ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第32話 激動の緒戦

 

「始まったわね……」

 

 大阪エリアの大統領府。その執務室では、壁一面に埋め込まれたモニターを睨みつつ二人の男女が話していた。

 

 モニターの地図には東京エリアを円状に囲むモノリスが白い光点で表示されており、等間隔で並んでいるその切れ目の箇所には民警軍団が青の輝点、ガストレア軍団が赤の輝点で示されている。二つの色はめまぐるしく動いており、第三次関東会戦の戦況をリアルタイムで遠く離れたこの部屋にまで伝えてきている。

 

 二人の内一人はこの部屋の主である大阪エリア国家元首、斉武宗玄大統領。もう一人は白い髪に白い衣を纏った美女、“ルイン”の一人であった。東京エリアにて「七星の遺産」を強奪してステージⅤを召喚しようとした彼女は第一級のテロリストとして各国で指名手配されている。その大犯罪者が一エリアの統治者の部屋に招かれているなど、尋常ならざる事態と言える。

 

「東京エリアは……勝てると思うか? ……ますか?」

 

 宗玄が、ルインにそう語り掛ける。だがへりくだったようなその口調は傲岸な独裁者として知られる彼からは想像も付かないようなものだった。

 

 まるで、自分の主に対するように。

 

「良いのよ、ここは私達二人だけ。いつも通りで」

 

 ルインがそう言うと同時に、宗玄の体に動きがあった。突然前屈みになったかと思うと背中周辺が異様に隆起し、遂には背骨が通るラインに沿うようにして裂け目が生じ、その裂け目からはぬっと手が伸びてきて、やがて体内から一人の少女が這い出てくる。彼女は遊園地のマスコットキャラクターの着ぐるみのように、斉武宗玄を“着て”いた。彼の体に潜行していたのだ。その少女も両眼は紅く輝いていて、こんなムチャクチャな真似をしでかすのだからやはりイニシエーターであると分かる。

 

「アリエッタ、斉武宗玄が持っていた情報は手に入った?」

 

「ええ、問題無く。マスター・メラク」

 

「……相変わらず、見事なものね」

 

 8人のルインの一人“七星の二”ルイン・メラクは満足気にくくっと喉を鳴らし、うんうんと頷く。彼女の任務はモデル・ブランク(無型)のガストレアウィルスとウィルス適合因子の組み合わせがもたらす形象崩壊を応用した変身能力によって、秘密結社「五翔会」の最高幹部になりすまし、内部情報を仲間達へとリークする事。

 

 そして彼女のパートナーたるイニシエーターの名前は、アリエッタ・ディープダウン。モデル・パラサイト、寄生虫の因子を持った呪われた子供たちである。その固有能力はモデル生物がそうであるように、他の生物の体内へと侵入する事。

 

 しかもこれは“殺して皮を被っている”などという単純な変装ではなく、筋肉も神経も脳も内蔵も傷付けずに、対象を生かしたままその体内に潜み続ける事が出来る。その性質上、歩き方や手持ち無沙汰な時に出るような細かなクセまでも完璧に再現し、宿主の脳内にあった情報は当然として泳ぎ方や自転車の乗り方、包丁の捌き方といったような“体が覚えている”技能すらも全て自らのものとして知り、使う事が出来る。

 

 ……つまり、映画や小説では右利きの人間が怪我もしていないのに左手を使っていたり、普段は親しく名前で呼んでいる者を何故か名字で呼ぶようになったり、あるいはラグビーボールをキャッチする時必ず両手で捕球するようにしていたのにどういう訳かその日は片手で捕ったりする事や、本人ならば当然知っている筈の質問に答えられなかったりするのが化けている偽物の正体が露見する切っ掛けになるが、それが有り得ないという事なのだ。更には何か特別な情報や技術を持っているから殺したり薬物で自我を焼いたりする訳には行かない人物に対しても、アリエッタが乗っ取る分には何の問題も生じ得ない。潜入工作には最適と言って良い能力だった。

 

「……これで、五枚羽根の内二人までもが私達の影響下に入った事になるわね」

 

 実は、斉武宗玄も「五翔会」の中では最高幹部である五枚羽根に数えられる人物であった。

 

 ルイン・メラクは同じく五枚羽根である自分が二人きりで話したい事があると言って彼の元を訪ね、そのまま体内に潜ませていたアリエッタに強襲させて、斉武宗玄を乗っ取ったのだ。当然、国家元首ともなれば身辺警護は厳重極まるものがあるが同じ五枚羽根ならと宗玄の側に僅かな油断があった事と、メラクが東京エリア壊滅後のバラニウムの分配量についてという議題を切り出した事で上手く二人きり……否、三人きりの状況を作り上げる事に成功したのだ。

