艦これ~桜吹雪の大和撫子~   作:瑞穂国

25 / 52
どうもです

ようやく、ようやく一区切りです。長かったぜ・・・

最後を締めるのはもちろん水雷戦!

そして吹雪も大活躍!やったぜ

どうぞ、よろしくお願いします


深い水底

「取舵三○!!」

 

神通の指示のもと、四艦隊は一斉に舵を切る。その後を追うようにして、輪形陣左舷前方に位置取る重巡からの砲弾が水柱を噴き上げる。戦艦に比べれば何ほどのものでもない二○・三サンチ砲だが、軽巡と駆逐艦で形成される水雷戦隊にとっては、それだけでも十分重い。避けるのがベストだ。ようは、当たらなければどうということはない。

 

が、輪形陣中央に陣取る敵空母に魚雷を当てるには、この重巡をどうしても突破しなければならない。残念ながら、第二次改装を行った神通でも、重巡と正面から撃ち合えばただでは済まない。撃破はたやすいが、彼女の役目は後ろに続く駆逐艦娘を魚雷の発射点に導くことであり、重巡と対峙するためにその任務を放棄することは、本末転倒もいいところだった。

 

―――それに。

 

ちらりと、神通は敵重巡の後方を見る。そこには、まだ無傷の軽巡洋艦がいる。深海棲艦の中でも、特に攻守のバランスに優れたへ級Flagshipだ。そこから放たれる速射能力の高い六インチ砲弾は、駆逐艦にとって脅威以外の何物でもない。仮に神通が重巡を相手取ったとしても、残った駆逐艦娘の前にはあの軽巡洋艦が立ち塞がることになる。

 

だから今は、機会を窺うしかない。もっとも、その機会は、すぐに訪れるはずだ。

 

頼みの綱―――単純計算で二○・三サンチ砲の十二倍のエネルギーを持つ弾丸が上げた水柱は、今までで一番正確だった。それこそ、至近弾落下の衝撃だけで敵重巡がかき消されてしまうのではないかと錯覚するほどの威力だ。

 

大和の砲撃だ。敵機動部隊の進行方向に対して九時半の方角から突入を図る四艦隊を支援するため、大和は十一時の方角から支援射撃を行っている。距離が二万に近づいていくにつれて、彼女の砲撃も精度を増してきた。

 

ただし、懸念がないと言えば嘘だ。大和はすでに、敵戦艦三隻と撃ち合っており、その弾薬庫は間もなく空になってしまう。

 

支援といえばもう一人。大和の砲撃に少し遅れて立ち上った水柱は、先ほどのそれに比べて遥かに小さい。それでも重巡の射撃タイミングを邪魔するように、的確な射弾が撃ち込まれていた。

 

『神通さん、重巡はこちらで!』

 

―――吹雪ちゃん・・・!

 

一艦隊第二分隊の大和直衛として攻撃に参加している鎮守府最高練度の駆逐艦娘は、最新鋭戦艦の前衛として輪形陣に単艦で突撃、断続的に離脱と突入を繰り返し、“天山”隊の攻撃や四艦隊をバックアップする。あれだけの機動をやっているのに、一切迷いの見れないところがさすがだった。

 

重巡に一二・七サンチ砲弾が命中する。被害らしい被害は受けていないものの、さっきから周辺を小うるさく動き回る駆逐艦娘にいい加減イラついてきたのか、敵重巡はその右腕を吹雪へと指向した。

 

瞬間、強烈な閃光が走った。そしてそれをかき消すように、真っ白い冷水のオブジェが形作られる。この状況に似合わないほど、きらきらと幻想的な光景だった。

 

やがておどろおどろしい轟音が届く。水柱が崩れたとき、それまで輪形陣の一角をなしていた敵重巡は、影も形もなく、海上から姿を消していた。

 

お手本のような轟沈だった。戦艦の主砲弾がいかに強力なものか、その一端を垣間見た気がした。

 

が、喜んでばかりもいられない。

 

『すみません、今ので最後です』

 

切迫した声は、たった今、今日のスコアを更新した戦艦娘のものだ。彼女が大サービスした四六サンチ砲弾の在庫が、ついに尽きた瞬間だった。

 

「大和さん、ありがとうございました」

 

『ご武運を、お祈りします』

 

