ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第29話 少女達の戦場(後編)

 

 姿は、見えない。

 

 だが、気配は感じる。

 

 そしてそんな曖昧なものよりずっと確かな感覚で、綾耶とソニアは敵の接近を察知していた。

 

 綾耶の両腕はガストレアウィルスの影響で象の鼻のように変異していて、空気や水といった流動する物体を吸い上げ圧力を掛けて放出する機能がある。その能力から、彼女は腕で空気の流動を感じ取って視覚に頼らず周囲の状況を完璧に把握する。

 

 ソニアはデンキウナギの他にもシビレエイやデンキナマズといった発電魚がそうであるように微弱な電磁波を周囲に放ち、その反響を感じ取って生身のレーダーとして定位を行う力がある。

 

「夏世ちゃん、銃はしっかり構えていて」

 

「ティナ、一瞬も気を抜いちゃダメよ……」

 

 油断無く身構えつつ、二人は互いの右隣に立つイニシエーターへと注意を促す。

 

 見えざる敵は、すぐそこまで迫っている。

 

 敵の位置は……!!

 

「私の後……!!」

 

「そこだ!!」

 

 ソニアが叫ぶ声に先んじて、跳躍した綾耶の蹴りが空間に繰り出されていた。

 

 そして、本来なら何も無い所を素通りする筈のキックは、ソニアのすぐ後ろ1メートルほどの位置で明らかに何かにぶつかったような動きを見せて、綾耶はその反動で空中で一回転し、着地。同時に、綾耶が蹴ったそこからは景色から溶け出すようにして、一人の少女が姿を見せる。

 

 先程、エックスと延珠が教会内で交戦した二人のイニシエーターと同じ戦闘服を着ていて、真紅の両眼からやはり彼女もイニシエーターだと分かる。だがその瞳は意思の光を宿しておらず、無表情も合わさってまるでロボットかマネキン人形のような印象を綾耶は受けた。

 

「え、えっと……出来れば見逃して欲しいんだけど……ダメ、だよね?」

 

 眼鏡を掛け直しながらダメ元でそう言ってみるが、返事は言葉ではなく攻撃だった。

 

 ただし、それはナイフや刀、あるいは銃弾でもなく。

 

「っ、触手!?」

 

 イニシエーターの背中から服を突き破って頭足類のような数本の触手が生えて、それらが鞭のようにしなりながら綾耶へと襲い掛かってくる。

 

 その数と不規則な動きは、視覚では捉えきれない。

 

 だが綾耶は視覚に頼らない。

 

 ほんの僅かな隙間でしかない安全地帯に滑り込むように体を動かして全ての攻撃を避けると、触手の死角となるイニシエーターの眼前へと肉迫。そこから放たれるのは、最大の陸上動物である象の因子がもたらすパワーを存分に乗せた、必殺のパンチ。

 

 タイミング・間合い共に完璧。イニシエーターの胸の急所に拳の鉄槌が突き刺さる。そこを打たれては如何に再生する呪われた子供たちでも、しばらくは激痛と呼吸困難で確実に戦闘不能になる筈。それが綾耶の狙いでもあったのだが……

 

 しかし、イニシエーターは威力に押されて数歩ばかりは後退ったものの、まるで応えていないかのように攻撃を再開してきた。

 

「これは……!?」

 

 一瞬、綾耶が戸惑ったように動きを止める。これはソニアや夏世には異様なタフさに驚いての反応に見えた……が、実際は違っていた。

 

 手応えが、おかしい。綾耶のパンチはガストレアであろうと、ステージⅠ程度なら一撃の下に粉砕する。だからイニシエーターであろうと人間を殴ったからには、骨の砕ける手応えが伝わってくる筈なのだが……それが、無かった。代わりに伝わってきたのは……まるで大型トラックに使われるタイヤをブッ叩いたような、弾力のある繊維がぎゅうぎゅうの高密度に詰まった物体の感触だった。

 

「綾耶さん、危ない!!」

 

 僅かに反応が遅れた綾耶は危なくイニシエーターの触手に掴まりそうになったが、ティナの援護射撃によってイニシエーターが後方に飛び退いた事で辛くも難を逃れる形になった。

 

「ありがとう、ティナちゃん」

 

「礼には及びません……でも、中々手強いみたいですね」

 

「うん……」

 

「綾耶さん、あの触手……彼女は恐らくモデル・スクイード、イカの因子を持つ呪われた子供たちです」

 

 明晰な頭脳を持つ夏世が、そう分析する。

 

