何を思ったか、一か月以上の間が空いている・・・
リ号作戦も、いよいよ大詰めとなってまいりました
どうぞ、よろしくお願いいたします
出撃用のドックは、新品らしいペンキの匂いと、すぐ近くの海の匂いがしました。
六つある出撃ドックのレーンのうち、第一レーンにわたしは立っていました。艤装はまだ装着していません。わたしが立つ出撃レーンの後ろ、艤装格納庫に繋がる通路から、わたしの艤装は引き出されてきます。
「待たせたな」
天井のレールから吊るされた艤装と一緒に、工廠長が通路から出てきました。わたしの背後に、艤装が準備されます。
「艤装装着準備完了」
『艤装の装着に入ってください』
ドックを見渡せる位置から、司令官がこちらを見守っています。直後、わたしの背中に、艤装が密着しました。
最初に装着されるのは、機関部を収めた基礎部分。大きな登山リュックぐらいの大きさがあります。背中に装着し、肩紐を通します。
脳波リンクシステム(?)もこの時点で構築されます。艦娘が艤装を扱うための、基礎技術です。詳しい理論はよくわかりませんが、要するにこの“吹雪”の艤装を、わたしの思った通りに動かせるようにするシステムだそうです。
次に装着されるのは、大腿部の魚雷発射管、その台座です。主砲や発射管、予備魚雷は、一番最後に準備します。
「どうだ?異常はないか?」
工廠長の問いかけに、わたしは頷きました。
「よし。これより、兵装の装着に移る」
脳波リンクは、全ての艤装を装着した段階で接続されます。
残された兵装が、わたしの艤装に装着されていきます。三本の魚雷を収めた発射管が、両足に。予備の魚雷と弾倉、そして肩紐のついた主砲。全ての装備品が、わたしの艤装に接続されました。
「アイドリングは終わってる。すぐに、脳波リンクに入る」
工廠長に頷いて、わたしは目を閉じました。
「脳波リンクシステム起動。脳波リンク構築」
特に痛みや、変な感覚はしません。次に目を開いた時、脳波リンクの機動が正常に終わったことが、目の前に表示されます。表示、とは言っても、実際には電気信号が私の脳に直接送られて、映像として認識されているだけですけど。
続いて、各部の状態。機関出力、回転数、残弾数。それらの状態を確認して、艤装の―――そして出撃の準備が整いました。
「ありがとうございました」
わたしのお礼に、工廠長は不敵に笑ってドックを後にします。直後、ブザーが鳴って、注水が始まりました。
「トリム調整」
注水に伴って、ドックの底面を離れ、水面に浮き始めたわたしは、バランスを取る作業に入ります。やがて、出撃レーンへの海水の流入がストップします。
全ての準備は、整いました。
『支持架を外す。バランスに注意』
それまで艤装を天井からぶら下げていた指示架が解除され、わたしは艤装の機関出力だけで海に浮かびました。
『ハッチ開放』
最後に、ドックの扉が開かれます。それまで蛍光灯の白い光だけで照らされていた建物の中に、鮮やかな太陽の光が差し込みます。わたしは思わず、目を細めました。
『・・・吹雪?』
司令官の声に、我に返ります。引きつりそうになる声を、グッとお腹に力を込めて抑え、大声で答えました。
「吹雪、出撃準備完了です!」
『了解した。吹雪、抜錨せよ』
「吹雪、抜錨します」
司令官の指示に応え、わたしは主機を回しました。回転によってかき分けられた水の反作用が、わたしを前へと進めます。ハッチの向こう、陽光がきらめく大海原へと。
飛び出した海面から後ろを振り返ると、出撃ドック外側のハッチ上部にある見張り所から、司令官がこちらを見ていました。背筋が伸び、鮮やかな敬礼を決めます。
―――行ってきます。
その敬礼に応えて、わたしはさらに速力を上げ、迫る深海棲艦の邀撃へと向っていきました。
◇
一人でいるのは、怖かった。
なぜならいつも、隣には彼女がいたから。すぐに飛び出していく、お転婆で、目が離せなくて、とっても頼りになる姉妹がいたから。
艦娘になってからも、ずっと一緒だった。彼女はいつもそばにいて、私を守ってくれていた。
