「一夏。これはどういう事だ」
「いや、どういう事って言われても……」
時間は放課後。場所は剣道場。今もまたギャラリーは満載で、一夏は箒に怒られていた。手合わせを開始してから十分。結果は一夏の一本負けだった。昔の一夏を知っている箒としては、あまりの弱さに怒りを通り越して、やや呆れながらも、理由を問う。
「どうしてここまで弱くなっているのか、説明してもらおうか」
「受験勉強してたから、かな?」
「他にも理由があるだろう」
「帰宅部だったからな」
あっけらかんという一夏。実際は家計を助ける為にバイトをしていたのだが、その金は現在も一夏の手元にある。なぜかというと千冬が「その金はお前が必要な時に使え」といって受け取るのを拒んだからだ。
「はぁ…………大方、千冬さんだけに負担をかけさせまいとアルバイトでもしていたのだろう」
箒は溜め息を吐いてそう言うが、その心情は自身の幼馴染みが変わらない優しさを持っている事に喜びを感じていた。一夏はというと、物の見事に箒にピタリと当てられたことにぎくりとする。
「まあいい。これから毎日一時間。ISの勉強が終わった後にでも、私が稽古をつけてやる」
「え。俺はISの事だけ勉強出来れば良いんだけど……」
「IS戦において、搭乗者のスペックも勝敗に関わってくる。知識だけ身に付けても、思い通りに身体が動かずに負けるのがオチだぞ」
「…………ご指導の程、よろしくお願いします」
論破された一夏は、がくりと項垂れる。実際箒の言っていることは間違いないではない。もし知識だけ凄いものが最強であるなら、今頃上位ランカーは全員IS研究者になっているだろう。そうなっていないのは、搭乗者のスペックがIS戦において、かなりの確率で勝敗を分けるからだ。
「さて、次は将輝だな」
「準備オーケーだ。何時でもいけるよ」
「では…………行くぞ‼︎」
先に仕掛けたのは箒。上段から振り下ろされる袈裟斬りを将輝は竹刀で受け止める。当然ながら、威力、スピードは知っていた頃の箒とは格段に違う。特にスピードに関してはあの頃の将輝なら反応する前にやられていた。しかし、将輝とて伊達に男子の中で全国優勝を果たした訳ではない。竹刀を押し返すと小手を打ちに行く。だが、箒はそれを素早く竹刀で受け止め、流した。
「凄え………これが全国優勝者同士の試合なのか……」
少し離れた位置で座って見ていた一夏はそう呟いた。正直、一夏は二人の戦いを見て、永らく忘れていた感情の昂りを思い出していた。今の二人と戦えば二分と待たずに敗北するという事実を知って尚、その位置に存在している二人に一夏は憧れを抱いた。あれぐらい強くなれれば、誰かを守れるんじゃないかと。
ひそひそと話していたギャラリーさえも二人の試合には息を飲んでいた。それ程までに凄まじく、瞬きも許されぬ程に激しく攻防が入れ替わる。
数分の攻防の後、結果は引き分けだった。同時に相手に面を入れるというかなり異常な引き分けに将輝と箒は苦笑していた。
「やっぱり箒は強いなぁ。今日こそは勝とうと思ったんだけど」
「私とて同じだ。久しぶりに試合をするから、勝ちにいったのだがな」
「箒に負ける訳にはいかないよ…………………じゃないと護れないし」
「ん?最後の方が聞こえなかったのだが」
「気にしないで、独り言だから」
「そうか。では、一夏。今日の稽古をするか」
「おう。頼むぜ、箒」
一夏の稽古を見ながら、将輝は少し離れた位置に腰を下ろした。防具は外して、横に置き「ふぅ……」と息を吐いた。
(危なかった……)
うっかり口を滑らせた言葉は幸い箒の耳に届く事はなかった。
「篠ノ之箒を護る」。それが将輝の行動理念であり、信念だ。それがなければこれ程までに将輝は強くなどなっていないし、彼はISと関わろうとは考えていなかっただろう。何時からか抱いた信念を貫く為に力をつけ、そして知識をつけた。一夏は周囲の人間全てを護ろうとする。それは彼の信念であり、『護る』ということ自体に一種の憧れを抱いているからだ。しかし、将輝は違う。自分の力量は弁えているし、護る事の出来る存在も限られていると自覚している。故に将輝はその他を犠牲にしても、箒だけは護ってみせると心に誓っている、
(ただの自己満足かもしれないけどね。それでも好きな女性くらいは護らなきゃ、男が廃るってもんだ)
「お疲れ様です。凄かったですね」
「うわっ!…………セシリアか。驚いた」
深く考え込んでいた所為で、セシリアの接近に気づいていなかった将輝は急に話しかけられた事で、思わず飛び退く。
「何か考え事でもしてらしたのですか?」
「まあね。あ、タオルありがとう」
将輝は差し出されたタオルで顔の汗を拭いていると、すぐ横にセシリアが腰を下ろした。
「汗、臭わない?」
「気にしませんわ、将輝さんですもの」
