ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第20話 日の当たる世界で

 

「力を貸して欲しいんだ、夏世ちゃん。今度の相手には、多分僕と延珠ちゃんだけじゃ勝てないから」

 

 綾耶からの申し出に諾の回答を返すのに、夏世は一秒の間も必要とはしなかった。

 

 ルイン・フェクダと蛭子影胤が起こしたテロ事件の際、彼女は未踏査領域で綾耶に命を救われている。事件終結後に礼を言いに行くと、綾耶は言ってくれた。「気にしなくて良いよ。もし夏世ちゃんがまたピンチだったら、何度でも助けるから」と。そうは言われたが、だが夏世はその恩を忘れていない。

 

 それに恩を抜きにしても、夏世は個人的に綾耶を友人だと思っている。その友人の頼みなのだ。断る理由は無かった。

 

 だがまさか相手があのソニア・ライアンだったとは……!!

 

 少しだけ後悔した。もし最初に聞いていたのなら、あるいは引き受けなかったかも知れない。ソニアはそれほど恐ろしいイニシエーターなのだ。

 

 だからこその、作戦だった。

 

 綾耶と延珠でギリギリまで戦い、ソニアの意識を二人だけに集中させる。夏世が動くのは、二人がやられるか捕まるかして、戦闘不能になった時。どんなに強力なイニシエーターとは言え人間だ。油断すれば、その力を発揮する事は出来なくなる。ソニアが二人を倒して勝利を確信して、警戒を解いた瞬間。その時こそが勝機。

 

 そこを狙って、夏世が仕掛ける。ただしバラニウム弾は使えないから、狙いはソニアを殺す事ではなく無力化する事。よって使用するのは麻酔弾。これを頭部に一撃して、即座に意識を奪う。チャンスは一瞬、そして一撃。外したら後も次も無い一発勝負。

 

 元千番台のイニシエーターはそのプレッシャーを物ともせず、完璧なタイミングで攻撃を仕掛けていた。

 

 プラスチック銃の銃口は、しっかりソニアの頭部に向いている。夏世の腕なら百発撃って百発当てれる至近距離。引き金を、絞る。銃と同じくプラスチック製で透明な弾丸が、発射される。

 

 作戦は、完璧だった。

 

 唯一つ、綾耶や夏世は考察していなかった事があった。

 

 麻酔弾は真っ直ぐにソニアへと飛んでいって……そして、外れた。ソニアからは3メートルも離れた位置のコンクリート壁に当たって、小さなヒビを入れた。

 

「なっ……」

 

「外れ……!!」

 

「そんな……!!」

 

 そんなバカな、と。夏世は思わず両手で把持した銃に目をやる。

 

 絶対に外さない筈だった。それどころか、引き金を引いた瞬間に「当たった」と分かった。それぐらい、全てが完璧だった。

 

 なのに何故!? 銃身が曲がっていたのか?

 

 夏世がその疑問を浮かべるのと、ソニアが磁力で動かした下水管が彼女の体を延珠と同じにがんじがらめにしてしまうのはほぼ同時だった。

 

「あうっ……!!」

 

「……こんな作戦を仕掛けてきたって事は、もう次の手は無いわよね? 流石に……」

 

 ソニアはそう言うが、先程ので懲りたのか今度は警戒を解かずに身構えながら周囲を警戒する。

 

「お主……今のは何をしたのだ?」

 

 下水管に縛り上げられたまま、延珠が尋ねる。

 

「何を……って?」

 

「とぼけるな!! 今の夏世の撃った弾がお主の傍まで飛んだ瞬間、いきなり曲がって外れたではないか!!」

 

「そうだね、僕にもそう見えた……それまで真っ直ぐ飛んでいて命中する筈だった弾が突然ありえないほど急なカーブを描いて、ソニアさんから外れたんだ」

 

 これが普通の銃弾なら、金属を操るソニアならば出来て不思議はない。だが今、夏世が撃った弾丸はプラスチック製。磁力で操作する事は出来ない筈なのに。

 

