ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

27 / 42
第24話 世界を滅ぼす、エリアの守護者

 

 天童和光は目を覚ました。

 

 がばっと体を起こす。気を失った時は椅子に縛り付けられていた体は、今はこの独房のような部屋に備え付けのベッドに寝かされていた。

 

 慌てて、体のあちこちを触って異常が無いかを確かめる。しばらくそうしていて、ほっと胸を撫で下ろした。

 

 頭痛は酷く、体中汗でベトベトしていて不快だが、しかしこれはストレスと疲れによるものだ。最悪、身体のどこかが欠損していたり機能が失われていたりする事態すら思い描いていただけに、今の状況は予想よりもずっと良いものだと言えた。

 

 だが……だとするなら、疑問がある。

 

『ルイン・アルコル……あの女は、私に何をしたのだ?』

 

 頭を掻き毟る。彼は、思考を纏めようとした。

 

 まず、“ルイン”は複数居る。少なくとも二人。

 

 そして自分が見た二人の“ルイン”、ルイン・フェクダとルイン・アルコルの目的はそれぞれ別だった。

 

 ルイン・フェクダは32号モノリスの秘密を暴く為、建造に携わった一派の長である自分を拉致した。これは理解出来る。そしてキノコの因子を持つイニシエーターの能力によって自白させられたという話も……少なくとも彼自身が証言している動画を見せ付けられたのだ。実際にそんな事が出来るのかは兎も角として、ルイン・フェクダにとって自分は既に用済みになっていたと見て間違いはあるまい。

 

 ならば自分が今生きているのは、もう一人のルイン・アルコルがまだ何か用があるからと見て良いだろう。だが、それは一体何だ!? 分からない。

 

 あの女は自分をどうするつもりだという問いに、「神の仕事はあまりにも時間が掛かりすぎる」と返した。その意味する所は、一体……?

 

「くそっ、くそっ!!」

 

 考えても答えは出ずに、壁を蹴り付けて苛立ちをぶつける。

 

 信じられなかった。体内時計や空腹感からして、リムジンで誘拐されてからまだ十二時間とは経っていないように思える。それなのに、あまりにも多くの事が変わってしまっていた。秘書のかずみに化けていたルイン・フェクダが正体を現すまで、こんな事態は想像だにしていなかった。

 

 32号モノリスの秘密が発覚する事は確かに不安の種ではあったが、しかしそれは歯に挟まった食べかすのようなもので、証拠の隠滅も完璧だったし直ちに彼の命を奪うようなものではなかった。本当なら今頃は会食を終えて、清潔でふかふかのベッドで快適な眠りを満喫していた筈なのに。

 

 あの女達のせいだ。七星の遺産強奪事件の時もそうだったが、あいつ等が姿を現してから何もかもがおかしくなった。

 

 あいつらさえ居なければ、誰も32号モノリスの真実に辿り着く事などなかった、秘密は永遠に闇の中だったのに。

 

 今はその事実を知られるどころか、自白まで取られてしまった。

 

 仮に生きてここから出られるとしても、それは自分がルイン達にとって利用価値ができたから逃がされるというケースだろう。その場合彼女達は、あの自白動画を使って自分を脅し続けるに違いない。彼女達にとって、自分が必要でなくなる迄。少しでも意に沿わぬような動きを見せれば、爆弾はいつでも炸裂する。これはアキレス腱どころか、心臓を鷲掴みにされているようなものだ。たとえ自分が国土交通省の大臣になっても、あるいは祖父の跡を継いで国家元首の補佐官になったとしても、永遠にルイン達の掌の上で躍らされ続けるのだ。

 

 今の和光には、3つの選択肢があった。

 

 

 

 答え① 逃げられずに、ここで殺される。

 

 答え② 解放されて、ルイン達に脅され、利用され続ける。

 

 答え③ 解放された後、自白動画が公開されて社会的に葬り去られる。

 

 

 

 どれにもマルを付けたいとは思えない。殺されるのは言わずもがな、ルイン達に躍らされ続ける日々は地獄、ルイン達によって葬られるのも地獄。

 

『私にはもう、地獄から逃れる術は無いのか……?』

 

 だがこの状況に於いても、彼はまだ希望を捨ててはいなかった。

 

