ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第17話 二人のアンダー100

 

「9位……10位……違う……」

 

 聖居の一室。PCモニターと睨めっこしながら、難しい顔の綾耶が唸る。

 

 謎のイニシエーターによる勾田高校での襲撃事件からすぐ、綾耶は蓮太郎と延珠を連れて聖居へ戻ると聖天子に事情を話して、IISO(国際イニシエーター監督機構)へのアクセスを許可してもらった。当然、目的は襲撃者の身元の照会だ。今の時代、強力なイニシエーターを数多く保有する事はそのままその国の戦力の強化に繋がるので、暗殺や引き抜き防止の為にこうした情報は序列の向上と共に秘匿されるのだが、そこは国家元首が持つ最高ランクのアクセス権限。思うままあらゆる情報を引き出す事が可能だった。

 

「分かってはいたが、地道な作業だな……」

 

 蓮太郎がぼやく。世界には二十数万人ものイニシエーターが居る。名前が分かっていれば一発なのだが、残念ながら彼等が持っている情報は襲ってきたイニシエーターの顔だけ。となれば、IISOに登録されたデータベースの顔写真を一人一人首実検していくしかなかった。今にして思えばいくら突然の事だったとは言え、スマートフォンで顔写真の一つでも撮っていなかった事が悔やまれる。そうすればたとえIISOへの照会で正体が分からなくても、その写真を元に東京エリア中に指名手配して動きを封じる事は出来たのに。

 

「序列11位……こやつも違うな……」

 

 スクロールさせた画面に表示されたのは、綾耶も延珠も見た事もない少女だった。

 

「あのイニシエーターは金髪で、白人だった。まずは検索対象から東洋系を外してみたらどうだ?」

 

 蓮太郎の提案に従い、綾耶がキーボードを叩く。すると画面上で序列が降順で表示されていたサムネイルが3分の2ぐらいの数になった。カーソルを操作して、上位序列の者から詳細情報を閲覧していく。1キロ近い距離を当ててくる狙撃手。そんな化け物じみたイニシエーターが低位序列者である訳がない。上から探した方がずっと早いだろう。

 

「序列21位『冥王(プルートー)』リタ・ソールズベリー……この子も違う……」

 

 中々、お目当てのイニシエーターには当たらない。延珠は思わずあくびを洩らしてしまう。

 

 蓮太郎に頼んで持ってきてもらったカフェオレを一口飲むと、マウスをクリックする綾耶。瞬間、眼鏡の奥の瞳がくわっと見開かれた。

 

「見付けた!!」

 

 その声を受け、蓮太郎と延珠も画面に食い入るように身を乗り出す。

 

 モニターに表示されていた少女は確かにほんの二時間前、蓮太郎にショットガンをぶっ放してきたイニシエーターだった。

 

「IP序列98位……『黒い風(サイレントキラー)』ティナ・スプラウト……モデル・オウル……フクロウの因子を持つ呪われた子供たち(イニシエーター)……米国で推進されていた機械化兵士計画『NEXT』による強化兵士」

 

「98位!!」

 

 延珠が頓狂な声を上げる。この反応も当然と言えた。先日戦った蛭子影胤・小比奈ペアの序列は元134位。それよりも高い。綾耶を挟んで逆隣の蓮太郎も驚いた表情だが、しかし彼が驚愕しているのは単に超高位序列保持者というだけでなく、ティナの情報に容易ならざる一節があったからだった。

 

「機械化兵士計画……『NEXT』……?」

 

 握り締めた蓮太郎の右手が、みしりと鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 更に一時間後、勾田公立大学付属病院の地下室。霊安室を改造・増築した研究室。延珠も綾耶も何度かここを訪れた事はあるが、サタニストか何かの教会を思わせる悪魔のレリーフが刻まれたこの扉の前に立つと、我知らずごくりと喉が鳴る。蓮太郎が扉を開けて中に入ると、そこはこれぞ研究室というレイアウトだった。

 

