ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第31話 決戦開始

 

 空を飛んで現場へ急行した綾耶が見たのは、地表にて慌ただしく動き回る民警軍団と地上50メートルほどの空中に浮遊しつつ、両手をモノリスにかざして不可視の力を全開で放出しているであろうソニアの姿だった。

 

 遠目からでも見えていたが、近くにまで来ると今の32号モノリスはもう自立する事は不可能であり、別の力によって支えられているのが良く分かった。分解して個々のブロックとなった部分はふわふわと空中に浮かんでいて、まだ形を保っているモノリスの総体も今まで見た事がないぐらいにぐらぐらと頼りなく震え、揺れている。

 

 今、モノリスを支えているのはその千分の一ほどの大きさもない少女。序列元11位、モデル・エレクトリックイールのイニシエーター、星を統べる雷帝(マスターオブライトニング)、ソニア・ライアンたった一人の力だった。彼女は持ち前の発電能力を応用して磁場を作り出し、それによってバラニウムを操ってモノリスの倒壊を防いでいる。

 

 綾耶は正直今の今まで、ソニアがモノリスを分解して大絶滅を引き起こす力を持つと言われていてもどこか半信半疑だった。いくらトップクラスのイニシエーターが単身で世界の軍事バランスを左右する力を持つとされていても衆寡敵せずという言葉がある。たった一個人にそんな事が出来るのは、映画やコミックの中だけではないかと心のどこかで思っていた。しかしこうして縦1.6キロメートル超、横1キロメートルもある金属の塊を支えている所を実際に目の当たりにすると、否応無しに信じざるを得ない。

 

 これが、序列元11位の実力。だが、驚き呆けていたのもそこまでだった。

 

「ソニアさん!!」

 

 全身に纏う風の強さを調整して滞空、ソニアのすぐ前へと回り込む。

 

「……ああ……綾耶ちゃん……流石に……早いわね……」

 

 同僚の顔を覗き込んだ綾耶は思わず、ごくりと唾を呑んだ。

 

 ソニアの顔色は土気色で汗びっしょり。一目見て分かるほどに疲労の色が濃い。これは絶え間なく凄まじいパワーを使い続けている事もあるが、保有する動物因子にも原因がある。彼女のモデルは最強の発電魚であるデンキウナギ。体内に発電器官を持ち、微弱電流によるレーダーと川を渡る馬をも感電死させる程の強電流を発生させる攻撃力によってアマゾン川における生態系の頂点に君臨するこの生物であるが弱点もある。それは、持久力。デンキウナギが放電を持続出来る時間は、1回につき1000分の3秒で1時間に150回ほどが限界である。

 

 だから現地住民がデンキウナギを捕らえようとするなら野生の馬を何頭もデンキウナギの居る川へと追い込んで、デンキウナギが疲弊して放電できなくなったところを捕まえるという狩りの手法があったという。

 

 要するに今回のように長時間力を発揮し続けなければならない状況は、デンキウナギの因子を保有するソニアが最も苦手とする所なのだ。

 

 だが、ソニアは確かに疲れてはいるが少しも諦めていない。面と向かってその眼を見た綾耶には、すぐに分かった。炎の色をした双眸が、強き意思を宿して爛々と輝いている。

 

 確信出来た。モノリスを支え続けられる限界だと言った12時間。彼女ならば、絶対に持たせる。ソニアはただ強力な動物因子を持つだけではない。弱点を克服し、精神力までも鍛え抜かれている。

 

「下に、ティナが来てるわ……あの子と合流して……戦闘態勢を整えて……」

 

「……分かりました!!」

 

 綾耶は頷き、降下する。

 

 民警軍団の陣地では、イニシエーターもプロモーターも前に後ろにひっきりなしにしかも秩序無く動いていて、右往左往という言葉がぴったりと当て嵌まるように思えた。だが少しずつ、本当に少しずつではあるもののその動きは統制されていく。

 

