ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第14話 聖天子の依頼

 

「もう駄目、ビフテキ食べたい……」

 

 天童民間警備会社の社長席で、木更が机に突っ伏している。今日の彼女は頬が少しこけていて血色も良くない。どうにも栄養が足りていないように見える。

 

「……俺だって食いてぇよ」

 

 そんな木更のすぐ前に立つ蓮太郎も、げっそりしているのは気のせいではあるまい。

 

「……なぁ、木更さん」

 

「……何? 蓮太郎君」

 

「何でステージⅤ撃破で聖天子様から特別報酬が入ったのに、俺達はこんなに飢えてるんだ? お陰で俺は休みの日には遊園地のバイトで天誅バイオレットの着ぐるみ着て、蒸し地獄の中子供たちにサンドバックにされてるんだぞ?」

 

「……天蠍宮(スコーピオン)撃破からこっちガストレアの動きが沈静化して、あれ以来ウチは依頼を一件も解決できてないからよ。お陰で今月も収入はゼロ……分かってるの? 甲斐性無しのさ・と・みくん」

 

「それだけじゃないだろ? 知ってるぜ。あんた前に聖居に呼び出しを受けた時、見栄張ってイタ電でリムジン呼んで、結局乗らなかったろ。最近になってそれがバレて、悪質なイタズラって事もあって罰金をたんまりふんだくられたって」

 

 痛い所を突かれ、木更が「うぐっ」と言葉に詰まる。

 

「何よ!!」

 

「何だよ!!」

 

 椅子を蹴って木更が立ち上がり、蓮太郎も一戦交える事も辞さずと身構えるが……数秒して、二人とも自分の椅子に崩れ落ちた。

 

「……止しましょう。無駄な体力を使う余裕は、今の私達には無いわ」

 

「……だな」

 

 このままではモヤシ生活すら危うくなる。何とかせねばと気ばかり焦るが、具体案は浮かばず。二人が揃って「はぁぁぁぁ~」と長い溜息を吐いたその時、ノックの音が聞こえた。ただしドアではなく、窓から。反射的にそちらを向くと、事務所の窓に小さな右手がぺたりと貼り付いていた。

 

「「……な?」」

 

 ここは3階だ。ガラス清掃が行われるなんて予定も聞いてないし……そんな風に二人が考えていると、今度は左手が窓枠の下から伸びてきて、右手より上の位置に貼り付いた。そうして体全体が這い上がってくる。軽いホラー映画のような光景だが……事務所の窓ガラスに引っ付いていたのは修道服の上に白い外套を羽織った眼鏡の少女。聖室護衛隊特別隊員にして聖天子のイニシエーター・将城綾耶だ。

 

「綾耶!!」

 

「綾耶ちゃん」

 

 ガラス窓に貼り付いている綾耶は右手を放すと横に振って、開けてくれとジェスチャーで示す。蓮太郎も木更も知らない相手ではないので、ドアから入ってこないのには少し驚いたものの窓を開けると彼女を迎え入れてやった。ちなみに、綾耶が窓に貼り付いていたのはソニアとの挨拶の時にも使った真空接着によるものだ。彼女の両腕は象が鼻で水を吸い上げるように、流体を吸い込む機能がある。その力で掌とガラスの隙間にある空気を吸い込んで真空を作り、強い吸着力を生み出したのだ。窓にくっついたのは、ここまで空を飛んで来たからだった。

 

「どうも、お久し振りです。蓮太郎さんに、天童社長も」

 

 ぺこりと、礼儀正しくお辞儀する綾耶。釣られて蓮太郎と木更も会釈する。

 

「こんにちは、綾耶ちゃん」

 

「元気そうだな綾耶。延珠もいつもお前の話をしてるぜ。新しい学校は、毎日楽しいって。お前もたまにはウチに遊びに来いよ。延珠も喜ぶ」

 

「はい、今度のお休みには是非……でも今日は、お仕事で来たんです」

 