 薄暗く、あちこちに標本や良く分からない薬品の入ったビンが置かれていて、薬品の匂いがつんとする。コンビニ弁当の空き箱や空になったペットボトルがあちこちに散乱していて、この部屋の主がここで生活している事が分かる。

 

「菫、遊びに来たぞ!!」

 

 延珠が手を振ると、薄暗い研究室の中で影がぬっと動いて、伸び放題の長い髪をした白衣の女性が姿を現した。

 

「蓮太郎くんに、延珠ちゃんに、綾耶ちゃんもか。今日は千客万来だね」

 

 この女性の名は室戸菫。勾田公立大学付属病院の法医学教室室長兼ガストレア研究者で、世界的な名医でもある。延珠と綾耶の体内浸食率の検査を行っているのも彼女だ。

 

「蓮太郎くん、聞いたよ。今は護衛とか面白い事をやっているそうだね。今日、私を訪ねてきたのはその関係かな?」

 

「ああ、その通りだ」

 

 蓮太郎は菫の対面の席に腰を下ろすと、一呼吸置いて切り出す。

 

「単刀直入に聞くぜ先生、『NEXT』って知ってるか?」

 

 ぴくりと菫の眉が動いて、だらしなく椅子に腰掛けていた彼女は座り直すと、表情を引き締める。

 

「……蓮太郎くん、どこでその名前を知った?」

 

「聖天子様を狙っているイニシエーターが、その『NEXT』の強化兵士なんです」

 

 進み出た綾耶がプリントアウトした資料を差し出す。当然、データベースで調べたティナ・スプラウトに関するものだ。そこにはプロモーターの名前も記載されていてそれを見た瞬間、菫の手に力が入ってぐしゃりと紙束を握り潰してしまった。

 

「せ、先生!?」

 

「ああ、すまない。少し、腹に据えかねる事があったものでね」

 

 資料をぱさりと机に放り出すと、菫は大きく深呼吸して三人と向き合う。

 

「質問に答えよう。『NEXT』とは私の『新人類創造計画』とは異なる系統の機械化兵士製造計画の事だ」

 

「先生の他にも、機械化兵士を作れる科学者が居るのか?」

 

「そうだ。全部で四人。日本では私の『新人類創造計画』、アメリカでは『NEXT』のエイン・ランド教授、オーストラリアでは『オベリスク』のアーサー・ザナック教授。そしてそれらを統括するドイツのアルブレヒト・グリューネワルト教授。この四人がそれぞれタイプは違うが、機械化兵士を創造するノウハウを持っている人間だ。以前に君が戦った蛭子影胤も、グリューネワルト翁の手による機械化兵士だよ」

 

 蓮太郎は自分と同じような存在が影胤だけとは思っていなかったが、しかし日本だけでなく世界中で機械化兵士の計画が進んでいたとは。己の見識の狭さを思い知らされた気がした。

 

「だが今回の問題の本質はそこではない」

 

「……機械化兵士の手術を受けているのが普通の人間じゃなくて、イニシエーターという事ですね」

 

「その通りだ。イニシエーターはただでさえ機械化兵士に匹敵する戦力を持つと言うのに、今回の相手はそこに更に機械化兵士としての能力がプラスされている。恐ろしい相手だぞ」

 

 機嫌が悪そうな菫はそう言うと、机の引き出しを開けて棒状の物体を取り出した。手術で使われるメスだ。ただし色が黒く、バラニウム製だと分かる。

 

「……知っての通り、呪われた子供たちには体内のガストレアウィルスに起因する再生能力がある。だから普通に外科手術を行おうとしても切ったそこから再生が始まってしまって、最悪の場合体内にメスが残るような事態だって起こり得る。だから呪われた子供たちを手術したり注射する時には、こういったバラニウム製の器具を使うんだが……当然、そんな事をすれば再生能力は大きく落ち込む。そうなれば、呪われた子供たちも普通の女の子でしかない。そして普通の女の子に機械化兵士の施術を行えば……どうなるかは、分かるだろう?」

