ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第27話 少女達の戦場(前編)

「ソニア、夏世!!」

 

「延珠さん、綾耶さん、ご無事でしたか!!」

 

「お姉さん!!」

 

「良かった、ティナ。あなたも無事だったのね」

 

 教会の礼拝堂には、延珠・綾耶、夏世・ソニア、ティナと、3組に分かれて侵入者の迎撃と子供たちの避難誘導に当たっていた5人が集まっていた。見た限り、全員が無傷。まだ危険が完全に去った訳ではないが、まずは一安心といった所か。

 

「松崎さんは?」

 

「一足先に避難してもらってます。誰か一人は保護者が居ないと、他の子達が不安になるでしょうし……」

 

「了解しました……ところで皆さん、気付きましたか?」

 

 そう言ってティナが差し出したのは、光沢の無い素材で出来た拳銃だった。SR議定書によって製造された金属を一切使わないオールプラスチックの武器。ソニアが磁力で操れない、彼女に対抗する為の武器。

 

 あれだけ装備を調えて襲ってくるという事は間違いなくこの襲撃は突発的ではなく事前に、しかも綿密に計画されての犯行だ。ならばこの教会が呪われた子供たちの学校だという事も調べがついていた筈。通常、高い再生能力を持つ呪われた子供たちを効率的に殺傷するのならば、バラニウムの武器を以て行うのがセオリー。なのに襲撃者達は、バラニウムのナイフや銃はおろかコインの1枚、ボールペン1本に至るまでおよそ金属は一切身に付けていなかった。

 

 ……つまり、彼等は知っていたのだ。この教会にソニアが居るという事を。

 

 そしてそこまで分かっていて、襲撃者の目的が単純に多くの呪われた子供たちを殺すだけならばソニアが留守の時を狙った方がずっと安全・確実な筈。それがこのタイミングで襲ってくるという事は……!!

 

「……やはり、狙われているのは私……という事ね」

 

 今にも泣きそうな顔で、ソニアがいった。

 

 今日はたまたま綾耶や延珠が居たから良かったものの、そうでなかったなら子供たちにも犠牲者が出ていた可能性が高い。襲撃者達にとってはソニア一人だけが殺されたら彼女だけを狙っていたのがあからさまだから、”反呪われた子供たちの過激派団体が起こしたテロ”に見せ掛ける為のカモフラージュで子供たちは殺されていただろう。

 

 自分のせいで、何も知らない、何の罪も無い子供たちが死ぬなんて。

 

 そんなソニアの胸中は察するに余りある。

 

 ……だが。

 

「お姉さんは悪くないです!!」

 

「そうです。襲ってきた相手の方が200パーセント悪いに決まってます!!」

 

 ティナと綾耶が、全く同じタイミングで言った。殆ど、反射的な早さで。

 

 そんな二人にソニアは少しだけ目を丸くして……ふっと優しい笑みを浮かべる。

 

 確かにそう、なのだろうが……自分と親しいティナは兎も角、子供とは言えこうした真っ直ぐな言葉を言える綾耶は、世の中の汚いもの醜いものを嫌と言うほど見てきたソニアにはとても眩しく思えた。少しだけ眼を細めて、笑う。

 

「……ありがと」

 

「急ぎましょう、皆さん。私が先導します」

 

 フルオートショットガンをいつでも撃てるよう構えつつ、夏世が促す。一同が頷いて外へと繋がる扉へと進もうとしたその時、

 

「!! みんな、気を付けて!!」

 

 綾耶が叫んだ。と、同時にドアの一つが蹴破られて、戦闘服に身を包んだ人影が飛び込んできた。

 

 小柄で、どう見ても大人には見えない。そして、闇の中で爛々と輝く紅の光点が二つ。

 

 イニシエーターだ。しかも、手にはアサルトライフルを持っている。敵。

 

 全員が瞬時にその結論へと達し、ティナと夏世はそれぞれ手にした銃口をイニシエーターへと向けて、延珠は蹴りを放てるように体重を移動して、綾耶は腕に充填した空気を解き放つ準備を整える。ソニアも、発電能力こそ使わないものの臨戦態勢に入って瞳が紅く変わる。

 

 だが、彼女達の誰よりも速く、誰よりも先んじて。

 

