ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第04話 滅びの名を持つ者、逃亡犯・将城綾耶

 

 東京エリア第1区・聖居の中でも、最も厳重に守られた場所の一つ。国家元首である聖天子の私室。

 

 最高の調度品が揃えられたその部屋の中で、しかし何よりも輝くのは部屋の主が放つ光であった。聖天子の美しさは単に表面にだけ現れるものではなく、彼女の内面と外面の双方が織り合わさって生まれてくるもの。人が持ち得る美しさの、一つの完成形にして究極形と言って良いだろう。

 

 だが今はその美の光が、僅かながら翳っている事を彼女に近しい一部の者ならば気付いたであろう。と、ノックが三度。「どうぞ」と棒読みで聖天子は返す。

 

「失礼いたします……聖天子様、そろそろ民警各社の代表に例の件での発表を行うお時間です」

 

 一礼と共に入ってきたのはその彼女に近しい者の一人。白髭をたくわえた袴姿の老人、聖天子付補佐官を務める天童菊之丞であった。

 

「そう……でしたね」

 

 聖天子が向かう机の上にはクラシックな時計と、スマートフォンと、そして古ぼけたロザリオが置かれていた。時計の針は、予定時刻の10分前を指している。確かにそろそろ準備をしなければならないが……だが、今は後1分でも予定を先延ばしにしたい気分だった。今まで、どんなに難題を扱った会議の時でもこんな事は無かったのに。

 

「菊之丞さん……綾耶から、まだ連絡はないのですか?」

 

「はい、アレが最後に確認されたのは約5時間前、モデル・スパイダーの感染源ガストレアを討伐し、例のケースを回収した時までです。それ以降は連絡はおろか目撃情報も上がっておりません……状況から推測するにこれは、アレがケースを奪って逃走を図ったものと考えられます」

 

 聖天子付のイニシエーターである綾耶は、東京エリアの防犯・監視システムについても熟知している。そこに空中飛行をも可能とする彼女の能力が加われれば、監視網に引っ掛かる事無く逃走する事など容易であろう。

 

「ですが、あの子がどうして……」

 

 仮に菊之丞の言う通りだとしても綾耶にはケースの中身は教えていないし、教えていたとしても中身は彼女にとって豚に真珠、使いようが無ければ持っていても仕方のない物だ。動機が無い。

 

「何らかのルートで情報を得た他のエリアの暗部もしくは非合法の組織がケースの奪取を目的として、既に接触していたとも考えられます。如何に強い力を持とうとアレは所詮は子供、甘言や大金で容易く懐柔されてしまっても、何の不思議もありませぬ」

 

「そんな……!!」

 

 聖天子は「そんな事はない」と強く言い放ちたかったが、言葉の途中でそれは私情であり公人としての自分には許されないものだと自省して言葉を切った。

 

 だが……分かるのだ。

 

 あの子は、綾耶は。裏切りを働ける程に狡猾でも器用でもなければ、目先の利に転ぶ程に近視眼的でも即物的でもない。

 

 聖天子はイニシエーター、そして呪われた子供たちの事を可能性と考えている。だが、綾耶個人に対して抱く感情はまた別のものだ。

 

 綾耶は、あの子は……光だ。時代の先を見通し、平和を愛し、信義を重んじる、闇を照らす光。この暗黒に包まれた世界の中では見失ってしまいそうなほどにちっぽけだけれど、優しくて暖かな光。

 

 まだ半年程の付き合いでしかないが、それでも聖天子は確信を持って言える。綾耶は、自分を裏切ったりは決してしないと。ちらりと、机に置かれたスマートフォンに視線を落とす。こうしている一秒一秒が、いつになく長く思えた。今この瞬間にでも綾耶から着信が入るのではないかと期待させる気持ちがそう感じさせるのだろうと頭の中の冷静な自分が分析する。

 

 だが時間は、いつも通りの早さで流れていく。残酷なまでに。

 