 

 蓮太郎は厳しい顔で頷く。機械化兵士の手術は、大人であっても成功率が恐ろしく低い。まして肉体的に未成熟な子供ならば成功の確率はより低くなる。十年前の自分は良く生き延びたものだと、背中を冷や汗が伝うのを自覚した。

 

「……実はね、同じ事を私も考えた事はあったんだ。呪われた子供たちに機械化兵士の力を持たせたら最強ではないか? とね。だがしなかった。何故だと思う?」

 

「何故だ、菫?」

 

「機械化兵士の製造ノウハウを持った私達4人……『四賢人』の間には、誓いがあったからだ。生命への畏敬の念を忘れないようにしよう。科学者である前に医者であろう、とね。だから機械化兵士の手術は、手術を受けなければ死ぬといった重態の人間に対して、更に本人の同意を得た上で行う事を絶対のルールとしたんだ」

 

 蓮太郎もそうだった。彼は木更の両親を殺した野良ガストレアから木更を庇って右手と右脚、左目まで喰われて瀕死の状態で菫のラボへと運び込まれ、一つの選択を迫られた。命以外の全てを差し出して生き延びるか、さもなくば死か。

 

 理不尽な選択であったかも知れない。選ばざるを得ない道であったかも知れない。重傷で正常な判断力など働いていなかったかも知れない。

 

 それでも、蓮太郎は選んだ。他の誰でもない、自分の意思で。だからそれからの人生は辛くはあったけど、彼は菫を恨んだ事は無かった。

 

 では、あのイニシエーター……ティナ・スプラウトは?

 

 そこまで考えて、はっと目を見開く。「気付いたようだね」と菫が頷いた。

 

「突然だが延珠ちゃんと綾耶ちゃん、君達は病気に掛かった事があるかい? あるいはそんな呪われた子供たちを見た事は?」

 

 二人のイニシエーターは、揃って首を横に振る。それも当然、呪われた子供たちはあらゆる病や障害と無縁の存在だ。体内のガストレアウィルスが、宿主の危険を敏感に感じ取って異物を無害化しようと働くからだ。なのに、ティナは機械化兵士の手術を受けている。つまり……

 

「ティナ・スプラウトのプロモーター、エイン・ランドは誓いを破り、健康体の呪われた子供たちを実験体として使っているという事だ」

 

「……惨い話だな」

 

 延珠が吐き捨てる。今自分の中にある胸糞の悪さを何十倍にも煮詰めたようなドス黒い気分を、菫は感じているのだろうと彼女は思った。不機嫌の理由はこれだったのだ。

 

「……話を戻そうか。蓮太郎くん、君達がここへ来たのは『NEXT』の機械化兵士についての情報を私から得ようという事で良いな?」

 

「あ、ああ……」

 

 話の内容に圧倒されかけていた蓮太郎は、ここへきて本題を思い出して何とか頷く。

 

「私の聞いた情報では、そのイニシエーターは超遠距離から走る車に銃弾を当ててきたという事だが、間違いないな」

 

「ああ、間違いない」

 

「だとするなら手品のタネは、恐らくこれだな」

 

 菫が片手でノートパソコンのキーを叩くと、モニターに球形の機械が表示された。大きさは拳大、様々な角度から撮影されていて、底部にはプラズマエンジンの噴出口が見える。前面に設置されているのは、カメラのような観測機器だろうか。

 

「先生、これは?」

 

「シェンフィールド。エイン・ランドが研究していた機械化兵士の装備で、BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)……つまり頭で考える事によって、駆動する機械だ。脳内に埋め込まれたニューロンチップによる無線誘導で、自在に操作される」

 

「そのシェンフィールドで、どんな事が出来るんですか?」

 

「これは偵察機だ。だから端末は様々な観測機器を積んでいて、位置座標・温度・湿度・風速といった様々な情報を計測し、そのデータを使用者の脳へと送信する」

 