 破壊音。礼拝堂のステンドグラスが粉々に吹っ飛んで、きらきらと光の欠片が舞い散るような光景の中、人が降ってくる。

 

「シャアアアアアアアッ!!!!」

 

 ガラスの装飾をぶち破って乱入してきた新手の人影は獣のような吠え声を上げながら、大きく腕を広げ、指の間から鉤爪を伸ばし、そしてその黒い超バラニウムの爪を、戦闘服を着たイニシエーターの顔面と胸に、突き立てた。

 

「エックス!!」

 

 序列30位のイニシエーター、モデル・ウルヴァリンのエックス。彼女はイニシエーターに爪を突き立てたままで腕に捻りを加えて存分に抉った上で、引き抜いた。

 

 噴水のような赤い飛沫が上がり、床には血溜まりが出来る。

 

「うっ……!!」

 

 思わず、延珠が顔を青くして口元に手を当てた。

 

「……皆、無事?」

 

 全身血塗れになったエックスが、イニシエーターから爪を引き抜いて少女達を振り返った。

 

 高い再生能力を持った呪われた子供たちだが、その再生力とて無限ではない。バラニウム製の武器でなくとも、脳か心臓を一撃で破壊されたのなら絶命する。ましてやこの場合、エックスは脳と心臓を同時にしかもバラニウムの武器で貫いて、更には抉りまでしたのだ。ひとたまりもない。

 

「……エックスさんも、ご無事で」

 

 延珠と同じように顔色を悪くした夏世が、言った。

 

 イニシエーターを殺した事は、いささかやり過ぎと思わなくもないが誰も咎めたり責めたりはしなかった。状況から考えて、このイニシエーターも襲撃者の一味に違いない。下手に手心を加えようものなら教会の子供たちや、綾耶達までもが殺されていたかも知れないのだ。敵を救う為に味方を殺すなど極め付けの愚行だ。エックスの行動は仲間を護ったと賞賛されこそすれ、咎められるような要素など何も無かった。

 

「……兎に角、今は外へ……」

 

 頭を切り換えたティナに促されて、一同が外への扉へと再び足を向けた時だった。

 

「待って、まだよ。まだ磁気を感じる……まだ、終わってないわ」

 

 ソニアがそう言って、ほぼ同時に最後尾に居たエックスが振り返る。獣の如き五感が、危険を察知していた。

 

「なっ……!?」

 

 少しだけ、上擦った声が上がった。

 

 たった今、殺した筈のイニシエーターが何事も無かったかのように音も無く立ち上がって、逆手に持ったセラミックナイフで斬り掛かってきていたのだ。

 

「っ!!」

 

 エックスは反射的に爪を振って、イニシエーターの右腕を切り落とした。が、すぐさま彼女の顔面に返す刀の右裏拳がぶつかった。確かに切断した筈の右手による攻撃が。

 

「ぐっ……?」

 

 エックスは鼻血を出しつつ二、三歩ばかりたたらを踏んで後退ったが、すぐに持ち直した。

 

 ちらりと床に視線を落とすと、そこには上腕の中程から切られた右腕が転がっていた。そして、眼前のイニシエーターにも右腕がある。良く見ると、エックスが抉った顔面と胸の傷も既に癒えて傷跡すらも残ってはいなかった。

 

「こ、こやつは……一体?」

 

「い、今、見ました。切り落とした腕が、切断面から一瞬で生えてきました。トカゲの尻尾みたいに……!!」

 

「……凄い再生能力ね。傷の治癒だけなら兎も角、失った手足が生えてくるなんて……エビやカニ……あるいは、タコやイカがモデル?」

 

「違いますね。甲殻類も軟体動物も、手足程度ならいざ知らず脳や心臓は再生しません。このイニシエーターのモデルは、もっと別の動物です。プラナリアか……ヒトデ?」

 

 警戒しつつ、夏世が分析を締め括る。だが、イニシエーターと対峙するエックスが首を振った。

 

「……違う。コイツのモデルはプラナリアでも、ヒトデでもない……」

 

 両手の鉤爪を構えながら、エックスはじりじりとすり足でイニシエーターを牽制するように動く。他の5人を、自分の体を死角として庇うように。

 

「……コイツは私が相手する。皆は、ソニアを安全な所へ……」

 

