ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

12 / 42
第12話 神を超えた者達

 

 聖居の一角に存在する式典用のホールは、中央に伸びた大理石の階段に紅いカーペットが敷かれていて、左右には殆ど名前も知らないがいずれ各界の名士なのだろう着飾った連中がずらりと並んでいる。

 

 そんな空間に自分が居る事の場違い感に、礼服姿の蓮太郎は居心地悪そうに体を動かした。

 

 将城綾耶追撃・七星の遺産奪還作戦から数日が経過していた。

 

 残念ながら「七星の遺産」それ自体は何者か(恐らくはルイン達の仲間)によって持ち去られてしまっていたが、アレを使って喚び出す事が出来るステージⅤはスコーピオンのみであり、そのスコーピオンが撃破されているのだ。最善とは言えないが、次善の結果であるとは考えて良いだろう。

 

 そして今日は、スコーピオン撃破の功労者であり東京エリアの救世主となった蓮太郎の叙勲式であった。

 

 ゾディアックの撃破はこれで4体目だ。

 

 『金牛宮』(タウラス)は現在序列1位、世界最強のイニシエーターが撃破。

 

 『処女宮』(ヴァルゴ)は現在序列2位のドイツのイニシエーターが撃破。

 

 『天秤宮』(リブラ)は当時序列11位のアメリカのイニシエーターが相打ちで撃破。

 

 そして今回『天蠍宮』(スコーピオン)を蓮太郎が倒した。如何に天の梯子という強力な兵器を用いたとは言え、これは奇跡と言って差し支えない成果だ。東京エリアでトップクラスの人間達が集められるのも頷ける。

 

「里見さん、よく来られましたね」

 

 静かだが良く通る声が響いて、出席者達のざわめきがぴたりと止む。階段の上では、これまで玉座に腰掛けていた聖天子が立ち上がっていた。

 

 若き国家元首は微笑と共にゆっくりと階段を下りてきて、やがて蓮太郎と同じ高さに立った。

 

「お元気そうで何よりです」

 

「は、はい。おかげさまで」

 

 ここに来るまでに木更から何度も対応をシミュレーションさせられていたが、初めて実物の聖天子を前にするとやはり声が上擦ってしまっているのを、蓮太郎は自覚した。

 

「あの日、あなたのような有為の人材があの場にいてくれた事を、私は誇りに思います。里見蓮太郎、あなたはこれからも此処、東京エリアの為に尽力して下さいますね?」

 

 問いを受け、蓮太郎は古い時代の騎士のように膝を折り、忠誠を示す姿勢を取った。

 

「はい、この命に替えましても」

 

 聖天子は頷くと、さっと手を振って一同を見渡す。絶妙な間の取り方であった。

 

「里見さん。私とIISOは協議の結果、ゾディアックの一角たるスコーピオン並びに元序列134位の蛭子影胤・蛭子小比奈ペアの撃破を特一級戦果と認定し、里見・藍原ペアの序列1000位への昇格を決定しました」

 

 ホールが、どっと歓声に包まれる。

 

「里見蓮太郎、あなたはこの決定を受けますか?」

 

「はい、喜んで」

 

 聖天子が序列1000番を示すライセンスを差し出して、まだ義手が修復出来ていない蓮太郎が左手だけでおっかなびっくりそれを受け取ると、それを合図としてホールが万雷の拍手に包まれた。

 

 本来ならばこれで叙勲式は終わりの予定だったが……聖天子が咳払いを一つすると何か言い出そうとする雰囲気を察してか徐々に拍手が小さくなっていき、やがて完全に治まったのを見計らうと、彼女は再び口を開いた。

 

「そしてもう一人……本日この場を借りて、皆様方に紹介したい英雄がいます」

 

 そう言った聖天子がたった今降りてきた階段を振り返ると、その陰から綾耶が出て来た。最初からそこに控えていたのだろう。

 

 この晴れの席に呪われた子供たちが居るという事態に、場の明るさがいきなり三割は減ったように蓮太郎には思えた。

 