 仕事!! その二文字を受けて、社長とプロモーターの目の色が変わった。しかもこの話を持ってきたのは聖天子のイニシエーターである綾耶。つまり、この仕事は聖居絡みという事だ。きな臭さはあるし、危険度も大きいと想像できるが……報酬もそれなりのものが期待できる。今の二人にはあまりに魅力的だった。

 

「今回、天童民間警備会社・里見蓮太郎さんにお願いしたいのは、聖天子様の護衛任務です」

 

 

 

 

 

 

 

 取り敢えず話を聞いてみる事にする。そう返事すると、綾耶の行動は早かった。蓮太郎の襟首をひょいと引っ掴むと入ってきた窓から飛び出して、東京エリアの空を舞った。

 

「うおおおっ!?」

 

 蓮太郎は以前、延珠に肩車されて崖から飛び降りた事がある。その時は広がる景色に人間のちっぽけさを思い知らされたものだが、綾耶のこれは跳躍の上を行く飛行。足下では東京エリアの街並みが流れていって、世界の広さが分かる。齢十六にして、色々と悟りの境地に至った気がした。

 

 聖居へは10分弱で到着した。地面ギリギリで逆噴射を掛けた綾耶は蓮太郎と共に正面玄関へと着陸する。人目もあったが、殆どの者はもう彼女が空を飛ぶ姿には慣れっこなのだろう。一瞬だけ足を止めて視線を向けるものの、あんぐりと口を開けて棒立ちになっている数名を除いては別段気にした風でもなく歩き始める。ある意味彼女の存在は聖居の初心者を見分ける試金石になっているのかも知れない。

 

 綾耶が慣れた様子で守衛に蓮太郎の名前と来意を告げる(綾耶自身は聖天子のイニシエーターなのでフリーパス)と、守衛側で何度か連絡を取り合った後、前後をサンドイッチされて記者会見室へと通された。一番奥のひな壇には聖天子が登壇していて、ちょうど記者会見のリハーサル中のようだった。

 

「すいません、蓮太郎さん。聖天子様はインタビューの練習中のようですから……少しだけ待ってもらえますか?」

 

 蓮太郎は適当に頷いて、5分ばかり待つ。そうしてリハーサルが一段落した所で、壇上の聖天子は二人に気付いた。居住まいを正してにっこりと笑う。

 

「聖天子様、蓮太郎さんをお連れしました」

 

「ご苦労様です、綾耶」

 

 聖天子は白い手袋をした手でそっと自分のイニシエーターの頭を撫でてやると、蓮太郎に向き合った。

 

「綾耶から大体の話は聞いてる。何でも護衛任務って事らしいが……」

 

「里見さん、実は大阪エリア代表の斉武大統領が非公式に明後日、この東京エリアを訪れます」

 

「なにっ?」

 

 斉武宗玄。子供である綾耶も名前ぐらいは知っている。現在の日本は札幌、東京、仙台、大阪、博多の5つのエリアに分割統治されているが、その内の一つである大阪エリアの国家元首だ。だが蓮太郎の様子は相手がただ大物である事に驚いているだけでなく、斉武宗玄という個人を知っているからこその反応に見える。

 

「けど、ここ数年東京エリアと大阪エリアはロクなコンタクトを取ってこなかった筈だぜ? 何で今更……」

 

「用件は分かりませんが……今である理由は、菊之丞さんの不在が大きいかと」

 

 そう言えば数日前のニュースで、菊之丞は中国やロシアを訪問すると報道されていたのを蓮太郎は思い出した。あの老人と斉武宗玄は昔からの政敵同士だ。鬼の居ぬ間にという言葉があるが、留守を狙ってやって来るという訳か。

 

「つまり、斉武宗玄が東京エリアに滞在している期間中、俺があのジジイの代わりにあんたの護衛をしろって事か?」

 

「はい、リムジンでの移動中は私の隣に、会談中は私の後ろに控えて私を警護して欲しいのです」

 

 聖天子の言い分は分かった。だが蓮太郎は少し腑に落ちないという表情になる。

 