「エックスさん……でも……」

 

 逡巡したティナがそう言い掛けるが、しかしそれよりも早く事態が動いた。

 

 鈍い破壊音が響く。コンクリート製の教会の壁を砕いて、破片の中を何かが向かってくる。

 

 飛び込んできたのは小さな人影。またしてもイニシエーターだ。

 

「ハアアアアアアッ!!!!」

 

 反射的に跳躍した延珠が繰り出した蹴りと、そのイニシエーターが繰り出した蹴りとがぶつかり合い、弾かれた両者は5メートルほどの距離を隔てて着地する。

 

「蹴れなかった……!!」

 

 厳しい表情で身構えつつ、延珠がこぼした。

 

 新手のイニシエーターは、たった今エックスが対峙しているイニシエーターと同じ戦闘服を着ている。やはり、敵は組織だ。しかもイニシエーターを刺客として使える事からそれなりに大規模な。

 

「こやつは妾と同じ脚力特化・蹴り技主体のイニシエーターだ!! ここは妾に任せろ!! お主達は早く外へ避難するのだ!!」

 

 延珠に促されるまでもなく、4人とも動き出していた。敵にイニシエーターが一人ならば兎も角二人も現れたとあっては、事態は尋常ではない。ここからは、どんな些細なミスもほんの一瞬の迷いすらも許されない。

 

「分かった。延珠ちゃん……気を付けて!!」

 

「心配性だぞ、綾耶。妾を誰だと思っている?」

 

「そうだね……ここは、任せるよ!!」

 

 短いやり取りの後、ソニアと彼女を護衛する綾耶・夏世・ティナの4人は一番大きな扉を開けて教会の外へ出た。二人のイニシエーターはそれぞれ彼女達を追おうとするが、それぞれエックスと延珠が立ちはだかって阻まれた。今の反応を見て確信した。やはり、敵はソニアを狙っている。

 

「此処は通さぬ!!」

 

「……追いたいなら、私達を殺してから……」

 

 兎とクズリのイニシエーターは、示し合わせるでもなく背中合わせになっていた。

 

「……延珠」

 

「む、どうしたエックス?」

 

「……襲ってきているイニシエーターが、こいつ等だけとは思えない」

 

 クズリの因子を持つ少女のその言葉に、兎の因子を持つ少女の顔が蒼くなった。

 

「ま……まさか……まだ他にも刺客が居るというのかっ……?」

 

「……多分。でも、こいつ等を放置しておく訳には行かない……ならば私達の取るべき道は、一つ」

 

「うむ、そうだな。取るべき道は一つだ」

 

 エックスの言葉に、延珠は頷く。それは何だ? などと間抜けな質問はしない。

 

「こいつ等は……」

 

「一分で倒す!!」

 

 

 

 

 

 

 

 教会の外へ出た綾耶達。今日は曇りで月や星が出ておらず、この辺りは大戦からの復興が進んでおらず街灯が死んでいるので不気味なほど暗い。だが少女達の足取りに迷いはない。

 

 綾耶は両腕で大気の動きを感じ取り、ティナはフクロウの因子により夜目が利き、ソニアにはデンキウナギの因子による微弱電流レーダーがある。4人の中で3人までが、闇の中で活動する術を持っている。残る夏世も、夜間での活動は十分な訓練を積んでいる。不自由は無かった。

 

 教会の中には避難用のマンホールがあって、有事の際にはそこから下水道へと逃げる手筈になっている。それが出来ない場合はまず教会から脱出して、その後に手近なマンホールから下水道に逃げ込んで、他の子供たちと合流する。

 

 これが第39区第三小学校での緊急時避難マニュアルである。

 

 だが、目的のマンホールまで後10メートルという所で。

 

「止まって!!」

 

 先頭を行く綾耶が、さっと手を上げて一同を掣肘する。

 

「どうしました?」

 

 夏世が尋ねるが、しかしレーダー能力を持つ綾耶がこうして露骨に警戒反応を示すのだ。大方何が起こっているかを把握して、ティナと背中を合わせつつ愛銃の動作をもう一度確認する。

 

「敵、ですか?」

 

 拳銃を保持するティナが、こちらも微塵の油断も無く周囲に気を配りながら尋ねる。

 

 だが……妙だ。フクロウの因子がティナにもたらす固有能力は高い視力と暗視能力。この暗闇も、彼女にとっては真昼の平原とさして変わるものではない。

 

 にも関わらず、敵の姿は何処にも見えない。

 

 見えないが……!!

