ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第22話 世界を変える劇薬

 

 聖居、東京エリア国家元首たる聖天子の私室。ここに立ち入れる者は限られている。今は部屋の主である聖天子と、執務机に向かう彼女のすぐ後ろに3人の呪われた子供たちが控えていた。直轄のイニシエーターである綾耶と、聖室護衛隊の特別隊員であるソニアとティナ。彼女達は今回、聖天子から立ち入りを許されていた。

 

 呪われた子供たちを私室にまで入れるのに天童菊之丞は流石に難色を示したが、そこは聖天子が「今回の国難を乗り切る為にどうしても必要な事なのです」の一点張りで通したらしい。

 

 聖天子が向かう机の上には一台のノートパソコンが置かれていて、画面上には室戸菫が映っている。これはリアルタイムでの映像通信で、最高度のセキュリティが施されていて盗聴等の心配はまず無い。こんなものを使いその上綾耶達以外の人払いまでするとは余程聞かれては拙い話でもするのであろうかと、綾耶は何か心臓の辺りがむず痒くなるような違和感を覚えていた。ドラマとかで良く見る、喫茶店に呼び出されて男の方が「少し話が長くなるかも」とケーキを注文するのを見ている別れ話を切り出される女性はこんな気分なのだろうかと、取り留めもない思考が頭をよぎった。

 

<……これが、ソニアちゃんのウィルス体内侵食率です>

 

 苦り切った顔の菫がそう言うと映像が切り替わって、履歴書のようにバストアップになったソニアの写真と身長体重血液型などの各データがびっしりと記載された画面が大映しになる。

 

「っ……!!」

 

「そんな……!!」

 

 背伸びして後ろから画面を覗き込んでいた綾耶は顔から一気に血の気を引かせて、ティナは顔を青くして口元に手を当てた。

 

 

 

 ソニア・ライアン、ガストレアウィルスによる体内侵食率46.8%。

 

 形象崩壊予測値まで残り、3.2%。

 

 担当医コメント:超々危険域。今後、戦闘行為は絶対に避けるべき。万一戦闘を行わせる場合にはガストレア化を防止する為の『介錯要員』となるプロモーターまたはイニシエーターの随行を絶対の条件として行う事。

 

 

 

 数日前に、このイニシエーター3名は菫の元へ行って侵食率の検査を受けている。その時に告げられた体内侵食率は綾耶が30.4%でティナが26.6%だった。ソニアだけはその場では侵食率の告知が行われなかった。その時菫は「私もゾーンに到達したイニシエーターを診るのは初めてだから色々と詳しく調べたいんだ」と言っていた。それも嘘ではなかったのであろうが……だがあの時気付くべきだった。もっと別の理由があったのだと。

 

 迂闊にこの事実をソニアに伝えて自暴自棄でも起こされた日には、何が起こるか分からない。下手をすればアルデバランのバラニウム侵食液による32号モノリスの磁場発生能力喪失を待たずして、東京エリアが滅ぶかも……想像したくもないが、そうなったらとても菫には責任を取れない。

 

 だが伝えない訳にも行かない。ソニアがこの数値を知らずに能力を濫用していたら、ある日突然東京エリアのど真ん中にゾーンに到達したイニシエーターが変じたガストレアが出現するという事態だって起こり得る。だからこそこの場で、聖天子・綾耶・ティナを交えての告知という流れになったのだろう。

 

「そう、ですか……」

 

<コメント欄にも書いてありますが、もうソニアちゃんはいつガストレア化しても不思議ではない状態です。これ以上、彼女を戦わせる事は絶対に避けるべきです>

 

 死刑宣告を突き付けられているようなものだが、ソニア当人は至って落ち着いたものだった。あるいは、彼女自身この告知を未だ現実味のある出来事として受け止められていないのか。

 

「……仮に、護衛を付けるなどして負傷する危険を可能な限り減らしたとして……ソニアさんは後何度の戦闘に耐えられますか?」

 

「聖天子様!!」

 

 主のこの物言いには、流石に綾耶も咎めるように大きな声を出した。まるでソニアを只の備品、消費される銃弾としてしか見ていないようで……

 

 だがこれは国家元首としての責務を全うする上で、聖天子が確認しておかねばならない事でもあった。

 

