深夜の帝都は騒々しさが売りであるが、時には静かな時もある。
今宵は後者であった。
帝都のメインストリートから少し離れた住宅街に立ち並ぶ建築物の中に、ジーダスの自宅はひっそりと存在していた。
傍目から見れば、ただのレンガ造りの家であるが、内部では悲惨と悲劇と狂気が渦巻く、狂人たちの知床となっている。
と言っても、入った瞬間から狂喜乱舞ではなく、それら全ては地下にて行われている。
地下2階。
石造りの壁と床の中、簡易的な机と巨大な額縁のみが存在していた。
冷たい鋼鉄製の扉には覗き窓があり、異常な空間と外とを繋ぐ、唯一の出入り口であった。
蛍光灯の灯りの下、2人の男が存在する。
「はい。ではショウイさん。今から貴方を怪画に変えます」
作業着にエプロン姿のジーダスは腕まくりをした右腕を見せながら、手足を縛られ、猿轡をされたショウイを見る。
既にショウイの顔は恐怖に染まっており、股間辺りは濡れ切っている。
服は邪魔だからと全て剥ぎ取られ、生まれたままの姿で、冷たい石床に座っていた。
逆にジーダスはとっても良い笑顔を浮かべている。
「と言っても、すごーく簡単なんですよ?」
ジーダスは床に固定された巨大な額縁、というよりも水槽に額縁を取り付けただけの物の前に、ショウイを引き摺っていく。
中は透明な液体で満たされており、ジーダスが水槽に触れたため、僅かな振動で小波が起きていた。
「ホルマリン漬けにしてお仕舞。それだけでやがりますよー? 簡単簡単」
ホルマリンは生物の標本の作成時などに使用される液体である。
正確にはホルムアルデヒドの水溶液のこと。
生体にとって有害であり、生物の組織標本作製のための固定・防腐処理に広く用いられている。
分子中のアルデヒド其が、主にタンパク質のアミノ其に結合し、生物の様々な生物活性を無くしてしまうために、死に至るのだ。
要約すると、生物をぶち込めば死ぬ、である。
「この中にぶち込んで、死ぬまでの苦痛。それから来る断末魔。そして最後の表情。そうして完成した怪画は、一部の『えげつない趣味』を持つ方々に高く売れるんでやがりますよ。今回はショウイ大臣のが、どーしても欲しいって方からのリクエストがありやして」
淡々、でも何処か嬉々としてジーダスはショウイの手足を縛っていた縄を解き、猿轡を外す。
ショウイの怪画を欲しがっているのは、過去に権力争いでショウイに敗れた、元同僚である。
大金を出してまで、自分を追い抜き、買ってきた男の最後の面を眺めたい、という下卑た欲望のため、ショウイはこの狂人に捕まってしまった。
「あ。もしクライアントが貴方を要らない、と言った場合……もしかしたら、チャンスがあるかもしれませんよ?」
「チャンスだと……?」
ようやく喋ることが許されたショウイは逃げ出す隙を伺い、狂人は目の前でポケット内部から何かを取り出す動作をしている。
今なら逃げられるかもしれないが、相手は普通の文官とは違う存在。
下手をすると、更に痛い目に遭わされる可能性もある。
今は黙って、ジーダスの様子を見ることに決めたショウイであった。
「これ。何だか分かります?」
取り出したのは小瓶。
中には透明な液体が漂っているが、ショウイには皆目検討もつかなかった。
「これはですねぇ……『 』の薬ですよ。まだ試作段階の未完成品ですが」
「!?」
あまりに衝撃的な言葉に我が耳を疑うショウイ。
狂人の発した言葉は、この世の理を変える程のものであり、あらゆる者への冒涜でもある。
恐れることを知らず、ジーダスは少しだけ笑顔を崩して話を続ける。
「これで更なる金儲けをすることが、当面の目標なんでやがりますよ」
