ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

29 / 42
第26話 衛る為、戦う者達

 

<母親は時々、子供たちを残して出掛ける事があります>

 

 将城教会の食堂ではとっくに就寝時間を過ぎていると言うのにテレビが付いていて、綾耶が一人難しい顔でスプーンでアイスクリームを掘り、口へと運ぶ作業に忙しかった。

 

「眠れぬのか?」

 

 スクリーンに少女の顔が映り、ほぼ同時に声が掛かった。

 

「延珠ちゃん」

 

 パジャマ姿の親友に、綾耶はスプーンを置くと立ち上がって応じる。

 

 モノリス崩壊まで、後二日足らず。正確には、後二時間も経たぬ内に最後の一日が始まる。この日は第39区第三小学校にて延珠と綾耶で天誅ガールズのコスプレショーを行った。延珠扮する天誅レッドと、綾耶扮する天誅オーシャンのコンビの息はぴったりで、主題歌である「ミライ*ガール」のデュエットも完璧だった。

 

 その後で写真撮影会を行って、誰からともなく「今日、泊まっていったら?」と声が上がった。

 

 蓮太郎もここが綾耶の実家だという事もあって快く外泊を許可した。イニシエーターと言っても延珠は10歳の少女でしかない。普通の女の子として、友達と少しでも長く過ごさせてやりたいという彼なりの配慮もあったのだろう。

 

<その日、母親は危険を感じて家に取って返しましたが……>

 

「まぁ、無理も無いな……後、二日もせぬ内に妾達は二千体のガストレア軍団と戦う事になるのだからな」

 

「うん……」

 

 綾耶は冷蔵庫からペットボトル入りのドクターペッパーを取り出すと、延珠に渡した。延珠はそれを一口含んで、そして微妙な顔になる。綾耶は好みなのだが、クセのある味なので初めて飲む延珠にはイマイチ受け付けなかったようだ。

 

「慣れると病み付きになるよ」

 

 肩を竦めつつ、綾耶はアイスクリームの掘削作業を再開した。

 

 眠れないのは単に緊張感からだけではないだろう。お互い、戦いが終わって生きていられる保証も無い。少しでも、皆と一緒に居られる時間を大事にして長く感じていたい。だから、眠りたくない。

 

「今度はオランジーナを買っておく……か…………ら……」

 

 綾耶は再びスプーンから手を離した。延珠も、飲みかけのドクターペッパーのボトルをテーブルに置く。

 

 二人とも、もうほんの十数秒前までのリラックスした顔はしていなかった。綾耶は眼鏡を掛け直して、延珠は解いていた髪をいつものツインテールに結い直す。四つの瞳が、イニシエーターとしての力を解放して紅く輝いた。

 

 起きていたのは全くの偶然だったが、しかし今はその偶然に感謝したい気持ちで一杯だった。何が起こっているのか? 延珠は兎の因子によって発達した聴覚があり、象の因子を持つ綾耶は流体を吸い込む機能を持った両腕で大気の揺れ動きを感じ取って、緊急事態の発生を知覚していた。

 

「延珠ちゃん、こっちに……!!」

 

「うむ!!」

 

 二人は食堂のドアを蹴破る勢いで開け放つと、勢いそのままに教会の廊下を駆けていった。テレビは、付けっぱなしだった。

 

<殺人者は既に家の中に……もう、遅かったのです>

 

 

 

 

 

 

 

「これは……!!」

 

 異常を察知していたのは、延珠達だけではなかった。ソニアは、がばっとベッドから飛び起きた。

 

 デンキウナギの目は小さく退化しておりしかも濁った沼に生息している。その弱い視力と利かない視界を補う為に進化の過程で獲得したのが、微弱な電界を発生させる事による定位能力である。10~25ボルトほどの微弱な電気を発生させてそれが障害物に当たる時に生じる乱れを感じ、周囲の様子を探る。これはデンキウナギに限らず、デンキナマズやシビレエイといった他の発電魚にも共通する特徴だ。

 

 当然、デンキウナギのイニシエーターであるソニアにも同じ能力が備わっている。方法こそ違えど綾耶や延珠と同じものを、彼女も感じ取ったのだ。

 

「お姉さん……!!」

 

 床に敷かれていた布団を蹴飛ばして、ティナが起き上がる。彼女も今日は、この将城教会に泊まっていた。

 