 自分は天童の血族。ありったけの金と手間を掛ければ、あの自白動画ですらあるいは闇に葬れるかも知れない。どれほどの労力になるかは分からないが、命あっての物種だ。それに祖父や兄弟達も、事が事だけに身内の恥と切り捨てるよりも、天童の名に傷が付く事の方を恐れて事実の隠蔽に尽力してくれるかも知れない。

 

 全くの希望的観測であるが、しかしそう思考する事がなんとか彼の正気を保たせていた。

 

 その時だった。カツン、カツンと足音が聞こえる。誰かが近付いてくる。

 

 十中八九、あのルイン・アルコルだろう。恐怖は感じるが、しかしこれはチャンスだ。

 

 ドアのすぐ脇へと身を潜める和光。

 

 十数秒ほど経って勢い良くドアが開いて、予想に違わずルイン・アルコルが入室してきた。

 

「未来へようこそ、ブラザー。気分はいかがかしら? 少しは進歩的に……あら?」

 

 視界に和光の姿が見当たらないので、アルコルは戸惑って動きを止める。その隙を衝いて、和光はアルコルの背後へ回ると腕を首に回して思い切り力を込める。

 

「……体調は良好のようね」

 

 大の男に首を締め上げられて足が浮いていると言うのに、アルコルは少しも苦しそうな様子を見せない。この反応には今度は和光の方が少し戸惑ったが、だがこの状況は明らかに自分の方が有利だ。これは千載一遇のチャンスなのだ。それを活かす事を最優先に考えるべきだと思い直す。

 

「私を解放しろ!! 今すぐに!! さもなければ首を……!!」

 

 へし折るぞと言い掛けて、和光は鼻で息を吸い込む。

 

 その時だった。

 

「がっ、ああああっ!?」

 

 思わず悲鳴を上げて飛び退った。当然、アルコルに仕掛けていたチョークスリーパーは解いてしまった。

 

 和光は反射的に両手で鼻を押さえる。まるで、粘膜に大量の練りカラシを塗り付けられたような熱さと痛みが彼を襲っていた。

 

「ああ、ごめんなさいね。今日は少しばかり香水がキツすぎたかしら?」

 

 くすくすと喉を鳴らしながらアルコルが言うが、しかし今和光が感じているのはそんなものでは説明が付かない激臭だ。こんな匂いは嗅いだ事が無い。いや、匂い自体は嗅いだ事のある女の体臭と香水が混ざった独特かつ特有の匂いだが、その強さが尋常ではないという表現が適切だろう。

 

 犬は人間よりもずっと鼻が利くと言うが、その犬が香水を嗅いだりしたらこんな感じなのだろうかと、和光は取り乱した頭の片隅で思った。

 

「副大臣殿、先に断っておくけど、さっきみたいな事をしても無駄よ?」

 

 笑顔のままで、アルコルが宣告する。

 

「なっ……?」

 

「ガストレアウィルスの保菌者となった今、どこの誰があなたを受け入れてくれると言うのかしら?」

 

 和光は、今の言葉が信じられなかった。

 

 ガストレアウィルスの保菌者。この女は今、自分が祖父が毛虫や蛇蝎のように嫌っている赤目のガキ共と同じ存在になったと、そう言ったのだ。

 

「……自分の目で見た方が良いわね」

 

 アルコルは白衣のポケットから化粧用コンパクトを取り出すと、和光に投げ渡す。受け取った和光は震える手で蓋を開いて、鏡を顔の前に持ってくると目をぎゅっと閉じて、そして恐る恐る開いた。

 

「あ、ああ……!!」

 

 今まで生きていた時間の全てが否定されたようだった。天童和光という存在そのものが、音を立てて崩れ壊れていくのがハッキリと分かった。

 

 鏡に映る和光の両眼は、紅く染まっていた。ガストレアや呪われた子供たちと、同じ色に。

 

「お、お前は私を赤目にしたのか!?」

 

「そうよ? 他に何をしたと思ったの? あなたの体にガストレアウィルスを取り込ませたのよ」

 

 笑いながら、アルコルは何でもない事のように言い放った。

 

 この時、和光は取り乱していた事もあって僅かな違和感に気付かなかった。ガストレアウィルスは血液感染しかしない。だから人為的にガストレアウィルスを感染させる場合には注射を用いる方法が一般的で、注入したとか投与したとかいう表現を用いるのが普通だ。なのに何故、”取り込ませた”などという持って回った言い回しをするのかを、注意し損なった。