 そうか、と綾耶は納得行ったという表情になる。先日の狙撃で、どうやって凄まじい横風を初弾で見切って至近弾を当ててきたのかが不思議だったが、これで謎が解けた。恐らくはあの時、自分達の近くにこのシェンフィールドが浮遊していたのだ。そして綾耶の起こした横風の向きや風速を計測し、ティナ・スプラウトへ送信。ティナは風の影響を正確に把握して、銃弾を横風に”乗せて”撃ってきたのだ。思い返せば狙撃が終わった後で何かが空中に浮いているのを感じたが、あれはこのシェンフィールドだったに違いない。

 

 確かに脅威的な能力だが、1キロ先の動いている目標に当ててくるのはフクロウの因子を持ち、(恐らくは)優れた視力や夜目が利くという特性を差し引いたとしても純粋に狙撃手たるティナの技量だろう。こちらも同じかそれ以上に凄い能力だと言える。

 

 遠方に居ながら目標地点の情報をリアルタイムで把握する偵察機と、曲芸じみた狙撃能力。この二つは相性が良すぎる。これが序列98位の実力だと言うのだろうか。

 

「……三人とも。聖天子様の護衛任務を続けるなら心していく事だ」

 

 菫が座り直して、蓮太郎達をじっと見てそう言った。

 

「序列百番以内の連中は例外無く悪魔に魂を売り渡した掛け値無しの化け物だ。トップクラスのイニシエーターは単騎で世界の軍事バランスを左右するほどに強いというのは、誇張でも何でもない。事実百番越えの中には過去に一人、『SR議定書』といってその力を一国の軍事力をも遥かに超える脅威としてIISOに認定され、国際的にその扱いを取り決められるような者さえ存在したんだ」

 

「SR議定書……?」

 

「“SR”というのはそのイニシエーターのイニシャルで……ん……まぁ、これは良いな。そのイニシエーターはもう死んでしまったからね」

 

 菫は話を戻す。

 

「……兎に角、それほど強いのが序列百番以内のイニシエーターという事だ。戦えば、無事では済まないだろう。それでも、行くのかい?」

 

 試すようなその問いに、3人の答えは決まっていた。

 

「僕は聖天子様のイニシエーターですから。聖天子様をお守りする事が、僕の仕事です」

 

「俺は民警として、正義を為すよ。綾耶から教えてもらったんだ。先生にもらったこの手は、何かを殺す為じゃなくて、全てを護る為に在るって事を。それを今度は、先生に証明するよ」

 

「妾はどんな敵が相手でも、蓮太郎と共に行くぞ!! 地獄の果てであろうとな!!」

 

 答えは三者三様。しかし誰一人とて、説得して止まるような覚悟でない事を悟ったのだろう。菫は嘆息すると、ずるりとだらしなく座り直した。

 

「では、一つだけ私に約束してくれ。もしティナ・スプラウトが『ゾーン』であったのなら、絶対に戦うな。綾耶ちゃんは聖天子様を、延珠ちゃんは蓮太郎くんを連れて逃げろ。出来るだけ遠くまで、全速力で」

 

「『ゾーン』とは?」

 

「簡単に言えば、イニシエーターの限界を超えたイニシエーターの事だ。確かにイニシエーターは超人的な能力を持つが、パワーであれスピードであれスタミナであれ、それらの能力は鍛えていくといつかは壁に突き当たる。それが、そのイニシエーターの能力の限界点なんだ。二人には、覚えがないかな?」

 

 延珠と綾耶は互いに顔を見合わせる。二人とも心当たりがあった。延珠はスピードが、綾耶はパワーがある時期を境として急に伸びなくなってきているように思えていた。特に綾耶はこうした感覚を早い時期から自覚していて、空気の刃やシールドといった技術はこの成長限界を補う為の彼女なりの工夫だった。

 

「だが、矛盾してないか? 聞いた事があるぞ。イニシエーターの能力には理論上の限界は無いって……」

 