「……確かに、私は金属以外の物を直接操る事は出来ないけど……間接的になら操る事は出来るのよ」

 

「なあっ……!?」

 

「電磁力で私の周りにある磁気フィールドを歪めて、非鉄金属やプラスチック・セラミック製であっても、弾丸を逸らすぐらいは難しくないのよ」

 

 唯一つ、綾耶や夏世が考察していなかったのは。SR議定書でソニアへの対策が練られているのならば、ソニア自身とてその対策に対応する為の策を講じているであろうという可能性。いや、ある程度はそれも想定してはいたが、自由自在にとは行かずともプラスチックを操る事にまでは思い至らなかった。

 

「……良い作戦だったわね。流石の私も一瞬、ひやりとしたわ。でも私は24時間365日、寝ている時も常に全身にこの磁気フィールドを纏っているからね。弾丸の類で私を殺す事は出来ないわ」

 

 パチン、とソニアが指を鳴らす。瞬間、延珠、綾耶、夏世の首筋にビリビリと、電気が流れるような感覚が走った。

 

「っ、なっ……!?」

 

「首の後ろが……!!」

 

「これは……まさか……!?」

 

 三人はそれぞれ、こうした感覚に心当たりがあった。ゾーン。成長限界点の壁を突き破り、イニシエーターの限界を超えたイニシエーター。対峙した瞬間に首の後ろにビリビリとした感覚がすると菫が言っていた。超高位序列者にはゾーン到達者・開眼者が多いと言うから、元11位のソニアがそうであったとしても不思議はないが……ならば何故、今まで感じなかったのだ?

 

 その疑問には、ソニアが答えてくれた。もう一度、ぱちんと指を鳴らす。すると三人の首筋からビリビリの感覚が消えた。

 

「ちなみにこの磁気フィールド、内と外を隔ててゾーンの気配を遮断する事も出来るの。単純なバリアとしてだけじゃなく、実力を隠して相手に近付く時にも重宝するのよ」

 

「……ルインさんもそうだったけど、ソニアさんも大概何でもありですね……」

 

 引き攣った笑みを浮かべつつ、綾耶が言う。今度の笑みは自嘲と諦めの笑みだった。薄氷のような勝機を掴む為の策は全て上手く行っていたのに、最終的には全て力業でねじ伏せられた。まさか、ここまで力の差があったとは。もう、笑うしかない。

 

 救いがあるとすれば、ソニアの目的は聖天子暗殺を止める事だという点か。自分達の勝敗に関わらず、聖天子が無事に会談を終える可能性は高い。ソニアはあくまでティナ・スプラウトへの危険を排除する事が目的であった訳だし。

 

「……さて、じゃああなた達には私と一緒に蓮太郎さんの所に……」

 

 行ってもらおうとソニアが言い掛けた瞬間だった。

 

 爆音。4人の目が一斉にその音がした廃ビルへと集中する。空気が震えコンクリートがブチ割れる音が幾度も響いて、室内で舞い上がった煙が八階の割れた窓から噴き出るのを皮切りに下の階の窓からも順番に次々に、最後に一階の入り口からも煙が出て来て、四人の視界が利かなくなる。

 

「ふん」

 

 ソニアは再び指を鳴らす。すると不自然なまでの早さで煙が晴れて、視界がクリアになった。煙の粒子・コロイドはイオンによって吸着される。これも発電能力の応用の一つであった。

 

 蓮太郎は、ティナと交戦していた。そしてあれだけの衝撃。恐らくは勝負を決する一撃となった筈だ。果たして、入り口から出てくるのは蓮太郎かティナか……!!