 

 まぁ、それも無理はない。彼が今感じている絶望に比べれば、そんなものは取るに足らぬ些事でしかないのだから。

 

「私達“ルイン”が持っているガストレアウィルス適合因子……これを他人の体に移植する遺伝子治療技術の確立と、生まれながらにガストレアウィルスを保菌する呪われた子供たちへと手術を施して侵食率の上昇を停止させる技術の開発には成功したのだけど……普通の人間に適合因子を移植した後に、ウィルスに感染させてイニシエーターと同等以上の能力を持たせる実験は中々上手く行かなかったのよ」

 

 影胤が適合因子の移植やガストレアウィルスを注入されていないのも、これが理由だった。機械化兵士であり元序列134位のプロモーターである彼はルイン達にとっても貴重な戦力であり、おいそれと実験体にして使い捨てるような真似は出来なかったのだ。

 

「ちなみに、あなたに感染させたのはモデル・ドッグ。犬の感染源から採取したガストレアウィルス。それによってもたらされる変異は……今、あなたが体感している通りね」

 

 この異常な臭いは、それが原因だったという訳だ。臭いが強かったのではなく、それを感じる和光の嗅覚が人間の域を超越して敏感になっていたのだ。

 

 和光は、絶望のどん底の更に底にまで突き落とされるとはこの事だと理解した。

 

 ここから逃げても、もうどこにも自分の居場所は無い。天童の家にも帰れない。赤目になった事を知れば、お爺様は自分を殺すかさもなくば一生、陽の下には出さないだろう。仮にどこかへ身を隠して赤目に理解のある者に匿ってもらうにしても、もう人間の嗅覚レベルに合わせた食事を楽しむ事も出来ない。

 

 約束されていた筈の栄光と未来は、ほんの一日足らずの間で全て奪われた。

 

 こいつの、この女のせいで。

 

 落ちる所まで落ちてもう絶望する事すら出来なくなって、代わりにふつふつと怒りが込み上げてきた。何で自分がこんな目に。こんなのは他の人間に訪れるべき不運であって、天童である自分には無縁のものであった筈なのだ。その自分にこんな仕打ちなど、許される筈がない。許されていい訳がない。

 

 この女は、その償いをしなければならない。

 

「こ、殺してやる……!! 殺してやるぅぅっ!!」

 

 鋭くなった犬歯を剥き出しにして、唾を飛ばして喚きながら和光はアルコルへと飛び掛かる。

 

 だが、アルコルは華奢な体つきからは信じられないほど素早く動いて、逆に和光の喉を掴むと片手で吊し上げてしまった。

 

「がっ……はっ……!!」

 

「さっき、私の体に触れて力を込めたのが間違いだったわね」

 

 ルイン達の中にあるガストレアウィルスは、感染源を持たないモデル・ブランク。その特性は犬の嗅覚や猫の爪、シャチの反響定位といった何らかの生物の能力という“方向性”を持たないが故に、あらゆる生物とガストレアウィルスが共通して持つ最も始原的な能力に特化している。

 

 それが、“進化”。環境や天敵といった“負荷”に対応して、それを克服する能力。力が強い者が相手ならそれ以上に力強くなり、素早い相手にはその上を行くスピードを身に付ける。ルイン・アルコルの肉体には先程和光に首締めを食らった時には既に、今の彼のパワーを上回る力が付与されていたのだ。

 

 和光は何とか逃れようと足をばたつかせてアルコルの体を蹴り上げ、両手でバンバンと彼女の腕を叩くが、無駄な努力に終わった。

 

 と、アルコルは無造作に空いている方の腕を動かすと、そっと和光の鼻先に指を添えた。

 

「な、何を……」

 

「副大臣殿、クイズをしましょう。当たったら50点獲得よ」

 

「なっ……あっ……」

 

 喘ぎ、息も絶え絶えの和光はくぐもった返事を返すのがやっとだった。アルコルは涼しい顔で、続ける。

 

「私達“ルイン”が持つ力は進化。常に戦う相手よりも力強く、素早く、高い持久力を身に付けるのともう一つ、その相手の弱点になる能力を何度でも発現させる事が出来るの。……つまり、目が良い相手には目眩ましになる発光能力や、トウガラシのような目つぶしの能力が、耳が良い相手には大音響を発生させるような能力が後天的に身に付くの。では、ここで問題……鼻が利く相手には、果たしてどんな能力が発現するのかしらね?」