 生活習慣を昼型に矯正中とは言え、ティナのモデルは夜行性のフクロウ。夜が彼女のあらゆる能力が最高に発揮される時間である事に変わりはない。それに加えてプロモーターを必要とせず序列98位にまで上り詰めた彼女の戦闘経験が、危険が迫りつつあると警鐘を鳴らしていた。

 

「お二人とも……!! これは……!!」

 

 数秒ばかり遅れたが不穏な気配を感じ取った夏世が起きて、二段ベッドの上段から飛び降りてくる。彼女のモデルはドルフィン。イルカの因子による固有能力は優れた記憶力と高い知能指数であり、お世辞にも戦闘向きモデルとは言えない。だが逆に言えば彼女は戦闘向きの能力を持たないにも関わらず序列千番台、つまり民警ペア全体の上位1%にまで上り詰めたのだ。非力さを補う為に、前もって危険を察知する感覚は特に磨かれていた。

 

 ティナは枕の下から取り出したグロック拳銃の動作を確認し、夏世はこちらもベッドの下からフルオートショットガンを取り出すとティナに少しも負けない滑らかな手付きで各部をチェックしていく。

 

 数秒で二人の戦闘態勢が整った事を確認すると、ソニアは手を振って部屋のドアから離れるように指示する。

 

 フクロウとイルカのイニシエーターがそれぞれ左右に待機したのを見て取ると、デンキウナギのイニシエーターはそっと人差し指をドアに向ける。すると触れてもいないのにドアノブが回って、ドアが内側に開いた。ソニアの作り出した電磁力が、金属製のドアノブに作用したのだ。

 

 開いたそこには、ひとまず敵の影は見えなかった。ソニアがハンドサインを送るとそれに従ってティナと夏世が動いて、左右の廊下の様子を確認する。今は、不審者の姿は見当たらない。

 

「クリア!!」

 

 報告を受け、ソニアは悠然とした足取りで廊下へと進み出る。

 

「二人は右へ行って。私は左を……」

 

「いえ、お姉さん。私が左に行きます」

 

 言い掛けたソニアの言葉を遮って、ティナが強い口調で言った。

 

「ティナ……」

 

「お姉さんが戦う必要はありません。お姉さんも、みんなも、私が守ります」

 

 有無を言わせない強い口調だった。ほんの数秒ほどの間、二人は睨み合っていたが……やがて、ソニアの方が瞳に燃えていた炎を鎮火させた。

 

「……頼むわ、ティナ。夏世ちゃんもね。私は、みんなを避難させるわ」

 

「……では、非常口までソニアさんは私が護衛します」

 

 夏世はそう言って、ぱちっとティナにウインクを送った。『大丈夫、ちゃんと分かっていますよ』という意味だ。

 

 夏世にとっては、ここ何日かで綾耶とティナが妙にソニアに対して神経質になっている事と、その他の要素から結論を導き出す事は難しくなかった。

 

 ソニアがプロモーター無しで序列11位の高みにまで到達するほどの激戦を潜り抜けてきた事、そしてもう一つには、デンキウナギというモデル動物の特性。

 

 フグは自分の毒では死なないが、デンキウナギは自分が発生させた電気で自分も感電する。自然界のデンキウナギは体全体を分厚い脂肪層で覆う事で絶縁体として致命的な損傷を免れるが、肉体の基本構造が人間と同じソニアではそうは行かない。つまり発電・通電する毎に彼女の肉体も損傷するのだ。そのダメージは呪われた子供たちが共通して持つ再生能力によってすぐに修復される。しかし、肉体の治癒と能力の使用はどちらもウィルスの体内侵食率を加速させてしまう。

 

 要するにソニアは極めて強力かつ応用性に富んだ電気という能力が使える代わりに、侵食率の上昇が他のイニシエーターに比して遥かに早いのだ。恐らくはもう40パーセントを越えて超危険域にまで達しているのだろう。

 

 明晰な頭脳を持つ夏世はそれを察して、ティナを安心させようとしたのだ。

 

 ティナもその気持ちを受け取って無言で頷くと、左側の廊下へと走っていった。

 

「では……ソニアさん。私達も」

 

「ええ、しっかり守ってね、夏世ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

「……エックス、これは……」

 

「敵が、来る」

 

 別の寝室ではルームメイトであるエックスとアンナマリーがやはり瞳を赤熱化させて、たとえ次の瞬間にドアがぶち破られて敵が突入してこようと即応できる体勢を整えていた。

 