「急げ!! 急げ!! 急げ!! 各中隊長は担当のアジュバントが揃っている事を確認して、順番に報告しろ!!」

 

「メシは今の内にたらふく食っておけよ!! イニシエーターも、今から6時間は休ませておくんだ!!」

 

 慌てるばかりの民警達の中で、きびきび動いて檄を飛ばす二人。民警軍団副団長の我堂長正と団長である一色枢。東京エリアの2トップである両名の存在感は際立っていて、慌ただしかった空気は少しずつ落ち着いたものへと変わっていく。

 

 そんな喧噪の中、きょろきょろと周囲を見渡していた綾耶であったが、ややあって探していた姿を見付けた。

 

「綾耶さん!!」

 

「ティナちゃん!!」

 

 聖室護衛隊特別隊員、モデル・オウルのティナ・スプラウト。身の丈ほどもある対戦車ライフルを抱えていて、今すぐにでも戦えるといった様子である。だが、その瞳は今は頼りなく揺れていて自信が感じ取れない。

 

「綾耶さん……あの……」

 

 声も、震えていた。

 

「大丈夫!!」

 

 綾耶はティナがそれ以上何かを話す前に全てを察して、がしっと両手で肩を掴むと力強く言い放った。

 

「あ……綾耶……さん?」

 

「僕が、戦うから。ソニアさんが、これ以上戦わなくて済むように!! だから……ティナちゃんも力を貸して。二人で……ううん、蓮太郎さんや延珠ちゃんも一緒に、守ろうよ。この東京エリアも、ソニアさんも!!」

 

 ソニアの侵食率は既に限界間近で、後二回の戦闘にしか耐えられないとされていた。そこへ来て、12時間にも渡る能力の連続使用。侵食率がどれほど跳ね上がるか……考えたくもない。今こうしている一秒一秒が、ソニアの命を削って成り立っている。

 

 これ以上、ソニアを戦わせはしない。彼女の為にも、ティナの為にも。

 

 その言葉を受けたティナは少しの間眼を丸くしていたが……やがて、ふっと微笑んだ。

 

 綾耶自身はそこまで考えている訳ではあるまいが、彼女は今やるべき事が自然と分かっている。

 

 聖天子が綾耶を傍に置く理由が分かった気がした。彼女の言葉は、その在り様は、周りの者に力をくれる。

 

 そう、今は戦うべき時だ。姉が強い力を使って命を縮めてしまう事を嘆くのではなく。共に生きて、明日を迎える為に。残された時間を、一緒に過ごす為に。

 

 ティナは、手の震えが止まっていたのに気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、12時間が経過。現在時刻は午前4時。夜明け前の最も暗い時間帯だ。モノリスは未だ倒壊を免れてはいるが、しかし全体の揺れ幅は明らかに大きくなってきておりもういつ倒れても不思議ではない。ソニアの力にも、限界が近付いてきているのだ。

 

 だが、この時間を使って自衛隊・民警軍団は共に万全の布陣と戦闘準備を整え、十分な休息を取ってベストコンディションを整える事が出来た。

 

 戦場に於いて時間とは黄金よりも貴重な宝物だ。たかが半日、されど半日。

 

「この半日はでかいぞ」

 

 小高い丘に立って陣形の全体像を俯瞰する枢が、ひとりごちた。

 

「団長、全アジュバントがプランBに従い配置に付きました!!」

 

「オーケーだ、フィーア」

 

 直轄のアジュバント構成員の一人、序列444位のプロモーター、フィーア・クワトロからの報告を受けて枢は頷くと、懐から取り出した信号弾を打ち上げた。赤い煙が立ち上がって、視界の端にそれを捉えたソニアは僅かに頷くと、最後の力を振り絞って磁力を操作する。

 

 するとこれまでは形を保っていたモノリスが、組み立て前の個別のブロックへと分解されてしかし重力に従って落ちることなく、空中に留まり続ける。

 

「ふ……んっ!!」

 

