ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第07話 未踏査領域の出会い

 

 十字に走った斬撃によって、昆虫のようなガストレアの体が4つに切れて地面に転がる。その中で比較的大きめの物の傷口の断面が蠢き、再生しようとする。しかしそれより早く次の攻撃が繰り出され、4分の1の肉体は更に細分化されて、今度はどの断片も再生を始める気配は無かった。

 

「……よし、終わり!!」

 

 綾耶はひとまずの危険が排除された事を確認すると、警戒態勢を解いた。

 

 今、彼女の周囲には無数のガストレアの死体が転がっていた。形態はステージⅠからⅣまでまちまちで、どの個体もバラバラに切り刻まれている為に正確な数はとても分からない。ただ、散乱している手足の数から少なくとも10体を上回っている事は確実だ。

 

「ふうっ」

 

 額に浮かんでいた汗を拭う。未踏査領域に入ってから、戦闘はこれで3度目だ。幸か不幸か、今まで戦ったのは全てガストレア、民警やルイン達とは出会っていない。

 

「はぁ……」

 

 もう何度目になるか分からない溜息を吐く。このロストワールドへと足を踏み入れてまだ半日程度しか経っていない筈だが、もう数日も過ぎた気がする。水と食糧は3日分用意しているが、これではそれが尽きる事を心配するよりもそれまで自分が生きていられるかを心配すべきかも知れない。

 

 どちらにせよ、いつまでもこんな森林地帯をうろうろしていてはいつ4度目の遭遇戦に突入するか知れたものではない。未踏査領域を移動するのは初めてだからあまり派手な動きは控えていたが、ここは多少のリスクは覚悟の上で空を飛んででも早急に市街地帯まで移動すべきかも知れない。

 

「よし……!!」

 

 いつ鳥や羽虫型のガストレアが現れても対応出来るよう気構えを立て直すと、綾耶は両腕に力を込めた。

 

 彼女の両掌には必要に応じて開閉自在の“孔(あな)”がある。その孔から続くトンネルは肘付近で行き止まりになるまで続いていて、腕の筋肉の操作によって理科の実験で使うスポイトのように流体を自在に吸い上げ、圧力を掛けて放出する事を可能としている。綾耶はモデル・エレファント、象の因子を持つイニシエーター。この両腕はガストレアウィルスによるミューテーションで、象の鼻に当たる変異であった。

 

 そうして両腕に空気を取り込み、超圧縮してジェット噴射のように放出する事で飛行を可能とする。

 

「1、2の……」

 

 3で充填した空気を開放し、飛び立とうとしたその時だった。

 

 ドォン!!

 

「なっ!?」

 

 これまでは静寂が支配していた夜の森に、響き渡る爆音。綾耶は最初何事かと思ったが、すぐに自分を追ってきた民警ペアの誰かが爆発物を使用したのだと悟った。しかし、これはとんでもない悪手である。

 

 森が、目覚めた。ただでさえここは無数のガストレアが闊歩する人外魔境だと言うのに、あんな大きな音を立てたが最後、夜行性のものだけではなく今までは眠っていた昼に行動する性質のガストレアまでもが動き出してしまう。

 

 すぐにさっきまでは何も感じなかった方向から、足音と動きの気配が伝わってくる。まだ姿は見えないが、遭遇するまでにそう時間があるとも思えない。

 

 戦っても良いが、今の自分は些か消耗している。ここは逃げるのが上策。

 

 瞬時にその判断を下すと、綾耶の小さな体は瞬く間にそびえ立つどの樹木よりも高く飛び上がり、闇の空へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

「はっ……はっ……!!」

 

 後悔という普段は非生産的と切って捨てている感情を、この日の千寿夏世は珍しく抱いていた。

 

 森の中で明滅する青い光。他の民警のライトかと思って不用意に近付いたのが間違いだった。少し考えれば青色のライトなど、誰も使っていない事は分かっていた筈なのに。

 

 光を発していたのはガストレアだった。

 

 しかも運の悪い事に遭遇したのは今までに見た事がないタイプで、対処法が見付からなかった。死ぬ、殺されると思ったその時、IISOで教えられた未踏査領域での行動の鉄則である「如何なる時も音を立てない事」を、彼女は忘れた。咄嗟に持っていた榴弾を使ってしまい、その場を切り抜けられたは良かったがその後はもっと悪い状況になった。