 式の出席者の中には序列30位の一色枢(流石に正装している)の姿も見えるが、東京エリア最高序列保持者である彼をして、パートナーであるエックスの同席は認められていない。これは奪われた世代が持つガストレアウィルス保菌者への潜在的な差別意識もあるだろうし、こうした場に子供を出席させられないという建前上の理由もあるだろう。

 

 特に、聖天子の補佐官であり東京エリア№2、実質的には最高権力者である天童菊之丞は呪われた子供たちの差別主義者として有名だ。いくら綾耶が聖天子直轄のイニシエーターという特殊な立場に在るとは言え、当初から彼女をこの場に同席させると聖天子が言い出していたのなら、菊之丞はあらゆる理由を挙げて、あらゆる手段を用いてそれを阻止しようとしたに違いない。

 

 逆に言うなら聖天子はそこまで承知の上で、だからこそ綾耶以外の他の誰にも秘密にして、彼女をこの席に参列させたのだ。この特例措置一つを鑑みても綾耶がどれほど聖天子の信頼を勝ち得ているか、推して知るべしであった。

 

「綾耶、あなたは今回、自ら反逆者の汚名を着てまでこのエリアを守ろうと尽力しました。あなたをイニシエーターと出来た事を、私は誇りに思っています」

 

 聖天子は傍らの秘書に目で合図すると、持たせていた勲章を手に取った。そうしてしゃがみ込んで綾耶と同じ目の高さになると、彼女の胸に勲章を付けてやる。

 

「これからも私と、東京エリアの為に力を貸してくれますか?」

 

「ぼ……私の命はイニシエーターにして下さった時から、聖天子様にお預けしております。如何様にも、お使い下さい」

 

 蓮太郎ほどではないにせよ固い声でそう答えると、彼と同じく膝を付いて主へと忠を示す綾耶。聖天子は頷くと、一同を見渡す。

 

 ここまでは蓮太郎の時と同じ流れだったが……そこからが違っていた。

 

 広いホールに、気まずいほどの沈黙が降りる。蓮太郎の時のような拍手も、喝采も起きない。

 

「……っ」

 

 蓮太郎は心中で「おいおい」とぼやいた。いくら呪われた子供である綾耶が気に食わないとは言え、ここは仮にも公の場だ。そうした感情を抜きにして拍手の一つでもするのが大人というものではあるまいか。

 

 ……とも、思うが実際にはこれは難しい所だ。ここで不用意に拍手を贈って綾耶を祝福でもしようものならそれはすぐに天童菊之丞の知る所となるだろう。この場の誰もが、彼に睨まれる事を恐れている。しかしこのまま何もしなければ、今度は聖天子の面子を潰した形になってしまう。

 

 偶然かさもなくば聖天子がそこまで計算していたのかは分からないが今やこの叙勲式は、盛大な踏み絵大会と化してしまっていた。鹿を見て、それを馬と答えるか鹿と答えるか。拍手するかしないか、支持するのは聖天子か天童菊之丞か。問われてしまっている。しかもこれは難問だ。拍手してもしなくても、自分にとって命取りになりかねない。

 

 政治家になるべく育てられた過去を持つ蓮太郎はそういった事情を全て読み取って、それでも自分一人ぐらいは拍手を送りたかったが孤掌は鳴らず。義手を喪失してしまっている今の彼には無理な相談だった。

 

 だが、その時だった。

 

 ぱちぱちと、乾いた音が鳴る。一点に集まった場の視線の先にいたのは、正装の上からでも容易に分かる鍛え抜かれた肉体を持った大男。枢であった。成る程民警である彼ならば、綾耶を祝福する事にも抵抗は少ないだろう。だが、枢に続く者は居ない。誰もが自分の隣の者と不安げに顔を見合わせるだけだ。

 

