ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

38 / 42
第35話 再臨

 

 民警軍団の仮説本部として使われている中学校の、その屋上。

 

 モデル・ウルヴァリンのイニシエーター、エックスはそこで瞑目しつつ片膝を付いた姿勢を保っていた。彼女はぴくりとも動かずに、遠目から見ると人形だと錯覚したかも知れない。あるいは眠っているのかもと思う者もいるだろう。

 

 実際にはエックスの意識は十全な覚醒状態にあった。その上で肉体だけは体力を温存する為に余分な機能を全てカットし、鎮静状態を保っている。

 

「!!」

 

 僅かに風向きが変わったその時、先天的に野生の猛獣をも凌駕するほどに発達し、後天的な訓練によって研ぎ澄まされた感覚が微かな異常を伝えてくる。

 

 それを感じ取った瞬間、彼女はばっと立ち上がった。これまでは必要最低限の機能しか働かせていなかった肉体機能をいきなりトップギアにまで引き上げる。ガストレアウィルスによる強化と過酷な修錬を積んだ体は、その急発進を受けてもほんの少しの軋み・ほんの僅かな悲鳴すら上げなかった。

 

「来る……!!」

 

 まだ望遠鏡を使っても見えないし地面に耳を当てても何も聞こえないほど遠距離だが、エックスには分かる。アルデバラン率いるガストレア群は既に動き出している。一時間もしない間に、第二戦が始まるだろう。

 

 状況は民警軍団に不利。第一戦に比べてガストレア達はその数を増やし、逆に民警軍団は数を減らしている。しかも強力な戦力である蓮太郎や延珠、綾耶が別命で動いており不在。戦力が揃っていた初戦ですら押され気味であったのに、これでは……

 

 軍と軍でぶつかりあっては寡兵である民警軍団が競り負け、砕け散るのが道理。

 

 ならば、やはり勝ち目は一つ。

 

 敵の最強戦力であり司令塔も兼ねるアルデバランを仕留める以外に無い。

 

 先の戦いで枢とエックスのペアはアルデバランに肉迫し、首を落とす事には成功したが予想外の再生能力によって殺し切るには至らなかった。枢はならばミリ単位で切り刻んでやれと指示し、エックスもその手で行こうとは思っていたが集結してきたガストレアに阻まれてしまった。

 

 その時、アルデバランもエックス達の存在を脅威と認識した筈だから、今回は護衛となるガストレアを増やしているだろう。同じように戦っても今度はアルデバランの元にまで辿り着けるかどうかすらもが、怪しい。

 

「だから……どうだと言うの?」

 

 問題は無い。

 

 同じように戦って駄目なら、違うやり方で戦うまで。エックスには、秘策があった。

 

 シャキーン!!

 

 拳を握り締めた事による腕の筋肉操作に伴い、バラニウムの鉤爪が指の付け根の間から皮膚を破って飛び出してくる。

 

「……アルマジロと亀の化け物……細切れにされても動いていられるか、試してやる……!!」

 

 そして、どれだけ多数のガストレアを護衛として従えていても無駄だと、教えてやる。

 

「他の者には真似出来ない……ガストレアウィルス適合因子を持つイニシエーターの戦い方を……見せてやる」

 

 

 

 

 

 

 

「ふんふふんふん……ふーん……ふふん……ふふふ……ふんふふん……」

 

 未踏査領域には、昨日と同じようにティコの鼻歌が響いている。

 

 ……が、そのメロディはどこか音程が外れていて途切れ途切れである。

 

「はぁ……」

 

 それも当然と言うべきか。彼女は溜息吐いて背後をちらりと振り返る。

 

 昨日の夜、ルインは綾耶に東京エリアへの協力を約束している。つまり綾耶や蓮太郎達の味方となった訳だが……当然と言うべきか蓮太郎や延珠は「はいそうですか」とそれを受け入れる訳がなかった。これは当然の反応だ。「七星の遺産」を巡る戦いでどれほどの人が命を落とし、そして何かが違っていれば今頃は東京エリアが地図から消えていたかも知れないのだ。いくら自分の行いを後悔し、心を入れ替えたとしても彼女達の行いは絶対に許されるものではないだろう。

 

 綾耶はそれでも彼女達を許し、受け入れるのだろうが……誰もが彼女のように考えられる訳ではない。寧ろ、これについては綾耶の方が異常と言えるだろう。

 

 未だに、蓮太郎達はルイン達への警戒を解いていないしルイン達もそれは同じ。

 