「金儲けだと……? 馬鹿げている! そんな物が完成する訳が無い! ありえない!」
叫ぶショウイの前で姿勢を正し、見下す狂人の瞳は周囲を飛び回る小蝿を、疎ましく見る目に似ていた。
「ありえない、なんて事はありえない。私のこの言葉が好きでしてねぇ。まぁ……貴方に使う可能性は、ほぼありえませんが」
小瓶を再びポケットに仕舞うジーダスに対し、ショウイは「好機は今しかない」と判断し、賭けに出る。
ショウイの中の生存本能は彼自身に渾身の力を出させ、ジーダスを突き飛ばすという行動を起こす。
「くっ!!」
「ありゃ」
そのまま扉目掛けて走り出す。
尻餅を着いたジーダスに目も暮れず、ショウイは鋼鉄製のドアノブに手をかける。
開かない確立の方が高いだろうと、ショウイ自身も思っていたが、重く鈍い音を立てながら扉は簡単に開く。
「おっ……」
思いも寄らない結果に、もはや簡単な単語しか発せなくなった彼は、驚きながらも、この怪画制作室から脱出を図る。
「ヤーハー!」
次の瞬間、ショウイの顔面はへこみ、反対側の壁に叩きつけられていた。
彼を殴り飛ばしたピンク髪の幼女体型は、笑顔でジーダスに声を掛ける。
「ジーちゃん! ご飯出来たってー!」
「あぁ。了解しやした。では、彼を縛った後で行きましょうか」
「おーけー」
二人は気絶したショウイを再び縄で縛り、部屋に放置した後、施錠をして上に上がっていった。
ジーダス邸の一階、リビング。
そこでは7名による食事が行われていた。
全員でテーブルを囲み、静かに食事を取っている者が殆どだが、2名程、食卓上の料理を奪い合うように食べている。
「あっ! こら! J! 私の肉を取るなよー!!」
「バカが! 遅い奴が罪なのだ!」
黒いグラサンの「J」と緑長髪少女の「G」である。
Gの言葉は悪いものの、その豊満な肉体は見る男共を虜にしてきた。
傷ありホットパンツに、あまり胸を隠せていないブラジャーも、彼女が視線を集めてしまう原因の1つなのだが、本人は「動きやすい」との理由で止めようとしない。
そんなGはナイフの切っ先を黒ずくめのJに向けている。
理由は机の中央に置かれていたメインディッシュの肉料理の殆どを、Jが取ってしまったため。
とはいえ、個別に取り分ける料理のため、「自分の」と主張するGの意見は間違っているのだが。
取り過ぎなJにも非はある。
「うるさいなぁ……バカ2人は外で食べてよ。ボクがジーダス様とイリス様と、ゆっくり食事出来ないじゃないか」
「全くですね」
「本当だねぇ」
騒ぐ2人を、塵を見るような目で見ているのは、七色のレインコートを着ている少女、B。
七色少女に賛同した、シスター風な少女、Vと神父風な少年、Zは頷いている。
「うっせ! お前らもちゃっかり、自分の分を取ってんなよー!」
Gのナイフの先端と怒りが3人も向けられるも、3人は涼しい顔でパンを食べるのみ。
一方のジーダスとイリスは笑顔で5人の食事風景を眺めていた。
「そう言えば、そろそろお薬の時間でしたね」
「だねぇ。うひゃひゃひゃひゃ!」
騒がしくも平穏な日常、とはこの事を言うのであろうか。
少なくとも、彼らがイカれていないのであれば、平和という言葉が最も似合っていただろう。
「…………おや」
ふとジーダスが首を傾げた。
瞬間、イリスを除く5人は会話を止め、鋭い目付きと表情になり、感情が消える。
殺意と狂気のみが支配する空間となったリビングでも、笑顔を絶やさない2人を見ていると、十分に彼らが化け物染みていることを知らせてくれる。
「ふむ。オーガさんが死にそうでやがりますねぇ。念のため、V。今回は貴方に任せます」