一本芯の通った、大和撫子そのものの柔らかな声。誰かを思い起こさせる雰囲気に背中を押され、神通たちは再び突撃を敢行する。

 

―――「大丈夫だって、神通ならできるよ」

 

いつもと変わらないノリで、彼女の姉は出撃前に頭を撫でてきた。前日の夜戦で損傷した川内は、今回の第二次攻勢に参加していない。

 

―――「みんな着いて来てくれる。だから神通は、前だけ見てればいい」

 

いつだか―――まだ神通が、鎮守府に配属されたてだったころに、今北方派遣艦隊を率いている参謀はそう言った。

 

やれる。川内型は、水雷戦隊の先頭に立ち、突撃するのが任務だ。

 

神通には、姉のようなカリスマ性も、妹のような親しみやすさもない。だから、考えた。自分に何ができるのか、今何をやれるのか。

 

努力。

 

二水戦に所属する駆逐艦娘に聞けば、きっと誰もがそう答える。誰よりも努力している神通を尊敬しているし、それ以上に信頼している。だから、彼女の背中に安心してついていける。

 

『神通、聞こえるクマ?』

 

特徴的な語尾の通信が入った。ある意味、発信者が誰だか一瞬でわかるこの語尾は、戦闘中には有用かもしれない。そんな場違いなことが考えられるほどには、神通は余裕を持てている。

 

「聞こえています」

 

『今、こっちから輪形陣を喰い破るクマ!両舷からの統制雷撃を試みるクマ!』

 

なぜか、鮭をくわえた熊が思い浮かんだ。

 

「了解です。発射タイミングはこちらがもらいますね」

 

『任せたクマ』

 

その瞬間、輪形陣の反対側で、巨大な水柱が立ち上った。目測では、大和より小さい。というか、鎮守府のどの戦艦よりも小さい。球磨が所属していた二制艦の編成を思い出して、神通はその正体に思い至った。

 

―――鳥海さんの支援射撃ですか。

 

鳥海に搭載されているという、長距離砲撃用の特殊艤装だろう。とすると、彼女の姉妹艦である摩耶も、

 

『撃てえええええっ!!行け球磨!あたしが風穴ぶち開ける!!』

 

当然突撃しているはずだ。

 

ふっと、笑いがこぼれた。

 

「こちらもねじ込みます」

 

『『了解!!』』

 

神通の宣言に、駆逐艦娘の返事が重なった。次の瞬間、神通とへ級は同時に発砲した。

 

互いの射弾が交差し、へ級は四艦隊全体を、神通はへ級を包み込む。初弾から至近弾。

 

第二射を発砲するのは、へ級の方が早かった。こればかりは、装填機構の違いなので仕方がない。落下した六インチ砲弾が弾着し、四艦隊に命中弾が生じた。敵弾を受けたのは、単縦陣中央の霰だった。

 

「被害報告!」

 

神通も第二射を放ちながら、被害を確認する。

 

『霰、被弾一。戦闘航行に支障なし』

 

幸い、大した被害ではなかったようだ。駆逐艦は、当たり所によっては一発で戦闘不能になる。霰は運がいい。

 

しばらく撃ち合いが続く。へ級は、先頭を行く神通に狙いを集中したようで、これでもかと水柱が立ち上った。その合間で、二発三発と被弾する。

 

が、第二次改装によって、船魂の発揮する能力をフルに使い、重巡並みの威力を持つ砲撃を繰り出した神通には敵わない。へ級が六回の斉射に対して、神通は四回。命中弾はそれぞれ六発と五発。しかしそれだけで、神通はへ級を行動不能に陥れた。

 

「牽制!弾幕張って!!」

 

こうなれば、遮るものはない。残っている駆逐艦を牽制するように一四サンチと一二・七サンチ砲弾をばら撒き、輪形陣に迫る。

 

「球磨さん、そちらは?」

 

『ばっちこいクマ!』

 

準備は整った。

 

両舷から迫ってくる水雷戦隊に対して、残存深海棲艦が弾幕を張る。ヲ級も、搭載している高角砲を振り立て、神通たちの接近を阻む弾幕を形成した。

 

「五○で投雷!」

 

『了解!』

 

五インチ砲弾の降りしきる中を、ただひたすらに突き進む。時折命中弾が生じると、艤装が発した装甲に弾かれ、あるいは一四サンチ単装砲をもぎ取り、火花と炸裂光が起こった。

 

「距離五○!」

 