 と、不意にもう一つの拍手があらぬ方向から鳴る。そこに立っていたのは海上自衛隊第二護衛艦隊司令・白根一佐であった。彼はあの日スコーピオンと戦った自衛隊の代表としてこの場に招かれていた。しかしいくら艦隊司令官とは言え所詮は佐官、菊之丞の瞬き一つですげ替えられる首でしかない。彼はそれを全て承知の上で、それでも自分の頭で考えて両手を打ち鳴らしていた。

 

 そしてこれは切っ掛けにはなった。一人だけならば兎も角として、二人までもが拍手を始めたのだ。ここで間髪入れずに拍手すればもう誰が始めたのか分からず、聖天子に背くことなく尚かつ菊之丞からの追求を有耶無耶に出来る。赤信号も皆で渡れば怖くない。いくら天童を天童たらしめるあの老人とて、この場に集まったエリアトップクラスの人間全員を制裁する事は出来ない。そういった打算が働いて、一同は一斉に手を叩いた。

 

 こうして中々に生々しい内心が透けて見えるようで微妙な雰囲気の中、小雨のようではあったが一応の拍手がホールに響く。その中で聖天子は僅かな時間目を伏せて、そして自分のイニシエーターへと向き直った。

 

「綾耶、残念ながらあなたは正規のイニシエーターではないので序列の向上などはありませんが、今回の功績を鑑みて私から特別報酬を与える事は出来ます。試しに言ってみて下さい、あなたの望みは何ですか? 流石に何でもとは言いませんが、可能な限りそれを叶えられるよう尽力します」

 

「特別報酬……」

 

 綾耶は鸚鵡返しして、ほんの僅かだけの思考の後、頷いた。望むもの。それは、決まっている。

 

「僕……いえ、私の願い事は……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、叙勲式が行われているホールからやや離れた通路を、菊之丞は護衛も付けず一人歩いていた。如何に此処が聖居の中とは言え彼ほどの地位にある者が護衛の一人も付けずに不用心なと言われそうなものだが、老いたりとは言え彼は天童流を修めた身。下手なSP十人よりも彼一人の方が余程強力なセキュリティだと言えた。

 

 ふと、背後に人の気配を感じて振り返る。

 

「ぬっ……」

 

 老人の巌のような顔に、僅かな動揺が走った。

 

 柱の陰から姿を見せたのは誰あろう彼自身、天童菊之丞その人だったからだ。背丈、顔つき、背筋の伸び具合、床に落ちた影の形に至るまで寸分違わない。いきなりこの場に鏡が置かれたのかはたまたこれが噂に聞く生霊(ドッペルゲンガー)というものなのか。まさか生き別れの双子の弟が居たとでも言うのだろうか。

 

 無論、事実はそれらのどれとも違う。菊之丞はそれを知っていた。

 

「立場や権威って便利ね。どんなにセキュリティが厳重な場所でも、顔パスでOKなんだもの」

 

 そう、もう一人の菊之丞が話した。良く通る女の声で。

 

「猿芝居はその辺りで良かろう……ここへは社会見学に来た訳ではあるまい? 七星の亡霊ども……!!」

 

 男声の菊之丞のその言葉を合図に、女の声を発した菊之丞の全身がさざ波たって、身長は少しばかり縮んで肩幅も小さく変わる。顔に刻まれたシワが消えてたくわえていた髭も皮膚の中へと埋没してしまう。身に付けていた白袴は白いワンピースドレスとその上から羽織った白衣へと変化した。

 

 もう一人の菊之丞が変身したその姿は先日影胤・小比奈ペアを従えていた女、ルイン・フェクダと瓜二つの女性だった。姿形は勿論、科学者のような白衣を除けば着ている衣装も同じだ。

 

「一応聞いておくが……貴様は何番目だ?」

 

「七星の“番外(アルコル)”……私はルイン・アルコル。元デビルウィルス研究室長、と言った方があなた達には分かり易いかしら?」

 

「貴様が……!!」

 

 ルインがニヤリと笑い、彼女の全身が再び波打って、今度は影胤と同じ姿になった。

 

