ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第09話 エデンの林檎

 

 東京エリア第一区作戦本部、日本国家安全保障会議(JNSC)。この場には議長である聖天子、その補佐役として副議長の天童菊之丞を初めとして官房長官や防衛大臣などエリアのトップが揃い踏みしていたが、今の彼等は皆その肩書きにそぐわない不安そうな表情で、隣の者の顔色をちらちらと窺っていた。例外は聖天子と菊之丞の二名のみ。

 

 不安の原因ははっきりしている。

 

 七星の遺産。大絶滅を起こしてエリアを破滅させる封印指定物。それを狙うルイン達。彼女達を発見したエリアトップクラスの民警29名が総攻撃を仕掛けたが、傷一つ負わせる事すら叶わずに返り討ちにされた。その光景の一部始終が、無人偵察機(UAV)からのリアルタイム映像で中継されていた。

 

 しかも間の悪い事に七星の遺産入りケースを持った綾耶がルイン達と遭遇し、ケースはルインに奪われてしまい、更にそこに里見蓮太郎・藍原延珠ペアが乱入してきて、蓮太郎は機械化兵士としての力を開放して蛭子親子とのバトルに突入。事態は混沌の只中にある。

 

「里見さんのペアに援軍は出せないのですか?」

 

「は……一番近いペアでも到着に一時間以上は掛かります」

 

 聖天子の質問に、防衛大臣が絶望的な回答を返した。

 

「一色枢・エックスのペアは何をしているのだ!!」

 

「それが……彼等が投下されたのは市街地からはかなり離れたエリアで……到着までどれほど急いでも……90分は……」

 

 結果論だが、人海戦術でルイン達をあぶり出そうとする策が完全に裏目に出てしまった。最強の戦力が、その実力を発揮出来ない事態に陥ってしまっている。

 

「聖天子様、ご決断を……」

 

 菊之丞が、聖天子の顔を伺う。

 

 この思わせぶりな言葉が意味する所は、空爆である。七星の遺産はこちらの手に取り戻す事がベストではあるが、それが叶わぬのなら、奪われるくらいならばミサイルを撃ち込んで破壊する。これは民警達には伏せられていたが当初の予定通りであり、ケースの所在及びそれを持っている者の現在位置が判明し、かつ奪還が不可能と判断された時点で、プランBへと切り替えられる手筈となっていた。

 

「それは……」

 

 年若い国家元首は、僅かに言葉を濁す。

 

 彼女の中には、まだ自分のイニシエーターを信じたい気持ちが強く残っていた。こんな事になったのには何か深い理由がきっとある筈なのだと。だが……事態はそんな躊躇いを許してはくれない。ケースを綾耶が持ったままであればまだ良かったが、ルインに奪われた。もう一刻の猶予も無い。ルインはこうしている間にも、ゾディアックを召喚する準備を終えるかも知れない。そうなったら、全てが終わる。

 

「聖天子様!!」

 

 少しだけ語気を強くした菊之丞に促され、聖天子は頷いた。

 

「では……」

 

 その時だった。にわかに会議室の外側に待機していたSP達が騒ぎ始め、数秒ほどして扉が破られる勢いで開け放たれると目を回した黒服達が倒れ込んできて、床に横たわる彼等を跨ぎ、学生服姿の少女が悠然と入室してくる。誰あろう、天童木更である。会議に列席する全員の視線が彼女に集まったが、中でも聖天子と菊之丞の反応は顕著だった。特に、菊之丞は表情を険しくして眉間の皺を深くする。

 

「天童社長、これは何事ですか?」

 

 木更は聖天子に一礼すると、持っていたケースから一枚の紙を取り出し、バンと机に叩き付けた。

 

 紙面には円を描くようにして、直筆での署名と判が押されている。日本史の教科書を開けば、似たような写真を見付ける事が出来るだろう。傘連判。百姓一揆の際に、主要人物達が結束を誓うと同時に、首謀者を隠す為に円形に名前を連ねた血判状である。