 

 周囲をうろついていた夜行性ガストレアも快適な眠りから叩き起こされたガストレアもこぞって音源へと寄ってきて、必死で逃げている間にプロモーターである伊熊将監ともはぐれてしまった。

 

 今は何とか身を隠せる場所を探し、頭の中にある地図を頼りに森を走っていた。確かこの先に大戦時に築かれたトーチカがある筈。どこまで原形を留めているかは分からないが、小休止ぐらいは出来るだろう。何とかそこまで、ガストレアに遭遇せずに辿り着ければ……!!

 

 という、淡い期待は簡単に掻き消された。

 

 岩陰からぬっと現れた巨大な影、こちらを見詰める紅い瞳。ガストレアだ。それもステージⅡかⅢか、異形のフォルムを持った個体だった。

 

「っ!!」

 

 手にしていたショットガンを撃つ。この距離、人間であればスプラッタムービーさながらに頭をスイカのように吹き飛ばせる威力があったが、だがそのガストレアは亀や甲虫の因子を取り込んでいるらしかった。銃弾は全身の甲殻に僅かな凹みを作っただけで弾かれてしまった。

 

 また手榴弾を、とも思ったがガストレアはずんぐりした体型からは想像出来ないぐらい素早かった。夏世の視界がガストレアに覆い尽くされる。

 

 死んだ。運にも見放された。終わった。空しい人生だった。

 

 そんな単語が頭の中によぎって、

 

「で、えええええええええええええいっ!!!!」

 

 横合いから飛んできた何かがガストレアをぶっ飛ばしていた。木々を薙ぎ倒しながら転がっていく巨体。

 

「な……」

 

 何が起こったのか、一瞬呆然として、そしてすぐに分かった。ふわりと、教会のシスター服の上に聖室護衛隊の制服である外套を羽織った少女が降り立つ。夏世がその顔を見間違える訳は無い。作戦前のブリーフィングで写真に穴が開くぐらいに見た自分達のターゲット、将城綾耶だ。突然現れた彼女が、ガストレアを蹴り飛ばしていたのだ。

 

「大丈夫?」

 

 流石にちょっと警戒しているようでじりじりとではあるが、綾耶が近付いてくる。反射的に、ショットガンの銃口を向ける夏世。綾耶はぴたりと接近を止めた。

 

「……私達にはあなたの捕縛、あるいは殺害の命令が下っています」

 

「知ってるよ」

 

「……では何故、私を助けたのですか?」

 

「何でっ、て……」

 

 綾耶は答えに窮した。飛んでいて、たまたま高度が低くなった時にガストレアに襲われている夏世の姿が見えて、後は体が勝手に動いていた。理由なんていちいち考えて動いていない。

 

「……何となく?」

 

 ジャキッ、という音を鳴らして夏世がショットガンを構え直す。気に入る答えではなかったようだ。

 

「うーん……」

 

 腕組みして唸る困り顔の綾耶。強いて言うなら自分が、最強ではないにせよ誇りに思って良い程度には強いというのも理由の一つではあるかも知れない。夏世一人なら、助けた後で敵対されても確実に勝てると思ったから? もし助けた後で殺されるかもと思ったのなら、助けなかったかも……?

 

『何か違う気がするなぁ……』

 

 そこまで考えた所で、思考は打ち切られた。

 

 耳をつんざく咆哮。綾耶が蹴り飛ばしたガストレアが、早くも復活して二人に迫ってきていた。

 

 一瞬、綾耶と夏世は視線を交わし合って、頷き合う。

 

 ここは、一時休戦。先にこのガストレアを倒す。一言も交わさず、両者の意見は素晴らしく一致した。

 

「ふっ!!」

 

 綾耶は腕を振って、空気の刃を繰り出す。この一撃はコンクリートでも容易く切断する威力があるが、しかしこのガストレアの強固な外殻には通用せずに弾かれてしまった。素早く飛びずさって突進をかわすと、夏世の近くに着地する。

 

「見ての通り、あのガストレアの外殻は強固です。私の手持ち火器で致命打を与えるのは難しいですね……」

 

「僕の空気の刃も駄目……打撃でもさっきのキックが殆ど効いてないとなると、効果は期待出来ないね」

 

 となると次に頭に浮かぶのは逃走だが、このガストレアは素早い。みすみす逃がしてくれるとも思えない。

 

 どうするか?