同時に神通は舵を切り、輪形陣と反航する形をとる。同じタイミングで球磨と朝潮、満潮が転針したのは、電探の反射波で捕捉した。

 

「タイミング合わせます!三、二、一!」

 

輪形陣をサンドする二つの水雷戦隊は、同時に魚雷発射管を構えた。そこに装填されているのは、必殺の九三式酸素魚雷だ。

 

「投雷はじめ!」

 

『てっ!』

 

輪形陣の両側で、同じ声が上がった。軽巡洋艦娘と駆逐艦娘が各々の魚雷を発射する合図だ。同時に魚雷発射管の機構が作動し、圧搾空気と共にそこに収められていた猟犬たちを放つ。自由の身となった四十数本の魚雷は、設定された深度のもとで直進し、扇状に広がっていく。もっとも、燃焼剤に純酸素を使用していることによる副産物として航跡を残さない海中の刺客たちの行方は、神通たちにも、ましてや深海棲艦になどわかるはずもなかった。

 

四艦隊と二制艦の使用しているのは、“通常の”酸素魚雷だ。雷速を最大に設定された魚雷は、五○ノットの速力で、五千先の敵艦を目指す。到達までは約三分。

 

「面舵一杯。離脱後は再装填の準備を」

 

四艦隊各艦は、戦闘中においても迅速に魚雷の次発装填が行える装置を積んでいた。一応、全ての駆逐艦娘には予備の魚雷が積み込まれているが、戦闘行動中に再装填を行うのはまず無理だ。とはいえ、この次発装填装置も、ある程度安定した航行中でなければ再装填はできない。そのためには、一旦離脱する必要がある。

 

各艦自由回避で、輪形陣から距離を取る。その間、深海棲艦には回避運動を取る様子はなかった。

 

取るに取れないのだ。

 

今、敵機動部隊の両舷からは、艦娘たちの放った魚雷が接近している。どちらに舵を切ったところで、命中は必須だ。とすれば、唯一逃げ切る方法は、最大戦速で前進を続け、魚雷が後ろを通り過ぎてくれることを祈るだけ。

 

右に左にと、敵駆逐艦の射弾を避けながら、神通は時間を測り続ける。やがて―――

 

「・・・時間!」

 

到達時間だ。くるりと後ろを振り返り、魚雷の行方を確認する。

 

すぐには何も起こらない。が、次の瞬間、先の“天山”の雷撃を凌ぐ瀑布が、唐突に生じた。

 

最初の命中弾は、最後尾に位置していた駆逐艦だ。続いて神通との砲撃戦で傷ついた軽巡にも火焔が生まれる。これらの軽艦艇には、六一サンチもの直径を誇る酸素魚雷は過剰だった。瞬く間に波間に飲み込まれ、その姿を現すことはなかった。

 

反対側でも、魚雷炸裂の水柱が上がる。球磨たちの魚雷も到達しだしたらしい。そしてついに、輪形陣中央の空母にも、魚雷が命中した。

 

二番艦の位置にいるヲ級が大きくよろめく。それを狙っていたかのように、さらに連続して二発が突き刺さり、その信管を正常に作動させる。トドメとなったのは四発目だった。水柱と同時に、それを蒸発させんばかりの勢いで火柱が立ち上る。航空機用の燃料か、弾火薬庫にでも引火したのだろうか。威容を誇った正規空母は、瞬く合間に澪標となってしまった。

 

しかし、それ以上の命中弾はない。深海棲艦は、旗艦と思われるヲ級と駆逐艦二隻を残していた。

 

さすがに無理と思ったのか、三隻の敵艦が反転、AL方面へと遁走に入った。そして神通たちはまだ、次発装填を終えていない。

 

「次発装填急いで!」

 

―――このままじゃ、また。

 

あのヲ級を取り逃がせば、厄介なことになる。せっかくの北方作戦も、旗艦のヲ級を残していては無意味だ。海域の制海権を奪取するには、今、あのヲ級を叩かなければならない。もう一度戦力を立て直し、再度の攻勢を行う余力は、すでに北方派遣艦隊には残されていなかった。

 

『ダメ、こっちも捕捉できない!』

 

鳥海の悲痛な叫びが聞こえる。元々、彼女の特殊艤装は、重巡の主砲よりも少し射程が長い程度で、それ以外のスペックも原形となった試製巡洋艦用大口径狙撃砲と大差ない。そして支援砲であるがゆえに、装弾数はあまり多くなかった。