「今回、影胤を使った一連の騒ぎ……あなたの思い通りにならなくて残念だったわね?」

 

「何の事だ」

 

「別に隠す事はないでしょう? 今更、特に私達には」

 

 影胤に扮するルイン・アルコルはまるでオリジナルのように「ヒヒッ」と笑う。

 

「そもそもの目的はあなたの主が推し進めているガストレア新法……呪われた子供たちの基本的人権を尊重しようという内容の法案ね。あなたは何としてもそれの成立を阻止したかった。だから影胤と接触して、七星の遺産の奪取を依頼した。そしてその後、意図的にその情報をマスコミへとリークする……それが本来の筋書きね。エリアを滅ぼすようなテロに呪われた子供たちである小比奈ちゃんが関わっている事が分かれば、法案の成立を望む者など誰一人として居なくなるからね」

 

 だが、誤算があった。その一つがルイン達の存在だった。影胤が彼女達と組んでいる事など、菊之丞には全くの想定外だった。もしあらかじめ知っていたとしたら、彼はそもそもこんな計画を実行しなかっただろう。影胤だけならいざ知らず、ルイン達は劇薬として扱うには危険に過ぎる存在だった。

 

「私達にとっても七星の遺産は何としても手に入れたい物だったから、影胤からその情報を聞けた時は渡りに船だったわ。だから私達からは三番(フェクダ)が七星の遺産を横取りしようと動いていた」

 

 しかし封印指定物が保管されていたのがモノリスの結界の外側、未踏査領域だった事が原因でトラブルが発生した。何の事はない、菊之丞が七星の遺産を取りに行かせた部下の一人がケースを回収した帰り道にガストレアに襲われて体液を注入され、辛うじてモノリスの内側へと辿り着いたがそこでガストレア化してしまったのだ。影胤達が追い、外周区で綾耶が倒したモデル・スパイダーはその部下の成れの果てだ。

 

「そしてもう一つ……最大の誤算があの子……綾耶ちゃんね」

 

「……」

 

 ぎりっと、歯軋りする音が廊下に響いた。

 

「聖天子は独自にケースを回収する為に、綾耶ちゃんを動かしていた。それを知ったあなたは影胤に綾耶ちゃんからケースを奪うよう指示を出したけど、それが良くなかった。聖天子が直轄のイニシエーターへと下した命令の内容を知る者は限られているから、身内の中に裏切り者が居る事を悟った綾耶ちゃんはケースを回収した後、聖居に戻らず未踏査領域へと逃亡した。それを知ったあなたはこれ幸いと、今度は小比奈ちゃんの役を綾耶ちゃんへと変更して、マスコミにリークする計画に切り替えた。『身に余る厚遇を受けておきながら、その恩を仇で返した恥知らずの赤目』……って感じのシナリオでね」

 

 しかしその情報のリークもまた、聖天子が敷いた報道管制によって封じられた。菊之丞は最後の手段として影胤によるステージⅤの召喚をも容認した。十年の時を経て、世界にガストレア大戦の恐怖を思い出させる為に。ルイン達としてもステージⅤの召喚それ自体は自分達の目的と合致していたので、それに乗る事にしたのだ。

 

「でも、それすらもが失敗に終わった。まぁ、ガストレアの脅威を再び思い出させるという点については成功したと言えるかも知れないけど、ガストレア新法を潰すという目的の方は……寧ろ逆効果に終わったわね。たった一人でスコーピオンに立ち向かった綾耶ちゃんは、今やこのエリアを救った英雄の一人……今回の一件で、少ないながらも奪われた世代で彼女を認める人も、現れ始めているわ」

 

 叙勲式で百の批判も菊之丞の怒りも恐れずに綾耶を祝福した白根一佐などは、その典型と言えるだろう。

 

 燕尾服を着た道化師の姿が、再び白衣を着た美女に変わる。

 

「そんなに赤目が……呪われた子供たちが、憎い?」

 

 自分の双眸を紅く輝かせ、ルイン・アルコルが尋ねる。

 

「無論だ」

 