 

 ソニアも含めた4人は固唾を呑んで見守り……数分の間を置いて姿を見せたのはティナに肩を貸して歩くボロボロの蓮太郎だった。

 

 勝者は、蓮太郎。そしてティナもあちこち怪我はしているだろうが命に別状は無さそうだ。

 

「終わったようね、蓮太郎さん……」

 

 ゆっくりと、ソニアが近付いていく。じっとティナを見て、抵抗する様子が無い事からある程度今の状況を彼女は察した。今のティナは生きるという意思そのものが希薄になっているように見える。

 

 これも、エインが施した条件付け・刷り込みによるものだろう。機械化兵士である自分達の体は最新にして極秘テクノロジーの塊だ。故に生きて他国の手に渡る事を防ぐ為に任務に失敗した時は自害せよと、強迫観念のように植え付けているに違いない。

 

 それにどのみち、ティナは国家元首の暗殺未遂をやらかしたイニシエーター。どう考えても彼女の未来が明るいものになるとは思えない。

 

 ソニアが考える選択肢は、二つ。このまま力尽くで蓮太郎からティナを奪って、逃げるか。もう一つの道は聖天子やこの東京エリア上層部と交渉して、ティナに寛大な処遇を約束させる事だ。

 

 どちらを選ぶべきか。ソニアは黙考する。だが、答えはすぐに出た。自分の願いは、妹が日の当たる世界で生きていく事。ティナが正常な状態であれば前者を選んでどこか別のエリアで人生をやり直す事も考えたが、今のティナではちょっと目を放したら自殺でもしかねない。ならば後者を選び、然るべき環境に於いて洗脳解除の処置を受けさせる事だが……

 

「ね、綾耶ちゃん……ティナに聖天子暗殺を命じたのはプロモーターのエイン・ランドでティナは正しい教育も受けられず、命令を拒否するという選択肢も与えられなかった。だから何とか処分を軽く……ってのは出来ると思う?」

 

「それは……正直、難しいと思いますよ。理由はどうあれ、ティナさんが実行犯であるという事は事実ですから……僕も何とか口添えはさせてもらいますけど」

 

 縛られたまま申し訳なさそうに、レンズの向こう側の目を逸らしながら綾耶が言う。

 

「そうよねぇ」

 

 綾耶の意見も当然と言えば当然だし、いくら国家元首直轄のイニシエーターとは言え、子供である彼女に実質的な権力など殆ど無い。ソニアは嘆息して肩を竦める。ならば、取引するしかない。幸い、彼女の手札にはジョーカーがあった。

 

「では綾耶ちゃん、あなたから聖天子様に取り次いでくれないかしら? この私……元IP序列11位『星を統べる雷帝(マスターオブライトニング)』ソニア・ライアンが、今後聖天子様からの命令によって動くイニシエーターとして、東京エリアの為に尽力する。その代わりに、ティナの処遇について勿論聖天子様や東京エリアには絶対に弓引かないという条件付きで、私に任せてくれと」

 

 ソニアはその気になれば、地球上のあらゆるエリアのモノリスを解体するもしくはそのエリアを狙って大地震や火山噴火など地殻変動を起こしてエリアを滅ぼす事が出来る戦略兵器と同等、いやそれすら凌駕する力を持つ。例えば核ミサイルなら発射されても撃墜出来る可能性が残っているし、第一そんな事をすれば撃った国には報復攻撃が行われる事が分かり切っているからどこの国もそんな暴挙にはまず踏み切らない。だがソニアの磁力は防ぐ術が無く、しかも彼女はこの星のどこにいても同じようにそれを行える。砂漠だろうが密林だろうが、北極点だろうが問題無く。

 

 迎撃はおろか発射を探知する事すら出来ないばかりか発射スイッチがどこにあるかも分からない核兵器。それは世界を終わらせる悪夢だ。そんなソニアを手に入れれば、彼女が所属するエリアは次の日から世界征服に乗り出す事だって可能となる。どのエリアの権力者も、どんな条件を出されたとしても欲しがるだろう。例えば、国家元首の命を狙った暗殺者に超法規的な措置を行って欲しいとか。

 

「!!」

 

「……お姉さん……!!」

 

 今までは何の光も宿していなかったティナの瞳が、初めて揺れた。

 

「どうして、私の為にそこまで……」

 

「妹を助けるのは、姉の役目でしょ?」

 

 ティナの問いに、ソニアはそんな質問を行う事すらナンセンスだと言いたげだった。

 

