ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第33話 束の間の静寂

 

 開始直後に枢・エックスペアの指揮官突撃、降り注いだ光の槍と波乱の第一戦終結から半日ほどが過ぎ、疲れ切った蓮太郎は外周区の奥まった所にある中学校の、体育館へと足を運んでいた。確かここへは負傷者が収容されており、今は木更達が働いている筈だ。

 

 ガストレアが退いた後、プロモーター全員で行った自衛隊の生存者の捜索。しかしこれは実際には死体の確認・収容作業と言い換えた方が正しいようにすら思えた。最終的に発見できた生き残り自衛官は68人。参戦した自衛隊の歩兵師団が7000人強であったので、その100分の1にも満たぬ数字であった。無論、無傷の者など一人も居らず手足が欠損している者も少なくなかった。

 

 それ以上に、瓦礫を掘り起こして手が見えたので引っ張ったら異様に軽く、それもその筈でその手は肘の辺りで千切れていたり、岩だと思って持ち上げたら妙に弾力があって、それが実は人の頭だったりしたような体験が5分ごとに襲い掛かってくるのだ。彼ならずとも気が滅入るであろう。この捜索活動がプロモーターのみで行われたのも納得である。イニシエーターを連れてきていたら、戦意を喪失したり泣き出したりPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したりする子が後を絶たなかったであろう。

 

 しかし体育館の中とて、決してリラックスできる環境とは言えなかった。そこは、さながら野戦病院の様相を呈していた。

 

 負傷した自衛官や民警が所狭しと寝かされていて、足の踏み場も無い。敷かれたブルーシートやゴザの隙間を縫うようにして、白衣を着た看護師や有志の医師が動き回っている。無数の人の体温でむわっとした不快な熱気に包まれていて、蓮太郎は思わずネクタイを緩めた。

 

「あ、蓮太郎蓮太郎」

 

 ぱたぱたと駆けてくるのは延珠だった。頭には小さなナースキャップを被っている。

 

「可愛いだろう? 手伝ったらくれたのだ。職員はこれを付けるんだって」

 

「そ、そうか……邪魔してないか?」

 

「そんな事ないわよ。延珠ちゃん、とても評判が良いのよ。怪我した人の手をじっと握ってあげて、一緒に居てくれるのが凄く良いって」

 

 声を掛けてくるのはお湯の入った洗面器を手にした木更だ。彼女も延珠と同じでナースキャップを被っている。

 

「ほら、綾耶ちゃんもあそこに……」

 

 木更はそう言って体育館の一角を指差して……そして、笑顔が強張った。

 

 綾耶は左手と右脚を失ったプロモーターの傍らに跪いて、両手を組んで祈っていた。今の彼女は聖室護衛隊の外套を脱いでいて、トレードマークの修道服から本物のシスターのように見えた。この体育館は大声を上げなければ隣の者の声も聞こえないぐらいの熱気と喧噪に満ちていたが、祈りを捧げる彼女の周りだけは全ての音が消えてひんやりとした静謐な空気が降りてきているようだった。

 

 横になっているプロモーターは、もう動いていなかった。

 

 綾耶は何も言わずにプロモーターを横抱きにして軽々持ち上げると、蓮太郎が入ってきたのとは違う出入り口から外へ出て行く。彼を、送りに行ったのだ。蓮太郎も延珠も木更も、声を掛ける事が出来なかった。

 

「あ……その……よ……」

 

 何とか空気を変えようと話題を探す蓮太郎だが、気の利いた台詞など何も浮かんではこない。木更も延珠も、互いに顔を見合わせるだけだ。ほんの何秒かの間だけだが、とてつもない居心地の悪さを感じて延珠は体を揺すった。

 

 そんな雰囲気を打ち破ったのは、カツンカツンと床を突く杖の音としわがれた声だった。

 

「ああ、里見さん、天童さんも……延珠ちゃんも……皆、無事で何よりです」

 

 現れたのは綾耶の実家でもある第39区第三小学校に呪われた子供たちを集め、彼女達を教えている松崎老人であった。木更と延珠は「えっ」と驚きの声を上げて、蓮太郎は眼をぱちくりさせた。

 

「どうしてあんたがここに?」

 

「子供たちだけで、こんな所に来させる訳には行かないでしょ? 私達は保護者よ」

 