 あらゆる感情を押し殺した無表情で、菊之丞が返した。

 

「十年前のあの日、人という種がこの世界から駆逐されようとした。あの虫けらどもの血を引くガキどもが何食わぬ顔をして街を歩いているこの今を、どうして許せると言うのだ? 奴等もお前達も同じ、この世全てを滅ぼす悪魔だ。それに人権を与えるだと? 巫山戯るな!! あの戦争は、十年前に終わってなどいない。今この時も続いているのだ。我々かお前達赤目か、どちらかが滅び、どちらかが未来を掴み取るまでな」

 

「あなた達にそれを言う資格は無いわよ、人間」

 

 はん、と、ルインの一人は鼻を鳴らす。

 

「私達は最後まで反対していた筈よ? まだ『アルディ』は、次の段階に移るには早過ぎる。迂闊な実験などするべきじゃない。失敗は絶対に許されないから、とね。その忠告を無視してパンドラの箱を開いたのは、あなた達だという事を忘れたの? その結果が、今の世界じゃないの」

 

「……貴様は、それほどまでに我々が憎いか? ステージⅤを召喚し、大絶滅を起こそうとしたのは我々への復讐のつもりか? 自分達の研究は、人々を幸福に導く為だったのにと」

 

「いいえ」

 

 ルイン・アルコルは微笑を返した。

 

「今では私達全員、心の底からあなた達に感謝しているわ。今のこの世界は、地球を受け継ぐ新たな種……『星の後継者』が生まれる為の土壌としてはこの上無い環境だからね……あなた達人間の暴走が無ければ、この世界は生まれなかったのだから。私達のやり方では、何百年経とうが今の世界にはならなかったでしょうね」

 

「き、貴様……」

 

「まぁ、それでも……私達の紅い目を人間が恐れるのは自然な感情ね」

 

 くっくっと、アルコル、北斗七星の脇に存在する添え星のコードネームを持つルインの一人は喉を鳴らした。

 

「いつの時代もそうね。人間は自分達と違うもの、自分達が理解出来ないものを恐れて、憎む」

 

 彼方は此方と違う。あなたと私は違う。それはあらゆる争いの根底にあるものだ。

 

「でも、喜んでよ。もうすぐその必要も無くなるわ。少なくとも……呪われた子供たちを恐れ、憎む必要はもう無くなる……その意味が消滅すると言った方が正しいかしら……? 人間、あなたは未来を掴み取ると言ったけど……未来なら与えてあげるわ」

 

「……どういう意味だ?」

 

 ルイン・アルコルは再び喉を鳴らした。とても素敵な事が起こっていて、それを知っているのが自分だけだという愉悦を彼女は楽しんでいる。

 

「神様の仕事はあまりにも時間が掛かり過ぎる……とだけ言っておこうかしら」

 

 急激に眼前のルインの気配が薄くなるのを感じて、菊之丞は懐中の銃へと手を伸ばす。しかしその銃口を紅い目をした女性に向けるよりも、その女性が彼の前から消える方が早かった。ここで言う消えるとは立ち去ったという意味ではない。文字通り菊之丞の目の前で、ルインの姿が掻き消えたのだ。これはルイン達が持つ進化の能力によって獲得した力の一つなのだろう。皮膚の色素を変化させ、カメレオンのように景色に溶け込んだのだ。

 

 菊之丞は咄嗟に壁を背にして油断無く上下左右に目を配ったが、襲撃の気配は無い。

 

「未来……だと?」

 

 危険が去った事を悟った天童の長は大きく息を吐いて、呟く。ルイン・アルコルは確かにそう言った。だが言っていない事もあった。滅びと、死を司る七星を為す星々のコードネームを持った女達が導く未来の先に在るのは楽園なのか、それとも地獄なのか。ルイン・アルコル(番外)……八人目の七星は、語らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 叙勲式から数日の後、蓮太郎と木更、延珠の天童民間警備会社の全員、そこに綾耶を加えた4名は東京エリア39区を歩いていた。