「聖天子様、ご決断を」

 

「……そう、ですね」

 

 瞑目した聖天子は諦めたように溜息を一つ。そして映像通信の為に用いるモニターの前へと移動しようとして、机に置かれたロザリオを手に取った。これは綾耶をイニシエーターとした時に彼女から贈られた物。聖天子はそれ以来、お守りとしてどんな所へ行くにも常に懐に持っていた。

 

 いつもは掌にこのロザリオの感触を確かめると心強い気持ちになるのだが、今日は今までに感じた事の無い種類の不安が取って代わっている。

 

「聖天子様」

 

 菊之丞が再度、決断を促してくる。

 

 綾耶を信じたい。だが自分がそう思ったとしても、国家元首として出来ない事もある。聖天子はそう自分を納得させると、モニターのスイッチを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

<ごきげんよう、みなさん>

 

 防衛省に集められていた東京エリアの民警関係者達(基本的にその会社の社長と主力ペア)は、会議室の大型モニターに映った人物の姿を見るや否や反射的に起立した。「楽にして下さい」と聖天子が言葉を掛けても、誰一人とて着席しない。末席に招待されていた天童民間警備会社社長・天童木更も同じだ。壁際には彼女の会社の唯一のプロモーターである蓮太郎の姿もあった。

 

<依頼内容は……>

 

 年若い国家元首は僅かだけ言い淀んで、そして言葉を続ける。

 

<今回、民警の皆さんに依頼する内容は二つ。一つは彼女、将城綾耶の捜索と身柄の確保。その際、彼女の生死は問いません>

 

 モニターの左下に小さな綾耶の写真が表示されて、それを見た社長やプロモーター達が目に見えて動揺する。

 

 綾耶は、聖天子が現在推し進めているガストレア新法を実現させる為の骨子と言える存在だ。聖天子と彼女が人間と呪われた子供たちの共存の縮図でありモデルケースでありテストケースである事は、時折ニュースや新聞で報道されている。それに綾耶は聖天子への忠誠篤く、また正規のイニシエーターではないにせよ非常に優秀で、これまで民警に先んじて何体ものガストレアを排除した活躍でも知られている。そんな彼女を殺しても良いから捕まえろとは一体全体どういう事だ?

 

 イニシエーターの中にも少ないながら、驚いた表情を見せる者が居た。三ヶ島ロイヤルガーダーに所属する序列1584位・伊熊将監のイニシエーターである千寿夏世などは特にその反応が顕著だった。

 

 一方でそうした単なる情報としてだけでなく、生の綾耶を知っている蓮太郎はより大きな衝撃を受けたようだった。場を弁えずに「マジかよ」と呟く。

 

<そしてもう一つは、彼女が持ち出したケースを無傷で回収して下さい>

 

 綾耶の写真に重なるように、銀色のケースが写った写真が表示される。更に続いてこのミッションの成功報酬が提示されると、社長や民警ペア達による困惑のざわめきが会議室に満ちていく。そこに表示されたゼロの数たるや、いくらイニシエーターとは言え一人の少女を捕まえるだけの任務にしては、あまりにも多すぎる。

 

「質問、よろしいでしょうか? そのケースは今も将城綾耶が持っていると見て良いのですか?」

 

<その可能性は極めて高いと言えます>

 

「彼女の潜伏先や逃走ルートについて、政府は何か情報を掴んでおられるのでしょうか?」

 

<残念ながら不明です。今から約5時間前に外周区で確認されたのが、彼女に関しての最も新しい情報です>

 

 列席した社長達からの質問も、有用な情報が皆無であるという事実を再確認しただけだった。

 

<……補足事項として、今回将城綾耶がケースを持ち出したのは彼女一人の意思ではなく、背後に組織だった者達の動きがある可能性があります。よって情報を引き出す為に、可能な限り彼女は生かして捕らえるようにして下さい。その場合は、更に報酬の加増を行います>