 エックスが持つ動物因子はクズリ。非常に凶暴且つ獰猛な肉食獣であるが、デンキウナギの微弱電流センサーやシャチのエコーロケーションのような周囲の状況を把握する特殊能力は持っていない。しかし、その代わりに彼女の五感の全てはそれこそ野生の猛獣と同じかそれ以上に鋭く、危険な存在がすぐ近くまで来ている事を察知していた。

 

 すんすん、と鼻を動かす。

 

 まだほんの微かだが、火薬の臭いがする。しかも近付いてきている。

 

「……間に合わない」

 

 敵の数は多く、しかも複数の方向から迫っている。今から全員の寝室を回って皆を起こしていたら、避難を完了させるより前に敵が襲ってきて犠牲者が出てしまう。

 

 ただしそれは普通のやり方で、皆に危険を知らせていたらの話。

 

「アン、声を」

 

 エックスは一言そう言っただけだった。

 

 しかしそれだけで十分だった。アンナマリーは頷くとすうっと息を吸い込んだ。

 

 エックスが、両手で耳を塞ぐ。

 

 アンナマリーは、叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 教会のあちこちでガラスが割れて、電球や鏡も同じようになった。

 

 エンジンを全開にしたジェット機の爆音を間近で聞いたらこんな感じなのだろうか。

 

 延珠は両手で耳を押さえて悲鳴を上げながらそう思った。綾耶は空気吸引で自分の周囲を僅かな間だけ真空状態にして、音の影響をシャットダウンした。

 

「あ、綾耶!! 今のは何だ!?」

 

 声は数秒で治まった。頭の芯がぐわんぐわんと揺れているような感覚を味わいつつ、涙目で延珠が尋ねる。

 

「……恐らくアンちゃんだよ」

 

「アンナマリーか?」

 

「うん、アンちゃんはモデル・シケイダ……蝉のイニシエーターだって言ってたから……」

 

 蝉と言えば夏の風物詩であり、固有特性はやはりミンミンと鳴くその声だ。殆どの人間はその声を聞くと「今年も夏が来たな」と風情に思うか「うるさいな」と感想を持つぐらいだろう。しかし蝉の声とは、もし人間と同サイズであったのなら東京タワーで鳴いたその声が遥か九州にまで響き渡ると言われている大蛮声でもある。

 

 耳元で大声を上げたのなら、それだけで対象の脳を破壊する事すら可能な音響兵器という表現すら過言ではあるまい。

 

「な、成る程……しかし、今のはナイスかも知れぬな」

 

 廊下を走りながら、延珠が言う。綾耶も頷いた。

 

 今の声がアンの独断かルームメイトであるエックスの指示かは分からないが、いずれにせよ目覚まし時計の何十倍も強力な大音響が響き渡ったのだ。どんなねぼすけでも一気に夢の世界から現実へと引き戻される。これで、各人の部屋を回って起こしていく手間が省けた訳だ。

 

 だが良い事だけでもない。今ので襲撃者は不意を衝く事が出来なくなって奇襲のアドバンテージが消滅した。ここからは武力に物を言わせ、一気に制圧に乗り出してくるだろう。

 

 他に懸念する事があるとすれば……高齢者である松崎老人が、今ので心臓麻痺でも起こしていないかという点だが……

 

「う、うう……な、何だ今のは……?」

 

 頭を押さえながら、寝間着姿の松崎が寝室からのっそり出て来たのを見てその心配は杞憂に終わった。

 

「松崎さん!!」

 

「無事であったか!!」

 

「あ、ああ……綾耶に延珠ちゃん……今の声は……」

 

 寝起きである事とアンナマリーの声の影響で、まだ視界がハッキリ定まっていないのだろう。老人は、焦点の定まらない目を二人に向けてくる。

 

「松崎さん、今すぐみんなを避難させて下さい!!」

 

「琉生も起こして手伝わせるのだ!! これは危険な状況だぞ!!」

 

「ま、待ってくれ二人とも。一体何がどうなっているんだい?」

 

 事態が呑み込めていない松崎は説明を求めてくる。これは当然と言えば当然の反応であるのだが、しかし延珠も綾耶もこの反応の鈍さに理不尽だとは思いつつも彼を怒鳴りつけたくなった。今は一刻はおろか一分一秒を争う緊急事態だ。呑気に説明などしている暇は無い、有無を言わせずにやってもらうか……いや、それとも可能な限り簡潔に状況を説明して、迅速に避難誘導を頼むのが良いだろうか。