 

 夏世は装備をチェックする。地雷やワイヤートラップならばダメージを与えられる可能性はあるが、仕掛ける暇が無い。

 

 どうする? その答えは綾耶がもたらしてくれた。

 

「ほんのちょっぴりで良いから、あのガストレアに傷を付ける事は、出来る?」

 

「……それぐらいならば可能ですが……」

 

 傷を与える事は出来ても、命を断つ事は出来ない。だが、綾耶はそれで十分だと頷く。

 

「じゃ、お願い。後は、僕が何とかするから」

 

 綾耶の言葉が終わるのを見計らったように、ガストレアが再度突進してきた。

 

 夏世は素早くショットガンをライフルに持ち替えると、腰溜めに構えて射撃。装甲に弾かれる。

 

 第二射、装甲に凹みを作る。第三射、凹みが大きくなる。第四射、装甲が割れる。第五射、装甲の割れ目に着弾して、出血。

 

 点滴岩を穿つの例え通りの、一箇所へと連続して衝撃を与え続ける事によるダメージの蓄積。

 

 夏世は戦闘向きモデルのイニシエーターではないが、それでも呪われた子供たちに共通する能力として、超人的な筋力を有している。故に銃を使っても反動を抑えて、普通の人間よりもずっと正確な射撃を行う事が出来るのだ。流石に目標が数百メートルも先では自信も無いが、この近距離ならばそこまで困難な作業という訳ではなかった。

 

 夏世のノルマは、これで完了。

 

「綾耶さん!!」

 

「OK!!」

 

 飛び出した綾耶はもう目の前にまで迫っていたガストレアの体に取り付くと、夏世の銃撃によって作られた傷口に思い切り掌打を叩き込む。人間であれば痛みで悶絶するであろう攻撃だが、しかしガストレア相手に効果的な一手であるとは、夏世には思えなかった。

 

 だが、そこからだった。

 

 ズズズ、と、何か……ストローで残り少なくなったジュースを吸い上げている時のような音が聞こえてくる。その音はちょうど、ガストレアと綾耶の方から聞こえてくる。と、そこまで夏世が理解した瞬間、ガストレアの体が弾けた。

 

 爆発したのだ。何の前触れも無く、内部から。水風船を割ったように血飛沫が降り注いで、夏世は思わず後退して血の雨を避けた。数秒ほどして雨が止んだ所で、綾耶も彼女のすぐ傍へと着地する。

 

「殻が固いほど、中身は意外と脆いもの……昔の人は良い事言うものだよね」

 

「綾耶……さん、今のは?」

 

 ガストレアの体内に小型爆弾を埋め込んだとでも言うなら理解も出来るが、綾耶は丸腰だった。ならばどうやって?

 

「逆流させたんだよ、血を」

 

「逆流……?」

 

「ん……説明している暇は無いよ。お客さんが来た」

 

「!!」

 

 厳しい顔で周囲を見渡す綾耶。夏世も事態を察して背中合わせに構えると、闇の中に無数の光点が見えた。色は全て赤。

 

 戦闘の音を聞き付けて集まってきたガストレアだ。数は軽く20体、しかも囲まれている。逃げられない。

 

 今度こそ死んだかと、夏世は覚悟を決めた。だが、背中越しに聞こえてくる綾耶の声にはまだ余裕と自信があった。

 

「えっと……君、名前は?」

 

「……千寿、夏世です」

 

「じゃ、夏世ちゃん。援護頼むよ!!」

 

「えっ……」

 

 振り向いた夏世は、思いも寄らぬ光景を見て思わず言葉を失った。

 

 血が、先程爆発して倒されたガストレアが撒き散らしてあちこちに赤い水溜まりを作っている大量の血が、重力に逆らって綾耶の掌へと吸い上げられている。そして、

 

「で、え、いっ!!!!」

 