 

 画面の中の聖天子が続けたその言葉に、同じく画面の中で菊之丞がぴくりと眉を動かした。こんな依頼内容は事前の打ち合わせには無かった。

 

 このアドリブは聖天子が公人としての立場を崩さず、かつ綾耶を助ける事が出来る(少なくともその可能性を高める事の出来る)ギリギリの一線であった。直前に菊之丞からは「他エリアの暗部や非合法組織から接触があったのかも知れない」と言質も取っているので、彼もすぐには反論出来なかった。

 

「私からも質問、よろしいでしょうか?」

 

 次に挙手したのは木更であった。

 

<おや、あなたは>

 

「天童木更と申します」

 

<お噂はかねがね、ですがそれは依頼人のプライバシーに関わる事ですので、お答え出来ません>

 

「既に同じ疑問をここに集まった方々も抱かれているかと思いますが……将城綾耶が如何に強力なイニシエーターでも、何故たった一人の身柄の確保とケースの回収に東京エリアでもトップクラスの民警各位にしかも破格の報酬で以て依頼するのか、腑に落ちません。ならば……彼女が持っているケースには相応の価値……危険度があると邪推してしまうのは当然ではないですか?」

 

<……それは、あなた方が知る必要のない事では?>

 

「かも知れません。しかしあくまでそちらがカードを伏せたままならば、ウチはこの依頼から手を引かせてもらいます」

 

<ここで席を立つとペナルティがありますよ?>

 

 決して強い口調ではないが脅すような聖天子の言葉にも、木更は一歩も譲らぬとばかり毅然とした態度を崩さない。

 

「覚悟の上です。そのような不確かな説明で、ウチの社員を危険に晒す訳には参りませんので」

 

 数秒、耳に痛い程の沈黙が下りた。だが、それは唐突に破られる事となる。

 

「さっきから聞いていれば随分と不毛なやり取りを続けているわね……何なら、私が教えてあげようかしら? ケースの中身が何なのか」

 

 静かでありながら響き渡る、鈴のような、あるいは風鈴のような声。

 

 どこから聞こえてきたのかと場の一同が視線を彷徨わせるが、それらはやがて幾つかある扉のその一つへと集まっていく。

 

<誰です>

 

「私よ」

 

 ばん、と扉が開け放たれて中に入ってきたのは女性だった。

 

 聖天子と同じように純白を纏い、白く長い髪をたなびかせた絶世の美女。

 

「っ!!」

 

 突然の闖入者が現れた事とはまた別の驚きを見せたのは、やはり蓮太郎であった。

 

 と言っても彼も入ってきたこの女性とは初対面。少年の目を引いたのは女性がまるで王の供回りを務める従者の如く両脇に引き連れている二人であった。一人は黒いドレスを着た10歳ぐらいに見える少女。そしてもう一人は、燕尾服に身を包んだ仮面の怪人。先日の依頼で綾耶と出会う直前に遭遇し、勇み足でマンションに突入した警官達を殺害した男、蛭子影胤であった。

 

<何者です、名乗りなさい>

 

「そうね、ちょうど良く人も集まっているようだし、名乗らせてもらうわ」

 

 女性がそう言って絶妙の間を取って一同を見渡すと、彼女の右脇の影胤はシルクハットを取って背筋を正す。対照的に左脇の少女・小比奈は変わらずに自然体であった。

 

「私の名はルイン。ルイン・フェクダ。以後、お見知り置きを」

 

「一人を除いて初めてお目に掛かる。私は蛭子影胤。我が王、ルイン様に仕える者にして、君達の敵だ」

 

「蛭子小比奈、10歳」

 

 順番に挨拶する3人。その時、「お前っ」と動揺した声を上げながらも銃口を彼女達に向けた者が居た。蓮太郎だ。

 