 しかし彼女達の目的はプレヤデスを撃破する事で一致している。つまり、目的地も同じ。必然的に同じ方向へと進む訳だが……お互い、背中を見せて後ろから撃たれてはたまらないのでどちらから提案するともなく横並びで歩く運びとなった。さて、その並び方であるが……

 

 綾耶の右をルインが歩き、ルインの右には延珠、綾耶の左には影胤、影胤の左に蓮太郎、延珠の右に小町、蓮太郎の左は小比奈が一列横並びで歩いている。

 

 何故このような並び方になっているかと言えば、最初に綾耶とルインが横に並んだのが始まりで、後はもうルインを綾耶と延珠で挟み、ルインと影胤で綾耶を挟み、綾耶と蓮太郎で影胤を挟み、影胤と小比奈で蓮太郎を挟み……と、まるでオセロゲームの様相を呈してしまっていた。

 

 しかもこの中で、綾耶とルインの二人を除いた全員が隣を歩く奴が少しでも妙な動きを見せれば即座に襲い掛かろうと神経をピリピリさせているのである。異様な雰囲気が醸し出されるのも必然と言えた。

 

 ティコはちらりと、自分の両脇を固めている群星の二人へと視線を送る。殺伐とした空気に耐えかねて「何とかしてよ」と助けを求めてのものだ。しかしモデル・コーラルのイニシエーター達もこれにはお手上げと首を横に振るばかりである。はぁ、と溜息を一つ。しかしすぐに表情は引き締まったものになる。エコーロケーションによって、目的地が近い事を認識したのだ。

 

「みんな、ピクニックは終わりだよ!! ここからは敵の拠点の中を進む事になるから……用心して私に付いてきて」

 

 この場で最も高い索敵能力を持つティコにそう言われた事で、全員に今までとは違った緊張感が走る。

 

 流石にこの状況に於いては、全員の警戒は隣の人間よりも周囲を囲むガストレアへと移行した。図らずも呉越同舟の構図である。危ういバランスとは言え人間同士の争いを止めたのがガストレアとは、中々皮肉が利いている。

 

 ここからはティコのエコーロケーションは使えない。多数のガストレアの中には超音波を聞き分ける個体がいるかも知れない。今までは距離が開いているから良かったものの、近距離では暗い建物の中でライトを照らして泥棒を捜すようなもの。逆にこちらの存在をアピールするだけに終わってしまう可能性もある。

 

 だが綾耶の空気レーダーや延珠の兎因子による鋭い聴覚は、アクティブなティコの能力に代わるパッシブな索敵能力として十分に威力を発揮していた。

 

 用心深く、数メートルの距離を十分も二十分も掛けるようなペースで進む。

 

「おい、これを見ろ」

 

 耳を澄まして聞こえるか聞こえないかというぐらいの声で、蓮太郎が言った。彼が指差す先には囓られたような跡が残る葉がある。

 

「これは……」

 

「コカの葉ね」

 

 「ふむ」と頷きつつコメントするのはルインだ。

 

「コカって言うと……」

 

「コカイン……麻薬の原料になるアルカロイド物質が取れる木だよ。これをガストレアが囓っているってことは……」

 

「恐らく……興奮剤として使っているのね」

 

 人類同士の戦争でも(特に条約などが整備されていない時期では)兵士が恐怖で萎縮しないように薬物を投与した状態で戦わせたという事例が存在する。古くは中東の暗殺教団には恐怖や罪悪感を消失させて夢見心地で暗殺を行わせる為、任務に入る前には必ずハシシという麻薬を服用したという伝承もある。

 

 初戦でガストレアが異様に勢いづいて襲い掛かってきたのは単純な士気の高さだけではなく、興奮剤の服用によって恐怖や痛みが一時的に失われていたからだったのだ。

 

 それにしても今回のガストレアは、アルデバランの存在故かいつもとは違う。夜闇に紛れ、足音を消して近付いてきた事と言い、整然とした陣形を取って攻めてきた事と言い、単純な進化や本能の一言で片付けられるものではない。これではまるで、戦い慣れた人間の将帥が指揮を執っているようだ。

 

「ガストレアも、進歩するのね」

 

 ルインは敢えて“進化”と“進歩”を区別していた。

 

 こうした一幕を経て、一行はとうとう目的地へと到着した。

 

 大きく開けた広場になっていて、ざっと見ただけでも数十は下らない数のガストレアが確認できる。うろうろと動いているのもいれば、体を丸めて眠っている個体もいる。

 