 

 どちらを選ぶか、コンマ数秒で決断しようとしていて……その必要は無くなった。

 

 松崎の額に、赤い光点が現れた。松崎は、気付いていない。延珠は反射的に跳躍して、すぐ後ろに立っていた侵入者を蹴り飛ばした。綾耶は松崎をたった今出て来た寝室へと引っ張り込む。

 

「延珠ちゃん……大丈夫?」

 

 松崎の部屋から綾耶がおっかなびっくり顔を出す。蹴られた拍子に反射的に引き金に掛かった指に力が入って流れ弾が飛ぶ事を警戒していたが、どうやら大丈夫のようだ。警戒しつつ油断無く、ゆっくりと廊下に出てくる。少し遅れて泡食った顔の松崎も出て来た。

 

「綾耶、こいつらは……」

 

 延珠が、たった今蹴り飛ばして昏倒させた男を用心深く観察している。彼は戦闘服で完全武装して、夜間ゴーグルを付けていた。この装備、明らかに只の過激派や暴徒の類ではない。親友の言わんとしている事を理解した綾耶は頷きつつ、手際良く男を武装解除していく。と、手の動きがブーツに仕込まれていたナイフを取り出した時に止まった。

 

「……延珠ちゃん、これ見て」

 

「このナイフは……金属ではないな」

 

 重さや、刃の側面を指で撫でた感覚で分かった。このナイフは金属ではなくセラミックで作られている。

 

「待てよ? じゃあこの銃も……」

 

 男が持っていた銃を綾耶が拾い上げて、そして半分は予想通りで半分は面食らった顔になった。

 

 エアガンのように軽い。良く見ると金属的な光沢も無いし質感も違う。この銃に、金属は使われていない。しかしこの精度は3Dプリンタで作ったような粗悪品とは全く違う。

 

「これは……オールプラスチックピストル。SR議定書の……!!」

 

 IISOによって定められ、ソニアの扱いについて国際的に取り決められたSR議定書。そこには電磁力によって金属を操る彼女が自由に出来ないプラスチック・セラミック製の武器を各国が一定数配備する事も明記されている。それらは金属探知機をすり抜けてしまうので、要人警護・セキュリティの観点から保有できるのは警察や軍隊など公的な機関に限られているのだが……古来より破られない法律も、腐敗の無い組織も存在しない。

 

 どこからか、流されたのだ。

 

 そして、襲撃者がこんな物をわざわざ用意してやって来たという事は……!!

 

 

 

 

 

 

 

「お姉さんが、ここに居るのを知っていた……?」

 

 両膝を撃ち抜いた後にグリップエンドで頭を殴って気絶させた男の関節を全部外して動けなくした後で、ティナは身包みを全部剥いで調べてみたが、彼女が倒した男もプラスチック銃を使っていて、しかも体に金属の類は1オンスたりとも身に付けていなかった。鍵も、コインも。ベルトの金具すら外されていてマジックテープ製になっていた。

 

 ここまで徹底しているという事は、明らかにソニアが此処に居る事を知っていて交戦する前提で仕掛けてきたという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

「もしくは……最初から私だけを狙ってきたのか……」

 

 ソニアは夏世が倒した男から取り上げたプラスチックピストルをくるくる回しながら弄んでいたが、やがてそれにも飽きて一瞬だけ瞳を紅く染めると、電熱によってドロドロに溶かしてしまった。

 

 一方で、夏世の思考はそこより更に先へと飛んでいた。

 

 先日、ニュースで反『子供たち』の秘密結社である日本純血会の東京エリア支部長が、自宅から数キロ北の公園で死体となって発見された事件が報道されていた。目撃情報から犯人は呪われた子供たちであると見られている。この事件によって世論は大きく動き、聖天子が進めていた『ガストレア新法』は棄却され、代わりに『“子供たち”からヒトへのガストレアウィルス感染の危険の再認とその対策』という法案、通称『戸籍剥奪法』が提出されて、衆院を通過した。

 

 それに伴って子供たちの排斥運動もより活発になって、ちょっと外周区や人通りの少ない通りを覗き込めば、魔女狩りの如く子供たちを迫害する景色が目に入るようになっていた。

 

 この将城教会は39区の学校としても使われていて、呪われた子供たちが集まっている。反ガストレア団体の目には、ここは害虫の巣窟にでも映っているのだろう。

 

