さて、前回は意味深な引き方だったわけですが・・・
今回は、西方海域編のまとめ的な何かです。大したことは何もしてません
鎮守府工廠の建物が見えてくると、出撃ドックに立つ人影も確認できるようになってきました。こちらを見守るようなその人影に向け、わたしは主機の出力を上げます。
バルコニーのように張り出している出撃ドックの見張り所に立つ司令官は、わたしと目が合うと、安堵したような表情を見せました。背筋を伸ばす彼の敬礼に応えた後、わたしも笑って見せます。
ドック内で艤装の火を落とし、脳波リンクを解きます。外した艤装は格納庫へと収納されていきました。
被弾で傷ついた艤装が格納されていく様子を、わたしはただ黙って、見ていました。さっきまで一二・七サンチ連装砲を握っていた右手を、開いたり、閉じたり。
わたしは、今、ここに立てている。
ドックを出ると、頑丈な扉の前で、司令官が待っていました。彼が優しく微笑みます。暖かく、それはどこか、忘れかけた兄に似た笑顔。
「おかえり、吹雪」
その一言を聞いた瞬間、抑えていた何かが、わたしの中で弾けました。
「司令官・・・司令官っ!」
わたしは、司令官に思いっきり抱き着いていました。鍛えられたその胸にしがみつくように。司令官の制服が汚れてしまうかも、なんて考えつかないくらいの勢いで。
怖かった。その一言だけは、必死に口の中で堪えました。それを言ってしまった時、きっとわたしは、ここに来た意味をなくしてしまう。艦娘になった決意をなくしてしまう。
・・・いえ、多分理由は、もっと単純だったんです。
その一言を口にしたとき、優しい司令官が、どうするかなんてわかっていましたから。
わたしは、兄の面影を重ねてしまった彼から、離れたくなかった。
言葉を堪えた分、震えと涙が止まらなくて。顔を上げるわけにもいかず、わたしは司令官の制服に顔を埋めていました。
その時。暖かい手が、わたしの頭を撫でました。そっと、髪でも梳かすような、優しい触れ方。
「おかえり。・・・よく、帰ってきてくれた」
きっと司令官には、わたしのことなんてお見通しで。それをわかっていて、それ以上何も言わなかったんだと思います。
わたしが顔を上げられるようになるまで、司令官はただずっと、頭を撫でてくれました。
あの時から。艦娘になって、司令官と出会って、戦い始めて。
わたしは、強くなれたんでしょうか?誰かを守れるほど。大切なものを護れるほど。
確証はありません。それでも、今はずっと、自分のことを信じることができるようになった気がします。
◇
統合海軍省から届けられた書類に目を通し、執務用の眼鏡を外した提督は、安堵に近い深い溜め息を吐いた。
「・・・なんとか、なったみたいだな」
この難しい案件をまとめ上げた先輩情報将校の力に、改めて感服する。これで普段がふざけていなければ、どれほど素晴らしいことか。
「『独立艦隊』の件ですか?」
提督の呟きを拾ったのは、給湯室からお盆に乗せたお茶とお菓子を運んでくる赤城だ。リ号作戦が終結したため、秘書艦業務も普段と同じシフト制に戻っている。
ただ、二、三週間ほど秘書艦を頼みっぱなしだった大和には、労いも込めて二日間の休暇を与えていた。一方、長門や赤城といった、リ号作戦に参謀役として参加した、秘書艦のシフトに入っている艦娘にも、交代で二日ずつの休暇を与えることになる。今日は長門が、外出申請を出していた。
赤城も、昨日休暇から戻ったばかりだ。近場の温泉に行っていたらしく、同日付で何人かの空母艦娘も休暇申請がされていた。
暖かいお茶を差し出す彼女に礼を言い、提督は話を始める。
「ああ。こちら側の要求を、受け入れさせることができた。これも、リ号作戦の成功あってのことだ」
「しかも、西方艦隊への大打撃という、おまけつきですからね。これも『独立艦隊』からの協力あってのことですし、上も認めざるを得なかった、ということでしょうか」
「そもそも、彼女らをこの鎮守府の指揮下に加えること自体が、根拠に乏しい。そんな無理を通そうとすることが、どだい間違っている」
