ブラック・ブレット 星の後継者(完結)   作:ファルメール

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第10話 決着

 

「ガストレアウィルスの適合因子……だと? そんなもの……」

 

「ある訳が無い、というのは少し短絡思考だと思うけど?」

 

 蓮太郎の台詞を先取りして、ルインが言う。

 

「別にそこまでおかしな話じゃないでしょ? 私達が今、当たり前のように吸ったり吐いたりしている酸素だって、昔は生き物にとって猛毒だった。けどある時、酸素を取り込み、効率の良いエネルギーとする事が出来る生物が生まれた。彼等は他の生物を圧倒して繁殖し、世界を席巻した。それが私達の、遠いご先祖様ね。突然変異(ミューテーション)……これは進化という事象そのものとも言えるわ。そういう意味では、人間は一人残らず変異体(ミュータント)とも言えるわね。もし突然変異が起きなかったら、私達は今でも木の上で仲間のシラミ取りでもしているでしょうよ」

 

「それは……僕も、学校で勉強しましたけど……」

 

「うん」

 

 綾耶の言葉に機嫌の良い笑みを見せて、ルインが頷く。

 

「同じように、ガストレアウィルスに感染してもガストレア化せず、ウィルスの力を自分の物とできる人間がいても不思議じゃないでしょ? 寧ろ自然じゃない? 何しろ大戦前には人類は80億も居たのよ? 仮に適合因子の持ち主が1000万人に一人の割合だとしても、ざっと800人居た計算になるわね。まぁ、居たとしてもその時点では普通の人間だから、ウィルスを注入される前にガストレアに喰い殺されたり、戦時中・戦後の混乱の中で人間に殺されたりして、発見されずに死んでいった者が殆どでしょうね」

 

「その生き残りの一人が、お主だと……!?」

 

 固い声で尋ねる延珠に、ルインはもう一度「うん」と頷いて話を続ける。

 

「……まだ信じられないようだけど、他の人なら兎も角、あなたがそれを言うの? 延珠ちゃん」

 

「? どういう……」

 

「あなた達、呪われた子供たちは不完全とは言え生まれながらガストレアウィルスへの抑制因子を持っている。それは人間の中に、ガストレアウィルスへ適応する要素が潜在的に存在する事の何よりの証じゃない? まだ眠っているその因子が、強く発現したのが私達だと考えれば……そこまで突拍子もない話とも思わないけど」

 

「む……」

 

 思わず、反論する言葉に詰まって口ごもる延珠。

 

 上手く言いくるめられたような気はするが、有り得るかもとは思ってしまった。

 

「じゃあ……そっちのは……」

 

「私はこいつ等の一人から、“てきごーいんし”を移植されたの」

 

 と、小比奈。

 

「……番外(アルコル)の……あぁ、私達の仲間の一人だけど、そいつが私達の体から抽出された適合因子を移植してからそれなりに経つけど、検査では小比奈ちゃんの浸食率は0.1パーセントの上昇も無いわ」

 

 本当だという確証は何一つ無いが、しかし嘘だとしても縋ってみたくなる魔力がその言葉にはあった。何故なら、

 

「分かる? ガストレア化に怯える事無く、生まれ持った力を湯水のように使う……私達と来るなら、それが出来る」

 

 後者は兎も角として、前者は恐らく全ての呪われた子供たちが望んで止まないものだ。どれだけ欲しても手に入らない筈のもの。生きられない筈だった時間。それが手に入るのなら……!! 十中八九嘘だとは思う。だが万に一つでも、本当であったのなら……!?

 

 思わず鳴った唾を飲み込む音は、誰のものであったのか。

 

「私も、同じ意見だね。君が本当に延珠ちゃんの事を思うのであれば、我が王の……私達の元へ来るべきだ、里見くん」

 

 ここで、影胤が口を挟んできた。

 

「我が王が与えて下さる未来は寿命という意味の未来だけではない。断言しても構わない、今のままでは我々や呪われた子供たちには暗い未来しかないよ? 良いように使い潰され、用済みになれば殺される。最初は登録制度、次には収容所に送り込まれ、最後は一人残らず地上から駆逐されるだろう」

 

「ふざけんじゃねぇ!! 俺達機械化兵士と延珠や綾耶を一緒にするんじゃねぇっ!!」

 

 湧き上がった激情に、蓮太郎が吼えた。

 