「私は……私はいつだって、お姉さんに助けてもらってました。だから、せめて戦う事でお姉さんの助けになろうと思ったのに……お姉さんが居なくなってしまってからは戦う事が全てになって、それすら負けてなくなってしまって……こんな筈じゃなかったのに……もう、どうすれば良いのか……そんな私の為に……」

 

「良いのよ。私の方こそ、ティナからは何もかもを貰っているから……」

 

 あなたは、私を人間にしてくれた。その言葉を、ソニアは呑み込む。

 

「それにね、ティナ。これだけは覚えていて。あなたが元気で生きてくれている事が、今も昔も私の一番の幸せなんだって」

 

「お姉さん……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

 

 がっくりと膝を付いたティナが、肩を揺らして嗚咽を漏らす。

 

 全身傷だらけで力を使い果たした蓮太郎は手頃な瓦礫に腰を下ろすと、まだ下水管でがんじがらめにされた延珠とアイコンタクトをかわす。次に針金で縛られたままの綾耶と、下水管に縛られた夏世とも。三人の呪われた子供たちは、それぞれ笑みを彼に返した。

 

 もう、大丈夫だろう。少なくともティナがこれ以上聖天子を殺そうとしたり、自ら命を断とうとする事はあるまい。

 

 ひとまずは任務完了。何とかだが、誰も死なずに済んだ。後は、ティナの今後についてだが……

 

「ソニア、ティナの処遇についてだが、絶対に悪くならないよう俺が掛け合う!!」

 

「僕も、力の限り便宜を図りますよ」

 

「ありがとう、二人とも……特に蓮太郎さん……ティナを助けてくれて、本当にありがとう」

 

 蓮太郎と綾耶それぞれの言葉にソニアは頷くと、深々と頭を下げた。

 

「あー、水を差すようですまぬのだが、そろそろ妾達を自由にしてはくれぬか?」

 

 未だがんじがらめにされている延珠が、少しだけ気まずそうに言ってくる。

 

「ああ、ごめんなさいね。でも、その前に……」

 

 ソニアは意味ありげに言葉を切ると、周囲を見渡す。

 

「隠れている人達、出て来たらどう?」

 

 この言葉が合図であった訳でもあるまいが、ビルや瓦礫の陰から制帽に綾耶が羽織っているのと同じ白マントの団体がぞろぞろ姿を見せる。聖室護衛隊の面々だ。その中には当然と言うべきか隊長である保脇三尉の姿もあった。

 

「や、保脇さん……どうしてここに……?」

 

 と、綾耶。だが立場的には味方の筈の彼等が現れたのに、彼女の表情は険しい。遅ればせながら加勢に来てくれた……にしては、明らかに雰囲気が違う。外周区で暮らしていた頃、延珠を守る為に何度も危険に首を突っ込んだ経験もあってその辺の空気には彼女は敏感だった。

 

「何、上官として部下の“仇討ち”と、民警の不始末の“尻ぬぐい”に来てやったのさ」

 

「「!!」」

 

 蓮太郎や綾耶の顔が引き攣る。自分達はまだ生きているし、ティナが戦意を喪失しているにも関わらず“仇討ち”や“尻ぬぐい”というキーワード。これはつまり……!!

 

「お前達は聖天子様の命を狙うテロリストと戦い、名誉の戦死を遂げた。そして我々がそのテロリストを倒し、聖天子様をお守りしたという訳さ」

 

 死人に口なし。保脇達はこの場で蓮太郎も綾耶も延珠も夏世もティナもソニアも。全員を殺して、全ての真実を闇に葬り手柄だけは自分の物とする腹づもりだ。漁夫の利とはまさにこの事か。

 

「くっ……」

 

 せめて延珠達三人の戒めを解こうとソニアが手を動かすが、「動くな!!」と保脇達に制された。

 

「妙な動きは無駄な事だぞ」

 

 当然と言うべきか、彼等が持っているのはSR議定書によって製造されたオールプラスチック拳銃。彼等自身も金属探知機を使って認識票やら勲章やら体から金属の類は全て取り除いてきているらしい。ソニアの磁力パワーで操る事は出来ない。