 ターゲットはどいつか? それはすぐに分かった。他のガストレアより頭一つ抜けて大きな体躯を持つ、長いクチバシを持ったガストレアだ。これは、ライフルの銃身のように圧縮水銀を一方向へと正確に発射する為の進化かも知れない。手足は対照的にデフォルメされた絵のように短く、腹は気球のように膨れ上がっている。これも水銀を撃ち出すという一つの機能を突き詰めた結果であろうが、総合的に見ると典型的なガストレアウィルスがもたらす異常進化の失敗例だ。多量の水銀を貯蔵する為の太っ腹とあの短い手足では獲物を獲る事も、動く事すらままならないだろう。注意深く観察するとそのガストレア・プレヤデスは他のガストレアが運んでくる餌を与えられて家畜の如く”生かされている”のが分かった。

 

「さて、どうするかね?」

 

 影胤が蓮太郎へと、楽しんでいるように言った。

 

「持ってきたプラスチック爆弾で爆破するつもりだったが……」

 

 難しそうだな。と、蓮太郎は周囲を見渡す。彼とてプレヤデスが無防備だと思うほどおめでたい頭はしていなかったが、それにしても予想以上に取り巻きのガストレアの数が多い。敵の最高指揮官・アルデバランも、貴重な遠距離攻撃要員であるプレヤデスの重要性は正しく認識していたらしい。ここまでガードが厳重だと、起爆範囲ギリギリで爆破したとしてもその爆音で動き出した護衛ガストレアに追い付かれ、取り囲まれてしまう可能性が高い。

 

「私がやろうか? ああいうのとは一度戦り合ってみたかったんだ」

 

「いや……影胤さんのエネルギー槍でも放ったら凄い音が鳴りますから……蓮太郎さんの義手も駄目ですね……」

 

 と、綾耶。これは確かに正論と、影胤と蓮太郎は納得を見せて引き下がる。

 

 今この場で求められるのは、何十というガストレアの群れに全く気付かれずにターゲットであるプレヤデスだけを確実に仕留める隠密性・静粛性を兼ね備えた攻撃力だ。

 

「と、なれば妾と……」

 

「私だね」

 

 延珠と小比奈が前に出る。この二人の武器は蹴り技と剣術。どちらも炸裂音や機械の動作音が鳴らないので、蓮太郎や影胤よりは余程適任と言える。

 

「待って」

 

 しかし、二人をルインが制した。

 

「お主の指図は……」

 

「黙ってて、三番」

 

 兎と蟷螂のイニシエーターはどちらも拒否反応を見せるが、ルイン・フェクダは少しだけ語気を強める。

 

「二人とも、下がってなさい」

 

 威圧感に当てられたように、二人は思わず半歩分だけ後ろに下がった。ルインはそれを見て頷きを一つ、そうして蓮太郎へと向き直る。

 

「里見蓮太郎くん」

 

「ん、ああ……」

 

「これは、私達が味方になった事を証明する良い機会よ。それに、こうした状況なら、私のイニシエーターが一番向いているわ。ここは、小町……あなたに任せるわね」

 

「承りました、マスター・フェクダ」

 

 視線で指示を受けると、道場着の少女・魚沼小町はしずしずと歩みを進め、ガストレアの群れの中へと降り立った。

 

「お、おい……!!」

 

 いくら腕が立っても、あんなガストレアの坩堝へ単身飛び込むなど無謀と断じられる暴挙である。蓮太郎は反射的に止めようとして、綾耶や延珠も同じように動きかけるが、ルインに「静かに」と止められた。対照的に小町の能力を知る影胤・小比奈・ティコ・群星達は落ち着いたものだ。

 

「……分かった、見てれば良いんだろ?」

 

 とは言いつつも、もし小町が窮地に陥ったならばすぐに助けに入れるよう身構えつつ、蓮太郎は彼女の姿を追う。

 

 見る限り小町は丸腰。小比奈の小太刀や綾耶のガントレットのような武器と呼べるものは何も持っていない。ならば彼女はどのようにして、蓮太郎達の前に姿を現した時にガストレアを真っ二つに切り裂いたのか。そしてどうやって、プレヤデスを倒すつもりなのか。

 

 そんな思考を回している間にも、小町は高級な絨毯の上を歩くように少しの足音も立てず、プレヤデスに近付いていく。その動きが全く無音である事と気配を断っている事から、周辺のガストレア達が気付いた様子は無い。彼女はそのまま、プレヤデスのすぐ傍にまで接近した。

 

 ここまでは順調。だがどうやって巨体を誇るステージⅣのプレヤデスを倒すか?