 

「今まで以上に情報は筒抜け……ですね」

 

 と、アリエッタ。メラクも頷くが、それだけではない。最高幹部二人を意のままに動かせるとなれば、今後は五翔会全体の動きや方針すらもある程度なら自分達“ルイン”がコントロールする事が可能となる。しかも変身能力は8人のルイン全員に共通する能力だし、仲間にはガストレアやイニシエーターの能力をコピー出来るモデル・シースラグのアンナマリーも居る。いずれは五翔会そのものを自分達ルインの傘下に治める事すら可能となるやも知れない。

 

 おまけに、これからは大阪エリアを丸ごと影響下に於けるのだ。行動の自由度は、今までとは比較にならぬほどに広がるだろう。

 

「……まぁ、これで私達の任務は完了……後の事は一番(ドゥベ)や三番(フェクダ)に任せるとしましょう。大丈夫よ、四番(メグレズ)や六番(ミザール)も行っているし……万全を期す為に五番(アリオト)に七番(ベネトナーシュ)、番外(アルコル)も援軍を送るらしいわ」

 

「……総力戦、ですね。私達にとっても」

 

 アリエッタはそう言うと、宗玄の中に侵入し直して豪奢な造りの執務椅子へとその体を沈めさせる。

 

「それも当然ね。東京エリアは星の後継者の始まりの地となるのだから……何としても、守らねばならないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 件の東京エリアに於ける戦場の一角では、ガストレア群に対しての圧倒的な殲滅劇が展開されていた。

 

 数十から百にまで達しようかというガストレアの前に立つのは、たった一人のイニシエーター。聖室護衛隊特別隊員にして東京エリア国家元首である聖天子のイニシエーター・将城綾耶。このような一対多数の状況は、彼女が最も得意とするものであった。

 

 専用装備である手甲「バタリング・ラム」で最初の一体を粉微塵に殴り殺すと、後は簡単であった。

 

 その一体が流した血を綾耶は両腕で吸収し、圧力を掛けて発射。ウォーターカッターのようなその攻撃は、眼前にまで迫っていた数体のガストレアを纏めてバラバラに切断してしまう。よく使用する空気のカッターと原理は同じだが、空気と血液とでは比重が違うので武器として使った際の威力も段違いであった。

 

 更に、血の刃で切断された断面から血液を吸収。再び解き放つ。鉄砲水ならぬ鉄砲血はまさしく鉄砲の如く、ガストレア達の体に穴を開けて撃ち抜き、貫く。再び出血。その血がビデオのリプレイの如く綾耶の両腕へと集まっていき、放出。今度は濁流となってガストレアを呑み込んでいく。

 

 殺しては血を奪い、血を奪ってはまた殺す。戦えば戦うほどに、殺せば殺すほどに綾耶の武器となる血液が周囲一帯へと撒き散らされ、その破壊力は手が付けられなくなっていく。

 

 あつらえたように一対多数に向いたこの戦闘スタイル。かつて「七星の遺産」強奪事件の際に、たった一人で未踏査領域を活動出来たのもこの戦法があってこそであった。

 

「次っ!!」

 

 血の砲弾を発射した綾耶だったが、迫ってきていたガストレアは巨体に似つかわしくない素早さで地面に潜って攻撃を避けた。標的を見失った紅い弾頭はそのまま飛んでいって、延長線上にあった岩盤を吹き飛ばした。

 

「今のは……モグラ?」

 

 近付いて見ると、ガストレアが姿を消したすぐそこの地面には大きな穴が空いていて、今のガストレアはそこへ身を隠したのだと分かった。

 

 これは厄介な敵と言える。綾耶のレーダーは空気の揺れを感じ取って周囲の状況を知覚する。よって、空気が揺れない地中からの攻撃は探知出来ない。地上のガストレアと戦いながら、足下から奇襲されてはたまったものではない。

 

 ……が、倒す手段はある。

 

「今、炙り出してやる……!!」

 

 綾耶はガストレアの消えていった穴へと手をかざすと、腕に充填していた空気を開放。超高速で噴出された圧縮空気は強烈な衝撃波となって、穴の中へと注ぎ込まれる。あっという間に綾耶の周囲のあちこちから間欠泉のように土が爆ぜて、衝撃波が吹き出す。その内の一つからは、ずんぐりむっくりの体躯を持つモグラのガストレアがまるで水中にダイナマイトをぶち込む漁の手法で打ち上げられる魚のように飛び出して、地面に叩き付けられるのを待たずに飛来した弾丸によって頭部を貫かれ、絶命した。ティナの援護射撃だ。

 