「あんたには綾耶が居るだろ? わざわざ俺を雇わなくても、こいつ一人で下手な一個小隊より頼りになるぜ?」

 

 すぐ後ろに立っていたイニシエーターを振り返って蓮太郎が言う。綾耶は少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。

 

「真面目な場です。子供は連れて行けません」

 

 成る程、と蓮太郎は頷く。叙勲式の場で紹介するぐらいだ。聖天子とて綾耶を信じていない訳ではないだろうが、やはり制約は色々とあるのだ。直轄のイニシエーターとは言え同時にガストレアウィルスの保菌者であり子供でもある。それに聖天子付補佐官の菊之丞は超が付く呪われた子供たちの差別主義者。四六時中一緒に居て守るという訳には行かないらしい。

 

「それに綾耶以外にも護衛が居るだろ? 聖室護衛隊……だったか?」

 

「ええ、ちょうど紹介しようと思っていた所です。入ってきて下さい」

 

 聖天子が手を振って合図すると数名の男達が軍靴を踏み鳴らしながら記者会見室に入ってきて、一糸乱れずに整列した。彼等が着ている揃いの外套は、綾耶が羽織っている物と同じ特徴を持っている。彼女のは体格に合わせて改造が入っているので、寧ろこちらがオリジナルなのだろう。綾耶は聖天子のイニシエーターという立場上所属している特別隊員で、この男達が正規の隊員という訳だ。

 

「里見さん、こちらが隊長の保脇さんです」

 

 聖天子の紹介に合わせ、眼鏡を掛けた長身の美男子が進み出てきた。

 

「ご紹介に与りました保脇卓人です。階級は三尉、護衛隊の隊長を務めさせてもらっています。お噂はかねがね。もしもの時はよろしくお願いしますよ、里見君」

 

 笑顔を作って手を差し出してくるが、口は笑っていても目が笑っていない。あまり歓迎されていないと悟った蓮太郎は警戒心を強くする。

 

 両者無言のままで不穏な空気を感じ取った聖天子が何事か言おうとするが、その前に綾耶が動いていた。宙ぶらりんだった蓮太郎の手をぐいっと引くと、待っている保脇の手まで動かして強引に握手させてしまった。

 

「蓮太郎さん、握手もしないのは失礼ですよ?」

 

 窘めるような口調ながらいつも通りの笑顔で微笑む綾耶に、蓮太郎も些か毒気を抜かれた。取り敢えずは保脇三尉と握手を交わす。だがこの時、保脇は蓮太郎の手に指を回しただけで、決して掌を合わせようとはしなかった。やはり、快くは思われていないらしい。

 

「では、依頼を受けていただける場合は必要書類に記入の上、こちらに連絡して下さい」

 

 聖天子がそう言って目線で合図を送ると、控えていた秘書の女性が進み出てきた。鋭角的な眼鏡を掛けたその秘書は綾耶の傍を通る時に一瞬だけじろりと彼女を見て、そして蓮太郎の前に来ると一通りの説明の後に契約書を手渡した。

 

「私は次の予定が押していますので。綾耶、蓮太郎さんを送っていってください」

 

「はい、聖天子様」

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道、聖居の中を綾耶に先導されて歩きながら、蓮太郎はこの建物の建築様式がどうにも自分に合わない事を実感していた。審美眼の無さに泣けてくる。と、綾耶が話し掛けてきた。

 

「実は、聖天子様が急に蓮太郎さんに今回の話を持ち掛けたのには別の理由があるんです」

 

「別の理由?」

 

「元々、菊之丞さんは留守の間の事は保脇さん以下聖室護衛隊に一任されてたんです。ところが今朝、聖室護衛隊の隊員二人……城ヶ崎大胡さんと芦名辰巳さんが外周区で重態で発見されて、護衛の為の人員が足りなくなったんです。それで信頼出来る民警として、蓮太郎さんに白羽の矢が立ったんです」

 