 

「ご機嫌麗しゅう、轡田防衛大臣」

 

 連判状に名を連ねているその一人に、木更は凄絶な笑みと共に詰め寄る。

 

「こ、これは何の真似だ!?」

 

「あなたの部下の一人が持っていた物です。ルイン・フェクダや蛭子影胤の裏側で暗躍していた彼女達の後援者……七星の遺産を盗み出すよう依頼し、情報を提供したのもあなたです」

 

「そ、そんなバカな!!」

 

「どうして先日の依頼の場に、タイミング良くルイン達が現れたのか。そして公開されたデータを見ましたが、どうして将城綾耶がケースを取り戻した直後、狙ったように蛭子ペアが襲撃する事ができたのか。偶然は二度も続きません。これは、彼女達に情報を提供する者が居たからこそ可能だった事です。そしてこの連判状……これ以上の説明が必要ですか?」

 

「そ、そんな……」

 

「……連れて行け」

 

「そ、そんな天童閣下!! 私は、私はぁぁっ!!」

 

 菊之丞の合図で動いた二名の護衛官が轡田防衛大臣の脇を固めて会議室から引きずり出し、彼等が出て行ったドアが閉じた所で聖天子は木更へと視線を移した。

 

「よろしいですか、天童社長?」

 

「はい、聖天子様」

 

 若社長は恭しく、国家元首に向き直る。

 

「あなたの言葉を信じるとして、では……綾耶は……」

 

「将城綾耶……彼女は東京エリアの反逆者ではありません。それどころか彼女はいち早く内通者の存在に気付いて、ケースを悪意ある何者にも渡すまいと動いていたのです」

 

 当初、聖天子がケースの回収任務を民警各社に依頼する形ではなく直轄のイニシエーターである綾耶一人に与えたのは、七星の遺産の存在を出来るだけ公にしないよう秘密裏に処理する為だった。それ故、ケースの存在や任務について知る者は極一部に限られていた。なのに、これ以上は無いというタイミングでケースを奪おうと襲ってきた影胤達。それが綾耶に内通者の存在を教える結果となったのだ。

 

「そう、ですか……」

 

 真実が分かった所で、状況が変わった訳ではないが……それでも聖天子は、少しだけ晴れやかな表情になった。

 

 迷いは晴れた。やはり、綾耶は自分の思っていた通りの子だった。彼女を信じたのは間違っていなかったのだ。

 

 聖天子は頷くと、菊之丞へ向き直った。

 

「菊之丞さん、もう暫く様子を見ます」

 

「しかし、それでは……」

 

「信じましょう。綾耶を、里見さんを、延珠さんを」

 

 まだ二十歳にもならない少女は、決然とした声で言い放つ。天童の長は、僅かながらその風格に押されて言葉を詰まらせた。

 

「そして天童社長、里見・藍原ペアの上司たるあなたには、この会議に出席していただく事になりますが、よろしいですか?」

 

「はい、こちらこそよろしくお願い致します」

 

 促され、木更は末席へと腰を下ろす。聖天子の格別の振る舞いを当然の権利とばかりの堂々とした孫娘の振る舞いに、菊之丞はじろりと厳しい視線を送るが、木更は一瞬だけ鋭い目で睨み返すと後は柳に風とばかりに涼しい顔だった。

 

「私は、信じています。蓮太郎君は……彼は必ず、勝ちます」

 

 

 

 

 

 

 

「……相手に合わせて、相手よりも強く進化するだと……!? 何だそのムチャクチャは……!!」

 

 ルインの能力を聞いた延珠が毒突く。元より蛭子親子を従えている時点で容易い相手だなどとは思っていなかったが、しかしこんなのは予想の埒外だった。頭に思い描いていた最悪の敵のレベルを、遥かに超えている。

 

「降伏する?」

 

