夏祭りが終わってから数日後。将輝は日本ではなく、イギリスにいた。
何故イギリスにいるかというと、一足遅れではあるものの、帰省をしているからだ。
とはいえ、イギリスでの生活を殆ど忘れている将輝からしてみれば懐かしむというよりも真新しさの方が強い。実家に帰るまでの道のりをタクシーの車窓から眺めながら、おそらく家に集まっているであろう親戚一同の事を考えて、深く溜め息を吐いた。
(帰りたくねー………)
将輝に親戚一同に関する記憶もイギリス同様殆どない。それ故に一番記憶に新しい約一年前の家族会議での事が彼等に対する将輝の評価なのだが、一言で言うと「親馬鹿」だ。
自らの家系の中で一番年下であり、唯一成人していない人間が将輝であるせいか、両親を筆頭に親戚一同は将輝の事を猫可愛がりする。家族会議の際は記憶喪失と発覚しただけで皆仕事などをそっちのけで全力で記憶を取り戻す事に尽力していた。誰も彼もイギリス国内では重要な役職を担っている人物である為、それから三日間はイギリス社会の機能が三十%近く低下していた事を将輝は知らない。
「着きましたよ」
「げっ、もう着いたのかよ」
ぽけーっとしている内に既に家に着いていた事に思わず本音が出てしまい、それを聞いた運転手は将輝の気持ちを察してか苦笑する。
料金を支払い、タクシーから降りた将輝を迎えいれたのは茶髪のウェーブがかかった髪をした派手な服装の女性だった。
「Good morning‼︎将輝!」
ハイテンションでそう言いながら女性は将輝に飛びつくと強く抱き締める。
「苦しいっすよ、友紀さん」
「そんな他人行儀な言い方しないでよ〜。今までみたいに『友紀お姉ちゃん』でいいのよ?」
「いや、俺記憶ありませんし……」
「そうだったわね…………はぁ……昔はよく私の後をトコトコついてきてたのに………あの時の可愛い頃の記憶がないなんて………私は神様を呪うわ!」
「そんな事で神を呪わんで下さい………」
がくりと項垂れ、将輝は以前と変わらないどころか、なお一層ハイテンションさが増している。
これが後何人もいるとなると考えるだけで将輝は思わず目眩がしたかのような感覚に襲われる。
「父さんと母さんはいますか?」
「志郎さんと夏樹さん?そろそろ帰ってくるんじゃないかしら?」
「出来ればあの二人にだけは会いたくないんですけど……」
「え?何で?半年ぶりの再会なのに」
「疲れるんですよ………父さんと母さんの相手は……」
酷い言いようではあるが、二人は絵に描いたような子馬鹿で、将輝が一人っ子であるゆえか、その可愛がりは通常のそれを超えている。何せ、第三世代IS開発途中にもかかわらず、「息子の事が心配だから日本に行ってきます」という置き手紙を残して日本に飛ぶくらいなのだから。
出来れば会いたくないというのは半分冗談半分本気くらいのものであるが、会わなければここに帰ってきた意味はない。仕方なく、家の中で二人の帰りを待とうとした時、家の前に一台の白いロールスロイスが止まる。そして中から降りてきたのは見るからに科学者といった服装をした二人の男女だった。
「おおっ!会いたかったぞ!愛しの我が息子よ!」
「少し見ない間に逞しくなって!流石は私達の息子だわ!」
(そりゃ、あんな事があったら逞しくもなるわ)
つい先ほどようやく友紀の拘束から逃れたばかりの将輝をその両親である志郎と夏樹がこれでもかというくらいの強さで抱き締める。愛されているというのが傍目からでも否応なく伝わってくるその光景は見ていて微笑ましいものだが、当の将輝はここまで来るとウザいと思っている。かといって、抵抗出来ないのは手加減が出来るようになったとはいえ、人外スペックを発揮してしまえば両親に疑問を持たれるからだ。そして持たれれば最後、科学者である二人を専門知識の劣る将輝が納得させるのは不可能で、原因が何かわかれば何をしでかすかわからないからだ。
「IS学園での生活はどうだ?俺たちの血を継いでいるお前ならさぞかしモテるだろう」
「そんな事ねえよ。好かれてるっていうよりも物珍しさの方が強いからな」
「そうか?彼女の一人や二人いてもおかしくないと思ったんだが……」
「いや、一人はともかく二人はマズいだろ。二股じゃねえか」
「そうよ、志郎さん。それに将輝くんにはせーちゃんがいるじゃない」
「はぁ?なんでセシリア?」
「そうだったな。IS学園はレベルが高いと聞いていたが、セシリアちゃんには敵わないか」
「あんな良くできた子がいて、将輝くんは幸せだわぁ」
「おい、話きけよ馬鹿親」
