ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第15話 守る者、殺す者、守る者

 

 聖居を出てかれこれ二時間。リムジンは目的の超高層建築ホテルに着いた。ここの最上階が本日の、聖天子と斉武大統領との会談場所だった。蓮太郎が一足先に下車して周囲に異常と危険が無い事を確認するとほぼ同時に、車のすぐ近くに綾耶が羽のような動きで下りてきた。リムジンの中には蓮太郎と延珠が詰めているので、彼女は空からリムジンを守る事が仕事だった。

 

「蓮太郎、お仕事頑張ってくるのだ」

 

 リムジンでは延珠が手を振ってパートナーを送り出している。

 

「聖天子様、僕は延珠ちゃんと車の中で待機してますので……何かありましたらいつでもお呼び下さい」

 

 綾耶も自分のプロモーターを送り出すが、延珠とは随分違う。イニシエーターとプロモーターの関係は人それぞれで千差万別だが、二人並べると良く分かる。蓮太郎と延珠は対等のパートナーだが、聖天子と綾耶は主従だ。

 

 互いのプロモーターがホテルに入っていったのを見届けると、綾耶はリムジンに乗り込んで延珠と対面の席に座る。

 

「綾耶、どうせ会談など長引くに決まっておる。トランプでもするか?」

 

「まぁ、仕事に差し支えない程度にね」

 

 延珠からトランプを受け取ると、綾耶は慣れた手付きでシャッフルしていく。昔を思い出す。外周区で暮らしていた頃には二人でよくこうして遊んでいた。延珠はポーカーフェイスが苦手なので、ババ抜きもポーカーもいつも綾耶の勝ちで終わっていた。そして今回も、結果は同じだった。

 

 十連敗した所で、延珠がカードを放り出した。

 

「うぬぬ……少しは手加減するのだ、綾耶!!」

 

「勝負の世界は厳しいんだよ、延珠ちゃん。次は本でも読む? 面白いよ」

 

 勝ち誇りつつ綾耶はトランプを片付けると、持ち込んでいた文庫本を渡す。愛読書である「ガウェイン卿と緑の騎士」だ。

 

 延珠は興味半分といった様子で読み始めるが、ページを十回も捲らぬ内に瞼が重くなって、うつらうつらし始めた。そんな親友に綾耶は苦笑しながら、羽織っていた聖室護衛隊の外套を毛布代わりに掛けてやる。

 

 綾耶も任務を忘れた訳ではないが、しかしイニシエーターとして実戦で磨いて鍛えたカンは危険を告げてはおらず、両腕が感じる空気の流れも、今の所は異常無し。不測の事態が起こった時にはすぐにエンジンをフルスロットルに持って行けるよう心構えだけしつつ、背もたれに体を預けて目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 延珠の予想は的中した。聖天子と蓮太郎がリムジンに戻ってきたのは二時間後であった。

 

 ホテルの中では何事も無かったようで、やきもきしていた綾耶はほっと胸を撫で下ろした。リムジンから降りて、二人を出迎える。

 

「お疲れ様です、聖天子様。蓮太郎さん」

 

 一礼すると、綾耶は両腕に空気を集め始める。空を飛ぶ準備だ。帰り道でも、彼女は空からリムジンを警護するようにと保脇から命令を受けている。聖天子直轄のイニシエーターである綾耶だが同時に聖室護衛隊の一員でもある。よって聖天子からの命令に矛盾しない限りは護衛隊長である保脇の命令に従う義務があるのだ。しかし、仮にも護衛の一人であると言うのに綾耶は護衛計画について事前説明を一切受けておらず「空からリムジンを守れ」と言われたきりだ。

 

 後で知った事だが、蓮太郎も同じように何も知らされずに聖居に行くといきなりリムジンに乗せられたらしい。

 

 これは保脇達が意図的に蓮太郎や綾耶をのけ者にした結果なのだろうが……いくら何でも護衛対象の最も近くにいるボディガードが護衛計画を知らないのは問題があるとか無いとか、そういうレベルを超えているのではないか? さしもの綾耶も胸中で不安を呟いた。

 

『もしこれが原因で聖天子様の身に何かあったら……どうするんですか……? 保脇さん』

 