 モグラが掘る穴は全てが地中で一つに繋がっている。理科や生物の教科書にも穴からコンクリートを流し込んで、固まった物を掘り出した写真などが載っていたりする。綾耶が発射した衝撃波は瞬く間にモグラ塚の中に充満して、ガストレアを地上へと押し出したのだ。ガストレアは綾耶の攻撃を避けたつもりが、逆に自分が逃げ場の無い場所へと入り込んでしまっていたという訳だ。

 

「さぁ、まだまだ何体でも……って……」

 

 更に血を吸収して解き放とうとした所で、綾耶は周囲のガストレア群の動きが変わった事に気付いた。

 

 これまでは遮二無二に突っ込んできたのが、今は左右に分かれて自分を避け、迂回して進もうとしている。どうやらこのまま攻撃を繰り返していても突破出来る可能性は低い、もしくは突破出来たとしてもそれまでに受ける被害が大きすぎると判断して、別の民警達が守る区画を襲撃する事にしたらしい。

 

 戦術としては正しい。民警達はほぼ全ての戦力をこの戦場に投入しており、今の東京エリアは全くの無防備。一体でもガストレアの侵入を許せば、そこからはシェルターに入れなかった人が襲われて後はネズミ算式にガストレアが増殖して大絶滅が起きる。つまりガストレア側としては民警軍団を全滅させる必要は無く、それどころか弱い区画をたった一つ切り崩すだけで勝利が確定するのだ。無理に強い綾耶を倒す必要などどこにも無い。

 

 だが、綾耶とて甘くはなかった。

 

「そう容易くは、行かないよ!!」

 

 バン、と両手を大地に叩き付けると吸引能力を発動。

 

 既に足下には大量の血が足首を浸すぐらいの高さにまで溜まりを作っており、血溜まりの中央に立つ綾耶はそれを自分の元へと吸い寄せる。当然、彼女を中心として血が渦を巻いて吸い込まれていき、ガストレア達もその流れによって綾耶へと吸い寄せられていく。

 

 そして、引き寄せられてきた所を!!

 

「ふっ!!」

 

 籠手の肘の部分に設けられた噴出口から圧縮空気が解き放たれ、瞬間的且つ爆発的な加速を得た綾耶の拳はまさしくどんな難攻不落の要塞でも城門を粉砕して陥落させてしまう破城鎚(バタリング・ラム)。ガストレアの巨体を木っ端微塵に打ち砕く。

 

「ふン!!」

 

 続く一撃でステージⅣと見られる大型の個体を粉砕した所で周囲を見渡すと、どうやら第一波を凌ぐ事には成功したらしい。恐らくは数分と続かないであろうが、この区画に静寂が訪れていた。

 

「やった、やったぞ!!」

 

「防ぎ切ったよ!!」

 

「気を抜くな!! 負傷した奴は後方へ下がれ!! すぐに次が来るぞ!!」

 

「今の内に、陣形を整えるんだ!!」

 

 一帯に配置されていたプロモーター・イニシエーターが手にした武器を掲げ、歓声を上げる。最初に突貫した枢・エックスのペアがそうであったように綾耶の猛戦振りもまた、士気の高揚に一役買っていたのだ。

 

「よくやってくれたな。疲れてるだろう、ここの守りには交代で2小隊を配置するから、少し休め」

 

 中隊長を務めるプロモーターが、綾耶の肩へと手を置いて労を労う。彼と彼のイニシエーターは全身血と泥にまみれていて、戦闘開始からまだ数時間だが既にかなりの激戦を経てきた事が伺える。

 

「僕はまだ……」

 

 万全とは言えないものの余力は十分残している綾耶だが、しかし戦いはまだ初日である事を思い出す。ここで無理をして、いよいよという時に戦えなくなってはそれこそ本末転倒だ。そして、東京エリアを衛る為に命を懸けているのは自分だけではない。それはここに居る皆が同じだ。仲間を信じて頼る事が出来ないのでは、エリアを衛り切る事など夢のまた夢であろう。

 

「……ええ、それじゃあ少しだけ休ませて……」

 

 そう言い直して一時後退しようとする綾耶であったが、そこにティナから通信が入った。無線機のスイッチを入れて、中隊長にも声が聞こえるようにスピーカーモードをオンにする。

 

<綾耶さん、大変です!!>

 

「どうしたの、ティナちゃん?」

 

<二つ右の区画へ、飛行型ガストレアの部隊が向かっているのをシェンフィールドが捉えました。恐らく、民警軍団を前後から挟撃する為の別働隊です!!>

 