「パパ、あいつこっちに鉄砲向けてるよ、斬って良い?」

 

「よしよし、だが今日は我等が王の御前、我慢しなさい」

 

「うー」

 

 影胤に言われると頬を膨らませて明らかに不満そうではあるが、小比奈は一度引き下がった。ルインはそんな少女の頭を撫でようと手を伸ばしたが、さっと身をかわされた。彼女は苦笑して、肩を竦める。

 

「何の用だ……!!」

 

「あなたは……」

 

「王よ、彼が話していた民警の少年です」

 

「ふうん……ん? このバラニウムの匂い……」

 

 くんくんと鼻を鳴らしたルインは少しの間視線を蓮太郎の頭から爪先にまで動かして彼を観察していたようだったが、ほんの十秒程で「ああ」と洩らした。

 

「成る程、確かに普通とは違うわね……」

 

 向けられている銃口など少しも意に介さず、一人で納得してうんうんと頷くルイン。が、それも束の間であった。「今日は別件があるから、また今度ね」と、蓮太郎へにっこり笑顔を向けると大型モニターに映る聖天子を見据える。

 

「今日は挨拶と、それに宣戦布告に来たのよ。このケース争奪レースに、私達も参加させてもらいたくて」

 

 ケース争奪レース、参加という二つのキーワード。ここから彼女達の目的を類推するのは容易かった。

 

「綾耶が持っているケースを……お前等も狙っているのかっ……!!」

 

<ケースを、奪うつもりですか?>

 

 蓮太郎と聖天子の声が重なって、だがその言葉を合図にこれまでは超然と振る舞っていたルインの機嫌が目に見えて悪くなった。

 

「奪う? それは違うわね」

 

 湛えていた笑みが消える。

 

「返してもらうのよ!! あれは……『七星の遺産』は最初から私……いいえ、私達の物なのだから!!」

 

 ルインが言い放ったその時、言葉にならない衝撃が場の一同に走った。この依頼は説明が始まった時から驚かされっぱなしであったが、今度こそはその中でも最大級の物であった。

 

「あんた……!! そのっ……目は……っ!!」

 

 辛うじて絞り出したような声で、蓮太郎はそう言うのが精一杯だった。

 

 さっきまで深い紫色をしていたルインの瞳は、今は赤く輝いていた。その光はガストレアや呪われた子供たちが目に宿すのと同じ色。

 

 イニシエーターなのか?

 

 とも思うが、だが有り得ない。イニシエーター及び呪われた子供たちは本来血液感染しかしないガストレアウィルスが、妊婦の口から入った場合に胎児にその毒性が蓄積されて生まれてくるもの。そしてガストレアが突如として地球に出現したのが10年前であるが故に、呪われた子供たちは最年長の者でも10歳。

 

 だがルインはどう見ても成人した女性だ。ならば……何故!?

 

「まぁ……私の正体についてはそこの国家元首さんかその補佐官殿にでも聞いてみると良いわ」

 

 そんな場の全員の疑問を読み取って、ルインは紅い瞳のままで先程までの穏やかな笑みを取り戻して話し始める。「教えてくれるとは、思えないけどね」と最後に付け加える。

 

「さて、諸君!! ルールを確認しようじゃないか。我々と君達、どちらが先に将城綾耶を捕らえ、七星の遺産を手に入れられるか……掛け金は、君達の命でいかがかな?」

 

「黙って聞いてりゃゴチャゴチャと……!!」

 

 どこかくぐもった声がして視線をそちらへ向けると、ズンと床が揺れる。バラニウムのバスタードソードが突き立てられた音。この場に集った者達の中で、そのような武器を持った者は一人。三ヶ島ロイヤルガーダーの伊熊将監だ。

 

「要は、手前ェらがここで死ねば良いんだろ!?」

 

 筋肉で固めた巨体が一瞬消えて、次にはルインの眼前に出現する。王と呼ばれた女性は突っ立ったまま微動だにしていない。

 