 絞り出すような声と共にソニアが腕を押し出すように動かすとモノリスブロックの一つ一つがひとりでに宙を舞い、遥か前方へと消えていく。上部から次々と分解されて飛んでいったモノリスは、アルデバランのバラニウム侵食液によって白化していた部分を除いて一分と経たずに姿を消してしまった。白化していた部分は、灰のように崩れていく。

 

 これが蝋燭の最後の輝きだった。ソニアの瞳から赤色が喪われる。同時に全ての磁力が消失して、支えを失った彼女の体は真っ逆さまに落ちていく。

 

「お姉さ……!!」

 

 上擦った声を上げたティナが姉の体を受け止めるべく落下点に駆け寄ろうとする……よりも早く、綾耶が空を飛んで空中でソニアの体を抱き留めていた。

 

「ナイス……キャッチ……ね……」

 

「喋らないで!! 安静にしていて下さい!!」

 

 ぴしゃりとそう言うと、綾耶は衝撃や振動を与えないよう可能な限りゆっくりと降下していき、用心深く着地した。

 

「お姉さん……!!」

 

 悲壮な顔で駆け寄ってくる義妹に、ぐったりと綾耶に抱えられたソニアは疲れを隠し切れない顔でしかし笑って応じる。

 

「だい……じょうぶよ、ティナ……私は……大丈夫……」

 

 少しも、大丈夫そうには見えなかった。こんなにも弱々しい姉の姿を、ティナは見た事が無かった。無理も無い。今のソニアは12時間インターバル無しで全力疾走を続けていたようなものなのだ。疲労困憊を通り越して、命すら危ぶまれるような状態である事は想像に難くない。

 

「でも……すこ……し、疲れたわ……ちょっと……休む……から……その間は……あなた達が……守って……」

 

 そう言うと、ソニアの瞳が閉ざされた。ティナは思わず息を呑むが「大丈夫、眠ってるだけだよ」と綾耶に言われてほっとした顔になった。

 

 そこに、枢が彼のイニシエーターであるエックスと、他にプロモーターとイニシエーターを各2名、彼のアジュバントを従えてやって来た。30位のプロモーターはソニアと出来るだけ同じ目線になるよう、しゃがんで巨体を可能な限り縮めると、その大きな手で少女の髪を梳いた。汗に濡れて、ぐっしょりとした感触が伝わってくる。

 

「よくやってくれたな。本当に……たった一人で。嬢ちゃんの頑張りを、無駄にはしねぇよ。おい、陽斗!!」

 

「ああ、分かってます団長。群星(むるか)。ソニアちゃんの護衛を頼むぞ」

 

「了解しました、マイマスター。では……ソニアさんはこっちのテントに……」

 

 見るからに平凡そうな風体のプロモーター、六車陽斗(むぐるまあきと)の陰から姿を見せたのは、こちらも容姿・身長・体型など全てに於いて平均的な日本人の少女という印象のイニシエーターだった。名前は数多群星(あまたむるか)。しかし侮るなかれ、こう見えても序列は666位と凄腕のペアである。

 

 群星は眠るソニアをひょいとおんぶして、後方の幕舎へと運んでいく。

 

「ソニアの嬢ちゃんは、群星に守らせるよ。俺達にはこれぐらいしか出来ないが、許してくれ」

 

 ペコリと頭を下げる枢。だが綾耶にもティナにも、彼を責める気持ちなど微塵も無い。

 

「666位のイニシエーターが護衛を務めてくれるなら安心ですね。僕達は、後顧の憂い無く戦えます」

 

「お姉さんの事……どうか、よろしくお願いします」

 

 二人のイニシエーターに頭を下げられて、枢達はうんと頷いた。とそこに、今度は長正が彼のイニシエーターである壬生朝霞を従えてやって来た。

 

「オウ、長正……全員、戦闘準備は万全か?」

 

 団長の立場にあるとは言え自分のプロモーターに対しての礼を弁えぬ物言いを受け、朝霞はむっとした表情になるが他ならぬ長正に制された。

 