それに甘えていた自分にも、気づいていた。
だから、今。彼女がいないことが、何よりも怖い。これから、たった一人で戦うことが怖い。
五度目の全力斉射を浴びせかけながら、鳥海は全身を蝕む恐怖と戦っていた。背中には嫌な汗がじっとりと流れて張り付き、呼吸が上がっているのもわかる。ともすれば必死に踏ん張る足から力が抜けて、この場にへたり込んでしまいそうだ。
できるならば。許されるならば、今すぐに反転してしまいたい。満身創痍の姉妹艦に抱き着いてしまいたい。
―――できない。
奥歯を噛みしめ、その感情を堪える。今の私にできるのは、摩耶に代わり戦うこと。目の前の敵艦隊を止めること。
そんな鳥海の決意をへし折らんばかりに、リ級改の砲撃が降り注ぐ。まだ二度目の射撃だというのに、その精度は恐ろしく高い。それもそのはず、すでに彼我の距離は一万を割っているのだから。
リ級改に対して、三射目で命中弾を得ていた鳥海は、すでに装弾機構の許す限りの全力斉射に移行している。摩耶と同じ、両腕に一基ずつを備える二〇・三サンチ連装砲を構え、絶叫と共に砲炎を迸らせる。
けれどもその砲撃が、リ級改に有効なダメージを与えた兆候はない。相変わらずの堅牢っぷりを発揮する敵艦を睨みつけ、鳥海は六射目を放った。
入れ替わりに、リ級改も発砲し、お互いの砲弾が上空で交差する。立ち上る水柱。至近弾の弾片が艤装に当たる。心をかきむしる、甲高い異音だ。
『鳥海!』
通信機から聞こえてきた声にハッとする。よもや摩耶が戻って来たのか、と。
『遅れてすまない。これよりヤスも戦闘に加わる』
だが違った。声の主は、摩耶の良きライバルであり、ヤスを率いる重巡洋艦娘、那智であった。凛とした声は、摩耶とは違った意味で頼りになる。
しかし、鳥海に安らぎを与えるものではない。
「お願いします!」
鳥海の声に応えるようにして、ヤスに所属する二人の重巡洋艦娘―――那智と足柄が発砲する。これで三対一。さしものリ級改とて、この数の差をひっくり返すことはできまい。
『吹雪!十八駆の三人(不知火は被弾により退避)を増援する!』
鳥海たちの前方で、軽艦艇を相手取る駆逐隊に、那智が言う。しかし、十一駆の司令駆逐艦娘である吹雪は、それを明瞭に否定した。
『いえ、こちらはもう片付きました!これより、リ級改へ肉薄雷撃を敢行します!十八駆は温存してください!』
『・・・わかった。幸運を祈る』
『はい!』
鳥海が八度目の砲撃を繰り出すのとほとんど同時に、吹雪たちが加速した。白波が噴き上がり、四人の駆逐艦娘が一本の槍となって、海上を疾走する。その姿を、どこか羨望に似た眼差しで、鳥海は見つめていた。
リ級改の砲撃が降り注ぐ。命中弾炸裂の衝撃が艤装を震わせ、鳥海は歯を食い縛った。すでに一射前で命中弾を得たリ級改は、鳥海と同じく全力斉射に移行している。
―――負けない!
それでも鳥海は、前を見て、リ級改を睨む。禍々しい青を宿した瞳を、真っ直ぐに睨む。
再装填の終わった主砲を構え、鳥海は第九射を放った。
*
疾駆する風は、十月だというのに夏の気配がする。それもそのはず、この辺りの気候は一年を通して温暖で、秋が深まりつつある鎮守府とは違うのだ。
それでも、高速力を発揮することで生じる風は、急速に体温を奪う。艦娘としての加護が体温は保っているが、髪を激しく揺らす確かな風を、吹雪は感じていた。
「取舵一杯、針路一九五!」
通信機に吹き込み、すぐに舵を切る。吹雪についてくる白雪、初雪、深雪もまた、同じように変針するのがわかった。
接近する敵水上部隊前衛部隊に付き従っていた軽艦艇を、持ち前の練度と連携で蹴散らした十一駆の四人は、今まさに味方重巡部隊と撃ち合うリ級改へと、突撃を敢行していた。彼我の距離はすでに七千。いまだに、敵弾が飛んでくる気配はない。
おそらくは、摩耶との撃ち合い、そして今なお繰り広げられている三隻の重巡洋艦娘との砲撃戦で、軽艦艇を迎撃する両用砲の類があらかた撃ち砕かれてしまったのだろう。
―――どうするかな?