 ……とも思うが、まぁ要するに何が起ころうが自分が聖天子様を守る。その覚悟で任務を遂行すれば良いと思い直して飛び立とうとした時、聖天子から声が掛かった。

 

「綾耶、帰りは一緒に車で帰ってもらえませんか?」

 

「は……」

 

 予定とは違うので綾耶は少し戸惑ったように蓮太郎を伺う。民警の少年は黙ったままで一度首を縦に振った。ホテルの中で何があったのかは計り知れないが、しかし良く見ると聖天子の表情は少し暗い。斉武大統領との会談が不調に終わったという結論に辿り着くのに、大した推理力は必要ではなかった。

 

「聖天子様が、望まれるのでしたら」

 

 そう言った綾耶が聖天子のすぐ隣に座ってドアを閉めると、リムジンが走り出した。

 

 暫く走った所でスマートフォンを見ると時間は午後7時を過ぎていた。ちらりと綾耶が視線を送ると、彼女の主が窓から見える景色に目をやりながら溜息を一つ吐いたのが分かった。

 

「そんなに落ち込むなよ」

 

 蓮太郎が声を掛ける。それを受けて聖天子が彼に視線を移す。

 

「別に落ち込んでなど……」

 

 少し意地っぽくそう言って一度言葉を切ると、首を振った。

 

「そうですね……少し、落ち込んでいますね。誠意を持って話せばどんな人でも分かってくれると信じていましたから、そう思う所もあるかも知れません」

 

「……やっぱり、斉武大統領との話し合いは上手く行かなかったんですね」

 

 心配そうに上目遣いで言うイニシエーターの頭を、聖天子は優しく撫でてやった。

 

「あなたが心配する必要はありませんよ、綾耶。何も、ね」

 

「その命令は聞けません。聖天子様がそんな顔されていては心配するななんて無理な相談です」

 

 即答する綾耶。聖天子は少しだけ目を丸くする。くすっと笑って、もう一度頭を撫でた。本当に、真っ直ぐな子だ。少しだけ、どんよりしていた車内の空気が和らいだ。

 

「良いイニシエーターじゃねぇか。もっと色々話してやれよ」

 

 延珠を膝枕しながら、からかうような口調で蓮太郎が促す。頷いた聖天子が「そうですね」と返して、会談の顛末を話し始めた。

 

 綾耶が感じた通り、今日の会談は不調も不調、大不調の絶不調に終わったらしい。調和を重んじる理想主義者である聖天子と、野心家で現実主義の斉武大統領は水と油以上の相性の悪さ、例え無重力空間でも混ざり合わないぐらい相容れない存在であるという事を、共通の認識として持てた事が唯一の成果という事らしい。

 

「まぁ、斉武宗玄は菊之丞でも手を焼くような奴だ。言いなりならなかっただけでも、あんたは良くやったよ」

 

「蓮太郎さんこそ、あの斉武大統領を向こうに一歩も引きませんでした。私の周りには家庭教師から菊之丞さんに至るまで敬語で接してくる人ばかりでしたから、新鮮に映ります。あなたのようにはっきり物を言う人は今まで私の周りには……一人しか居ませんでしたから」

 

 聖天子は傍らにちょこんと腰掛けている彼女のイニシエーターを見て、笑いかける。

 

 尤も、綾耶とて敬語で接するという点では聖天子の周りにいる他の者と同じだ。でも、彼女は嘘を吐かない。その点で、好かれようなどとは露とも思わず、本音でぶつかってくる蓮太郎とは共通点があった。(無論それだけではあるまいが)綾耶を重用したり、今回の護衛でも序列30位の枢ではなく1000位の蓮太郎を指名してきたのにはこういう事情があったという訳だ。

 

「どうぞ、聖天子様。蓮太郎さんも」

 

 綾耶が冷蔵庫から取り出した桃ジュースを勧めてくる。聖天子と蓮太郎はそれぞれグラスを受け取って一口飲むと、話を続けていく。その大部分はまだ子供の綾耶には良く分からないないようだったが……分かる部分もあった。

 

「里見さん、私は平和を体現しなければなりません。言葉ではなく、行動によって。私は、これ以上世界に悲しみの種が撒かれる事に耐えられない」

 