 すぐ後ろから掛けられた声に振り返ると、そこに立っていたのは松崎と同じく子供たちの教師を務めている琉生(るい)だった。すぐ傍らにはアンナマリーが控えている。回帰の炎を見学に行った時、もしガストレアが襲ってきたら琉生と一緒に他の子供たちを護ると言った子であり、蓮太郎にはそれが強く印象に残っていた。

 

「保護者……って……」

 

 だがそう言われて注意深く見てみると、延珠や先程の綾耶と同じように負傷者の傍には少女達が付いていて、手を握ったりぎこちない動きで薬を塗ったり包帯を取り替えたりしている。その数はかなり多く見えた。そして少女達の中には確かに、蓮太郎や延珠の見知った顔が混じっている。

 

「見ろ、蓮太郎。あれはマリアだぞ、ササナちゃんも居る。あそこには沙希ちゃんも……!!」

 

 延珠が弾んだ声を上げた。こんな所で、学校のみんなに会う事になるなんて思ってもみなかった。

 

「みんな、先生も延珠ちゃんも綾耶お姉ちゃんも頑張ってるのに自分達だけ何もしないなんてイヤだって聞かなくてね……自分達でも怪我人の手当や、賄いの手伝いなら出来るって……ね」

 

「あんた……」

 

 単純かつ素直に喜べる延珠と違って、蓮太郎と木更は難しい顔だ。子供たちの気持ちが嬉しくないと言えば嘘になるが……しかし松崎や琉生が子供たちの保護者なら、彼女等が何と言おうがここへ来るのを止めるべきではなかったのか。ここは戦場の眼と鼻の先。ガストレアの大群が雪崩れ込んできたその時、逃げられる可能性は絶無だ。そんな所に子供たちを連れてくるのは保護者や大人として以前に人として間違った行いではなかろうか。

 

 松崎も琉生も、互いを見やって苦笑する。二人とも、言われるまでもなくそのような考えには既に思い至って何度も考えたのだろう。全て承知でその上で、子供たちを連れて此処へやって来たのだ。

 

「……心配はしてないわ。私達は安全よ」

 

 アンナマリーは飄々と笑いながら語る。何を根拠に……と、蓮太郎が言うより早く松崎が口を開いた。

 

「綾耶ちゃんや延珠ちゃん、それに里見先生の力は、十分に知っていますからね。その上での判断ですよ」

 

「うぐっ……だがなぁ……」

 

 そこまで信頼されて、それに応えたいというのは間違いなく蓮太郎の本音ではあるが……しかしやはり、子供たちをこんな戦場一歩手前の所にまで連れてきているというのは……!! 二つの感情がせめぎ合って、しかしどちらも完全に肯定も否定も出来ずに蓮太郎はむむむと唸る。その時、負傷者の手を握っていた子の一人が彼に気付いた。

 

「あ、里見先生!!」

 

 その子が声を上げると、後はもうイモヅル式だった。

 

「えっ!! 里見先生が!?」

 

「ホントだ!! 先生だよ!!」

 

「せんせーっ!!」

 

 あっという間に子供たちが群がってきて、蓮太郎はもみくちゃにされる。延珠もどさくさに紛れてパートナーの腕に抱き付いてくる。木更は隅っこで「どーせ私は評価保留で不人気の木更先生ですよ」と拗ねていて、見かねた夏世がポンと肩に手を置いて慰めていた。

 

 怪我人と死人が溢れているこの体育館に於いて、この一角だけは全く雰囲気が違っていてまるで花が咲いたようだった。

 

 蓮太郎は色々と言いたい事もあったが、何か……もう、どうでも良くなった。こうして皆の笑顔に囲まれているだけで、どこかほっとする。何時間か前までは死ぬような思いをしたものだが、彼女達の笑顔が見れただけでも死闘を潜り抜け、こうして生きていて良かったと思えた。

 

「ホント……バカだよな、お前等……こんな所に、自分から来るなんてよ」

 

 ふん、と鼻を鳴らす。まぁ……自分が為すべき事は変わらない。ガストレア軍団の攻撃を防ぎ切り、東京エリアを……こいつらを衛る。

 

 寧ろ、これでより決意が確固たるものになった。

 

 子供たちが前線一歩手前の此処へと来てしまった以上、ガストレア軍団の突破を許せば最初に犠牲となるのは彼女達だ。

 

「これで、ますます負ける訳には行かなくなったな……」

 

 昔の自分なら防ぎきれなかった時の事を想像して、怯えていただろうと蓮太郎は思う。今は違う。彼は中国で言う抱拳礼のように掌に拳を叩き付けた。

 