 

「……っ!! や、やめ……」

 

 恐ろしい結末を悟った和光はぶるぶる震えながら拒絶の意思を示すが、遅かった。

 

 アルコルの指先から、液体が汗のように滲み出る。その液体が和光の鼻に入って……

 

 瞬間、和光の両手足から力が抜けてだらりと垂れ下がった。両眼はぐるりと白目を剥いて、ズボンは前後共に汚れる。

 

「あら?」

 

 不思議そうな顔のアルコルが手を放して、どさりと床に転がった和光の目を開かせて眼球の動きを観察する。

 

「これは……」

 

 何事か言い掛けたその時、アルコルの白衣に仕舞ってあったスマートフォンが鳴った。

 

「もしもし、ステラ? 何かあったの?」

 

<マスター・アルコル。たった今、天童和光が死んだようですが、何かあったのですか?>

 

 ルイン・アルコルのイニシエーターであるステラ・グリームシャイン。彼女はモデル・マッシュルーム、キノコの因子を持つイニシエーターでありその能力は自分の肉体の一部を冬虫夏草のように他者の脳に寄生させ、宿主を自由に操る事。この特性を持つステラは、距離が離れていようと宿主の状態が本能的に分かるのだ。

 

「……ああ、そうなの」

 

 何の感慨も無いという風にアルコルは頷くと、指先にまだ残っている液をすんすんと嗅いでみる。

 

「臭っ!!」

 

 途端に、顔を歪めて鼻から指を離すと部屋に備え付けのティッシュペーパーで液体を拭い取った。

 

 予想はしていたが、こんな悪臭を犬因子の鋭敏な嗅覚で嗅いだのだ。死因は、ショック死だ。

 

「やれやれ、折角色々検査をしたかったのに……まぁ、死体でもそれなりにデータは取れるし……CLAMPの完成まで後一歩……」

 

<マスター・アルコル?>

 

 ぶつぶつ呟くアルコルに、まだ通話が繋がっているスマートフォンからステラが話し掛けてくる。

 

「ああ、ごめんなさいねステラ…………話は変わるけど、あなたは東京エリアに行った事はある?」

 

<……いいえ>

 

「東京エリアは、比較的だけど呪われた子供たちへの差別意識の低い、寛容な国、平和な国だと言われているわ。実際は違うけどね」

 

 そう、それは間違いだ。

 

 この世界に、寛容な国など無い。平和な国も無い。東京エリアだけではなく、他の何処にもそんな国は無い。

 

 それは人という種の宿業だ。権力者と違う人種に生まれたというだけで、罪も無い女子供がそっくり殺される。そんな事例は人類史の中で枚挙に暇がない。

 

「でも、それももうすぐ終わるわ。最初に東京エリアの人々が……そして時を置かずに世界中全ての人間が私達の仲間になる。私達とあなた達の呪いは、そのまま彼等の呪いとなる……!!」

 

<そうなれば、私も嬉しいです>

 

「うん……そうなれば副大臣殿……あなたの魂にも、少しは慰めになるでしょう?」

 

 そう言ってアルコルは通話を切って、和光の死体を担ぐと独房から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

「我堂さん、お茶が入りました」

 

 モノリス崩壊が5日後に迫ったその日の朝、聖居で中ぐらいの広さの会議室に客人が通されていた。

 

 禿頭に、正装の上からでも鍛え上げられた筋骨隆々の肉体がハッキリと分かる精悍な男。東京エリアで二番目の高位序列保持者である275位のプロモーター、我堂長正だ。テレビのCMで何度も見たこの男に、綾耶は聖天子にそうするように自分が煎れた紅茶を差し出す。我堂は黙礼してお茶を受け取ると、一口飲んだ。

 

「そちらのイニシエーターさんも……えっと……」

 

「壬生朝霞です、将城綾耶殿。ありがたく頂戴いたします」

 

 長正の背後に影のように控えていた侍のような衣装を纏ったその少女、イニシエーター・壬生朝霞はこちらも一礼するとお茶を受け取った。

 

 そうして一呼吸置いた所で、長正は自分達の対面に座る人物へと視線を送る。

 