取れる手段は限られてくる。そしてそれぞれの状況でどう対処するべきかを、吹雪含めた十一駆全員が共有していた。
「真っ直ぐ突っ込む!両舷一杯!」
小細工不要と決めた吹雪は、機関出力を最大まで上げた。脚部艤装が海面を切り裂き、飛び散った飛沫がまるで霧のように尾を引いていく。かき混ぜられた海水が、白い航跡となって吹雪たちの後ろに伸びていた。
「距離六〇(六千)!投雷距離は四○!」
『『『了解!』』』
吹雪の指示に、三人が威勢よく答えた。
酸素魚雷対応の発射管には、全員が換装済みである。両の太ももに一基ずつ計二基六門据えられたそこに装填されているのは、九三式改と呼ばれる、短射程高速型の水雷戦隊用酸素魚雷だ。
投雷の射角計算やタイミングは、従来のものと変わってくるが、その辺りの訓練も不足ない。まさに鬼に金棒、十一駆に持たせて、これほど恐ろしい兵装もあるまい。
両舷一杯の吹雪たちが発揮する速力は三四ノット。二千の距離を詰めるのに、二分とかからない。
左手斜め前に見えているリ級改の様子を凝視する。その両腕にある主砲が、再び主砲発射の閃光を瞬かせる。そのきらめき方が、それまでと違うことを、艤装によって強化された吹雪の視覚は捉えていた。
「こっちに来る!衝撃に備えて!」
次の瞬間、吹雪たちの進行を阻むかのように、水柱が上がった。リ級改は、その八インチ砲を、鳥海から十一駆へと指向したのだ。
それは果たして、自信の表れか。この雷撃を凌いでしまえば、三隻の重巡洋艦娘などどうとでもなる、そう思っているのか。
十数秒の後、二射目が降り注ぐ。彼我の距離はすでに五千。たった二射で、その精度は恐ろしいほど高くなっていた。
―――これは、ちょっと無理しないとかな。
とっさに判断した吹雪は、次の瞬間から、続けざまに指示を飛ばす。
面舵かと思えば、取舵。速力を上げて、緩めて。爆雷を投げての視界妨害。一二・七サンチ砲をばら撒いての射撃妨害。まるでスピードスケートのような、鋭い動きの数々。弾道を正確に見極めたそれらの回避行動は、撃ちこまれるリ級改の砲撃に空を切らせ続ける。
その無理な動きにも、三人の僚艦は難なくついてくる。平然と舵を切り、指示に従って爆雷を投げ、濃密な弾幕を形成する。顔色一つ変えずに、吹雪のこの機動についてこれるのは、この三人しかいなかった。
「距離四○!」
その声と同時に、苛立つようなリ級改の砲撃が降り注いで、水柱となった。今まで相対してきたどの深海棲艦よりも、その射撃は正確だ。交わしきれなかった至近弾の上げる水滴がもろに頭から降りかかり、弾片が艤装に当たって金属的な不協和音を鳴らす。おそらく両用砲の類が残っていたなら、さすがの吹雪たちでも被害を被らずに肉薄することはできなかったであろう。
まあ、どちらにせよ、肉薄はできただろうが。
両用砲があろうがなかろうが、結果は変わらない。
「投雷始め!」
水柱が敵艦からこちらを隠してくれている間に、吹雪たちは一斉に投雷する。圧搾空気の乾いた音が連続し、鋼の肉食魚を解き放つ。燃焼剤の純酸素を急速に使用しながら、加速した魚雷たちが一直線に突き進んでいった。
「突撃を続行!投雷のタイミングを悟らせないで!」
この、端から見れば抽象的な指示でも、十一駆には伝わる。各々が投雷のタイミングを悟らせまいと、突撃を敢行し、時折爆雷を投げ入れて視界を塞ぎ、その度に若干の転針。それを二回ほど繰り返した後、十一駆は急速に反転し、離脱にかかった。
チラリと後ろを振り返る。吹雪たちの転針を見て、投雷を悟ったのだろう。リ級改は砲撃を止め、回避運動に入ろうとしていた。
だが、リ級の回避運動が実を結ぶことはない。なぜなら投雷のタイミングが、そもそも違うのだから。
八インチ砲弾のそれなど遥かに凌ぐ巨大な水柱が、無慈悲にもリ級改の舷側に立ち上った。立て続けに四本。さしもの頑丈なリ級改も、その衝撃に耐えられる道理はなかった。
水柱が収まった時、リ級改はすでに大きく傾斜していた。もはやその砲口に発射炎がきらめくことはない。八インチ砲弾が、艦娘たちの艤装を抉ることもない。
「こちら十一駆、敵重巡の撃破を確認しました」
『了解した。・・・さすがだな』
通信機の向こうで、那智が感心したように言った。
『十一駆、鳥海と合流してください。キヨは、“横須賀”へ燃弾補給に向かいます』
「了解」
改めて確認するまでもない。主砲弾も残弾少なく、魚雷は撃ち切った。補給が必要である。
『以後はヤスが引き受ける。戦果に期待されたし』
戦いは終わりではない。深海棲艦水上部隊は、いまだ戦艦二隻を含む主力を残したままだ。これを迎撃するのは、重巡洋艦娘二人、駆逐艦娘三人のヤスだ。もう間もなく、“佐世保”で燃弾補給を終えたナガが合流するはずだが、それでも心もとない。
だが今は、彼女たちに託すしかなかった。
ところが。
『“横須賀”より、全艦娘へ。後方より、新手の水上部隊接近。戦艦二を含む』
―――そんな・・・!