「重態、っていうのは? まさか呪われた子供たちにやられたとか?」

 

 深刻な表情になる蓮太郎。もしそうだとしたら、これは「奪われた世代」が抱く憎しみをより強いものとする呼び水となってしまう。ましてや聖室護衛隊を害したとあっては、世論が呪われた子供たちの排斥へと大きく動きかねない。

 

「いえ、それが良く分からないんです」

 

「分からない?」

 

「ええ、二人ともかすり傷一つ負ってはいなかったんですが、代わりに髪が真っ白になった上に全部抜けてしまっていたらしくて……よっぽど怖い思いをしたみたいです。会話も成立しないので何があったのか皆目見当が付かなくて……」

 

「ふぅん……?」

 

 話しながら、綾耶は「あ」という言葉と共にはっとした表情になると、人差し指を唇に当てた。

 

「れ、蓮太郎さん。これオフレコでお願いしますね。守秘義務があるので……」

 

 それを聞いた蓮太郎はにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。しっかりした奴だと思っていたが、やはりこういう所はまだ子供だ。ステージⅣの大群を蹴散らしたりゾディアックを足止めしたりして今まで遠い世界の住人のように思えていた綾耶が、急に身近に思えてきた。

 

「ふふふ、どうするかな……聖天子様に言い付けてしまうか……」

 

「あわわ、そればかりは許してください。何でもしますから……」

 

 ちょっとからかい過ぎたか。蓮太郎は苦笑するとわたわた慌てる綾耶の頭に手を置いてわしゃわしゃと撫でてやる。

 

「それじゃあ今度、メシでも奢ってくれ」

 

 その言葉に、綾耶の顔はぱぁっと明るくなった。

 

「はい、それなら是非。延珠ちゃんも一緒に」

 

 こうして二人は笑いながら聖居を出る……とは、問屋が卸さなかった。柱の影から聖室護衛隊の面々がぬっと姿を現して、彼等は手にしていた銃を突き付けると蓮太郎を手近な男子トイレに連れ込んでしまう。綾耶もなし崩し的に一緒にトイレに入った。

 

「喚くな」

 

 そう言ったのは、腕を後ろ手に組んで尊大な態度でやって来た保脇三尉であった。

 

 どう考えてもこれは親睦を深めようという空気ではない。綾耶はそれを敏感に感じ取って……

 

「あー……保脇さん? 僕は教会出身だからってそういう趣味の人を否定したりはしませんけど、いくらなんでも最初がこんな所なんて……ちょっと、ばっちくないですか?」

 

「「「…………」」」

 

 物凄く気まずい沈黙が下りて、綾耶はいたたまれなくなった。場を和ませようとした会心のジョークだったのだが……思い切り滑ってしまった。和ませるどころか氷点下に凍て付かせ、ついでにより殺伐とさせてしまった感すらある。

 

 保脇は鋭い目で綾耶を睨んだが、もう彼女を無視する事に決めたらしい。蓮太郎に向き直る。

 

「里見蓮太郎、この依頼を断れ。聖天子様の後ろに立つのは僕の役目だ」

 

「何だと?」

 

「目障りなんだよ。何がゾディアックを倒した英雄だ。あの日、たまたまレールガンモジュールの傍に居たのが貴様だったというだけではないか。もしあの場に僕が居れば、僕がゾディアックを倒していた」

 

 一度言葉を切ると、一瞬だけ忌々しげな目を綾耶へと向ける。

 

「コレから聞いたかも知れないが、天童閣下は留守を僕に任されたんだ。本来なら、聖天子様の隣は僕のものだったんだ」

 

 この依頼は聖天子の一存であり、保脇は勿論菊之丞も関わってはいない。あのジジイが帰ってきてこれを聞いたらどんな顔をするかなと蓮太郎は思って、そして考えない事にした。

 

「あんたはいつもすぐ傍で守ってるだろ」

 

「バカめが、それと車中や会合での護衛を一緒にするな。そんな大役はお前みたいな奴には分不相応だと言ってるんだ」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい。蓮太郎さんも、保脇さんも!!」