 

このままでは、逃げられてしまう。神通は焦りの表情で敵艦隊を見つめていた。

 

その時。

 

突如、最後尾の駆逐ロ級が、火炎に包まれた。そこへ連続する砲撃。多数の命中弾に耐えかねたロ級は、自らを葬り去った相手に一発も打ち返すことなく、断末魔の声と共に波間へと没していった。

 

一体、誰が。答えはすぐに見つかった。

 

この海域で唯一魚雷を使っていなかった、駆逐艦娘。深海棲艦へレクイエムを手向け、波間を華麗に舞い踊る、天下一品の水雷屋。

 

敵駆逐艦を撃破した吹雪が、最後のヲ級に挑もうと、両舷一杯で駆け抜けていった。

 

 

爆発を起こしたロ級の煙をものともせず、吹雪はまっすぐに突っ切った。まとわりつく火の粉を振り払い、その奥―――逃走を図る敵空母を睨む。

 

やるべきことはわかっていた。あの空母を取り逃がすことは、北方作戦の瓦解を意味する。神通たちが再装填中で動けない以上、唯一魚雷を残している吹雪が仕留めるしかない。

 

「両舷一杯!」

 

艤装の唸りが最大となる。主機が焼き切れる限界まで回転数を上げ、その反動が水を押しやって吹雪に速力をあたえた。

 

これが難しい任務であることはわかりきっていた。元々魚雷という兵器は、遅さゆえの命中率の低さがネックだ。それを補うために、水雷戦隊は同じタイミングで扇状に魚雷を放つことで、最低でも一発は当たるようにする。しかし吹雪は、それをたった一人でやろうとしている。

 

当然、必中を期すために、普段よりもさらに敵艦へ接近する必要がある。

 

今吹雪は、右手に神通たち、左に球磨たちを見て進んでいる。一方反転した敵空母と駆逐艦は、吹雪の正面を斜め四十五度で神通の前を横切る形で進んでいる。追いついて雷撃を仕掛けることは可能だ。

 

が、それと敵艦が接近を許してくれるかどうかは別問題だ。

 

―――早く・・・!!

 

吹雪が発揮する速力は三四ノット。過負荷で三五ノット。一方の敵空母は、被弾損傷しているため二四ノット。

 

距離を詰めようとする吹雪に、敵駆逐艦が発砲した。数秒後、飛翔音と共に五インチ砲弾が落下し、何とかして吹雪の接近を阻もうと水の壁を作り出す。

 

吹雪は現在、両舷一杯で驀進している。この状況で、こちらが砲撃を当てることは神業に等しい。普通はこれを無視して、あるいは牽制のために射弾を放って、後は速力にモノを言わせて強行突破する。

 

しかし、この時の吹雪にとって、妨害の射弾を放つロ級は、雷撃時に障害にしかならない。今は集団ではなく、たった一人でしか雷撃ができないのだから。不確定要素になり得るものは、極力取り除かなくてはならない。

 

吹雪は、右手に持った主砲を構える。砲炎をこれでもかと噴き上げる敵駆逐艦に狙いを定めた。その動きを見極め、ゆっくりと、引き金に指をかける。

 

発砲。吹雪の右手に握られた一二・七サンチ砲が咆哮し、二発の砲弾を放り出す。

 

海面の上を飛んで行った二発の弾丸は、寸分違わず、敵駆逐艦を撃ち抜いた。命中弾の火焔が上がり、敵駆逐艦が沈黙する。

 

轟音を聞いたのか、ヲ級がこちらを振り向いた。その表情は、驚くほどに生気に満ちている。真っ白い肌が煤汚れ、黄金色の相貌がさっきまで“彼女”に付き従っていた駆逐艦だったものと、それを葬り去った吹雪を見つめる。

 

憎しみに満ちたような表情。それは勘違いかもしれない。深海棲艦には、感情などと呼べるものはないのかもしれない。それでもその時の吹雪は、“彼女”に意思があることを確信していた。

 

ヲ級は怒り狂ったように咆哮し、残った高角砲―――だけではない、その頭部艤装に据えられていた連装砲塔までも指向させた。

 

発砲。五インチ砲弾がミシン目のように海面を沸き立たせ、連装砲から放たれた八インチ級と思しき弾丸が衝撃波と破片を振りまく。

 

もはやヲ級は、どこからどうみても、理性を失った“人間”そのものだった。それまでの深海棲艦とは一線を画する振る舞いに、吹雪は内心で動揺する。

 

―――ドウシテ・・・!