 

 延珠の正体が呪われた子供たちであると露見した事で、通っていた勾田小学校からは退学せざるを得なくなった。となると転校先を探さねばだが、人の口に戸は立てられないとは良く言ったもので、蓮太郎は近隣の小学校を当たってみたが、どこも適当な理由を付けて入学を断られた。中には「親には自分の子供を赤目と同じ学校に通わせたいか、決める権利があるべきです」とまで言われた所もあった。

 

 外周区の学校に通わせるという案は木更が発案者だが、これを聞いた時に蓮太郎は最初は難色を示した。仮にも保護者である彼としては、延珠には出来るだけレベルの高い学校へ通って欲しいというのは偽らざる本音だった。

 

 しかし同時に無視出来ないものは、その学校が延珠にとって居心地の良い場所であるかどうかだ。一度蓮太郎は延珠に尋ねた事がある。学校は楽しいかと。相棒はすぐに答えた。最高だと。

 

 その時、自分に向けられた笑顔を見た時には保護者冥利に尽きる思いがしたものだったが……本当は、あの時も延珠は無理をしていたのではないかと今の蓮太郎には思えた。学校に通う為には、当然呪われた子供たちである事を隠さねばならない。それは友達に常に嘘を吐き続けているという事で、延珠の中には常にその負い目があったのではないかと。外周区の、呪われた子供たちの為の学校ならば少なくとも正体を隠す必要は無くなる。

 

 そう考えていた所に綾耶が訪ねてきて、事情を話すと彼女はすぐに自分の実家の教会を校舎兼寄宿舎として使っている東京エリア第39区第三小学校を紹介してきた。これまでは一連の事件の発端とも言えるモデル・スパイダーのガストレアがエリアに潜伏しているという情報から教師と生徒は下水道に避難していたが、ちょうど今日からは学校が再開される予定であった。

 

 紹介してきた綾耶が延珠の親友である事と、結局は何を置いても延珠の居心地が一番という結論に至って、蓮太郎は延珠の転校先をそこに決めたのだった。

 

「……って訳で菫先生からの検査結果によると、浸食率は延珠が28.5パーセント、綾耶が30.1パーセント。二人とも前回の検査時から少し上がってしまったから、能力の濫用は避けるようにとの事だ」

 

「うむ、肝に銘じよう」

 

「ステージⅤと戦ったんです。浸食率以前に命があっただけで儲けものですよ」

 

 兎と象のイニシエーターは、それぞれのコメントを蓮太郎に返しつつ談笑しながら学校への道を歩いていく。

 

「……それでさっきの話の続きですけど、正規のイニシエーターではない僕は聖天子様にお願いして、特別報酬を頂いたんです」

 

「あぁ、俺も聞いていたけど……結局、何を貰ったんだ?」

 

 蓮太郎のその問いに、綾耶はにっこりと笑って「その質問を待ってました!!」という顔になる。

 

「ふふふ……もうすぐ分かりますよ」

 

 そう言っている間に、教会が見えてきた。

 

「ほらっ」

 

 綾耶が指差して、その先を見た3人の中で延珠が真っ先に「おおっ」と息を呑んだ。

 

 屋根に開いていた穴は明らかに素人仕事ではない補修が施されていて、あちこち割れていた窓ガラスは、全て真新しい物へと変えられていた。明らかに最近、専門的な業者による修理が行われている。

 

 驚いているのは延珠だけではなかった。教会の正門では十数名の子供たちと、二人の大人が立ち尽くしていた。

 

「や、みんな」

 

 慣れた様子で手を振る綾耶に気付くと、子供たちはわっと群がってきた。

 

「お姉ちゃん、見て!! 学校が綺麗になってるよ!!」

 

「それに、こっちには新しい服も届けられてるのよ!!」

 

「聞いてよ、あややお姉ちゃん!! 今度の学校はシャワーが使えるんだよ!! 食堂にはテレビもあるの!!」

 

