今回は戦闘はありません。次回以降になりそうです
夏も終わりですが、自分は浦風の浴衣がドストライク過ぎて絶賛悶え中です
いい歳して何やってんだろ俺・・・
朧も可愛かったですね
今回もどうぞよろしくお願いします
―――夢を見ていた。
遠い―――多分、ずっと昔の、どこか別の世界での話。悲しい、話。
冷たくて。暗くて。悲しくて。寂しくて。
でも、どこか懐かしくて。暖かくて。
これは何?
夢。
そう、そうか。
夢を、見てるんだ。
◇
暗闇に包まれた視界に、微かな光を感じ取った吹雪は、そっと、その瞼を持ち上げた。
蛍光灯の白い光が、目に付き刺さる。見覚えがあるようで、なかなか思い出せない天井の模様をぼんやりとした頭で見つめていた吹雪は、自らの横に人の気配を感じて、首を動かそうとした。が、案の定、鉛のように重い体はなかなか言うことを聞かず、ぎちぎちと油の足りないロボットのような動きが、衣ずれの音を伴ってようやくできた程度だった。
その音で気づいたのか、気配の主は彼女の頭の位置から動き、正面から見えるようにこちらを覗き込んだ。
「目が覚めた?」
普段と変わらずにこちらへ呼びかけたのは、白の第二種軍装に身を包んだ司令官その人だった。
「・・・司令、官」
彼の姿を認めた吹雪は、なんとかしてその体を起こそうとする。それを司令官は、柔和な表情で押し止めた。
「いいよ、そのままで。軍医長も、しばらくは安静にって言ってたから」
「・・・はい」
力なく答えて、再びベッドに身を委ねる。真っ白に整えられた鎮守府医務室のベッドは、吹雪のか細い体を癒すように包んで、かつ力強く支えていた。
「あの・・・、司令官は・・・?」
「ん?ああ、お見舞いをと思ってね。目が覚めたみたいで、丁度よかった」
それは艦隊の指揮官としてでなく、普段艦娘と接するときのしゃべり方だった。
「ありがとう、ございます」
どう答えるべきか迷って、結局ありきたりな言葉を返す。それに温和な笑顔でうなずいて、司令官は立ち上がった。
「軍医長を呼んでくるよ。そのまま待ってて」
そう言って、医務室を後にする。残された吹雪は、さっきまで司令官が立っていた位置―――枕元の机を見やって、目を見開く。
『早くよくなって』
艦隊一同と書かれた小さいカードと共に、間宮さん特製の羊羹が置かれていた。
感覚の戻りだした左手を、その机に向かって延ばす。指先から順番に、黄色い箱に手を触れていく。丁寧な装丁の表面が冷たく、心地よい感覚を伝えてくれた。
「撤退艦隊のみんなが、持ってきてくれたんだ」
入口を見る。軍医長を連れた司令官が、優しげに吹雪の手元を見ていた。ほんのり頬を染め、手を引っ込める。
「後で食べる?」
「はい・・・。いただきます」
小さく頷く。司令官は、わかったとだけ言って、机の引き出しからお皿とティーパックを取り出し、簡易ポッドでお湯を沸かしだした。その間、軍医長が吹雪の心電図を見ている。
白衣に細身フレーム、髪をポニーテールでまとめた女医は、てきぱきと確認を済ませ、最後に吹雪を正面から見据えた。
「体を起こせる?」
「は、はい」
吹雪は、ゆっくりと体を起こした。ゆるい患者着が布団の下から現れ、上半身をベッドの上に立てる。
「特に怪我とかはなかったから、安心して頂戴。どこか痛むところはある?」
「いえ、特には・・・」
「そう。ならいいわ。でも、体に相当の負荷がかかっていたから、しばらくは安静にしてなさい。食事は普通で大丈夫よ」
軍医長はそれだけ言うと、「それじゃ」と医務室を後にした。
残された二人の間に、ポットがたてるコポコポという音だけが流れた。
「・・・あ、羊羹切らなくちゃ。ちょっと、給湯室に行ってくるよ」