―――ビスマルクは、うまくカードを切ってくれた。
リ号作戦艦隊が窮地に陥った段階で、『独立艦隊』が加勢していなければ、彼女らの意志がここまで強く反映されることもなかっただろう。最も効果的なタイミングで、ビスマルクは限られたカードを切り、そして最大限の効果を得たことになる。
「ふぉれへ、ふぇいほふ」
「・・・変わらないね、赤城は。口の中のものをなくしてからしゃべりなさい」
ばつの悪い顔をした赤城は、それでも実においしそうに、お茶請けの温泉饅頭を頬張っていた。
咀嚼を終えた赤城が、お茶で一息をついてから、話しだす。
「提督は、どうするおつもりですか?今後、『独立艦隊』との、付き合いを」
「・・・さて、どうしたものかな」
『独立艦隊』は、鎮守府で生活することになる。彼女たちとの間で、技術協力がなされることも、近々正式に決定されるはずだ。彼女たちのための新宿舎も、間もなく増設工事が始まる。
一方で、彼女らが自らの祖国―――欧州へと帰りたがっているのも事実だ。『独立艦隊』にとって、あくまで鯖日本は、仮の住まいである。
「そのあたり、話し合っていかなければならないとは思ってる。彼女たちにも、考えはあるだろう」
それだけ答えて、提督も饅頭に手を伸ばした。パクリ。口に含んだそれは、柔らかく、甘い。こしあんのしっとりとした甘さが、お茶を求める。
「・・・助言、という形が、一番平和的でしょうか」
「まあ、波風は立たないだろうね」
まずは一息を吐いてからだ。事を急いても、いいことはあるまい。彼女たちには、今しばらくの時間が必要であろうと、提督は判断していた。
「それに、独立艦隊にばかり構ってもいられない。今の鎮守府は、戦力がすっからかんの状態だ。これを早急に立て直すことに加えて、北方の守りも固める必要がある。当分は、深海棲艦よりも書類と戦うことになりそうだね」
「秘書艦の責任重大ですね」
赤城が微笑む。その笑みに、提督も自然と表情を綻ばせた。
「・・・お饅頭、もう一個もらってもいいですか」
「どうぞ」
◇
工廠に通してもらったビスマルクは、艤装の整備をしている作業服姿の整備員の中に、見知った顔を見つけた。否、見知ったという言い方は、語弊があるだろうか。西方海域の作戦において、共に戦った仲だ。
「フブキ・・・?」
ビスマルクの声に気づいたのだろう。腕まくりをしたツナギの上からエプロンをかけた駆逐艦娘が振り返る。随分と使い込まれた様子のエプロンには、油性の汚れが染みついていた。
「ビスマルクさん?」
作業の手を止めた吹雪は、手に嵌めていた軍手を取ると、ツナギのポケットに突っ込む。首にかけた手拭いで汗を拭いながら、テクテクとこちらへやって来た。
「工廠の見学ですか?」
「いえ、そういうわけではありません。こちらに預けている自分の艤装を、見ておこうかと」
答えたビスマルクに、吹雪が苦笑する。
「えっと、そんな堅苦しくなくて、大丈夫ですよ?」
「・・・そう。それじゃあ、遠慮なく」
やはり、不思議な魅力のある少女だ。歳の頃はレーベやマックスたちと変わらないはずだが、幾分か大人びているようにも、あるいは幼くも見える。戦場においても、彼女の存在感は別格だった。
「フブキは何をしていたの?」
「ビスマルクさんと同じです。自分の艤装を見に来たんです」
普段は整備員に任せているのだが、大事な作戦が終わった後は、必ず、自分で整備を行っているという。
「わたしたちの艤装って、船の魂そのものなんですよね。だから、何かの区切りの時に、『ありがとう。またよろしく』って。・・・えへへ、誰かに言うと、ちょっと恥ずかしいですね」
そんな話をしながら、工廠の中を歩いていく。ビスマルクの艤装は、戦艦娘の艤装をまとめて収容している場所に、並べられていた。
構成要素に曲線の多いチンジュフ戦艦娘の艤装と違い、ビスマルクのものは直線的で鋭い印象を抱かせる。機能的なこのデザインを、ビスマルクは気に入っていた。
