艦これ~桜吹雪の大和撫子~   作:瑞穂国

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遅い。亀とはよく言ったものだ。

私!頑張るから!!見捨てないでぇーーっ!!

今回は前半に長ーーい作戦会議的な何かがありますが、読まなくても進んでいける(多分)ので、無理な方は旭日に照らされて走る吹雪ちゃんを、

たっぷりと!!

ご堪能!!

ください!!


海風の朝

それは、あまりにも突然だった。

 

かつて私は、ある油槽船の乗組員をしていた。子どもの時から海が好きだった私は、いつからか船乗りと言うものに興味を持ち、思いをそのままにこの職業に就いた。

 

海の上は静かで、航海中はよく、甲板に出て夜空を見上げていた。もちろん、仲間たちに誘われればそちらを優先したが、そうやって時たま、故郷とは違った星を眺めるのが私の楽しみだった。

 

海はいつだって輝いていた。水面をイルカが跳ね、海鳥たちが舞い飛ぶ、美しい世界だった。

 

だが、今はもう違う。

 

いつからだろうか、海の様子は、がらりと変わってしまった。有体に言えば、生命の力を感じなくなった。それからの航海は、寂しいものだった。

 

その日、私は見回りがてら甲板から海上を見つめていた。くすんだ青が、延々と広がる世界を。

 

そして奴と出会った。

 

鯨みたいな奴が水面を飛び跳ね、こちらへ近づくのが見えた。これでも船乗り、視力には自信がある。そいつはゆっくりとした動きで、油槽船を追いかけて来た。

 

次の瞬間、体感したことのない衝撃が、船を襲った。私は船乗りの本能で、さっきの奴がいた方向を振り返った。

 

そいつが口を開くと、真っ赤な光が生じた。すぐさま、二度目の衝撃が私を揺さぶった。三度、四度、それはもう“砲撃”に他ならない。油槽船は次第に傾き始めた。

 

五度目の弾着が船に届いた時、ひときは大きな衝撃に襲われた私は、海へと突き落とされた。

 

そこからはよく覚えていない。唯一覚えているのは、そいつらは浮遊物につかまる私に見向きもせず、海面に漂う油を掬い取るようにして口の中へ飲み込むと、いずこかへと消えて行ったことだけだ。

 

それが何なのかなんて知らなかった。知りたくもなかった。

 

だが私は、テレビに映し出されるそいつらと、“深海棲艦”と名づけられた奴らと再び対面することとなった。

 

 

遠征部隊の報告を聞き終え、鎮守府の提督は椅子に深く腰掛けた。昼過ぎの日差しが窓から差し込み、室内に心地よい陽気をもたらしている。彼はそこから目を背けるように、制帽を目深に被った。

 

状況は予想以上に悪い。彼の出した答えはこれだった。

 

「お疲れ様です」

 

机の上に、湯飲みが差し出される。裏の台所に入っていた秘書艦が、すっと横に立っていた。

 

航空母艦娘“赤城”。全体的に赤のイメージが強い和服に身を包んだ彼女こそ、鎮守府の貴重な航空戦力の一角を担う、ベテランの艦娘だ。長く艶やかな黒髪の彼女は、自らの机と椅子も取り出して、執務机の横に腰を下ろした。

 

どちらからともなく湯飲みを手にし、一息入れる。豊かな香りの湯気が、鼻孔をくすぐった。

 

「少し、甘かったのではないですか?」

 

どこから持ち出したのやら、切り分けた羊羹を彼と自分の前において、ひとつを口元へ運びながら彼女は何気なく切り出した。

 

「天龍のことか?」

 

彼もひとつを口に含む。しっとりとして、しつこさのない甘みが口いっぱいに染み込んでいく。

 

「まあ、船団の護衛は命令したけど、不測の事態に対する対応については、特に命令してなかったからなあ」

 

お茶を一口飲む。

 

「それに、一応船団の方には雷と電をつけてたし、強行偵察の成果と合わせて足し引きゼロってことでいいんじゃないかな」

 

先程入港した艦隊は、輸送船団の運んできた資材と共に、とんでもないものを鎮守府へもたらした。

 

『南西諸島海域において、敵艦隊反抗の兆しあり』

 