黄色の箱に手を出そうとした司令官がふと気づいて、それを持ったまま医務室の病棟に併設された給湯室へ席を立った。その後姿を目で追っていた吹雪は思い出したようにベッドを操作すると、枕元がリクライニングの要領で上がった。緩やかな傾斜に背を預ける。
ようやく整理の追いついた頭で、吹雪は記憶を―――ベッドで目を覚ます前の出来事を思い返した。彼女が率いる撤退艦隊が、敵戦艦部隊の襲撃を受けた時のことだ。
立ち上る水柱。回避運動。被害の拡大。旗艦移譲。単艦での突撃。
リミッターの解除。
そこから先は曖昧だ。ただ我武者羅に、敵艦隊に向かっていったことだけを憶えている。そこに濃霧の中から、低空飛行の“天山”が現れたことも。朦朧とする意識の中、撤退艦隊が無事退避した旨の報告を受けた気もするし、違うかもしれない。
―――でも、わたしはこうして生きてる。
右手を閉じたり開いたりしてみる。主砲の引き金にかけていた人差し指が少し痛むものの、手のひらは問題なく動いた。
生きてる。
もともと沈む気なんて毛頭なかったが、こうして今一度、自分が生きていることを実感すると、自然と涙が溢れてくる。
だが吹雪は、それを懸命に堪えた。彼の前で泣くわけにはいかない。泣く資格なんて、ない。
彼との約束を破ってしまった。それだけじゃない。彼の想いさえも裏切ってしまった。そんな自分が、泣くことなんてできなかった。
「お待たせ」
吹雪の考えなど微塵も知らないように、司令官は優しげな声と共に戻ってきた。切り分けられた羊羹をお皿に取って、沸いたお湯でお茶を淹れる。慈しみに溢れる所作に、吹雪は胸がズキズキと痛むのを感じた。
移動式のテーブルに二人分の羊羹とお茶が並ぶ。つやつやとした甘い香りと、芳醇な湯気が鼻孔をくすぐった。
「・・・いただきます」
吹雪はゆっくりと手を伸ばし、フォークで羊羹を食べる。口に含んだ一口が柔らかな甘さを舌に伝え、心地よい穏やかさをもたらした。それを満足げに見ていた司令官も手をつけ、その味わいに顔をほころばせる。
「あの・・・撤退部隊は?」
「ん?ああ、皆無事だったよ。何人か損傷はしてたけど、すぐに修復可能だ」
吹雪の確認に短く司令官が答えた。改めて確かめられると、安堵の溜め息がでる。
「よかった・・・」
「・・・そうだな」
半分ほどを食べた司令官は、お茶を一口含み、一転して真剣な表情で吹雪を見つめる。吹雪も手を止め、背筋を伸ばした。
「少し・・・蒸し返してもいいかな」
こくん。頷くと、司令官がまた口を開く。
「結果として、吹雪のおかげで皆助かった。そこについては感謝してる」
「・・・はい」
「だけどな、そのために吹雪がやったことを、認めるわけにはいかない」
真摯な声は、今までにない厳しい言葉を繋げる。吹雪は黙って、それを聞いていた。
「一人の犠牲で、大勢を救うなんていうのは、最後に考えることだ。僕は君たちに生きて欲しい。生きて、艦娘を退役して、普通の女の子に戻って欲しい。それは吹雪たちに当然与えられる権利で、僕が君たちにしなきゃいけない保障だ。吹雪を戦場に送り出してる僕が言うのもおかしいと思うけど」
“俺”から“僕”へ。一人称の切り替わりは、これが彼の本心であることを如実に示していた。
「絶対に生きて帰ってくること。約束してくれ」
どこか悲しげで、儚い瞳。彼に何があったのか、吹雪には知る由もない。彼と会ってから、時たま見せるこの表情がなぜかとてもか弱く見える。
その顔を直視できずに、吹雪は目線を下げる。そのまま、小刻みに頭を縦に振るのが精一杯だった。油断すれば、また涙が堰を切って流れ出ようとする。
「・・・ごめん」
司令官はうすくはにかむ。残った羊羹とお茶を流し込んで、彼は立ち上がった。