 その報告を聞いた途端、綾耶と中隊長の顔が真っ青になった。特に中隊長は指揮官という立場上、他の区画の戦況もある程度は伝わってきているのだろう。顔色の変化が顕著だった。対面している綾耶はそれを敏感に感じ取って、ごくりと唾を呑んだ。この戦場には一対多に強い自分が居たからまだ比較的余裕を持って対処出来ていたが、他の区画が同じように戦えているとは思えない。まだどこかが破られたという報告は無いが、何か一つの破局点があればそうなりかねないような危うい戦いには違いないのだろう。

 

 そんな状態での背後からの奇襲と、更に前後からの挟み撃ちは決定的だ。薄氷をブチ抜く一踏みには十分過ぎるものがあるだろう。

 

「確かそこは、英彦の奴が受け持っていた所だな……あいつは何をやってんだ!?」

 

<……遠目からですが、眼前のガストレアとの戦いで精一杯のようで……そこへ戦力を回せないようです。私も迎撃しようとしましたが、射程距離外です>

 

 怒鳴るような中隊長の言葉を受け、ティナは自分の事でもないのに少し申し訳なさそうな声で応じる。中隊長は「クソッ」と毒突いて拳で掌を叩いた。

 

 だが苛立ってばかりもいられない。次の手を考えなくては。

 

「……やむを得ないな。将城綾耶は、そちらの応援に行ってくれるか? ここはお前のお陰でまだ士気も高い。今なら何とか俺達だけでも支えきれるだろう」

 

「分かりました。では中隊長さんは、ティナちゃん……あ、僕の同僚ですけど彼女がこの区画を援護している事を伝えて下さい。ティナちゃんは元98位のイニシエーターです」

 

 中隊長と彼のイニシエーターはそれを聞いて「おおっ」と声を上げる。顔にも喜色が浮かんでいた。

 

「成る程、それほどの高序列なら単純な戦力としてだけじゃなく、士気の高揚にも役立つな。よし、その手で行こう」

 

「聞いての通りだよ、ティナちゃん。僕はこれから飛行ガストレア部隊の迎撃に行くから、ティナちゃんはここの援護をよろしく!!」

 

<了解しました。綾耶さんも、お気を付けて>

 

 通信を切ると、綾耶はふわりと宙に舞い上がる。

 

「では、中隊長さん……ご武運を」

 

「お前もな!!」

 

 そのやり取りを最後に綾耶が飛び去ったのを見届けると、中隊長は無線機を自分の麾下にあるアジュバント用の周波数へと合わせ、大声を上げた。

 

「全員、今の内に第二波来襲に備えて迎撃態勢を万全にしておけ!! 大丈夫だ、俺達には元98位のイニシエーターの援護がある!! 無理はせず、スタンドプレーもせずに向かってきたガストレアを確実に、全員の力で仕留めていくんだ!! いいか、落ち着いて対応するんだ!! 冷静さを失ったら死ぬぞ!!」

 

 中隊長の檄を受けて各アジュバントから了解の返事やその代わりに雄叫びが上がり、綾耶の先程の戦い振りを受けて高まっていた士気は依然最高潮の状態が続いている。

 

「良い采配ですね」

 

 対戦車ライフルのスコープ越しに中隊の状況を見て取ったティナは、そう呟いた。この区画は中隊長の的確な指示もあって烏合の衆である民警軍団もよく纏まっている。そこに自分の援護も加われば、十分に押し寄せるガストレア群を押し留める事が出来るだろう。他のブロックでも、まだ救援要請が出ていないという事は苦戦はしつつも持ち堪えていると見て良い。これは団長である枢が最初に特攻して全体の士気をピークにまで引き上げ、同時にガストレア軍団の出鼻を挫いて陣形を乱した事も効いているのだろう。

 

 ならばこの緒戦の趨勢を占うのはやはり、別働隊のガストレアを綾耶が上手く迎撃出来るかどうか。

 

「……信じてますよ、綾耶さん」

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ……」

 

 空中に飛び上がった事で俯瞰視点を得た綾耶には、戦場の全体像が良く分かるようになった。

 

 全体的な戦況としては倒しても倒しても向かってくるガストレアの軍勢に対して、民警達はよく頑張っていると言える。

 

 ある部隊は倒木や岩場を上手くバリケードのように使ってガストレアの突撃を防ぎ、またある一隊は前列にバラニウム合金製の盾を持ったイニシエーターが並んで立ってガストレアの攻撃を防ぐと同時に勢いを削ぎ、そのすぐ後ろに柄の長さが6メートル以上もある長槍を構えたプロモーターが槍衾を作って盾の隙間からガストレアを刺突、ダメージを与えるという戦法で止めている。

 

 通常ならこれで絶対確実とは言わずとも十中八九はガストレアを封殺出来る堅実な戦法なのだが、今回は些か勝手が違った。

 