「触手は分かるけど……じゃあ、最初に透明になってたのは?」

 

「コウイカの仲間であるミナミハナイカは、皮膚の中に1平方ミリメートル当たり200個もの色素胞を持っていて、それらを収縮させて体色を変化させ、海底や海藻に擬態します。景色に溶け込む透明化は、その能力の応用でしょう」

 

 ソニアの疑問にも、夏世は即答してみせた。

 

「夏世ちゃん、実はさっき僕が彼女を殴った時……骨が無いみたいな異様な手応えを感じたんだけど……それも、イカの特性なのかな……?」

 

「……恐らくは」

 

 綾耶の問いを受けてほんの数瞬だけ黙考すると、夏世が頷く。

 

「触手がそうであるように、彼女は綾耶さんと同じくガストレアウィルスの侵食によって肉体が変異しているタイプのイニシエーター。パワー特化型の綾耶さんのパンチをまともに受けてびくともしないという事は……うん、多分彼女には本当に骨が無いんでしょう」

 

「……ほ、骨が無いって……じゃあ、どうやって立ってるんですか?」

 

「簡単ですよ、ティナさん。筋肉だけで体を支えてるんです」

 

「……有り得るの? そんな事が……」

 

「有り得ないとも言い切れませんよ? 前に読んだフューチャー・イズ・ワイルドって本では、人類が滅んだ後の2億年後の世界の地上では脊椎動物が絶滅していて、それに取って代わる形で無脊椎動物が地上に進出、触手の筋肉を歩行が出来る程に発達させた8メートルもある巨大イカが森を歩いていると考察されてます。元々、タコやイカといった軟体動物は、全身が複雑に絡み合った筋肉の塊みたいな生物ですから……ガストレアウィルスによってその特性が強化されているとしたら、骨格を持たない体も……十分有り得ます」

 

「だとすると、こりゃ相当厄介だね」

 

 綾耶が、そう言って締め括る。

 

 骨格を持たないという事は、まず関節技の類は全てが無効。打撃も、分厚い筋肉に衝撃を吸収・分散されてしまって効果薄。締めによる攻撃も簡単に抜けられてしまうだろうし、投げてもやはり衝撃を散らされて有効打には成り得ないだろう。それどころか重心をズラされて、投げそのものが不発に終わる可能性もある。

 

 ならば斬るか突くか、あるいは銃撃だが……それぐらいは相手も想定しているだろう。上手く決まるとは思えない。

 

 では、どうするか?

 

「私がやろうか?」

 

 ソニアが一歩前に出る。

 

 いくら超高密度・単位面積当たりの仕事量が破格の筋肉であっても、構造と仕組みそれ自体は人間と同じ。活動電位が流れればその部位の筋肉が収縮する。ならばソニアの電力は、スタンガンのように対象の筋肉を麻痺させて、無力化するのにうってつけであった。

 

 だが……

 

「お姉さん……!!」

 

 心配半分、咎めるのが半分という感じでティナが言って。

 

「大丈夫、僕に任せて」

 

 ずい、と綾耶が前に出る。

 

 ソニアの侵食率は既に限界間近。力を無駄遣いさせる訳にはいかない。ソニアの為にも、ティナの為にも。

 

「綾耶さん、気をつけて下さい。モデル生物がイカだとすれば……バラニウム武器で攻撃しない限り、手足や触手が再生するかも……私が、援護します」

 

 象の因子によるパワーを活かした打撃が決定打にならない以上、綾耶の主力武器は超圧縮した空気のカッターによる斬撃。だが、自慢の見えない刃物は強力ではあるがバラニウムの武器ではないので、余程破壊的な損害を与えない限りガストレアや呪われた子供たちが相手では決定打とはならない。これまで綾耶はまさにその破壊的なダメージを与えてのオーバーキルで問題を解決してきたが、ここへきて天敵とも言える敵が現れた。

 

 骨格を持たない体の前に打撃は効果薄、斬撃も高い生命力・再生力で封じられる。

 

 ならば夏世の援護こそが勝負の鍵、と言えるが……

 

「いや、大丈夫。夏世ちゃんはソニアさんを衛って」

 

「でも、一人では……」

 

「……突然だけど、夏世ちゃんはパソコンとか家電を買ったら、取り敢えずテキトーに弄って体感で操作を覚えるタイプ? それとも、説明書をじっくり読んでから操作するタイプ?」

 

「え?」

 