 そんな事には、断じてさせない。これはある意味では背水の陣。一体でもガストレアを通したら全てが終わる……の、ならば。絶対に一体のガストレアも最終防衛ラインを越えさせはしない。かえって開き直れるというものだ。

 

 疲れた心身に、闘志が湧いて満ちていくのが分かる。

 

「まぁ……心配は要らねぇよ。お前等は俺が……」

 

 言い掛けて、蓮太郎は右手にぎゅっと抱き付いている延珠を見やった。兎のイニシエーターは相棒の意を汲み取り、にかっと輝くような笑顔を見せる。木更は……まだいじけていて夏世が頭を撫でてやっていた。

 

「あー……俺達が、ちゃんと衛ってやるからよ。だから安心して待ってろ。そして俺も延珠も木更さんも夏世も、勿論綾耶も。必ず全員無事で戻ってくるからよ。俺達を信じろ」

 

 誰かさんのせいでイマイチ締まらないが、蓮太郎は少しだけ顔を赤くしながら子供たちに語り掛ける。

 

 この言葉は宝くじが当たる事を期待するような……出来もしない事、有り得る筈もない事が起こってくれと願うような虫の良い祈りなどでは決してない。何があろうと絶対に成し遂げるという決意だった。

 

 そして、ぐっと親指を立てる。

 

「あ、あいるびーばっく……とらすとみー」

 

 次の瞬間、子供たちの笑顔が凍り付いて動きまでもぴたりと止まってしまった。全員がきょとんと眼を丸くして、首を傾げる。延珠でさえ「蓮太郎、流石にそれはないと思うぞ」と引き攣った笑顔でコメントする始末である。

 

「おいおい、君がハリウッド俳優って顔か? 下手くそな演技は許すとしても、せめて照れずに言えるようになれ。後、筋肉が絶対的に足りてないな。せめて車に轢かれても飛行機から飛び降りてもびくともせず、電話ボックスを持ち上げられるぐらいには鍛えたまえ。だがまぁ……今の君にその台詞は少しは似合っているよ。男子三日会わざれば刮目して見よと言うが……あの言葉は本当だね」

 

 からから笑いながら現れたのは検死官・室戸菫。彼女は医療班の統括として招聘されていた。

 

「先生……あんたはもっと頭の良い人間だと思ってたんだけどな」

 

 皮肉気に、蓮太郎が言う。こんな所に来るなどバカの所行だというのは一貫した彼の見解である。少なくとも生存率を上げるという目的の上では、論理的ではない。

 

「人は理屈で考え、感情で行動するのさ。それに……私も、君や綾耶ちゃんを見ていて教えられた事が一つあるんだ」

 

「何だ?」

 

「成功する確率が高いからするんじゃない。そう行動するべきだと、自分が信じているからやるんだ。君は違うのかね?」

 

「……いいや。違わないな」

 

 苦笑いして頷きながらも蓮太郎は脳内の冷静な部分で理解はしている。ソニアという2位以下を周回遅れレベルでブッちぎっている最強戦力が戦えない現状、民警軍団の勝率は決して高くない。寧ろ、敗北の可能性の方が大きいぐらいだ。

 

 だが、だからと言って戦う事を止めるか? 何もせず、抗わずに只滅ぼされるのを是とするのか? 答えは否。断じて否だ。そして、これは戦わずには死なないというような捨て鉢の心とは絶対に違う。戦い、勝って、皆を護り、未来を創る。今の自分には使命がある。だから、ここに居る。

 

 菫も同じだ。(比較的)安全なシェルターの中でガストレアに怯えながら自衛隊と民警の勝利を祈る事が、為すべき事ではないと彼女は知っている。望む未来を手に入れる為に力の限りを尽くす事。その為に戦っている者達の背を押す事。それが己の為すべき事だと理解しているから、彼女は今ここに居るのだ。

 

「……ありがとな、先生」

 

「……こちらこそ、ね」

 

 不健康な顔へ目一杯の笑みを浮かべた菫が頷く。そうして彼女が怪我人の治療を再開しようとした時だった。

 

「……賑やかね」

 

 ぼそりと、感情をまるで読み取れない合成音のような声が掛けられる。蓮太郎達がそちらに視線を向けると、いつの間に現れたのか一人のイニシエーターが立っていた。

 

 健康的な日焼けした肌に、短めの黒髪。強い意思を感じさせる鋭い眼光、子供ながらに引き締まった肢体。

 

