものだ。それなのに先生に呼び出される、というのは少しだけ空太の興味を惹いた。
「何か悩みでもあるのか? 俺で良ければ聞くけど」
「うーん……神田君、結構色んな人を助けてるみたいだし……いいかな」
「?」
「……あのね―――」
ぐー
「………なんだ?」
「う、うん……実は……」
ぐー
「……あ、あれ? 喉の調子でも悪いのかな?」
「商売道具だから気をつけろよ?」
「う、うん……それでね」
ぐぅぅぅぅ………
「なぁ青山」
「……何?」
「お前の腹の虫を黙らせてくれ」
「そこは最後までスルーしてくれても良いじゃない!!」
先程から何度も鳴り響く青山の空腹からなる音が、段々酷くなっているので空太は遂にそこへ突っ込んだ。青山は恥ずかしいのか顔を真っ赤にして逆ギレである。
空太はそんな彼女を見て哀れに思ったのか、ましろの為に買ってきたパンの一つを取り出す。焼きそばパンだ。
「食うか?」
「い、いらない……今、ダイエット中だから」
「どうせ金欠だろ馬鹿」
「なんで分かるの!?」
「今お前が白状したよ」
「あ! 卑怯者!」
「良いから食えよ」
空太の差し出す焼きそばパンを頑なに受け取ろうとしない青山。ダイエットと言いながら金欠ということは、おそらく学校に呼び出された内容は一般寮の家賃滞納あたりのことについてだろう。この分じゃ携帯とかも止められていそうだ。
「いいから! 卑怯者の餞別は受けないわ!」
「………」
青山の言葉に、空太は若干イラッと来た。卑怯者と言われたからではない、この頑固さが苛立ったのだ。空太は焼きそばパンの包装ビニールを剥ぎ取り、普段の日課で鍛えた俊敏な動きで青山の両腕を片手で掴み、青山の頭の上で拘束した。そしてそのまま壁に追いやり、青山の両足の間に自分の足を入れた。
青山は突然のことで何が起こったのか全く分からないでいた。気がつけば両腕は自分の頭の上で拘束されていて、両足の間に空太の足が入っているから動く事も出来ない。
「か、神田君? なにを―――むぐぅっ!?」
空太は呆然と自分を見上げてくる七海の口の中に片手に持った焼きそばパンを突っ込んだ。そしてそのままぐいぐいと中に押しやる。
「食べないとどんどん押しこんでく」
「!」
空太がそう言うと、流石に苦しくなってきた青山はむぐむぐと口に入って来る焼きそばパンを咀嚼して食べていく。慌てたように食べるので、むせ込んだりもしたが、空太の眼が本気だったのと空腹が相まって無我夢中に食べた。
そして焼きそばパンを食べきった後、空太は小さいペットボトルのお茶を取り出し、青山の口に突っ込んだ。
「んじゅっ!?」
青山は口内に入ってくるお茶を必死に飲む。入って来る勢いと飲む勢いが追い付かず、口の端からぽたぽたと溢れ出たが、空太がボトルを引っ込めたので床に数滴垂れたくらいで済んだ。
「けほっ……な、何するのよ神田君……!」
「いやいや、何処までも頑固に人の善意を受け取らないから無理矢理やっちまえって思って」
「外道にもほどがあるじゃない!」
「でもまぁ腹は膨れただろう?」
「う………まぁ……それはそうだけど……やり方ってものが」
「ああそうそう、寮の家賃滞納が問題になってるならさくら荘にくれば良い。家賃は格安だし、食費は別だから自分でやりくり出来るし、部屋も空いてるからね」
青山はその言葉にきょとんとした表情を浮かべた。話してもいないのに空太に家賃滞納の事を知られているのが不思議だったのだ。
「成績優秀で優等生な青山が夏休み中に学校に呼び出されるとなれば、成績以外のことだって直ぐに分かるさ。そのなかで学校が絡んでくるのは寮か進路の事くらいだからな、声優志望って決めてる青山だから、寮でのことで呼び出されたって方が無難だろ?」
「……神田君、成績は良くないのに頭は良いのね」
「残念なことにな」
空太が苦笑する。
溜め息を吐いた青山は、頭に手をやりながら少し考える。先程の空太の案を受け入れるべきかどうかを考えているのだ。一般寮を出て、さくら荘へ移るという案を。
「空太」
「ん、ましろ……再試終わったのか?」
「終わったわ」
「そうか、それじゃほら……餌」
「うん」
そこへましろがやってきた。再試を追え、まだ少し眠そうな表情を浮かべている。空太はそんな彼女に飼って来ていたパンを与えた。最近の彼女のブームはメロンパンである。
もさもさと食べる様子は、小動物に餌を与えている様な感覚になった。
「あれ? 神田君、その子……」
「ああ……二人は初対面か……紹介するよ。コイツは椎名ましろ、さくら荘の住人だ」
「有名だから知ってるよ」
「ましろ?」
「………zzz」
「寝んな」
空太はましろの額をデコピンした。
「痛いわ」
「ほら、俺の同じクラスの青山七海だ。挨拶しなさい」
「……よ、よろしくね?」
「……美咲のアニメの声」
「そうだな、青山がやってるんだ」
「綺麗な名前だったから覚えてるわ」
「ど、どうも」
すると、ましろはまた船をこぎ始めた。どうやらどうしようもないくらい眠いらしい。持っていたメロンパンを落としたので、空太は空中でキャッチしてパン入りの紙袋に戻した。後でまた食べるだろう。
「起きろ、ましろ」
「………眠いわ空太」
「よ、呼び捨て……」
「昨日は空太が寝かせてくれなかった……」
「なっ……か、神田君どういうこと!?」
「あー……俺もつい夢中になっちゃったからな」
「空太……上手いから白熱したわ」
「え? え? 何、どういうこと!? 神田君!?」
「でも最後まで俺のペースだったな。ましろ最後は動けなくなってたし」
「……仕方ないわ」
勿論、空太とましろが言っているのはゲームのことである。上井草美咲が乗りこんできて、ゲーム大会になり、空太が廃人並のスーパープレイでましろや美咲、仁を徹底的に叩きのめしたのだ。何もしない奴ほど、暇潰しに掛ける時間は多いということさ。
「ちょ、ちょっと神田君!? どういうことやの! 徹夜で……は、破廉恥やわ!!」
「ん? 青山も今度やるか?」
「な、な、な………何言うてんの!!!」
「関西弁だ」
「アンタらどんな関係やの!?」
「空太は私の飼い主よ」
「ましろは俺が世話してやってるんだよ」
「アホかああああああ!!!!」
青山のキャパシティが遂に許容量を超えた。大きな声で空太とましろへ突っ込む青山。空太は確信犯、ましろは天然である。最も、空太はちょっとやりすぎたかなぁと反省はしている。
「……そんなんあかん………若い内からそんなふしだらな生活………あかん!」
「青山さーん? 全部冗談ですよー?」
「神田君!」
「はい?」
「ウチもさくら荘に入る! そんで、アンタらのふしだらな生活叩き直したる!」
青山七海は、こうしてさくら荘入りを決意したのだった。
空太君は開き直ってるので下ネタにも寛容です。というか、セクハラでも恐れぬ!媚びぬ!退かぬ!省みぬ!! その無駄に付いた身体能力で女子を組み伏せろ!!