「だから、綾耶を拾ったのか?」

 

「それは……偽善だと、思いますか?」

 

 少し厳しい言葉で追求する蓮太郎に、応じる聖天子の言葉はどこか自嘲気味だった。確かに綾耶をイニシエーターとして取り立てたのはガストレア新法を成立させる為の政治的意図もあったろうが、彼女の境遇に同情していた一面もあったかも知れない。だがそれも、何の解決にもなってはいない。彼女一人救った所で、過酷な暮らしを強いられている呪われた子供たち全てが救われる訳ではない。

 

 偽善、自己満足。そう言われても仕方無い側面もあるだろう。それは聖天子も自覚していた。

 

 だがここには、少しの思考も介さずにそれに否と答える者が居た。

 

「そんな事ないですよ!!」

 

 元気の良い声の主は、綾耶だ。

 

「聖天子様に拾われて、少なくとも呪われた子供たちが一人幸せになれました。間違いなく、それは善い事だと僕は思います!!」

 

 幸せになったその一人の呪われた子供たちが浮かべる笑顔は、綾耶の言葉が虚飾や世辞の類ではなく紛れもない彼女の本心であると、聖天子と蓮太郎へ何より雄弁に教えていた。

 

 全ての呪われた子供たちを救う事は出来ていない。それは事実だ。

 

 同時に、綾耶を救えた事も事実だ。

 

「聖天子様は僕に、沢山のものを与えて下さいました。でも、何かが違えば僕も他の呪われた子供たちと同じ境遇だったかも知れません。外周区で貧困に喘ぎながら、寒さに震えて明日の命を願う生活を続けていたかも……僕は、僕の運命をただ運が良かったってだけで終わらせたくないんです。呪われた子供たちも、普通の子供も関係無く、一人でも幸せになれるような世界にする為に、僕の力を役立てたいんです」

 

 綾耶はそこで一度言葉を切って「だから」と前置きすると、座り直して彼女の主へとしっかり向き合う。

 

「聖天子様の理想を実現する為に、僕にもお手伝いさせて下さい!!」

 

 それを聞いた二人は少しの間ぽかんとしていたが、やがて国家元首は微笑みながら目を潤ませて、プロモーターはにやっと笑って背もたれに体を預ける。

 

「綾耶、お前は……子供じゃないけど、子供だな」

 

 早熟な面もあるが、所詮は十歳にもならない子供だ。世界の不条理も、現実の無慈悲さも、人間が同じ人間にどれほど残酷になれるのかも、何も分かってない。

 

 でも、だからこそ輝いている。蓮太郎や、恐らくは聖天子もいつの間にか失ってしまったもの。希望や理想、夢やときめきを持っている。そんな綾耶は二人には眩しくて、どこか羨ましかった。

 

 すっと差し出された聖天子の手が、綾耶の頬に優しく触れた。

 

「では……頼みますよ綾耶。私は暗殺や謀殺に見舞われる危険の多い身の上です。私を、守って下さいね」

 

「はい、僕の力の限りお守りします!! 菊之丞さんや保脇さんだって!! 勿論、蓮太郎さんも協力してくれますよね?」

 

「えっ、俺?」

 

 だしぬけにそう言われて素っ頓狂な声を上げる蓮太郎。延珠は親友で、そのプロモーターで相棒の蓮太郎は無条件で味方。綾耶の中ではこんな認識なのだろう。勝手に決められた蓮太郎だが、しかし彼が裏切ったり敵になる事など夢にも思わないどころかこの目で見ても信じないという風に信頼の眼差しを向けられるのは、不快ではない。

 

 こりゃ、腹を括るか。天童民間警備会社のプロモーターは「負けたよ」と肩を竦めた。

 

「分かった。どこまで力になれるか分からねぇが、俺も協力させてもらうさ」

 

「わぁ、ありがとうございます!!」

 

 顔を輝かせた綾耶が蓮太郎に飛び付こうとするが、今まで彼の膝の上で寝息を立てていた延珠がぱっと目を覚まして飛び起きた。綾耶は持ち前の反射神経で避けたが蓮太郎はそうも行かず、跳ね上がった延珠の頭が顎にクリーンヒットして少し涙目になった。

 