 押し寄せるガストレア群の勢いは異常なまでに、少なくとも綾耶が今まで見てきた中では一番強く、一部ではバリケードが壊されて民警達がそのまま木材やガストレアの下敷きになった。別の場所では前列の防壁が突破されて盾を持ったイニシエーターが吹っ飛ばされて空中に舞い上げられ、身動き取れないままガストレアに噛み付かれ、そのまま口中で咀嚼され、千切れた手足がどさりと血でぬかるんだ地面に落ちた。

 

「ううっ」

 

 綾耶は思わず着地して助けに行きたい衝動に駆られたが、すんでの所で持ち堪えた。まだ眼下の戦場では、後詰めに控えていた部隊が必死の銃撃によってガストレアを何とか押し返している。それにここで彼等を助けるのは容易いが、それをやってガストレア別働隊の迎撃が遅れて防衛戦に穴が空いたら、この戦いそのものが終わってしまう。

 

「……だったら!!」

 

 彼女は頭を切り換え次善の手段に移行する事にした。高度を下げて地面スレスレを飛ぶとそのままトップスピードでガストレア軍団へ、それも出来るだけ密集している部分を狙って突入。失速しないギリギリのラインでガストレアを薙ぎ倒しながら飛んでいってそのまま目的のブロックの方角へと飛び去る。

 

「……い、今のは……」

 

 イニシエーターの一人はいきなり現れて戦場を横切り、十体からのガストレアを地形ごと抉って飛んでいった未確認飛行物体にあんぐりと口を空けるばかりだったが、隣で戦っていたプロモーターに頭を小突かれた。

 

「お前死にてぇのか、呆けている場合じゃねぇ!! 今のが何でも、兎に角ガストレアの戦列が乱れた!! このチャンスを逃すな!! 戦線を押し戻すんだ!!」

 

「は、はい!!」

 

 イニシエーターは頭を擦りつつも手にしたサブマシンガンを闇雲に乱射し、ありったけの手榴弾をガストレアの群れの中に放り投げた。

 

 

 

 

 

 

 

「天童式戦闘術一の型三番『焔火扇』!!」

 

 義手の力を開放し、爆速を得た蓮太郎の拳がガストレアに炸裂。巨体を地面と平行に飛ばして、吹き飛んだ先に居たガストレアをボウリングのピンの様に巻き込んで倒していく。

 

「ハアアアアッ!!」

 

 延珠が、兎の因子がもたらす強靱な脚力に物を言わせて見舞った蹴りは、只今の蓮太郎の攻撃に勝るとも劣らない威力を見せて、ガストレアをサッカーボールの如くぶっ飛ばした。

 

「行ったぞ!!」

 

「任せて!!」

 

 ぶっ飛んだその先に待っていたのは、天童式抜刀術・免許皆伝の木更。腰溜めに構えたそこから右脚を軸に旋回。遠心力を加えつつ、抜刀する。

 

「天童式抜刀術一の型八番、『無影無踪』」

 

 チカッ!!

 

 一瞬、刀身が光ったかと思うと、ガストレアはサイコロステーキのように切り刻まれて肉片がボロボロと辺りに転がった。

 

 味方の蓮太郎ですら、思わずぶるっと体を震わせずにはいられない圧倒的戦力。それを見せ付けられて本能しかないガストレアですらもが恐怖しているかのように動きを止め、後退しようとする。だが、無駄な事。退路は既に断たれていた。

 

 ガストレア達の動きが止まる。そこには既にモデル・スパイダーのイニシエーター、片桐弓月が張り巡らせた蜘蛛の糸が結界のように張り巡らされていた。まんまとそこに突っ込んだガストレア達は、粘着性の糸に絡め取られて身動き取れなくなってしまう。そこを狙って、

 

「オラアアアアッ!!!!」

 

 弓月のプロモーター、片桐玉樹が腕に巻かれたナックルダスターに回転ノコギリの機構を組み合わせたバラニウムチェーンソーを叩き込み、ガストレアを殺戮していく。

 

 ガストレア達は戸惑ったように動きを止めるが、いつまでもそうしてはいられない。弓月は輪形に設置した糸の結界を徐々に狭めていく。このままではいずれグルグル巻きに縛り上げられて、動きが取れなくなってしまう。しかし、知能を持たない筈のガストレア達は本能で活路を見出していた。

 

 周囲を囲む糸が中心という一点へ集まろうと動くならば、必ず隙間が生じる。その隙間を見付けた彼等は、そこから脱出する為に走る。だが、それこそが。

 

「計算通りです」

 

 次の瞬間、爆音。殺到した極小且つ無数のバラニウム球に襲われて、ガストレア達はひとたまりもなく全身をボロ雑巾の如くズタズタにされ、力無く倒れた。

 