「は……団長。その陣形に関してだが……本当にこのままでよろしいのですかな? 今からでも遅くはない、陣形を組み直しては……」

 

 長正の声には、迷いと懐疑の響きがあった。

 

 ソニアがモノリスを分解して前方へと飛ばした大量のバラニウムブロックは、ちょうど民警軍団と自衛隊が布陣している位置の中間の地点に集中して投下されている。倒壊したモノリスであるが、アルデバランの侵食液によって白化し磁場発生能力を失ったのは全体を支える役目を持つ下部のみであり、上部のバラニウムは特性が未だ無事であり磁場を放ち続けている。

 

 故に、仮に自衛隊が撃破された場合ガストレア軍団は、投棄された大量のバラニウム塊の影響でまっすぐ進んで民警軍団へと襲い掛かってくる事は不可能。必ず右か左に迂回してくる。

 

 迎撃する側としては左右どちらかに戦力を集中させるのは読みが外れた場合やガストレアが戦力を二分して進行してきた場合のリスクが大きすぎる為に避けるべきで、戦力・数共に両翼に均等に分けるのがセオリーだが……しかし今回、枢はそのセオリーを無視して左翼に戦力を集中して配置していた。この布陣には長正の他にも何名かが異議を申し立てていたが、枢は団長権限で反対意見を封殺していた。

 

「俺には確信がある。ガストレア共は必ず、左翼から来る。外れた時は、俺が全ての責任を取る。自害でも何でもしてやるよ。それで文句ねぇだろ?」

 

 むう、と長正が唸る。

 

 仮に読みが外れた場合、その時に発生するであろう被害は到底枢一人の命で償えるようなものではない。だが……仮にも相手は序列30位。対ガストレア戦にかけては他の誰よりも精通するプロ中のプロ、スペシャリスト中のスペシャリストであり、序列に関しては自分よりも200位以上も高い東京エリア最高位序列保持者である。その彼がここまで自信たっぷりに言うのだ。何らかの勝算は、確かにあるのだろう。

 

 信じても、良いだろうか……?

 

 そんな風に考えていた時だった。

 

 かなりの距離を隔てているにも関わらず、肌で空気の震えがはっきり分かるほどの爆音が響いてくる。

 

 自衛隊とガストレア軍団との戦闘が始まったのだ。

 

「自衛隊からの支援要請は?」

 

「ありません、まだ……」

 

 陽斗からの報告を受け、枢は「ちっ」と舌打ちを一つ。

 

「……これだから、現行人類は……種の存亡を懸けた事態に……既に10分の1にまで数を減らしているのにまだ団結出来ないなんて……」

 

 誰にも聞かれないよう、ぶつぶつ呟く。思わず演技を忘れて、正体であるルイン・ドゥベの口調が出てしまっていた。

 

「団長殿は、自衛隊が勝てるとお思いか?」

 

 焦れたように長正が尋ねてくる。枢は腕組みして、唸り声を一つ。

 

 この態度を答えかねていると見たのか、長正はもう一つ質問を重ねる。

 

「……ソニア・ライアンの力はモノリスを支える為に使うのではなく、我々は当初の予定通りプランAを実行すべきだったのでは?」

 

「いや、自衛隊にも勝算は十分にある筈だ。対ガストレアのノウハウの蓄積と、集団戦の練度、装備の質、そして第二次関東大戦で勝利した実績……特に、民警は殆どが個人携行の火器しか持てないが、自衛隊は戦車や自走砲といった兵器……飛び道具を運用出来るのも大きいな。それを考えれば……自衛隊が万全で戦えるよう、モノリス倒壊を遅らせるのも決して間違った判断ではないだろ」

 

 枢の回答を受け、長正は「確かに」と頷いた。

 

 民警が自衛隊に勝るのはイニシエーターとプロモーター二人一組で行動するが故に身軽で小回りが利くという点。そもそも民警自体がモノリス内部に”迷い込んだ”数体から多くても十数体のガストレアと戦う事を前提として作られたシステムであり、百体単位で襲い掛かってくるガストレア群との戦闘など想定していない。アジュバントシステムは、あくまで不足しがちな戦力を補充する為の後付の制度でしかない。