 

 象のイニシエーターは両腕に彼女の武器となる空気をありったけ充填して、圧力を掛け始めた。

 

「居るよ……何かが……!!」

 

 

 

 

 

 

 

「シャアアアアッ!!!!」

 

 気の弱い者ならそれだけで恐慌状態に陥れそうな咆哮を上げながら、エックスは右手の鉤爪を振り下ろした。超バラニウムの爪は、眼前のイニシエーターの頭部右半分を抉り取ってしまった。

 

 だが、敵イニシエーターは頭の半分を失ったにも関わらず、倒れない。それどころかほんの僅かな時間ぐらついただけで失った頭部は、傷口から新しい頭部が生えてきて取って代わってしまった。

 

 顔に爪を突き立ててしかも捻りを加えて抉った攻撃でピンピンしていた事から予想は出来ていたが、やはりこのイニシエーターは頭脳や心臓を破壊してもそれが致命傷にならない。

 

 ……しかし、モデル生物が何でどんな能力なのかは分からないが、これだけ斬ったり突いたりされたら痛みで怯むぐらいはしてもいい筈なのに、セラミックナイフを振り回して襲い掛かってくる勢いが全く衰えない。それどころか、斬られた瞬間に走る痛みによる体の反射的な動きですらもが、無い。

 

 注意深く観察すると、このイニシエーターは目に意思の光が全く宿っていないように見えた。

 

「……薬物? 条件付け? 強迫観念?」

 

 ぶつぶつ呟きながら、エックスは用心深く眼前敵を観察していく。

 

 実際にどんな処置が施されているのかは計り知れないが、兎も角このイニシエーターからは全く自我が感じられない。それに少しの痛みも感じてはいないようだ。

 

 これは単純にガストレアウィルスの効能やモデル動物の固有能力だけではない。何らかの後天的な処置、肉体改造が施されている。エックスは再生する動物がモデルのイニシエーターを見た事があるが、そのイニシエーターは確かに極めて高い再生能力を持ってはいたが失った部位がくっついたり再生したりはしなかった。恐らくは何かの手術か薬物かで、再生力もパワーアップされている。

 

「……外傷で、死なないなら……」

 

 エックスは戦法を変えた。イニシエーターが横薙ぎに振ってきたナイフを腕で受けた。

 

 ガキン!!

 

 金属音が鳴って、刃はエックスの皮膚を裂いただけで止まってしまった。何も人体実験による処置が施されているのは、敵イニシエーターだけではない。エックスにも、全身の骨格に超バラニウムが接合されている。通常のイニシエーターにそんな処置を行えば再生能力が常時落ち込んで間違いなく死に至るが、エックスは実験により作り出された抗バラニウムガストレアのデータをフィードバックされた、世界に唯一人の抗バラニウムイニシエーター、その成功例。

 

 セラミックナイフは、超バラニウムでコーティングされた尺骨を切断出来ずに止められたのだ。

 

「……捕まえた」

 

 そして、ナイフの間合いは同じくエックスの爪が届く間合いでもある。黒爪を、イニシエーターの腹部・正中に突き入れる。

 

 超バラニウムコーティングされた爪が、イニシエーターの背骨を確実に破壊した感覚が伝わってきた。

 

 外傷は治癒しても、脊髄を破壊されれば半身の機能が麻痺して動けなくなる筈。エックスの攻撃はそれを狙ったものであったが、しかし、敵イニシエーターは(ある程度は予測の範疇であったが)強く足を踏み締めると、ナイフを握っていない方の手でがっしりとエックスの体を掴んで固定した。

 

「これは……!!」

 

「……捕まえた」

 

 イニシエーターが、鸚鵡返しではあるが初めて言葉を発した。同時に、エックスの頬を僅かに冷や汗が伝う。捕まえたつもりが、捕まえられていた。

 

 ぱかっと口が開いて、噛み付いてくる。

 

「っ!!」

 