 

「突然だけど、里見蓮太郎くん。あなたは子供の頃、草むらで遊んでいて気が付いたら手足が傷だらけになっていた……って経験はない?」

 

「あ、ああ……それはあるけどよ……」

 

「じゃあ……小町の力……良く見ていて」

 

 蓮太郎の疑問に対するヒントは、ルイン・フェクダが与えた。

 

 全部で8人居るルイン達は、それぞれ民警と同じようにパートナーとなるイニシエーターを持つ。そして各人固有の任務を受け持つ彼女等は、より効率良く己の担当任務を遂行できるよう、最適な能力を持ったイニシエーターをパートナーに選ぶ傾向がある。

 

 民警として表の世界で活動するルイン・ドゥベは、凶暴な肉食獣の因子を持ち単純に戦闘力に長けたエックスを。ガストレアの監視を任務とするルイン・メグレズは、索敵能力に長けるモデル・オルカのティコをパートナーに選んでいる。

 

 そして、影胤のようなアウトローを従えての非合法活動を任務とするルイン・フェクダが自らのイニシエーターに求めた役割は”暗殺者”。身に寸鉄一つ帯びずに近付き、ターゲット自身さえもが殺された事にも気付かぬ内に仕留めてしまう、静かで鋭い攻撃力。

 

 小町は、あつらえたかのようにその条件を満たすイニシエーターであった。

 

 プレヤデスに肉迫した小町は無造作に手を横薙ぎに振って、続いて垂直に蹴り上げるような蹴りを放つ。

 

 そのたった二撃で、事は済んだ。

 

 重力に逆らって巨体を支えられるよう強化されたプレヤデスの外殻にいとも容易く切れ目が走り、やがてその亀裂は大きく広がって遂にプレヤデスを四つの肉塊へと変えてしまった。

 

 一連の出来事はまるで作業のように短時間でしかも物音一つ立てずに行われた。周りを囲むガストレア達は、殆どが何が起こったか理解出来ていない、どころか何かが起こった事に気付いてすらいないようだった。

 

「これが……」

 

「そう、これが私のイニシエーターの力」

 

 自慢げに、ルインは胸を張る。

 

 シロガネヨシというイネ科植物がある。この植物は葉の縁が鋭く、刈り込み作業などを行う際には必ず軍手を付けて行うべしとされている。うっかり素手で葉に触れて指を切ってしまうというのは良く聞く話である。

 

 風に飛ぶような葉に、そっと触れただけで人間の皮膚が切れてしまう。ならばその葉に人の腕ほどの重さがあり、勢い良く振り回されればどうなるか。

 

 その答えがたった今、プレヤデスを解体した手刀と足刀であった。

 

 刀剣よりも研ぎ澄まされた手足を持ち、延珠の蹴り技による打撃音も、小比奈の双剣が鳴らす鍔鳴りや鞘走りの音も無い。金属探知機もボディーチェックもすり抜けて、全く無音でターゲットに近付き、斬殺する。暗殺者としては一つの完成形と言えるだろう。

 

「魚沼小町……モデル・ライス。稲の因子を持つ、呪われた子供たち」

 

 話している間に、何事も無かったように小町が戻ってくる。その歩みは静かでペースも落ち着いたものであり、散歩でもしているみたいに見えた。

 

 蓮太郎はしばらくはショーでも見ていたようにぼうっとしていたが、はっと我に返ると傍らのパートナーに指示を出す。

 

「よし、延珠。あいつ……小町が戻ってきたら、すぐにここを離れるぞ。退路を確保するんだ。ティコも一緒に行け」

 

「あいわかった、任せよ」

 

「分かりました、里見リーダー」

 

 兎とシャチのイニシエーターは頷き、すぐ後ろを注意深く見渡す。

 

 その時だった。

 

 身の毛もよだつような咆哮が森全体に響き渡り、これにはイニシエーター・プロモーターの区別無く全員が反射的に耳を塞ぐ。

 

「!! 気付かれたか!?」

 

「いや、これは出撃命令だろう」

 

 蓮太郎の意見を、影胤が訂正した。恐らくは離れた場所に居るアルデバランが、このタイミングで侵入者である自分達に気付いて迎撃指令を出したというのは考えにくい。となると初戦でエックスに受けたダメージから回復して、全軍に第二次攻撃を指示したのだろう。

 