 

 逆に自衛隊は近代戦、つまり集団対集団の大規模戦闘を想定して日々訓練を積んでいる。今回のような多数同士の戦いに於ける錬磨の度合いは、民警軍団とは比較にならない。

 

 地球にガストレアが現れた直後ならばいざ知らず、現在ではガストレアの弱点となるバラニウムの存在も周知され、あらゆる兵器へ転用が為されている。ならば勝てる。

 

 ……筈、なのだが。

 

 誰もが、その可能性に目を瞑っていた。いや、瞑ろうとしていた。そもそも本当に自衛隊が勝つと信じているなら、こんな話自体していないのではないか?

 

 答えが出ないまま悶々としていて、どれほど経っただろうか。不意に、稜線の向こう側から聞こえていた銃火の音がまばらになり、ガストレアの声も徐々に小さくなり……やがてどちらも聞こえなくなった。

 

 この静寂が意味する所は、一つだ。戦いが、終わったということ。

 

 ガストレアか、自衛隊か。どちらかが敗れたのだ。

 

「……綾耶、さん?」

 

 ティナはすぐ隣に立つ綾耶を見て、少し驚いたようだった。レンズの奥の眼が細く鋭くなって、噛み締めた歯がぎりっと鳴っている。

 

「ティコ、あなたなら分かるでしょう? 戦いは、どちらが勝ったの?」

 

 “七星の四”ルイン・メグレズの化身であるフィーアが、自分のイニシエーターへと尋ねる。444位のイニシエーターであるティコ・シンプソン。彼女はモデル・オルカ、シャチの因子を持つ呪われた子供たちであり、その固有能力はエコーロケーション。超音波を放ち、潜水艦のソナーのように周囲の状況を把握する力である。この能力を持つ彼女であれば、視界の外であろうと何が起こっているのか手に取るように把握しているだろう。

 

 イニシエーターの表情は、暗い。

 

 それだけでこの場の全員が、言わんとしている事を察した。綾耶にも、レーダーとして使える両腕がある。彼女も、恐らくティコと同じものを感じていたのだ。

 

「……総員、構えろ。すぐに敵が来るぞ」

 

 枢からの通達を受け、民警軍団全体に緊張が走って空気が変わった。

 

 5分、10分……大きく息を吸ってそのまま呼吸を止めているような時間が過ぎて……いよいよ限界に達して誰かがふっと息を吐いたその時だった。

 

 爆発。そして黒炎の中から、大きく四角い何かが飛び出してくる。

 

 それが宙を舞って地響きと共に地面に落ちて、やっと戦車だと分かった。自衛隊で運用されている物だ。

 

 こんな物がぶっ飛んでくるという事は、つまり……

 

 考えたくもなかった結論は、前方の丘が動き出した事で証明された。

 

 勿論、地形が動く訳がない。地形そのものが動いていると錯覚するほどに膨大な数の“何か”が蠢いているのだ。

 

 夜が、白み始めた。蠢く者共の、全体像が見えてくる。

 

 ガストレアだ。数百数千のガストレアの群れが地を埋め尽くして、ぞるっと、河のように。否、津波のようにという表現が的確か。まるで大海嘯が小さな漁村を呑み込むが如く、全てを喰らい尽くさんと流れてくる。薄れ始めた闇の中に、無数の紅い光点が浮かび上がる。ガストレアの目の色だ。それら全てが、お前達も同族にしてやるぞと民警軍団を見据えてぎらついている。

 

 夜の闇が消えて、隠れる事が不可能になったガストレア群は先頭を進んでいた巨大な個体が一声上げると、一糸乱れぬ動きで菱形陣形を作って走り出した。このまま進むとぶつかるのは、民警の主戦力が配置された左翼の部隊である。

 

「団長の読みが当たったか」

 