 エックスは思わず蹴りを入れてイニシエーターを突き飛ばしたが、僅かにタイミングが遅れて肩口を食い千切られた。

 

 幸い、バラニウムによる攻撃ではなかったので傷はすぐに治癒した。

 

 攻撃は失敗したが、しかし収穫はあった。

 

 脳や神経系が損傷しても回復する再生能力と、今の噛み付き。これらの特徴から考察するに、該当するモデル動物は、一つ。

 

「……モデル・アホロートル……メキシコサラマンダーのイニシエーター……」

 

 無表情を崩さず、エックスが呟く。

 

 日本ではウーパールーパーの名前でも知られ、メキシコでは神の化身として崇められているこの両生類は脅威的な再生能力を持ち、手足の欠損は勿論の事、脳や神経系まで再生した例も報告されている。この再生能力の秘密は、ウーパールーパーが”子供のまま大人になる”生物である事に起因している。

 

 ウーパールーパーは幼形成熟(ネオテニー)といって、完全に成熟した個体であっても非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る。そして幼体の部分、つまり手足や脳・心臓といった何らかの器官に分化する前の万能細胞こそが、再生能力の秘密である。何らかの損傷を受けた時、傷口に体内の万能細胞が集結し、失った部位へと分化(変化)して再生するのである。

 

 そしてウーパールーパーは動く物には何にでも噛み付く性質があり、時としては共食いさえも行う。

 

「……脳か心臓を破壊されない限り死なないイニシエーターに、脳や心臓を破壊されても再生するモデル動物……」

 

 ある意味最も相性の良い組み合わせと言える。ガストレアウィルスの再生能力+ウーパールーパーの再生能力+薬物もしくは手術による再生能力のブースト。成る程、バラニウムの再生阻害も押し返して、切り落とした腕が生えてきて、脳や心臓が復元する訳だ。

 

 最も重要な事は……この相手には、エックスの最大の武器である超バラニウムの爪が通じない。

 

「……少し、ヤバイ、かな?」

 

 

 

 

 

 

 

「ハアアアッ!!」

 

 裂帛の気合いを乗せ、延珠が上段蹴りを繰り出す。目前のイニシエーターもまた、鏡写しのように同じ上段蹴りを放ち、ちょうど両者の中間に当たる位置で激突。

 

 何かが爆発したかのような衝撃と、破裂音が鳴って、二人は同じように後方へと弾かれる。

 

 否、同じように、ではなかった。

 

「グッ!!」

 

 延珠の方が、より長い距離を後退っていた。崩れた体勢を立て直すのに要した時間も、僅かながら敵イニシエーターの方が短かった。延珠の方が、押されている。

 

 再び、蹴りを繰り出す。結果は、同じだった。対手の攻撃の威力を受けて後方へ押し出されるが、延珠の方が吹っ飛ばされる距離が長く、体勢も大きく崩されてしまう。

 

 敵は同じタイプのイニシエーター。だが、その脚力はモデル・ラビットの延珠よりも上だ。

 

「……そう言えば、蓮太郎が前に話してくれた事があったな……バッタやノミといった一部の昆虫の脚力は、もし人間と同じサイズであったのならビルを飛び越えるぐらいに強力であると……」

 

 菫は、もし昆虫がそんなに巨大だったら自重を支えきれないし皮膚呼吸すらままならないと笑っていたが、そうした条理・常識を全てを覆すのがガストレアウィルスだ。その因子を持つイニシエーターであれば、恐るべき脚力を持つ事にも納得できる。そしてその脚力を転化したキックの威力など……想像したくもない。

 

 ……と、考察はそこまでだった。

 

 イニシエーターが、自慢の脚力で教会の床を蹴り、突進してくる。

 

「速い!!」

 

 凄まじい脚力を活かした踏み込みがもたらす恐るべき初速で、イニシエーターは一瞬で延珠の眼前にまで肉迫してきた。

 

 咄嗟にガードを固めた延珠は蹴りを受ける事には成功したものの、威力までは殺せず更に後ろに飛ばされて、背中から壁に激突した。

 

「うぐっ!!」

 

 呻き声が洩れる。

 

 拙い。延珠の顔に焦りが表出する。

 