「あ、延珠ちゃんおはよ……」

 

「今、妾の蓮太郎レーダーに何かが反応した……」

 

「蓮太郎レーダー?」

 

「うむ、蓮太郎に悪い虫が付きそうになると反応するのだ。綾耶、蓮太郎は駄目だぞ」

 

「はっ?」

 

「蓮太郎はおっぱい星人だから、木更よりおっぱいが小さいと女と認識されないのだ。だから無理、諦めるのだ」

 

 もう一組のプロモーターとイニシエーターが蓮太郎へ向ける視線が、氷点下の冷たさを宿した。

 

「里見さん、不潔です」

 

「やはり天誅を……んっ!?」

 

 綾耶の掌に穴が開いて、空気が出入りしてシューシューと音を立てる。彼女としては圧縮空気のカッターで蓮太郎を去勢してしまおうと思っての行動だったが……不意に、びくりと体を震わせて窓から見える東京エリアの夜景に視線を送る。

 

「綾耶、どうしたんだ?」

 

 様子がおかしい事を見て取った蓮太郎が声を掛けて、そして傍らの延珠も同じ風である事に気付いた。食い入るように前を見ている。

 

「二人とも、一体……?」

 

「蓮太郎、何だろう。イヤな予感がする」

 

「危険が迫ってます。蓮太郎さん、念の為に手はドアノブに掛けておいて下さい」

 

 いつでもドアを開けて脱出出来る準備をしろ。そう言われた蓮太郎は緊張した面持ちになって言われた通りに動き、聖天子の手が綾耶の肩に触れた。

 

 蓮太郎は延珠の視線に合わせて、窓から見える景色を注意深く観察する。見る限り、異常はどこにも発見出来ない。だが延珠と綾耶は二人とも、運動能力・感覚器官など全てに於いて人間の限界を超越した能力を持つイニシエーター。特に綾耶には、両手の空気を吸い込む器官で大気の流れを感じ取り、レーダーのように周囲の状況を把握する力がある。

 

 どちらか一方なら兎も角、二人共が異常を訴えているのだ。それを単なる気の迷いで片付けられるほど、蓮太郎は楽天的ではない。何か起こった時にはすぐさまこの車から飛び出せるように気構えすると、瞬きもせずに延珠と同じ方向を凝視する。

 

 チカッ!!

 

 ビルの屋上で、一瞬だけ何かが光った。

 

 マズルフラッシュ!!

 

「伏せろっ!!」

 

 瞬間、蓮太郎は延珠の頭を押さえ付ける。綾耶も聖天子に覆い被さり、守ろうとする。一秒としない間にガラスが木っ端微塵になった。襲ってくる衝撃。驚いた運転手が急ブレーキを掛けて、急激なGによって体が揺さぶられる。車体はそのまま道路を横滑りしながら、標識にぶつかってやっと止まった。

 

 どうにかこうにかではあるが車が止まった事を認識すると、真っ先に綾耶が動いた。持ち前のパワーでドアをぶち破ると、聖天子を抱えて車から脱出する。二秒遅れて運転手を抱えた延珠が飛び出て、最後によろけながら蓮太郎が出て来た。

 

「ビルの陰に隠れろ!! 狙撃されてるぞ!!」

 

 そう叫んだ時、再びビルの屋上が光った。一秒強の時間を置き、爆発。第二弾がエンジンタンクを撃ち抜いたのだ。

 

「聖天子様、下がって!!」

 

 襲ってきた爆風と飛来した金属破片を、綾耶が前方に展開した空気の壁で止めた。

 

「逃げて下さい、早く!!」

 

「す、すみません綾耶……今ので腰が抜けて……」

 

「……っ!!」

 

 どうする!?