 仮にソニアのウィルス侵食率が50%を超過して彼女を殺処分する事態になったとしてもそれは究極的には1人の死、エリア全体の人口比で見れば何百万分の一でしかない。だが今はモノリスが倒壊してその”穴”からアルデバランに率いられた2000体のガストレアが雪崩れ込んできて東京エリアの住民全てが死ぬ、もしくはガストレア化するかどうかという瀬戸際だ。

 

 IP序列元11位にして天秤宮(リブラ)を倒したイニシエーターであるソニアはその未来を変える事の出来る最大のファクターであり最強の切り札だ。使わないという選択肢は有り得ない。ならばその超絶の力を彼女が後何度振るう事が出来るのか、聖天子は把握しておかねばならなかった。

 

 この問いは菫にとっても難しいものだったらしい。四賢人の一人は即答を控えて、数分も黙考した後にやっと口を開いた。

 

「後……三度ですね。それ以上は私も保証できません」

 

「そう……ですか」

 

 瞑目した聖天子が顔を伏せて、悲痛な表情になったティナの目には涙が滲む。

 

「お姉さん……お姉さんがそんな事になってるなんて……私……」

 

 ソニアの侵食率が高くなっているのは、自分のせいだとティナは思っていた。外周区で寒さに震えていた時から、ソニアにはずっと助けてもらっていた。ソニアは自分の為に機械化兵士にまでなって、そうまでして真っ当な生き方をさせようとしてくれていたのに、自分はその気持ちを裏切ってイニシエーターの暗殺者に身をやつしてしまって……いたたまれない気分になってきた。どこで、ボタンを掛け違えてしまったのか。どこで、道を誤ってしまったのだろうかと。

 

 そんなティナの頭にソニアは手を乗せると、わしゃわしゃと乱暴に撫でた。

 

「良いのよ。私が自分で決めて選んだ事だから」

 

 力強く、ソニアは笑ってみせる。そのまま手をティナの後頭部に回すとぐいっと掻き寄せて、ちょうど自分の胸にティナの顔をうずめさせた。そこが、限界だった。ここが聖天子の私室である事も忘れて、ティナは声を上げて泣いた。ソニアは何も言わずティナの背中に手を回して、悪夢を見た妹を安心させるようにゆっくりと撫でてやっていた。ティナが落ち着くまで、ずっと。

 

「室戸先生、何とかならないんですか?」

 

 綾耶とて非正規ながらイニシエーターとして、侵食率が限界を迎えた呪われた子供たちを見送った経験はある。その都度己の無力さに歯噛みした。だから無駄だとは承知していたが……それでも、聞かずにはいられなかった。何か方法は無いのかと。だが画面の中の神医は、首を横に振るだけだった。

 

 これは分かっていた事だったが……しかし綾耶には、まだ食い下がる材料があった。

 

「室戸先生……ガストレアウィルスの適合因子って、あると思いますか?」

 

 聖天子と菫が眉をぴくりと動かして、ソニアの表情が僅かに変わる。

 

「僕は『七星の遺産』争奪戦の時、ルインさんから聞いたんです。ルインさんはガストレアウィルスの適合因子を持っていて、それは他の呪われた子供たちにも移植できるって……それがあれば、侵食率の上昇に怯える事は無いって……」

 

 綾耶の言葉を受け、菫は腕組みして難しい顔になる。

 

<それは……存在しないと決めつける事は出来ないね。神様が存在する事を証明できる客観的証拠があまりにも乏しいから、意見を保留しているのと一緒だ>

 

「でも……」

 

<そう、“でも”だな。あのルイン・フェクダはどう見ても二十代前半の成人女性。呪われた子供たちは最年長の者でも10歳だから、少なくとも彼女は呪われた子供たちとは別の過程を辿ってあの力を手に入れた事だけは確実だ。だからもしかしたら本当にウィルス適合因子なんて物が存在するのかも知れない>

 

 そう言うと、菫は座り直す。ぎしっと、腰掛けていた椅子の背もたれが軋んだ。

 

<……と言うか、確かにガストレアが人類の敵である事は事実だが、呪われた子供たちの超人的な身体能力や再生能力には注目が集まっていて、君達が持つ抑制因子を応用して、完全な抑制剤を製造してウィルスをコントロール出来ないかという研究は、今も世界のあらゆる国で進んでいるんだ。それこそ、最初の呪われた子供たちが生まれたその時から>