「とにかく、吹雪はまずしっかり休んでくれ」
白手袋をはずした手が、吹雪の頭にのる。ポンポン、と軽く叩く手のひらの温かさに少しだけ心が凪いだ。
「お疲れ様。よく帰ってきてくれた」
司令官は病室を後にする。が、何かを思い出したように入口で立ち止まり、吹雪を振り向いた。
「それと・・・リミッターの件、言いたい範囲でかまわない、教えてくれると嬉しい」
心臓が跳ね上がる。同時に、彼が元情報将校であったことを思い出した。
―――敵わないなあ、司令官には。
今、このタイミングで言ったのはなぜか。わからない吹雪ではなかった。司令官は“わかった上で”、吹雪のところへ来たのだ。
その背中が見えなくなる。吹雪は人気のないことを確認して、
「・・・うっ・・・ふぇっ、く・・・」
静かに、涙を流した。
◇
「甘いんじゃないか?」
煤汚れた作業服に手ぬぐいを提げた工廠長は、開口一番、提督にそう言い放った。
「・・・かも、しれません」
たった今出てきた病室の中を想う。でも、これでいいのだ。吹雪は話してくれると信じている。
帰投した北方派遣艦隊の損害は、
大破:吹雪
中破:若葉、陽炎、五十鈴
小破:伊勢、日向
損傷:島風、長門、加賀
という状態だった。この他に赤城、加賀の航空隊がいくらか消耗したものの、機体はすぐに補充され、部隊再編は終わっている。
それぞれの艤装はすでに修復作業が行われ、部品の全とっかえがあった若葉を除いて、後は艦娘との微調整のみで使用が可能な状態になっていた。
ただし、吹雪の艤装は例外だった。致命的な欠陥―――リミッターが解除された形跡が見つかったのだ。
「それ自体はまだいい。いや、全然よくはないが、まだましだ。リミッターが外れただけなら、夕立のときみたいに原因を突き止めて、対策を施せばいい」
だがな。艤装の修復を指揮する工廠長は、提督に自らの見解をこう述べた。
「戦闘詳報、艤装の損害状況、吹き飛んだパーツや撤退艦隊の証言を照らし合わせても、これといった原因が見つからんのだ」
一呼吸が挟まれる。
「断定は危険だが・・・。これは艤装の不具合や環境的要因からきた“事故”じゃない、明らかに“意図的に”リミッターが解除されている」
工廠長がこう結論付けたのが三日前、吹雪の帰還から二日後のことだ。
故意にリミッターを解除する。それは言うまでもなく危険な行為だ。艦娘自身に負荷がかかるだけでなく、彼女たちを轟沈から守る最後の砦が消失することも意味するからだ。
「まさか、あれを公開したわけじゃないだろう?」
「・・・もちろんです。まず長官が握りつぶしていますし、何度か直接上から来たときも、俺のほうで破り捨ててますから」
それは、念のために装備された、リミッター解除の方法。この事実を知るのは、実際に設計に携わった工廠長や上層部の一部、そして提督である彼だけのはずだ。上層部はこれを利用しようと何度も鎮守府に艦娘たちへの公開を迫っているが、もちろんそんなことを許す彼ではない。それは、以前の夕立、そして今回の吹雪のようなことを招かないためだ。
「ま、そもそもあれは、洋上でできるような代物でもないしな。こっそりやるにも、俺たち工廠部が見逃すはずがない」
リミッター解除の方法は工廠で行ううえにかなり複雑な工程を必要とする。それもそのはず、そう易々と解除できては困るのだ。
「・・・なにか、別の方法があるのかもな」
「どうなんでしょう。工廠長も、そういったことは?」
「いや、特に聞いたことがないな」
由々しき事態だ。リミッター解除の方法―――それも、洋上で手軽にできる方法が存在するのだとしたら。
可能性は極めて低い。が、ゼロではない。
―――だとしたら、吹雪はどこでそれを知ったんだ・・・?