 その証拠に、視界の中に居るガストレア達はもうプレヤデスの生死になど興味を無くしたように、一斉に動き出していた。彼等はプレヤデスの護衛を命じられていたのであろうが、たった今アルデバランから上位命令を上書きする形で与えられたのだ。民警軍団を殲滅せよと。

 

 森全体が眠りから目覚めたようだった。夜の静寂を、蠢く者共の気配が塗り潰していく。

 

 ガストレア達は、真っ直ぐ一つの方向を目指していた。東京エリアへと。

 

 

 

 

 

 

 

 ステージⅣに率いられる一団は、未だ周囲に転がっている同胞達の死骸をちらちら見ながら、前進していた。

 

 この一角は第一戦では血を操る敵が陣取っていて、味方が倒される度に敵の攻撃力が増大していくという悪夢のような連鎖が繰り広げられ、侵攻が思うに任せなかった。

 

 しかし今はその敵が不在なのか、行けども行けども血の濁流が襲い掛かってくる気配は無い。

 

 他の敵も、まだ初戦のダメージから回復せず再編成が上手く行っていないのか迎撃には出て来ない。

 

 今ならば、突破は可能。

 

 前線指揮官役であったそのステージⅣはそう判断すると雄叫びを一つ上げ、自らの小隊に全速前進の指令を下す。

 

 ……よりも前に、飛来した何かによって落としたスイカのように頭部を爆ぜさせていた。一瞬遅れて、ひゅっと風を切る音が鳴る。これは飛んできた物体の速度が音速を突破していた為だ。

 

 指揮官を失い、ガストレア達は動きを止める。しかしそれこそが、この攻撃を仕掛けてきた者の思う壺であった。

 

 四方八方からバラニウムの弾頭が、しかも恐ろしく正確な狙いでガストレア達に次々撃ち込まれていく。弾雨が止んだ時、動いているガストレアは一体も居なかった。

 

 この攻撃は、あらかじめこのポイントに兵が伏せられていた……のではない。

 

 ここを守っていたのは、たった一人のイニシエーターだった。

 

「お姉さんが戦えず、綾耶さんや蓮太郎さんが不在であるからと言って……易々と突破できると思われるのは……心外ですね」

 

 見晴らしの良い丘の上で、匍匐して狙撃姿勢を取っていたティナ・スプラウトは対物ライフルのスコープから目を外して視界を広くすると、モデル・オウルの特徴である高い視力で一帯を睥睨する。見渡す限りの景色全てが彼女が受け持つ守備範囲である。

 

 本来であれば、いくらイニシエーターが超人的な能力を持つとは言えこの広い戦場を単身で守り切るなど絶対に不可能。だが、ティナにはそれを可能とするものがあった。

 

 それが、機械化兵士としての力。彼女の脳内に埋め込まれたマイクロチップはBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)として機能し、思考するだけで機械を遠隔操作する。これによってティナが操れるのは専用装備である偵察機・シェンフィールドに留まらない。遠隔操作モジュールを搭載した銃器をあらかじめスナイピング・ポイントに設置しておき敵が射線に入った瞬間、それは彼女の意思一つを引き金として火を噴く。発射タイミングは、それぞれのポイントに待機させておいたシェンフィールドで把握する。

 

 当然、それぞれの銃器は初戦からガストレア群の侵攻ルートを割り出し、高所から敵群を狙い撃ち出来る絶好のポジションに設置してある。

 

 ガストレア達は民警軍団の不在によってこれまでなく敵中深くまで侵攻できたと思っていたが、実際は全くの逆。ティナによってまんまと死地へと誘導されていたのだ。

 

 これが、ティナ・スプラウト。

 

 IP序列元98位、モデル・オウルのイニシエーター、黒い風(サイレントキラー)、神算鬼謀の狙撃兵。

 

「ここから先、あなた達は通行止めです。この私が居る限りは」

 

 

 

 

 

 

 

 顔半分が口になったようで、何列にも並んで円を描くように生え揃った鋭い歯を持ったガストレアに噛み付かれて、あるプロモーターは上半身を丸ごと失った。

 

 あるイニシエーターはウィルスごと揮発性の液体を体内に注入されて、ガストレア化するのを待たず電子レンジ中に入れられた犬猫のように小さな体を爆裂させた。

 

 背中合わせに戦っていたペアは、ガストレアが吐き出してきた胃酸を頭から被って全身をドロドロに溶かされた。

 

 地獄絵図。この戦場を表現するのなら、その一言が最も適切だった。

 