 脱出する為に走ったそこは、トラップゾーンだった。

 

 まだ息のあった個体にマガジン一個分の弾丸を叩き込むと、モデル・ドルフィンの千寿夏世は玉樹から借り受けていた予備のサングラスを外した。

 

 玉樹のサングラスには弓月が作り出す不可視の糸を可視化させる特殊加工が施されている。これを使って糸の並びや木の枝・岩といった張り巡らされているオブジェクトの位置、そして糸を引く弓月の位置から隙間が生じる箇所を計算した夏世は、前もってそこに大量のクレイモア地雷を設置していたのだ。

 

 それでも、全てを殺し尽くすには至らなかった。先行していた数体を盾にする形で致命傷を免れた残り数体が仲間の死体を踏み締めて地雷を回避し、逃亡を図る。

 

 だが、それは叶わぬ夢。

 

 一陣の風と共に現れ出でたるはモデル・キャットのイニシエーター、布施翠。猫の因子がもたらす敏捷性でガストレアの周囲を飛び回りながら両手の爪を振り回して無差別に死を振り撒いていく。

 

 切り刻まれた中で、再生能力に秀でていたらしい一体が傷を再生させ、逃げようとする。が、いきなりその体は水風船に針を突き刺したように、パンと爆ぜて一体に血の雨を降らせる事になった。

 

 翠のパートナー、天童流戦闘術八段・薙沢彰麿。独自に改良を施した絶技は、相手がガストレアであろうと致命傷を与えるに十分な威力を発揮していた。

 

 自分のアジュバントが担当していたポイントへと襲来したガストレア共の殲滅を確認した蓮太郎は「ふうっ」と一息吐いて天を仰いで……表情を凍り付かせた。上空を、昆虫や鳥の因子を持つのであろうガストレアの飛行部隊が移動していくのが見えたからだ。

 

「あのコースは……俺達の背後に回り込むつもりか!!」

 

 だが夜ならば兎も角として、いくらモノリス倒壊の噴煙によって陽光が遮られているとは言え今は昼。中隊長からも奴等の姿は見えている筈なのに、回りを見渡して迎撃の為に動くアジュバントの姿は見られない。

 

 何で迎撃に動かない!?

 

 疑問も憤怒もあるが、蓮太郎は全て後回しにする事にした。兎に角、自分達が行くにせよ他のアジュバントを向かわせるにせよ、中隊長に迎撃を命じてもらわなくてはならない。前列にいる我堂英彦の元に駆け寄ると、肩を掴んでぐいっと自分の方に振り向かせる。

 

「おい、あんた!! 上を見てみろ!! ガストレアの別働隊が出た!! 挟み撃ちにされるぞ!! 俺達に行かせてくれ!!」

 

「今はそれどころじゃないのが分からないのか君は!!」

 

 泡食った顔で眼を血走らせた英彦が「とんでもない」とでも言いたげな表情で返してくる。蓮太郎はいくら戦況が不利とは言えあまりにも近視眼的なこの中隊長に、怒りと失望が入り交じった感情を覚えた。何の事はない、彼はすぐ目の前のガストレアに殺されたくないという思いだけが先行して、それと戦う戦力を一兵でも減らしたくなかっただけなのだ。人間心理として無理からぬ所ではあるが……しかしそれは、今死ぬか後で死ぬかの違いでしかなく、根本的な解決には全くなっていない。

 

 生きる為にはリスクを承知で、踏み出さねばならない。

 

「背後を衝かれたらそれこそお終いだ!! 全滅するぞ!!」

 

「今は目の前のガストレアだ!! 列に戻れ里見リーダー!!」

 

「あれを見てみろ!! あの数が後ろから襲ってくるんだぞ!!」

 

 怒りに任せて叫びながら蓮太郎は空飛ぶガストレア達を指差して……思わず二度見した。

 

 ガストレアの中の、一体が真っ逆さまに落下していく。

 

 続いて一体、また一体と、次々落ちていく。

 

「あれは……」

 

 目を凝らすと、ガストレア達の中を何か……白い影が物凄いスピードで飛び回っているのが見えた。その影が触れる度に、ガストレアが撃墜されていく。

 

 民警軍団の背後へと回り込もうとしていた飛行ガストレア部隊であったが、思わぬ邪魔者の出現に隊列が乱れ、動きがばらける。そしてその混乱に乗じるように白い影は動きが鈍くなったガストレアを先程よりも更に早いペースで次々墜としていく。

 

 数十は居たであろう飛行ガストレアは、もう片手の指で数えられる程に数を減らしていた。

 

「蓮太郎!!」

 