 

「さあ……まずは一番厄介な貴様からだ」

 

 保脇と、他数名の部下が持つ拳銃がソニアへ照準される。

 

「……さっきのを見てたのなら分かると思うけど、私は常に磁気フィールドで身を守っているわ。銃で私を殺す事は出来ないわよ?」

 

 ならば接近戦だが、それこそゾーンに到達したイニシエーターであり桁外れの運動能力・再生能力持ちのソニアが相手では、バラニウムの武器を持ち込んでいない保脇達には万に一つの勝ち目も無い。近距離でも遠距離でも、彼等にソニアを殺す術は無い。

 

「ああ、そうだろうとも」

 

 だが保脇は酷薄な笑みを浮かべたままだ。

 

「ならば、これでどうだ?」

 

 彼の拳銃の銃口がソニアから、うずくまったままのティナへと動いた。

 

「!!」

 

「貴様自慢の磁気フィールドとやらも、流石に自分の周り以外には使えまい? さぁ、大事な妹を殺されたくなければ……!!」

 

 勝利を確信し、下卑た笑みを浮かべる。しかしこの時点で保脇は一つ失念していた。勝利を確信してしかし隠し球によって状況を逆転されるのはほんの十分ほど前に、綾耶達が通った道そのままだという事に。

 

 標的をティナに変更して、彼女を人質としてソニアに磁気フィールドの防御を解除させる。その上で改めてソニアを蜂の巣に。保脇が下したのは極めて合理的で、正しい判断だった。

 

 だが、同時に。

 

「……あなた、何してるの?」

 

 一切合切、あらゆる感情を廃した抑揚の無い合成音のような声で、ソニアが言う。

 

「ひっ……!!」

 

 思わず綾耶が、上擦った声を出した。

 

 同時に、この一帯の廃ビルを住処としていた何百羽という野鳥たちが一斉に眠りから目覚め、目の利かない夜だと言うのに飛び立ってこの場を離れていく。野生の動物である彼等は敏感に感じ取っていたのだ。たった一人の人間を起点として発せられた濃密な「死」そのものの気配を。そして動物の本能から、可能な限り“それ”から遠ざかろうと動いたのだ。

 

 綾耶や鳥たちよりも僅かだけ遅れて、蓮太郎や延珠、夏世、ティナですら全身を総毛立たせる。

 

 未だ気付いていないのは、保脇達だけだ。

 

 多くの実戦を経る中で最も磨かれていくのは、技術や精神力もそうだが「恐怖する」という感覚。危険を感じ取り、それから遠ざかるもしくは対策を立てる事が、生き延びる為に最も必要とされる技能だ。この反応の違いは、そのまま蓮太郎達と保脇達の練度の違いだった。

 

「……ねぇ、何をしているの?」

 

 ばちっ、とソニアの体を火花が走る。

 

 保脇の判断は確かに極めて合理的で、正しかった。だがそれは同時に、最もやってはいけない選択だった。

 

「!! ソニア、やめ……!!」

 

 一秒後に何が起こるかを察した延珠が制止しようとするが、遅かった。

 

 ソニアの手には、いつの間にか腕が握られていた。

 

 肩口の辺りから引き千切られたような、人間の腕が。

 

「「「えっ……?」」」

 

 呆けた声が、重なる。

 

 保脇とソニアの、目が合った。

 

「……何を驚いてるの? あぁ、この腕? 驚く事ないでしょ? あなたが良く知ってる腕でしょ、これは……ティナに銃を向けた悪い腕」

 

 淡々とそう言って、ソニアはプラスチック拳銃を握ったままの腕をゴミのように投げ捨て、踏ん付けた。

 

 保脇は恐る恐る自分の右手の在る筈の場所へと視線を動かして……そしてそこに在る筈の物が無かった事に気付いて、全てを悟った。

 

「ぎ、ぎゃあああああああっ!! う、腕が!! 僕の腕がああああああああっっ!!!!」

 