自分の言葉を華麗にスルーし、勝手に盛り上がる二人に溜息を吐く。こういう所は何処となく子どもらしさを感じさせ、将輝が相手をするのに疲れるという要因の一つでもあった。
「相変わらずお二人は将輝さんの事を溺愛してらっしゃいますわね」
「まあ、その愛で溺れるのはあの二人じゃなくて俺だけどな…………って、セシリア⁉︎」
「はい。お久しぶりです、将輝さん」
何時の間にか隣に立っていたセシリアに将輝は驚く。
セシリアの言う通り、彼女と会うのは実に一週間ぶりの事で将輝が箒と夏祭りに行っていた時、既にセシリアは帰国し、オルコット家当主としての職務や代表候補生の報告など仕事をあらかた終わらせ、今日も専用機の再調整を志郎と夏樹にしてもらった後だった。それもこれも全ては将輝の帰省に合わせて空き時間を作るために他ならない。
「どうしてここに?」
「将輝さんのご両親から今日、将輝さんが帰省されるとお聞きしましたので」
「良かったわねぇ。せーちゃんみたいな美人な子が将輝くんのために自家用車で来てくれたんだから」
「美人だなんて………恥ずかしいですわ」
(あのロールスロイス、自家用車なのか。流石は財閥の当主)
妙なところでセシリアがイギリスの大財閥の現当主である事を実感していると、其処に一人のメイドが現れる。
そのメイドはスカートの端を軽くつまんで持ち上げながら、丁寧にお辞儀をする。
「お初にお目にかかります。藤本将輝様。私はセシリア様に仕えるメイドで、チェルシー・ブランケットと申します。以後、お見知り置きを」
「あ、チェルシーちゃんじゃん。元気にしてた?」
チェルシーに気づいた友紀は将輝の時のように抱きつこうとするが、チェルシーはそれを華麗にかわす。
「お久しぶりです、友紀様」
「もう、堅いなぁ、チェルシーちゃん。昔みたいにお姉ちゃんって呼んでよ」
「仕事中ですので」
そう軽くあしらわれた友紀はよよよとわざとらしく泣き崩れるが、チェルシーは慣れたようにそれをスルーし、再度将輝に向き直る。因みにチェルシーは十八歳、友紀は二十二歳であるのだが、この様子を見ると逆なのではないかと思ってしまう。
「以前、セシリアから話は聞いてました。何でも、とても良く気が利く方で、優秀で、優しくて、憧れのような存在だと」
「まあ」
チェルシーはにっこりとした柔和な笑みを浮かべる。それはとても綺麗なもので、人を包み込むような優しさに満ちていた。
「私も藤本様のお話はよくお嬢様から耳にしております」
「そうなんですか。俺の事はなんて言ってました?」
(チ、チェルシー⁉︎いけませんわ!お願いですから、話の内容だけは!)
二人のやり取りを夏樹と話しながらも聞き耳を立てていたセシリアは激しく動揺する。普段から将輝の事を高く評価し、賞賛の言葉を惜しむことなく送っているセシリアではあるが、チェルシーにその事を話しているときはさらに過大評価+コイスルオトメ補正がかかっているため、とても聞くに堪えない恥ずかしいものになってしまっている。そして何より将輝の事が好きであるとチェルシーも知っている。もし、ここでそれを打ち明けられてしまうと計画が台無しになってしまう。
セシリアの動揺を感じ取ったチェルシーは先ほどよりも茶目っ気のある笑みを浮かべ、ゆっくりと人差し指を唇に当てた。
「女同士の、秘密です」
その笑みは同性でさえもドキッとさせる魅力的な笑みであった。
藤本家の前で楽しい談笑?をした後、将輝は「取り敢えずの中に入ろう」と全員に提案したところ、それを全員承諾したのだが、ものの三十分もしないうちに友紀の「用事があるから席を外す」に始まり、両親も「急用が入った」といって席を外し、チェルシーさえも「忘れていた用事があった」と席を外した事で、現在藤本家のリビングでは将輝とセシリアの二人しかいないのだが、二人は全く会話をしておらず、テレビドラマだけがBGMのように流れていた。
その事に将輝が気まずさを感じていた頃、それとは対照的にセシリアの脳内は軽くフィーバーしていた。
(ああ………ついに二人きりになれましたわ!色々と障害があってIS学園では二人きりになる機会が殆どありませんでしたが、今は違いますわ。皆さんも気を利かせて席を外して下さっているようですし、仕掛けるのなら今を置いて他にありませんわね。何と言おうかしら?やはりお食事にお誘いするべきかしら?それとも将輝さんはサッカーが好きだとおっしゃってましたからプレミアリーグの試合の観戦?それとも記憶喪失ですし、イギリスの観光名所を巡るというのは………ああ!迷ってしまいますわ!)