「エックスか」

 

 東京エリアのエースである、モデル・ウルヴァリン。クズリのイニシエーターがそこに居た。

 

「団長からの指令を伝えに来た。里見リーダーのアジュバント各員と室戸医師は、今から30分後に仮説司令部に出頭するように」

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎のアジュバントはエックスに案内されて中学校の本校舎、その2階にある会議室へと通された。此処が現在、民警軍団の仮説司令部として使用されている。

 

 そこには以前のブリーフィングで召集されたアンダー1000のペア達の他、各アジュバントの中隊長達がずらりと顔を並べていた。軍団長である枢は会議室の一番奥まった上座にどっかりと腰を下ろしている。窓際にはオブザーバーのように綾耶とティナが立っていた。この二人は聖天子の直轄であり正規のイニシエーターではないので、暫定的に軍団長である枢へと指揮権が委譲されていると蓮太郎は耳に挟んでいた。

 

「ああ、良く来てくれたな、兄ちゃん達。まぁ、架けてくれ」

 

 いつも通りの気さくな口調で、枢は空いていた席を勧めてくる。蓮太郎達はそれぞれ顔を見合わせた後、最初に蓮太郎が、後は木更、玉樹、彰麿がほぼ同時に着席してそれぞれのイニシエーターは一朝事あればすぐプロモーターを守れるよう、傍らに立った。菫はやや離れた所で壁にもたれ掛かる。

 

「団長、今回は何で俺達を呼んだんだ?」

 

 蓮太郎もまたいつも通りぶっきらぼうな口調だった。これを受けてプロモーター数名からじろりと睨まれるが、他ならぬ枢が「まぁまぁ」と一同を制した。

 

「物事には順番がある。まず兄ちゃんは、現在の状況が把握できているか?」

 

「……どこも頑張ってはいたが、全体的に押されがち。もし後3時間も戦闘が継続されていたら、どこかが破られていたかも知れないな」

 

 蓮太郎の回答は枢を満足させるものであったらしい。「そこまで分かってるなら十分だ」と首肯する。

 

「今し方兄ちゃんの言った通り、互いの戦力は五分に近くはあるがまだこちらのが不利だった。しかもこれは、あくまで初戦での話だ」

 

 言いたい事が分かるか? と言いたげにじろりと睨まれて、蓮太郎は頷く。彼には話の肝が理解出来ていた。一方で延珠は良く分からなかったらしく、隣に立っていた夏世に助けを求めるような視線を送った。

 

「ガストレアは殺した人間にウィルスを注入してガストレア化、自分達の戦力として運用してきます。つまり初戦でこちらに出た被害の何割かの戦力が、そのまま敵軍へと組み込まれて私達が不利になるんです」

 

 民警軍団のゲームはチェスだが、ガストレアのゲームは将棋だ。こちらの駒は倒されればそれまでだが、向こうは倒れたこちらの駒を使ってくる。

 

「ざっくりとした計算だが……現在の戦力比はガストレアが2400体に対して、俺達は700人」

 

 単純な数の差だけでも3倍以上。しかもこの700人というのはあくまでも生き残りの総数であり、イニシエーターを失って戦力を激減させたペアもあればその逆で指揮系統を失ったペアもあるだろう。更にはイニシエーターの中には、十歳にもならない未熟な精神で過酷な戦場を経験した事で心に深い傷を負い、戦えなくなった者も多い筈だ。それを考えると実質的な戦力は3分の1程度。つまり、200人強と見た方が良いだろう。

 

 およそ10倍の戦力差。この場の何人かはその計算に行き着いているらしく顔を青くして、諦めているように見える。蓮太郎も自分で考えて思わず心が折れ掛けたが、子供たちの顔を思い浮かべてぶるぶると頭を振った。

 

「だが、良いニュースもある」

 

 と、枢のすぐ隣の席に座る副団長・長正が発言した。

 

「室戸医師、お願いする」

 

「ああ」

 

 菫はのっそりと背中を壁から離して、会議室の真ん中へと進み出てくる。そしてぐるりと回って一同を見渡した後、語り始めた。

 

「今回、一色軍団長や我堂副団長からの報告によると、ガストレア達が異常なまでに統率された動きを見せていたらしいね。そのカラクリについて、ガストレアの死体を解析して分かった事がある。手品のタネは、フェロモンだ」

 

「フェロモン?」

 

 場の誰かが鸚鵡返しで言ったその言葉に菫は頷いて返すと、説明を続けていく。

 