 兎の因子を持つ延珠の最大の武器は、脚力。眼前の相手は、その最大の武器の威力で彼女を上回っている。エックスのように総合力に秀でたイニシエーターならば、たとえ一能力で相手が上回ろうが他の能力でカバーする事も十分可能だろうが、延珠は尖った能力を持つ特化型。長所で上を行かれる相手との戦いは、絶対的に不利。

 

 壁を背にした延珠の腹に、イニシエーターの前蹴りが突き刺さった。

 

「がはあっ!!」

 

 衝撃を逃がせず、威力をモロに喰らった延珠の口から鮮血が飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

「……あんたが、コイツ等の親玉?」

 

 将城教会の一角、襲撃者達を蹴散らしたアンナマリーの前に現れたのは、人相の悪い大男……ではなく、麦わら帽子を被って熊のぬいぐるみを抱えた少女だった。

 

「ええ、そうよ。名前はハミングバード。まぁ、あなたはすぐに死ぬから覚えなくて良いわよ」

 

 アンナマリーはじっと眼前の女を見ていたが、イニシエーターではないと分かった。気配が違う。

 

「……私と戦うと言うのなら、止めておいた方が良いわよ。私は自分で言うのも何だけど、ジャガーだからね」

 

 と、自信満々にアンナマリーは笑ってみせる。

 

「ジャガー……?」

 

 豹とよく間違われる猫科動物がどうしたのかと、ハミングバードと名乗った女はしばらくの間首を傾げるが、ややあって合点が行ったという表情になった。

 

「……それはひょっとしてチーターじゃないの? 動物のチーターじゃなくて、不正行為(チート)を行う者を指すチーターの方の……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 物凄く気まずい沈黙が数秒間場を支配して、アンナマリーはやっと「そうとも言うわね」と絞り出した。

 

 と、ここでハミングバードは「はん」と鼻を鳴らす。

 

「別にあなたの能力は特別なものじゃないでしょ? あなたも他の赤目と同じ存在でしかないわ」

 

「……へえ?」

 

「色んなモデル生物の力を使えるのは確かに凄いけど、手品のタネはもう割れてるわよ」

 

「ふぅん? じゃあ、言ってみてよ。当たったら50点獲得よ」

 

 主の一人の口癖を真似て、アンナマリーが挑発する。

 

「あんたは、モデル・シースラグ。ウミウシのイニシエーターでしょ?」

 

 ぴくりと、アンナマリーの眉が動いた。

 

「ウミウシの中には盗葉緑体といって、葉緑体を持った生物を食べてその生物が持っていた葉緑体を体内に取り込み、光合成をして栄養を補給する種がいるわ。同じように盗刺胞といって、刺胞……つまり毒針を持った動物を捕食してその刺胞を体内に取り込んで、身を守る為に使う種もいる。あんたが複数のモデル動物の力を使えるのも、同じ原理と見たわ。ガストレアウィルスによってウミウシの特性が強化されて、何らかの方法で他生物の体細胞を取り入れる事でその能力が使えるようになる……それが、あんたの能力でしょう?」

 

「へえ」

 

 感心した表情のアンナマリーが、口笛を吹いた。

 

「見事に50点獲得ね」

 

 ハミングバードの推理は大正解だった訳だ。

 

「でも……原理が分かっても、攻略法まで分かった訳じゃないでしょ? 私が能力を使える生物は、軽く千を越える。そして各生物の特性を組み合わせていいとこ取りも出来るのよ? モデル・チーターにモデル・ツナ……マグロの組み合わせで持久力のあるチーターとか、モデルスパイダー+モデルマンティスで、蜘蛛の糸に蟷螂の刃をくっつけるとか。そういう事が出来るから私はジャガーなのよ」

 

「……だからそれを言うならチーターだって」

 

「…………」

 

「…………」

 

 再び、気まずい沈黙。そうして、次に口を開いたのはハミングバードの方だった。

 

「……まぁ、確かに凄い能力だけど……でも、私の相棒(イニシエーター)に勝てる訳が無いわ」

 

「!!」

 

 アンナマリーが振り返ると、背後から戦闘服に身を包んだ少女が近付いてきていた。紅い目をしていて、イニシエーターだと分かる。

 

 すんすんと鼻を鳴らして、そして露骨に不快な表情になるアンナマリー。

 