「こいつらは人間だ!! ただの十やそこらのガキなんだ!! こいつらの未来は、明るくなきゃ駄目なんだよ!!」

 

「ならば思い出したまえ!! 君の相棒が呪われた子供たちだと露見した時、周りの者の反応はどうだった?」

 

「っ!!」

 

 思わず、言葉に詰まる。影胤は畳み掛けるように続ける。

 

「祝福されたか? 鳴り止まぬ歓声に心を洗われたか? 歓喜の内に胸に抱き留められたか?」

 

 どれ一つとて無かった。排斥の視線と罵声を浴びせられ、ただ突き放された。

 

「前にも言ったろう? 君がいくら奴等に奉仕した所で、奴等は君を何度でも裏切る……!! だから君達は私達と共に……」

 

「あっははははははは!!!!」

 

 影胤の言葉を遮ったのは、綾耶の笑い声だった。右手をさっと挙手して、胸を張り上げて爆笑している。

 

「何がおかしいのかね?」

 

「おかしいですよ、裏切る裏切らないなんて、今時そんな事でガタガタ言ってるなんて」

 

「……何だと?」

 

 怪人の声から、あらゆる感情が消えた。思わず両手に持ったカスタムベレッタの銃口が上がりかけるが、脇から伸びてきたルインの手がそれを止めた。

 

「まぁ、聞いてみようじゃないの。綾耶ちゃん、あなたの言葉の意味、説明してもらおうかしら?」

 

 白い女性は視線で続きを促す。それを見て、綾耶は漸く笑い止んだ。

 

「その手の問答に対する結論は、半世紀以上も前に出ているんですよ。まぁ……学校に通ってた時に先生に見せてもらった昔の特撮番組の受け売りですけどね」

 

「へぇ? 是非聞きたいわね」

 

 ルインが、少し興味深そうな表情を見せた。それを受けた綾耶は咳払いして、

 

「……『優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いを助け合い、どこの国の人達とも、友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが、何百回裏切られようと』」

 

「「「「…………??」」」」

 

 少しだけ気恥ずかしそうに語られたその言葉に、この場の4人までは一斉に沈黙した。互いにパートナーと顔を見合わせる。ルインだけは、呆れたような困ったような表情で頭を掻く。そして、ぼそりと呟いた。

 

「七番(ベネトナーシュ)の仕業か……そういやあいつ、昔からヒーローとか好きだったわね。私も色々見せられたわ」

 

 その言葉は、すぐ傍の影胤や小比奈も含めて、誰にも届かなかった。

 

「どれだけ仲間や守るべき人達に裏切られても、自分が裏切らなければそれで良い。大切な事は、それだと僕は思ってますけど?」

 

「それで、自分達を憎む者の為に、戦い続けるのかね? それは、愚かであり無駄だ」

 

 影胤はそう断じるが、綾耶は首を横に振った。

 

「そうは思わないな、僕は僕達の未来に希望を持ってる。きっと、未来は明るいと信じてるよ」

 

「……所詮は、子供か」

 

 溜息と共にそう溢す。甘い幻想にしがみついて、類い希なる力を使い潰すのか。仮面の向こうの顔は、きっと失望に彩られているだろう。

 

「根拠無く言ってる訳じゃないよ」

 

「ほう?」

 

 試すように、影胤は相槌を打った。あるいは少しだけ、次の答えに期待していたのかも知れない。

 

「まぁ、これも僕の先生から教えてもらった事だけど」

 

 と、前置きする綾耶。

 

「昔の世界では、今の世界では犯罪とされている事が国家単位で公然とまかり通っていた時代があったでしょ。奴隷制度とか、麻薬売買とか……それは今の世界では野蛮な行為で、疑う余地の無い犯罪だとされてる。だから……今のこの時代を、ガストレア因子を持った子供たちを差別していた恥ずかしい時代だったと振り返る日が、未来にはいつか来ると思うんだ」

 

「性善説かね?」

 

 影胤は甘い睦言を聞いたように笑うが、皮肉は綾耶には通じていなかった。元気よく頷く。

 

「人は少しずつでも良い方向に進んでいくって、琉生(るい)先生は教えてくれました。例えそれが自分の中の“恥”を、自分にも他人にも見えない所へ隠すだけだとしても、それでも、ちょっとずつ。だから、ルインさん……あなたみたいな事をしなくても、きっと人間はより良い存在になる事が出来るよ」

 