戦艦を主軸とし、巡洋艦多数を含んだ深海棲艦の艦隊が、南西諸島・沖ノ島周辺にて展開しているのが確認された。該当海域は、物資輸送の要として、二ヶ月前に生起した『沖ノ島沖海戦』の一連の戦闘において確保された。言わば、現在の鎮守府、そして両世界の日本にとっての生命線と言えた。

 

提督に倣って、赤城もお茶を含む。

 

「いけませんね、うちの提督はどうも甘いところがあるみたいで」

 

そうしてふっとはにかんだ。

 

「そうだな、提督を差し置いて、羊羹の二切れ目に手を出そうとする秘書艦を止めないくらいには甘いかもな」

 

「うっ、それは・・・」

 

無意識に伸びかけていた手を、赤城が引っ込める。こと、おいしいものに関しては目のない彼女であった。

 

「ま、まあそういうところが、提督の魅力でもありますから」

 

乾いた笑みを浮かべる。そして結局、羊羹は二切れ目を口にしていた。

 

「ふぉれへ、ふぇいほふ」

 

「口の中を空にしてからしゃべりなさい」

 

しばしの間、赤城が羊羹を咀嚼する。私、幸せですオーラを全開にしながら。

 

最後にごくりと飲み込んで、律儀にご馳走様と手を合わせてから、赤城は切り出した。

 

「それで、どうされますか?」

 

どうするか。それは、これからの鎮守府の方針を決めるということ。大きいようで小さい、彼の指揮する艦隊が、この事態にどう対処していくのか。

 

最終的には彼が判断する。が、判断材料は多い方がいい。現場の意見が欲しい。

 

「加賀と長門、あと工廠部の方にも声を掛けておいてくれ。作戦室に移動する」

 

話はそれから。彼は執務机から腰を上げた。

 

「大淀さんとユキさんも、ですね?」

 

「ああ、そっちも頼む」

 

「了解しました。―――でもその前に、提督はお昼ご飯を食べてきてくださいね。吹雪ちゃんが心配しますよ」

 

鎮守府開設時からの付き合いである、飾らない少女の顔が浮かんだ。その表情は、いまにも「めっ」と言い出しそうだ。

 

「そうだな、それじゃあそうしよう」

 

後を赤城に任せ、彼は食堂へと向う。エビフライか、からあげか、それとも特定食か。執務室の扉を閉めた彼は、お昼の選択肢について戦術を練るのだった。

 

 

 

「現在わかっている情報は以上です」

 

制服を着た、長髪に眼鏡の少女―――軽巡洋艦娘“大淀”が、それまでに集められた情報をまとめ、一つ一つを作戦室の大型スクリーンに反映させていく。所謂海図台のように部屋の中央に置かれたスクリーンはタッチパネル方式で、指先の操作で様々なことができる。そのスクリーンを囲むように、数人の艦娘と提督が立っている。

 

「敵の目的は、なんでしょうか」

 

最初に口を開いたのは、赤城と対照的に青がデザインの中心に置かれた和装の、航空母艦娘“加賀”だった。第一航空戦隊の一人として、初期の頃から鎮守府を支える、赤城に劣らない錬度の正規空母だ。

 

「本格的な反抗にしては、いささか規模が小さいように思いますが」

 

加賀は指摘する。天龍たちが確認した編成が、スクリーンに映される。

 

「確かに、艦隊の体はなしていますが、どことなく寄せ集めのような編成ですね」

 

赤城も賛同する。そして幾つかの点を指差す。

 

「戦艦や巡洋艦はそれなりにいるようですが、空母が圧倒的に足りません。沖ノ島沖海戦時とは大違いです」

 

「護衛の駆逐艦も、随分と少ないな。なんだ、この穴だらけの編成は」

 

「これから増援が来るにしても、それならばわざわざこんなところで待たずに、離脱後に再編成してもよい気がするのですが」

 

全員が興味深げにスクリーンを覗き込む。考えれば考えるほど、珍妙な編成であった。

 

「ユキは、どう思う?」

 

提督は、早速とばかりに新任の情報将校へと問いかけた。士官学校時代からの癖で、あごに手を当てて考えていた彼女は、暫くしてこう切り出した。

 

「時間稼ぎが目的ではないでしょうか」

 

彼女は手元のタブレットから幾つかの資料をスクリーンに反映させる。

 

「今までの指摘通り、現状の敵勢力が直接侵攻をしてくるとは考えにくいです。深海棲艦側には、明らかな行動ロジックが存在します。非常に合理的なそのロジックに従えば、今回のように中途半端な戦力を、こちら側の勢力圏に送り込むとは思えません。であるならば、」