 モデル・ウルフの嗅覚。このイニシエーターの全身からは、尋常でない量のヤバい薬の臭いがプンプンしている。

 

「ふん、相棒が聞いて呆れるわね。薬物とか手術で自我を焼いた言いなりの人形さんが、あんたの言う相棒なの?」

 

「そうよ? この子は私の忠実な道具(あいぼう)よ?」

 

 たっぷり皮肉を込めて言ってやったが、ハミングバードを全く応えておらず悪びれもしない。寧ろ、アンナマリーが何故にそんなに憤っているのか分からないと言いたげですらある。

 

「……少し、話し過ぎたわね。私達のターゲットはあくまでもソニア・ライアン。あんたはあくまで只の通過点……シズク、殺しなさい」

 

「……」

 

 シズクと呼ばれたイニシエーターは無言のまま頷くとベルトに差していた強化セラミック製の双剣を抜き放ち、アンナマリーへと無造作に間合いを詰めてくる。

 

 ぴくりと、アンナマリーの表情が変わった。

 

 構えも、足運びも、剣の握りも、全てが問題外。ド素人だ。

 

 だが、ソニアを狙ってきた暗殺者が引き連れているイニシエーターなのだ。何かがあるのは間違いない。

 

 念の為、モデル・スネイル、ウロコフネタマガイの鉄の鱗にモデル・クラブの甲殻とモデル・ウィービル、クロカタゾウムシの甲皮の硬さを上乗せした鎧を身に纏っておく。これは先程、サブマシンガンの乱射をも訳なく防ぎ切った優れ物だ。

 

 剣で、この装甲を切り裂く事は出来ない。これは以前に小比奈と模擬戦を行った際に証明済み。

 

 それこそ、”常軌を逸した速度で斬り込まない限りは”。

 

 瞬間、シズクと呼ばれたイニシエーターの剣を持つ両腕が、消えた。

 

「!!」

 

 アンナマリーの両眼が、驚愕に見開かれる。

 

 

 

 

 

 突然だが、大食いの動物と尋ねられて何を思い浮かべるだろうか?

 

 象? クジラ? 間違いではない。種類にもよるが、象は一日に150~250キログラムもの植物を食べて、100リットルもの水を飲む。体重100トンのクジラは、一日に4トンものイカやプランクトンを食べる。

 

 だが自然界には、彼等を遥かに上回る大食漢が存在する。

 

 その大食漢は、アメリカ合衆国南西部からアルゼンチン北部を住処とする小さな鳥である。

 

 ハチドリ。

 

 体重5グラム程度のこの鳥の食事量は一日に10グラムほどである。

 

 たった10グラム。しかしその量たるや、実に体重の2倍。仮に体重が65キログラムの人間が同じ比率で食事を摂ろうとした場合、その量たるやおにぎりで計算すると実に1300000個、カロリーにしておよそ2億3400万キロカロリーである!!

 

 ハチドリがこれほどのエネルギーの摂取を必要とする理由は、他に類を見ないその飛行法にある。

 

 鳥の飛行はほとんどが羽ばたきによる浮遊や、風に乗っての滑空であるが、ハチドリは違う。この鳥は、ヘリコプターのように空中で静止(ホバリング)する事が出来るのだ。何故そんな事が出来るのか? これは、その羽ばたきの早さに起因する。

 

 ハチドリの羽ばたく速度は、一秒間に80回にもなる。この羽ばたきの速さからハチドリが飛ぶと虫のようなぶんぶんという音が響き渡り、それがハチドリという名前の由来でもある。それほどの運動を行うが故に、莫大なカロリーが必要になるのだ。

 

 ……もし、全長6センチメートルほどしかないこの鳥が人間と同じ大きさであったのなら、その羽ばたきの速度は。

 

 

 

 

 

 チカッ。

 

 煌めきが走って、アンナマリーが纏う無敵の鎧に無数の線が走った。目に見えない超高速の斬撃によって、切り裂かれた跡だ。

 

「ゴフッ……!! モ……モデル・ハミングバード……ハチドリの……イニシ……エーター……!!」

 

 血を吐いて、鎧の裂け目から噴き出た鮮血で全身を真っ赤に染めたアンナマリーは、自分の血の海に倒れ沈んだ。

 


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