「……そう、かも知れないわね」

 

 ルインは認めた。これは意外な反応だったらしい、影胤や蓮太郎が彼女を見る。

 

「でも、それでは遅すぎるのよ。その前に人間はこの星を喰い潰すか、内輪もめして自滅するわ」

 

「うん、そうだね」

 

 今度は、綾耶がルインの言葉を認めた。

 

「だからそうならいように。そうなる前に世界と人間が変わるように。毎日生まれてくる呪われた子供たちも含む一人でも多くの人が幸せになって、そして僕も幸せになる為に。その為に僕は、僕の力を使うんだ!!」

 

 聖天子のイニシエーターは微塵の迷いすらも振り切って澄んだ強い瞳で、世界を滅ぼす者達を見据える。

 

 蓮太郎は、ぐっと両の拳に力を入れた。生身の手と、超バラニウムの手。その二つに、今まで感じた事が無い力が宿っているのを感じる。

 

 たった今語られた綾耶の心。どこまでも真っ直ぐで、強く、優しく、曇り無き想い。たった9歳の少女が何を想い、どんな生き方をすればこのような結論に辿り着くのだろう。その生き方を貫く事はどれほどに困難で、どれほどの意思とどれほどの情熱とどれほどの力を必要とするのだろう。

 

 蓮太郎には分からない。だが、一つだけ分かった事があった。いや、思い出せたと言うべきか。

 

 延珠も同じだった。思い出せた。そして本当の意味で理解出来た。

 

 馬鹿馬鹿しい程に簡単なのに、いつの間にか忘れかけていた事が。

 

「蛭子影胤……さっきの申し出だが、改めて断らせてもらうぜ」

 

「……理由を、聞かせてくれるかね?」

 

 ぐっと、蓮太郎は義手を伸ばして拳を影胤に向ける。

 

「俺達はお前が忘れてしまったものの為に戦っているからだ」

 

「私が忘れてしまったもの……それは、何だと言うのだ?」

 

 蓮太郎はその問いを受け、傍らのパートナーへと視線を落とす。無言のまま延珠とアイコンタクト、互いに笑みを見せて頷き合う。

 

「俺達のこの力は、何かを殺す為じゃねぇ。全てを守る為の力だって事だ!!」

 

 民警として、無辜の市民を守り、正義を遂げる。大切な事だとは分かるが、今の今までそれがどういう事なのか分かってなかった。それを、蓮太郎と延珠は言葉ではなく心で理解した。

 

「……そう、か」

 

 くだらないと一蹴されるとばかり思っていただけに、影胤のこの反応に蓮太郎は少し戸惑ったようだった。

 

「私が間違っていた。里見蓮太郎、君と私は同じ存在だと思っていた。だが、違っていた」

 

 魔人が纏う殺気が濃くなった。再び両陣営が激突する時が近いのを感じ取って、蓮太郎、延珠、綾耶、小比奈がそれぞれ独自の構えを取って戦闘に備える。

 

 蓮太郎は気付いていなかったが、この時初めて影胤は彼をフルネームで呼んだ。その、意味する所は。

 

「これより先は機械化兵士同士の戦いでもなければ、プロモーター同士の戦いでもない。ここからは、世界を滅ぼす者と世界を守る者との戦いだ」

 

 眼前に立つ少年を、対等の敵として認めたという事だった。

 

「私も同じね……綾耶ちゃん」

 

「はい?」

 

 警戒は解かないまま、ルインの呼び掛けに綾耶が返す。

 

「ベネ……いえ、その琉生って先生は良い生徒を持ったようね。私は、あなたの選択が賢いとは思わないけど……でも同時に、勇気ある選択だと思う。私は自分の選んだ道が間違いだとは思ってないけど、あなたの優しさもまた本物だと思う。尊重するわ。故に」

 

 ざあっ、と長く白い髪が風になびき。真紅の両眼がかつてない程に輝く。

 

「ここより先は……『七星の“三(フェクダ)”』……このルイン・フェクダが。本気でお相手するわ」

 

 女王の顔から常に浮かべていた微笑が消えて、厳しい表情になった。言葉通り、これよりは全力を以て戦う事の証。

 

「それでは」

 

 穏やかな声だった。銃声でもなければ、指で弾いたコインが落ちる音でもない。合図と言うにはあまりにも静かなそのゴング。

 