 嫣然とした笑みを浮かべながら、ルインが尋ねる。これは挑発や罠の類ではない。自分を絶対の強者と確信しているが故の余裕だ。もし蓮太郎達が本当に降伏すれば、彼女は躊躇いなくそれを受け入れるだろう。

 

 無論、そんな事は蓮太郎も延珠も綾耶も夢にも思わない。

 

 それに、確かにルインの力は反則と言うに相応しい破格の能力だが、絶対無敵という訳でもない。付け入る隙はある。

 

「二度目からは攻撃が効かなくなり、時間が経つとパワーアップすると言うなら、手は一つだな」

 

 と、蓮太郎。綾耶も頷く。

 

「短期決戦で、最強の一撃を決める……ですね」

 

「確かに、私の攻略法としては正しいけど……私だって自分の能力については把握してるわ。そう簡単に、させると思う?」

 

 これはルインのコメントである。相手がガストレアならばさておき、彼女は頭を使う人間だ。自分の弱点についてもとっくの昔に把握済みという訳だ。

 

「それに、私達が居るのだ。そう簡単に我が王をやらせると思うかね?」

 

 影胤と小比奈が立ちはだかる。

 

「試してみるさ」

 

 蓮太郎のその言葉を合図として、延珠が前傾且つ腰を落とした姿勢を取る。

 

「行くぞ!!」

 

 そこから、神速の突進。たった一蹴りで最高速に達するその加速力こそ脚力特化型たるモデル・ラビットの真骨頂。小比奈が迎え撃つべく双剣を振るうが、延珠はあっさり避けるとそのまま彼女を素通りして、その先にいるルインと影胤へと向かう。

 

「パパ!! 三番!!」

 

「おっと、お前の相手はこっちだ!!」

 

 予想外の動きには驚いたもののすぐさま延珠に追い縋ろうとする小比奈だったが、蓮太郎に止められた。繰り出された超バラニウムの文字通り鉄拳と、バラニウムの刃がぶつかり合い、甲高い音を立てる。

 

「王よ、お下がりを!!」

 

 延珠のスピードは予想以上に速く、斥力フィールドの展開が間に合わない。ルインを庇うように前に出た影胤が、二丁拳銃を向ける。だが延珠は二つの銃口を前にして僅かも怯えず、それどころか更に加速して、影胤の指が引き金を引くよりも早く肉迫すると、地を這うような低い姿勢から思い切りルインの体を蹴り上げる。

 

 ルインはこの蹴りは完璧にガードしたが、しかし威力までは殺せず空中に舞い上げられた。

 

「ルイン様!!」

 

「よそ見している暇は無いぞ、お主の相手は妾だ!!」

 

「ぬうっ!!」

 

 繰り出される延珠の蹴りを、影胤は今度はフィールドの発生範囲を絞る事で即座に展開、手持ち盾のように使って受け止める。

 

 先程のプロモーター同士とイニシエーター同士の戦いから一転、今度は互いのイニシエーターがどれだけ早く司令塔たるプロモーターを仕留めるか、逆にそれまでの間プロモーターが持ち堪えられるかどうかの短期決戦の形となった。

 

 必然、イニシエーターもプロモーターもその全神経・全感覚は眼前の相手へと集中し、影胤も小比奈もルインを守る事は出来なくなる。この瞬間こそ、蓮太郎達の狙いだった。

 

「へえ、良い作戦ね」

 

 ルインが感心した声を上げた。未だ宙を舞っている彼女の眼前には、既に得意の飛翔能力を以て綾耶が接近していた。

 

 先程の延珠の蹴りはダメージを期待してのものではなく、ルインを身動き取れない空中へと打ち上げる為のものだった。そこを綾耶が仕留める寸法だ。

 

「で・え・いっ!!」

 

 乾坤一擲。一撃の破壊力こそはパワー特化型、モデル・エレファントである綾耶の真骨頂。ましてや空中での動きの自由度は彼女とルインとでは比べ物にならない。

 

 今度こそ絶対に回避不能。回復の余地も適応の暇も与えず有無を言わさず戦闘不能にするこの一撃。鉄槌のような綾耶の拳がルインへと振り下ろされて、そして空を切った。

 

「なっ、そんな……!!」

 

 そんなバカな。避けようなど無かった筈だ。空中でルインに出来る事といえば、精々が体を捻る程度の回避行動ぐらいが関の山。羽か翼でもない限り今の一撃を避ける事など……!!