一人百面相をしているセシリアを横目に見て、将輝も現状を打破しようと策を練ろうとするのだが、残念ながら将輝にとってイギリスは新天地にも等しい場所、考えれば考えるほど自分に出来そうな事が何もない事を実感していた。
(このままというのはなかなか応えるしな………かといって、ノープランで歩き回るのは良くないし…………仕方ない、ここはセシリアにどこに行きたいか訊いてみるか)
「「セシリア《将輝さん》」」
二人の声が重なる。互いに何処に行きたいかを訊こうと見事にタイミングが合わさったのだ。
「先に将輝さんからどうぞ」
「ああ。セシリア、何処か行きたいところあるか?」
「わたくしが、ですか?」
セシリアは譲った事を少しだけ後悔した。先に自分が行きたいところを言ってしまえば、将輝は十中八九を其処に行こうと提案する。セシリアとしては将輝の意見を聞きたかったのだが、将輝は妙なところで我の弱いところがある。それは最近では殆ど無くなっている女性に対する苦手意識の残光に他ならない。
どうしたものかと悩むセシリア。逆に主導権を握ってしまうと選び辛くなるというのは珍しい事ではない。かといって将輝に主導権を渡すのはなかなか難しい事だ。頭を悩ませかけた時、ふと一つの出来事が脳裏をよぎった。
「将輝さん」
「ん?決まったのか?」
「もし宜しければついてきてくださいませんか?」
「何に?」
「わたくしのーーーーー両親のお墓参りに」
とあるイギリスに存在する墓地の一角。
其処に将輝とセシリアの姿があった。
二人の目の前の墓碑にはオルコット夫妻の名が刻まれており、花が添えられている。
「久しいな、ここも」
将輝がここに来たのはあの日、オルコット夫妻の葬儀が執り行われた日、二人の棺がこの地に埋められた時だった。その日の出来事は今では思い出している数少ない事象ということもあり、鮮明に思い出せる。オルコット家に関係する者達がいる中で唯一、セシリアに付き添う形で将輝はその中にいた。周囲の人間達は訝しみこそはしたが、隣で将輝の服の裾を掴んだまま、必死に泣く事を堪えているセシリアの姿に将輝の事を咎める者はいなかった。
「それはわたくしも同じです。あの日以来、わたくしは此処には来れなかった………いえ、来るのを拒んでいました」
実のところ、セシリアもまた此処に来たのはあの日以来来ていなかった。その割に綺麗にされているのはここを訪れる者が彼女以外に多くいるという証明である。
「受け入れていたつもりになっていたのでしょうね………結局、あの二人の死という現実から逃げ続けていました。だから無意識に此処に来る事を拒んでました。此処に来てしまうともう逃げられないから」
「大切な人の死を受け入れられないのは恥じる事じゃないと思うぞ?それに今は来てる」
「それは将輝さんがいてくれるから、ですわ。一人では来られませんでした。わたくしは………将輝さんや一夏さんのように強くはありませんから」
そう言ってセシリアは何時ものように微笑むが、その笑みはぎこちない。
子にとって親の死というものはそう簡単に受け入れられるものではない。そしてそれがまだ成人していないうちともなると尚更だ。
「え?」
不意に将輝が悲痛な表情を浮かべていたセシリアを抱きしめた。
こういう時、将輝はかけられる言葉を持ち合わせてはいない。憑依する以前もその後も将輝の両親は健在である以上、彼女の気持ちを理解する事は出来ない。だが、同情すべきではない、という事だけは心得ていた。そして悩んだ末の結果が今の行為に繋がった。
「ごめん」
「はい?あの、これはどういう……」
「こういう時、なんて言ってあげれば良いのかなんて俺にはわからない。きっと一夏なら万人が満足するような答えを出せるんだろうけど、俺には無理だ。君を励ます事も、同情する事も、慰めるためだけに君の俺に対する好意を利用する事も出来ない。だからーーー」