疑問は尽きない。だが、今それを考えても仕方がないと、頭から振り切る。詳しくは吹雪から聞くしかないし、彼は吹雪が語ってくれることを信じて疑わなかった。
「とにかく今は、目の前の状況に対処しましょう」
扉の先の作戦室は、すでに準備が整っていた。北方海域の海図が大写しになった液晶パネルを囲むようにして、数人が立っている。
まずは、北方海域に出現した強力な機動部隊に、鎮守府の戦力がどう挑んでいくかを考えることにしよう。
「キス島は、一時的に放棄せざるをえないと考えます」
液晶パネルの海図を前にして、ユキは開口一番に発言した。
現在作戦室には、提督とユキ、ライゾウの三将校、これに長門、赤城、加賀、大淀、そして工廠長を加えた八人が詰めている。ライゾウが参加しているのは、今回の北方作戦の指揮が彼に一任されることになっていたからだ。
「やはり、維持は難しいか」
「はい。北方に大規模艦隊を派遣して敵艦隊を一掃するにしても、それなりの時間と労力が掛かります。それが終わった後に、すぐキス島に再進駐、とはいきません」
ユキの言葉に、ライゾウが唸る。戦略的な意味はわかっても、やはり一度奪還した海域を手放すというのは悔しいし、納得いかないところもあるのだ。
「そもそも、北方海域は維持していくのが難しいんです。今までは深海棲艦の活動が活発でなかったために、定期で船団も送り込めました。ですが、これからはそうも行かなくなります」
それまで北方では生息不可能と思われていた深海棲艦が進出してきた以上、これを掃討しても海域を維持し続けるにはそれなりの戦力を割かなければならない。同様に、船団の護衛も考え直す必要がある。
「北米への連絡路を確保するにしても、全てはこの戦闘が終わってから進めるべきです。同時進行は中途半端な結果しか生みません」
「その辺りは、いくつか方針を考えておこう。まずは北方の艦隊をどうするかだ」
提督が一旦ユキを遮り、本来の話題へ転換する。彼の目配せを受けて、大淀は頷き、手元のタブレットを操作する。
「まずは現状の確認からです。長門さんたち強攻偵察艦隊が確認した敵艦隊は以下の通りとなっています」
液晶パネルがルーズして、北海道からAL諸島にかけての海域が写される。長門が赤い模型をどけると、代わりに海図上に印が入り、確認された敵艦隊を示した。
「キス島周辺には、巡洋艦を中心とした艦隊が三つ展開しています。その後方、AL諸島深部に敵主力艦隊。確認できたのは機動部隊が三つと火力部隊が一つ、水雷戦隊多数です」
間違いありませんね。大淀の視線に、長門が頷く。
「以後、艦隊の変動等はありますが、概ねこの配置を守っています。総兵力は確認できるだけで戦艦六、空母六、軽空母四、巡洋艦と駆逐艦が多数です」
「現在も航空偵察と潜水艦による哨戒は続けているが、増援は確認されていない。ただ、AL深部方面への偵察機は未帰還機が多く、状況はなんとも言いがたい」
大淀のあとを継いだ提督は、そこで言葉を切る。
「・・・陸上型の存在も、考慮して欲しい」
長門たちは息を呑んだ。
陸上型というのは、文字通り陸棲の敵だ。ただし、深海棲艦とは少し異なる存在とされている。深海棲艦の上位意思と考えられている鬼、姫クラスの一部には、そうしたタイプが確認されていた。とはいっても、これは地球側で確認されたもので、今まで鯖世界側で確認されたことはなかった。
「深海棲艦の動きも、このAL深部を中心としています。この近辺で、何らかの動きがあった、と考えるのが妥当でしょう」
いつも通りの冷静な声で、加賀はAL諸島の周辺海域を指でなぞった。
「ただ、敵さんの体勢はまだ整ってないんだろうな。だからせっかくAL深部の守りを固めてるのに、長門たちがキス島沖に現れるとわざわざ前進してきた」
ライゾウが指摘する。
「だろうな。でなければ、わざわざ守りを固めたAL諸島深部からキス島周辺に前進する理由がない」
長門も同意した。それを引き継いで、赤城が口を開く。
「とすれば、決戦海域はこちらの任意で選択できますね」
彼女の目線が、確認するように提督へと伸びた。