 

 そう思ってルインへと視線を送って、綾耶の表情は凍り付いた。

 

 今のルインには、羽があったのだ。

 

 彼女の背中、肩甲骨の辺りからトンボのような半透明の羽が一対生えていて、それが残像を生み出して四枚羽根に見える程の速さで羽ばたき、揚力を生み出して滞空している。あんなもの、今の今までどこにも無かった筈なのに。

 

「進化……!!」

 

 綾耶はぞっとした表情で、呆然と呟く。

 

 ルインは言った。自分の力は進化だと。背中に生えてきた羽は、身動き取れない空中という環境に適応し、身動きが取れるように進化したという事か。ほんの数秒間で。

 

「何でもありですか、あなた……」

 

 敵の恐ろしさを再確認して、イニシエーターの額に冷や汗が噴き出た。この相手は思っていたよりもずっとタチが悪い。

 

 ルインの攻略法として、最強の一撃を叩き込む以外にコンクリート漬けにして固める、水に沈めて溺れさせるなど、倒すよりも無力化する事に重点を置いた案を思い浮かべていたが、今の攻防の結果を鑑みるに白紙に戻さざるを得なくなった。仮にコンクリートで固めた所でコンクリートを壊せるぐらい力強くなって脱出してくるだろうし、水中に沈めてもエラが発生して何時間でもピンピンしているだろう。あるいは麻酔薬やガスで体を痺れさせようとしても、すぐに体を薬に慣らしてしまうに違いない。

 

 やはり、手は一つ。

 

 綾耶はぐっと拳を握る。この一撃で倒しきれなかったら次は無い。クリーンヒットさせる為には余程慎重にチャンスを見極めねば……!!

 

「来ないの? では、私から行くわよ?」

 

 迂闊に攻撃出来ない綾耶とは違って、ルインは自由に攻撃出来る。背中の羽の角度を微妙に変えると空中を滑るように進んでくる。綾耶も反射的に両腕から圧縮空気を噴射して、身をかわす。

 

 期せずして空中戦が始まった。逃げる綾耶を、ルインが追い掛ける形だ。二人は猛スピードで飛び回りながら、ものの数秒で市街地上空から海上へと移動した。

 

 綾耶は背後をちらりとも見ずに、しかし空気の流れを感じ取る事でルインの位置を完璧に把握し、何とか彼女を振り切ろうと何度も宙返りを打ったり体をスピンさせたりするが、無駄な努力に終わった。

 

「くそっ……!!」

 

 ルインの実力は未だ未知数。追い付かれて捕まったら何をしてくるか分からない。幸い、彼女は銃のような飛び道具は持っていない。ここは距離を保って時間を稼ぎつつ、その間に何とか彼女に切り込む作戦を……

 

 ……と、考えていた綾耶は、自分の考えがどれほど甘かったかをすぐ思い知らされる事になった。

 

「!?」

 

 何かが飛んでくる。それを感じて、回避運動を取る。すると、後ろから来た何かが綾耶の顔のすぐ横を通り過ぎていって海面に落下、水柱を立てた。

 

「っ、なっ……!?」

 

 思わず振り返ると、すぐ後ろのルインの口がぱかっと開いて、そこから何かが飛び出してきた。思い切り体を捻って避ける。三発飛んできた内の二発は完全にかわしたが、一発だけは避け切れずに服に掠った。

 

「熱っ!!」

 

 腕に灼熱感が走って、綾耶は小さな悲鳴を上げる。たった今ルインの口から出た何かが掠ったその部分からは焦げ臭い匂いがして、服が溶け出していた。

 

