結構短め(当社比)
今年はこれでラストです
統合海軍省
統合海軍省は、両世界の日本が保有する海上戦力を総括する組織だ。母体となったのは、旧防衛省の海上自衛隊で、ここに鯖日本側の海上戦力―――といっても、鎮守府の艦娘たちと輸送艦の類であるが、これを加えたものが、現在の統合海軍省だ。
その指揮下には、前述のように、大きく分けて二つの組織が所属している。海自と在日米軍の残存艦を集めた統合防衛艦隊、鎮守府とそこに所属する艦娘で構成される統合鎮守艦隊の二つだ。この二つは、統合海軍令部をトップとして二つに枝分かれており、お互いに干渉することはまずない。
ただ、防衛艦隊が軍令部直属の向きが強いのに対して、鎮守艦隊はその指揮系統から完全に独立した艦隊として成り立っている。最早、別の組織と言って問題ない。表向きには、アマノイワトを隔てている鯖世界において迅速な状況判断と対応行動ができるように、指揮権を分離したことになっているが、実際には現鎮守府長官のイソロク中将が強引に独立させた。これは、軍令部による犠牲を顧みない強硬な作戦遂行を阻止するためだった。
こういった経緯もあり、鎮守艦隊は各所からあらゆる場面で圧力をかけられた。それらを常に跳ね除けているのは、イソロク中将の尽力と艦娘たちの上げた多大な戦果によるものが大きい。
◇
統合海軍省。鎮守府長官公室。
ノックの音と共に掛けられた入室許可を求める声に、イソロク中将は軽やかに答えた。それに応じて、ドアがゆっくりと開かれる。
「失礼します」
真面目一辺倒の声で一礼した参謀長に、イソロクは柔和な笑みを浮かべる。ピクリとも動かない表情のまま、マトメ少将はイソロクの前へと進み出た。その手には、一枚の紙が握られている。
「鎮守府のリュウノスケ大佐から報告が来ました。北方海域における作戦が終了したとのことです」
差し出された紙は、どうやら作戦結果について簡潔に記した速報らしかった。それをマトメから受け取り、上から読んでいく。
戦果と損害、鎮守府の現状、そして今後の対策。現在手に入っている情報を最大限かつわかりやすくまとめた報告書は、早さも相まって非常に有用だ。ほとんど不干渉であるとはいえ、鎮守府の最高運営権を持つイソロクにとっては、それだけの情報でも十分な切り札となる。
「成程。相変わらず、よくまとまってるね」
ひとしきり頷いてから、イソロクは顔を上げた。
「それで。君が直接持ってきたってことは、それなりに理由があってのことだよね」
普段あまり出張ってくることのないマトメの来訪に、イソロクは手を組んで疑問を投げかける。
「はい。三点ほど、今後予想される懸念について確認を」
相変わらず微塵も動かない表情で、マトメは指を三本立てて確認を求めた。
「一つは、鎮守府の現状戦力について」
「それは今読んだ通りだね。まともな戦力は残ってない」
報告書に書かれていた内容は、惨憺たるものだった。北方作戦の結果、鎮守府の戦力―――こと、主力である戦艦と空母の数が払底した。現在無傷の戦艦は一隻もなく、二週間から三週間後に予定される榛名、霧島の改装完了まで稼働可能な戦艦はゼロだ。空母についても、正規空母で動けるのは瑞鶴だけ、しかもその航空隊は五割損失という甚大な被害を受けており、戦力として復帰するには一月は軽くかかってしまう。
「二つ目に、今後の北方海域警備に割かなければならない戦力」
これは大きな問題だ。
北方海域の維持は、両日本政府と鎮守府が策定した戦争計画で規定されている。将来的には、鯖世界側のアメリカと接触を図り、鯖日本では魂を宿すことのできない米艦艇の艦娘を建造した上で反攻作戦を行う、その足掛かりとなるのが北方AL列島だからだ。この小さな島々を伝って、アラスカ経由で北米と連絡を取り合う。
今回の北方作戦で、深海棲艦は北の寒い海でも、活発に活動できることがわかった。同時に、AL列島深部に大規模な航空戦力の展開が確認され、陸上型深海棲艦の存在が濃厚となった。従来の三二空やキス島守備隊の兵力では、万が一この航空戦力が来襲した場合に十分な対処ができない。