 初戦は何とか持ち堪えていたが、しかし第一戦と比べてガストレアはその数を増やし、民警達は数を減らしている。二重の不利はそのまま、戦局に反映されていた。プレイしているゲームの違いがモロに出てしまっている。民警達のゲームはチェスだが、ガストレアのゲームは将棋だ。

 

 元98位のティナや、イニシエーター不在とは言え30位の枢、副団長の長正・朝霞のペアなど要所要所に配置された強兵の存在によってまだ何とか持ち堪えてはいるが、しかしそれも限界が近いように思われた。どれほど強くても一人が守れる場所は一箇所。守りが脆弱な隙間を抜かれるのは、時間の問題だ。

 

「団長、このままでは……!! ぎゃっ!!」

 

 泣きそうな顔で、一人のプロモーターが訴えかけてくる。そのプロモーターは、体高が3メートルもあるオオカミのガストレアに飛び掛かられて喉笛を食いちぎられた。

 

 血の雨を払いながら、枢はそのガストレアの頭を引っ掴むと握力に任せて握り潰した。頭部を失った胴体はふらふらと数歩だけ進んで、地響き立てて倒れた。

 

 手を払ってこびりついた血と脳漿を落とすと、アルデバランの咆哮に負けないぐらいの大声を張り上げる。

 

「お前等!! 後少しだけ持ち堪えろ!! 俺達はディフェンス、もうすぐオフェンスが大将首を取って、戦局をひっくり返す!! それまでは一人十殺で凌げ!! ちなみに俺は、最低でも百匹は仕留めるつもりでいるぜ!」

 

 言いながら、枢は向かってきた蛇のガストレアの頭をネリョチャギ(踵落とし)で踏み潰した。

 

 一瞬だけ戦場がしんと静まり返り、時差を置いて歓声が上がった。

 

「おおおっ!! やるぞ、やってやるぞ!! 一人十殺だコラァッ!!」

 

「団長に負けるな!! 俺達でも二十匹ぐらいは殺してみせるぜ!!」

 

「三十匹殺るまで、俺は死なねぇぞ!!」

 

「俺は四十だ!! くそったれ!!」

 

 檄を受けて、下がりかけていた士気が再燃する。

 

 だがこれは、燃え尽きる前の蝋燭が放つ最後の輝きに近い。メインタンクの燃料が尽きたから、リザーブタンクの燃料を使っているようなものだ。再びガス欠になるのにそう長い時間は掛からない。

 

 残された時間は、少ない。

 

「頼むわよ……エックス」

 

 枢(ルイン・ドゥベ)は演技を忘れて、ひとりごちた。

 

 

 

 

 

 

 

 ガストレア軍団総大将・アルデバランはステージⅣの中でも一際大きなその体躯を活かして、高台になど登らずとも戦場全体を睥睨して全体状況を把握する事が出来た。

 

 何カ所かには強力な敵が配置されていて進行が止められてしまっているが、全体的にはガストレア軍団が押していて民警達が敷く防衛戦は徐々に後退を始めている。このまま行けば遠からず戦線は崩壊し、後はモノリスの穴からこちらの軍勢が東京エリアに雪崩れ込む。それで、全てが終わる。

 

 目算だが彼我の戦力比は3対1から4対1。これだけ数に差があるのなら、区々たる用兵は必要無い。寧ろ小細工を使った方が、付け入る隙を与えてしまう。ここは単純に数に任せて押し潰すのが正解だろう。

 

 作戦を決めたアルデバランは、フェロモンを散布して戦域全てのガストレアに命令を伝達する。

 

 注意すべきは、第一戦で自分の首を刎ねた二人組。あの突破力は脅威である。特に小柄な方は、あるいは自分を殺し得るかも知れない。

 

 そう考えているから、アルデバランは護衛の数を初戦時の3倍に増やしていた。如何に枢・エックスのペアでもこれだけの数のガストレアを倒しきる事は出来ない。仮に出来たとしても、それまでに自分が安全圏に離脱する時間は十分に稼げるとの計算故だ。

 

 アルデバランは、防御陣形を完璧に整えるべく眼下の護衛ガストレア達を見下ろす。

 

 そこで、微かな違和感を覚えた。

 

 護衛ガストレアの数が、多い気がする。

 

 護衛に付けたのは甲殻類や甲虫類、あるいは亀などの防御力に長けたモデル生物をベースとしているステージⅢとⅣの混成部隊だったが……その中に何故か一体だけ、ステージⅠが居る。全身が毛皮に覆われた、クズリのガストレアだ。