「フェロモンと言うと異性が惹かれ合う時に体から分泌されるのが一般的だが、実際には無数の効果特性を持ったフェロモンが存在する。例えば……」

 

 菫は白衣のポケットから、液体の入った小瓶を取り出す。

 

「これは集合フェロモンだね。例えばゴキブリのような昆虫の糞に含まれている。ゴキブリは本来集合フェロモンのある巣の中で密集して生活しているんだ。これを使って仲間を集めているのさ。逆に、仲間があまりにも密集し過ぎた時に使う「拡散フェロモン」なんてのもある。他にも、「警戒フェロモン」「気分転換フェロモン」「道しるべフェロモン」……確認されているだけで1600種類以上もある。恐らく、アルデバランは他の未知のフェロモンをも併用して、2000を越えるガストレアの群れを完璧に統率しているんだ」

 

 ここまでは、良いニュースどころかバッドニュースがワーストニュースになったように聞こえた。只でさえ民警軍団は烏合の衆で統率など期待する方が間違っていると言うのに、ガストレアは一糸乱れぬ指揮系統を持って攻めてくる。

 

 本能の赴くまま攻めてくる敵に対して、こちらは作戦を立てて行動して弱点を衝ける。それがガストレアに対する人間側に有利な点の一つであるのに、その利点が潰される形となってしまっている。

 

 いよいよ状況が絶望的であると突き付けられ、何人かは「もう駄目だ」とでも言い出しそうな顔になるが、枢がぱんぱんと手を叩いて場を統制した。

 

「お前等、今の説明を良く聞いていなかったのか? つまり、ガストレア軍団はアルデバランが全て統率しているって事だ。流石にそんな能力を持った奴が他に何体も居るとは考えにくいからな。仮にそうだとしたら、もっと前に集団行動するガストレアの存在が確認されていただろうぜ。分かるか? 俺達は2400のガストレアを全て倒す必要は無ぇ。アルデバラン1体さえ倒せばいい。そうすりゃガストレア軍団は統制を失い、雑魚の群れに成り下がる。後はキノコ狩りでもするつもりで各個撃破していきゃ良い。その内に奴等は潰走を初め、やがて代替モノリスが届くってぇ寸法よ」

 

 詰まる所、これは700対2400の戦いではなく、700対1の戦い。枢が言いたいのはそういう事だ。

 

 実際には違うが、しかしこうした”詭弁”は萎えかけた士気を回復させる為には効果的であった。ちらほらと「それならやれるかも」「戦力を集中させれば」などという声が上がる。

 

 しかし、実際にはそれも容易な事ではない。

 

「……アルデバランには、バラニウムの再生阻害が効かない」

 

 ここで発言したのはエックスだった。彼女の発言を受けて「こんな末端の戦闘員に重要な情報を渡す必要など無い!!」と中隊長の一人が抗議の声を上げるが、やはり枢が制した。彼曰く「何かあったらプロモーターの俺が責任を取る。それに兄ちゃんの序列は300位で、俺と長正の次だ。知る権利は十分だろ」との事である。

 

 シャキーン!!

 

 握り締めたエックスの右手から、3本の鉤爪が飛び出す。

 

「初戦で、敵陣深く侵入した私はこの爪で確実にアルデバランの首を落とし、心臓を破壊した。でも、奴を殺す事は出来なかった。傷口は徐々に再生を始めて、失った頭が生えてきた」

 

「俺は再生するならミリ単位で切り刻むように指示したが、傷付いたアルデバランが……今にして思えばあれはフェロモンで指示したんだろうな。周囲からガストレアを集め始めて、そいつらに阻まれて撤退を許してしまった」

 

 枢の補足説明を受けて成る程、と蓮太郎達は納得する。第一戦の終盤でアルデバランの咆哮と共にガストレアが退いていったのにはそうした経緯があったという訳だ。

 

「でも……何とか、そこで仕留めておきたかったですね」

 

 と、木更。今の話を聞く限り、例えバラニウムの再生阻害無力化や頭部・心臓の再生が本当だとしてもエックスならばアルデバランを殺す事は可能かも知れないが……しかし初戦でそれが出来なかった事が悔やまれる。敵もバカではない。自分を殺し得る存在が敵にいるとなれば、次に来る時は用心深く護衛ガストレアを増やしていたり急所をしっかり守るように行動すると想像できる。

 