 

彼女が開いたのは、沖ノ島沖海戦とほぼ同時期に生起した一連の戦闘について纏められたもの。表紙に「01号作戦」と書かれた資料を見て、彼女の言わんとすることを、その場の誰もが理解した。

 

「この艦隊は、以前南西諸島沖に展開していた、敵通商破壊部隊の生き残りであると考えるのが妥当です」

 

01号作戦。オリョール海迎撃戦と呼ばれた一連の戦闘は、本格的な敵の水上通商破壊部隊を迎え撃つ、一ヶ月近い戦いとなった。後方に強襲揚陸部隊と思しきものまで従えていたこの艦隊との戦闘は、最終的に通商破壊部隊の本隊を撃滅したことで、深海棲艦側の撤退と言う形で幕を閉じた。が、もしも艦隊が二手に分かれていたのだとしたら。

 

「しかし、だとしたらなぜ、今まで確認できなかった?」

 

長門が含みを持った言い方で、ユキに尋ねる。どうもこの間の一件以来、ユキのことを気に入ったようだった。

 

「この報告書を読むと、ある時期から明らかに敵の編成に乱れが見られます。おそらく現在沖ノ島に展開している艦隊は、大きな被害を受けたために、一度後方に下がって修復と補充に当たっていたのでしょう。そしてその間に、もう一つの艦隊と沖ノ島沖の艦隊が壊滅。孤立した通商破壊部隊は、その再編と同時に、囮、つまり時間稼ぎとして南西諸島沖に残されていたと考えます。その際こちらの取っている航路より奥にいたために、今まで発見されていなかったと思われます」

 

「それで、時間稼ぎと言うのは?」

 

「西方海域において、深海棲艦の動きが活発化しているのが、潜水艦による偵察で判明しています。それと同時に活動を始めたということは、おそらくこの西方の艦隊が編成されるのを待っていたのでしょう」

 

長門の質問に、淡々と答える。確かに、一応筋は通っている。

 

「なるほど。もしもこの通商破壊部隊が本格的に活動を再開すれば、我々は対応せざるを得ない。そこを西方艦隊に突かれたら、目も当てられんな」

 

一理ある。長門はそう言って頷いた。しかし、当のユキ本人は、納得していない様子。

 

「ただこれは、あくまでも現状得られた情報を、理に適うよう繋げたに過ぎません。くわしいことは、より詳細な情報がありませんと・・・」

 

ユキは最後をそう締めて、発言を終えた。作戦室の全員が、それぞれに思惑を巡らせ、もう一度状況を整理していく。

 

「天龍たちを信用していないわけではありませんが、」

 

そう前置きして、再び加賀がしゃべりだす。普段が無口なだけに、まるでそれを埋め合わせるかのような的確な指摘は、彼女が饒舌になったかのように錯覚させる。ただ、それでもあくまで、感情ではなく理論で淡々と述べるのが加賀という少女だった。

 

「強行偵察と言うものには、どうしても誤認や漏れが出るものです。ユキさんの言うとおり一度、ちゃんとした偵察を行うべきかと」

 

「それについては、俺も同意だ。近々、偵察部隊を編成しよう」

 

「それで、仮にユキさんの言う通りだったとして、」

 

続いて赤城が切り込む。

 

「対応はどうしますか?」

 

「西方艦隊が体勢を完全に整える前に、早急に通商破壊部隊を叩くべきです」

 

「通商破壊部隊の方をか?」

 

ユキが首肯する。

 

「私たちにとって、海上輸送路を失うことはそのまま敗北に直結します。それに断定は出来ませんが、前衛を兼ねる艦隊が壊滅すれば、西方艦隊が進撃を中止することも考えられます」

 

「いずれにせよ、叩くのならば早い方が良さそうですね」

 

赤城が総括して、いかがですかと提督を見る。彼はもう一度、何かを確認するようにスクリーンを見つめてから、部屋の奥に腰掛けた人物へと話を振った。

 

「工廠長、現在の各艦娘の艤装の状況は?」

 

工廠長、と呼ばれた初老の男は、ようやく回ってきたかと、ゆっくりと腰を上げた。

 

「詳しいことは、大淀に聞いてくれ」

 