「そうだね、延珠ちゃん。そこで『ゾーン』なんだ。自転車に乗れなかったり竹馬が出来なかった子供がコツを掴んだ途端、思うがままに乗りこなすように。修錬や克己の果てに、限界を超えた力を獲得するイニシエーターが稀に居て、それを『ゾーン』の開眼者や到達者と呼ぶんだ」

 

「先生、その……『ゾーン』に至ったイニシエーターは強いんですか?」

 

「強い。非到達者では到達者には絶対に勝てない。それほどまでに圧倒的な差が生じるとされている。イニシエーターは出会った瞬間、首の後ろがビリビリするらしいから、もしそんな感覚を覚えたら逃げるんだ。みんな、任務から手を引けとは言わないが、それだけは約束してくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 聖天子と斉武大統領との第二回会談は、料亭で行われる事となった。時刻は午後8時から深夜までの予定となっている。車中で聖天子の隣に座る蓮太郎は、どこかぴりぴりしているように延珠には思えた。理由は彼女にも分かる。敵の正体が分からないのも不安だが、分かったらもっと不安になった。今は夜。夜行性であるモデル・オウル、ティナ・スプラウトの特性が最大限に発揮される時間帯だ。

 

 この闇の中、化け物じみた……いや、明確に化け物と言って良い腕前を持った狙撃手がどこからかこちらを狙っているのだ。いつ、死角から発射された銃弾が自分も含めて周りの誰かを貫くのではないかと思うと、神経質になるのも致し方ない。と、言うよりも神経質になるぐらいでちょうど良いのかも知れない。

 

 幸いと言うべきか、料亭に着くまでは狙撃は無かった。車が停車して、まずは蓮太郎が先に降りると安全を確認して、車内に手を差し出す。

 

「さ、行くぜ。お姫様」

 

「私はお姫様ではなく……!!」

 

 聖天子はそこまで言い掛けて、少しだけ顔を赤くして俯くと蓮太郎の手を取って下車した。最後に延珠が車から降りて、続くように空から綾耶が降りてくる。

 

 3人は言葉には出さないがそれぞれ互いの死角をカバーするような立ち位置で周囲を警戒する。とそこに、肩をいからせて保脇がやって来た。

 

「里見蓮太郎!! 貴様、聖天子様をこんな粗末な車に乗せるとはどういう事だ!!」

 

 たった今聖天子が降りてきたのは専用のリムジンではなく、護衛用のバンだった。これは聖室護衛隊にも知らされなかった事で、聖居を出発する際に蓮太郎の独断で決まった事だった。

 

「車を変えた。リムジンでは危険だと思ったからな」

 

「何故私に報告しなかった!! 民警風情が……」

 

 保脇の手が腰の拳銃へと動いて、蓮太郎も牽制の為にXD拳銃へと手を伸ばす。延珠の瞳が紅く明滅して、バラニウムの靴底が地面を踏み締める。仲間内で一触即発。

 

 だが、その時だった。

 

「……来た!!」

 

 綾耶がはっと顔を上げて、叫んだ。

 

「「!!」」

 

 蓮太郎と延珠はもう保脇をそっちのけで身構えて、聖天子と保脇だけが置いてけぼりを食らった形で戸惑ったように動きを止めてしまった。

 

 十秒ほどが過ぎた所で、虫の羽音のような音が聞こえてきた。シェンフィールドに搭載されたプラズマエンジンの駆動音だ。綾耶は音が聞こえる距離にシェンフィールドが近付くよりも早く、空気の振動からこの偵察機の接近を感知出来たのだ。

 

「聖天子様、車の中に!!」

 

 叫びながら、綾耶は自分の主の腰を掴むとバンに飛び乗った。同じように蓮太郎と延珠も飛び込む勢いで車内に戻る。

 

「出せ!!」

 

 蓮太郎が怒鳴る。

 

「貴様、聖天子様に何を……!!」

 

「!! 危ない、頭下げて!!」

 

 咎める保脇の言葉を遮って、綾耶は叫ぶと聖天子の頭をぐっと下げさせる。

 