こんな事しか俺には出来ない、と将輝は続けたが、セシリアにはその言葉が遠くに聞こえた。
その前に言った言葉が原因だった。
君の俺に対する好意を利用する事も出来ない。
自然と放たれた一言だったが、それはセシリアが将輝に向けている感情が恋慕である事を将輝本人が知っているということに他ならない。
「知って……らしたの?」
「生憎と一夏みたいな人間には成長出来なかったみたいでさ。何となくだけど気づいてたよ」
「……何時からですか?」
「少し前、臨海学校が終わって少し経ってからかな」
臨海学校が終わって間もない頃といえば、箒の告白現場をラウラと共に目撃し、それでも諦めないとアプローチを積極的にし始めた頃だ。
セシリアとしてはなんとか気付かれないようにしていたつもりだったが、やはりそういう経験がなく、相手が一夏ではなく将輝であった為にこうして勘付かれる結果となってしまっていた。
本来なら墓参りを終えた後、結果はわかっているとはいえ、セシリアは将輝に想いを告げるつもりであった。そして自らの手で初恋に終止符を打とうとそう決めていた。
「将輝さん」
前倒しになってしまった上にとてもそういう気持ちを伝える場所ではないが、しかし、今しかないと、セシリアはそう思った。
「何?」
何を言うかわかっている。けれど、将輝はそう返す。
「好きです。十年前泣いていたわたくしを救ってくださった時から、そして三年前にわたくしに生きる力を与えてくれた時からわたくしは貴方の事をずっとお慕いしています。宜しければ付き合ってくださいませんか?」
「ごめん。君の想いには応えられない」
殆どノータイムノーロスで将輝は返した。
それはセシリアの事が嫌いという意味ではない。
ただ、もしここで言葉を詰まらせてしまえば、少しでも返答が遅れてしまえば、彼女に僅かに希望を持たせてしまうかもしれない。これ以上、消え去ってしまった『本来の藤本将輝』を追い続けるセシリアの人生を偽りの自分が奪うわけにはいかない。彼女にはもっと相応しく、素晴らしい人物がいる筈だと。確実に未練を残させないためにも将輝は言葉に何の感情も乗せず、ただただ拒絶した。それが今の将輝に出来る精一杯の優しさだった。
だが、それとは裏腹に将輝のセシリアを抱き締める腕の力には自然と力が込められてしまっていた。彼女のためとはいえ、彼女の心から自分を消し去るためとはいえ、彼女を傷つける事に罪悪感を感じていた。そしてそれがセシリアに将輝の心情を読み取らせてしまう結果となった。
「貴方という人は………何処までも優し過ぎる方です……全ての事情を知った上で想いを告げた愚かな女の為に心を傷められるなんて……」
セシリアはブルーの双眸から大粒の涙を零していた。
無理だった。拒絶される事で想いを断ち切るどころか、より彼の優しさに触れてしまった事でなお一層心の奥深くに根付いてしまった。愛してしまった。最早、切り離す事も、他の誰かを愛する事もセシリアには出来なくなってしまった
「わたくしはもう………貴方以外愛せない…………全ての人生を貴方に捧げます………例え愛してくれなくとも………わたくしは貴方の幸せの為に生きます」
「俺にはもう愛している女性がいる」
「わかっております」
「その想いは何があっても変わらないし、多分君を愛する事はないと思う」
「構いません。わたくしが好きな貴方でいてくれるのなら」
「時と場合によっては見捨ててしまうかもしれないよ?」
「それが貴方の選択ならわたくしは喜んで見捨てられましょう」
「後は………ごめん。もうないや、俺の負けだ」
「ふふ………わたくしの勝ちですわ」
そう言うセシリアの双眸からは既に涙は零れていないが、短くとはいえ、泣いた直後である為、目元は真っ赤に腫れ上がっていた。だが、泣き止んだ次の瞬間にセシリアが浮かべた微笑みは今までのどの表情よりも美しく、魅力的な笑みだった。