 それを耳にして、両陣営の先駆けとして延珠と小比奈がどちらもコンマ1秒も後れを取らずに駆け出した。蹴りと小太刀、互いに得手の違いこそあれインファイトを得意とする二人のイニシエーターはものの一秒で対手へと肉迫、バラニウムの武器がぶつかり合い、甲高い音が響く。

 

 動いていたのは二人だけではない。蓮太郎と影胤は互いに逆方向へと円を描くように動き、互いのパートナーへと援護射撃。連射した銃声は長い一発のそれに聞こえて、XD拳銃と二丁のカスタムベレッタの弾倉は、ものの数秒で空になる。

 

 リロードはしなかった。もう、延珠と小比奈の距離はゼロで、目まぐるしく立ち位置を入れ替えながら戦っている。これではパートナーを援護しようにも、逆に誤射で傷付けてしまう。

 

 銃を放り捨て、円の軌道から一転、眼前の機械化兵士へと突進する。どのみち、蓮太郎には銃口の角度から弾丸の軌道を見切る義眼があり、影胤には工事用クレーンの鉄球ですら止める斥力フィールドがある。二人とも、相手を拳銃で仕留めるのは難しい。

 

 こうなれば勝敗を分かつ要素は極めて単純だ。機械化兵士としての力と、磨いた技と、鍛え抜いた肉体。それら全てを総合した強さが蓮太郎と影胤、いずれが勝っているか。

 

「これで終わりだ、我が奥義をお見せしよう!!」

 

 斥力フィールドの蒼い燐光が、影胤の右掌へと集中していく。通常のバリアではない、拡大させたフィールドで相手を押し潰す『マキシマム・ペイン』でもない。

 

「エンドレス・スクリーム!!」

 

 収束した斥力エネルギーが一点より解き放たれ、光の槍となって突き出される。

 

「天童式戦闘術・一の型十五番!!」

 

 自分の体など紙のように貫くだろう恐るべき破壊力を前に、蓮太郎は迎撃の構え。義手が稼働し、カートリッジを排出。瞬間、彼の右腕は爆発的な加速を得てまさしく砲弾と化す。

 

「雲嶺毘湖鯉鮒(うねびこりゅう)!!」

 

 互いの最強の矛がぶつかり合い、天地がつんざくような衝撃が走った。

 

 最後に残った二人の内、先に動いたのは綾耶。

 

 両腕に最大量にまで溜めた空気に最高の圧力を掛けて、噴射。竜巻かと錯覚する風が吹き荒れる。その風圧を受けて木々は根本から引っこ抜かれ、地面は抉れ、人の営みが消えて脆くなっていた建物が崩れていく。

 

「ふん!!」

 

 自分めがけて飛んできた木片を手を払って砕いてしまうと、ルインは周囲を見渡した。綾耶の姿は舞い上がった砂埃に隠されて、見えなくなっている。

 

「ここまでは……予想通り」

 

 ルインの力である進化は、負荷に適応する能力。どんな攻撃でも通用するのは最初の一撃だけで、二撃目以降は肉体がその威力に対応し、耐えられるだけの防御力を獲得して無力化する。

 

 つまり、彼女を倒せるかどうかは一撃を決められるかどうか、決められたとしてそれで仕留められるかどうかと同義となる。

 

 よって綾耶は如何にして最高の一撃をクリーンヒットさせるか、ルインは如何にしてそれを防ぐかが勝敗の肝。

 

 この暴風と飛来物は、ルインの注意を逸らす為の作戦だ。飛んでくるゴミや瓦礫に気を取られた一瞬を狙って、スピード特化型並みの速さにパワー特化型の力を乗せて叩き込んでくる。

 

「その一撃が……いつ来るか? どこから来るか?」

 

 そして、どのようにして防ぐか。頭脳をフル回転させ、あらゆる攻撃パターンを想定して身構えるルイン。彼女はもう、飛んでくる物体を避けたり防ごうとはしなかった。回避行動を取れば避けているそこを狙われるし、止めたり払ったりする為に手足を使えば、一瞬だけ攻撃を防ぎきれない箇所が発生する。それを見逃す綾耶ではあるまい。

 

 煉瓦、石、木片。

 

 あらゆる方向からあらゆる物が飛んできて、ルインの体のあらゆる箇所にぶつかる。だがここでも彼女の進化能力が発動し、二発目の衝突からはびくともしなくなった。

 

 だがそれでも、飛来する物体の陰は死角になる。

 