 瞬間、バンのフロントガラスに穴が空いて、それを中心として蜘蛛の巣のようにヒビが入った。弾痕だ。狙撃されている。もし綾耶が聖天子を伏せさせていなかったら、今頃彼女の脳漿が後部座席を汚していただろう。

 

 呆気に取られている保脇を尻目に、事態を悟った運転手がアクセルを踏み込んでバンを急発進させる。多少は攪乱になるかと思って車を交換してみたが、やはり1キロもの距離を当ててくる凄腕相手には通用しなかった。かくなる上は一刻も早く安全圏にまで離脱しなければならない。

 

「ちょっと、蓮太郎さん窓を開けてもらえますか? 手筈通り、僕が屋根に乗りますから」

 

「分かった、頼むぞ」

 

 パワーウィンドウが開くと、綾耶は蓮太郎と延珠の体を器用に乗り越えて、窓から体を出す。

 

「綾耶!!」

 

 彼女がちょうどハコ乗りするような体勢になった所で、聖天子の声が掛かった。

 

「は……!!」

 

「気を付けてくださいね」

 

「はい!!」

 

 主の声に頷いて返すと、綾耶はバンの屋根によじ登って油断無く周囲を見渡す。

 

「!!」

 

「光った!!」

 

 屋根の上の綾耶と車中で後方を警戒していた延珠が、ビル屋上のマズルフラッシュに気付くのはほぼ同時だった。

 

「綾耶!!」

 

 蓮太郎が声を上げる。瞬間、綾耶は既に両腕に充填していた圧縮空気を前方の空間に向けて一気に吐き出した。

 

 これは先日の狙撃で綾耶が起こした風の防壁が突破された事と、ティナの装備であるシェンフィールドの機能が分かったからこその策であった。横風を起こしても、シェンフィールドの風速測定機能で読まれてしまい、ティナは風の影響を計算に入れて撃ってくる。

 

 だが、どんなに優れた狙撃手も発射した後から弾丸をコントロールする事は出来ない。発射のタイミングと攻撃を仕掛けてくる方向が分かっていれば、弾着までの僅かな時間で弾が通過するコースに即席の暴風を起こす事は綾耶ならば可能だった。

 

 この作戦は当たった。風に煽られた弾丸は逸れに逸れて、全く見当外れの位置である道路へと命中した。

 

「やった!!」

 

「安心するのは早いぞ」

 

 弾んだ声を上げる延珠を、蓮太郎が窘める。そう、これはほんの小手調べに過ぎない。

 

「今のでティナは俺達の手を把握したからな。今度は、綾耶の風すら計算に入れて撃ってくるぞ」

 

 シェンフィールドの風速測定機能は、人間の感覚などといった曖昧なものよりもずっと正確に空気の流れを把握して、弾丸が受ける影響をデジタルに計算する。瞬間的に発生させた風のパターンを予測しての射撃すら、98位にまで上り詰めたイニシエーターの技量であればやってのけるかも知れない。

 

 再び、ビルの屋上がチカッと光った。

 

「ふっ!!」

 

 先程と同じく、綾耶が風のバリアを作り出す。しかし今度の銃弾は風の中を進んできて、バンの屋根の一部を削り取っていった。

 

「……!!」

 

 拙い。綾耶がぎりっと歯を鳴らす。

 

 流石にイニシエーターが瞬間的に発生させる風に対してはまだパターンの把握が十分ではなく狙いも完全ではなかったようだが、それでもさっきよりずっと正確になっていた。そして今ので更に多くのデータを与えてしまった訳だから、次はもっと正確に弾着を修正してくる。恐らく、今度は命中させてくる。

 

 次の狙撃まで、何秒ある? 10秒? 5秒? それまでに安全圏にまで逃げられるか? 無理だ。ならばどうする? 体を盾にした所で、あの威力の銃弾では自分の肉体を貫いてその先にいる聖天子様の命を奪うだろう。

 

 どうする!?