 

 一瞬だけ思考を挟んで、綾耶は次の行動に移った。

 

 フィギュアスケーターのように体をスピンさせると同時に、両腕から空気を一気に排出する。

 

 あっという間にこの一帯の空間が、小規模な暴風圏と化した。

 

「成る程、これなら……!!」

 

 蓮太郎の顔に固い笑みが浮かぶ。

 

 夜間でしかも目測だが、狙撃地点であるビルからここまでは軽く1キロメートルはある。この距離で当ててくるだけでも狙撃手が恐るべき技量の持ち主である事を疑う余地は無い。だが、どれほどの凄腕でもこれほどの横風の中で小さな点でしかない目標に当てる事は無理だろう。

 

 あるいは自然の風ならば、強さや風向きを読み取って弾丸を風に”乗せて”バナナシュートのように命中させてくる事さえ可能かも知れない。だが今、自分達の周囲に吹き荒れているのは綾耶が発生させた人工の風、その吹き方は自然では有り得ない。しかも自然の風と干渉し合って、複雑怪奇な大気の流れを作り出している。どんな腕の良いスナイパーと精巧なライフルの組み合わせでもこの風の防壁を突破し、命中弾を当ててくる事は不可能。嵐の海をイカダで渡り切る事が不可能なように。

 

 ……その、筈だったのだが。

 

 この時点で蓮太郎も綾耶もこのスナイパーの脅威を見誤っていた。

 

 チカッ!!

 

 再びマズルフラッシュ。だが、蓮太郎も延珠も動かない。綾耶が起こした横風が守ってくれている。ここは避けようと下手に動く方が危険だ。

 

 しかし、綾耶の顔が引き攣った。

 

「そんな!?」

 

 両腕が感じる空気の揺れが、飛来する銃弾の軌道を克明に伝えてくる。

 

 信じられない事だが、銃弾は吹き荒れる風の中を蛇行しながら正確にこっちへ向かってきている。

 

『風の流れが、読まれてる……!!』

 

 どんな手段でそれが可能となるのかは分からないが、間違いない。相手は、自分達の周囲の風の動きを知覚している。でなければ、一発の試射も無しに銃弾の軌道をここまでコントロール出来る訳がない。

 

 結局、その銃弾は綾耶とそのすぐ後ろの聖天子から1メートルばかり左の道路を抉って、アスファルトを撒き散らしただけに終わった。

 

 運が良かった、とは言い難い。今のは試射になった。これで狙撃手は風の影響を完全に把握したから、次弾の精度は比べ物にならないぐらい正確なものになっている筈だ。しかも銃弾の威力は、リムジンの防弾ガラスを容易く貫いてくる。大砲よりもほんの1ランクだけ下の対物ライフルクラス。綾耶の風のシールドでもこれは防げない。

 

『ならば……!!』

 

 この状況、打てる手は多くはない。まずはシールドの展開範囲を絞って厚い空気の層を作り出す。そして自分の身を盾にする。二重の防御。これなら少なくとも銃弾の軌道を逸らして聖天子を守る事は出来るだろう。

 

 チカッ!!

 

 四度、ビルの屋上が光った。

 

 来る!!

 

 覚悟を決めた表情を見せて、身構える綾耶。彼女にとっての幸運は、ここにはもう一人イニシエーターが居た事だった。

 

「ハアアアアッ!!」

 

 雄叫びと共に延珠が跳躍して、飛び蹴りを繰り出す。タイミング・位置とも完璧。靴底に仕込まれたバラニウムで弾丸を弾ける。延珠も綾耶も、そう確信していた。

 

 しかし次の瞬間、思いも寄らぬ事が起きた。

 

「っ、なぁっ!?」

 

 延珠が上擦った声を上げる。

 

「そんな!?」

 

 綾耶も同じだった。有り得ない事が起こったのだ。

 

 真っ直ぐ進むしかない筈の銃弾が、延珠の手前でいきなりUターンして前方のビルの壁面に突き刺さった。

 

「い……一体!? 綾耶、お主が?」

 

 驚きつつも着地した延珠が親友を見るが、綾耶も呆けた顔で首を横に振るだけだ。圧縮空気を放出して風を操る彼女だが、その制御とパワーにも限界がある。飛来する銃弾を逸らすなら兎も角、ぐるりと180度近くも軌道を歪める事など出来はしない。あるいは至近距離なら何とかなるかもだが、今回は綾耶と銃弾の間に数十メートルの距離があって明確に射程距離外だった。

 

「ご無事ですか、聖天子様!!」

 

「建物の陰にお連れしろ!!」

 

 今になって、やっと護衛隊の面々がリムジンの前後を固めていた車から出て来て、聖天子のぐるりに人垣を作って後退していく。綾耶はその輪には加わらず、後詰めを固める形でじりじりと引いていく。