 

 何故、ステージⅠがこんな所に居る? 疑問を感じたアルデバランは、取り敢えずフェロモンを飛ばして指示を出そうとしたが……そこで、思いも寄らぬ事態が起きた。

 

 クズリのガストレアの全身の体毛が、急激に失われていく。正確には段々と短くなって、最終的には皮膚に埋没していく。手足は段々と縮んでいって、爪は退化して代わりに5本の指が取って代わる。顔つきも、鼻に当たる部分が徐々に引っ込んでいってのっぺりとした平面的なものになっていく。

 

 まるでウィルス侵食率が限界に達した人間が形象崩壊してガストレア化する過程を、逆再生しているかのようだ。

 

 ものの数秒としない間に、そのステージⅠの姿は一変していた。アルデバランに致命傷を与えた強大なイニシエーター、モデル・ウルヴァリンのエックスの姿に。

 

 護衛ガストレア達も、いきなり本陣に敵が現れた事には驚いたらしい。動きは鈍く、驚愕と戸惑いが感じられる。

 

「……久し振り」

 

 完全に人間の姿を取り戻したエックスが、アルデバランに凄絶な笑みを向けた。まるで肉食獣が獲物を前に牙を剥いているようである。

 

 これが他のイニシエーターには真似の出来ない、ガストレアウィルス適合因子を持つ者だけに許された戦法だった。

 

 ルイン達からもたらされたガストレアウィルス適合因子は、呪われた子供たちが持つ抑制因子とは異なりウイルスの侵食を完全に抑えて宿主の体と共存させ、形象崩壊をコントロールして人間とガストレアの姿を自由に行き来する事さえ可能とする。ルイン達は感染源を持たないモデル・ブランクのウィルスを保菌する為にどんな姿にでも変身できるが、それ以外の適合因子持ちイニシエーターはモデル生物のガストレアにしか姿を変えられない。

 

 完全にガストレア化してしまうと、巨体を得たりパワーがアップするというメリットはあるものの人間の体で訓練した技術や武器が使えなくなるなどデメリットも大きい為、普段は使わないが……この力は今回のようなケースでは、非常に有効だった。

 

 当然だがアルデバランも、ガストレアの姿に変身できるイニシエーターの存在など全くの想定外。この盲点を衝いて、クズリのガストレアに変身したエックスは全くのフリーパスで二千以上のガストレアの海原を渡り切り、単身本丸にまで乗り込んできていたのだ。

 

 握り拳を作る。二対三本、合計6つの超バラニウムの爪が姿を現す。

 

「……死ね、アルマジロ野郎」

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ!!」

 

 ぴかりと剣閃が走り、ガストレアを両断。

 

 木更は残心の構えのまま、周囲に気を配る。どん、と背中に小さな何かが当たる感覚がする。いちいち振り返って見たりはしない。後ろにいるのは彼女のパートナー、夏世だ。モデル・ドルフィンのイニシエーターは弾切れしたショットガンを投棄、サブマシンガンに持ち替えながらこちらも油断無く木更の死角を見張っている。

 

 蓮太郎が特別任務で不在の今、木更がリーダー代行としてアジュバントを指揮している。彼と延珠の不在は痛いが、それでも序列1000番台以上のペアや天童流の手練れを擁するこのアジュバントは強い。押し寄せるガストレアを前に、一歩も引かない戦い振りを見せていた。

 

「全員無事!?」

 

「俺っちは生きてますぜ、姐さん!!」

 

「あたしも!!」

 

 片桐兄妹が、意気の良い返事と共に駆けてくる。

 

「翠は!?」

 

 ガストレア数体が爆散して生まれた血と泥のぬかるみを踏み越えて現れた彰麿は、普段の彼からは考えられないほどに狼狽していた。

 

「そう言えばさっき……向こうの方に走っていくのがちらりと見えたような……」

 

 夏世のその言葉を受け、里見アジュバントの面々は残らず最悪の事態を想像して青くした顔を見合わせた。

 

「ちっ!!」

 

 だがそれも一瞬の事。最初に彰麿が、一拍遅れて他の全員が夏世の指差した方へ駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

「もう大丈夫ですから……きゃっ!?」

 

 翠の腕には、両足を失ったイニシエーターが抱かれていた。

 

 この子と彼女は親しい間柄ではない。寧ろ、他人に近い。キャンプ地でたまたま何度か顔を合わせて、目礼を交わすぐらいの関係だった。

 