 

「……そう、なんですか?」

 

「その通りです、綾耶。確かに奪われた世代が持つガストレアへの憎しみは計り知れないものがありますが……同時にあなた達が持つ能力は、それを差し引いても余りあるほどに魅力的なのです。しかし今の所、呪われた子供たちは自然にしか生まれてきません。人為的に手を加える事が出来るのは、精々が人工授精を行った胎児に任意のモデルのガストレアウィルスを注入して、生まれてくる子どもが持つ特殊能力をある程度決めるぐらいまでです」

 

 綾耶の疑問には、聖天子が答えた。パソコンモニターの中で、菫も頷く。それが現在の技術の限界点でもある。そうして生まれた子供が戦えるようになるにはどんなに早くとも6、7年の時を待たねばならないし、その子には一から訓練を施さなくてはならない。しかも侵食率の枷があるから、そこまで時間と手間を掛けて調達した戦力はいつガストレア化するか分からない諸刃の剣でもある。

 

<だが、もし、もしもだ。ガストレアウィルスの侵食を完全に抑える事が出来るなら? 適合因子の移植にせよ完全な抑制剤なりワクチンの開発にせよ、ウィルスをコントロールし、対象となる人間の体内で共存させる方法が見付かったのなら……>

 

「……どうなるんです?」

 

 綾耶は、思わず唾を呑んだ。

 

<……まず、第一線でガストレアと戦う民警ペアの死亡率が大幅に下がるだろうな。ウィルスを注入されても、ガストレア化しないで済むのだから。同じ理由でガストレアに襲われてガストレア化してしまう感染者の数も、劇的に減るだろう。だがそれ以上に大きな変化を見せるのが……>

 

「各国の軍隊ですね。室戸医師」

 

 聖天子の言葉に、菫が頷く。

 

「……と、言うと?」

 

「簡単な事です、綾耶。あなた達が持つ身体能力や再生能力は、体内に保菌するガストレアウィルスがもたらすもの。幼い女の子であるあなた達ですら、人の領域を遥かに超えた力を発揮できるのです。もし、訓練を受けた屈強な成人男性に同じ処置が行えたのなら? ……これは机上の空論でしかありませんが、仮に人間の子供と大人の比率で身体能力が変化するのだとしたら……その時は戦争に火薬や飛行機が投入された時以上の兵器革命……いえ、『兵士革命』が起きるでしょう」

 

<呪われた子供たちの平均レベルまでの身体能力・再生能力しか身に付かなかったとしてもその時点で十分驚異的だし、この場合イニシエーターとの最大の相違点は生まれてくる、育つ、訓練するといったプロセスを踏まねばならないイニシエーターに対して、既に訓練された成人に処置を行うだけで済むという点だ。超人を迅速に、しかも安定して“生産”できる>

 

 話を聞いている内に綾耶は知らずに頬に伝っていた汗を拭った。彼女自身はルインが持っている適合因子とそれを移植する技術が手に入ればソニアも含め大勢の人が助かるぐらいにしか考えていなかったが、話を聞いていると段々事のヤバさが分かってきた。(フェクダの話が本当だという前提の上だが)ルインが持つ技術がもたらす影響は思いの外大きいらしい。

 

 だが考えてみればそれも当然かも知れない。ただでさえ、トップクラスのイニシエーターは単身で世界の軍事バランスを左右するほどに強力とされている。もし、一国の軍人全てが”同じ”になれば? いくら兵器が進歩しても、歩兵が果たす役割は依然として大きい。超人軍隊を持った国は他国よりも圧倒的に優位に立てる。

 

<それだけではない。完全にコントロール出来るのなら、ガストレアウィルスの再生能力は医療面で無限大の応用を可能にする。そうなればどれだけの命が救えて、どれだけ莫大な利益を生む事になるのか……私にはちょっと想像も付かないね>

 

 肩を竦めて、菫が嗤った。

 

「……勿論、何度も言っているようにこれらは今の所全てが机上の空論。現時点ではどの国も完全な抑制剤の開発も出来ていなければ、適合因子も発見していません」

 

「でも、もし……」

 

 それが見付かったのなら? そして他者にそれを移植する技術が確立されたのなら?