「それは問題ないよ。新たに北方守備艦隊を配置し、三二空の増強も行う。その分の予算は取り付けた。代わりに、リ号作戦の遂行には念を押されたがね」
「それが三つ目です。現在の状況で、リ号作戦を遂行するのはリスクが伴うと考えますが」
「それは、鎮守府付き参謀の総意かね?」
イソロクの問い掛けにも、表情一つ変えずに、マトメは淀みなく答えた。彼は、鎮守府付き参謀を取りまとめる立場だ。
「無論です」
「そうか」
―――私は、いい参謀に恵まれてるねえ。
現在の日本―――地球側も鯖世界側も、状況はあまり芳しくない。艦娘の活躍によって以前に比べれば格段に改善されたとはいえ、それよりもさらに前、深海棲艦の現れる前とは比べるべくもない。そんな状況にあっても、正常な判断を持ってくる参謀たちは、優秀と言えた。
功を焦るのは厳禁だ。今まで積み上げたものを、一時に瓦解させかねないのだから。
だがしかし、それは軍事の判断にすぎない。
「作戦発動を遅らせてはいかがですか」
「それはできないよ」
ほんの少し、一ミリ動くかどうかでマトメの眉がピクついたのに、イソロクは気づいていた。
「鎮守府に予算と資材が回されているのは、深海棲艦との戦いにおいて大きな結果を残してきたからだ。だが、想定外の戦闘であった北方作戦の損耗で、数ヵ月前から計画されていたリ号作戦を延期するようなことがあれば、どこから何を言われるかわかったもんじゃない」
「現在確保している、鎮守府の独立性が損なわれる、と?」
「最悪の場合ね」
「考え過ぎでは?」
「考え過ぎだと思うよ。それでも、難癖を付けられる隙は見せるべきじゃない。それに、どっちにしろこの先鎮守府を運営していくには、リ号作戦の成功が欠かせないしね」
イソロクの言葉に、マトメはじっとこちらを窺ってくる。それからやはり表情を変えずに、口を開いた。
「その点については、了解しました。各参謀にも、そのように伝えます」
「お願いするよ」
「それと、リュウノスケ大佐への説明も私から」
イソロクはわずかに眉をひそめた。
「それぐらいは私がやってもいいのだが・・・」
「憎まれ役は、一人で十分ですので。それは私の仕事です」
顔の筋肉が微塵も動かずに淡々と言った。変なところに頑固さと使命感を持っている参謀長に、イソロクは溜息を吐くしかなかった。それから仕方なく頷いて、了承する。
「それじゃあ、そっちも頼むよ」
「はっ」
短い答えと共に、報告は終わった。
◇
鎮守府は、束の間の静けさに包まれている。もっとも、損傷した各艦娘の艤装の修復に追われている工廠部は、いつもより賑やかで、まさに蜂の巣をつついたようだ。
紅葉にはまだ程遠いものの、秋になろうというこの季節、外は少し強めの風が吹いている。時折窓をカタカタ震わせる風の中、同じくらいカタカタとぎこちない動きで、吹雪は廊下の一か所に立っていた。緊張のためか肩に変な力が入り、このような状態になってるわけだ。
やっとの思いで筋肉を動かすと、木製の扉をノックする。自らが滑稽に見えるぐらい軽快な音が、廊下に鳴り響いた。それがまた、吹雪の緊張を増す。
―――どど、どんな顔をすれば・・・。
吹雪が叩いたのは、執務室の横、司令官の私室の扉だ。吹雪たちが生活する艦娘寮と同じ、畳の敷かれた八畳の部屋に、吹雪は過去一度、入ったことがある。その時も似たような緊張状態だったが、あの時とは少し違うことに、吹雪自身も薄々気づいていた。
―――大丈夫。落ち着いてわたし、これはお茶に誘われただけ、それだけだから。
北方作戦から帰還して、艤装の修復に移った吹雪を、司令官は個人的に呼び出した。それが、今回のお茶の誘いだ。
「どうぞ」
和やかな声と共に扉が開き、中から司令官が顔を覗かせた。緊張がマックスの吹雪は、反射的に敬礼をしてしまった。
「ふ、吹雪、参りました!!」
―――ああもう、わたしってば!!