 

 一触即発の空気を感じ取って、綾耶が二人の間に割って入った。

 

「護衛隊、民警、イニシエーターと立場は違っても、僕達は聖天子様をお守りする仲間でしょ? 仲間同士で喧嘩してどうするんですか!?」

 

 仲裁しようとした彼女だったが、これは業火にガソリンを注ぐ結果に終わった。保脇の頭に血が上って、顔が赤くなる。

 

「仲間!? 仲間だと!? 貴様みたいな赤目の化け物が僕達と同格だと!? 巫山戯るな!! 僕は貴様がその制服を着ている事も、この聖居に出入りする事も我慢ならないんだ!! ちょうど良い機会だ将城綾耶、貴様は今日限り、聖天子様のイニシエーターを辞めろ。そうしたら命だけは助けてやるよ」

 

 保脇が腰のホルスターから拳銃を抜いた。それを合図として、周りを固めていた護衛官達も一斉に銃をドロウする。蓮太郎と綾耶は顔を引き攣らせた。本気か? いくら人目が無いとは言え、聖居内で銃を抜くなど……

 

「あんた、そんなに俺や綾耶が聖天子様の護衛に付くのが気に喰わないのかよ」

 

 一瞬でも隙を見付けたらすぐさまXD拳銃を抜けるように身構えつつの蓮太郎の問いに、保脇は「それだけじゃない」と前置きすると、舌なめずりした。

 

「聖天子様はお美しく成長され、今年で16歳になられた。そろそろ、東京エリアにも次代を担う国家元首としての世継ぎが必要とは思わんか?」

 

 欲望丸出しの発言を受け、蓮太郎はもう保脇への嫌悪を隠そうともせず、綾耶も流石にドン引きしていた。いくら9歳児とは言え色々治安が悪い外周区の出身。その手の知識も自然と身に付いていた。

 

「せ……聖天子様が結婚する人は、聖天子様が選ばれます。保脇さんが聖天子様と結婚したいなら、真面目に仕事してコツコツと評価を積み上げてくべきだと思います。こんな所でこんな事したって、何にもなりませんよ。い……今なら誰も傷付けてないし何も壊してないから、大丈夫ですよ。この事は僕も蓮太郎さんも秘密にしますから……ね、蓮太郎さん!! だからこんな事は……」

 

 戸惑いながらもフォローを入れていく綾耶だったが、しかしまたしても逆効果に終わった。

 

「黙れ赤目!! 貴様に物を教えてもらおうとは思っていない!!」

 

「化け物風情が人間の言葉を喋るな!!」

 

「引っ込んでいろ、成り上がり者め!!」

 

 保脇や護衛隊の面々に限った話ではないが、奪われた世代がガストレア、ひいてはその因子を持つ者へ抱く憎悪・差別意識は根深い。彼等にとっては意見の正否などどうでも良く、呪われた子供たちである綾耶の言葉はそれだけで無条件の否定の対象なのだ。

 

「さて、里見蓮太郎。返事を聞こうか?」

 

「あんたの指図は受けねぇよ」

 

 保脇はその返事を受け、機嫌を悪くするどころかむしろ良くしたようだった。口の端をきゅっと釣り上げると、顎をしゃくって部下に合図する。

 

「腕と脚の骨を粉砕しろ。里見と赤目、両方だ!!」

 

 向けられている拳銃の引き金に掛かった指に力が入るのを感じ取って、蓮太郎は反射的にXD拳銃に手を伸ばす。抜き放った銃口が保脇の額に照準され、それを見た護衛隊員が動揺して動きを止める。瞬間、両眼を紅く染めて力を開放した綾耶が動いていた。パワー特化型イニシエーターの力で小便器の給水管を掴むと、ポスターを剥がすように壁からむしり取ってしまった。そのまま小便器を棍棒のように構える。

 

「そこまでです!! 全員、銃をしまって下さい!! さもないとコイツでブン殴りますよ!!」

 