 今回仕掛けてきたのはそうした過激派の連中だとばかり思っていたが……しかしどうも違うようだ。まず横流し品とは言えSR議定書で製造された武器を持っているし、夜間スコープや戦闘服など不自然なほどに装備が充実している。それに裸にしてみて分かった男の体つきはどう見ても一般人ではなく、ボディーガードか軍人か、いずれにせよ長期間に渡って特別な訓練を受けた人間のそれだった。

 

「これは……只の突発的な犯行ではありませんね。もっと組織的な襲撃です」

 

 

 

 

 

 

 

「……五翔会か」

 

 鉤爪で心臓を串刺しにして絶命させた男の死体を調べつつ、エックスはひとりごちた。

 

 彼女が殺した男の左肩には、五芒星の一角に羽が付けられた紋様が刻まれていた。これはルイン達が敵対している秘密結社『五翔会』の、ヒエラルキーの最下層に位置する一枚羽のものだ。

 

 確かに、ここには変身しているとは言え8人のルインの一人、『七星の七』ルイン・ベネトナーシュが居る。どこからかその情報が漏れていたとすれば、五翔会が襲撃を掛けてくるのにも頷ける。

 

 だがルイン達の変身能力を知る者は限られているし、“ルイン”が8人居る事を知る者も限られている。両方を知る者は更に少数。この時点で、呪われた子供たちの教師であり表に出て動いていない琉生がルインであると結論、とまでは行かずとも推論すらも立てられたとは考えづらい。

 

『では、やはり狙いはソニア……?』

 

 確かにソニアは、今の世界では核兵器以上に危険な存在だ。五翔会にとっても目障りだろう。彼女がここに居る事を知って、そして呪われた子供たちを排斥する運動が盛んになっているこの時期を渡りに船として、過激派の犯行に見せ掛けて殺しに来た……?

 

 だが考えはそこまでだった。これ以上は、思考に費やす時間すら惜しい。

 

 鉤爪を体内に収納したエックスは階段を駆け上がる。

 

「みんな、慌てないで!! でも急いで!! いつもやっている訓練通り、落ち着いて下水道に避難するのよ!!」

 

 すると、琉生が子供たちを避難させている所に出くわした。

 

 少女達の表情は一様に恐怖によって引き攣っているが、しかし絶対の信頼を置く琉生が傍にいる事が辛うじて理性を繋ぎ止め、何とか組織だった行動を取らせていた。

 

「急いで!! 早く!!」

 

「マス……いや、琉生先生」

 

 エックスの姿を認めた琉生は彼女を一瞥して、もう一度「急いで!!」と子供たちに呼び掛ける。

 

 最後の一人が避難用の入り口に入ったのを確かめると、琉生の瞳が紅くなった。ここからは琉生先生ではなくルイン・ベネトナーシュとして話すという事の合図だ。エックスもそれを見て頷く。

 

「この教会は包囲されていて、敵は少なくとも三方から攻めてきてる。通信も妨害されてる。さっき、マスター・ドゥベに電話してみたけど繋がらない」

 

 やや早口で、ポケットから取り出したスマートフォンを見せるエックス。画面の右上にあるアンテナのアイコンには、今は赤いバツ印が表示されていた。

 

「私は引き続き、子供たちを避難させるわ。あなたは、侵入してきた連中を排除して」

 

 トラブルを求めてこの教会にやって来たのが大いなる過ちであったのだと、愚か者どもの骨の髄にまで刻み込んでやるのだ。

 

「……アンが別行動で、侵入者の排除と避難誘導に行った。私も、手伝いに行く。彼女一人じゃ危険だから」

 

「あの子なら一人でも大丈夫よ」

 

 ルイン・ベネトナーシュの言葉を受けて、普段からあまり表情の起伏を見せないエックスは珍しく驚いた顔になった。

 

「……アンのモデルは蝉の筈。戦闘には向かない」

 

 ベネトナーシュが自分のイニシエーターを選んだのは、彼女の任務は呪われた子供たちの教育であり、その性質上今回のように過激派に狙われる事も十分に考えられる。その時、生徒である子供たちへ迅速に危険を知らせる事の出来る能力者とは何だ? そう考えて、白羽の矢が立ったのが蝉の因子を持ち大声を上げられるアンナマリー……と、いうのがエックスの知る経緯だった。

 