 ここへ来て、他のアジュバントを助けつつ蓮太郎を追ってきていた延珠が到着した。

 

「おい、延珠。あれを見ろ……」

 

「んんっ?」

 

 延珠は目を凝らして、ヘリや飛行機では絶対に有り得ない軌道を描いて飛び回る白い影をじっと見る。だがそれもほんの僅かな時間だけだった。

 

 空中を猛スピードで移動し、ガストレアを次々落とす程の戦闘力を持つ者など、彼女が知る限り唯一人。

 

 白い影は上昇すると、そこから一気に急降下。稲妻の如き蹴りで最後の飛行ガストレアを撃墜し、勢いそのままに隕石の様に蓮太郎達のすぐ傍へと落下した。

 

 落着によってもうもうと立ち込めていた煙が、見えない刃物が振るわれたように切り裂かれて、晴れる。

 

 そうして現れたのは改造が施された聖室護衛隊の白い外套を羽織った一人のイニシエーター。誰あろう、将城綾耶だった。

 

「綾耶!! 来てくれたのか!!」

 

「延珠ちゃん!! 蓮太郎さんも!! 大丈夫ですか、助けに来ました!!」

 

 親友の登場に延珠は嬉しそうに駆け寄り、綾耶も延珠の手をぎゅっと握った。

 

「お前も、無事だったか」

 

 蓮太郎も、強力なイニシエーターである綾耶が来てくれた事とガストレアの空中部隊が殲滅された事もあって今度こそ一息吐いて、相好を崩す。と、そこに、

 

「あ、ああ……!! よ、良く来てくれたね。君の活躍は聞いているよ将城綾耶……」

 

 感極まったという表情の英彦が走り寄ってくる。いい年をした大人がいくらイニシエーターとは言え十にもならない少女を頼り切っている様を見て、蓮太郎は思わず嘆息した。

 

「君のような強いイニシエーターが加わってくれるなら、この区画の無事は保証されたも同じだよ!!」

 

 そう言って、握手でもしようとするのか綾耶に手を差し出す英彦。その姿を見て蓮太郎と延珠はこれが自分達の中隊長かと情けなく思う所もあったが、まぁ当の綾耶はこれぐらいで失望したり臍を曲げたりするような子ではない事を二人とも知っていたので、何も言わなかった。

 

 ……のだが。しかしその時、予想外の事態が起きた。

 

「一緒に戦って……ぐえっ!?」

 

 綾耶はいきなり手を伸ばして英彦の胸ぐらを掴むと、背後へと投げ飛ばしたのである。

 

「なっ!?」

 

「あ、綾耶!?」

 

 蓮太郎と延珠は揃って信じられないという顔になって、素っ頓狂な声を上げる。英彦はそのまま、数メートル先にあった草むらに突っ込んだ。

 

「ひ、英彦さんに何を……!! きゃあああっ!?」

 

 英彦のイニシエーター、彼に心音(ここね)と呼ばれていた少女がいきなりの暴挙を受けて持っていたショットガンの銃口を綾耶へ向けるが、しかし引き金を引くよりも早く綾耶は肉迫すると、投げっぱなしジャーマンの要領で彼女をブン投げてしまった。心音の体は放物線を描いて空を飛び、英彦が突っ込んだ位置に近い草むらへと落ちた。

 

「お、おい綾耶……お前何やって……!!」

 

 普段の彼女からは信じられないような行動を見て、蓮太郎は警戒しつつじりじり距離を詰めながら近付き、詰問する。

 

「待つのだ、蓮太郎!!」

 

 が、延珠が彼の動きを掣肘した。

 

「延珠……!!」

 

「何か……何かが来るぞ!!」

 

 延珠は、厳しい顔で前方上空を睨んでいた。蓮太郎はこの時気付いたが、綾耶も同じ方向を見ている。

 

「……?」

 

 蓮太郎は、何かあるのかと同じ方向を見て……空中に何か、きらりと光る物を見付けた。

 

 星? とも思ったが、しかし今は昼だ。しかも舞い上がった噴煙が厚い雲のように立ち込めていて、星の光が見える道理など無い。

 

 ならばあれは一体……?