 夏世の言葉を遮り、唐突に質問する綾耶。脈絡の無いいきなりの問いに、イルカのイニシエーターは眼を丸くする。

 

「どっち?」

 

「え、ええ……私は、説明書を見てから操作するタイプですけど……」

 

「ティナちゃんと、ソニアさんは?」

 

「わ、私も説明書を読んでから使うタイプです」

 

「私は体感で操作を覚えるタイプね。特に電化製品は、一度電気を流せば大体構造と機能が分かるから」

 

 ティナとソニアもそれぞれコメントする。

 

 ここまで聞いて、大体綾耶が何を言いたいのか。3人とも分かり掛けてきた。

 

「僕も、説明書を読んでから操作するタイプでね。期間は短いとは言え、しっかり練習してから使いたかったんだけど……」

 

 すっと、綾耶が両手を掲げる。

 

「そうも、言ってられないよね!!」

 

 吼えた、その瞬間。綾耶の修道服の両袖が、爆ぜた。

 

 露わになった彼女の両前腕と拳が纏うのは闇よりも濃く月のように冷たい、紛れもない超バラニウムの輝きを持った手甲。

 

「バラニウムの、籠手(ガントレット)……!!」

 

 思わず、夏世が息を呑む。

 

「……一見しただけだけど、凄い精度ね……そんな武器を作れる人となると……」

 

「ドクター室戸……!!」

 

 ソニアとティナのコメントに、綾耶は頷く。

 

「そう。これは今朝、菫先生にもらったばかりなんです」

 

 

 

 

 

 

 

『先生、この籠手は……』

 

『今日完成したばかりの、君の為の武器だ。二日後の決戦に臨む君へ……私からの、ささやかな餞別だよ』

 

 試しに装着した籠手は、大きくも小さくもなくあつらえた様に綾耶の腕にぴったりだった。

 

『でも……良いんですか?』

 

『ん?』

 

『先生は、僕達があまりに強くなる事には反対だったのでは? だからゾーンに至る前の成長限界だって、これ以上強くなる必要がない神様からのお達しだって言ってたじゃないですか』

 

 四賢人の一人はふっと微笑し、優しい眼で綾耶を見詰める。

 

『他の呪われた子供たちであったのなら、武器を造って渡したりしないよ。綾耶ちゃん、君だからこそだ』

 

 長い間陽光を浴びず、病的なほど色白な手がぬっと伸びて、しかし丁寧に綾耶の頭を撫で回した。

 

『君ならきっと私の武器を正しく使って、聖天子様を、延珠ちゃんを、このエリアの全ての人達を衛ってくれると信じているからこそ託すんだ。人の悪意を受けて、差別されても。誰かに裏切られても。大切な人達を奪われても。それでも、その人達を衛ってくれる本当に優しくて強い子だと思うから、これを渡すんだ』

 

『……先生』

 

『ん?』

 

『約束します。僕は決して、先生の気持ちを裏切らない。先生がくれたこの力を僕は……聖天子様と、僕の友達と、このエリアに生きる全ての人を衛る為に使う事を、誓います!!』

 

 

 

 

 

 

 

 そして今、約束を果たす最初の機会が訪れた。

 

 綾耶は空手で言う中段に構える。両腕に装着されたバラニウムの籠手はその動きに連動するようにして重厚な音を立てて変形し、肘の部分にロケットエンジンの噴射口のようにも見える機構が顔を出した。

 

 

 

 IP序列番外位・将城綾耶専用装備、超バラニウム製対ガストレア噴射籠手『バタリング・ラム』起動。

 

 

 

 綾耶の戦闘準備が整ったのを見計らったように、敵イニシエーターも体勢を立て直した。パワー特化型イニシエーターの中でも更に上位にランクされるであろう腕力を秘めた両腕と、恐らくは同等以上のパワーを秘めた6本もの触腕を水車のように回しながら、突貫してくる。

 

 敵にしてみれば、これまでの攻防や事前に行われていたであろうブリーフィングから綾耶の攻撃は打撃にせよ斬撃にせよ致命傷にはならないと踏んでいるから、思い切って攻めてこれるのだろう。その判断は、間違いではない。

 

 これまでは。

 

 空気の流れを読み取り、全ての攻撃を感じ取ってかわす。避けきれないものは、弧を描くように腕を回して捌く。

 

 再び、肉迫。

 

 ここまでは、先程と同じ流れ。ついさっきは綾耶の打撃が決まるものの、骨格を持たないこのイニシエーターには有効打とは成り得なかった。

 

 違いとなるのは、起動状態となった綾耶の専用装備。その機能こそが、結果をも分ける。

 

 バン!!