「ぶった斬れろや!!」

 

 猛獣の咆哮の如き唸りを上げながら大剣が振り下ろされて、響く金属音。将監の黒い刃は同じく黒い刃に。小比奈の双剣によって受け止められていた。

 

「っち!!」

 

 イニシエーターとの接近戦は極力避ける事が鉄則。将監もプロモーターとしてそのマニュアルに従い、後ろに跳んで間合いを離した。

 

「こんな奴に不意を衝かれるなんて、あんたらしくないね」

 

 視線と二つの刃の切っ先でぐるりを囲む民警達を警戒・牽制しながら小比奈が言った。ルインはそんな挑発的な台詞に怒るでもなく、もう一度小比奈の頭に手を伸ばす。今度はかわされずに彼女の頭をくしゃっと撫でる事に成功した。

 

「危険は無かったわよ。もしあなたが守ってくれなくても、影胤が攻撃を止めていたわ。いとも簡単に」

 

 ルインの言葉が終わらない内に、連続して響く破裂音。彼女達を包囲していた民警の社長とプロモーターが携帯していた拳銃を抜き、3人へと一斉射していた。

 

 だが全ての銃弾は闖入者達を囲むように発生した蒼白いドーム状の光によって止められてしまっていた。「こんな風にね」と、ルインは小比奈に笑いかける。彼女が軽く手を上げて合図すると影胤は無言のまま首肯し、同時にフィールドが消える。運動エネルギーを全て奪われた銃弾は、ばらばらと無力に床に落ちて転がった。

 

「バリア……だと? お前、本当に人間なのか?」

 

 綾耶が似たようなものを使ってはいたが、しかしそれはイニシエーターの固有能力としてまだ説明出来る。だが同じような力を、プロモーターが使うとは? 蓮太郎は、冷たい汗がどぼっと全身から噴き出してくるのを自覚した。

 

「人間だとも。ただし今の斥力フィールドを発生させる為に内蔵の殆どをバラニウム製の機械に詰め替えてあるだけさ」

 

「機械……だと?」

 

「改めて名乗ろう。私は元陸上自衛隊東部方面隊第787機械化特殊部隊『新人類創造計画』蛭子影胤だ」

 

「……あの大戦が生んだ、対ガストレア用特殊部隊!? 存在する訳が……!!」

 

 呆然と、民警社長の一人が呟いた。そんなもの、ガストレア戦争の混乱の中で生まれた都市伝説もどきの筈なのに。

 

「信じる信じないは君の勝手さ。ただ、君達の目の前に在るのが事実。それ以外には無い」

 

 影胤はちらりと、弾切れになった拳銃をいつの間にか下ろしていた蓮太郎へと向き直る。

 

「まぁ何かね、里見君、つまり以前に出会った時、私は全く本気を出してはいなかったのだよ。悪いね」

 

 怪人はそこで一度言葉を切ると、すぐ傍らにいるルインへ視線を移した。

 

「今ここで始めても良いが、今日は挨拶だし、ここは我が王の御前だ。血で汚す訳には行かない……では、王よ」

 

「ええ」

 

 ルインは従者のその言葉に頷いて、踵を返す。入ってきた扉から無造作に歩いて出て行こうとして、影胤と小比奈もそれに続く。あまりにも無防備なその背中へ、しかしこの場の民警の誰も既にリロードが完了した銃を向けようとはしなかった。

 

 そのまま、ばたんと会議室の扉が閉ざされて、部屋の空気が微妙にシフトした。しばらくの間は誰もが悪夢の如き出来事の連続に現実感を喪失していたようだったが、

 

「天童閣下、新人類創造計画は!! あの男が言っていた事は本当なのですか!?」

 

 社長の一人のその質問を皮切りとして、我も我もと問いが吹き出す。

 

「ではあの紅い目の女は何者ですか!?」

 