 ルインが口から吐き出したのは、彼女の唾液だ。だがただのツバではない。強酸性を持っている。綾耶の服が溶けた理由がそれだ。ファーブル昆虫記が好きだった蓮太郎が見れば、まるでハエのようだという印象を抱くだろう。ハエは、獲物を唾液で溶かしてから食べる。その特性がより強化されてルインに備わっていた。

 

「あんなのまで……!!」

 

 ランダムな回避軌道を取る綾耶。ルインが連射してきた強酸唾液は全て彼女の体ギリギリの所を通り過ぎていって着水、無数の水柱が上がる。舞い散る水飛沫を肌で感じた綾耶は、顔を引き攣らせた。今の攻撃は何とかかわしたが、いつまでも避け続けられるとは思えない。

 

 やはり、逃げてばかりではいつかやられる。何とか攻勢に転じたい所だが……しかし下手な攻撃はルインに耐性を与え、防御力を高めさせるだけに終わる。どうするか? ジレンマを抱えつつ、あまり陸から離れすぎるのを嫌った彼女は、体をターンさせる。

 

 問題はまだある。

 

 ルインが空を飛ぶスピードが段々速くなってきているように思えるのは気のせいではあるまい。これも進化の能力の一つなのだろう。今のままでもジリ貧だが、時間を掛ければ掛けるほどにこちらは優位を潰され、どんどん不利になる。

 

『何とかしなければ……!!』

 

 そんな焦りを感じつつ逃げ続けている綾耶だったが、一方でルインは彼女に感心していた。

 

 自分の進化スピードから考えれば、とっくの昔に綾耶には追い付いている筈だ。単純な飛行速度では、互角か既に上回っている。なのに実際には、中々距離を詰められない。これは背中の翼が発生させる推進力で無理矢理飛んでいる自分と、気流の流れを読み取って最適なコースを進んでいる綾耶との差だと、ルインは理解した。

 

『……素晴らしい』

 

 無限に進化を続け、あらゆる能力を限界無く身に付けられる自分の力にも、死角はある事をルインは理解している。その一つが、進化で獲得出来るのはあくまで能力、スペックだけだという点だ。綾耶の飛び方のような“技術”は身に付けられない。

 

 ルインは綾耶の事を高く評価していたつもりだったが、それがまだ過小であったと認識を改めた。

 

「良いわね、合格……あなたにも、未来を得る資格が有る」

 

 そう呟いた瞬間、ルインは遂に綾耶へと追い付いた。綾耶の技術を彼女の進化が超えたのだ。斜め上方へと回り込むと、回し蹴りを繰り出す。

 

「ぐっ!!」

 

 辛うじて綾耶はガードを間に合わせたが、ルインの脚力は空中で腰が入っていない事などお構いなしに彼女を吹っ飛ばし、落下した海面を水切りのように何度も跳ねさせながら、岸にまで運んでしまった。

 

 コンクリートの岸壁にぶつかる衝撃を覚悟してぐっと体を硬直させる綾耶だったが、体に走ったのは固いものにぶつかる衝撃ではなくずっと柔らかいものに抱き留められる感覚だった。

 

「大丈夫か、綾耶!!」

 

「延珠ちゃん!!」

 

 視線を上げると、親友の顔がそこにあった。すぐ傍には蓮太郎の姿も見える。二人とも、戦いながら市街地から海岸まで移動してきていたのだ。戦いの激しさを物語るようにどちらも服はあちこち破けていて、血が滲んでいる。蓮太郎のバラニウム義肢にも、細かい傷がそこかしこに見えた。

 