 確かにあの大声は初見の相手であれば意表を衝く事も出来るだろうが、所詮は一芸。訓練された相手にそう何度も通じるものではない。声を上げて、次にもう一度叫ぶまでの息継ぎを狙われたらそれまでだ。

 

 琉生はしばらくとぼけたような表情になって、そして得心が行ったと頷いた。

 

「ああそうか、エックス……あなたは知らなかったのよね」

 

「……? 何を?」

 

「アンのモデルが蝉というのは、嘘なのよ。彼女のモデルは別にあるの」

 

 その答えを受け、今度はエックスがとぼけた顔になった。イニシエーターが弱点を衝かれる事を避ける為にモデル生物を詐称するというのは珍しい話ではないが……しかし、蝉でないならあの大声は一体何の動物の能力だと言うのだ?

 

「……ああ、アンの声は、あれは蝉の特性よ」

 

「???」

 

 ますます訳が分からなくなった。モデルが蝉ではないのに、蝉の能力を使える。つまりどういう事だ?

 

「まぁ……何にせよ、アンに心配は要らないわよ。何故なら彼女は……」

 

 琉生の姿が蝋燭のように溶けて、白い長髪をした美女“ルイン”の姿へと戻る。

 

「私のイニシエーターは、アンナマリー・ローグは。この地球で最も、神に近い生物なのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 アンナマリーが出会った男達は、全員揃いの戦闘服に身を包んで夜間ゴーグルを身に付け、まるで映画に出てくるコマンド部隊のようだった。

 

 彼等はアンの姿を認めると、殆ど反射的に手にしていたサブマシンガンの銃口を向けてきた。この銃もSR議定書で製造された物だ。バラニウムの武器以外では脳か心臓を一撃しない限り呪われた子供たちは死なない。ならば複数の銃による飽和攻撃によって再生能力を超えるダメージを与えようという狙いだ。

 

 しかし彼等が引き金を引くよりも、アンの方が早かった。

 

 ぱちん。

 

 アンナマリーは小さな手の親指と中指を擦り合わせ、鳴らす。

 

 乾いた音が響き渡って、男達の一人が脳天から股間まで真っ二つになって、床に転がった。

 

「えっ……?」

 

 何が起こったのか分からなくて、引き金に掛けられた指が止まる。

 

 ぱちん、ぱちん。

 

 もう二回、指を鳴らす音が響いて、二人の男が同じように斬られて四つの肉塊になって倒れた。

 

「な、何だ!? こいつは!!」「朝田!! 川島!!」「い、今のは何だ!? 何を飛ばしたんだ!?」

 

「落ち着け!! こいつはモデル・シュリンプ!! エビのイニシエーターだ!!」

 

 男達の中で隊長クラスと目される特に体つきのいい男がそう怒鳴って、部下達を統率する。

 

 それを見ていたアンは「へえ」といった顔になって、次には厳しい表情を見せた。

 

 確かに今のは、エビの因子による能力だった。テッポウエビがハサミをぱちんと閉じる時、その周囲には時速100キロ以上もの超高速の水流が発生する。たった今、アンナマリーが指パッチンで男達を切り裂いたのも同じ原理だった。エビがハサミを閉じるように指を鳴らす動作で真空波を作り出し、人体を切断したのだ。

 

 しかしこれは、簡単には分からないタイプの特性だ。指パッチンという動作を交えて超能力のように演出してみせたのに、隊長はそれに惑わされずたったの3回見ただけで、能力の正体をベース生物も含めて完璧に見極めてしまった。明らかに、様々なタイプの能力を持ったイニシエーターとの戦いを想定し、学習と訓練を積んでいる。

 

「撃て!! 撃て!! 撃て!!」

 

 号令に従い、サブマシンガンが火を噴く。

 

 金属製の弾頭と同じぐらい効率的に人体を破壊できるプラスチックの弾丸は、しかしアンナマリーの体には丸めたティッシュペーパーをぶつけたぐらいの効果も発揮出来なかった。

 

 今のアンナマリーの体は全身が真鍮のような色と質感に変化していて、銃弾は金属のようになった体表にカスリ傷はおろか凹みさえ作れず、弾かれてしまった。

 

「……なっ……?」

 

 あまりにも驚いたのと、弾切れになった事で男達は銃撃を止め、リロードも忘れて銃口も下ろしてしまっていた。

 