 あんな物で殴られたら……!! 二重の意味で恐れをなして蓮太郎も保脇も護衛隊員達も、思わず息を呑んで銃を下ろした。おろおろとしている部下達を見て、我に返った保脇が「狼狽えるな馬鹿者ども!!」と一喝すると、憎しみに燃えた目で蓮太郎と綾耶を見た。

 

「殺してやる、殺してやるぞ!! お前ら二人ともな!!」

 

 捨て台詞と共に隊長が立ち去っていくと、他の護衛隊員もその後に続いて退出していく。残されたのは蓮太郎と、特別隊員の綾耶のみ。綾耶は小便器をぽいとトイレの床に投げ捨てると、手を洗ってから蓮太郎へと振り返って頭を下げた。

 

「すいません、蓮太郎さん……嫌な思いをさせてしまって……保脇さんも菊之丞さんが居ない事で気が立っているんだと思います。無理だとは思いますけど、どうか気を悪くしないでください」

 

「お前が謝る事じゃねぇだろ」

 

 ぶっきらぼうにそう言った後で、蓮太郎は同情的な表情になった。

 

「お前も苦労してんだな。色々と……」

 

 綾耶の事は(勿論本人の努力もあるだろうが)聖天子直轄のイニシエーターに抜擢されるという幸運に恵まれた子だと思っていたが、色々と苦労も多いらしい。無論、呪われた子供たちだという時点で周囲からの蔑視は当然あるだろうがと想像していたが、現実はもっと過酷なようだった。なまじ聖天子から厚遇されている分、風当たりも強いのだろう。

 

「まぁ……仕方無いですよ。大切な人を奪われたら、誰だって何かを憎まずにはいられないでしょうから」

 

 眼鏡を掛け直してどこか諦めたようにそう言う綾耶の頭に、蓮太郎は手を乗せた。

 

「蓮太郎さん?」

 

「綾耶、聖天子様に伝えてくれ。今回の依頼、受けるってな」

 

「ありがとうございます、蓮太郎さん。それじゃあ、アパートまでお送りしますね」

 

 入り口まで移動すると、綾耶は蓮太郎をおんぶして再び空を飛ぶ。

 

 飛び立っていくその姿を、聖居すぐ傍の噴水に腰掛けて、ぶかぶかのパジャマを着たプラチナブロンドの髪をした少女が見上げていた。その少女は寝ぼけ眼で、半開きの口を動かして呟く。

 

「空を飛べる人……見るのは二人目です……」

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、東京エリア郊外。そこは貨物コンテナが整然と積み上げられている場所だった。レンタルボックスというもので、値段は月8000円からとなっている。

 

 ここは不審者が入ってこられないよう一応のセキュリティとしてICカード式の無人ゲートが設置されていたが、しかし今回の闖入者は空からやって来た。空気の抜けかけた風船のようにふわふわと下りてきて、音も無く着地する。ソニアだ。

 

 デンキウナギの因子を持つイニシエーターである彼女は体内で高圧電流を発電し、多岐に応用する事が出来る。たった今、空から下りてきたのもこの力だ。電子を操ってイオノクラフトの原理でイオン風を作り出し、空を飛んだのだ。

 

 大地に降り立ったソニアは立ち並ぶコンテナを見渡すと、そっと手をかざした。かざしたその手を、一つずつコンテナへと向けていく。

 

 これは医者が行う触診に近い行為だった。医師が患者の体に触れて、指先に走る違和感から腫瘍を探すように。ソニアは今度は電気から作った磁力線を掌から放射して、コンテナの中身を走査していた。幸いにして探している品は金属だ。金属ならばその大きさや数は勿論、形に至るまでソニアは視覚に頼らず把握する事が出来る。

 

 一つ、また一つと手を動かしていく。どのコンテナにもいくらかの金属は入っているが、探している物とは違う。

 

「……ここも、ハズレかしら?」

 

 ぼやくようにひとりごちたその時、かざしていた手の動きがぴたりと止まる。

 