 やや二人から離れた位置には、影胤と小比奈がいた。こちらも無傷ではなく、怪人プロモーターのトレードマークである燕尾服はボロボロになっていて、シルクハットは行方不明になっていた。小比奈も、高級な一点物であろうドレスは見る影もなくなっており、二刀小太刀の一方は折れて、切っ先がほど近い地面に突き刺さっていた。その二人のすぐ傍に、ルインがゆるりと降りてくる。完全に着地すると羽はみるみる退化していって小さくなり、やがて背中に沈むように消えてしまった。

 

 3対3。戦いが第2ラウンドに突入するかと見て、気合いを入れ直す蓮太郎と延珠と綾耶。影胤と小比奈も迎撃の構えを取るが、

 

「待った」

 

 緊張感の全くない声が、張り詰めた空気を霧散させた。ルインだ。

 

「私達のどちらかが死ぬ前に、聞いておきたいのよ。里見蓮太郎、藍原延珠、そして将城綾耶……」

 

 たおやかな手が、すっと差し出される。

 

「私達と共に、生きるつもりはない?」

 

「何を……!?」

 

「影胤と小比奈ちゃんは、この申し出を受けてくれたわよ?」

 

 両脇を固める二人を交互に見て、ルインが微笑する。

 

「無論、タダでとは言わないわ。ベタな台詞ではあるけど……金、地位、名誉、美女、自由……あなたが望むものを全て与えると約束するわ」

 

 蓮太郎の返事は、向けられた銃口だった。

 

「……一応聞いておくが、蛭子影胤……お前はその女に、何をもらった?」

 

「私が我が王より頂いた物は単純さ。『敵』と『戦い』……闘争の絶えない世界……我が王達はそれを与えてくれると約束して下さったのだよ!!」

 

 魔人の口から出たその言葉に、蓮太郎の顔が一気に蒼くなった。まさか七星の遺産を彼等が奪ったのは、その為に?

 

「矛盾してませんか?」

 

 と、綾耶。

 

「さっき、ルインさんは自分達の目的は平和な世界の為だと言いましたね? あれは嘘だったんですか?」

 

 王と呼ばれる白い女性は、穏やかに首を振る。

 

「嘘ではないわ。私達が思い描く未来は、永遠の平和と永遠の闘争が続く世界。これは人間そのものを変える為の実験であり計画なのよ。人が、より高次の種へと進化する為の……」

 

「……どういう事です?」

 

「人間という生き物を構成する要素が肉体と精神の二つだとすれば……肉体面での進化は既に起こりつつあるわね」

 

 小比奈、延珠、綾耶。三人の呪われた子供たちへと順番に視線を動かしながら、ルインが語る。体内に保菌するガストレアウィルスによる超人的な身体能力と再生能力、人間がかかるあらゆる病や障害にかからないという免疫力。影胤は彼女達を「ホモ・サピエンスを超えた次世代の人類の形」だと言っていたが、同じような考えを持つ者は(特にガストレアを地球を浄化する為の神の遣いだと考える宗教団体の関係者を中心として)少なくない。

 

「でも、イニシエーターも心は普通の人間でしかないわね? 簡単に傷付いて、道に迷い、懊悩する。それは……あなた達にも覚えがあるのではないかしら?」

 

 その問いに、延珠も綾耶も反論する言葉を持たなかった。学校で、自分が呪われた子供たちだとバレた時。教会が、反ガストレア団体過激派のテロに遭った時。その時の心の痛みは、未だ彼女達の中に残っている。

 

「そして今私達がこうしているように、人種や宗教、国家や組織の違いで簡単に敵になる……それでは……とても進化した種とは言えないわ。まぁ……無理はないけど。今までの人間の歴史を振り返ってみれば、人間が一つに団結する機会は一度としてなかったからね」

 

 ルインの言葉は一つの真理ではあった。これまで、人類の敵は常に同じ人類だった。それは敵が、時代や時流によって変移する相対的な敵でしかなかったからだ。

 

「でも今……その機会が遂に訪れたのよ。ガストレアという……時間には左右されない絶対的な敵の出現によってね」

 

「じゃあ、あなたがステージⅤを喚び出そうとしているのは……!!」

 