 女のような甲高い悲鳴が上がる。

 

「な、何だ今のは!? 妾の目にも全く見えなかったぞ!!」

 

「ぼ、僕も……!! 一瞬も目を放さなかったし、瞬きもしなかったのに……!!」

 

「わ、私もです……」

 

 三人のイニシエーターの目をしても、ソニアは突っ立ったままにしか見えなかった。延珠が蓮太郎に視線を送るが、彼女のプロモーターも同じように首を横に振るだけだった。単位時間当たりの頭脳の思考回数を何千倍にも増幅し、一秒が一分にも十分にも思えるような時間のゆっくり流れる世界を垣間見る事の出来る彼の義眼ですら、ソニアが何かしたり動いたりする姿は全く見えなかった。

 

 その少しも動かなかったソニアの手に、保脇の腕がいきなり握られていた。近付いて、腕を取って、引き千切るという過程がすっぽり抜けてしまっている。まるで動画のフィルムを何コマか飛ばしたように。時間を止めて、その止まった時の中をソニアだけが動いたように。

 

 傷口から血も出ていなければ、今の今まで保脇は痛みさえ感じてはいなかった。それほどまでに短い時間、一瞬すら長すぎるほどの刹那の出来事であったに違いない。

 

『ソニアさんには放電や電磁力による金属操作、バリアだけじゃない……まだ何か、隠された能力がある……!?』

 

 戦う中で自分達を殺さないように気遣っていただけではなく、切り札すら隠し持っていた。ソニアの底知れぬ実力に、改めて綾耶は戦慄する。

 

 保脇の負傷によって聖室護衛隊に動揺が走ったその瞬間、ソニアはすかさず磁力を操り、延珠達を縛っていた下水管や針金を外した。

 

「あなた達!!」

 

「うむ!!」「了解!!」「分かりました」

 

 自由の身になった三人のイニシエーターはそれぞれ蹴りでプラスチック銃を蹴り飛ばし、空気の刃で銃身を切断し、人体の反射に付け込むような格闘術で瞬く間に制圧した。

 

「お、お前等……こんな事をしてただで済むと思ってるのか!! この事は上に報告してお前等全員、処分して……」

 

 傷口を押さえながら保脇がヒステリックに喚き散らす、その時だった。

 

「そこまでです!!」

 

 凛とした声が響き渡り、場の全員の動きが止まる。

 

「聖天子様……!!」

 

 この場に居る筈のない、若き国家元首の姿を認めた誰かが呟いた。

 

「どうしてここに……」

 

「保脇さん達が独断専行に及んだと聞いて、斉武大統領との会談を中座して参りました」

 

「バ、バカな!! たかが民警や赤目の為に、大阪エリア国家元首との会談を……!?」

 

「私にとって里見さんや綾耶はただの民警やイニシエーターではありません。そしてこの状況は……」

 

 納得の行く説明を求められて、保脇ははっとした表情になって自分がやるべき事を思い出した。

 

「そ、そうです!! 聖天子様!! 里見蓮太郎や将城綾耶はあなた様のお命を狙ってきたテロリストと通じていたのです!! それを私達に見破られると、口封じの為に襲い掛かってきて……!! どうかお助け下さい!!」

 

「なっ……何を!!」

 

 一歩遅れて蓮太郎が抗議の声を上げかけるが、それよりも聖天子が「お黙りなさい!!」と一喝して保脇を黙らせる方が早かった。

 

「私の目は節穴ではありません。保脇さん、あなたが里見さんや綾耶を謀殺しようとした事は先刻承知しています。多少の行き過ぎは大目に見ていましたが、これ以上の狼藉は断じて看過出来ません!! あなた達への処分は追って下します。それまでは謹慎していて下さい!!」

 

 有無を言わせぬ口調でそう言い放つと、聖天子は今度はソニアとティナへと向き直り、宣言する。

 

「ソニア・ライアン、ティナ・スプラウト両名の身柄は、東京エリア国家元首の名の下に、私が預かります!! これ以降、何人たりとも一切の手出しは無用とします!!」

 

