織斑一夏は現在、危機に瀕していた。
危機と言っても、肉体的な方ではない。精神的な方だ。
精神的な危機は得てして回避するのが難しい。殆どが偶然から起きるものだからだ。それだというのに及ぼす被害や影響は尋常ではない。
現在一夏が置かれている状況もまた、尋常ではなかった。
何故なら今の今まで男だと思っていた同居人が女だったのだから。
偶然だった。シャルルがシャワーを浴びている事を知らなかった一夏が洗面所兼脱衣所に入った時、ちょうどシャルルがシャワーを浴び終えて出てきたのだ。
普段からシャワーを浴びている時は洗面所に入ってきてはいけないと口を酸っぱくして言っていたシャルルはタオルを身体に巻いた状態で出てきたのだが、当然その身体にはコルセットを着けておらず、早い話が女性特有の膨らみを隠せていなかったのだ。
「シャ、シャルル……?」
「い、一夏……」
気まずい沈黙。数十秒間、顔を見合わせた後、一夏が口を開く。
「そ、外に出て待ってるな」
「うん」
一夏は脱衣所から出て数分待つとガチャと扉が開かれる。気持ち控えめに開けられたというのに、一夏には何より大きく聞こえて、身体が強張る。
「一夏」
「シャルル……だよな?」
「うん。本名じゃないけどね」
一夏の向かい側の椅子に座るシャルルの服装は普段と同じシャープなラインが格好いいスポーツジャージだ。しかし、胸を隠すためのコルセットをしていないので、身体のラインがくっきりと浮かび上がっている。当然、その女性特有の膨らみもだ。
「僕の…………ううん。私の本名はシャルロット・デュノアっていうんだ」
「なんで男のフリを……?」
「デュノア社を助ける為」
「え?」
「今ね。デュノア社は経営危機に陥ってるの。デュノア社は量産機ISのシェアが世界第三位だけど、結局それは第二世代型なんだ。ISの開発っていうのはもの凄くお金がかかるんだ。殆どの企業は国からの支援があってやっと成り立ってるところばかりだよ。フランスは欧州連合の統合防衛計画『イグニッション・プラン』から除名されているから、第三世代型の開発は急務なの。それでデュノア社も第三世代型を開発していたんだけど、元々遅れに遅れての第二世代型最後発だから、圧倒的に時間もデータも不足していて、なかなか形にならなかったんだよ。それで政府からの通達で予算を大幅にカットされて、次のトライアルで選ばれなかった場合は全面カット、その上でIS開発許可も剥奪するって流れになったんだ」
「もしかして男装して、ここに入学したのは」
「そう。一夏や将輝と接触しやすいからなんだ」
異性として接触するよりも同性の方が相手も気を許す。下手に色仕掛けをするよりもリスクは少なく、それでいて難易度も低い。そしてシャルロット自身も念には念を入れ、男子としての振る舞いを二ヶ月かけて身に染み込ませた。バレる心配など全くしていなかったのだが、一夏のラッキースケベによってあっさりと露呈する事になった。そしてそれは図らずも将輝の忠告通りになったのである。
「私ね、妾の子なんだ」
「ッ⁉︎」
妾の子つまり愛人の子どもということは普通に世間を知る一夏にもわかる。
「引き取られたのが二年前。お母さんが亡くなった時にね。デュノア社の社長の父がやってきたんだ。色々と検査をする過程でISの適正値が高い事がわかって、非公式だけどテストパイロットをしてたんだ」
シャルロットの話を一夏はただ黙ってしっかりと話を聞くことに専念する。
「デュノア社の人達は皆優しくて、妾の子の私にも普通に接してくれた。本妻の人も私の事を本当の娘のように扱ってくれた。父も私の事を本当に大切にしてくれた。だからこそ、私はデュノア社を助けたかった、一夏にも少し前には将輝にもバレたけどね」
「誰も反対しなかったのか?」
「されたよ。それはもう反対の嵐。けど、そうしなきゃデュノア社が皆の居場所が無くなっちゃうから。反対を押し切ってここに来たんだ。一夏や将輝のISデータを盗む事が出来れば、デュノア社の第三世代型開発は大幅に進むだろうから」
それでも毎日のようにシャルロットに電話がかかってくる。それは全てシャルロットの身を案じたものであり、シャルロットが彼等に愛されているというのが実によくわかる。それ故にシャルロットは何としてでもデュノア社を経営危機から救いたかった。
物心がつくまえから両親を持たず、親の愛情を知らずに育ってきた一夏にはシャルロットがどんな胸中でその選択をしたのかはわからない。けれど彼女の『護りたい』という確固たる意志だけは確かに伝わった。
「本当に俺のISの稼働データがあれば、助けられるんだな?」
「わからないけど、確率は飛躍的に上がるよ」
「じゃあ持っていけ。白式の稼働データ」
「え?ホントに?」
一夏の突然の提案にシャルロットは目を丸くし、思わず聞き返してしまう程に驚いていた。
「助けられる奴を見捨てるなんて俺には出来ない。それにシャルル……じゃなかったシャルロットの事だって、俺達が黙ってればいいしな」
「一夏……」
二人が話をしている頃、その部屋の前に将輝が扉に背を預けるようにして立っていた。何時からいたのかというと二人が話を始めてすぐからだ。一夏の部屋を訪れた将輝がノックをしようとした時にシャルロットの声が聞こえ、結果的に今に至る。
(助けられる奴を見捨てるなんて出来ない……か。思ってもそう言葉に表せる人間は少ない)
一夏だからこそ、口に出来る言葉。『皆を護りたい』それが織斑一夏の強さ。そして弱さでもある。少なくとも今の一夏では自身を守る事すら億劫だが、将来的には皆を護るだけの力を手に入れるだろう。それだけの才能と恵まれた環境にいるのだから。
「だけどな。気をつけた方がいい、お前の『それ』は必ずしも良い方向には働かんだろうからな」
ポツリと将輝の呟いた一言は誰の耳に届くでもなく、夜の静けさにゆっくり溶けていった。