 

 何かが破裂するような爆音。一刹那遅れて、肘部分の噴射口が膨大な空気を吐き出す。その瞬間、夏世にも、ティナにも、ソニアにも、綾耶の肘から先が消えたように見えた。

 

 ロケットエンジンのような噴出口からもたらされた爆発的な加速を得た綾耶の拳は、高い練度を持ったイニシエーターの眼にすら映らない速さでまさしく小さな破城鎚(バタリング・ラム)と化して、鈍い音を立ててイニシエーターの胸に突き刺さった。

 

 数秒間、イニシエーターは棒立ちの状態で、綾耶は拳を叩き込んだ状態のままで膠着状態となる。

 

 先に、変化を見せたのはイニシエーターだった。

 

 口元から、どす黒い液体が垂れる。イカのスミだ。そのまま血泡のようにぶくぶくと空気が混じって、イニシエーターは仰向けに倒れた。

 

「あ、相手が打撃に強い耐性を持っていて有効打にならないなら……有効打になるぐらい強力な打撃を入れればいい、ですか……凄い力業ですね」

 

 相手を倒すのに100の威力が要るが、相手は打撃の威力を九割殺してしまう。つまり100の力で攻撃しても10の威力しか伝わらない。ならばどうするか? 答えは簡単、1000の威力を叩き込めば良い。元98位にして機械化兵士としての力を持つティナをして、ドン引きさせるに十分な滅茶苦茶な所行であった。

 

「……機能自体は、蓮太郎さんの義手と同じですね」

 

 と、夏世がコメントする。

 

 彼女の分析通り、綾耶の専用装備である『バタリング・ラム』の機能は菫が携わっていた新人類創造計画セクション22と戦術思想を同じくしている。つまり爆発的な加速を生み出し、人の手でガストレアを葬り去るだけの圧倒的な破壊力を実現すること。

 

 蓮太郎は義手に内蔵されたカートリッジを炸裂させる事でその爆速を得ているが、綾耶は籠手の内部に充填した圧縮空気を開放する事で、同様の結果を実現している。

 

 ただし『バタリング・ラム』は蓮太郎の義手とは違い、子供で小柄な綾耶にサイズを合わせている事とあくまで着脱可能な『装備』である事から、カートリッジシステムは廃止され、その収納スペースもオミットされている。

 

 ならばどのようにして空気を内部に溜め込むかだが……その課題は、綾耶が本来持つ両腕からの空気の吸引能力によって解決される。

 

 人間である蓮太郎ですら、義手の力を使えばガストレアを一撃で粉砕する破壊力を発揮する。ましてやそれをイニシエーターが、しかもパワー特化型である綾耶が使えばどうなるか。想像したくもない恐ろしい威力を思い描いて、夏世はごくりと唾を呑んだ。

 

 何よりも特筆すべきは。

 

「他の人がそれを身に付けても、只のガントレットとしてしか使えない……腕から空気を吸い込める綾耶さんであるからこそ、その籠手の真価を引き出せる……!! まさに綾耶さんの為だけに造られた、専用の武器……!!」

 

「象の因子によるパワーと、流体を吸い込む力を応用する知恵と、特性を最大限に引き出すバラニウムの専用武器と……それに、綾耶ちゃんは空手も使えるみたいね」

 

「紫帯ですけどね、まだ」

 

 くすっと笑いながら、残心を解いた綾耶が振り返る。うんうんと腕組みしつつ、ソニアは頷いて返した。今の綾耶には考える限り、イニシエーターの最強の戦闘スタイルとなる要素が全て揃っている。しかもそれらの要素は全て相性とバランスが良く、ポテンシャルを最大以上に引き出している。

 

「……今のあなたと戦ったら、私でも危ないかもね」

 

「謙遜は止して下さいよ、ソニアさん。今の僕じゃ戦ったら、多分ソニアさんの楽勝でしょう。大体してソニアさん、前に僕と延珠ちゃんが二人掛かりで戦った時ですら、実力の半分……いや、3分の1も出してはいなかったでしょ?」

 

 肩を竦める綾耶。ソニアもふんと鼻を鳴らす。

 

 そんなやり取りの後、綾耶は大きく息を吐いた。

 

「取り敢えず、襲撃は退けた……と、見て良いですよね」

 

「ええ、そうみたいね」

 

「シェンフィールドでも、周囲に敵影は確認できません」

 