『恐らく……綾耶ちゃんはその死角から仕掛けてくる……!!』

 

 そうと分かれば、備える事は出来る。いくら9歳児の綾耶が小柄であろうと、その体を隠せるぐらいの大きさの物体となると限られてくる。飛んでくる中で小さな物は意識から除外し、ある程度の大きさを持った物にだけ注意する。

 

 ボロボロの看板、すり切れたポスター、大きめのコンクリート塊……

 

「……そこか!!」

 

 直感で、たった今正面から飛んでくるコンクリートへと意識を集中する。瞬間、そのコンクリートが微塵に砕けて、砂のような破片をくぐって綾耶が姿を現した。たった今障害物を砕いたのは、左手のパンチ。そして次こそが本命。超至近距離での、利き腕での渾身の一撃。

 

「……!!」

 

 これは、生半な事では受けられない。今にも繰り出されるであろう綾耶の右拳には、自分の力に絶対の自信を持つルインをしてそう判断させるに十分な威力が内包されているのが感じられる。

 

 両腕を十字に組み、完全防御態勢。

 

「っ!!」

 

 綾耶の表情が引き攣った。不意を衝いて無防備な所に最高の一撃を決める筈だったのが、ルインはそれを読んでガードを固めていた。

 

 南無三。こうなれば防御の上からでも打ち破って砕くのみ。クロスガードブロックに、最大加速からの鉄拳が叩き込まれ……

 

 べきっ、べきっ、ぐちゃっ!!

 

 気持ちの悪い音がルインの両腕から鳴って、しかも殺し切れなかった衝撃が腕を伝って胴体にまで達し、胸骨にまでひびを入れる。

 

「ガッ……ごぼっ……!!」

 

 ルインの表情が歪み、血の塊を吐き出す。綾耶の渾身の一撃は、ガードの上からでも常人であれば致命傷はおろか悪くすれば即死させるほどの威力を叩き出していた。

 

 だが、そこが彼女の力の限界点だった。ルインは、常人ではない。呪われた子供たちと同じ、ガストレアウィルスの保菌者。破壊的なダメージを受けたとしてもウィルスによってもたらされる再生能力がすぐに治癒する。そして彼女の固有能力である進化は既に綾耶の攻撃の威力を学習し、肉体に耐性を付与している。

 

 今の一撃が綾耶の最強の一撃であった事は間違いない。つまり、もう綾耶にはルインを倒す術は無い。

 

 勝利が、確定した。ルインの指の爪が20センチも伸びて硬質化、スパイクのような凶器に変わる。

 

「終わらせるわよ……」

 

「僕が、ね」

 

「!?」

 

 ルインと目が合った綾耶は、笑っていた。諦めや絶望から来る自嘲の笑いなどではない。寧ろその逆、テストで前日に予習していた問題がそのまま出た時のような不敵な笑み。考えていた事がそのまま嵌った時の……!! まるで、立てていた作戦が寸分の狂いもなく上手く行ったような……!!

 

 何か、ヤバイ。そう悟ったルインは身をかわそうとするが、遅かった。

 

 雲の中から飛び出してくる飛行機のように、綾耶の長い黒髪を“幕”としていた死角の向こう側から何かが飛び出してくる。瞬間、衝撃と共にルインの胸に、熱さが走った。

 

「がはあっ!?」

 

 ルインの口から、先程に数倍する量の鮮血が吐き出される。視線を落とすと、胸に中程から折れたバラニウムブラックの刀身が突き刺さっているのが見えた。

 

「小比奈ちゃんの、刀……!!」

 

 してやられた。最初から、綾耶の全力パンチはフェイクだったのだ。竜巻のような風は瓦礫やゴミを巻き上げて目眩ましとする為ではなく、寧ろそれ自体が目眩ましだった。

 

『折れた刀の切っ先を風に乗せ……自分の体を死角とする軌道でコントロールし……正確に私の胸めがけて打ち込んできた!?』

 

 少しでも風の操作を誤れば、自分の背中に刃が突き刺さるかも知れない曲芸じみた技を、綾耶はやってのけたのだ。バラニウムの刃は、ルインの心臓を貫いていた。彼女の再生能力は呪われた子供たちと同じようにガストレアウィルスに由来するもの。故にバラニウムの武器ならば、攻撃が通れば通常の武器よりも有効打と成り得るのだ。

 

 だが、まだ終わっていない。

 