 それでも、戦場の只中でプロモーターとはぐれ、しかも両足を失って逃げる事も出来ないような状況に置かれているのを見れば、助けようと動くのは当然だろう。しかし、それこそが罠だった。駆け寄ってその体に触れた瞬間、足下の砂地が沈んで漏斗状の穴が発生した。

 

 そして逆さにした円錐の頂点に当たる部分から、巨大な顎を持ったガストレアが姿を現した。姿が変形し過ぎて殆ど原形を留めてはいないが、恐らくはアリジゴクの因子をベースとして持つ個体だ。重傷を負ったイニシエーターは、生き餌だったのだ。敢えて殺さずに、助けに来た者を新たな獲物として引きずり込む為の。

 

「くっ……」

 

 逃れようともがく翠だが、これは悪手だった。

 

 アリジゴクは暴れれば暴れるほど、嵌った獲物はより早く穴の終端へと引き込まれていく。砂漠の流砂に引き込まれたように、緩やかな死を待つだけの状況。だが、穴に呑み込まれて窒息死する心配は無さそうだった。その前に、大量のウィルスを注入されてガストレア化するだろう。

 

 ガストレアの顎がバカリと開いて、噛み付こうと迫ってくる。

 

「……っ!!」

 

 数秒後に襲ってくるだろう痛みを覚悟して、翠は名も知らぬイニシエーターの体を強く抱き締めるときゅっと目を瞑る。

 

 その時だった。

 

『その子を、しっかりと掴んでいなさい』

 

 静かで、だが良く響く声が聞こえた。

 

 いや、聞こえたという表現は正確ではない。発された声が空気を伝わって鼓膜を震わせて脳に届いたのではなく、直接翠の脳にその声が響き渡ったような感覚だった。彼女はこの感覚を、数日前にも一度体験している。

 

 同時に、翠の全身を包み込むように凄い力が掛かった。まるで見えない巨人が、彼女ともう一人のイニシエーターを鷲掴みにしたようだった。

 

 そのまま、二人は一気にアリジゴクから引き上げられて空中を舞った。

 

「ふっ!!」

 

 猫の因子がもたらすバランス感覚で、翠は空中で完璧に姿勢を制御、見事な着地を見せる。そうしてきょろきょろと視線を動かした彼女の目に入ってきたのは、思った通りの人物の姿だった。

 

「あなたは……!!」

 

 獲物を後少しの所で奪われたアリジゴクのガストレアは、怒りの咆哮を上げながら自分の陣地から出て、邪魔した者へと牙を剥く。

 

「二人とも、耳も塞いで口を開けなさい」

 

 今度は、肉声だった。その声に従って、翠ももう一人のイニシエーターも耳に両手を当てて「んあ」と口を開く。

 

 次の瞬間、視界が白くなった。同時に、響き渡る轟音。

 

 巨大な雷が、天から落ちてきたようだった。

 

 電光に打たれたガストレアは、倒れる暇すら無く闖入者へと襲い掛かろうとした姿勢のまま、黒コゲになって絶命していた。やがて風が吹いて、炭化していたその体はボロボロと崩れて形を失っていく。

 

「あ……あの……」

 

 茫然自失だったイニシエーターだったが、やっと事態を理解して礼を言おうとする。だが、その言葉は制された。

 

「それは……生きて帰れてからにとっておきなさい」

 

 顎をしゃくったその動きに釣られるようにして翠が目線を動かすと、いつの間にか自分達の周囲ぐるりを無数の紅い光点が取り囲んでいるのが分かった。

 

「翠ちゃんは、その子を守って」

 

「はい……」

 

 ばちっ!!

 

 紫電が走る。

 

「大丈夫……その子も、あなたも……必ず私が衛るから……必ず……生きて、みんなの元に帰る……!!」

 

 ばちばちっ!!

 

 火花が散る。

 

「大丈夫。必ず、助けるから」

 

 ごろごろと、天すらもが呼応しているかのように空がにわかに掻き曇り、雷音が轟いた。

 

 電光を纏うそのイニシエーターは僅かな恐れも見せず、絶対の自信、否、確信を漲らせてガストレアの軍勢と相対する。

 

「道(そこ)を……退(ど)け!!」

 

 

 

 ソニア・ライアン アメリカ国籍

 

 10歳 ♀ 141cm 34kg

 

 モデル・エレクトリックイール -デンキウナギ-

 

 IP序列・元11位

 

 

 

 『星を統べる雷帝(マスターオブライトニング)』復活。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。