 体を捻転させると、戻す勢いを合わせて思い切り腕を振る綾耶。すると振ったその軌道に沿うようにして生まれた紅い刃がガストレア群めがけて飛んでいき、数体を真っ二つに切り裂いて、そのまま背後の木々をも数十本纏めて薙ぎ払い、倒してしまった。何かが爆発したのかと錯覚する、凄まじい破壊力。

 

 だがガストレアには共通して再生能力がある。バラニウム製武器でない限り、二つに斬られた程度では殆どの個体が再生する。しかし今の攻撃によって、血が撒き散らされた。その血を、綾耶の手はまたしても吸収すると恐るべき破壊の力として解き放つ。この一撃は再生しかけていたガストレアにトドメを刺す決定打となった。

 

「血の、刃……」

 

 こんな技を使うイニシエーターは初めて見るが、明晰な頭脳を持つ夏世は綾耶のこの技の正体を的確に分析していた。

 

『原理は分からないですが、綾耶さんの手には空気や水、そして血といった流体を吸い上げる力があり……それで辺りに散乱した血を吸い上げ超高圧を掛けて、腕を振る動作と組み合わせてウォーターカッターのように発射した……!!』

 

 だとするならば、先程の重装甲ガストレアを倒した技にも説明が付く。

 

 原理は単純だ。綾耶はまずガストレアに接敵すると、夏世による銃創に触れてそこからガストレアの血を吸い上げる。異音の正体はこの吸引音だ。そうして一定量の血を吸い取った後は、その血に圧力を掛けて放出、傷口から内部へと送り込んで逆流させる。無論、そんなやり方で無理矢理血を流し込んだ所でスムーズに血液が逆方向に流れる訳もない。流し込まれた血液は血管内の逆流止めの弁を突き破り、毛細血管をズタズタに食い破り、臓器はグチャグチャに掻き乱しながらガストレアの全身を駆け巡り、それでも勢いを失わずに最後は内部から全身を破裂させたのだ。

 

『怖い、ですね……』

 

 思考しつつも夏世は体に染み付いた動作でライフルを乱射して、ガストレアを一体一体、確実に倒していく。そうしている間にも、彼女は綾耶から注意を外さない。

 

 綾耶の攻撃は次第に強く、そして激しくなっていく。

 

 最初の一撃はガストレアを致死させるものではなくダメ押しの二撃目を入れる必要があったが、少し前からは一撃で倒している。今さっき放った一撃に至っては、数体を纏めて屠り去った。

 

 この破壊力の上昇も、夏世には理解出来た。

 

 今の綾耶の武器は、血。ガストレアから血を奪い、その血でガストレアを殺す。その性質上、奪っては殺し殺しては奪いという無限ループが成立し、結果武器はより多く、殺傷範囲はより広く、破壊力はより高く。戦えば戦う程に綾耶の力は高まり続けて手が付けられなくなっていく。

 

 ましてや液体である血は空気よりも遥かに比重が重い。武器として使った時の威力は、比べ物にはならない。

 

 いくら強力なイニシエーターであっても単独でこの未踏査領域を行動出来るものかとは思っていたが、こんなあつらえたかのように一対多の戦闘に特化した能力を持っていたのであればそれにも得心が行った。

 

『何という能力……これが、聖天子様のイニシエーター……!! これが、将城綾耶……!!』

 

 心中で畏敬の念が籠もっているかのようですらある呟きを溢しつつ、夏世は向かってきたガストレアを撃ち殺した。

 

「さあ、これでラスト……!! で、え、えええええいっ!!!!」

 

 跳躍した綾耶が最大量に取り込んでいた血を解き放ち、ガストレアが紅い流れに呑まれる。血の濁流が去った後には、もう異形の影すらも残ってはいなかった。鉄砲水のような水圧ならぬ血圧によって粉微塵に砕かれ、流されたのだ。

 

「さて、片づいたね」

 

 背中合わせになる形で夏世の背後に着地する綾耶。二人の周囲数十メートルだけまるで竜巻でも起こったかのように樹木が吹っ飛んでいて、鬱蒼とした森が風通しの良い広場のように変わっていた。

 

「いえ、まだ残っていますよ」

 