 これは長正のコメントだった。結果論ではあり、確率50パーセントのギャンブルであったかも知れない。それでも、いずれにせよ、敵が攻めてくる所にこちらの主力をぶつける事が出来た。どのような根拠から枢がこの陣形に思い至ったかを聞き出す事は出来なかったが、結果的に彼の判断は正しかった訳だ。

 

 しかしそれでも、民警軍団全体の士気は著しく低いのが空気から伝わってくる。

 

 それも当然であろう。これほど多くのガストレアとの戦いなど、この中の何人が経験しているか。どんなプロフェッショナルでも、初めて経験する状況の前には只のルーキーでしかない。

 

 まして民警の質はイニシエーター・プロモーター共に玉石混交。強いイニシエーターはソニアのように近代兵器すら凌駕して一人の為に世界が動くほどに強いが、弱いプロモーターは民間人に毛の生えた程度でしかない。

 

 蓮太郎がリーダーを務める物も含む十数組のアジュバントを統率する中隊長、我堂英彦は強者弱者という括りで分けた場合には、弱者に分類される。何度か行われた訓練でも、命令の伝達速度の遅さや自信の無さ、決断力の鈍さが指摘されていた。

 

「そ、そういっ……そういん……!!」

 

 英彦が指揮下にあるアジュバントに指示を与えようとするが、言葉途中で噛んでしまって声の震えも隠せていない。動揺が、ありありと伝わってくる。

 

 指揮者がこれでは、上がる士気も上がらない。蓮太郎はせめて自分だけでも出来る限り大きく、強く声を上げて命令を復唱して仲間の戦意を高めようと深呼吸した。

 

「総員……っ、戦闘……」

 

 何とか英彦が声を上げようとして、

 

「総員……!!」

 

 言葉の終わりを待たず、蓮太郎が下されるであろう「総員、戦闘用意」の命令を復唱しようとして、

 

 

 

「突撃だぁぁぁっ!!!!」

 

 

 

 誰よりも先んじて、戦場全体に蛮声が響き渡った。

 

「えっ?」「なっ!?」「うそ?」

 

 一瞬だけ、民警軍団全ての意識が迫るガストレア群から外れる。

 

 だがそれが聞き間違いでも言い間違いでもなかった事は、続いて眼に入ってきた光景で証明された。

 

 民警軍団の陣形の中から、突出して前へと躍り出た影が二つ。一つは大きく、一つは小柄だった。

 

 遠目であったが、見間違える筈もない。民警軍団団長である一色枢と、そのイニシエーターであるエックス。二人はそのまま、雲霞の如きガストレア群へ向けて走っていく。

 

「バカな!!」

 

 長正が、何たる愚挙をと毒突く。

 

 指揮官が先陣切って突入するなど暴挙も暴挙、大暴挙だ。それはその個人だけではなく率いる軍すらも全滅に追い込むであろう愚行である。

 

 迫ってくるガストレアの数は、軽く千を越える。立ち向かう枢とエックスは二人。数の差はどうしようもない。

 

 枢・エックスのペアとガストレア群との距離はみるみる縮まっていって、あっという間にゼロになる。誰もが、二人がガストレアに呑み込まれて終わる未来を確信した。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 雲霞の如き異形の群れは、二人が前進する速度をほんのちょっぴりでも緩める事すら出来なかった。

 

 両腕を旋回させ、黒爪を振り回して走るエックスはさながら爆走する芝刈り機。ただし刈るのは芝ではなくガストレアだが。爪が届く範囲に入ったガストレアを少しの抵抗感もなく引き裂いて、解体していく。エックスはガストレアの群れの中に、飛行機雲のように一本の線を引いていった。彼女が真っ直ぐ走ったその跡だけには、ガストレアが存在しない。全て彼女に切り殺されたからだ。

 