 

 蓮太郎と延珠も綾耶の両脇を固める形で、周囲を警戒する。三人はどんな小さな変化も決して見落とすまいと、五感をピークにまで引き上げていた。

 

 異常は、あった。

 

 ブゥゥゥン……と、虫の羽音のような音が聞こえてくる。蓮太郎と延珠が周囲をきょろきょろ見渡すが、異常は発見出来ない。

 

「あっちに何か、丸い物が動いてるみたいです。大きさはソフトボールぐらい……あ、僕の索敵範囲から出ました」

 

 二人は綾耶が指差す先を見るが、目を凝らしても夜闇に紛れてそんな物は見えない。綾耶自身も目では見えていない。彼女の両腕が空気の流れを知覚して異常を捉えたのだ。

 

「……どうやら、もう次は来ないようだな」

 

 大気を凍り付かせていた殺気が急激に失せていく事を感じ取って、延珠がそう呟いた。

 

「ああ、もう逃げたみたいだ」

 

 ひとまずの危険は去った訳だが、蓮太郎は胸を撫で下ろす気分にはなれなかった。

 

 1キロ以上もある距離を、夜間・強風の中で2発まで命中させ、更に次の狙撃では綾耶の作り出した暴風すら物ともせず至近弾を当ててきた。蓮太郎は狙撃に詳しい訳ではないが、それでもこれが常軌を逸した技量である事は理解出来る。しかもただ腕が良いだけでなく、4発撃って狙撃成功の目が少ないと見るや即時撤退に移る引き際の見極め。

 

 恐るべき手練れだ。

 

 懸念はもう一つ。最後の4発目が描いた有り得ない軌道。どんな悪条件が揃っていても自然にああはならない。

 

「一体……何が起こっている?」

 

 

 

 

 

 

 

「すみませんマスター、失敗です。護衛に手練れの民警が居ました。シェンフィールドを回収後、速やかに撤退します」

 

「民警の姿は見たか」

 

「はい。しかし距離が遠すぎて顔立ちまでは見えませんでした」

 

 高層ビルの屋上で、ティナ・スプラウトは手にしていたバレットライフルをケースに収納しながら無線で報告を行っていた。

 

 聖天子の護衛は聖室護衛隊と直属のイニシエーターである将城綾耶だけという話だったが、情報が誤っていたのか直前になって護衛が追加されたのか、どちらにせよ明らかにイニシエーターとプロモーターのペアが護衛に付いていた。特にイニシエーターの方は、最後の狙撃でもし銃弾が逸れなければ間違いなく蹴りで弾いていただろう。音速以上で飛来する小さな点でしかない弾丸を正確に迎撃するなど、いくら体内に保菌するガストレアウィルスの恩恵によって超人的な運動能力を発揮する呪われた子供たちと言えど、同じ芸当が出来る者は多くはない。

 

 将城綾耶も、風を操る特殊能力は狙撃手である自分にとって天敵だった。もし、シェンフィールドが無ければ横風をかいくぐって狙撃する事は不可能だったろう。

 

 どちらも、恐るべき手練れ。楽観出来る相手ではない。

 

『それに……』

 

 最後の一射、あれはまるで弾丸に何か……風以外の不可視の力が働いて軌道が逸れたように見えた。

 

 ティナは狙撃術を学んだ時、1963年のケネディ暗殺で銃弾が魔法のように曲がって飛んだと聞いた事がある。そんな事が、現実に起こり得るとは思わなかったが……しかし、この目で見たのだ。

 

 全く、この任務はマスターが用意してくれていた武器が隠し場所であるコンテナごと消えていた事と言い、今の弾丸と言い、予想外の事ばかり起こる。

 

 まぁ、弾丸に関しては……それが出来る人間をティナは一人知っていたが、すぐに有り得ないと首を振って胸中の迷いを振り払った。

 

「……あの人は……お姉さんはもう居ないんです。あの時、死んでしまったんですから……」

 

 そう、ひとりごちる。

 

「一体……何が起こってるの?」

 