 3人のイニシエーターがそれぞれ、自分の索敵手段から得た情報を報告し合う。綾耶の空気レーダーも、ソニアの微弱電流センサーも、ティナのシェンフィールドも、敵の存在を捉えていない。残る夏世も、彼女の五感に襲撃者の気配は引っ掛からない。

 

 終わった。

 

 誰もが、そう思った。

 

「!?」

 

 異変に気付いたのは、綾耶だった。

 

 ソニアの、すぐ後ろ。空間に、人のカタチが溶け込んでいる様に見えた。ほんの少しだけ、景色が人型にズレているように見えたのだ。

 

 何か、ヤバイ。

 

 全く無根拠の直感だが、綾耶は躊躇わずにそれに従った。掌をソニアへとかざして、吸引能力を発動。あっという間にソニアの体は巨大掃除機に吸い込まれたように綾耶へと引き寄せられる。

 

「え? ちょ、綾耶ちゃ……」

 

 そして、綾耶の判断は正解だった。

 

 さっきまでソニアの頭があった空間を何か(恐らくは刃物)が薙いで、彼女の蒼い髪が十本ばかり切り落とされた。

 

「「なっ!?」」

 

 驚愕しつつも、ティナと夏世は素早くその場から飛び退いて身構える。

 

「ふん……運の良い奴等だ、ギリギリで俺の存在に気付くとはな」

 

 声が響く。それを合図として何も無い、誰も居なかった筈の空間から突如として現れたのは、身長190センチを越える大男だった。

 

「な……何です、この人は……!?」

 

「どうして私のシェンフィールドにも、綾耶さんの空気のレーダーにも、お姉さんの電波センサーにも引っ掛からなかったんですか……?」

 

「……マリオネット・イジェクションね」

 

 ぼそりと、ソニアが言う。3人のイニシエーターの視線が彼女に集中し、大男は「ほう」と感心した表情になった。

 

「知ってるんですか? ソニアさん」

 

「うん。四賢人の一人である、オーストラリアの機械化兵士計画『オベリスク』の責任者であるアーサー・ザナックが開発した機械化兵士としての兵装よ。その能力は、皮膚に埋め込まれたナノマテリアルによる光学迷彩……つまり、透明になる能力ね」

 

「でも、それだけならシェンフィールドを欺けたのは兎も角、綾耶さんやお姉さんが探知できなかった説明が付きませんが……」

 

 妹分の疑問に、ソニアは頷いて返す。

 

「多分……こいつの装備にはオリジナルには無い改良が施されているわね。恐らく、だけど……ノイズを消去するヘッドホンが雑音(ノイズ)と逆位相の音波をぶつけて相殺するように……動く事による空気の揺れを皮膚を微妙に振動させる事でパターンを誤魔化して、綾耶ちゃんのセンサーを無効化したのよ。私の電波センサーで捉えられなかったのも……多分電波を体表で吸収するか、皮膚の方が微弱な電波を発信して、正確に受信できなくした……って所でしょうね」

 

「成る程、流石は元11位だな。博識なだけじゃなく、全てお見通しという訳か」

 

「元11位と知って、私の前に立つとは……それに、さっきから何か感覚がおかしい気がしてるし……MECMも持ってきてるわね」

 

「その……M、ECM……というのは何ですか?」

 

「マグネティック&エレクトリック・カウンター・メイジャー……SR議定書で造られた、ソニアさんの力を無力化する為の装備です」

 

「具体的にはその装置自体が攪乱電磁波を発していて、お姉さんに放電や磁力を使った金属操作を出来なくさせてしまうんです」

 

 ソニアの最大の強みは何と言ってもデンキウナギという極めてレアな電撃生物の特性を活かした放電攻撃と、それを応用して造り出した磁力によって金属を操り、バラニウムの武器を無力化してしまう事。それが封じられてしまうとなると、キツい。

 

 だが、ソニアも含めて他の3名にも動揺は無い。

 

 今回綾耶達にとって、ソニアは戦力ではなく護衛対象。最初から、彼女に頼るつもりはない。

 

 綾耶が天地上下に構え、ティナは二丁拳銃の銃口を男に向け、夏世も同じように腰溜めに構えたショットガンを狙いを男の胸に合わせる。

 

 いくら相手が機械化兵士であろうと、こっちはイニシエーターが3名。しかもその内一人は機械化兵士の力をも併せ持つハイブリッド。まず勝てると見て良い戦力差だが……

 