「承知しました。主様」
先程のシスター風の服装をした少女、Vが静かに返事をする。
立ち上がり、壁に立て掛けてあった、巨大な槍を片手に軽々と持つと、閉じられた瞳が薄っすらと開かれ、主ことジーダスの命令を呑む。
「メインストリートの路地裏……ここから東、前に貴方が売り払った夫婦の家の近くで、オーガさんと餓鬼が戦ってやがります。ですが、オーガさんは負けると思いますので、回収して来て下さい」
「全ては主様の命じるがままに」
すぐさまVは消え、直後に他の4人が先程と変わらぬ状態で、食事を再開する。
「父様。Vだけで大丈夫なのでしょうか?」
神父風の服装した少年は、右手を軽く上げて尋ねる。
JとGは再び肉を食い始め、レインコート少女はパンに噛り付く。
「餓鬼は剣術使いですし、問題ないかと。まぁ、いざとなったら、貴方たちにも出て貰いますよ」
一切、笑顔を崩さぬまま、ジーダスも食事に手を付ける。
隣の席のイリスは、ジーダスの命令が下り終わるのと同時に、再び笑い始めた。
路地裏
「なっ」
左目が傷によって潰れた大男、オーガの両腕が吹き飛ぶ。
今まで対峙していた餓鬼の姿は消え、己の唯一の獲物である剣は、腕と共に宙を舞っている。
先程までの怒号も、既に鳴り止み、残された右目は必死で獲物だった狩人の姿を探す。
自分の前方、首を45度ほど、上げた所に餓鬼を捕らえることが出来た。
普段ならば、自分が相手を切り落とすに絶好の場所にいるのだが、今の自分には腕がない。
熱い痛みが来る前に、少年の向けた冷たい瞳が、オーガに向けられる。
「(こ、の――――)」
少年の瞳に一瞬恐れ、オーガは己の中に湧き出た恐怖を消す前に切り刻まれた。
はずだった。
「困ります。止めて下さい」
「なっ!?」
「ッ!?」
少年の剣線を受け止めた白銀の槍を持つ少女は、力のまま、少年を壁に弾き飛ばす。
「ぐあっ!」
背中を強打し、落下しながらも意識を手放すことのなかった少年は、そのまま地面に着地する。
鋭い眼光は消えておらず、自分の邪魔をした正体を見極める。
「オーガ隊長。用があって参りました」
オーガの前に回り、少年と対峙したVは瞼を閉じたまま、微笑む。
「お、お前は……確かジーダスんとこの……」
「お会いするのは初めてでしたね。主様直属の用心棒「ギャオス四天王」の「V」と申します」
少年の一挙一動に気を配りながらも、平然と自己紹介を行うVに、タツミは一歩、踏み出せないでいた。
彼とて、故郷で鍛えた剣技がある。
されど、目の前のVと呼ばれた女性は、全く隙がないのだ。
今も悠長に会話をしているが、常にこちらを見て、逆に隙あらば刺し殺そうという殺意が、簡単に読み取れてしまう。
「(コイツ……!)」
睨むことしか出来ないタツミと笑顔のV、そして困惑するオーガという三人であったが、彼はやがて自分が優位に立ったことを知り、傷の痛みを認識し始めるのだった。
「ちっ……この餓鬼……! おい! V! 早くその餓鬼を始末して、俺の治療をさせろ!」
痛みと屈辱は湧き上がるオーガであったが、今は目の前の少女に頼るしかないことを悟ると、傲慢な態度を崩さぬまま、Vに命令を下す。
その時、Vは薄目を開け、冷え切った視線をオーガに向けるも、激情している彼には気付かれなかった。
仕方ないので、彼女は軽く首を傾げ―――――
「主様以外が私に命令するな。屑が」
「ハァ!? テメェ! 何を言って……!?」
次の瞬間、叫ぶオーガの腹部をVの槍が貫いた。
「!?」
驚きはオーガとタツミ、双方の物である。
何が起きたか分からない、という表情を浮かべ、オーガは事切れる。