さすがの吹雪も、これには息を飲んだ。戦艦二隻の艦隊を一つ相手取るだけでも一苦労なのに、それがさらにもう一つともなれば、完全に手が足りなくなる。
“横須賀”から伝えられた情報を整理すると、もう一つの水上部隊が船団を攻撃圏内に収めるのは、これよりヤスが邀撃に向かう敵艦隊に遅れること十分ほどだ。船団の真後ろから来ているから、距離を詰めるのには、さらにもう少し時間がかかるかもしれない。
『先に報告のあったものを“甲”、後を“乙”と呼称する。ヤス、及び燃弾補給終了後のナガは、“甲”の迎撃に専念。“乙”は狙撃砲部隊をもって邀撃する』
狙撃砲部隊―――以前、鎮守府近海戦で使用された試製巡洋艦用長距離狙撃砲F型を素体とする、量産型狙撃砲を配備しているのは、救出作戦に参加したあきつ丸たち陸軍艦娘だ。彼女たちは今、支援母艦“ペーター・シュトラウス”に乗っている。
“横須賀”座乗タモンからの指示を受けてか、“ペーター・シュトラウス”が少しばかり速力を落とし、船団の最後部へ位置取る。その甲板上には、設置されている狙撃砲に取りつくあきつ丸の姿が見えた。
さらに。
―――あれは・・・。
“ペーター・シュトラウス”の方向から、白い飛沫を上げて何かが走ってくる。否、あれは人だ。艤装を背負い、海上を疾駆する艦娘。
巨大な連装砲塔は四基。高い機関出力を伺わせる太い円筒形の煙突が特徴的だ。艤装のカラーリングは、鎮守府のどの艦娘よりも目立つ、特徴的な迷彩と砲塔上面の赤。
明らかにそれは、戦艦娘の艤装であった。しかし、現在鎮守府の戦艦戦力―――榛名、霧島、伊勢、日向の四人は、全員が艤装を損傷し、以後の戦闘行動が困難とされている。つまり、今行動可能な戦艦娘はいない。
一人を除いては。
「ビスマルクさん!?」
救出艦隊が連れてきた『独立艦隊』、その指揮官である彼女は、太陽のような金色の髪を麗しくなびかせて、吹雪たちの方へと向かってきた。
『キヨ、ヤス。こちらは戦艦、ビスマルク。貴艦隊を援護する』
吹雪たちの通信機から、ビスマルクの声が聞こえる。ヤスと鳥海のもとに合流した吹雪は繰り返されるその内容に耳を傾けた後、ヤスを率いる那智を見た。思案顔の那智は、やがて顔を上げると、返信するために通信機のスイッチを入れる。
「ビスマルク。こちらヤス旗艦、重巡洋艦、那智。貴艦の申し出に感謝する。共同戦線と行こうか」
その表情が、まるで悪戯を思いついた子どものように歪んでいる。どこか、彼女のライバル、摩耶を思わせる表情だった。
『ビスマルク、了解。面白そうな提案ね』
答えたビスマルクの声も、どこか不敵に笑っていた。
―――大丈夫。
吹雪は確信した。わたしたちは、まだ戦えると。
「補給を急ぎましょう。まだまだやれることはあるはずよ」
疲労の見える表情で懸命に微笑む鳥海がそう言った。十一駆はそれに頷き、燃弾補給を受けるべく“横須賀”へ急ぐ。
ビスマルクとすれ違う。その碧い双眸が、チラリと吹雪を見た。その瞳を、吹雪はただ真っすぐに見つめ返す。
―――任せなさい。
そう言っているように思えた。
ヤスと合流し、敵戦艦部隊へと向っていくのを、吹雪は振り返ることなく背中の気配で感じる。
二度目となる戦艦同士の砲撃戦が、始まろうとしていた。
なんてこった・・・ビスマルクが一発も撃たずに話が終わってしまった・・・
次回は作者の十八番(?)!戦艦同士の砲撃戦であります!
気合い!入れて!いきます!