「加えて、いつ降ってくるか分からない「光の槍」……綾耶の嬢ちゃんからの報告で、光の槍は圧力を掛けて発射される水銀である事は分かっている。象かテッポウウオか、液体を放つ特性を持つ動物がモデルのガストレアだろう」

 

「我々は今後、そのガストレアをアルデバランに並ぶ脅威と認定してプレヤデスと呼称する事に決めた」

 

 アルデバランは牡牛座、金牛宮の主星。そしてプレヤデスは同じく牡牛座の中心星団である。

 

「……どちらも、かつて金牛宮(双葉ちゃん)が率いていた軍団のガストレアのコードネームとしては……相応しいわね……」

 

 誰にも聞こえないよう、枢(ルイン・ドゥベ)は口内でごちる。そうして咳払いを一つすると、座り直して蓮太郎達を見据えた。

 

「で、だ。ここからが本題だが……このプレヤデス排除の為に、兄ちゃん達から戦力を出して欲しい。具体的には、里見蓮太郎リーダー、あんたとそのパートナー・藍原延珠に、プレヤデス討伐チームに参加してもらいてぇんだ。このままだと俺達は眼前のガストレアと戦いながら頭上にも常に注意を払わなくてはならず、それじゃあ勝負にならねぇ。逆にプレヤデスを排除出来れば、航空戦力も使えるようになって俺達は圧倒的に有利になる」

 

「待って下さい、団長!! それは……!!」

 

 木更が抗議の声を上げるが、蓮太郎がばっと腕を上げて制した。

 

「里見君!!」

 

「まぁ、待てよ木更さん。まずは話を聞いてみようじゃないか」

 

 そう言うと蓮太郎は目線を送って「続けてくれ」と枢に合図する。

 

「既にチームの編成は考えてある。里見リーダーには、そのチームの指揮官を務めてもらいてぇんだ」

 

「だが……こりゃ殆ど自殺行為だぜ? 勝算はあるのか?」

 

 玉樹の疑問も尤もである。任務の性質上、プレヤデス討伐チームはどうしても2000体以上のガストレア軍の只中へと突入する形になる。

 

「……少なくとも、成功させられる可能性のある能力を持ったメンバーを俺は選んでる」

 

「チームの規模はどれほどになる? 多すぎても少なすぎても、任務の達成は困難になるだろう」

 

 次に発言したのは彰麿だった。彼の意見もまた正論である。あまり大勢で行動しては、ガストレア達に発見されやすくなってプレヤデスに近付く前に迎撃されてしまう。かといって一人や二人では、不測の事態に対応しきれない。何人のチームで行動するか、これも難しい問題だと言える。

 

 勿論、これは枢にとっても既に想定していた質問であった。

 

「まず、バイザーの兄ちゃんの質問に答えよう。討伐チームは全部で4名、プロモーター1名とイニシエーター3名の変則的な編成を考えてる」

 

「4名か……」

 

 彰麿は腕組みして、ひとまずの納得を示した顔になる。4名全員を精鋭で固める事が前提だが、それぐらいの人数が隠密性と戦力とを両立させられるギリギリの一線だろう。

 

「で、次に金髪の兄ちゃんの質問に対する答えだが……正直、成功する確率は高くない。だからメンバーには戦力になると同時に、失敗時には生存率を可能な限り高められる奴を選んでる」

 

 団長のその言葉が合図だったのだろう。二人のイニシエーターが、ずいと進み出る。

 

 一人は橙色の髪をポニーテールに束ね、黄色いTシャツと紅い短パンというラフな格好をした快活そうな印象を受ける女の子。序列444位、モデル・オルカのティコ・シンプソンだ。そしてもう一人は……

 

「綾耶、お主が……!!」

 

 驚いた様子の親友に、綾耶は微笑しつつ軽く手を振って応じた。

 

 この人選を受けて玉樹も「成る程」と一応の納得を見せる。この二人のイニシエーターが持つ能力は、確かに生存率を高める事に向いている。

 

 ティコのエコーロケーションはガストレア群の位置を察知し、潜入時・撤退時共に敵との接触を避ける事に役立つだろう。

 

 綾耶の飛行能力は、任務失敗時に逃走するにはうってつけだ。付け加えるなら討伐メンバーの4名という人数は彼女の能力を考慮してのものでもある。体格にもよるが自分の他に3名が、綾耶が抱えて飛べる限界人数なのだ。

 

 この二人に延珠を含めた3名の指揮を蓮太郎が執る事を依頼されている訳だが……

 