 綾耶が聖天子に望んだ報酬が何だったのか、もう問うまでもなかった。蓮太郎は木更と顔を見合わせて、笑い合った。

 

 と、教会の前に立っていた二人の大人が蓮太郎達に気付いて近付いてくる。松崎老人と、琉生だ。

 

「ご無沙汰しています、里見さん。その節はどうも」

 

「ど、どうも。こちらこそ……」

 

 この老人には先日、延珠共々世話になっていたので蓮太郎はぺこりと頭を下げる。

 

「で……今日は何の御用……って、聞くのも野暮かしらね。そちらの、延珠ちゃんの転校手続きかしら?」

 

 進み出てきた琉生が、蓮太郎のすぐ後ろに立つ延珠を見て言った。この女性の察しの良さに、説明の手間を省かれた蓮太郎は差し出された申し訳程度の入学書類に必要事項を記入していく。

 

「それにしても今日は色んな事がある日だね。教会がリフォームされていた事もあるが、転校生が一日に3人も来るなんて」

 

「3人?」

 

 松崎老人のその言葉に、木更が反応した。綾耶は元々ここの生徒で、通うとすれば復学する形となるので転校とは違う。

 

 つまり、後二人転校生が居るという事になるが……

 

「よぉ、兄ちゃん。こんな所で会うたぁ奇遇だな」

 

 聞き覚えのある野太い声に振り返ると、そこには今まで幾度か会った偉丈夫が、腰ぐらいの背丈の女の子と手を繋いで立っていた。序列30位「鉤爪(クロウ)」一色枢とエックスのペアだ。

 

「一色枢……なんであんたがここに……」

 

「いやぁ、俺もエックスをそろそろ学校に通わせてやろうと思ったんだが……俺達のペアは顔が知れすぎているから受け入れ先が中々見付からなくて……で、ここにって訳さ。書類は既に受理されているぜ」

 

「……よろしく」

 

 モデル・ウルヴァリンのイニシエーターは無表情で無愛想ながら礼儀正しく頭を下げる。彼女が3人の転校生の一人。

 

「じゃあ、後一人は……」

 

「またお会いできましたね、里見さん、延珠さん、そして……綾耶さん」

 

 またしても別の方向から、聞き覚えのある声がする。蓮太郎と延珠、それに綾耶がそろって見たそこに居たのは、あの日未踏査領域で出会ったイニシエーター。モデル・ドルフィン、千寿夏世だった。プロモーターである伊熊将監は先日の作戦の中で、ルイン達によって殺されている。通常、相方を失ったイニシエーターは身柄をIISO預かりとされるのだが……これもまた、綾耶が聖天子にねだった報酬の一つなのだろう。

 

「夏世、お主もこの学校へ?」

 

「はい、延珠さんにエックスさん、綾耶さん。これからよろしくお願いします」

 

 子供たちが親交を深めているのを横目で見ながら、琉生と枢、ルイン・ベネトナーシュとルイン・ドゥベは視線を交わす。交錯したその一瞬だけ、二人の両眼が紅く光り、そして誰も気付かないまま元の色へと戻った。

 

 瓦礫に腰掛ける綾耶は新しい学友と自分を慕う子供たちを見詰めながら、眼鏡を掛け直す。

 

 全てが終わった訳ではない。

 

 残り7体のステージⅤ、ルイン達、依然強く残る呪われた子供たちへの差別意識。

 

 問題はあまりにも多く、世界は今尚深い闇の中に在る。

 

 でも、それでも。いや、だからこそ。明日をきっと、今日より良い日にする為に。自分はこれからも戦い続けるのだろう。

 

「大丈夫、僕は一人じゃない」

 

 聖天子様がいる。

 

 延珠ちゃんがいる。

 

 蓮太郎さんも、木更さんも、夏世ちゃんも、エックスちゃんも、学校のみんなも。

 

 松崎さんも、琉生先生も、枢さんも。

 

 だから、きっと大丈夫だ。輝かしい未来を、綾耶は信じる事ができた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。