そして、まさかの丸投げをした。不意に投げ掛けられた大淀が、「え、わたしですか!?」と素の表情で驚いてしまっている。どうやら、正真正銘の不意打ちだったらしい。

 

それでも初期から鎮守府を支えてきただけある彼女は、咳払いをひとつして、手元の編成表をめくった。

 

「残念ながら、現在の鎮守府は万全の状態とは言えません。沖ノ島沖海戦と、その後の残敵掃討においての損傷が、いまだ完全に回復しておりませんので」

 

パラパラと、静かにめくられる書類の音が響く。一息置いて、大淀は再び話し出した。

 

「巡洋艦、駆逐艦の損傷はさほど大きくありません。現状では、艤装の調整や改装のため以外で出撃不可の艦娘はおりません。問題は、戦艦と空母です」

 

彼女は手際よく画面を操作して、『艦娘の入渠状態』と書かれた一覧表を表示する。枠内には入渠、整備一・二、改装、あるいは空欄が入っている。

 

「まず空母ですが、こちらは艦載機の補充・更新が十分ではありません。沖ノ島戦にて一部先行配備した“天山”艦攻、及び“彗星”艦爆に加え最新鋭の“紫電”部隊は未だ量産体制が整っておらず、各空母の消耗分を補填するには至っていません。辛うじて二隻、多くても三隻分程度しか間に合わないでしょう」

 

これは艦娘に限ったことではないが、航空母艦という艦種は比類なき攻撃能力を保有していると思われがちである。が、空母に戦闘能力などというものはほとんどない。単艦では相手を沈めるどころか、自分の身を守ることすら出来ない。空母の攻撃能力と言うのは、そこに搭載された航空機によって始めて発揮されるものなのだ。そして、航空機と言うのは艦船以上に消耗しやすい。機動部隊、つまり空母同士の戦いとなれば、その磨き上げられた戦闘能力は瞬く間に削られていく。

 

航空部隊の錬度は、艦娘の錬度にほとんど依存しているので、練成の心配はしなくてもよい。だがそれでも慣らしというものは必要であり、第一搭載する機体も逐一生産しなければならないことに変わりはない。ましてや新鋭機の配備、機種転換を行うには最低でも一週間は必要となる。残念ながら、現時点から十分な航空戦力を持った機動部隊を編成するのは、困難と言わざるを得なかった。

 

「“天山”にしろ“彗星”にしろ、まだまだ見直さにゃならんところはある。試作モデルをそのまま量産体勢に持っていったからな。それに“紫電”。ありゃ元々基地航空隊用に開発したのを、“烈風”までの埋め合わせに無理やり艦載機にしたからな。改良の余地は大いにある」

 

工廠長は、大淀の説明にそう付け足した。

 

「次に戦艦ですが、こちらはより深刻です」

 

現在鎮守府に所属している十隻の戦艦娘、その入渠状況が拡大される。そのほとんどは文字で埋められていた。

 

「敵の主力郡と殴りあった結果、各部に様々な異常をきたしており、ドックの占有を避けながら整備をしていますが、回復率は三割と言ったところです」

 

大淀の『殴りあう』と言う表現はあながち間違っていない。戦艦の戦いというのはまさに殴り合い、砲弾と言う圧倒的暴力の応酬に他ならない。

 

頑丈と言われる戦艦ではあるが、その実は他のいかなる艦種にも増して繊細で、気を張るものだ。波の揺れひとつで弾着の誤差が現れ、ネジ一本の狂いで射撃不能になる。そのため、整備にも万全の体制が求められる。

 

さらに一度入渠すると、駆逐艦数隻分の資材が一時に飛び、長時間のドック占有を余儀なくされる。高速修復材を使えば、比較的早く出渠できるものの、数が限られている上に複数回の使用は細かな整備不良を生み出した。

 

「大規模改装中の金剛、比叡を除いて、現状で行動可能なのは伊勢、日向のみです」

 

「ついさっきだが、霧島が出渠したむね、連絡があった。各部の調整に最低でも二日欲しい」

 

三隻。それが鎮守府の全戦艦戦力だった。工廠部は、続いて榛名の修復に入るらしい。

 

「扶桑と山城は、どうなっているのだ?」

 

聞いたのは長門だ。沖ノ島沖海戦では別働隊であった彼女らの損傷は、既に回復しているはずだ。

 