「返してもらうとはどういう事ですか!?」

 

 いくつもの問いに対して、返ってきたのは全て同じ回答であった。全て同じ人物、天童菊之丞から。

 

<答える必要は無い>

 

 たった一つを除いて。

 

「では、七星の遺産とは何なのですか!?」

 

 この質問に対して国家元首とその補佐官は視線を交わし合うと、示し合わせたように頷き合って、やがて聖天子が口を開いた。

 

<七星の遺産とは、邪悪な人間が悪用すればモノリスの結界を破壊し、東京エリアに大絶滅を引き起こす封印指定物です>

 

 ざわめきが、消えた。

 

 現在、人類の居住エリアは巨大なバラニウム製モノリスをほぼ等間隔に打ち込む事によって発生する磁場の結界によって、ガストレアの侵入を防いでいる。縦1.618キロメートル、横1キロメートルもあるモノリスは近くで見ると難攻不落の城壁を思わせるが、しかしこれはその実、エリアを囲むそのどれか一つでも何かしらの原因で崩壊した場合にはその“穴”となった箇所からガストレアが侵入してくるという薄氷の壁でもある。

 

 そうしてガストレアがエリアに雪崩を打って侵入してくるケースを“大絶滅”と呼ぶのだ。過去には中東やアフリカでの発生が記録されている。

 

 それはまるで……いやまさに地獄の具現。そのエリアに生きる人類にとって最悪のケースと言って差し支えない。

 

<民警の皆さんに依頼内容を追加させていただきます。ルイン・フェクダ並びに蛭子影胤よりも先に将城綾耶を確保し、ケースを回収して下さい。これはこの東京エリアの存亡を懸けた任務となります>

 

 

 

 

 

 

 

 第39区の教会。呪われた子供たちの学校兼宿舎として使われていて、いつもは子供たちの笑い声が絶えないそこも、綾耶がもたらした情報によって松崎老人と琉生(るい)が下水道に子供たちを避難させてる今は静かなものだ。

 

 建物の鍵は施錠されているが、この教会が実家である綾耶は当然合い鍵を持っている。

 

 そうして入った不気味な程の静けさが支配する礼拝堂の中で、綾耶はケースに腰掛けて頬杖を突き、むすっとした顔で思考を巡らせていた。懐からスマートフォンを取り出す。

 

 何時間かが経ったが、相変わらず誰にも電話が繋がる気配は無い。

 

 あの時はそれでもすぐに聖居へと移動して、聖天子様にケースをお渡ししようと思った。影胤・小比奈ペアが単独犯であろうがあるいは他エリアの暗部や非合法組織によって雇われていたとしても、どちらにしても彼等よりも先にケースを届けてしまえば全てが終わる。

 

 まだ簡単に考えていた。

 

『情報がどこから漏れていたとしても、これで僕の任務は終わる』

 

 そう、どこから情報が漏れていたとしても……

 

 聖居まで後1分ほど、高度を落としかけていた時にそんな思考に至った瞬間、綾耶は両腕のジェットを噴かして再び高度を取った。

 

 そうだ、良く考えればあの蛭子影胤は明確にケースを狙っていた。彼あるいは彼の黒幕は、どこからその情報を手に入れたのだ? 情報は、どこから漏れた?

 

 例えば警察に捜索依頼を出すとか、東京エリアの民警を集めて回収を命じるとかしたのなら広範囲に情報が拡散してしまっているから、どこかから洩れたとしても納得出来る。

 

 だが今回のケースは違う。聖天子様はケースの中身は教えてくれなかったが、こうも言ってくれた。

 

 

 

『ケースの中身は使う者によってはこの東京エリアを滅ぼしかねない程に危険な物です。それ故に、出来るだけこれを知る人が少ない内に、秘密裏に回収したいのです。だから綾耶、あなたにお願いします。ケースを誰よりも早く回収し、この聖居に持ち帰って下さい』