 

 綾耶の言いたい事を察して、菫が回答する。

 

<その時は、人類の歴史そのものが根底から覆されるだろうね>

 

 

 

 

 

 

 

「うう……」

 

 天童和光が意識を取り戻して初めて感じたのは、酷い頭痛だった。息をする毎に、がんがんとした感覚が頭に響く。

 

 ぼんやりしていた視界がようやくクリアになってきて、周りを見渡してみる。案の定と言うべきか、周囲の物には何一つとして見覚えは無かった。それほど広くもない部屋で、観葉植物や写真といったインテリアは何処にもない。床も壁も天井も一様に真っ白いタイルが敷き詰められていて、窓は一つもない。白い色が光を反射して、天井の照明以上に部屋の中を明るく見せていた。

 

 手足が自分の思い通りに動かないのに気付いて顔を下げると、両手と両足と胴体を縛られて椅子に固定されているのが分かった。

 

 服を見てみると、スーツが乱れてネクタイも緩んではいるがまだあった。強盗にでも遭ったのかと思ったが、財布はきちんといつも入れているポケットに在るのが感覚で分かったし、気を失う前にはもっと恐ろしい思いをしたような気がする。

 

 ……と、そこまで頭が回転した所で、急速に記憶が蘇ってきた。

 

 リムジンの中で秘書がいきなり別人に変身したのだ。いやあれは、“何者か”が椎名かずみに化けていたというのが適切だろう。化けていたのは以前に資料で見たルイン・フェクダという女だった。あの女に顔を何度も蹴られて、そして気を失ったのだ。

 

「く、くそっ」

 

 手足の戒めを何とか解こうと躍起になったが、びくともしなかった。

 

 5分ほどもそうして彼は漸く諦めると、考え方を変えた。

 

 意識を失っていたのだから、その間に自分を殺そうとするのならいくらでも出来た筈だ。それをせずにこうして拘束するに留めているという事は、少なくともまだ何か自分に用があるという事だ。例えば何か聞きたい事があるとか。ならば必ずコンタクトを取ってくる。その時の交渉や提示する条件次第では、解放してくれるかも知れない。

 

 ……などと、未来に希望を持ってはいたがこうして自分を取り巻く環境を見ると、そんな淡い希望願望など簡単にすっ飛んでしまいそうだ。

 

 意識を失う前には想像もしなかったこの事態を受けて、和光は一気に十年も老け込んだようだった。

 

 すると部屋にたった一つしかないドアが開いて和光はそちらを見て、顔つきがまた五年分は老けたようだった。

 

 入ってきたのはルイン・フェクダとイニシエーターとおぼしき一人の少女。そしてもう一人、白衣を着たルインだった。イニシエーターは兎も角として自分にとって悪夢が具現化したような存在がしかも二人して現れたのだ。和光の髪は白くなり始めていた。

 

「お、お前達は何者だ? 何故私をさらった? かずみはどうした?」

 

 それでも精一杯自分を奮い立たせて、和光はそう問い質した。

 

 白衣を着ていない方の、ルイン・フェクダがその質問に答えた。

 

「国土交通省副大臣、天童和光殿。私達は“ルイン”。あなたに来てもらったのは、聞きたい事があったからよ。残念ながら私達ではアポを取るのは無理だろうし。秘書の椎名かずみ女史は、今頃は高級ホテルの保養施設でのんびり過ごしているわ。私があなたになって、一週間の特別休暇を与えておいたから」

 

 ルイン・フェクダはそう言って腕を、顔を横切るように動かした。すると彼女の美貌は、いきなり和光の顔に変化した。

 

「なっ……!!」

 

 和光は息を呑む。リムジンの中で、かずみに化けていたのと同じ変身能力だ。この力があれば和光に化けてかずみに休暇を与え、空いた穴に自分が成り代わるような事など容易であったろう。今にして思えば、ここ数日間のかずみはどこか様子がおかしかった気がする。あれはいくら姿形が同じでも、中身が別人であったが故なのだろう。

 

 ルイン・フェクダはもう一度腕を自分の顔を横切るように動かすと、顔を和光のものから普段通りの美女へと戻した。

 

「そ、そうだ。聞きたい事があったと言ったな?」

 

 どもりながらも、しかしそれを思い出した和光は少しだけ安心した。

 