「前線は幌筵でしたよね?」
「そうだ。大湊に中継点を構築して、前線は幌筵にする予定だ」
「とすれば、キス島あたりが想定される決戦海域でしょうか」
赤城が液晶パネルを操作し、キス島の周辺に赤丸を描く。前線となる幌筵の北東、それほど大きくないその島は、つい先日の作戦でも主戦場となったばかりだ。
「もっと手前・・・アツ島辺りではダメなのか?」
赤城の提案に対し、長門が指差したのはさらに幌筵寄りの島―――アツ島であった。キス島と同じく鎮守府の確保した小島は、現在キス島の放棄に合わせて一時的に無人の状態となっている。
「そこまで誘引するのは難しいですね・・・。キス島でも、今回と同じように敵艦隊が出てきてくれるとは限りませんし」
「それもそうだな・・・」
短く答え、彼女は再び考えるようにあごに手を添えた。何か妙案はないものか、そんな表情だ。
「とりあえず、キス島周辺を決戦海域と想定して話を進めてよろしいでしょうか?」
全体を見渡し、最後に提督のほうへ確認の視線を寄越した赤城に、短くうなずく。それを見て、赤城はさらに話を続けた。
「まず、どのようにして敵艦隊を誘引するか、ですが」
「キス島周辺に展開しているのは、巡洋艦を主力とした水雷戦隊だったな?」
「はい」
「では、こちらも主力部隊の前面に巡洋艦を主力とした前衛を配置したらどうだ?」
黙考していた長門が、敵艦隊を表す赤の模型を海図上に並べ、ついで味方を模した青の模型を幌筵手前に配置する。主力の機動部隊の前には、前衛艦隊が置かれる。
「こうして、まず前衛がキス島沖の敵艦隊に切り込む。これを受けて誘引された主力部隊を、こちらの主力艦隊が迎え撃つ」
説明しながら模型を動かす。まず、前衛―――巡洋艦を主体とした艦隊が、キス島沖の敵艦隊を攻撃し、その模型をいくつか倒す。それを受けて、AL深部から、敵主力が誘引されてきた。ここまでは、先日のキス島沖での戦闘と変わらない。
敵主力艦隊が現れたところで、前衛は速力を生かして撤退にかかる。代わりに、戦艦と空母を中心とした主力が前面に出て、敵艦隊と対峙する形となった。
「キス島沖で戦闘をしてみたが、これぐらいの連携は十分できるはずだ」
どう思う?その意味を込めて、長門は赤城と加賀を見やった。
「・・・可能だと考えます。ただそれは、霧が晴れた、索敵を十分に行える環境で、という条件付ですが」
静かに口を開いた加賀が、普段通りに淡々と考えを述べる。いつも以上に感情の籠もらないその声は、キス島沖での警戒失敗から来たものなのか―――
「その点については問題ない。本格的な艦隊戦を行おうとすれば、いくら高性能な電探を積んでも、霧の中では無理だからな」
「・・・それならば、同意します」
「もう一つ、根本的な提案をしてよろしいでしょうか?」
珍しく口を開いたのは、大淀だった。普段は情報の伝達や、補給等のアドバイスのみを行う彼女が、作戦そのものに口を挟むことは今までなかった。その表情は、慣れないことへの緊張か、少しばかり堅くなっている。
その場の全員が、発言を促すように首肯した。大淀が口を開く。
「北方海域からの全面撤退、という選択肢はありませんか」
「なん・・・だと・・・?」
長門が一瞬言葉を失う。だが次の瞬間には、その真意を推し量るように、視線を海図へと移した。
「なるほど・・・。確かに、北方海域の維持を諦めれば戦う必要はないし、より有利な条件をそろえて戦うこともできる」
「はい。現在の鎮守府の展開能力を考えると、戦闘海域は近海のほうがいいです。それは作戦規模が大きくなればなるほど、傾向が強くなります。補給の観点から言えば、今回のような前例のない大規模作戦を実施するのに、幌筵は遠すぎます」
鎮守府は、鯖日本全体で一つだけだ。つまり大湊や幌筵への展開に当たっては、設備等で劣る艦娘母艦を使用せざるを得ない。これらは備蓄できる資源の量が少なく、作戦を円滑に進めるには、頻繁な資源輸送が必要になるはずだ。艦娘母艦が一隻で戦えるのは精々が一週間。それ以上は、新たに輸送船を出す必要がある。そしてそれを護衛する艦娘がやはり必要になる。