 

 だが。今回はまだツキがあった。

 

「そこのビルの駐車場に入れ、早く!!」

 

 車内で、蓮太郎が怒鳴るのが聞こえた。運転手が思いきりハンドルを切ると手近なビルの駐車場にバンが滑り込んで、綾耶は振り落とされないように掌をぴったりと屋根にくっつけ、真空接着で体を固定した。建物に入る瞬間、髪が一房天井に触れるのを感じ取って、慌てて頭を引っ込めた。

 

 車が止まるのを待たず、綾耶は真空接着を解除すると転がりながら車から降りた。停車と同時に、蓮太郎と延珠も出てくる。

 

 警戒しながら、地下駐車場の入り口まで移動する3人。壁に背中をぴったりと貼り付けた蓮太郎は、次の瞬間にマズルフラッシュが見えたらすぐさま退避出来るよう集中力を切らさず、柱の陰から半分だけ顔を出して様子を伺う。

 

 狙撃は無い。

 

 気付けば、シェンフィールドの駆動音も聞こえなくなっていた。空気を凍り付かせて肌をひりつかせていた殺気も薄らぎつつある。どうやらティナは狙撃の失敗を受けて、撤退に入ったようだ。

 

 このままではみすみすティナの逃走を許してしまう。だが狙撃地点のビルまで軽く1キロ。普通に追って捕まえられる距離ではない。ましてや相手はイニシエーター。逃げ足も人間の比ではあるまい。

 

「蓮太郎、妾と綾耶で狙撃手を追う!!」

 

「延珠……」

 

 蓮太郎は逡巡を見せた。

 

 確かにモデル・ラビット、スピード特化型イニシエーターの延珠と、空を飛べる綾耶なら追い付く事も不可能ではあるまい。しかし、追跡対象であるティナの序列は98位。スペックのデータも見たが、恐るべき高数値だった。二人掛かりでも、無事に済むとは限らない。だがここでみすみすティナを逃がしてしまうのも……!!

 

 難しい判断だが、しかしこうしている間にもティナは凄いスピードで逃げているだろう。時間が無い。

 

「分かった、ただし二つ約束しろ。少しでも危ないと思ったり何か違和感を感じ取ったりしたらすぐに撤退する事。そして……」

 

「もし首の後ろがビリビリした時も同じように逃げる事、だな。分かっている」

 

「僕達が戻るまで、聖天子様の事をお願いします」

 

「気を付けろ、二人とも。必ず無事で戻ってこい」

 

 二人のイニシエーターの瞳が紅く燃える。延珠は跳躍するとビルの壁面を駆け、あるいは屋上から屋上へと飛び移って移動。綾耶は巻き起こした風に乗って、ビルの屋上よりも更に高く上昇してから水平飛行に移る。

 

「綾耶……」

 

 その姿を見送っていた聖天子の、祈るように合わせた手にきゅっと力が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎は乗り気ではなかったが、しかし二人による追撃それ自体はあらかじめシミュレートしていた作戦の一つではあった。

 

 綾耶が上空から、延珠は地上もしくはビルの屋上を移動して、二方面からティナを追い立てる。ティナが反撃してきたとしても、狙撃銃の銃口は一つ。同時に二人は狙えない。仮にどちらかがやられても、その間に接近したもう一人がティナを捕らえる。

 

 勿論、二人とも無傷なのが最善だが……相手は序列百番以内の超高位序列保持者。何のリスクもダメージも負わずに勝とうと言うのがそもそも虫の良すぎる話なのだ。

 

 空を移動する綾耶は、視線を落とす。ティナが撃ってきたビルまで後500メートル。まだ狙撃の気配は無いが、しかしここからは回避も防御もより難しくなってくる。その為一度、延珠の様子を把握しておこうと思っての行動だったが……これは、偶然ながら良い結果となった。

 

 延珠が、屋上で立ち止まっているのを発見出来たのだ。

 

「!? ええっ!!」

 