 

 

 

 

 

 

 一週間後、聖居一角の衣装室では。

 

「うん、二人とも似合ってるよ」

 

 自分と同じ、小柄な体格に合わせて改造の入った聖室護衛隊の制服を着た二人のイニシエーターを見てにっこり笑う正装姿の綾耶。

 

 二人のイニシエーター。ソニア・ライアンとティナ・スプラウト。

 

 あの事件の後、聖居にて軟禁されたティナには連日連夜の事情聴取が行われたが見るべき情報は皆無だった。ティナはイニシエーターとして、プロモーターの命令に従っただけだ。エイン・ランドに聖天子の暗殺を依頼した黒幕については、分からずじまいに終わった。あるいはエインとて、本当の依頼主については知らないのかも知れない。

 

 斉武宗玄は会談をすっぽかされて、怒り心頭で大阪エリアに帰っていった。

 

 そしてティナ自身の処分だが……これはティナが全ての容疑を認めて刑に服する姿勢を見せている事や、彼女の境遇には情状酌量の余地が多分にあると認められた事、そして最も大きいのはティナの減刑の交換条件としてソニアが東京エリアの為に働くよう申し出た事。これら全ての要素を総合して判断した結果、ソニアとティナは二人とも保護観察処分という名目で綾耶と同じく特別隊員として、聖室護衛隊に組み込まれる事となった。ただしティナだけは、綾耶もしくは聖天子の許可無しの武器の携帯と、護衛の際に一定の距離より聖天子へ近付く事を禁じられている。

 

「とうとう、僕にも後輩が……しかも一度に二人も」

 

 綾耶は感無量という表情だ。ソニアとティナはそんな先輩を見て、顔を見合わせた。

 

「ふふふ……色々あったけど、これからよろしく頼むわ。綾耶先輩」

 

「……いくら武器を取り上げたからと言って、自分の命を狙ってきた者をボディガードにするなんて……」

 

 結果的には自分の望み通りになってご機嫌なソニアとは対照的に、ティナは信じられないという顔だ。昔のマンガやアニメではあるまいし。

 

「これは、聖天子様が与えて下さったチャンスだよ、ティナさん。これから全てをやり直そうよ。ソニアさんや、僕と一緒に。そしてこれは僕の個人的な望みだけど……これからはその力を殺す為じゃなく、守る為に使って欲しいな……暗い道ではなく、明るい世界をみんなで生きようよ。延珠ちゃんや、他の呪われた子供たちや、勿論蓮太郎さんや聖天子様とも一緒に」

 

 そう言って差し出された綾耶の手を握ろうとティナは自分も手を出して、しかし触れ合う直前で戸惑ったように引っ込めてしまう。

 

 今更だが、良いのだろうか。自分のような血に塗れた生を過ごしてきた者が、やり直す事など本当に出来るのだろうか。

 

 しかしそんなティナの不安や迷いなどどこ吹く風で、綾耶は引っ込めたティナの手を追い掛けて掴んでしまうと強引に握手する。ティナは思わず手を放そうとするが、綾耶は抜け目なく能力を発動、真空接着で掌と掌を固定していた。

 

「あ、あの……綾耶さん……」

 

「大丈夫、僕も協力するから」

 

「あ、いえ……その……」

 

 更に何事か言い掛けたティナを遮って、ソニアの手が二人の握手の上に重ねられた。

 

「あなたの負けよ、ティナ。折角貰った機会なんだから。無駄にしちゃダメよ」

 

 優しい笑みでそう言う義姉に、先程までは困惑していたティナもやっと笑顔を見せた。

 

「はい……これから宜しくお願いします。綾耶先輩」

 

「こちらこそ」

 

 満面の笑みと共にそう言うと綾耶は能力を解除し、ティナと手を放して大仰に両腕を広げる。

 

「元98位と11位が一緒なら、どんな敵がやって来ようが聖天子様の身の安全は守られたも同然!! さぁ、行こう二人とも!! 聖天子様に入隊の挨拶をする時間だよ!!」

 


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