「艤装の機嫌が悪くてな。何が不満なんだか、調整するたびにどっかしらの不調が出てくる。ちょくちょく直しているが、まともに動けそうにはないな」

 

工廠長が苦笑する。

 

整備のたびに「不幸だわ・・・」と漏らす山城の姿が見えるようだった。

 

「霧島さんが出たのは、よい知らせですね」

 

加賀が口を開く。

 

「高速戦艦の彼女がいれば、偵察行動には俄然有利になります」

 

苦労は掛けますが。感情が籠もっていないように聞こえるが、加賀の場合は真剣に思えば思うほど、無感情な声音になっていくのだ。つまりこの台詞が、彼女の本心と言えた。

 

「整備が終わり次第、霧島を中心とした偵察部隊を編成する」

 

提督も同意見であった。彼はゆっくりとした声で続ける。

 

「得られた情報如何によっては、我が鎮守府は現有戦力でこの艦隊と抗戦、撃破する。そのむね、各艦種代表者に伝えておいて欲しい」

 

了解。短い返答が重なる。

 

ここに、鎮守府の方針は決まった。

 

 

○五○○。

 

鎮守府は、春の涼しさを含んだ朝靄に包まれていた。冷えた空気が、埠頭に、港湾施設に、宿舎に、そして吹雪の体に染み渡っていく。まだ陽の昇らない朝が、四肢の隅々まで心地よかった。

 

屈伸運動、もも上げ、アキレス腱と体をほぐして、気合いを入れるために頬をたたく。腕時計をちらと見やり、宿舎の前から走り出した。

 

羽織ったパーカー越しに冷気が体を撫でる。言い知れぬ快感が、吹雪をさらにかきたてた。細かいリズムを刻み呼吸をして、埠頭の方へ走っていく。すぐに海が見え始めた。

 

海はまだ暗い。とても静かで、深く、厳粛な雰囲気。

 

今、その水平線上に、わずかな光が宿ろうとしている。うっすらと橙色に染まるさざ波が、ゆらゆらと動く。きらめきが放射状に広がる水面に、朝が、万物を照らす輝きが訪れようとしていた。

 

「わああ・・・」

 

吹雪が感嘆の声を漏らす。

 

「きれい・・・」

 

太陽が、その端を海上に現した。光線が瞬く間に広がり、埠頭を、鎮守府を、吹雪の横顔を、暖かく、美しく照らし出す。この壮麗な景色の中を、彼女は駆け抜けていく。肌に感じられる気配にわずかな変化が訪れた。

 

規則正しいテンポで一歩ずつ前に踏み出す。タッタッタッ。軽快な靴音が響き渡る。

 

オレンジの旭日が、吹雪を優しく包み込んだ。

 

 

 

鎮守府をほぼ一周して、宿舎が再び近づいてくる。今の吹雪は、丁度工廠の影になる位置を、いくらか早くなった呼吸と共に通り過ぎようとしていた。

 

工廠。鎮守府庁舎の横に建てられたこの施設は、艦娘の出撃を補助する場所で、整備、入渠、改装など様々なことが行われる。ここと、併設された出撃ドック、開発部は全て工廠部の管轄だ。

 

この場所は、昼間でこそ大きな音で騒々しいのだが、大規模作戦でもない限り夜中や明け方に人気があることは滅多にない。だから吹雪の、出撃の中で培った本能が、それを的確に捉えた。

 

―――誰か・・・いる?

 

工廠の裏、庁舎や宿舎からは死角になる位置に、人影を見つけた。人影は周囲を気にするような素振りを見せてから、工廠の壁に沿って歩き出す。この先は立ち入り禁止区域だ。

 

怪しい。言うまでもなく怪しい。しばらく人影の行く先を見つめて、それから吹雪は後を追いかけることにした。

 

何者かは、ゆったりとした足取りで歩いていく。なぜだろうか、その佇まい、醸し出す雰囲気のせいか、どうもただの侵入者には思えない。それに何度か来ているとしか思えないほどに、何の迷いもなく工廠の奥へ奥へと進んで行くのだ。

 

吹雪は駆逐艦得意の身のこなしの軽さをいかして、物陰など利用しながら、少しずつ距離を詰めていく。せめて顔なりと見ておきたい。そうすれば、自分の知っている人物なのかどうかがわかる。

 

ゆっくり、ゆっくり、慎重に。

 

相手に気づいた様子はない。ただただ優美に歩き続ける。

 