 枢は、まるで巨大トラックのようだった。立ちはだかるガストレアには、一切の例外無く同じ運命が降りかかった。跳ね飛ばされ、轢き潰され、粉砕されていく。30位のプロモーターは、まだ一発のパンチすら繰り出してはいない。ただ、駆け抜けるだけ。それだけでガストレア群の陣形が乱れ、崩され、蹂躙されていく。

 

 疾走するエックスの前方に、いかにも固そうな装甲を全身に纏ったカブトムシの背中からエビのハサミが生えたような姿のガストレアが姿を見せた。

 

 エックスは今までバラバラにしてきた奴等と一味違いそうなこの相手を前に、立ち止まるどころか更に加速して突進。甲虫類と甲殻類の硬さを併せ持った鎧と、超バラニウムの鉤爪が激突する。しかし、矛盾は起こり得ない。この度は、矛の勝利であった。エックスの爪は電気を流して熱を持った銅線を発泡スチロールに触れさせた時のように、装甲をいともあっさり裂いてしまった。高い防御力が売りであったのだろうそのガストレアは、その長所を全く発揮出来ずに頭から尻まで真っ二つになって、骸を地面に横たえた。

 

「……アーニャの鎧に比べたら、まるで豆腐」

 

 枢の走る先に出現したのは、他の個体と比べて軽く2回りは巨大な体躯を持った象と亀の合いの子のようなガストレアだった。恐らくはステージⅣ。遠目でその姿を見ていた夏世は、以前に呼んだ「フューチャー・イズ・ワイルド」という本で予想された1億年後の世界に登場するトラトンという生き物を思い出した。

 

 千年単位の樹齢を誇る巨木を思わせる前肢に、枢は相撲で言うぶつかり稽古の様に突進。がっぷりと抱え込む。

 

「ま、まさか……あんなのを投げる気かっ……!?」

 

 プロモーターの一人がそう呟いた。

 

 到底無理だ。いくら大柄で筋骨隆々の枢が怪力でも、所詮は人間だ。軽く10トンはありそうな巨体が持ち上がる訳がない。

 

 それは確かに常識的な判断である。彼の意見は全く正しい。しかしそれはあくまで常識の範囲内での話である。

 

 彼には忘れている事があった。

 

 室戸菫曰く、序列100位以上は例外無く悪魔に魂を売り渡した正真正銘の化け物。序列30位の枢とて例外ではない。小賢しい常識など鼻歌交じりに超越してこそ、その域にまで達する事が出来るのだ。

 

「ぬ!! あ!! りゃあああああああっ!!!!」

 

 雄叫び。額に血管が浮かび上がり、全身の筋肉が着衣の上からでもハッキリ分かるほどに隆起・バンプアップし、枢の体格が一回り大きくなったようにさえ見える。

 

 そのままガストレアを放り投げてしまう。巨体を誇るガストレアは10メートルほどの高さにまで舞い上がって、そのまま真っ逆さまに落ちて地面に激突。ショックで脳震盪でも起こしたのか、動かなくなる。その頭部をごつい編み上げのブーツで踏んで砕いた枢は「ふうっ」と朝のジョギングの後のように少しだけ乱れていた息を整えた。

 

 これが序列30位にして東京エリア最高序列保持者、一色枢・エックスペアの実力。

 

 迸るような強さを見せ付けられて、ガストレアの群れですらもが少しだけたじろいだように見えた。

 

 二人の戦い振りを受けての変化は、ガストレア達だけではなかった。

 

「い……いけるぞ」「そうだ、勝てる。勝てるぞ!!」「団長がいれば、俺達は負けないぞぉっ!!」「俺達も続くぞ!!」「よし、団長達が開けた穴へと突入するんだ!! ガストレアの陣を崩せ!!」「団長を死なせるな!!」

 

 触発された民警達が、我先にと枢達の後に続いて、突入していく。狂奔する今の彼等は、熱に浮かされているようですらあった。

 

「成る程、これが団長の狙いであったか」

 

「……鼓舞、ですか」

 

 長正の言葉を受け、影のように従っていた朝霞が頷く。

 