 聞きたい事があったという事は、少なくともそれを聞くまでは自分に死んで貰っては困るという事だ。ならばそこを衝いて、条件を出せば上手くすれば……

 

「まぁ、それはもう終わったけどね」

 

 白衣を着た方のルインが、そんな淡い、もしくは虫の良い希望を粉々に粉砕した。

 

「お、お前は……」

 

「私はルイン・アルコル。聞きたい事は既に全て、聞かせてもらったわ」

 

「そ、そんな……嘘だ!! 私にそんな覚えは……」

 

 命綱が断ち切られた事を認めたくなくて、和光が喚いた。だが二人のルインは少しも取り乱さない。

 

「あなたの意思や同意なんて必要無いのよ。それに関わらず口を割らせる事ぐらい、私達には容易いの」

 

「じ、自白剤か?」

 

 そう言われて、ルイン・アルコルは少し困った顔になった。

 

「勿論、それを使う手もあるけど……でも自白剤って薬にもよるけど、あくまで意識を朦朧とさせて黙秘を困難にさせるって以上の効果は期待できないのよね。それよりももっと確実な手段があるのよ」

 

 アルコルはそう言って、すぐ後ろにいたイニシエーターの肩に手を置いた。

 

「この子の名前はステラ・グリームシャイン。私のイニシエーターでモデル・マッシュルーム、キノコの因子を持つ呪われた子供たち。この子は虫の体内に寄生する冬虫夏草のように自分の肉体の一部を他人に寄生させて、その宿主を操る事が出来るの。この力で、あなたから確実な自白を取ったのよ」

 

「バ、バカな。そんな事が……」

 

 尚も否定しようとする和光だが、すかさずルイン・フェクダが懐からスマートフォンを取り出して、記録されていた動画を再生した。

 

<……そうだ、私の指示でバラニウムに混ぜ物をして、モノリスの総工費を安く抑えた。浮いた金は懐に入れて、上役への接待費に充てた>

 

 そこに映っていたのは目は虚ろで口調も棒読み気味だったが、確かに和光本人だった。和光の顔が、青を通り越してコピー用紙のように白くなる。もしこの動画がネットワークに流されでもしたら、その時点で彼の政治家生命は絶たれる……どころか、実刑判決を受けて刑務所行きは免れない。

 

「不純物が混じったモノリスは他の物よりも磁場発生能力が落ちる。当然ね、バラニウムの量が少ないのだから。ならばゾディアックでなくとも、強力な一部のステージⅣであれば、弱体化した磁場を押し切ってモノリスに取り付く事も、不可能ではないかも知れない。アルデバランのような、強力なガストレアなら」

 

「り、理論上はあの純度でも大丈夫だったんだ。現にこの十年間、32号モノリスは破られなかった!! だ、大体お前達はゾディアックを呼び出して大絶滅を起こそうとしていたテロリストだろう!! そんなお前達には関係無い事だろうが!! む、むしろ願ったり叶ったりじゃないのか?」

 

 唾を飛ばしながら和光は喚き散らすが、もうルイン達は彼の言葉など聞いていなかった。

 

「私の用は、もう済んだわ。後はアルコル、あなたの好きにして良いわよ」

 

 動画の再生を止め、スマートフォンを懐に入れたフェクダは和光から興味を無くしたようだった。そのまま退室していく。

 

 残ったアルコルは、にっこりと和光に笑いかける。本当に穏やかな笑みだったが、しかし和光は背中に氷柱を入れられた気分になった。

 

「突然だけど天童和光、あなたは神様を信じてる? ん?」

 

 すっと差し出されたアルコルの指が、汗でびっしょりと濡れている和光の頬を撫でた。

 

「か、神だと?」

 

「そう。神をも恐れぬ行為って言葉があるけど……まぁ、今のあなたが何かを恐れているのは間違いないようね」

 

 北斗七星の脇に輝く星のコードネームを持つ女科学者はくすくす笑いながら、しかし目だけはじっと和光から逸らさずに睨み続けている。

 

「でも、神を恐れる必要は無いわ。あなたが恐れるべきは神ではなく、この私よ。私達ルインと、呪われた子供たちをこそ、あなた達人間は恐れるべきなのよ」

 