 恐ろしい結論に至って、綾耶も蓮太郎が平常に見えるぐらいに顔色を悪くした。「理解が早い」とルインは頷く。

 

「ガストレアとの戦いを、永遠に続ける為に。私はガストレアが……正確にはガストレアとの戦いが、人類を新しい時代に導くと信じているの。今はまだまだ、不完全だけど……」

 

 そう言うと、ルインは小比奈の頭を撫でた。モデル・マンティスのイニシエーターはムスッとした表情を見せたが、手を振り払おうとはしなかった。

 

「呪われた子供たちも今は女の子だけだけど……いつかは、男の子も生まれてくるわよ、きっと。現在はちょうど人類が進化の階梯を上る為の、過渡期だと言えるわね。同じように精神面でも、ガストレアが存在し続け、奴等と戦い続ける事で、いつかは同族同士で殺し合うという概念すら消える日が来る……そうして、肉体・精神共に進化した新しい種こそ……この地球の……星の後継者に相応しい!!」

 

「……その為に、東京エリアに大絶滅を起こして何万という人達を殺すんですか?」

 

 綾耶の厳しい問いにも、ルインは涼しい顔を崩さない。

 

「種にとって最大の敵とは、絶滅よ。それにどのみち、数万人だろうが数十万人だろうが、今の世界ではそれぐらいすぐに死んでいくわよ」

 

「そんな……!!」

 

「さて、蓮太郎君にはフラれてしまったけど……あなた達二人はどうかしら? 延珠ちゃんと、綾耶ちゃん」

 

「バカな、僕達がそんな事……!!」

 

 答える価値も無い愚問だと、綾耶が撥ね付ける。だが、これぐらいはルインも予想の範疇であったらしい。気分を害した様子は無い。

 

「蓮太郎君にも言ったけど……タダでとは言わないわ」

 

「金か? 物か? 妾達がそんなので動くとでも思っているのか?」

 

「では、時間ではどうかしら?」

 

 これは延珠にも綾耶にも予想外だった。思わず声を揃えて「時間?」と鸚鵡返しする。

 

「未来と言い換えても良いわね」

 

 頷くルイン。

 

「イニシエーター……呪われた子供たちの寿命とも言えるガストレアウィルス浸食率。あなた達は抑制剤によって辛うじてその上昇を抑えて延命している形だけど……負傷の治癒や能力の使用によっても、浸食率は上昇する。だからあなた達はガストレアと命懸けで戦いながら、寿命を削らなくてはならない……私達と一緒に来るなら、その不安を取り除いてあげられるのだけど? 小比奈ちゃんのようにね」

 

「嘘だ!! そんな事どうやって……!!」

 

 これは蓮太郎の叫びである。ウィルスの浸食を完全に停止させるなんて、現在の技術では不可能な筈だ。東京エリア、いや日本最高の頭脳である室戸菫ですら無理なのに。だが彼の声は、ルインには届いていないようだった。

 

「私達は見付けたのよ、ガストレアウィルスへの完全な抑制因子……いいえ適合因子ね、その存在を。そして開発した。それを他者に与える遺伝子治療(ジーン・セラピー)の技術をね」

 

「……そんな話を、信じると思うのか?」

 

 延珠が吐き捨てる。いくら自分や綾耶が子供だからと言って、こんな甘言で騙せるとこの女は本当に思っているのだろうか?

 

 だが彼女のこの反応も、まだまだルインは想定内のようだ。穏やかな表情を崩さない。

 

「まぁ……信じられないのは無理無いわね。私達も……って言うか番外(アルコル)が適合因子を見付けたのだって、偶然の産物だったし」

 

 どこか自嘲するように、ルインが苦笑する。

 

「でも……ガストレアウィルスの適合因子が存在する事、それ自体は信じられるでしょ? だって……」

 

 彼女の両眼が、紅く輝いた。

 

「それを持った者が……今、目の前に立っているのだから!!」

 


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