 ルインの手が綾耶の右腕を掴む。

 

「逃がさない……!!」

 

 まだ、一撃を放つ力は残っている。

 

 このような状況下に於いても進化の能力は健在だ。綾耶の拳も圧縮空気のカッターもバラニウムの刃も、もうルインには通じない。何か他に武器でも持っているなら話は別だが綾耶は丸腰、最後の一手が足りない。ルインを、倒しきれない。

 

 だが次の瞬間、綾耶は自由になる左手を動かし、五指を揃えて空手でいう貫手を自分の腕の付け根に叩き込んだ。

 

「ぐっ……!!」

 

 指先が肉に食い込んで、食い縛った歯の隙間から声が漏れる。

 

 ズズズ……と、自傷行為で生まれた傷口に当てた手から異音が鳴る。ちょうど、少なくなったジュースをストローで吸い上げるような。

 

「っ、なっ……!?」

 

 武器は、あった。とっておきのものが。

 

 まるで居合いの剣のように、”紅い刃”が綾耶の傷から引き抜かれる。

 

 傷口から腕へと自分の血を吸い上げ、圧力を掛けて一点より放出する事で完成する血の刃。比重の差から圧縮空気のカッターなどとは比較にならぬ破壊力を持つ。

 

 振るわれたその斬撃は、ほんの刹那だけルインに先んじ……彼女の右腕を、斬り飛ばした。

 

 これが、決め手になった。綾耶の腕を掴んでいたルインの手から力が抜けて、二人の距離が離れる。ルインはその場にがっくりとくずおれて、綾耶は1メートルばかりの間合いを開けると、武道の残心の如く油断無く身構える。

 

「……影胤が、聖天子の事を無能な国家元首だと言っていたけど……その評価は間違っていたわね……少なくとも人を見る目はあるわ……」

 

 腕を失い、胸に刃が突き刺さったままのルインはへたりこんだまま、吐血で口元を真っ赤にしながら、それでも笑いながら言った。

 

「自分の血を吸い取って武器に変えるかしら、フツー……私とあなたの間にあった覆しがたい筈の力の差を、命を削って埋めに来るなんて……聖天子は、良いイニシエーターを選んだわね」

 

「こうでもしないと、僕じゃあなたには勝てないですから……」

 

 綾耶の顔色は、悪い。それも当然、この未踏査領域に足を踏み入れてからこっち、単身でガストレアの群れとの戦いを四度も経て、そのままこの戦いに突入。今日はもう一日中戦っているのだ。保菌するガストレアウィルスの恩恵があるとは言え肉体・精神ともコンディションは最悪に近い。加えてたった今、武器として使う為に大量の血を体から抜いたのである。立ち姿は微妙にぐらついて、目も焦点が少し怪しい。

 

「見事ね、将城綾耶……あなたの勝ちよ」

 

 吹っ切れたような微笑と共に、ルインが告げる。その時、二人からやや離れた所から爆音が響いた。反射的に視線を向けると、ちょうど蓮太郎が繰り出したオーバーヘッドキック『隠禅・哭汀(いんぜん・こくてい)』、しかも超バラニウム義足に仕込まれたカートリッジを全弾開放して究極の爆速を得た一撃が影胤の障壁を突き破り、彼を海へと吹っ飛ばして巨大な水柱を立たせて沈めたのが見えた。

 

「そんな……パパァ……パパァ……いやよ、パパァ……」

 

 同じものを見た小比奈は手にしていた小太刀を取り落とし、がっくりと膝を付いて戦意喪失。この時点で、ルイン達の陣営は全員が戦闘不能となったのに対し、蓮太郎達3人は全員が健在。勝敗は決した。

 

「確かに、勝負は私達の負けのようだけど……」

 

「?」

 

 含みを持たせた言い方に、綾耶は首を傾げる。

 

 だが数秒の間を置いて、言葉の意味が分かった。

 

「!?」

 

 びくりと、怖気が走ってあらぬ方向に視線を向ける。視界の端に見える蓮太郎や延珠はまだ勝利の余韻に浸っているようで、気付いていない。それも無理のない所ではある。空気を自在に操る綾耶であるからこそ、大気に含まれていた微かな、だがおぞましいほどの違和感に気付く事が出来たのだ。

 

「これは……!?」

 

「少しばかり、遅かったわね。天蠍宮(スコーピオン)……八尋ちゃんが、来るわ」

 


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