 遠目に微かに見える炎を睨むティナは、すぐ後ろの空中に拳大のビットが浮遊し、搭載されたカメラを自分に向けている事に気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……見付けたわよ、ティナ」

 

 ティナ・スプラウトが居た場所からほぼ対角線上に位置するビルの屋上。ソニア・ライアンは直線距離にしておよそ2キロ離れた地点から脳内に送信されてくるあらゆるデータを整理し、満足げな笑みを浮かべた。

 

 最後の銃弾を曲げたのは、彼女の仕業だ。磁力を操る異能を以てすれば、あの程度の事は造作も無い。

 

 聖天子の動きを追っていけば必ずティナとも接触出来ると考えていたが、間違ってはいなかった。ソニアは思念の蔓を巻き取る。彼女の意志に繋がった磁力によって浮遊していたビットが、彼女の傍へと帰還してきた。

 

 全てのビットが戻ってきた事を確かめると、ソニアはその内の一つをお手玉するように掌で弄ぶ。

 

 思考駆動型インターフェイス『シェンフィールド』。四賢人の一人である米国のエイン・ランドの手によって推進されていた機械化兵士計画「NEXT」の産物で、脳内に埋め込まれたニューロンチップによって操られる偵察用端末だ。各種センサーを搭載しており、対象地点から標的の位置情報・温度・湿度・座標・角度・風速など様々な情報を無線通信で操縦者の脳に送信する。ただし、ソニアが使っているのはそのプロトタイプである。

 

 まず、本来のシェンフィールドには移動手段としてプラズマジェットが内蔵されているがソニアの物にはそれが無い。と、言うよりも推進装置の類が一切積まれていない。だがソニアにはそんな物は必要無い。彼女は体内発電で作り出した磁力によってシェンフィールドを操る。その特性上、本来エンジンや推進剤を搭載するスペースにより多くの観測機器を搭載する事が可能となっており静粛性も比べ物にならない。当然だ、そもそも動く部分が無いのだから。

 

 また、シェンフィールドを操作するのはあくまで機械化兵士とは無関係のソニア自身の能力だ。よって脳内のチップにも偵察機に動作指令を出す機能は存在せず、送信されてくる情報を受信するだけの単純な機能に留められている。この為、ニューロンチップの発熱は最小限に抑えられ、最大の欠点であったチップの発熱による脳への過負荷という問題もクリア、本来シェンフィールドの同時使用は3機が限界の所、ソニアは10機以上を同時に操る事を可能としている。

 

 尤も、これほどの性能を発揮出来るのはあくまで使うのがソニアである事が大前提となっている。彼女以外ではこのシェンフィールドは推進機関を持たないので、只の高性能なカメラでしかない。デンキウナギの因子を持ち、更に自らの能力を発電という基礎だけではなく、そこから派生・発展させて磁力を操れる域にまで極めているソニアだからこそ、ここまでの機能を引き出せるのだ。

 

 元々、彼女はあくまで試験体。機械化兵士としての機能が呪われた子供たちにも転用可能かという可能性を見極める為の叩き台でしかなく、実戦への投入は想定外だった。故にこのような実用性に欠ける装備が搭載されたのだ。きっと、自分と同じような境遇の呪われた子供たちが数多く居たのだろうとソニアは思っている。生き残っているのは、彼女一人だ。彼女はたまたま、自身の能力との組み合わせによって実戦的な力を発揮出来るから、利用価値有りとして生き延びる事を許された。

 

 よって機械化兵士としてソニア・ライアンはプロフェッサー・ランドが後に創造したどの機械化兵士をも凌ぐ能力を発揮したが、機械化兵士の技術それ自体は彼女に搭載されたのをより洗練して過剰機能を廃止、汎用性を高めた物が後継の呪われた子供たちに組み込まれる事となった。ティナ・スプラウトもその一人で、ティナは実戦を想定して創造された呪われた子供たちの機械化兵士「ハイブリット」の最初の一人だった。

 

 ランドに言わせればソニアが試験機で、ティナは実験機という位置付けだったらしい。

 

 嫌な事を思い出して、ソニアはぎりっと歯を鳴らした。

 

「待っていて、ティナ……もう……あなたに、殺しはさせない。お姉ちゃんが、必ずあなたを……あなた達を自由にしてみせるから」

 


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