「おっと……ベタな手だが動くなよ。コイツの命が惜しければな」

 

「あ……かはっ……!!」

 

 男がぐいっと腕を掲げると、一人の少女が首を鷲掴みにされて吊り上げられた。イニシエーター3名の顔に、動揺が走る。

 

「ササナちゃん……!!」

 

 この学校の生徒の一人である呪われた子供たちだ。逃げ遅れて、捕まってしまったのだろう。

 

「俺の名はソードテール。俺の目的は、あくまでソニア・ライアンだけだ。ソイツが大人しく殺されるなら、他のヤツには何もしないと約束しよう」

 

「……言うまでもないと思いますが、耳を貸さないで下さいね、皆さん」

 

 夏世が男、ソードテールの提案を切って捨てる。

 

 モデル・ドルフィンの明晰な頭脳はこの状況でも冴えている。実際、夏世の判断は全く正しい。第一にこのソードテールが約束を守る保証が何処にも無いし、第二に状況から考えて襲撃者達は明らかにこれを反ガストレア団体が起こしたテロにソニアが”巻き込まれた”という形でカモフラージュしようとしている。つまり、ソニアだけを殺すのが目的だったとバレないように、他の子供たちも皆殺しにされる可能性が高い。

 

 第三には、この状況は実はまだ五分以上なのだ。確かに、ササナを人質に取られてはいるが……同時に、ササナを殺したが最後ソードテールは3名のイニシエーターの一斉攻撃に晒される。状況や雰囲気から圧倒的に綾耶達が不利と錯覚しそうではあるが、夏世はそこを誤魔化されてはいなかった。ギリギリのタイミングだったが最初の一撃でソニアを殺せなかった時点で、ソードテールは相当不利になってしまっていたのだ。

 

 とは言え、ササナを犠牲にする事は綾耶にも夏世にも、ティナにも出来ない。ソードテールもササナを殺せない。

 

 行き詰まり状態である。

 

 だが、破局点があった。

 

 この場には、超越者が居た。

 

「……あなた、何をしてるの?」

 

 抑揚の無い、棒読みの合成音のような声が静かに響く。

 

 ソニアの声だ。

 

 同時に、この廃墟を住処としていた野鳥たちが眠りから目覚めて、真夜中だと言うのに何処かへと飛び去っていく。

 

 野生の動物である彼等は、突如として湧き上がった巨大な殺気を敏感に察知して少しでも遠くへ離れるべく行動したのだ。

 

「これは……!!」

 

「あの時と同じ……!!」

 

「お姉さん……!!」

 

 この状況に、3名のイニシエーター達は覚えがあった。ティナと戦った時、戦意を失ったティナに保脇が銃口を向けた時と同じものだ。

 

 あの時もいきなりソニアの殺気が膨れ上がったと思ったら次の瞬間には、保脇の銃を握っていた手がいきなり引き千切られてソニアの手に握られていたが……

 

 ただし、ソードテールは保脇とは違って戦闘経験も豊富であり急激に強くなった殺気に敏感に反応して、反射的な速さで銃をドロウ、銃口がソニアの体に向いた瞬間、引き金を引く。

 

 

 

 パ……

 

 

 

 瞬間、ソニアの両眼が紅く輝き……彼女の視界に映る全てが、静止したように見える。

 

 銃弾は、銃口から出てすぐの位置で止まっている。

 

 綾耶達は、警戒した厳しい表情のままで固まってしまっている。

 

 砂埃ですらもが、舞い上がった位置で動きを止めていた。

 

 より正確には、止まっているのではない。非常にゆっくりと、コマ送りのように。超スローで動いている。

 

 ソニアの体感で、銃弾は秒間1センチぐらいの速度で前進している。綾耶達も、注意深く見ないと分からないが本当に微妙に動いている。砂埃も同じで、僅かずつ形を変えている。

 

 これが以前に、いきなり保脇の腕をもぎ取った手品の正体であり、ティナも知らないソニアの奥の手だった。

 

 元11位、ゾディアックの一角を落とした伝説のイニシエーターの最強能力は放電でも金属操作でもない。

 

 それは、スピード。

 

 ガストレアウィルスによって強化された発電器官によって生み出される膨大な生体電流と、それに耐え得る強靱な神経系。この二つの組み合わせによって全身の筋肉に意思や鍛錬で到達し得る限界を超えた最大収縮を起こし、ソニアはコンマ1秒程度の短時間でしかないが、電光そのものとなる。その速度はマッハにして400を軽く越える超々高速。その加速世界に対応すべくギアを上げた彼女の感覚の前には、万象の一切合切が止まって見えるのも道理であった。