 延珠は分かる。彼女は蓮太郎のイニシエーターなのだから、蓮太郎が参加するなら延珠も付いてくるのは必然だろう。だがそもそも、

 

「何故……俺なんだ?」

 

「……無礼を承知で言うが……兄ちゃんが機械化兵士だからだ。生身の他の奴が行くよりも、生き残る可能性は高いだろ」

 

 尤も、これは半分嘘でもある。生き残る可能性の高さで言えば、“ルイン”の化身でありとあらゆる環境や外敵に適応する進化能力を持つ枢が最も高い。無論、正体に関しては明かす訳には行かないので無意味な仮定だが。

 

「……まぁ、そうだよな」

 

 一方、そうとは知らない蓮太郎は他の取って付けたような理由でない事に安堵していた。この依頼が自分を体良く謀殺しようとする企みでない事ははっきりした。仮にそうだとするなら蓮太郎を殺す事は出来ても、同時に延珠、綾耶、ティコといった強力なイニシエーターをも失ってしまう。いくら何でも手間と効果が圧倒的に釣り合っていない。大雑把な印象を受ける枢だが、今までの行動を見る限り判断自体は非常に適切だ。彼ならそんな愚行は犯さないだろう。

 

「でも……里見君!!」

 

 木更が再び抗議の声を上げる。彼女の反応も当然である。いくら生存率を高める工夫をしても、元々が2000以上の敵の大海原にダイブしろという無理無茶無謀の三拍子揃った特攻・自殺行為としか言い様の無い作戦……と言うよりも起死回生の一手なのである。恐らくは成功率は一割あれば良いという所だろう。社長としてそんな作戦を社員に強いる訳に行かないというのは道理だ。

 

 彼女の反応も、枢にとっては予測できた事なのだろう。嘆息一つして、彼は蓮太郎に向き直る。

 

「……危険な任務ではある。断ってくれても構わない。その時はその時、また別の手を考えるさ。今ここで判断が付かないってぇなら、十分とは言えないが考える時間を……」

 

「必要無ぇ」

 

 枢の言葉は、蓮太郎が一声で切って捨てた。

 

「……まぁ、無理も無いな」

 

 諦めと失望が半々という顔で、長正は目を伏せた。こんな無茶な作戦なのだ。断っても誰も責められない。だが、

 

「「違ぇよ」」

 

 今度は枢と蓮太郎の声が重なった。

 

「では……」

 

「里見君!!」

 

「正気か? ボーイ!!」

 

「里見……!! 蛮勇で飛び込むなら、止めておく事だ」

 

 この会話が意味する所を悟った里見アジュバントのプロモーター達が、彼を止めようと次々詰め寄ってくる。イルカと蜘蛛と猫のイニシエーターも同じ反応だ。だが、蓮太郎はもう決めていた。

 

 死ぬのは怖くない……と、言えば嘘になるが、彼にはもっと怖い事があった。

 

 このまま自分の命惜しさにプレヤデスを放置して、それで民警軍団が敗北したら学校の子供たちは、菫は、未織は、聖天子様はどうなるのか。その未来を想像すると、背中に冷たいものが走るようだった。そうさせない為に。死ぬ為ではなく、生きる為に。

 

 蓮太郎は先刻の、体育館での菫との会話を思い出していた。

 

 成功する確率が高いからやるのではない。そう行動するべきだと、自分が信じているから。だから。

 

「その任務、受けるよ。やらせてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 クチャ……クチャ……ガッ、ガッ……

 

 静かな森の中に、耳障りな咀嚼音が木霊していく。

 

 その音を発しているのは、軽く百人以上は居るであろう黒いローブを羽織った少女達だった。

 

 ここは初戦で、666位のイニシエーター・数多群星(あまたむるか)が何十人もの軍団でガストレア群の侵攻を防いでいたポイントであった。黒いローブの集団はやはり全員が群星と同じ顔をしていて、彼女達は缶詰やカロリーメイト、軍用レーションを咀嚼し、嚥下する作業を一心不乱に行っていた。

 

 これほどの食事を必要とするのは、彼女達の固有特性に起因している。

 

 この時、無数の群星の一人の腹から彼女と同じ顔をした頭が生えてきて、次には胸と背中から手足が伸びてきて、それはどんどん大きくなってやがて五体の全てが”生え揃う”と、元となった方の群星から完全に切り離されてもう一人の数多群星となる。産まれたばかりの群星は木の陰に隠してあった予備の黒いローブを羽織ると、彼女もまた食事を平らげる作業に没頭し始めた。