さらに、母艦での修理が不可能と判断された艦娘については、鎮守府まで護衛していかなければならない。これが鎮守府近海だと、最悪陸路という選択肢をとることができる。鯖日本においても、鉄道網はよく発達しているし、高速道路も走っている。エネルギー不足から一部制限されているところもあるが、概ねスムーズに使うことができた。
つまり、こうした観点から考えると、鎮守府近海で戦う方が色々と便利なのだ。
「それに、資源確保という意味でも、現在の優先度は北方よりも西方にあると考えますが」
だがしかし、大淀の主張に提督は首を縦には振らなかった。
「確かに、戦争継続という意味では、重点は西方に置くべきだ。けど、戦争終結という見方をしたとき、北方の存在は欠かせない」
現在、北方航路は、大陸に通じる二つ目の道として、その役目を果たし始めたところだ。それに前述の通り、今後北米との連絡路を確保する上でも、北方海域の制海権確保は重要な点となる。深海棲艦との戦いを終結させるには、米国との接触が不可欠であり、その意味では北方海域の重要度は西方よりも高かった。
「一時的な撤退はあっても、全面放棄はありえない。そのために、まだ体勢の整わないうちに北方の敵艦隊を叩いておきたい」
「・・・わかりました」
大淀は納得したようで、元のように一歩引くと、手元の記録用紙に何かを書きとめ始めた。
この時点で、鎮守府の方針は「北方艦隊決戦」の方向でまとまった。さらに細部を詰めるべく、各人が意見を述べ、どの程度の戦力を投入可能なのかを見極めていく。
会議の終了には、まだ時間が掛かりそうだ。
◇
結局、作戦会議は二時間を要した。その結果決まった投入戦力は、以下の通り。
北方派遣艦隊
指揮官:ライゾウ中佐、ユキ少佐
支援母艦:“横須賀”、“大湊”、“幌筵”
戦艦:長門、陸奥、金剛、比叡、扶桑、山城
航空母艦:赤城、加賀、蒼龍、飛龍、千歳、千代田
重巡洋艦:利根、筑摩、摩耶、鳥海、妙高、那智、足柄、青葉、衣笠
軽巡洋艦:川内、神通、那珂、由良、阿武隈、球磨、多摩
駆逐艦:叢雲、磯波、綾波、敷波、暁、響、雷、電、初春、子日、若葉、初霜、朝潮、大潮、満潮、荒潮、霰、霞、陽炎、不知火、黒潮、舞風
水上機母艦:千歳、千代田(航空母艦からの艤装転換)
他高速輸送艦三隻
作戦開始は、一週間後。
これに加え、増派部隊として、“翔鶴”、“瑞鶴”を中心とした艦隊が準備中だった。正規空母であるこの二隻の艦娘が第一陣に加えられていないのは、艦載機の機種転換―――新型艦戦として完成した“紫電”改二へ、戦闘機を全面転換中だったからだ。ちなみに、第一陣の空母艦娘たちは、“紫電”隊と零戦隊の混載となっている。
作戦参加艦娘が決まったことを受け、鎮守府は緊張感を持った慌しさに包まれ始める。それは当然、医務室で休む吹雪の元にも、ひしひしと伝わっていた。
沖ノ島以来の空気に、自然とこぶしに力が入る。みんなの無事を祈る気持ちと、何もできない自分の無力さがない交ぜになる、こんな気分は初めてだった。
音もなく起き上がると、部屋の端にある窓へと歩み寄る。ガラス越しに見上げた空は、どんよりとした曇り空で、作戦の困難さを予想させるようだった。
ひたと、窓に触れる。まだ陽は低い。夏だというのにひんやりとした透明な板には、うっすらと自分の顔が映っている。患者着を着て、髪を下ろしている自分の姿の向こう側に、物資の搬入中なのだろうか、駆け足で荷台を押していく港湾部員が見えた。
ゆっくり腕を下ろし、窓際から離れる。冷たさが、まだ手のひらにこびりついていた。
千歳型の艤装には、ちょっと特殊(?)な設定をしています
さて、次回からついに本格的な海戦が始まるわけですが、ぶっちゃけ北方海域(それ以外もだけど)最大の敵って羅針盤なんですよね・・・
読んでいただいた方、ありがとうございます
北方海域編(勝手に命名)で一応一区切りつける予定です(終わるとは言ってない)
これからますます投稿頻度が落ちそうですが、何卒よろしくお願いします