 夏世の言葉を合図として、二人はちょうど西部劇の早撃ち対決のように振り返った。夏世のショットガンの銃口は綾耶の腹に、圧縮空気を弾丸として装填した綾耶の手は夏世の頭に、それぞれ照準を合わせている。

 

 二人とも暫くはそのまま睨み合っていたが、やがて夏世の方から銃を下ろしていた。綾耶もそれを見て、かざしていた手を下ろす。

 

「……止めておきます。これであなたを殺せるか分かりませんし、仕留められなかったら間違いなく私の方が殺されますからね」

 

「見逃してくれるなら、ありがと。助かるよ」

 

 ハンカチを取り出すと、血塗れになった眼鏡のレンズを拭う綾耶。綺麗になった眼鏡を掛け直すのを待って、夏世が言った。

 

「礼は要りませんよ。その代わり……さっきの答えを聞かせてくれますか?」

 

 何故に綾耶は、敵である筈の自分を助けたのか。その答えをまだ聞いていない。

 

 綾耶はさっきと同じでしばらく腕組みして考えたが、出て来た答えは。

 

「やっぱり……何となくかな。僕にも良く分からないや」

 

「……」

 

 夏世は先程と同じ答えに、「はあ」と一息。そして今度はふっと微笑む。

 

「その目に映る誰かを助ける……その為に力を使う事……それがあなたにとって、当たり前の生き方と言う事ですか……」

 

 そこから、夏世は声量を絞った。

 

「……少し、羨ましいです」

 

「え? 何?」

 

「いえ、何でもないです。それより……」

 

 夏世の視線が、綾耶が持っているケースへと移る。

 

「綾耶さん、あなたが悪い人でない事は理解出来ました。そのあなたが、どうしてエリアを破滅させるような物を持って逃げているのですか?」

 

「質問は一つだけ、って事にしようよ」

 

 悪戯っぽく笑って、綾耶が返す。飄々とした対応を受けて苦笑する夏世。

 

「……言えませんか、分かりました」

 

「ごめんね?」

 

「良いんですよ。聞いたら聞いたで、厄介事に巻き込まれそうですから」

 

 夏世がそう言った時、綾耶の体がふわりと宙に浮く。つい忘れそうになったが、今の自分達は追う者と追われる者だ。いつまでも一緒には居られない。

 

「……もう、会いたくないですね」

 

 と、夏世。次に会った時、彼女は将監のイニシエーターとして綾耶を殺さねばならない。

 

「僕は会いたいな。次は友達同士で」

 

 そんな胸中の葛藤など全く読まずにそう言う綾耶に、表情を殺した夏世の口からギリッという音が聞こえて、その後で柔らかい笑みに変わった。

 

「では」

 

「それじゃね」

 

 綾耶は飛び去り、夏世はトーチカへの移動を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 市街地上空へと差し掛かった綾耶は逆噴射でスピードを殺すと、森が途切れて100メートルばかりの地点へと着陸した。

 

 懐から取り出したスマートフォンを見る。通話機能は未だ回復していないがそれ以外は健在だ。表示された時刻は午前4時。一番暗い時間帯と言える。

 

「ふぁ……もうこんな時間か……」

 

 周囲に民警もルイン達もガストレアも居ないので、ひとまずは状況確認と思っての行動だったが、寧ろこれが良くなかったかも知れない。今までは時間など気にしていなかったから気を張り詰めさせたままでいられたが、なまじ一息吐く余裕が出来た事と時刻を確認した事で疲労感と生活習慣による眠気がどっと襲ってきたように思える。

 

「流石に疲れた……一時間でも30分でも良いから、休みたいな」

 

 眠るとは言わないまでも、横になりたい。いくら体内に保菌するガストレアウィルスの恩恵があるとは言え綾耶は9歳の子供。体力の限界は近い。

 

 少しの間見通しの良い道路を進んで、目に付いた建物に入ろうとする。だが入り口まで後三歩という所まで歩いた時だった。

 

 ばしゃり。

 

 水音。水溜まりを踏んだかと思ったが、すぐに思い直す。ここ数日、雨など降っていない。そして見捨てられたこの市街地では水道などとっくに涸れているから、蛇口を捻ったままにして水が出っぱなしになっているという事も有り得ない(大体それなら水音ですぐに分かる筈だ)。なのに水溜まりが出来る、という事は……!!

