番外編:セシリアルート
最近気になっている子がいる。
基本的に容姿レベルがトップクラスのこのIS学園で『気になっている子』などという不明瞭な言い回しでは到底伝わらないだろう。
彼女は一言で言えば『淑女』だ。
頭のてっぺんから足の先まで洗練された立ち振る舞い。整った顔立ちに出るところは出ていて、引き締まっている身体はレベルの高いここでも更に上位に位置する。
しかも頭も良く、腕も立ち、『国家代表候補生』と呼ばれるIS操縦者のエリートで自他国の代表候補生からも一目置かれているが、彼女はそれを鼻にかけない。その謙虚さも女尊男卑のこの世の中では素晴らしいといえる心掛けだ。是非とも、今の世の女性諸君には見習ってもらいたい。
因みにその気になっている子というのは…………
「将輝さん、おはようございます」
「おはよう。セシリア」
イギリスの国家代表候補生。セシリア・オルコット、その人である。
彼女と知り合ったのは
その頃は互いに名も告げず、幼かった事もあり、二度目の再会を果たした三年前の時点では完全に変わった顔立ちに俺の方は全く覚えていなかった。いや、俺の方は十年前も三年前も関係なく、等しく、ほんの三ヶ月前の出来事だ。
厨二病のように聞こえてしまうかもしれないが、俺は俺であり、俺じゃない。
俺という人間がこの世界に生まれ落ちたのはかれこれ二年前。生まれ育ったイギリスから日本の中学校に帰国子女として編入する当日だ。
藤本将輝という人間に憑依し、憑依前と原作知識を持ちながら、ISの世界に生まれ落ちた俺の代償は元の俺、つまり本体の記憶の忘失だった。
クラス代表決定戦の後、俺は偶発的にとはいえ、彼女と出会い、そして誓いを立てた頃の記憶を思い出す事に成功したということは記憶は何かが原因で喪失しているだけで壊されたわけではないというのはわかっている。
けれど、三ヶ月経った今も俺は思い出す気配はまるでなかった。
何とか記憶を戻す方法を模索しつつ、日常を送ってはいるものの、全くと言っていいほど成果はない。
一度は新しく始めようと決めていた人生だが、まるでそれを許さないかのように俺自身に突きつけられた現実。俺が他人の人生を奪い、そいつを慕っていたセシリアの想いも奪った。その事実からは逃れようがない。俺は一生それと向き合い続けるしかない。
「将輝さん?どうかなさいました?」
「いや、何でもないよ。少し考え事をしてただけだから」
そしてきっとこの想いも永遠に届く事はないだろう。絶対に知られてはならない。俺が犯した罪は何処までも重く、決して贖罪できるものでもないのだから。
side out
わたくし、セシリア・オルコットには心から慕っている殿方がいます。
その方は聡明で凛々しくて、とても強い方。
彼と出会ったのは十年前の事。
立場上、常に忙しかった父と母は何時も仕事ばかりだった。
仕方のないことだと今となってはわかりきっている事ですが、当時、まだ幼かった私は周囲の同い年子ども達が家族と仲良く遊んでいる事が羨ましかった。
父と母の気を引きたくて近場の公園にあった焼却炉に隠れてみたものの、何処に行くかも告げず、何より忙しかった二人が私をわたくしを探しに来る暇はなかった。
待てど暮らせど父と母は来ず、真っ暗で閉鎖された空間にいたわたくしは惨めにも泣いてしまった。
どれくらい泣いたかはもう覚えていません。ただ、声も枯れるほど泣き続け、誰かに助けを求めた時、暗闇に光が射し込みました。
『泣いてるの?大丈夫?』
焼却炉の扉を開いたのは同い年くらいの少年。一瞬、父か母とばかり思った私は少し残念でしたけど、暗闇の中、一人ぼっちで心細かった私にとって、暗闇から救い出してくれたその子は絵本の中の王子様に見えました。
『泣かないで』
父と母が来る直前までその子は優しげな表情で泣いているわたくしの頭を撫でてくれた。
その時は結局名前を聞けず、その子と会うのは数年経ったある日の事でした。
十三歳の春先、父と母が事故で他界した。
列車事故で、一度は社会の立場上から陰謀説も囁かれましたが、その凄惨さからは到底人為的なものでは起こりえないとされ、周囲もそれを納得した。納得出来なかったのはわたくしただ一人。
だから葬儀の日も財閥の当主であった母と親しかったり、仕事関係者が出席する中、わたくしだけが二人の…………いえ、母の死を受け入れられなかった。
幼い頃、心から愛していたはずの父は母が表立って活躍し、そしてISの出現によって男性の社会的地位が低くなるのと同じように母に媚へつらうようになってしまった。