 東京エリア国家元首・聖天子へと。

 

 この会議室には、真ん中に長机が置かれていて下座側に長正が座り、上座側には聖天子が座っている。そして長正のすぐ後ろには朝霞が立っていて、聖天子は右後ろに補佐官である天童菊之丞が、左後ろには綾耶、ソニア、ティナの3名のイニシエーターが付き従っている。

 

「聖天子様、今回の呼び出しはやはりモノリスの白化現象の件でしょうか?」

 

 混乱を避ける為、未だ一般には公開されていない情報だがそれを長正が知っている事には、この場の誰も驚かない。序列275位ともなれば、独自の情報網を持っていても少しも不思議ではない。寧ろ、自然とさえ言える。そうした情報収集能力の高さも、長正が優秀な民警である証明だ。

 

 聖天子としても、そこまで分かっている相手に今更隠す意味も無いと考えたのだろう。静かに頷く。

 

「はい。ですが他にも呼んでいる方が居るので……その方が来られてから、話を始めさせていただきます」

 

 言っている間に、ノックも無しに勢い良くドアが開け放たれた。

 

「うっす。呼ばれたみたいなんで、来させてもらいましたぜ」

 

 砕けた口調で現れたのは、正装の我堂とは対照的にくたくたのトレンチコートをラフに羽織った壮漢、一色枢(いっしきかなめ)。IP序列は30位。長正を大きく引き離して東京エリア最高序列保持者である。傍らにはやはりと言うべきか、イニシエーターであるモデル・ウルヴァリンのエックスを引き連れている。

 

「良く来て下さいました、一色さん。どうぞ、席に着いて下さい」

 

 枢は聖天子に勧められるままに我堂のすぐ隣の席へと着席した。彼とエックスにも、綾耶がお茶を振る舞う。外見から受ける豪放な印象に違わず、彼は一息でカップを空にしてしまった。

 

 兎も角これで、招集を掛けていた二人が揃った。聖天子はそれを確かめると、絶妙な間を置いて話を始める。

 

「……お二人とも、ご存じだとは思いますが、現在32号モノリスにステージⅣガストレア・アルデバランが取り付いてバラニウム侵食液を注入しています。32号モノリスは磁場発生能力を失いつつあり、早ければ明日には白化現象が遠方から肉眼でも確認できるようになるでしょう。そして計算では5日後に、32号モノリスは倒壊します」

 

「あー……そりゃマズいですねぇ……」

 

 腕組みして、国家元首相手にも少しも物怖じせずに枢が言う。

 

 モノリスが倒壊したエリアの辿る未来は一つ。その“穴”からガストレアが侵入してきての大絶滅だ。今の所、その運命から逃れられたエリアは存在しない。

 

「そのような事情であれば代替モノリスの建造は既に始まっている筈。それは間に合わぬのですか?」

 

 我堂が、こちらは礼を忘れないかしこまった口調で質問する。この問いには菊之丞が答えた。

 

「代替モノリスの用意は昼夜兼行で進めているが、建造と運搬には、どれだけ急いでも後8日は掛かる」

 

 モノリスが倒壊するまでは5日。つまり大絶滅を免れる為には3日間、倒壊したモノリスの“穴”から侵入してくるガストレアを一匹残らず迎撃せねばならない。

 

「中々、難しいですぜ?」

 

 と、枢。言い様は気に入らないが内容自体は真っ当である事を認め、菊之丞も頷く。彼の視線は聖天子の後ろで控えている3名のイニシエーターへと送られた。

 

「その為に、我々の方でも集められるだけの戦力に声を掛けている」

 

 聖天子が蓮太郎に声を掛けたのもその為だし、菫がソニアが侵食率の関係から後3回しか戦えないという事実を伝えたのも同じ理由だった。

 

「……そして一色さん、あなたにはこの東京エリアで最高位の序列保持者として、アジュバントの軍団長を務めていただきたいのです」

 

 政府は、緊急事態に於いては民警を自衛隊組織に組み込んで運用する事が出来る。アジュバントは、部隊を構成する民警の分隊システムを指す。民警マニュアルでは軍団長は基本的にそのアジュバントの中で最も序列が高いペアのプロモーターが務める事となっているので、枢にその役目が回ってくるのは自然な成り行きであった。

 

「謹んでお受けいたします、聖天子様」

 