お互いの距離が二メートル程度まで縮んだとき、不意に人影が立ち止まった。前につんのめりそうになった吹雪は、辛うじてそれを堪えると、近くの柱の影から件の人物を見つめた。

 

―――あんなところに、入口なんてあったんだ。

 

誰よりも長く、この鎮守府にいる吹雪だが、その彼女でさえ、このような場所にドアのあることを知らなかった。その先には、一体何があると言うのか。

 

ドアの先から光が差す。漏れでた白っぽい蛍光灯の光が、今まで彼女の追ってきた人影の顔を照らす。

 

吹雪は息を呑んだ。すっと通った鼻。わずかに赤みの差した頬。柔らかな唇。旭日を反射する瞳。柔和な表情。艶やかな色香を薫らせる長髪。程よく締まり、すらっとして、それでいて出るところはちゃんと出ている体。そして桜をあしらったかんざし。紛れもない大和撫子が、そこに立っていた。

 

この鎮守府の人間ではない。吹雪はそう確信した。これ程に美人な人を、そうそう忘れるわけがない。

 

忘れるわけがないのだ。

 

吹雪はもちろん覚えていた。なぜ、彼女がここに。思考がぐるぐると回るが、ひとつ確かなのは、彼女は、一度目の前の人物に会っているということ。

 

―――どうして、ここに。

 

結局、最後まで気づかれることはなかった。彼女は開いた扉の向こうへ入ると、ぴたりと閉めてしまった。何の音も漏れてこない。

 

吹雪は周囲を確認すると、そっとドアに寄り、耳を押し当てる。何も聞こえない。いや、待て、微かにだが、機械の動く音が聞こえる。このずっと奥で稼動する機械の音が。

 

「吹雪?」

 

突然の声に、肩が跳ね上がった。壊れかけたロボットか何かのように、ぎぎぎっと首を曲げる。

 

「し、司令・・・官?」

 

紺色の制服が闇に溶け込んでしまってよくわからないが、そこにいたのはまさに彼女の司令官であった。

 

いつも通りの歩き方で、彼は吹雪の方へと歩いてくる。今朝はその仕草すらも、恐ろしく感じられた。

 

「こんなところで、何してるの?」

 

それはつまり、「立ち入り禁止区域内に入って何をしていたのか」ということ。

 

「えっと、これはその・・・ですね」

 

背中を冷たい汗が滝のように流れるのは、きっと走ったからではない。こちらを覗き込むようにしている司令官に、ちらちらと視線をやる。そうしてから、事の顛末をありのままに語る。

 

「あの・・・すみませんでした」

 

吹雪は頭を下げる。司令官は、頭を軽く掻くと、いや、と切り出した。

 

「吹雪は、鎮守府に不審者がいると思って追いかけたんだよね?だったら、何も責める事はないよ。それに、見られて困る訳じゃないんだ」

 

いずれ、みんなにも知らせるつもりだったしね。

 

―――それって、今は見られたくなかったってことなんじゃ・・・。

 

それに疑問はまだ残る。結局、彼女は何者なのだろうか。司令官は何を隠しているのだろうか。

 

「うーん、そうだ。この後、一一○○に執務室に来てくれ。案内するよ」

 

「・・・いいんですか?」

 

「さっきも言ったけど、何か見られて困るものがある訳じゃないんだ。それに、誰かが知っていてくれた方が、やりやすいこともあるしね」

 

司令官は、ドアノブに手を掛けた。

 

「しかし、朝からランニングなんて、偉いね。午前の課業でも走るんでしょ?」

 

うっ。吹雪は微妙に言葉に詰まった。

 

「は、はい。頑張ります」

 

また、後で。彼はそう言って、工廠の中へと入っていった。

 

言えない。新任の子たちと『間宮』に行き過ぎて太ったからなんて言えない。

 

残された吹雪は、一番知られたくない相手に、秘密のトレーニングを知られたことに、頬を赤らめる。その後朝食時に再び顔を合わせた時は、ニヤニヤする同僚に「なんでもない!!」と言って、熱い顔をごまかした。

 

その際、司令官のハテナマーク生産工場がフル稼働したことは、言うまでもない。




どうなるのか・・・

どうなるのやら・・・

次回は出撃がある!!

と、いいなあ・・・

読んでいただいた方、ありがとうございます。

感想お待ちしています。

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