 

そんな声が聞こえた気がした。

 

最初から撤退する気などなかったように、ヲ級は再び反転すると、吹雪へと突進してきた。そんな状況でも、その射弾は正確だった。内心の動揺など微塵も見せずに、吹雪はその弾道を見極め、的確に回避運動を繰り返す。右左、あるいは速力を緩め、かと思えば急加速とスピードスケートのような鋭いターンを繰り出す。自らの艤装を知り尽くしているからこそできる機動だ。

 

―――皆ミンナ、沈ンデシマエバイイ・・・!!

 

それでも、至近弾が生じる。八インチ砲弾が弾着すれば、その鋭い断片が装甲と当たって異音を響かせ、五インチ砲弾の衝撃波が脚部艤装を揺らす。降りかかる水滴が、短くまとめた髪を濡らした。

 

吹雪も砲撃をする。とはいえ距離は七千。急激な回避運動を繰り返す中で命中弾を出すことは、いかに吹雪でも無理難題というものだ。

 

そもそも、狂ったように砲撃を繰り出すヲ級が、そんな隙は与えてくれなかった。

 

―――アノ海ヘ、帰ルノヨ・・・!!

 

―――何モナイ、何モ見エナイ。

 

―――ソレデイイノ。ソレデ良カッタノニ・・・!!

 

叫びに近かった。深海棲艦の叫び。いや、もしかしたらこれは。

 

船の、叫び。

 

吹雪は艦娘だ。かつて戦いの中に沈んでいった、吹雪型駆逐艦一番艦“吹雪”の魂が、この世で少女を依代として“艤装”に宿っている。だから、吹雪には時折、“吹雪”の声が聞こえた。

 

それは漠然的でしかなく、確かな確証があるわけでもない。それでも、直に感じるこの感覚は。艦娘である自分にしか伝わらないこの感覚は。

 

仲間を守れなかったことへの、強い思い。海の底で、冷たい眠りについた寂しさ。

 

深海棲艦も、あるいは同じなのかもしれない。同じ船であり、同じ思い、同じ寂しさを持った、眠れぬ魂なのかもしれない。

 

「ぐっ・・・!!」

 

八インチ砲の衝撃に煽られた吹雪に、五インチ砲弾が命中する。艤装右の吸気口を捻じ曲げた弾丸に顔をしかめる。

 

怒り。悲しみ。そしてそれ以上の苦しさ。“吹雪”の魂が共鳴しているような感覚。命中した砲弾からわずかに感じられた想い。

 

“彼女”は目覚めてしまったのだ。ずっと閉じ込めていた“何か”に。

 

綺麗事と言われてもいい。それを言えるのは、一駆逐艦でしかない自分だから。吹雪であるから、思えることだってある。

 

―――楽にしてあげたい。

 

それは、わたしが艦娘だからだろうか。同じ船魂を持っているから、そんなことを思うのかもしれない。

 

キッとヲ級を睨む。お互いに現在発揮しうる最大戦速で突撃したため、彼我の距離はすでに五千に迫ろうとしている。

 

―――後少し。

 

今の吹雪を突き動かすのは、作戦完遂への執念ではない。同じ船魂への手向け。狂い、苦しむ魂を鎮められるのは、わたししかいないのだから。

 

―――四○。

 

カウントを始める。敵弾を躱し、自らも射弾を放つ。

 

―――三○。

 

相反する二つの魂。コインの表と裏は一体であり、裏の裏は表なのだ。

 

―――二○。

 

ヲ級は目と鼻の先だ。五インチ砲弾が頬を掠め、かと思えば、吹雪の射弾が高角砲を潰す。

 

―――ナンデヨ・・・ナンデナノヨ・・・!

 

―――わたしには、守りたいものがある。だから絶対、引くわけにはいかない。

 

―――堕チロ・・・堕チロ!!

 

―――あなたを止める。ううん、あなただけじゃない。

 

―――ヤメロ・・・思イ出サセルナ。

 

―――これはわたしと、“吹雪”が決めたことだから。

 

―――来ルナ・・・来ルな!!