 

 超スローな世界の中でジム・クロウチの「time in a bottle」を口ずさみながら、ソニアは動き出す。

 

 まずは悠々とソードテールの前まで歩いていって、ササナの首を掴んでいる指を一本一本丁寧にへし折りつつ、自由になったササナの体を担いで10メートルも離れた所まで運んで注意深く丁寧に下ろすと、またソードテールの眼前にまで戻って、今度は無造作に手から銃をもぎ取って、ぽいと捨てる。ハンドガンは、空中で数メートルだけ動いた後、その空間に静止した。

 

 更にソニアは既に発射されていた銃弾を側面からチョンとだけつつく。これで、この弾は明後日の方向へと吹っ飛んでいく。

 

 そこから、ソードテールの銃を持っていた手に触れて握り拳を作らせると、肘を曲げさせた後で内側へとぐっと押して拳を顔にめり込ませ、自分で自分を殴るように仕向ける。その後で彼の懐に手を入れてまさぐって、スマートフォンぐらいの大きさの端末を取り出した。これがMECM、これまでソニアの放電や磁力操作を封じていた機械である。彼女はそれをぐしゃりと握り潰して捨ててしまった。

 

 トドメに、懐からサインペンを取り出すとまるで羽子板で負けた相手にそうするようにソードテールの顔中に落書きをして、悠然とした歩みで綾耶達のすぐ傍まで戻る。

 

 そして、能力を解除する。

 

 神経系のギアが雷速から低速へとシフトして、世界が、正常な速度を取り戻す。

 

 

 

 ……ン!!

 

 

 

「ぎゃっ、ぶっ!?」

 

「え? あれ、私……え!?」

 

「これは……あの時と同じ……!!」

 

「な、何が……!?」

 

「い、いやそれよりも……ササナちゃん!!」

 

 この時ばかりは、驚愕は敵も味方も変わらなかった。

 

 首を締め上げられていたササナがいきなり10メートルも離れた位置に瞬間移動していて、ソードテールは握っていた筈の銃をあらぬ方向へと放り出し、更にはその手で自分を殴っていた。おまけにもう一方のササナの首を絞めていた手の指は、全てが折られている。ソニアの胸に着弾する筈だった弾丸は、明後日の方向へとすっ飛んでいった。

 

 パンと銃声が鳴る間に、一体何が起こったのか!? 綾耶にも皆目見当が付かなかったが、しかしいち早く我に返った彼女はササナの傍まで駆け寄ると、友達を自分の背後に庇った。

 

「き、貴様っ……!!」

 

 ソードテールは懐からプラスチック製ナイフを取り出し、ソニアへと投擲しようとするがそれよりも背後からコンクリートの塊が飛んでくるのが早かった。

 

「がっ!!」

 

 後頭部にコンクリートが直撃し、ソードテールはばたりと倒れた。

 

 これは、ソニアの電磁力によるものだ。ここは廃墟。町中ほどではないが、彼女が操れる金属はいくらでもある。特に、倒壊した建物に使われていた構造材などは。

 

 コンクリートがぶるぶると震えて砕け、中に埋め込まれていた鉄骨が姿を見せる。磁力が作用した鉄骨は蛇のように動いて、ソードテールの皮膚を突き破って体の中へと侵入していく。

 

「ぎ……ぎゃ……ああああああああっ!!」

 

 悲鳴が上がる。当然だ、体内に錆び付いた金属が侵入してそれが全身を食い破って進んでいくのだ。その痛みたるやどれほどのものか。綾耶は、反射的にササナの眼と耳を覆った。思わず、ティナと夏世も眼を背けた。

 

 ソニアの前に立つ以上、ソードテールとて全身から金属を取り除いて来ているのだろうが……こうして体内に鉄骨を埋め込んでしまえば関係無い。ましてや、金属操作を封じるMCEMも既に破壊されている。

 

 デンキウナギのイニシエーターがそっと手を上げると、磔のように両腕を左右にぴんと広げられたソードテールの体は地面から10センチほどの高さに浮き上がった。

 

「な、何を……」

 

 磁力によって拘束された体の中で、ソードテールは唯一自由になる口を動かして尋ねた。

 

「……何をする気だ、って?」

 

 ソニアは、くすりと笑みを漏らす。

 

「あなたは、招かれざる客……なら、こちらがさせてもらう処置は一つだけよ」

 