 ぺこりと、枢が頭を下げる。了承の返事を受け、聖天子は今度は我堂へと向き直った。

 

「我堂さんには一色さんに次ぐ高位序列保持者として、アジュバントの副団長をお任せしたいと思っています」

 

「承知いたしました」

 

 長正も一礼して、諒解の意を伝える。

 

 聖天子はほっとした表情になって、菊之丞も心なしかその強面が緩んだようだった。

 

 二位以下を大きく引き離す超々高位序列保持者である枢と、知勇兼備の英傑として名高い長正。この二人がトップに立てば、所詮は寄せ集めの烏合の衆でしかないアジュバントにもある程度の統率力が期待できるようになる。これならばあるいは滅びの運命すら覆せるのではと、希望を持つ事が出来た。

 

 枢が椅子を蹴って、勢い良く立ち上がる。

 

「まぁ、ご照覧あれって所ですかね。この東京エリアは俺達にとっても大切な場所ですから。必ず守り通してみせますよ」

 

 力強い言葉を受け、聖天子は笑みと共に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 一時間後、一色民間警備会社のオフィス。

 

 聖居から事務所に戻った枢は、いつも通り机に脚を投げ出してスマートフォンで電話を掛けていた。

 

 通話相手は「Ζ(ゼータ)」と表示されている。

 

「ええ、そう。私がアジュバントの軍団長を任される事になったわ……それで、私自身もアジュバントを結成せねばならないから……あなた達にも来て欲しいのよ」

 

 枢の声は、今は野太い男の声ではなく良く通る女の声だった。机の上であぐらを掻いているエックスは、この“声変わり”はいつもの事なので驚いた様子もない。

 

 変わったのは声だけではない。枢の全身が石を投げ入れられた泉のように揺らいで、精悍な男の姿から白い髪の美女へと変化する。これはリムジンの中で天童和光の秘書である椎名かずみに化けていたルイン・フェクダが正体を現した時と、同じ現象だ。

 

 ルイン達が持つガストレアウィルス適合因子は、慣れと訓練によって形象崩壊を自在にコントロールしてガストレアと人間の姿を自由に行き来する事をも可能とする。

 

 形象崩壊は通常、感染源となった動物のガストレアにしか変われない。つまり、モデル・ラットのウィルスを持つ者はネズミのガストレアにしかならないし、モデル・スパイダーの因子を持つ者は蜘蛛のガストレアにしか変異しない。だがルイン達が保菌するガストレアウィルスはモデルを持たない。故に、どんな姿にも変わる事が出来る。

 

 “七星の一”ルイン・ドゥベの役目は、民警として表の世界での地位と発言力を確立させる事。一色枢とは、その為の仮の姿である。否、この場合は化身と言うべきか。

 

「六番(ミザール)……既に、四番(メグレズ)とティコちゃんには話を通しているわ。そこにあなた達にも加わってもらって、一色民間警備会社からは3組6人を少数精鋭のアジュバントとして、この……第三次関東会戦に参戦するわ」

 

<分かったわ。私達も明日には、合流させてもらうから>

 

 電話の向こう側からはドゥベと同じ、ルインの声が返ってくる。“七星の六”ルイン・ミザールのものだ。

 

<ところで、ドゥベ……あなたは聞いたかしら? アルコルの話……>

 

「ええ……!! “CLAMP”はもう完成間近らしいわね……!!」

 

 ルイン・ドゥベの声には隠し切れない歓喜が滲んでいた。

 

「そうなれば……呪われた子供たちへの迫害は終わる……!! 今はガストレアウィルスを持っているとか赤い目だとか、そんなくだらない事で争っている場合ではないのに……多くの人達はそんな単純な事にも気付かない……このままではいつか……そう遠くない未来に、人間と呪われた子供たちとの間で戦争が起こるわね……」

 

<そんな戦争は私達が絶対に起こさせないわ。アルコルも十年前からずっと、その為に研究を続けてきたんだから……>

 

「そうね……みんなで、共に明日を迎える為に」

 

 椅子から立ち上がったルイン・ドゥベは窓へと歩み寄る。そこからは東京エリアの街並みが一望できた。

 

「新しい時代の為に、私達はこの東京エリアを絶対に守る。全ては此処で終わり……そして全てが此処から始まるのよ……!!」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。