 

 人間の体から人間が生えてくるというおぞましい光景だが、群星達は一人として驚いた様子がない。ちらりと視線を向ける事すらしなかった。

 

 これがモデル・コーラル、珊瑚の因子を持つイニシエーター・数多群星の能力であった。

 

 珊瑚は(一部には例外もあるが)群体で生きる生物であり、無性生殖によって自分のコピー、クローンを作り出して最初の一体からどんどん増えていく。この特性が群星にも備わっており、彼女はエネルギーが続く限り何人にも分裂する事が出来るのだ。そして当然、分裂した個体も同じ能力を持つ。つまり十分なエネルギーを取り入れられる状況であれば1が2に、2が4に、4が8に、8が16に、16が32に、32が64に、64が128に、128が256に、256が512に、512が1024に、倍々ゲームで増え続ける。

 

 ネズミ算の早さで増えるのはガストレアの強みの一つだが、そのお株を奪う事が出来るのが群星の力だった。ちなみにIISO認定の666位という序列に、この能力は加味されていない。モデルには別の生物を申告して偽装したからだ。

 

 彼女の主は“七星の六”ルイン・ミザール。その任務は軍団としての活動。

 

 実はルイン達のイニシエーターの中で、群星の強さは最弱である。しかしそれはあくまでも「個」としての強さ。彼女の真骨頂は「群」、集団戦にある。

 

 分裂した群星は全員が同じ思考・記憶・経験を持ち、更にモデルが群体生物という特性から一つの意識を全員が共有している。世界中どれだけ探し巡っても、才能ある人間にどれだけ過酷な訓練を施しても、彼女達以上に息の合うチームは存在し得ない。完璧な統率の元に動き、尚かつ一人一人が序列666位のイニシエーターの実力を持ち、更には一つの意識を総体として持つが故に死をも全く恐れない質・量共に精強な軍団は、ソニアのような例外中の例外を除きどんな強力な「個」をも容易く蹂躙する。

 

「「「ん?」」」

 

 何人かの声が揃って響き、同時に群星達は一斉に傍らに置いてあった銃を取ると同じ方向へ銃口を向ける。

 

 何者かが近付いてくる気配を察知したのだ。

 

「誰?」「ゆっくりと」「姿」「を」「見せ」「なさい」「両」「手は見え」「る所」「に」

 

「武器を下ろしなさい、群星。私よ」

 

 森の暗闇から現れたのは白い女。“ルイン”だった。主の一人である事を認めて、群星達は言われた通り銃を下げる。

 

「マスター・フェクダ……この子達が、マスター・ミザールの……」

 

 現れたのは彼女だけではない。胴着姿をした少女、“七星の三”ルイン・フェクダのイニシエーターである魚沼小町。

 

「いつ見ても壮観だね。六の王の軍団は」

 

 仮面の男、序列元134位のプロモーターにして新人類創造計画の生き残り兵士、魔人・蛭子影胤。

 

「パパぁ。これだけ居るなら一人ぐらい斬っていい?」

 

 影胤のイニシエーターである、モデル・マンティスの蛭子小比奈。

 

「駄目だ、愚かな娘よ。彼女達は我が王の大事な兵。一人として私達の勝手に出来るものではない」

 

「パパ嫌ぁい」

 

 悪態を吐きつつも、小比奈は鯉口を切っていた小太刀を納刀した。

 

「マスター・フェクダ。よく来て下さいました」

 

「それで、ご用件は?」

 

 傍に寄ってきた二人の群星の頭を撫でながら、ルイン・フェクダは話を始める。

 

「ええ……一番(ドゥベ)から連絡が入ってね……この先に居るプレヤデスっていうガストレアを殺す為に、あなた達の何人かに付いてきてほしいのよ」

 

「了解しまし」「た。では、私」「達3名が」

 

 3人の群星が進み出て、彼女達はそれぞれ同じ顔である事を怪しまれないよう、ガスマスクを装着する。

 

 戦力の補強が出来た事にフェクダは満足げに頷くと小町、影胤、小比奈、そして3名の群星。自分が率いるプレヤデス討伐チームへ号令を掛ける。

 

「では、行くわよ。まずは一番(ドゥベ)が派遣してくるプレヤデス討伐チームに合流するわ。私達の居場所はティコちゃんがエコーロケーションで見付けてくれるから、それまでは所定のポイントで待機ね」

 

 


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