「ん!!」

 

 膨大な数の金属が収められているのを感じ取り、向けられた掌の先にあったコンテナへと近付いていくソニア。そのコンテナは差し込み式の鍵と番号入力によって開く形式になっている。無論、ソニアは合い鍵を持っていないしセキュリティナンバーも知らない。だが問題は何も無い。彼女はマスターキーを持っていた。金属製の扉である限り、どんな場所のどんな扉にも使える万能錠を。

 

 磁力でコンテナのドアを掴むと、軽く手を振る。それだけで頑丈な鋼鉄製のドアは、藁で出来ているかのように引き千切られた。ソニアはもいだドアを脇へと捨てると、中へ入っていく。内部は暗かったが、何も問題は無い。彼女がちらりと視線を動かすと、天井に据え付けられたライトが点灯した。電気を操るソニアは、電線や監視カメラの類がどこにあってどう走っているかが本能的に分かるのだ。今回はコンテナ内部の電線に、体内発電したエネルギーを流したのだ。

 

 明るくなった室内は、武器庫の様相を呈していた。

 

 拳銃、小銃、狙撃ライフル、ロケットランチャーにグレネードランチャー、対物ライフルにガトリングガンまで弾薬も合わせて床、壁、天井と余す所無く並べられている。

 

「ふん、ランドらしいわね。何が必要か分からないから、集められる物を集められるだけ揃えたって感じね」

 

 間違ってはいないが、無駄が多い。実際に仕事で使われるのは、この中のほんの一握りだろう。これだけの物を持ち込めば足が付くリスクも高まるだろうに。

 

「まぁ、足が付いても捕まるのはイニシエーターだけ。自分にはリスクが無いから出来るんだろうけど」

 

 吐き捨てつつ武器庫の中を検分していたが、やがて一丁のライフルに目を止める。手をかざすと10キログラム以上もある対戦車ライフルが浮き上がって、ソニアの20センチ手前の空間で静止した。彼女は空中でライフルをくるくる回しつつ、特徴を観察していく。

 

「バレット社製対戦車ライフル……」

 

 ティナの愛銃だ。間違いない。やはりこのコンテナの中身は、ティナの仕事をサポートする為にエイン・ランドのクズ野郎が送り付けてきた物だ。奴の、いつものやり口だ。ソニアはふんと鼻を鳴らすと磁力パワーを止めた。瞬間、対戦車ライフルは支える力の喪失によって床に落ちる。

 

 ソニアはコンテナの外に出ると、両手をかざして再びマグネティックパワーを発動させる。この武器が入っていたコンテナは三段に積まれた一番下だ。まず彼女が軽く右手を動かすと上の二段が空中に浮上した。次に左手を動かしてダルマ落としのように一番下の段を抜くと、それによって空いた空間にたった今持ち上げた上の二段をそっと下ろす。後は、未だ空中に浮いたままの武器庫コンテナの処分だが……

 

 軽く腕を引いて、ぐっと突き出す。その動作だけで数トンもあるコンテナは遠投で使われるソフトボールのように吹っ飛んで、やがて見えなくなった。

 

「これであのコンテナは東京湾にドボン……この会社の人には、後で損害額を補償しなくちゃ」

 

 ひとりごちるソニアは腕組みしつつ、思考を次の段階へ進める。

 

 これで、ティナの武器はいきなり殆どが無くなった。定石なら次はここで待機して、彼女がやって来るのを待つべきだろうが……しかし既に必要な分の銃はあの中から持ち出されている可能性もある。それにこのレンタルボックスの他にも、同じように武器が持ち込まれた場所があるかも知れない。ここで間抜け面して張り込んでいる間に聖天子が暗殺されたというニュースを聞くなど、笑い話にもなりはしない。

 

「まぁ、ターゲットは分かってるんだし、聖天子のすぐ近くで待ち伏せするのが確実かしらね」

 

 うんと頷いて考えを纏めると、ソニアは月に向かって飛び去った。

 


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