 だがそう言ったアルコルの目は、優しく変わった。すぐ後ろで突っ立っているステラは、無言でプロモーターの白衣を掴んでいる。

 

「……尤も、それも仕方の無い事ではあるわね。人間はいつの時代でも自分とは違う存在、自分達に理解出来ないものを恐れるものだからね」

 

 アルコルの言葉に籠もっている感情は怒りでも悲しみでもなく、諦めだった。それはもうどうにもならないと、彼女の中で結論が出てしまっている事なのだ。

 

「だけど、もうその必要は無くなるわ。少なくとも私達を恐れる必要は、無くなる。その理由が、消滅する」

 

 あからさまに、アルコルが発する気配が変わった。天童流神槍術の免許皆伝者である和光はそれを敏感に察知して、がたがた震え始めた。

 

「これからは、ね」

 

「わ、わ、私をどうするつもりだ」

 

 上擦った声を必死に絞り出して、尋ねる。ルイン・アルコルは唇の両端を釣り上げて、口を三日月形にして笑いながら答えた。

 

「Let's just say God works too slowly(神様の仕事はあまりにも時間が掛かり過ぎる)……」

 

 和光は知らなかったがそれは里見蓮太郎の叙勲式の日に、天童菊之丞にアルコルが語ったのと同じ言葉だった。

 

「か、神の仕事……だと?」

 

 アルコルは懐からカードサイズのリモコンを取り出すと、ボタンの一つを押す。すると機械特有のウィィィンという音と一緒に天井の一部が動いて、通気口のような穴が顔を見せた。そしてその穴の周囲の景色がゆらゆらと蜃気楼のように揺らいでいた。”何か”がこの部屋へと送り込まれているのだ。

 

 毒ガス? いや、それにしてはこのルイン・アルコルという女もイニシエーターも未だこの部屋に留まったままだし、ガスマスクのような物を取り出したり装着する気配も無い。いくらガストレアウィルスを保菌する者が毒物や薬品に対して強い抵抗力を持つとは言え、毒ガスの中で何の装備も無しに平気でいられるとは思えない。では何だ?

 

 走馬燈を見る勢いで頭をフル回転させるが、そもそも走馬燈とは死に瀕した時、今まで生きてきた記憶の中から何とかそれを回避する為の手段を探そうとするが故の現象だ。経験した事の無い事象には対応できない。

 

 アルコルもステラも、少しも慌てた素振りは見せなかった。と、アルコルが身を乗り出して顔を和光の鼻先にまで近付けて、言った。

 

「ねぇ、天童副大臣、一つクイズを出すわ」

 

「ク、クイズだと……?」

 

「ええ、当たったら50点獲得よ」

 

 冗談めかして、アルコルは笑う。

 

「昔、ローマ帝国は何世紀にも渡ってキリスト教徒を迫害してきたわ。信者をライオンの餌にして、それを見物するという行事がスポーツ感覚で行われていたぐらいに。ところがある時、一夜にしてローマの人々の殆ど全てがキリスト教徒になった。どうしてか、分かる?」

 

「そ、それは……」

 

 50点獲得というのはジョークだとしても、正解してこの女の心証を良くすれば、何かしら事態が好転するかも知れない。そんな一縷の希望に和光はしがみついて、大学時代に受けた講義の内容を必死に記憶から掘り起こした。

 

「……ロ、ローマ皇帝が、キリスト教徒になったから……だ」

 

「うん、正解ね」

 

 機嫌良く笑うアルコル。和光の精神力は、ここまでが限界だった。肉体的にも精神的にも追い詰められた彼は、遂に意識を手放してしまった。

 

「同じようにあなた達人間も……」

 

「マスター・アルコル。もう聞こえてないみたいです」

 

 ステラに指摘されて、アルコルはやっと和光が気絶している事に気付いた。ふう、と溜息を一つ。「ここからが良い所なのに」と、残念そうな顔になった。

 

「喜んでよ、天童副大臣。あなたは鎹(かすがい)になれる。人間と、星の後継者とを繋ぐ鎹(CLAMP)に。次に目が醒めた時、私はあなたにこう言うでしょうね」

 

 アルコルはステラを伴って部屋を退室しようとして、椅子に縛られたままの彼を振り返った。

 

「未来へようこそ、ブラザー……ってね」

 


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