Vは無言のまま、槍に刺さったままのオーガを見下す。
まるで往来の通りで、誰かの吐瀉物を見るような目で。
「お、お前。な、仲間じゃないのか!?」
オーガとは、権力で腐っていたとはいえ、無条件で仲間に殺される程の男であったのだろうか? という疑問を抱きつつ、タツミは目の前で起きた惨劇の主に問う。
仲間を何よりも大事にするタツミにとって、彼女の行動は理解不能であり、永遠に理解出来ないのだろう。
「いえ。主様以外に命令されたものですから、つい腹立たしくて」
ごく当たり前といった感じで白いローブを纏った少女は答える。
自分の主以外が、自分に命令したから殺した? 常人でも全うな理解出来ない答えに、タツミの頭は混乱するばかり。
「帰ったら主様にお仕置きされますかね……まぁいいです。では、さようなら」
再び笑顔を表情に灯らせ、Vはタツミの反応以上の速度で、オーガの腕を回収し、消え去る。
大の大男を持ったままの行動に、タツミは驚きと恐怖を覚える。
そんなタツミの背後で、小さな血溜りが静かに民家の壁の隙間に消えていった。
「それでオーガさんを殺っちゃった、と」
「申し訳ありません。主様。何なりと罰をお与え下さい」
数時間後、怪画作成室では、困ったように後頭部を掻きながら、小樽で酒を飲むジーダスとずっと頭を下げているV、目を覚まし、恐怖で震えているショウイの姿があった。
ちなみに他のメンバーは1階で自室に篭っている。
「そうですねぇ……では、V。3日間ほど、色町で身体を売って、金を稼いできて下さい。その間は一切命令しません」
「ッ……3日間……ですか……」
主の言葉に苦虫を潰した表情をするV。
流石に彼女もまだ少女故、身体を売られるには抵抗があるのだろう。
「えぇ。3日です」
「その間、一切の命令なし……主様に命令されないのですかっ……!?」
どうやら身体うんぬんはどうでも良いらしい。
主至高の彼女にとって、3日もジーダスの命令がないのは苦痛極まりないようだ。
「そうでやがります。まぁ、私の役に立つ仕事ですから。3日経過したら、給付金と一緒に戻ってきて下さい」
「……承知しました」
俯いたまま、Vは部屋から出て行く。
主であるジーダスは、既にVに興味をなくし、淡々とショウイを解放し、身体を掴み、水槽にぶち込む。
流石に殴られた衝撃がトラウマとなったのか、逃げ出そうとしないショウイは、さながら小動物のようであった。
「んぐぐぐぐぐぐ!!」
何か言っているようだが、完全に無視して、蓋を閉じる。
中で暴れるショウイであるが、特別生のガラスは全く割れず、息苦しさのみが体中を支配していく。
近づいてくる死を前に、極限の恐怖に襲われるものの、彼を眺めるジーダスの表情は一向に変わる気配はない。
日常風景とでもいいたげな表情のまま、とうとうショウイはジーダスという狂人に恐怖したまま、死に絶えてしまった。
あと数分もすれば怪画の完成である。
そこへイリスがオーガの死体を引き摺って、扉を開ける。
「ジーちゃん! 豚野郎の死体補完、完了したよーん!」
満面の笑みで恐ろしいことを言うイリスは、自分の数倍のデカさはあるオーガの死体をジーダスの前に投げつける。
両腕は綺麗に接合されており、腹部の穴も完全に無くなっている。
細かい切り傷も消えている辺り、彼女の医術の高さが伺える。
「ご苦労様です。では、オーガさんはこっちに」
もう一つ用意してあった、更に巨大な水槽内に死体をぶち込み、蓋をすることで、今宵のジーダスの作業は完了する。
欠伸をし、酒を飲み干したジーダスはイリスと共に上へと戻っていく。
閉められた扉の音は残された死体2つの耳には、もう届かなかった。