そんな情けない父を見るのが嫌で、極力父との接触を避け、必要な事は全て母にしか話さなかった。
その頃のわたくしは男自体を毛嫌いしていた。
世の男性は皆情けない。わたくしは将来絶対に婿は取らないと、そう心に決めていた。
数年前、わたくしを救い出してくれた男の子も事も忘れ、ただ強くあろうと、一人でもやっていけるのだとわたくし自身が証明するつもりでした。
けれど、結局わたくしは強くはなかった。母の死を受け入れられず、剰え父の死を蔑ろにしてしまっていた。
葬儀に出席せず、一人泣いていたわたくしの元に現れたのは一人の男。同じくらいの年齢の青年はわたくしを見るなりこう言った。
『こんなところで何してるの?もう葬儀は始まってるよ?』
まるでこの葬儀に参加している方が全ての疑問を代弁してぶつけられたような気がした。きっと年上の人がそう言われたのであれば、自分の気持ちを偽って参加するとその場で言っていたのかもしれない。けれど、その青年が自身と同年代である為、わたくしは嘘をつきませんでした。
『わたくしは………参加しません』
『そうなんだ。実は俺もサボろうかなって思ってるんだよね』
てっきり参列者の誰かに連れて来させるように頼まれていたとばかり思っていたわたくしは一瞬面を食らい、その後その発言に怒りを覚えた。だって目の前の青年はわたくしをオルコットの娘と分かってそう言っているのだと思っていたから。侮辱しているとそう思った。
『…………馬鹿にしてますの?』
怒気を孕んだ声音でそう問いかけると青年はそれを即座に否定した。
『別に馬鹿にしてるわけじゃないんだけど…………それは兎も角、どうして泣いていたのか、理由を聞いてもいいかな?』
『な、泣いてなどいません!』
わたくしがそれを否定したのはただの強がりだった。男の前でだけは弱い部分を見せまいと。泣いていたのは誰の目にも明らかだったけれど、強がらずにはいられなかった。それを追及されまいとその場を離れる為に立ち上がったけれど、不意に立ち眩みがし、わたくしは青年に向けてもたれかかるように倒れてしまった。
すぐに離れなくては、そう考えるわたくしの心とは裏腹に青年はわたくしを抱き締めた。
何をと問いかける前に青年は優しさに満ちた声音でこう言った。
『泣いていいんじゃないかな。大切な人達だったんでしょ?我慢する必要なんてない、周りに泣いてる姿を見せたくないなら、今泣けばいい。頼りないかもしれないけど、せめて今だけは俺が胸を貸すからさ』
そう言われた途端、わたくしは恥も外聞も無しに惨めに泣き出してしまった。おそらくわたくしはその瞬間に受け入れてしまったから。大切だった両親の死を。声も枯れてしまう程にその方の腕の中で泣き喚いてしまった。
一通り泣き終えた後でわたくしはすぐにその方に謝罪した。
いくら相手がそう言ってくださったとはいえ、淑女として見苦しいところを見せてしまったのが申し訳なかったから。
『ところで君の名前はなんていうの?』
『セシリア・オルコットです』
『え゛』
青年は聞くのではなかったと言わんばかりにそんな声を上げた。その反応を見て、初めて気がついた。その方はわたくしをセシリア・オルコットだと知らず、接していたのだと。
わたくしを誰とも知らず、ただ純粋に泣いていたからそういう行動を取った。そんな優しい行動を取った青年の名をわたくしは聞かずにはいられなかった。
問いかけると何が辛いのか、言いづらそうにしていましたが、此方が教えたのだから教えないと駄目と言うと渋々青年は名を教えてくれた。
『藤本………将輝……です』
その時、わたくしはしっかりとした形で将輝さんと出会いを果たした。
その後、葬儀の間、わたくしは将輝さんに支えてもらい、何とか気丈に振る舞うことが出来た。そしてふとした出来事で彼を数年前に出会った王子様である事を思い出し、互いに誓いを立てた。
あの日の出来事があったからわたくしはイギリスの代表候補生になる事が出来た。慢心せず、常に淑女たる行動を心がけた。全ては彼に相応しい人間となる為に。
けれど、久しぶりに会った彼は記憶喪失となっているらしい。
『らしい』というのは本人が言っているから。
はっきり言ってわたくしはそれに少しだけ疑問を感じている。
根底の部分は何も変わってはいないけれど、それでも記憶喪失というにしては変化が著しかった。
まだ確信はないし、思い違いである可能性の方が圧倒的に高いので誰にもこの疑念を打ち明けてはいないけれど、もし将輝さんに何があったのだとしたら、わたくしもそれと向き合わなければなりません。
他でもない。愛する殿方の抱えている問題なのだから。