 

 そこまで考え、そして更に先へと思考を進める蓮太郎。

 

「!!」

 

 彼が一つの結論に辿り着くのと、それが正しかった事が証明されるのはほぼ同時だった。

 

 一秒後、その光は恐ろしい勢いで地へと達し、ちょうど先程まで英彦が立っていた所を薙いだ。

 

「逃げるのだ、蓮太郎!!」

 

「逃げて!! 延珠ちゃん!!」

 

 綾耶はバックステップを踏むようにして空中へと退避。同時に延珠は蓮太郎の体を抱え込むと全速力で後方へと走る。

 

 天から伸びてきた銀色の光のラインはそのまま流れるように動いて、耳障りな音を立てながらその通過した軌跡に存在した物は民警だろうと建造物だろうと自然物だろうとガストレアであろうと、一切の区別も例外も無く刈り取って切断していく。

 

 車並のスピードで走り回る延珠に抱えられながら蓮太郎は、先程の綾耶の行動の意味を理解した。

 

 レーダー能力を持つ綾耶は、他のイニシエーターと比べても知覚能力は遥かに高い。彼女はいち早くこの光線が飛来する事を察知していて、説明する時間すら惜しいという判断から英彦と心音を力尽くで逃がしたのだ。

 

「イニシエーターは全員、自分のプロモーターを抱えて逃げろ!! いいか、あのビームに当たったら死ぬぞ!! 逃げて逃げて逃げまくれ!!」

 

 延珠に抱えられながら、蓮太郎はあらん限りの声を張り上げて叫ぶ。

 

 声が届く範囲に居たイニシエーター達は、最初の一瞬だけは戸惑いを見せたもののすぐにタックルと錯覚するような勢いで各々のプロモーターを抱えるとランダムに戦場を駆け回る。

 

 “死”が、雨のように降ってくる。あちこちで悲鳴が上がり、イニシエーターの中には走りながら泣き出している者も居た。

 

 絶望的な状況と言えるが、しかし空中の綾耶はまだ諦めていなかった。頭を回転させる。この「光の槍」正体は、何か?

 

 光では有り得ない。それなら空気の揺れを感知する自分のレーダーでは感知出来ないし、光ったと思ったらその瞬間には既に着弾しているだろう。同じ理屈で、ビームのようなエネルギーでもない。「光の槍」は、確かな実体を持った物質だ。

 

 滞空中の綾耶は前方、遥か彼方の大地から光線が伸びてきているのを確認した。そして幾度か繰り返されるそれは全て同じ地点だ。つまり、光の槍の発射台は一つ。恐らくは……そういった能力を持ったガストレアが居る。

 

 綾耶がこの考えに至る事が出来たのには、理由があった。同じ能力の持ち主を、知っていたからだ。

 

「……僕と、同じタイプの?」

 

 だとするならば!!

 

 連射される光の槍の隙間を縫うようにして飛び回る綾耶。すると前方がチカッと光って、視界が銀の閃光に覆い尽くされる。しかし、

 

「はあっ!!」

 

 裂帛の気合いと共に、両手から衝撃波を発射。光の槍にぶつける。すると光の槍は水が壁にぶつかった様に弾けて、飛び散った。

 

 綾耶は着地すると、雨がぱらついて来た時のようにそっと掌を伸ばす。するとそこに、雨粒のように降ってきた銀色の雫が付着して歪な球形を作った。

 

「これは……水銀?」

 

 考察は正しかった。光の槍の正体は、水銀。それを撃ち出してきているのは象かテッポウウオか、モデルまでは分からないが自分と同じタイプの能力を持ったガストレア。流体を吸収し、圧力を掛けて発射してきている。綾耶が良く使う空気や血のカッターと、同じ原理である。ただし、射程距離は比べ物にはならない。数十メートルが精々の綾耶に対して、敵ガストレアはキロ単位。文字通り、桁が違う。

 

 どう戦うか? 厳しい顔で空中を睨む綾耶だが、光の槍の次弾はいつまで経っても飛んでこなかった。

 

「……?」

 

 訝しむように、綾耶が首を傾げたその時、この第40区全体に、この世のどんな生物の声とも似ていない咆哮が響き渡る。しかしそれが雄叫びや何かの指令を伝えるものではなく、悲鳴である事は音色から直感的に分かった。

 

 すると戦場全体に展開していたガストレア群が僅かな時間だけ動きを止め、やがて堅牢そうな外殻を持った個体(最初に先陣切って突入してきたガストレアの生き残り)を殿軍として、緩々と退いていく。

 

 民警達は追おうとはしなかった。追撃を掛けるには、今し方の「光の槍」が彼等に与えた衝撃はあまりに大き過ぎた。

 

 十数分後、全てのガストレアの姿が戦場から消えた。綾耶のすぐ後ろまで来ていた延珠が、ポツリと漏らす。

 

「……助かった、のか? 妾達は……」

 

 綾耶はまだ警戒を解いてはいなかったが、しかしいつまで経っても次の光の槍が飛んでこないのを受けて、やっと安全を確信したのだろう。瞳から赤色が消え失せる。そこで彼女は、やっと親友に返事をしていなかったのに気付いた。

 

「……ひとまずはね」

 


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