「イマイチ意味がわからないけど、セシリアが気にしないならそれでいいや」
将輝は一夏の稽古風景を眺める。数年のブランクもあって、動きには全くと言っていい程キレがない。だが、一夏は将輝と違って天才だ。失われた感覚もこの数日で殆ど取り戻すだろう。はっきり言って、羨ましくもあり、嫉ましくもある。才能が無いわけではないが、一夏と比べれば将輝の才など微微たるもので、ないに等しい。
(努力とか根性とか言うけど、結局才能だよなぁ)
「本当に一夏が羨ましいよ。俺なんかイギリスに居た頃から色々やってんのにこれだもんな」
「将輝さんは十分お強いと思いますわ」
「まだまだ、これじゃセシリアとの約束だって、守れる気がしな………い……?」
将輝は自分の発した言葉に固まった。さっき自分は何と言った?セシリアとの約束?その前にもイギリスで他にも武道をしていた?おかしい。そんな事など覚えているはずはない。自然と口から零れた言葉は将輝の頭を混乱させる。そして、それを聞いたセシリアも目を見開いていた。
「覚えてらっしゃたのですか⁈あの日の約束を!」
セシリアの表情は驚愕とそれ以上の喜びに満ちていた。彼女は言っていた。代表候補生となり、IS学園と来たのは約束を果たすためだと。あの時、セシリアは将輝が昔の事であるから覚えていない事を前提として話していた。案の定、その事を覚えていない事に多少なりと落胆したのは将輝もわかっていた。しかし、その覚えていないと思っていた人物がポロリと『約束』という単語を口にした。思い出してくれた、セシリアはそう思って、歓喜に打ち震えていた。
だが、当の将輝は困惑するばかりだ。失われた記憶が蘇った訳ではない。先程の発言のせいか、僅かではあるが、断片的に頭をよぎる記憶があるが、それも定かではない。うっすらと霧がかかったかのように映像ははっきりとしていないのだ。
「将輝……さん……?」
「セシリア。俺は………」
二年よりも前の記憶が思い出せない。記憶喪失なんだ。そう言おうとした将輝だが視界がぶれた。
(あれ……?)
ぐるぐると視界が目まぐるしく回ったかと思うと、将輝はそのまま前のめりに倒れ、意識を失った。
「ここは……」
知らない天井だ。まさか自分がそんな事を思う日が来るとは露ほどにも思っていなかった将輝だが、その前に何故自分が保健室と思われるベッドで寝ているのかを思い出す。
(そうだ。記憶を無理矢理思い出そうとして、セシリアに記憶喪失を伝える前にぶっ倒れたんだった)
我ながら情け無かった。其処まで自分は脆かったのかと自嘲の笑みを浮かべる。電子時計を見れば午前十時半を表示しており、半日以上寝ていたという事実を知る。マズい、授業に遅れるわけにはいかないとベッドから抜け出そうとした時
「起きたか、藤本」
ちょうど将輝の様子を見に千冬が来た。その表情には呆れの色が見られるが、心配をしていないわけではない。
「全く、オルコットの奴がいきなり倒れたと言ったから、何かしらの病気かと思ったが、健康そのものときた。誰かに後頭部でも殴られたか?」
「殴られてませんよ。そしたらたんこぶ出来てるじゃないですか」
「冗談だ。外傷の類は一応確認したが、見られなかったそうだからな。だが、心当たりがあるなら理由を聞いておきたい。理由もなく毎回倒れられては教員としてたまったものではないからな」
「心当たりは…………ありません」
記憶喪失の事を言おうとして止める。千冬に言っても特に問題はないが、言う理由もない。これはあくまで自分自身の問題である。つい半日前はセシリアには打ち明けそうになってしまったが、彼女にいうのはあまり良い選択とは言えないだろう。せめて彼女と将輝を繋ぐ『約束』だけでも思い出すまでは、誰にも記憶喪失の事は言わないでおこう。将輝はそう心に決めた。
「…………そうか。心当たりはないんだな」
将輝の返答に千冬は一瞬目を細めるが、すぐにいつも通りの表情へと戻る。
「体調に問題がなければ、午後の授業だけでも受けておけ。IS学園に入る為の勉強をしてきた女子共と違って、男子で有るお前達は一回の休みが後々に響いてくるからな」
「わかってますよ。別に今日一日中は保健室にいようなんて考えてません」
「ならいい。それと織斑と篠ノ之とオルコットが心配していたから、早めに問題ないと言っておいてやれ」
「了解です、織斑先生」
ビシッと冗談交じりに敬礼しながら言うと、千冬は苦笑して保健室から出て行った。千冬が出て行ったのを見届けた後、将輝は再度ベッドの上に仰向けに横になった。
(頑張って思い出す努力はしてみるか。また倒れる訳にもいかないから寝る時にでも一時間くらい頑張ってみよう)
そう意気込み、握り拳を作る将輝だったが、何も思い出せる事はなく、結局クラス代表決定戦の日を迎える事になった。