 綾耶は顔を引き攣らせ、両腕の空気ジェットを緊急噴射。軌道を無理矢理変えてビルの屋上、延珠のすぐ傍へと着地する。

 

「え、延珠ちゃん!! 何やってるの!? 止まったら撃たれるよ!! 動かないと……!!」

 

 泡喰った顔で、綾耶が喚いた。追撃を行う時に最も心掛けるよう蓮太郎から言われていたのが、常に動き続ける事だった。ティナ・スプラウトは狙撃兵。動いているのなら、狙撃用スコープの狭い視界では延珠の素早い動きは捉え切れずに生存の可能性は大きく上がる。

 

 だからこそ動き回る事……なのだが、何故延珠は足を止めたのだ?

 

「あ、綾耶……動かないのだ……妾の足が……!!」

 

「なっ!?」

 

 顔を青ざめさせた延珠が足を上げようと力を込めるが、彼女の両足は、ほんの1センチもビルの屋上から浮かなかった。綾耶は両手で延珠の右脚を掴んで持ち上げようと思い切り力を入れたが、結果は同じ。ゾウの因子を持つ彼女の怪力を以てしてもピクリとさえ動かない。力を入れてみた感覚から分かったが、これは何らかの原因で延珠の足が急に麻痺したとか、あるいは靴底に超強力な接着剤がひっついていたりとかする類のものではない。もし後者だったら、綾耶のパワーは延珠の足をくっついた屋上のコンクリートごと持ち上げていたろう。

 

 何か……見えない力で足が空間のその位置に固定されている。と、言うのが最も近い表現に思えた。

 

『どうしよう!?』

 

 いつまでもこうしているのは、狙って下さいとティナに言っているようなものだ。こうしている間にも次の弾丸が飛んでくるかも知れない。

 

「綾耶、妾を置いて逃げろ!! このままでは二人ともやられるぞ!!」

 

「それは……!!」

 

 そんな事出来ない。そう言いかけて、綾耶は周囲の警戒に移った。ここで動けない延珠を守って戦うにせよ一人で離脱するにせよ、まずは状況を確認せねばならない。両腕に意識を集中して、最大範囲で周囲の状況を把握出来るようにする。

 

 シェンフィールド、銃弾共に接近の気配は無し。ティナらしきイニシエーターの動きは、まだ遠過ぎて分からない。

 

 前後左右に、異常は無し。後は……

 

「!!」

 

 残る一方向に、異常があった。

 

「延珠ちゃん、上から何か来る!!」

 

「何っ!!」

 

 まさかの方向からの接近に、顔を上げるイニシエーター二人。

 

 見れば闇の空から、何かが近付いてきていた。

 

「あれは……!!」

 

 ふわりと降りてきたのは、一人の少女だった。こんな真似が出来るのだから、彼女は間違いなくイニシエーターだ。

 

 少女は、静かにビル屋上に降り立った。

 

「……あなたは……!!」

 

「そんな、何故お主が……!!」

 

 綾耶と延珠は、揃って動揺した声を上げる。二人とも、表情は驚愕の一色に塗り潰されていた。

 

 空から現れたイニシエーターはお嬢様風のドレスを着ていて、蒼い髪をボリュームのあるポニーテールに束ねた白人の少女だった。彼女を、綾耶も延珠も知っていた。

 

「ソニア……さん」

 

「どうして、こんな所に……!?」

 

 最近、第39区第三小学校にやって来た転校生のソニア・ライアン。二人の前に現れたイニシエーターは、紛れもなく彼女だった。

 

 嫣然と立つソニアは、静かに口を開いた。

 

「延珠ちゃんに、綾耶ちゃん。こういう形で会うのは初めてだから……改めて、自己紹介させてもらうわね」

 

 紅い両眼が、優しく二人を見据える。

 

「IP序列元11位、モデル・エレクトリックイール『星を統べる雷帝(マスターオブライトニング)』Sonia Ryan(ソニア・ライアン)。一言で言って、あなた達の敵よ」

 


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