その艤装には今、一六インチ砲弾による大穴が、数か所穿たれていた。グレーを下地とした迷彩の艤装は、所々がへこんだり、焼け焦げたりしている。“ペーター・シュトラウス”艦内で簡単な整備は行ったが、本格的な修復作業はこれからだ。
高速修復材の使用も考えたが、“ペーター・シュトラウス”艦内の備蓄量が少なかったこと、チンジュフにおける量産体制確保への研究材料として一定数を残す必要があったことから、結局使っていなかった。
「・・・手酷く、やられてるわね。まあ、相当に無理した使い方をしたし、仕方のない事ではあるけれど」
全体を見回し、損傷個所に触れる。めくれ上がった装甲が、戦闘の激しさを物語っていた。
「ビスマルクさんのおかげで、みんな無事だったんです。本当にありがとうございました」
ペコリと頭を下げる吹雪に、今度はビスマルクが苦笑してしまう。礼を言うのは、こちらの方だというのに。
「恩返しなんて、大仰なことを言うつもりはないわ。貴女たちは、危険だと知りながら、私たちを助けに来てくれた。私たちは、命の恩人を、助けたかった、ただそれだけよ」
もちろん、それだけが理由ではない。こちらでの発言力を少しでも高めるため、あの状況を利用したことは事実だ。それでも、政治的な理由だけで動くほど、ビスマルクたちは理性的ではない。
「ありがとう、フブキ。アキツマルから話は聞いているわ。私たちを助けるために、貴女がアキツマルに頼み込んできた、と。貴女の強い想いがなければ、きっと私たちは、今ここにいない」
ビスマルクは頭を下げる。彼女自慢の長い金髪が、視界の先に垂れていた。
「そんな、わたしは何も!顔を上げてください!」
突然のことに、吹雪は随分とうろたえている様子だった。顔を上げると、目の前の彼女の顔が、どこか赤い。
「わたしは、ただ・・・助けられるチャンスがあるのに、何もしないのは、嫌だっただけです」
小さき勇者は、それを誇ることもなく、照れたように頬を掻くだけであった。
「貴女には・・・いえ、貴女たちには、そのチャンスをものにするだけの強さがあった。やり遂げるだけの勇気があった。とても素晴らしいことだと思うわ」
実際、吹雪たちの練度は恐ろしいほどに高かった。
「わたしは、もう誰かを失うのは嫌なんです。大切なものを守り切れないのは、嫌なんです。・・・司令官は、とっても優しい人だから。きっと、何かを失った時に、その責めも責任も、すべて背負い込んでしまうから。そんな司令官は、見たくないんです。だからわたしは、大切なものを守れるだけの力が、欲しかった」
一度、怒られちゃいましたけど。そう言った吹雪の表情に、ビスマルクは自らの妹を重ねる。決意に満ちた穏やかな表情のまま、今も眠り続ける妹の表情を。
―――そう・・・この娘も。
例えどれほどに危険なことだとわかっていても。それでも、吹雪は大切な何かを守りたかった。そのために、禁じられた手を使った。
ともすればそれは、危険すぎる決意。ある種の脆さを伴った力。
ビスマルクは吹雪を抱き締める。ビスマルクの肩ほどしかない吹雪の背。その顔が、すっぽりと胸元に収まる。
「・・・ビスマルクさん?」
「貴女は・・・本当にすごいわ、吹雪」
以前、アトミラールが言っていたことを思い出す。チンジュフを支える、一人の駆逐艦娘のこと。チンジュフの提督が、最も厚い信頼を置く、駆逐艦娘。
吹雪の、非常に強い想いが、この艦隊を支えているのだ。
―――私も、これから一人で、『独立艦隊』を支えていかなければならない。
私にできるだろうか?今でさえ精一杯なのに。吹雪と同じだけの強い想いが、私にはあるだろうか。
答えを探そう。まだ、時間はあるはずだ。
そんな決意を胸に、ビスマルクはしばらく、吹雪を抱き締め続けた。
二年も書いてるこのシリーズ、今年こそは物語の終幕に向けて頑張っていこうと思います
色々とまだ出してない設定とか、諸々の説明とかありますが・・・書ききれるのか
しばらくは、そうした状況整理的な話が続くかと思われます
それでは、また次回お会いしましょう