 民警達は烏合の衆であり、装備も統一されておらず集団戦も不得手。ならば頼りは士気一つであるが、今の彼等はその士気すらもが自衛隊の敗北を受けて萎えかけていた。団長である枢はそれを敏感に感じ取って、敢えてセオリーを無視して最前線に立つ事で士気の回復を図ったのだ。彼とエックスは消えかけた火を再び熾す為の風だった。

 

 無論、これは彼等の圧倒的実力を前提とした策であったが……見事、図に当たったと言って良いだろう。

 

「よし、我々第二陣も続くぞ!! 朝霞、遅れを取るな!!」

 

「はい、長正様!!」

 

 双刃の剣を抜き放ち、長正は丘を駆け下りていく。朝霞も腰に差していたバラニウム製の日本刀を抜いてそれに追従。更に長正の指揮下にあったアジュバント中隊も続いた。

 

「……それじゃ、僕達も行くよ。援護よろしく!!」

 

「任せて下さい」

 

 綾耶は飛び立ち、ティナはシェンフィールドを散開させると同時に、自らは匍匐して狙撃体勢を整える。時をほぼ同じくして民警軍団も前進を開始する。

 

 かくして、決戦の火ぶたは切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、主戦場となった左翼とは反対方向。ソニアが吹き飛ばしたバラニウムブロック投棄地点によって分断された右翼の、森林地帯。昼尚暗いこの森の中には、ガストレアの死骸が累々と転がっていた。数は、ざっと見ただけでも軽く百は越えている。

 

「マスター」「ドゥベ」「随分と派手に」「始めた」「みたいね」

 

 大きな物も(比較的)小さな物も、ステージⅠも居ればステージⅣの姿も確認出来る。この一帯はそいつらが流した血で、むせ返るような悪臭に包まれていた。

 

 と、地響き響かせてこのエリアに数十体のガストレアが進行してくる。知能を持たないとされるガストレアであるが、流石に同族の死骸がごろごろ転がる中を進むのだから、心なしか足取りは慎重なようだった。

 

「ああ、また」「愚かな獲物が」「やってきたのね」

 

 声が響く。それに反応して、ガストレア群は動きを止めた。そして円陣を組んで360度どこからの攻撃にも対応出来る構えを取った。

 

「だが」「ここから先は」「通行止め」「私達が」「いる限りは」

 

 響く声は、全て同一人物の声色だった。しかし言葉には微妙に間があって、不自然に途切れ途切れである。

 

 人魂のように、無数の紅点が浮かび上がる。この赤色は呪われた子供たちの瞳の色。その数は、ガストレア達の瞳の数よりもずっと多い。

 

 やがて森の中から、修道服のような真っ黒いローブを纏った一団が姿を現した。目深に被ったフードで顔は見えないが、紅く輝く両眼がイニシエーターである事を示している。彼女達は全員がアサルトライフルやショットガン、バズーカなど近代火器で武装していた。

 

「何百体でも」「かかって」「きなさい」「私」「いや」「私達」

 

 イニシエーターの一団は、示し合わせたように一斉にフードを取る。その下から現れたのは、どこにでも居そうな少女の顔だった。

 

 序列666位のイニシエーター。数多群星。

 

 だが、有り得ない。群星は今頃はソニアの護衛の為に、民警軍団陣地の後方で彼女の傍に付いている筈なのだ。しかもこの数はどうだ。まるで合わせ鏡のように。何十人というイニシエーター達は、全員が群星と同じ顔、同じ声をしていた。

 

「モデル・コーラル」

 

「群体生物、珊瑚の因子を持つ」

 

「呪われた子供たち(イニシエーター)」

 

「数多群星・百人衆が」

 

「マスター・ドゥベとマスター・ミザールの命を受け」

 

「最後の一匹まで」

 

「お相手するわ」

 

 無数の群星達はシンクロナイズドスイミングのように整然とした動きで手持ちの火器を構える。そして合図も必要とはせず素晴らしいタイミングで、数十の銃口が一斉に火を噴いた。

 


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