 

 すんすん、と鼻を鳴らす。この未踏査領域に入ってから嗅ぎ慣れてしまって嗅覚がすっかり麻痺していたが、これは血の匂い。しかも新しい。5分前か3分前か、たった今、体から外に出たばかりって感じの。足下の水溜まり、ではなく血溜まりだけではない。この周囲一帯に、大量の血がブチ撒けられている。

 

「……ま、まさか……?」

 

 後退って、異様な物を踏んだ。妙に弾力があって、しかし綾耶の体重で形が崩れた感覚は無い。

 

 しゃがみ込んで拾ってみると、それは腕だと分かった。拳銃を持ったままの、前腕半ばで切断された人間の腕。

 

「……っ!!」

 

 思わずその腕を放り捨てて、上がりそうになった悲鳴をすんでの所で呑み込んだ。これをやった者がまだ近くに潜んでいるかも知れない。ここで叫んだら、下手人に自分の存在をアピールしてしまう。

 

 今までは暗さで分からなかったが目を凝らせば、一帯に無数の死体が転がっているのが見えるようになった。男もいる、女もいる。大人も、子供も。子供は、全てイニシエーターだ。大人達はプロモーター。綾耶には自分を追ってきた民警ペア達だとすぐ分かった。数は……ここに来るまで殺してきたガストレアよりも、多いかも知れない。

 

 数多の死体の中で胸に大剣を突き立てられ、壁に磔になって息絶えている大男に綾耶はテレビCMで見覚えがあった。

 

 三ヶ島ロイヤルガーダー所属、IP序列1584位・伊熊将監。民警ペア全体で見ても上位1パーセントに入る凄腕だった。それがここまで無惨な殺され方をするとは……

 

「……ご」

 

 ごめんなさい、と言い掛けて、自分にはそんな資格が無い事を思い出した。彼等の死は、自分が招いた事だ。直接手を下した訳ではないが、少なくとも一般人と民警との間に線を引いて、民警が入っている方を「死んでも良い側」と定義したのは自分なのだから。覚悟していた事が、実際に起こっただけなのだ。

 

 頭を切り換えて、戦闘モードへと移行する綾耶。

 

 身構えて、両腕に空気を集める。

 

「!!」

 

 右へ跳ぶ。瞬間、甲高い音が響いて綾耶の立っていたアスファルトがコマ切れに刻まれた。この太刀筋の主に、綾耶は覚えがあった。彼女にとっては悪夢のような存在。

 

「凄い!! 凄い!! 綾耶!! 気配は完全に消してた筈なのに、避けるなんて!!」

 

 狂気と狂喜が共存した笑い声を上げるのは、バラニウムの小太刀を二刀流で構えた黒いドレスの少女、蛭子小比奈。

 

「……僕に、不意打ちは効かないよ。たとえ物音一つ立てずに近付こうとね」

 

 感情を極力廃した声で、綾耶が応答する。ちなみにこれは単に強がりやハッタリではない。

 

 どんなに気配を断とうが足音を殺そうが、人が動けば空気は揺れる。空気を武器として扱う綾耶は、特に空気を吸い込む器官がある彼女の両腕はそれに敏感で、大気に不自然な動きがあればそれを感じ取る事が出来るのだ。

 

 そして今、彼女の腕が感じた空気の揺れは、三人分。

 

 つまり小比奈の他に、後二人。

 

「まさかたった一人で、この未踏査領域で未だ生き延びているとは……流石は国家元首のイニシエーター、と言うべきなのかな? ヒヒッ」

 

 拍手を打ちつつ背後の闇から現れたのは、燕尾服を着た仮面の魔人。小比奈のプロモーター、蛭子影胤。

 

「でもちょうど良いわ。森の中でガストレアに喰い殺されたりしてたら、ケースを探すのが面倒だったからね」

 

 降ってくる声に顔を上げると、そこには月光を背負って透き通るような髪をなびかせた白い女、ルイン・フェクダが建物の屋上から、綾耶を見下ろしていた。

 

「さあ、七星の遺産を……八尋ちゃんの宝物を、返してもらおうかしら!!」

 


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