 

吹雪の魚雷発射管が旋回し、正面のヲ級を捉える。そこに装填されているのは、九三式酸素魚雷。ただし、神通たちが使っていたものとは違う。北方派遣艦隊の第二陣参加に当たって明石から託された、十八本の新型魚雷。短射程高速型の水雷戦隊用酸素魚雷。その先行試作型だ。今残っているのは、吹雪の魚雷発射管に装填されている六本だけだった。

 

「投雷はじめっ!!」

 

水滴のへばりついた髪を震わせて、残った体力と気力の限りで叫ぶ。圧搾空気が酸素魚雷を撃ち出す鈍い音がした後、六本の酸素魚雷は、小さな飛沫と共に水面下へ潜り、六○ノットを超える速力でヲ級へと向かっていった。

 

「お願い・・・当たってください!!」

 

吹雪は一二・七サンチ砲をありったけ乱射する。ヲ級の動きを封じるためだ。

 

ヲ級が放った五インチ砲弾が、吹雪の肩の辺りに命中する。艤装の加護によってなんとか凌いだものの、その勢いに後方へと吹き飛ばされた。

 

起き上がった吹雪は、静かにヲ級を見据える。

 

二千を切った超至近距離で放たれた魚雷が到達するのに、大して時間はかからなかった。

 

ほとんど同時に、二本の水柱がヲ級の正面に立ち上った。ヲ級の頭部艤装よりも遥かに高い二本のオベリスクに挟まれたわずかな隙間に、“彼女”の死んだ珊瑚のように白く幻想的な顔が見える。琥珀の瞳が、淡い色彩をたたえて、吹雪を見つめていた。

 

声が出なかった。崩れ行く水柱と、それに引き込まれるようにして傾いでいくヲ級に、ただただ目を向けるだけだ。

 

体を起こした吹雪は、両舷微速で沈み行くヲ級に近づく。その艤装からは、もはや砲炎が迸ることはない。力なく垂れている頭部艤装の触手が、波間で漂う。その様子を、吹雪は固唾を呑んで見守っていた。

 

―――マタ、戻っテシマうのカ。

 

虚ろだった琥珀色の瞳が動いて、“彼女”の上空を見つめた。

 

―――青イ・・・青い空。

 

ボロボロの手袋をはめた手を、ヲ級は届くはずのない天に伸ばした。傾いた太陽に透けるような手のひらが、力なく開閉される。

 

―――今度は・・・深ク、安ラカな眠りニ。

 

ハイライトの消えていた瞳に、今一度光が宿る。しかしそれは、それまで海上に君臨し、周囲を睥睨していた禍々しい輝きではなく、水面を照らし出す月光に似た淡いきらめきだった。

 

立ち尽くす吹雪に、“彼女”は力強い生と微笑みに近い優しさを湛えた瞳を向けた。その表情が―――鉄の仮面のように無機質だった蒼白の頬が、微かに歪んでえくぼを作った。

 

―――ありがとう。

 

それを最後に、ヲ級は揺れる北方の海に消えていった。その頬に伝う水滴は、飛び散った海水だったのか、あるいは―――

 

掴んでいた一ニ・七サンチ連装砲を手放す。その場に直立不動となると、吹雪は指先まで伸ばした右手を額に当てて敬礼した。

 

悲しみは湧いてこない。どう言い繕ったところで、“彼女”が自分たちの仲間を傷つけたことに変わりはなく、そんな相手を哀れむことなどできなかった。

 

が、同じ船として。今水底で眠りにつこうとする“彼女”を手向けるのは、至極当然のことだった。それはもしかしたら、駆逐艦“吹雪”から受け継がれた想いなのかもしれない。

 

十数秒の後、吹雪は右手を下げ、再び主砲を握る。主機を動かし、小さなカーブを描いて反転、待機している大和たちと合流を図る。

 

帰ろう。わたしたちも、自らの居場所へ。

 

彼の待つ、鎮守府へ。

 

 

 

ここに、熾烈を極めた北方作戦は終止符が打たれることとなった。傷付きながらも、人類の未来のため戦った少女たちが鎮守府へと帰還するのは、それから三日後のことだ。




これで、北方海域編無事終了となります

と、思ったのですが。年内に、次回以降に続く短いエピソードを投稿できればなと

当分は、既存の文章の見直しと改定を予定してます

それでは、次回もお楽しみに

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。