 

 

 

 聖天子様は自分をそこまで信頼してくださるのだと、綾耶は勇んでこの任務に就いたのだが……

 

 自分のプロモーターの言葉を信じるのなら、ケースの存在と任務の内容を知っていた者は限られている筈。

 

 任務を受けた自分と、その任務を授けた聖天子様。そして政府の人間の中でも、聖天子様に近しい高位の何人か。

 

『もし……僕の考えている通りだとしたら……』

 

 ちらりと、普段は琉生が子供たちに教える為に使っているホワイトボードを見る。そこには綾耶が知っている限りの政府高官の名前が、彼女の認識で偉い方から順に書き並べられていた。一番上には“きくのじょーさん”とある。

 

『この中の誰かあるいは何人かが、裏切り者……?』

 

 その裏切り者が、直接影胤達を雇ったか外へと情報をリークした?

 

 だとすればこれは尋常ならざる事態だ。聖居へとケースを持ち込んだが最後、安全な所へ運び入れるどころかみすみす悪意の者の手に危険物を渡してしまう事になる。最悪その裏切り者は、再びケースを奪取する為に聖居に影胤達を引き入れるかも……

 

『あんな奴等と聖天子様を出会わせるなんて……!!』

 

 それは綾耶にとって絶対に許す事の出来ない未来だ。

 

『聖天子様の事は僕が命に代えても護る……!!』

 

 拾ってくれて、望むべくもなかった大きなチャンスを授かった大恩あるこの身。初めて出会った日に、清掃作業で汚れた自分の手を握ってくれた聖天子のぬくもりを、綾耶は今も忘れない。その想いは紛う事無き彼女の本心だった。だが……

 

『なんて、言えたら良いんだけどね……』

 

 はぁ、と溜息を一つ。

 

 残念ながらどちらか一方だけなら兎も角としてあの二人が相手では、たとえ命懸けであっても聖天子を護る事は難しいだろうと綾耶は見ている。

 

 ならばどうする?

 

 考えて、考えて……答えは、一つだった。

 

 気が付けば綾耶は、聖居とは反対方向へと飛んでいた。

 

『これで、聖天子様はひとまず安全の筈……』

 

 影胤達の目的はあくまでケース。聖天子の命ではない。これでターゲットは自分に絞られる。

 

『でも、このままでもダメだよね……』

 

 電話も通じない。これでは昔の映画で見た、偶然から政府の機密を知ってしまって、機密を保持しようとするエージェントに命を狙われる主役みたいではないか。映画では、その次の展開は……

 

『ひょっとしたら今頃……僕はケースを持って逃げ出した逃亡犯に仕立て上げられてたりして……それで僕の首に多額の賞金が掛かっているとか……』

 

 想像して、思わず苦笑する。映画の主役に憧れた事はあるがこんな形で夢が叶うとは思ってなかった。事実は小説よりも奇なりとは、本当だ。

 

 だがもし本当にそうなら、この状況はほぼ“詰み”と言える。影胤・小比奈ペアのような恐ろしい敵が居て、味方の中にも敵が居て、挙げ句はこの東京エリア全体が敵になる。しかもケースを手に入れてものの数分で電話が不通にされるぐらいだ。敵の中には、恐るべき権力を手中にした者が居ると見て間違いない。

 

『……どうしよう?』

 

 頭の中でそう呟いた時だった。古い扉が軋むギシギシ音と共に、礼拝堂の扉が開く。

 

「!!」

 

 反射的に、綾耶は両手に空気の刃を生み出して身構える。入ってきたのは名も顔も知らぬ民警ペアか、それとも影胤と小比奈か、あるいは重武装した政府の特殊部隊か。

 

 果たして、そのいずれでもなかった。

 

「あ……」

 

 呆けたような声を上げて、少女の両手に発生していた見えない刃物は霧散する。

 

「どうして……ここに?」

 


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