 そうして、一度肘を軽く曲げて何かを押し出すような仕草を見せる。

 

「う、うわああああああああああああああああああっ!!!!」

 

 その動作に連動するようにしてソードテールの体は、ドップラー効果を伴う悲鳴と共にまるでホームランボールのようにすっ飛んで空の彼方へと消えていった。

 

 3人のイニシエーターは、全員が眼を丸くしている。人間があんな風に飛んで、しかも姿が見えなくなる所など彼女達をして初めて見るものだった。これがアニメや漫画なら、見えなくなった所でキラーンと星が輝いているようなシーンだ。

 

 ソニアの言った通り、招かれざる客に対する措置は一つだ。

 

 丁重に、お引き取り願うという訳だ。

 

「大丈夫? ササナちゃん……」

 

「う、うん……あややお姉ちゃん、悪い奴は……」

 

「あいつなら、星になったわ」

 

 と、冗談めかしてソニアが言う。ちなみに、このセリフは間違いではない。ソニアが磁力でソードテールをぶっ飛ばした際の初速は、軽く第一宇宙速度を超えていた。今頃は大気圏を突破して、デブリベルトの中で世界一小さな人工衛星と化して周回軌道に乗っているだろう。

 

 綾耶はササナをまだ自分の背後に置きつつ、周囲を警戒している。空気の揺れは、今の所は不審者の接近を伝えてはいないが……今のソードテールのようなヤツが居たのだ。自分のレーダーとて絶対ではない。油断は出来なかった。

 

 ちらりとティナに視線を送る。シェンフィールドに反応は無し。続いてソニアを見ると、彼女の電磁センサーも同じ結果のようだ。

 

「……機械化兵士は手術の成功率の低さから量産には不向き……それに、イカのイニシエーターのその子を捨て駒の囮に使って攻撃してきた訳だし……もう次は無いと見て良いでしょうね」

 

 少なくとも今日の所は、と付け加えてソニアの眼から赤色が消滅する。

 

 綾耶、ティナ、夏世の3人も頷き合うと力を抑えて、彼女達の瞳も本来の色へと戻った。

 

「あの……お姉さん、すいません。私がお姉さんを衛る筈だったのに……」

 

 申し訳なさそうに、ティナが上目遣いでソニアを見る。

 

 ソニアの侵食率は既に45パーセントを超える超々危険域。そして今回の戦闘で力を使ってしまったから、そこから更に上がってしまっただろう。菫の見立てでは、ソニアが戦闘に耐えられるのは3回が限度だとされている。その内の1回を、早くも使ってしまった。

 

 今日、ソニアの寿命は何日減ったのだろう。十日か、二十日か。

 

 少しでもお姉さんと一緒に居る為に、自分が戦うと。お姉さんには戦わせないと、決めたのに。

 

『私が……不甲斐ないから……!!』

 

 忸怩たる想いからティナが瞳に涙を溜めるが、ソニアはそんな義妹の頭を引っ掴むと、ぐいっと自分の胸に抱き寄せた。

 

「良いのよ。ティナ……私は……あなたから……百年生きても得られないものを、既に貰っているから」

 

 そのまま、ソニアの手がティナのプラチナブランドの髪を優しく撫でていく。それが、限界だった。ティナはそれ以上堪える事が出来ずに、年相応の子供のように泣きじゃくった。

 

『でも……そろそろ、潮時かも知れないわね……』

 

 考えながらソニアはそんな妹分を、泣き止むまでずっと頭を撫でたり背中をさすったりしてやっていた。

 

「綾耶、無事か!!」

 

「延珠ちゃん、エックスさんも……」

 

 教会の中で戦っていた二人が、出て来ていた。

 

「……敵は片付けた。これから、どうする?」

 

「まずは松崎さんと合流して、学校の生徒全員の安全を確認しましょう。欠員が居た場合は教会内や周辺を捜索するよ。みんなには、しばらくはまた下水道で生活してもらう事になるけど……」

 

「……今は、それが最善であろうな」

 

「……異議無し」

 

「私も同意見です」

 

 延珠、エックス、夏世の3名も綾耶に同意。その後、ティナを落ち着かせたソニアと共に松崎と合流。不幸中の幸いと言うべきか、教会の子供たちは全員が無事であった。

 

 ふと、綾耶が顔を上げると既に夜が明け、日が昇っていた。

 

 モノリスの倒壊まで、後一日。

 

 最後の一日が、始まる。

 


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