「無駄ね。これはモデル・スネイル。ウロコフネタマガイ、スケーリーフットの鉄の鱗に、モデル・ウィービル、ゾウムシの甲皮とモデル・クラブ、蟹の甲殻の固さを上乗せしたもの」

 

 ゾウムシは非常に固い甲皮を持つのが特徴であり、特に日本一固いとされるクロカタゾウムシは標本用の針が刺さらず、鳥が食べても消化できないとされている。

 

 蟹のような海洋性甲殻類の甲羅は水圧に耐える為にカルシウム分を多く含み、その強度は甲虫のそれをも上回る。

 

「たとえミサイルでも、私の鎧を破壊する事は出来ない」

 

 そう言って、アンはすっと手を上げて男達を指差す。

 

「……出来れば、殺したくはないけど。でも、仕掛けてきたのはそっちだし、どうせこの後で他の子供たちも皆殺しにするつもりだったんでしょ? じゃあ……私はそれをさせない為に、あなた達を殺すわ」

 

 瞬間、アンの指先から糸が飛び出て、男達二人の体にくっついた。

 

「な、何だこれは!?」

 

 何とかして糸を引き千切ろうとするが、しかしびくともしない。

 

「モデル・スパイダー+モデル・バッグワーム+モデル・シルクワーム。蜘蛛の糸は同じ太さなら、ワイヤーなど比べ物にならないほどの強度を持つ。それに、その2.5倍の強度を持つミノムシの糸の特性と、繭を作る為に長さ1.5キロもの糸を紡ぎ出すカイコガの特性を上乗せしてあるの。ゴリラやオランウータンのガストレアだろうと、その糸を引き千切る事は出来ない……そして……」

 

 ばちっと、アンナマリーの全身に火花が散る。

 

 次の瞬間、電線の如く糸を伝って走った電流が二人の男の全身を焼いて焦がして、人間大の消し炭に変えた。

 

「なっ……あ……あ……?」

 

「モデル・エレクトリックイール+モデル・マンタ+モデル・キャットフィッシュ。発電魚最強のデンキウナギの能力に、同じく発電魚のシビレエイとデンキナマズの特性を重ね掛け・上乗せしたの。単純な出力だけなら、ソニアちゃんよりも強力なのよ」

 

 部下が皆殺しにされ、たった一人になってしまった隊長はこの現実が信じられなかった。

 

 いくら呪われた子供たちが超人的な能力を持っているとは言え、所詮は子供だ。自分達はこの赤目の化け物共に対抗する術を学び、何ヶ月も前から訓練されていた。例えどんな能力の持ち主だろうと、一致団結して戦えば必ず倒せる筈だった。

 

 だが、こんなヤツは訓練の範疇に入っていない。

 

 イニシエーターのモデルは一人に一つ、能力もそのモデル生物が持つ一系統だけ。それは絶対の原則である筈。

 

 殆ど何でも出来ると言って過言ではないソニア・ライアンとて、持っている能力それ自体はデンキウナギの因子による発電能力のみ。磁力を操ったり地殻変動を起こす力は、それを応用して生み出した副次的なものに過ぎない。

 

 だが、コイツは一体……!? 明らかに、複数の生物の特性を併せ持っている。

 

「……言っておくけど、私は生まれつき複数のモデル生物の能力を持っているとか、実験によって後天的に複数の動物の因子を埋め込まれたとかそんなオチは無いわよ。私も他のイニシエーターと同じ、モデル動物は一つで、持っている特性も一つだけ」

 

 アンナマリーにとって、これは冥土の土産というヤツだった。もしここにルイン・アルコルが居たら「当たったら50点獲得よ」なんて言うのかな、と彼女は思った。

 

 恐怖で腰を抜かし、失禁と脱糞した隊長はガタガタ震えながら、そしてはっと気付いた。

 

「わ、分かったぞ!! お前は……!! お前のモデルは……!!」

 

 彼がその言葉を最後まで言い切る事は出来なかった。アンの指が彼の眼前でぱちんと打ち鳴らされて……

 

 そして彼は、何も感じなくなった。

 

「これで全部……? いや、違う……」

 

 敵を排除したアンナマリーは、しかし油断の欠片も無かった。それどころか、警戒値をこれまで以上に引き上げている。

 

 モデル・キャット、猫の聴覚が、既に新たな敵の接近を彼女に教えていた。しかも、これは……

 

「かなり速い……!! イニシエーターか……!!」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。