頭を抱えそうになるのをなんとか堪える。司令官は苦笑して、おどけた敬礼をしていた。
「歓迎するよ」
「は、はいぃ」
自然と尻すぼみになってしまった。
「まあ、上がって。今お湯沸かすから」
入り口で靴を脱ぎ、それを揃えた吹雪は、司令官に薦められた座布団の上に落ち着かなく腰を下ろす。部屋は小ざっぱりしたものだ。目の前のちゃぶ台と、他に書き物用と思われる机が一つ。お茶やコーヒーを入れるための道具は棚に一まとめにされていた。後は小さめの本棚と、箪笥、それと押し入れ。お陰で、八畳の空間が随分広々としたものに感じられた。
「御茶請けは何がいい?」
ポットのスイッチを入れた司令官が尋ねる。
「お団子とかどうかな」
「お団子ですか?」
「うん、みたらしだけど」
吹雪の大好物である。
「・・・いただきます」
「了解」
「手伝いますよ?」
「いいよ。今回は吹雪がお客さんなんだから、ゆっくりくつろいでて」
やんわりと押しとどめられる。一度浮かしかけた腰を、吹雪はもう一度降ろして座布団の上に落ち着いた。
お茶請けのお団子をお皿に出していると、ポットのスイッチが切れて、お湯が沸いたことを知らせた。それを確認するなり、司令官は楽しそうにお茶を淹れ始める。ポップな鼻歌まで聞こえてきた。
その背中を、吹雪はほうっと見つめている。
―――こういうのも、いいなあ。なんだか、
夫婦みたい、という感想を思い浮かべる前に、ふるふると頭を振った。まずい、この思考の方向はまずい。
「お待たせ」
お茶とお団子を持ち出した司令官が、にこやかにちゃぶ台へと置く。温かく薫り豊かな湯気が、二つの湯飲みから仲良く立ち上っていた。艶のあるみたらし団子も、食欲を誘った。思わずお腹の辺りを抑える。
司令官が着席するのを待って、二人同時に手を合わせる。少々熱いくらいの湯飲みを手に取って、一口啜った。のどかな陽気に、自然とため息が漏れる。それから、目の前のお団子に手を伸ばした。
「おいしいです」
「それはよかった」
笑う司令官に、吹雪も微笑み返す。もう一口、その丸くもちもちしたものをかじった。
しばらく、お互いに雑談を交えながら、お茶を飲んでいた。
湯飲みの中身が幾分かぬるくなった時、司令官がようやく本題を切り出した。
「吹雪、報告のあった件だけど」
「・・・はい」
お茶で唇を湿らせた後、吹雪も居ずまいを正す。報告書に書くべきかどうか悩んだ結果、帰還後に口頭で伝えた内容の詳細を求められたのだ。
どうやら、あの判断は正しかったみたいだ。
「深海棲艦の声を、聴きました」
吹雪が話し出す。残存敵機動部隊に突撃したこと、ヲ級と遭遇したこと、声が聞こえたこと、撃沈したヲ級の穏やかな表情。
司令官は、口を挟むことなく、吹雪の話を聞いていた。ただ静かに、吹雪の目を見ていた。
「―――詳細は、こんな感じです」
「・・・なるほど」
「あの、信じてもらえるとは思ってません。それに、今回のことで戦闘ができなくなったとか、そういうこともないんです。でも、」
「信じるよ」
吹雪の言葉を遮るように、司令官が力強く断言した。その顔には、優しげな笑みが浮かんでいる。
「吹雪の言うことは全面的に信頼してる」
それから、その手がゆっくりと伸びてきた。吹雪の頭の上にポンと着艦した大きな手は、その後何度か頭を叩いて、そっと撫でた。
「お疲れさま」
「~~~っ」
突然の出来事で、顔が火照る。面と向かって頭を撫でてもらうのは、随分と久しぶりのことのように思えた。
「・・・吹雪は、どう思った?」
離れていく手を名残惜しく思いながらも、吹雪は首を傾げて、思考モードに入る。
「・・・わたしたち艦娘も、船の魂なんですよね」
「そうだね」
「だとしたら、深海棲艦が、同じような存在でもおかしくないのかな、って」
手を組んだ司令官が、小さく頷いた。
「残念ながら、深海棲艦の正体についてはまだよくわかっていないからね。だから、俺たちは考察するぐらいが精々なんだ。その中にはね、深海棲艦が『海で沈んでいった船や人間の怨念なんじゃないか』っていう説もあるんだ」
どこかで聞いたような話だと、吹雪は思った。
「当時は突飛すぎる発想だって言われてたし、俺もそう思ってた。でも、こっちに来て、妖精さんや艦娘と出会って、あながち間違いじゃないのかもしれないと思ってる」
深海棲艦は、沈んでいった船の怨念。その考えにどこかしっくり来てしまうのは、自分が“彼女”と直に触れてしまったからだろうか。
“彼女”の頬に伝っていた涙と、沈みゆく澱の取れたような瞳。鮮明に焼き付いた、その表情。
「・・・“彼女”は、帰るべき場所に帰ったんでしょうか」
吹雪の言った“彼女”が誰か理解したのか、司令官は曖昧に「どうだろうね」と答えた。
「深海棲艦のいく場所は、天国なのかな」
「・・・海じゃ、ないですか?」
吹雪の言葉に、司令官が目を見開いた。
「“彼女”は、ただ静かに、海に帰りたかっただけなんじゃないかな、って・・・なんとなく、そんな気がするんです」
しばらく、司令官は瞬きもせずに吹雪を見つめていた。それからその相好を崩して、もう一度頭を撫でる。暖かな手のひらに撫でられながら、吹雪は尋ねた。
「・・・これは、何の頭なでなでですか?」
「うーん、特に深い意味は・・・。俺が撫でたいだけじゃダメかな?」
―――も、もう。そんな言い方ズルいです。
先程よりも強く、熱くなった頬を意識しながら、吹雪は思った。
「お帰り、吹雪」
この柔らかな日差しに包まれる鎮守府が、わたしたちの帰るべき場所だ、と。
今年も終わりとなりました
来年も、どうぞよろしくお願いいたします